提督と加賀   作:913

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八話

「鎧袖一触よ。心配要らないわ」

 

その日の彼の秘書艦は、いつもとは違う、だがよく似ているように仮装した女性だった。

迷彩柄の暗い紺色の服状艤装に身を包み、目の色は少しダークな深緑。髪型こそ似ているものの、髪の色の黒と言い切るにはグレーに過ぎる。

声も違うが何よりも、胸部装甲のボリュームが減っていた。

 

それは、仮装ではどうにもならない格差と言う奴だった。

 

「94点だなぁ……」

 

イントネーションと常のジト目、髪型の再現率の高さと立ち姿。

それらのプラスを加え、僅かに目立った粗で引き、提督は脳内のソロバンで採点を叩き出す。

 

「うーん」

 

いつもの秘書艦ならば絶対にしない、困り声と共に頭をポリポリかくというコミカルな動作を見、提督は目の前の秘書艦の名を声に載せた。

 

「まだまだだな、瑞鶴。ジト目は素晴らしいが、それだけだ」

 

「ソムリエからするとまだまだかぁ……」

 

翔鶴姉からは大絶賛だったんだけどなぁ、とこぼしつつ、瑞鶴は少し首を捻る。

加賀の真似をするのは、謂わば瑞鶴の一発芸のようなものであった。

 

何故一発芸なのかと問われれば、別に加賀の真似が面白いから真似しているというよりも、『皆が知っていて、なおかつ特徴的な個性を持つ』という条件を過不足無く満たしているからである。

 

「加賀さんはこう……言い方に冷たさと熱さが混ざってる感じなんだよ」

 

「……『私は戦うのが好きと言うより、勝つのが好きなのだけれど?』」

 

空母の殆どが一度は大破し、加賀すらも深海棲艦の最期の大反攻の前に大破に追い込まれたという凄まじい激戦以来、鎮守府警備が主である彼女らしいネタのぶっ込み方だった。

 

そして何より、言い方が加賀らしいアクセントであり、何よりもジト目が巧い。

 

その咄嗟の言い回しと発音に座布団を一枚やろうとした、次の瞬間。

 

「「?!」」

 

バタン、と。まるで蹴られたかのような衝撃が木製のドアに掛かり、壁にドアノブをぶつけて幾多も跳ねながら扉が開く。

 

午前の分の仕事を終わらせたとは言え、恐ろしく雑談めいた会話を行っていた自覚のある提督と瑞鶴は、喋りの合いの手をピタリと止めて扉の方へと振り向いた。

油を差していないブリキ人形のような軋みが似合う動作で振り向いた先には、怒りと何かに燃える琥珀のジト目。

 

「何をしているのかしら」

 

逃げよう。

目を合わせるまでもなく、言葉を交わす必要すらなく、提督と瑞鶴は同時に決断を下した。

 

ガラリと窓が開き、黒い軍服と迷彩柄が宙を舞う。

 

「提督さん、こっち!」

 

「従おう」

 

脚にも付いているものの、だいたい騎士鎧のような胸当てと左腕に装着した飛行甲板からなる艤装を空中で装着して身体能力を上げた瑞鶴の指が東を示し、提督は反論もなく追従した。

 

窓から飛び降りることを周到に予測し、予め衝撃吸収マットを置いていた彼の判断が功を奏した。

艤装を纏えば飛躍的に身体能力・耐久力を増すことのできる艦娘とは違い、彼は生身の人間である。窓から飛び降りればただでは済まない。

 

だが悲しいことに―――八割方自業自得だが―――大抵逃げ場所は窓しかないのだ。

 

「…………」

 

切れ長な鷹の目から放たれる琥珀色の眼光が背中に突き刺さっていることを察しながら、加賀いじりコンビは逃げ出す。

 

背中に突き刺さっている眼光が消え、瑞鶴の鼓膜を階段を降りる時特有のリズミカル且つ硬質な音が打った。

何故か、窓から飛び降りなかったらしい。

 

慢心か、余裕か、それとも階段を降りた方がよいと誤ったのか。

理由がどれにせよ、逃げる方からすればそれは僥倖である。

 

「……加賀さん、いつもより怒ってない?」

 

「いつも怒ってるかな?」

 

逃げ切った訳ではないにしてもだいたい巻いた感があるからか、提督と瑞鶴は僅かな心的余裕を見せていた。

 

「只管こちらを見ては逸らし、見ては逸らしって怒ってるんじゃないの?」

 

「……まあ、提督さんからしたらそう思うかもねぇ」

 

ニヨニヨとからかう様に笑い、これまた初期型の艦娘である瑞鶴は頭の後ろで腕を組みつつ歩みを進める。

彼女の聴覚は、意識を集中させることで明敏さを得ている。つまり、他の事例に意識を割いていてはその本来のポテンシャルを出し切れなかった。

 

だから、だろう。

進行先にはためく青の接近に、全く気がつけなかったのは。

 

「仲が良さそうですね、あなたたち」

 

視線を向けたもの全てに湿気を振り撒きそうなほどにジットリした瞳が、完全に二人の足を止めていた。

 

常は彼女の澄んだような純粋さに宝石を思わせる瞳は怒りよりもドス黒い何かに濁り、纏う雰囲気は最早魔王のような威圧感がある。

ただし、流石に急いだのだろう。

少し袴のスカートが捲れていて黒いニーソックスからはみ出た柔らかそうな太腿がその白さをより多く、白昼に晒していた。

 

「戻りましょうか」

 

「……はい」

 

微妙な空間のブレにより、『これ以上抵抗すると艤装出しますよ』という圧力を掛け、加賀は瑞鶴と並んでいた提督の手を掴んで引っ張り出す。

空気を読んで職務を放棄して逃げ去った瑞鶴に鋭い視線をやり、再び彼に視線を向けた。

 

「……加賀さん、質問」

 

「何?」

 

明らかに不機嫌且つ、眼の琥珀色が澱んでいる。

手を掴んでいる柔らかさに意識を遣る暇もなく、好きな人と計らずとも手を繋げているという喜びを感じる余裕もなく、彼は一番の味方であるはずの目の前の女性に恐怖していた。

 

「な、何で休日なのに、鎮守府に居たのかな?」

 

「…………」

 

無言を貫き、ただ進行方向を見据えながら歩くその姿から読み取れるのは、完璧なる無視。『あなたなんて眼中にありません』と言わんばかりのガン無視である。

 

(やっべぇ……)

 

辛うじて取り繕っている人格で居たが為にこの程度で済んだが、本来の後ろ向きな性格だった時にこの無視を喰らった場合、下手をしなくても致命傷であった。

 

どんどんマイナス方向に加速していく思考を破るように、一本の針が突き刺さる。

 

「……あなたと居たかったんだもの」

 

澱んでいると形容に相応しい、ドロリとした嫉妬の感情がこもった瞳を元のものへと戻しながら、加賀はポツリと呟いた。

 

負の方向に加速していく思考に注力していたが為に加賀の言った台詞の内容こそ聴き取れなかった物の、彼にとっては加賀が何かしらの言語を喋ってくれたこと自体が嬉しい。

 

「ごめん、もっかい言って?」

 

「……………何でもないわ」

 

犬の尻尾のようにふさふさと揺れ、濡れた烏の羽根のような淑やかな黒さを持つサイドテールが黒い軍服ごしの腕に凭れ掛かる。

この頃になると、彼も心理的な平衡感覚を取り戻していた。

 

彼の意識は加賀の柔らかな白い掌に向き、そのもう二度と味わえないであろう感触を一刻でも長く感じていられるように、思い出せるようにと、丹念にその掌に自分の手を吸い付ける。

 

怜悧な雰囲気とは裏腹の吸いつくような柔肌に感服しながら、提督は鎮守府の本館までの道程をダラダラと歩いた。

怒られるかと思いきや、加賀の歩みも非常に鈍い。そして恐らく、思考もかなり鈍化している。

 

だから、だろう。

 

「あのさ、加賀さん」

 

「?」

 

「手。いいの?」

 

周りで友達同士で歩いていたり、姉妹同士で歩いていたり、更には速さに任せて突っ走っている艦娘すらもこちらに注目してきている理由に、彼女は全く気付かなかった。

 

「手?」

 

右手を上げ、異常なし。

左手を上げ、吊られるような形で提督の手まで持ち上げた途端、加賀は今まで自分がしていたことにあっさり気づく。

 

手を、繋ぐ。

 

それはつまり、肉体的な面での接触。

恋人達の間での、スキンシップの第一歩。

夫婦が歩く時に、すること。

 

「…………」

 

慌てたような素振りを見せずに振り払い、左手を見るからに安産型のけしからんお尻の後ろに隠し、彼女は一歩、二歩と後ろに下がった。

 

外見上はともかくとして、彼女の内心での動揺は凄まじい。

まず最初にあたかも恋人になったかのような歓喜と抑え切れない高揚が生まれ、自分以上に親しげに話していた瑞鶴への嫉妬を押し流す。

これにより、ものの数秒で挙式までの妄想ルートが完成。

 

ここで妄想ルートに舵を切った気分高揚中の九割九分に対し、残りの一分が現実という名の冷水を浴びせて沈静化。妄想ルートの幸福と現実との差異によって気分が塞ぎ、塞いだ瞬間に九割五分が『手を繋いだ』という事実を突き付ける。

 

これに関しては全く疑いようのない事実なので残りの五分も沈静化のしようがなく、これまで年単位で月日をかけても一向に進まなかった関係が進展したことに小躍りしたところで、再び五分が現実という名の冷水を浴びせた。

 

手を繋いだのは、合意の上ではない。心理的な動揺と高低差によって随分昔に思えるが、瑞鶴から引っぺがす為に自分が彼の手を掴んだだけ。

そして、それを今提督が指摘したということは、彼は手を繋いだ状態を歓迎していない。

 

ここまで来て、やっと現実時間での一秒が経過する。

 

激しく気分のハイ・ローを繰り返し、一周回って客観視が可能となった彼女の思考は落ち着いていた。

そしてあくまでも冷静に、彼女もまたマイナス方向に加速していっていた。

 

(……嫌われているのかしら)

 

そりゃあそうだろうと、自分でも思う。

面倒くさいし、煩いし、無表情だし、愛想もない。色気もなければ魅力もなく、素直さもないし可愛げもない。

 

何より自分は、人ではない。

 

「提督」

 

「何?」

 

内面は色々と陰鬱且つ泣きそうな程の悲しみに満ちているが、彼女の声と表情だけはいつも通りのフラットなものだった。

 

そしてここでまた、彼女の複雑な内面が牙を剥く。

 

『ここで、私のことは嫌いですかと聞いて、嫌いだと言われたら?』

 

他の女の子と仲良くなっても、いい。嫉妬はするだろうが、いい。

 

だが、嫌われたら?

嫌われたら、自分はどうする?

 

お前なんて、嫌いだと。暗に含むような曖昧な笑みで返されたら?

 

「どうしたの?」

 

自分から話を振り、振って何も話さず黙り込む。

そんな身勝手さに、彼はきっと呆れている。

 

今は気遣ってくれているが、きっと彼にも呆れられる時が来るのだ。

 

「……提督は」

 

そんな焦燥感が身を焦がし、加賀の思考を曇らせる。

そう言ったきり何も言えない加賀を見て、彼は珍しく彼女の内面を察知した。

 

「焦んなくていいからさ。歩きながらゆっくり考えなよ」

 

歩き出しても、付いてこない。

振り払われることを覚悟で柔肌に触れ、提督は数分前に自分がやられたように、少し強めに彼女の手を掴む。

 

「ぁ……」

 

かわいい。録音して無限再生したい。

そんな変態じみたことを考えさせる程に愛らしい声が、思わずといった様子で彼女の小さな口から漏れた。

 

「急かしてごめんね。ちゃんと待つからさ」

 

それが例え何気ないことでも、喋るのが苦手な人にとっては苦行というか、辛い。

急かされると尚更気だけが急き、意識と身体が乖離する。

 

彼はただ読み取れないだけで、加賀がただ無感情なだけの女ではないということを知っていた。

更には、割と感情の起伏が激しい方なのではないかというところまで掴んでいたのである。

 

だからこそ、その辛さがわかった。立場が違いすぎるから例えとしては不適切だが、本気で好きな相手に本音を出せないのは、辛い。

 

彼だって、加賀の前で素になりたい。本当の自分を認めてほしい。だが、そんなことを諦めきっているから言葉に詰まらない。

 

自分並みかそれ以上に不器用な彼女には、そんな風になって欲しくなかった。

 

「無理に喋らなくたっていい。言いたいと思っても言葉が出なかったら、そのまま濁したっていいんだよ」

 

彼等はまだ、すれ違っている。互いの気持ちには気づかず、自分の気持ちにしか気づいていない。

 

しかし、この時恐らく、ほんの僅かだが進歩があったのだ。

 

「……ありがとうございます」

 

「気にしなさんな」


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