提督と加賀   作:913

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六話

人は美女に憧れる。

もっと言えば、美女と接点を持つことに憧れる。

 

あわよくばその心を我が物にしたいし、好いてもらいたい。即物的な欲望という観点から言うなれば、その身体を貪りたい。

 

女に慣れた男ならば、ここまで発想が行くであろう。

しかしそれがそんな物に耐性のない一般人ならば、どうなるか。

そして相手が、少しありえないくらいの美女であればどうなるか。

 

ただただその容貌の美しさに蹴落とされて喋れなくなるか、或いは無理矢理ふざけて直視を避けるかのどちらかだろう。

 

この提督は、後者に分類される人種だった。

 

「仕事、終わり……」

 

「お疲れ様でした」

 

艶のある長い黒髪と、怜悧な彫刻を思わせる造形美を誇る肉体。

冷たさを湛えた切れ長の眼と、澄んだ琥珀色の瞳に、どこか可愛げのあるパーツ配置。

 

加賀という女は、紛うこと無き美女である。

そして何より、女に無縁とはいかずとも慣れてはいなかった最初期の彼に対して凄まじいまでの近寄り難さと苦手意識を抱かせるタイプの女だった。

 

「私は入浴した後、食事を取りに行きます」

 

「いってらっしゃい」

 

完璧なまでの報告言語に対してひらひらと手を振って答え、提督は一先ず胸を撫で下ろす。

 

今日も何とか乗り切った。

 

その安堵が、最早二重人格とも言えるほどに乖離した二面性を持つ彼の裏の面を満たす。

 

近寄り難いタイプの美人である彼女との当初の関係は、良好どころか普通とすら言えないものだった。

 

お互いに黙りこくり、職務上で必要最低限な会話すら行えず、この世の何よりも重い職場の空気が硬直したように互いの肩にのしかかる。

まさに気まずいと言う形容がこれ以上ないほどに当て嵌まり、連携も協力もなかった。

 

彼が使い、加賀が働く。ただそれだけの関係。

 

その関係を打破すべく、そして指揮官として必要不可欠な楽天的な性格になるべく一歩ずつ歩み、今に至る。

 

そして今も、彼の表の面は加賀に対しての近寄り難さが抜け切っていなかった。

尤も、嫌いな訳ではない。一目見て惚れたからこそ近寄り難く、変に茶化して怒られる。

 

何か変なものが憑依したのかと思う程に、表と裏の彼は違っていた。

 

共通項は、加賀に惚れているということくらいか。

 

「失礼します」

 

思考に没頭しているが故に駆け足で過ぎていった時間を、常と変わらぬ声と一定のリズムを刻むノックがひき戻す。

一日に一時間ほどしか顔を見せない表の面が裏返り、裏の彼が顔を出した。

 

「何かな、加賀さん?」

 

職務上常に着ている弓道着のような服ではなく、湯上がりの白い着物の如き和装。

朱色に染まり上記した肌が艶めかしく、新しく縛り直した髪から水気が漏れる。

 

手に持っている二膳の食事を除けば、風呂上りに夜這いに来たような服装だった。

 

「御飯、食べませんか?」

 

「ああ」

 

職務室の机に積もっていた書類は処理され、飛び散ったインクやらなにやらを除けばまあ綺麗になったと言える。

その上に新たに二膳置かれ、温かな湯気と食欲をそそる香りが部屋を満たした。

 

「加賀さん?」

 

「はい」

 

「何で膳が隣なの?」

 

職務時は、仕方ない。

だがこの私用においても隣に座られれば、裏返ったばかりの彼の心臓は無事では済まないであろう。

 

それに追い打ちをかけるように、彼女は今風呂上り。

殺人的なまでにいい匂いがする女特有の香味が、彼女の周りにふわりふわりと漂っていた。

 

「……」

 

白い肌と、黒い髪。日本人らしいその配色の中で異彩な輝きを放つ琥珀色の瞳が、ごく普通な容姿をした提督の姿を映す。

その綺麗さに心を奪われ、裏と表が一瞬ブレた。

 

男は誰でも美人に弱い。それが好きな女であり、拒む理由が恥ずかしいからということでしかないならばどんなことでも叶えてやりたいと思う。

それが、男という性の悲しき性だった。

 

「だめ?」

 

「どうぞ」

 

小首を傾げられながら訊ねられ、断れる程に強くはない。

定位置となった隣の席に白い袴のようなものに包まれたお尻が下ろされ、すぐさま足先で持って机との距離を詰める。

 

「いただきます」

 

きっちり二セット用意してきた箸の内の一つを柔からな掌で挟みながら、加賀は瞑目しながら頭を下げた。

 

礼儀正しい、と言うのか。彼女はそこのところの躾が相当なっている。

海軍のパトロンとの会談でも、礼儀やら面倒くさいアレやらコレやらを教えてくれたのは彼女だった。

 

「いただきます」

 

隣に座った意味がわからないほどにまっすぐと、椀とおかずの盛られた皿のみに眼をやっている加賀を横目でちょっと見、提督もまた彼女に倣う。

別に彼女は、自分がしていることを他人に口煩く強要したりしない。別枠として駆逐艦などの精神的に幼い者には丁寧に躾けるが、精神的に成熟した者には何も言わないのだ。

 

無論、そういう物が必要不可欠な公的な場では煩い。が、それは秘書艦として必要なものであり、謂わば職務の延長上にある。

 

艦隊の規律の維持をも引き受けている彼女も、私生活では案外寛容なのかもしれない、と。

提督はそう思っていた。

 

「……と言うか、仕事終わってからもう二時間なんだね」

 

「気がつかなかったの?」

 

少し詰問のような風を帯びた声色に怯みながら、提督は時計の方へと目を凝らす。

現在時刻は深夜二時。よくも間宮さんはここまで食堂を開けて頑張っていてくれたものである。

 

「間宮さんには迷惑掛けてるよなぁ」

 

「……そうね」

 

頬を僅かに膨らませたような、詰まるところは若干不機嫌そうな彼女の表情を伺いつつ、提督は更に会話を繋げる言葉を探した。

だが、悲しきかな。彼は別にコミュニケーション能力に秀でている訳ではない。

 

傍から見れば可愛く怒っている加賀の姿を見てしまえば、尚更その選択肢は狭められる。

 

「ごめんね。遅くまで」

 

「それほど気に病むことではないわ」

 

僅かに膨らませた頬がいつものクール顔の定位置に戻り、食事に向けられ続けていた琥珀色の瞳が必要最小限の軌道を描いて提督に向いた。

 

「あなたは良くやっています」

 

初めて戴いた書類裁き面でのお褒めの言葉に、提督の瞳が見開かれる。

正直彼は、とてもこのままでは加賀に認められたり褒められたりという―――選抜に選抜を重ねて能力の優秀な一握りのエリートのみとなった世の提督が秘書艦にやられている『ちやほや』とか『おさわりオッケー』とか『ケッコン』に至る前の段階すら踏めないと思っていた。

 

何せ自分は素行も良いとは言えないし、指揮能力の高さが尊ばれる日本海軍の実働舞台の指揮官に於いても屈指の戦下手だということを、この男は知っている。

彼にあるのは雪風と某カードゲームをやった時、揃えたら勝ちの本体とパーツを揃えて初手で引き分けにしてしまう程度の運でしかない。

 

有り体に言えば、運と軽視に軽視を重ねられている補給線構築の能力しかないのだ。

 

「…………ありがと」

 

「?」

 

女性の平均よりは高いとは言え、自分より背の小さい加賀に励まされる

己に情けなさを感じつつ、提督は箸を揃えて膳に戻す。

 

頭の上にクエスチョンマークを浮かせているような、所謂『はてな顔』を眉の動きだけで表しながら、加賀もまた膳に箸を戻した。

 

食事のペースを合わせていてくれたのか、幾度となく共に同じ釜の飯を食ってきたから合ってしまったのかは定かではないが、この二人は何となく息が合っていることは確かであろう。

 

「俺、加賀さんが初期艦で良かったよ。加賀さんじゃなかったら、正直ここまでこれてない」

 

「…………そうかしら」

 

プイッと顔を逸らして提督を視界から外し、加賀は二膳を持って椅子から腰を浮かした。

常とは違う早口で答え、なおかつ珍しくこちらを見ないで返された答えにビビっている提督の様を知るよしもなく、加賀は激しく脈打つ心臓の鼓動を感じつつ執務室を出る。

 

人ではないにも関わらず、人の物らしい鼓動がとくん、とくんと過剰に響く。

膳を間宮食堂の厨房で洗って返却し、加賀は赤城との共同部屋である一室、通称一航室へと戻った。

 

「…………とっても嬉しかったのに」

 

何で私は、あんな返事しかできないのか。

 

私もあなたが提督でよかった、と。彼女は本心を包み隠すことなくそう返すべきだったろう。

 

「加賀さん、どうでしたか?」

 

「起きていたのね、赤城さん」

 

一応深夜という非常識な時間帯に帰ってきたと言う自覚が有るため、彼女は電気をつけていなかった。

てっきり、数年来の僚友・赤城が寝ていると思っていたのである。

 

「いきなりあんなことを呟いたことと加賀さんの性格を合わせて考えると、あんまり進展がないとは思いますが……」

 

「……隣に座れて、一緒にご飯も食べられて幸せでした」

 

「まあ、だいたい予想通りですね」

 

赤城の目算によれば、提督は加賀に惚れていた。ベッタベタに惚れていた。

この南方海域を制圧する際の最終決戦後、加賀が大破して帰還した時にいつもの明るさとは真逆とすら言える暗さと狼狽っぷりを見せたのは記憶に新しい。

正直、彼は誰であろうが大破しようが労ったり充分な休養を取らせたりはするホワイトな提督だが、どんな時であろうと決して狼狽することはなかったのである。

 

少なくとも加賀が艦娘たちの中でも一つ頭抜けて大事な存在であることは、これで確定していた。

後はまあ、普段の挙措とかの端々から読み取れる緊張や強張りのようなものから推測すればいい。

 

「……幸せでした」

 

「純朴ですねぇ……」

 

赤城も恋愛慣れはしていないが、それでも加賀よりはマシなことだけは確かだろう。

何せ、何年も共に居て、好意を持ってからはや一年が経とうというのに隣に座るだけで満足しているような化石より、垢抜けていることは確かだった。

 

「うかうかしてると他の娘に取られちゃいますよ?」

 

この脅し文句がないと、加賀は永劫隣に座れるだけでまんぞくしてしまう。

そして提督もまた、『自分とじゃ釣り合っていない』という卑屈且つ妥当な判断によって片想いでもいいという結論に達していた。

 

つまり、彼女が前に踏み出さない限りは秘書艦と提督という職務上の一線を越えることができないのである。

 

もぞもぞと布団の中に身体を潜らせ、抱き枕に足と手でもって抱きつき、加賀は少し頷いた。

 

「……わかってます」

 

「恋人になれるように、頑張ってください」

 

空母の視力は暗い中でも表情の機微がわかるほどに優れている。

抱き枕に鼻から下をうずめて鬼灯のように赤面している加賀の愛らしさニヤニヤしつつ、赤城は静かに眼を閉じた。


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