オーバーロード 葛藤の放浪者(仮) 作:とくと
最後の
ひー、ふー、みー、と勘定する
周囲の警戒にあたっていた
実際、それでメンバーを失ったという例を風の噂で聞いたことがある。いかに稀有な事象であったとしても、互いの命を互いに預けているのだから、少しでもそういった不安要素は払拭するにこしたことはない。
そうしてもう一度、ルクルットが辺りの様子を伺って、危険なし、というふうに頷いたのを見計らい、リーダーのぺテルはゴブリンの討伐数が本日の目標数に到達したことを告げるのだった。
リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国を分かつように大陸に聳え立つアゼルリシア山脈。その麓に裾広がるのはトブの大森林である。王国領においてエ・ランテルからエ・レエブルにかけての近郊に広がるこの大森林は、様々な動植物の他にモンスター達の住処になっていた。
森林の中の大きな生態系の流れの中で、様々な生物たちの間にも生命維持のための食物の確保や増えた同族たちの住処を得るための争いが起こることもある。このような問題の他に、種としての大いなる目的のためではなく、ゴブリン、
しかし、身分の貧しい農民の生活を支えるにはその森の恵みは必要不可欠であるため、そういったモンスター出現地帯の村では自警団が結成されたり、堀を築いたり、夜通し炎を焚き上げたりなど、あの手この手でモンスター達を追い払う手段を案じて自らの生活圏を守っているのであった。
ホーニヤ村も、そんな村のうちのひとつだ。
城塞都市であるエ・ランテルとエ・レエブルの中間には小さな都市が建設されており、その小都市とエ・レエブルを結ぶ街道の傍に位置するホーニヤ村は、数ある村々の中でも幾らか幸運な村であった。
トブの大森林に近いからか土壌に恵まれ、大都市に通ずる街道が近いために害獣などの問題が発生した折には巡回する兵士などが素早く対処してくれる。都市が近い故にそちらに出稼ぎに出てしまう若者が多く、祭事や法事等がない限り日中常に村に滞在する人口の割合は必然的に中高齢者か女子供が多いため男手が少ないという問題はあるものの、モンスターの住まう森林の近くにあっても比較的に安全を約束されており、そういった関係において非常に恵まれている村であると言っていい。
……とは言っても、時折その兵士たちでは太刀打ちできないモンスターが現れることも少なくは無い。そういった時は、近郊の三つの都市にある冒険者ギルドに向けてモンスター退治の依頼を出すのである。
オーガなどの比較的大型のものも時たま姿を見せるが、大抵は広く知れ渡り対処法の確立された魔物が主なため、ホーニヤ村近郊で発生する討伐依頼は
今回発行されたのは、繁殖期を迎えたゴブリンが村の田畑を集団で荒らしに来るため、数日中に数を大幅に減らしてほしいという討伐依頼だった。
繁殖期のゴブリンは常時よりも気性が荒く攻撃的で、街道の巡回兵の戦力ではなかなか歯が立たない上に、それが集団で襲い掛かってくるとなると逃げることも危ぶまれる場合もあり、ギルドへの依頼という形が取られたのだ。その依頼を受けたのが、彼ら『漆黒の剣』である。
依頼を受注したのが昨日、エ・ランテルを発ってホーニヤ村に着いたのが昼過ぎのことだ。見上げれば、空の彼方から燃えるような茜色が迫ってきていた。治癒魔法を心得るダインやレンジャーのルクルットがいるとはいえ、全員に疲れの色が見えてきている今、夜に活動するのは得策ではない。
村長に告げた目標数には達成したのだから深追いせずに村へ一旦引き返そう、とぺテルが告げるのに、他の三人は力強く頷いて同意を示した。ニニャが倒した数の証明品を詰めた袋の口をしっかり閉めて道具鞄に入れたのを見てから、四人は村の方へ踵を返して……――突如、ルクルットが森の方を思い切り振り返った。
「何か来る。近いぜ」
「数は?」
「多くないはずだ。……多分な」
声を潜め、途端に眦を吊り上げて姿勢を低めた彼を見て、顔を険しくした三人は各々武器を構える。普段飄々としている彼が急に息を潜めたということは、森から近づいてくる何かは、相当近くまで来ているらしいと悟ったからだ。それ程近くに来ていたのに、レンジャーが気づけなかったということがどういうことを意味するのか分からない者はここにいない。
四対の目が睨み付けた森の奥から、草を踏みしめるような音が微かに聞こえてくる。風が吹けば掻き消えてしまうような音だったが、それは確かに、非常にゆっくりとした速度で茜色になり始めた斜陽の元へ姿を現そうとしていた。そうしてほんの暫しの後、それは、ゆっくりと木陰の元へと現れる。
陽光が傾いたことにより薄暗さを増した深緑の闇の中、吐き出されるようにして現れたのは人影であった。
ふらふらと覚束ない足取りと這うような速度でやってきたそれは完全に俯いていて、重力に従って垂れ下がる髪のせいでどんな
一様に脳裏へ浮かんだのは、
森の中に出現した、という例は殆ど聞かないが、トブの大森林には森の賢王なる強大な魔物も多くいるとの噂もあり、足を踏み入れて帰ってこなくなった者の話とて少なくはない。なので、アンデッドがここに現れることは、理論的に言えば何ら不思議ではなかった。
だが、森に住むモンスターたちは大半自らの縄張りを持ち、それにずかずかと踏み入って来る者を許すことはまずないだろう。そういった意味で言えば、生者を探してのろのろと闇雲に歩き回るただのゾンビなどは格好の的になり、即座に倒されてしまうはずである。
もしも、その包囲網を潜り抜けられるゾンビがいるとするならば、それは、間違いなく恐ろしい怪物の可能性があるということだ。
じっとりと手が汗ばむような緊張感の中、人影はついに、森からずるりと這い出て来て、その瞬間――
――ばたり、と倒れてしまった。
それは外套に身を包んだ男だった。緑の森から出てきたにしては異質なほどに真っ赤な外套であり、緩く波打つ髪の毛も同じ色をしている。四人は武器を構えたまま、たっぷり時間を使って倒れた男を凝視した。すぐに駆け寄らないのは、相手が本当に一人なのか分からないためである。
冒険者や旅人、旅の馬車などを狙った盗賊や強盗、山賊などの組織が常套手段で使う手法のひとつに、哀れな一人の行き倒れを装って通りがかりの者に近寄り、相手が油断をしたところで他の仲間をけしかけて装備品を巻き上げる、というものがあるのだ。暫しの沈黙を挟んで辺りを伺う。起き上がるのではないのか、話しかけてくるのではないのか、罠である可能性はないか。チームの耳であるルクルットが相当に神経を研ぎ澄ませて辺りの様子を伺っているのが手に取るように分かる。
相手が起き上がらないのを認めると誰ともなく互いに目配せをすると、ダインがひとつ頷いてから口を開いた。
「そちらの御仁、どうなさったのであるか」
四人の中で一番声の通るダインが男に声をかけるが、反応は返ってこない。視線がルクルットに集まる。しかし、彼は首を横に振った。何かが迫ってくる気配はしない、という意思表示である。
迫ってくる夕焼けに背中を押されたように、意を決したぺテルが剣を手にしたまま男に歩み寄った。うつ伏せに倒れている男の傍らに膝をついて、まず顔を覗き込む。
赤い髪に縁取られた肌色は生白く、けして健康的とは言えないものの、亡者の顔とは縁遠い生気を孕んでいた。アンデッドではないらしいと一先ず安心してから、なんとなしにその身なりを眺めて――ぺテルは珍妙な顔をする。男の外套から少し覗いている深紅の上衣の襟元に、黒い糸で拵えられた立派な刺繍が施されているのが見えたからだ。
普通、盗賊などの囮は、いかにも町人らしい小綺麗な服を着た男、子供、あるいは女が務めていることが殆どであるが、そう考えると目の前にいる男の格好は小綺麗という枠を超えて華美すぎるように思われる。念押しにルクルットを振り返ると彼は再び首を横に振った。やはり周囲には誰もいる様子がないらしい。どうやら装備を狙ってきた強盗の類でもないようだ。
……とすると、倒れている男は紛れもなく、正真正銘の行き倒れということになる。
ぺテルはそこで漸く剣を鞘に収めると、慌てて男の肩を揺すって意識の安否を確かめ始めるのであった。
***
霧と雲に覆われて、凍りついてしまいそうなほど深々とした白い闇が辺りを取り巻いていた。
細い風に混じって時折、大気がうねる音がする。切り立った尾根には確かな重力と、風と、空はおろか一寸先も見えないような分厚い靄が覆い尽くしており、清々しいはずの陽光もここには届かない。目が眩んでしまうほど恐ろしく高い頂でありながら、深い谷底にいるかのような閉鎖感と静寂が、靄と共に周囲へ充満している。重く冷えた空気に纏わりつかれて動けなくなってしまいそうな、そんな錯覚すら生まれてくる場所であった。
その中で、時を止めたかのように制止を続けるものが存在していた。
風のうねるままにその触肢というべきものを遊ばせて、岩肌と靄に溶け込むかのように浮かんでいるそれは、時間の経過と共に白と黒だけを繰り返す山の冠で幾ばくかの長い時間――ある種、瞬きをするような刹那の時間とも言えるが――昏々と、この場所で眠り続けていたのだ。
しかし“その瞬間”、確かに意識を明滅させた。
ほんの一瞬のことである。それによって周囲には何の異常も現れない。霧の流れも変わらなければ、触肢も風に遊ぶまま。気づけばそこに現れていたそれを誰も察知できなければ、いつからあったのか、どういったものなのか、案ずるものもこの場所には訪れない。きっと、現れることもないだろう。
そうして誰にも気づかれないまま、その存在はゆっくりと目覚めの時を待つべく、再び――しかし、今度は前よりも浅い微睡みの中に戻っていくのであった。
***
「あ、」
目を開くとぼんやりと薄暗い天井が広がっていた。木目が見えるからには木で作られた天井である。
目を開いたと同時に聴こえたのは一体なんだろうか。
これもまた適度に夢心地に浸かったままのぼんやりした頭にその言葉を浮かべながら天井の木目を見つめていると足音と認識できる音が近くまで迫ってきて、視界の中には少年と思しき輪郭が映りこんだ。視線は素直に動くものの方へ引き寄せられる。
「目が覚めましたか! 大丈夫ですか? どこか、痛いところはありませんか?」
心配そうな声色で言われた言葉が、脳内でぐるりとひと廻りする。痛いところはあるかと、そう問いかけられたのだ。答えを出すために、横になったまま身体を探るように力を入れたり、感覚を確かめたりする。そうやってなんとなしに自らの状態を確かめるうちに――ふと、我に返った。
このひと、だれ?
芯を一本穿たれたかのように歯車の回り始めた思考回路から浮かび上がった疑問に、視界の中にある顔を思い出せる限りの記憶から懸命に検索するが、何もヒットするものがなければ、掠る情報すらない。もう一度目の前の少年の顔をよく見る。くりくりとはねた濃い茶髪、そばかす、ブルーアイズ……どう考えたって何一つ見覚えがなかった。
無言でじっと見つめていられることに何を思ったのか、少年の瞳に読み取れない感情の動きが起こっているような気がして、兎にも角にも返事はせねば失礼だろうと思い至り、少しだけ半身を起こす。
発話のために吸い込んだ空気からは、土のような、樹木のような、何とも言えないにおいがした。
「どこも痛くなんて――」
ないです、と言いかけて、不意に走ったあまりの衝撃に思わず口元を押さえてしまう。少年はそれをどう捉えたのか途端に顔を蒼白にして、すぐに桶取ってきますから、と叫びながら踵を返して走り去っていってしまった。
そんな少年の背中を見送らないうちに、投げ飛ばす程の勢いで布団を捲りあげて、寝かされていた簡素な寝台から立ち上がる。そして、自らの格好を慌てて、まじまじと眺めた。
赤いクロースアーマー、深紅のブレーサーにブリガンダイン。寝台のすぐ傍には木の椅子があり、その椅子の下には着用していたゲートルとブーツが、背凭れには外套が掛けて置いてあった。寝台に寝かせる際、誰かが脱がせてくれたのだろう。
殆どが赤で揃えられた己の衣服を見て、ただ一つ変わらない自らの現状を理解した“彼女”――否、“
「ゆ……ゆ……夢であって……ほしかったッ……!」
絞り出すように漏らした声色は聴きなれた、それでいて聴きなれない低い男の声であった。