提督と加賀   作:913

10 / 66
四話

「……これで決まりだな」

 

「提督さん、何をしてるっぽい?」

 

「ソートだよ、夕立君」

 

何でソートしているかを言わない辺りで、彼の小狡さが伺えた。

蒼龍、加賀、赤城、飛龍、翔鶴、瑞鶴、大鳳。彼が現在指揮下においている七人の空母娘は、それぞれ様々なところに飛ばされていた。

 

現在二航戦はセレベス島の鉄鋼の輸送船団の護衛に、五航戦はスマトラ島パレンバン周辺地区で採掘された石油を東京へ輸送している船団の護衛についている。

 

スービック鎮守府の管轄区域であるフィリピン・ボルネオ・スマトラ・マレー・ジャワ・バリ・チモールに住んでいた住民たちは深海棲艦によって占領された直後に姿を消し、所在はようとして知れない。

 

世界各国でもこの『占領された地を再解放した際に住民たちが消えていた』という事例は多く報告されており、現在の世界は1900年代前半のような切り取り勝手な情勢へと変化しつつあった。

 

「現在一航戦を含む二個艦隊がパラオ付近の制空権を獲ってきてるから、思いっきりサボれんだよね」

 

「サボってていいっぽい?」

 

「大丈夫だ。問題ない」

 

諸群島に退役した艦娘の火砲を備え付けている為、防衛線は強固である。

更には駆逐艦による哨戒航行と軽空母による哨戒飛行で予期せぬ襲撃に備え、パラオに偵察・制空権握らせに行くにあたっても周囲の深海棲艦の棲地を丹念に潰した上でやっているし、何よりも慚減に慚減を繰り返した脆弱な敵戦力では突破が不可能なほどの火力と艦艇を集中していた。

 

実質、今のところの彼に危なげはないと言える。

 

「提督さん、やることないっぽい?」

 

「まーね」

 

一航戦を駆使して大兵力を打ち負かすという如何にも日本の名将らしい、手練手管を巡らせ、小部隊を以って奇策縦横、大軍を翻弄撃破するといったところに戦術があるとし、そのような奇功の主――――源義経の鵯越の奇襲や楠木正成の千早城籠城戦などを規範としてきた。

 

ところが彼は、その戦いの初戦を『寡を以って衆を制する』式の奇襲戦法で勝ったくせに、その後一度もその模倣をしようとしない。レイテ沖で文字通り敵機動部隊を粉砕することができたのは百に一つの幸運と百に一つの天機が合わさってこそのものであると、彼が一番わかっていたのである。

 

「俺は、ほら。戦う場所に勝てるくらいの戦力を集中させるのが仕事だからさ」

 

「どれくらいの戦力っぽい?」

 

「だいたい二倍とか、三倍とかになるまで慚減するかな」

 

夕立が教導所で教わった海戦や陸戦の模範型では大抵が日本軍が劣勢の際に如何にしてその状況下から逆転の目を掴んだか、というものであった。

 

数値的な劣勢からの巧緻な戦術の妙によって挽回して優勢に立つというのが夕立の学んだ戦いであり、それでしかない。

 

謂わば出た時には既に優勢であろうとする提督の戦い方はいまいち理解できないものであろう。

 

「てーとくさんは臆病っぽい?」

 

「劣勢での戦いは正直飽きるほどやったんで、臆病になった自覚はある」

 

「むざむざ死に向かわせる蛮勇よりはマシでしょう」

 

無邪気だからこそ痛いところをついてくる夕立に肩を竦めて戯けてみせた提督がいつも通りの軽い語調で返した瞬間、提督の机の正面にあるドアがバタリと開いた。

秘書艦、加賀の登場である。

 

「加賀さん、何故ここに……」

 

「あんな新造機動部隊など鎧袖一触です。訓練にもなりません」

 

南方海域は本来、深海棲艦の棲地が群がる危険地帯として名高かった。

 

彼が台湾を占領、鎮守府を付近に曳航してきた時の敵戦力を見てみると、こうなる。

 

『空母ヲ級改Flagship四隻と随伴艦からなる機動部隊A群(フィリピン、スービック)』

 

『空母ヲ級Flagship六隻と随伴艦からなる機動部隊B群(マレー・スマトラ)』

 

『空母ヲ級Elite六隻と随伴艦からなる機動部隊C群(ジャワ)』

 

『戦艦タ級Elite四隻と随伴艦からなる水上打撃部隊A群(セレベス海)』

 

『戦艦ル級Elite四隻と随伴艦からなる水上打撃部隊B群(南シナ海)』

 

すなわち、深海棲艦側でも屈指の猛者共が資源の豊富な南方海域を遊弋していたのだ。

 

もっとも、今は殆どが爆発四散した。南方海域は深海棲艦が時間を掛けて育て上げた精鋭空母の墓場となったのである。

 

現在はパラオに逃げた水上打撃部隊の残存と新たに建造されたと思わしき空母ヲ級が五隻。名前をつけるならば『敵機動部隊再建艦隊』となるのか。

 

「ま、再建艦隊だからね」

 

「こちらとしても練度の低さに逆に驚かされました。序盤の激戦が嘘のようです」

 

南方海域の主要資源地を完璧に抑えられ、随伴艦には深海棲艦の棲息領域でも使用可能な電探と近接信管を積まれ、ガチガチに防空を固められた状態では奇跡など起きない。威力偵察一回で、敵の再建艦隊が育てていた艦載機たちは軒並み卵の殻でも潰すようにして潰された。

 

そして。

 

「で、何ですかこれは」

 

「……知らないなぁ」

 

彼が昨日、夕立と初顔合わせをしてからソートと称してずっと並べてあった人形もまた、加賀の前で塁卵の危うさの上にある。

 

「知らないのなら要りませんね」

 

「それだけはご勘弁を」

 

瞬間移動と見紛うばかりの素早さで、提督は机を飛び越え加賀の横に着地。一種の美しさすら感じさせる精練された土下座を決めた。

 

加賀の目を盗んではせっせと作り続けたこの七体。そうやすやすと壊されたくはなかったのである。

 

「……説明」

 

「ハイ。これは俺の指揮下にある空母娘の人形でして」

 

ビキリ、と。手元にあった翔鶴の人形に亀裂が走った。

被害担当艦は、人形として作られようが被害担当艦となる運命にあるのかもしれない。

 

何しろ、位置が悪かった。加賀もまるで選別する様子がなかったあたり、適当に引っ掴んで握っただけなのだろう。

 

「私は別にこの物質の解説を求めたわけではありません」

 

「わたくしめの趣味でございます」

 

「……そう。ならいいわ」

 

提督は、安堵した。加賀は変な所で怒ることもあるが、物分りが悪いわけではない。一定の誠意を以って接すれば、案外わかってくれる。

 

が。

 

「では、翔鶴の下駄を嵌める台に書いてある81/56/83とは何かしら?」

 

提督は死んだ。

 

夕立は逃げ出した。

 

加賀は修羅になった。

 

簡潔に記せばこれだけで済む出来事が、提督の目には数分にも数十分にも感じられるほどであった。

 

「提督」

 

「はい」

 

「私の台に書かれている89/58/92の数値は、なにかしら」

 

語尾を平坦にした発音がひたすら怖い。

提督は、生まれてきたことを後悔するレベルの恐怖に身を貫かれるということを、今初めて感じた。

 

加賀は、普段はフラットな女性だった。提督にも一定の敬意と誠意を以って接してくれるし、何よりも極めて迅速に職務をこなすことができる。

職務上側に居なければ勤まらないものだとは言え、提督業が休日の時は気がついたら一席分くらい間を空けて隣にちょこんと座っていたり、本を読んだりして時間を潰していることから嫌われてはいないことも、わかっていた。

 

しかし、怒らせると怖い。無表情というか、真顔で怒りを叩きつけられて無事でいれるほど、人間の精神は強くはない。

 

「提督」

 

「はい」

 

真顔且つ平坦な美声が、恐怖を載せて彼に届く。

 

「いつですか」

 

「二ヶ月前です、はい」

 

二ヶ月前の健康チェックで、艦娘は大淀と明石監修の元に入念なメンテナンスを受けた。

提督はその時駆逐艦たちと海で遊んでいたから気づかれないと思っていたのだが、そこは変態。無駄に研ぎ澄まされた第六感と、情報厨と陰口を叩かれる情報への飽くなき渇望が、とある重巡と結びついたのである。

 

「………………あの時は、太っていました。今は痩せています」

 

「はい?」

 

「何でもありません」

 

正座からの土下座を敢行していた提督の顔が上がり、訝しげな表情が浮かんだ瞬間に加賀の足が首元を圧すようにして頭を再び土下座の定位置に戻した。

 

それに対して『ありがとうございます』と思っていた提督はもう末期なのかもしれない。

 

「……さて、はじめましょうか」

 

その踏みつけの姿勢のまま、加賀の口からひたすらに愛嬌のない説教が溢れる。

 

彼が加賀の足の下から解放されたのは、それから四時間後のことであった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。