提督と加賀   作:913

18 / 66
十二話

東方作戦。西方作戦。南方作戦。北方作戦。

四方を海に囲まれているが故に深海棲艦の脅威に曝され続けた国・日本は、手にした艦娘と言う名の力を揃え、数を充溢させた後に隷下の四百からなる艦娘の集団を艦隊とし、更に細かく戦隊とした。

 

そして、四方諸海の制海権奪還に向かわせたのである。

この判断には、『戦力を集中運用すべき』との反論もあった。しかし等しく大被害を被っている四方のいずれかを選ぶことは、選んだ瞬間に三方への対策を後回しにすることにほかならない。

即ち、戦力を集中運用するには国民の四分の三を敵に回す判断をしなければならなかった。

 

そんなことが民衆の支持を基盤とする民主主義で出来るはずもなく、ノウハウを学び、大量に作られた艦娘たちは忠実な犬のように大本営の命に従った提督たちに従った。

 

そしてその結果、一般の軍事用艦艇とキルレシオで十対一という凄まじさを誇った海の猛者の骸を初めてその発生源である海に晒しせたのである。

 

既に深海棲艦という『侵略者』の概要を聞いていた国民は、歓喜した。

その報は暗く、閉ざされた未来を開ける光であり、勝利した艦娘と呼ばれることになる一団は闇を切り裂き光を齎した救世主、ということになろう。

 

彼女らを率いる提督と呼ばれる、最終的に適性検査を緩くして集められた十七人は預けられた艦隊を指揮し、近海の深海棲艦を駆逐した。

戦勝の数だけ褒賞が渡され、各提督は連携も忘れて競い合う。

 

暫しの間大本営の耳に聴こえてきたのは、聴き心地良い戦勝の報だけだった。

 

戦勝の報が各地を沸かせる度に、艦娘たちに疲れは溜まる。

休んでから戦うよりも疲労を無視して戦った方が進撃速度が速い為に艤装は壊れ、艦載機は補充されず、彼女の身体は疲弊した。

 

結果、四方向で最も戦果をあげ、進撃海域を増やしていた艦隊が深海棲艦の奥地に引きつけてからの反攻によって壊滅し、戦線は崩壊。練度と疲労が比例する為、隠匿されていた精鋭艦隊―――後にEliteと呼ばれる個体―――が連携する気など微塵もないとばかりに各地に点在していた艦隊を蚤でも潰すようにして葬ってまわる。

 

遂には日本の近海にまで迫るようになった深海棲艦の無感動な姿は、予定調和だったのではないかとすら思えた。

重なる疲労の溜まった精鋭潰しによって経験を積み、練度を高めた精鋭艦隊の面々はEliteと呼ばれる個体からFlagshipと呼ばれる上位個体へと変貌し、その一段階上の姫と呼ばれる人語を介す人型の深海棲艦すらも合流。

実際この時、日本は相当に追い詰められていた。

 

今までの進撃を支えてきた精鋭艦隊は提督ごと潰されるか、残存の艦娘が生きているかいないかというところであり、提督が居なければ艦娘はその力を存分に振るうことができない。

頭を潰しに来た深海棲艦の狙いは、いっそ清々しいほどに有効だと言えるだろう。

 

だが、この時一人の無能とされた男が居た。

取り柄といえば運の良さと『人間レーダー』とも言える敵察知能力と逃げ足だけで、提督としての適性も凡庸とされた癖に、社交性にも乏しく臆病なだけというどうしようもない奴である。

彼が内地と戦地を往来して練度を高めた虎の子である二隻の航空母艦を投入。敵艦隊の位置を把握し、補給線を切断した上に艦載機で削るという徹底した慚減作戦で兵力を削り、嘗ての人類側の艦隊の如く疲弊し切ったところで一気に敵を叩いたのだ。

 

服が湿る程濃い幕霧の中、察知能力頼みの無謀なアウトレンジ攻撃からの肉薄した接近戦は、物量と練度以外の全てで勝り、天運を味方につけた二隻の航空母艦の完封で終わる。

 

『人類側の完勝』と謳われる勝利を齎した指揮官は、勝利が決まった瞬間に小船の中に居た。

少しでも精度の高い情報を伝える為に、深海棲艦の巣窟である海まで曳航されながら来ていたのである。

やけに静かな波を立てる海と、何一つとして明瞭に見えない幕霧の中、彼はただ一人己の指揮下にある艦隊を待っていた。

 

その小船に、エンジンというものはつけられていない。

 

『必ず勝てる戦だ。君たちが無事に帰ってきて、私の乗船を曳航してくれることを望む』

 

無謀と非難されたりもしたが、結果として彼は完勝した。

 

『昼行灯めいていながら豪胆であり、やるときはやる』型の名将だと認められ、徹底して引き篭もることによる迎撃主体の戦法も『彼には急進主義の破綻が見えていたからだ』囁かれた。

 

国で英雄扱いされた彼は、元窓際族とは思えない程に充溢した補充戦力を新たにあてがわれることになる。

 

重巡一隻と、軽巡一隻。あと、空母二隻。

 

どこで誰が死に、どの個体が沈んだかもわからない混乱期において、四人の即戦力が補填されることは奇跡的とすら言えるだろう。

 

そして彼はその六隻を巧みに指揮し、入念な準備と物資をもって周辺海域を奪還。近海における人類側の優位を確定的にした。

 

更にはその『一強』となった名声と地位を覆さんと複数の提督と批判的な上層部が画策した米国の救援に向かおうとする計画に反対しながら渋々参戦し、あっという間に深海棲艦に負けていく味方艦隊たちを収容・掩護しながら一人の落伍者も出さぬように指揮を取り続け、現に収容し、指揮下に容れた艦娘の中で轟沈した者はいない―――らしい。

 

「どこの超人かな、これは」

 

「目を逸らしても、現実は変わりません」

 

あの膝枕の変から一日経って精神的に復帰した提督は、傍らの加賀に声を掛けた。

 

実際には、そんな『負ければ死ぬ』というような覚悟があったわけではない。

やけに静かな波を立てる海と、何一つとして明瞭に見えない幕霧の中。断続的に続く爆音と鬼火のように前方に浮かぶ轟沈時の炎は、彼を心胆から怯えさせるのには充分だった。

そして、彼は『まあ、自分ならこうなるな』と予想をつけていたのである。

 

この自分の怯み癖を知っていた彼は、小船にエンジンというものを付いていなかった。

自主的につけなかった、とも言う。理由を要約すればそれは、あると逃げたくなるからという単純なものでしかない。

 

『必ず勝てる戦だ。君たちが無事に帰ってきて、私の乗船を曳航してくれることを望む』

 

とカッコつけたのも、更に自分を追い込むためのものでしかなく、その本質はただ臆病なだけでしかないのである。

しかし、成果という色眼鏡は人の目を曇らせた。

 

無謀と非難されたりもしたが、結果として彼は『豪胆且つ昼行灯だが、やるときはやる』型の名将だと持て囃され、徹底して引き篭もることによる迎撃主体の戦法も『彼には急進主義の破綻が見えていたからだ』と言うことになる。

 

彼は、大声で勘違いだと叫びたかったし、加賀と赤城の前で実際にそうした。

 

『俺はただ、深海棲艦よりも自分が君たちを見捨てるような奴になることが嫌だったからエンジンを付けなかったのであって、勝てる確信はなかった』、と。

 

「……米国救援の時のあれは、加賀さんの手柄なのにね」

 

「部下を善く働かせたのは指揮官の手柄です」

 

もっぱら引き篭もっていたのは、他者の疲れを測るのが難しく、疲労した女性を無理矢理働かせる人非人にはなりたくなかったから。

あと、『適性があったから戦場に行け』という人権を無視した命令に身体がついていかなかったからである。

 

「あなたは殆ど戦べたですが、機を感じ取る能力は私より勝ります。現に私は、あの時に勝ち筋を見出だせませんでした」

 

「……でもそれって、俺が練度を高めてなかったからじゃないの?」

 

「言及はしません。うまくいった確証もありませんから」

 

机上で如何にうまくいっても、実際に成功した作戦には劣ると言えます。天運と地形を味方につける豪運、見事でした。

要はそう言いたかったのだが、例によって伝わらない。

 

「……あぁ、やだ」

 

「頑張ってください」

 

日本に近づくたびに憂鬱度が増していき、遂には部屋の隅で体育座りをし始めている提督の後ろに膝を曲げて腰を下ろし、肩に軽く手を置く。

 

この普段の打たれ弱さとヘタレた感じは、最早どうしようもなかった。

本当に危機が迫った時はクソ度胸と諦めの悪さを発揮しているあたり、真性のヘタレではないが、生きている内の八割くらいがヘタれている。

 

「提督は古参の宿将らしく、どっしりと構えてればいいのだと思うのだけれど」

 

「加賀さんが本体みたいなもんじゃん……」

 

いやだー、いやだー、と。

深海棲艦が擬態と言う能力を手に入れたという深刻な事態及び西方海域が押され気味という、またまた本土まで押し返されかけて制海権が危ういという危機に対する宿将の姿とは思えないほどに情けない姿。

 

外部からの危機はどうにもなるが、内部はどうしようもないという現実をこれほど表しているものもなかった。

 

「…………頑張って」

 

背中をゆっくりと撫で、奮起を促す。

この情けない姿を見ても『私が頑張って彼を支えよう』としか思わないあたり、彼女は相当重度な恋の病に罹っていた。

 

「…………頑張ります」

 

立ち上がった提督の背中をぽんぽんと押し、加賀は手持ち無沙汰な感じを誤魔化すようにうろうろと歩き、提督が少し前まで寝ていたベットに座る。

視線の先は、明らかに挙動不審な提督。

 

身の程を知り過ぎている印象のある彼からすれば、買いかぶられるなどは地獄でしかなかった。

故に、勘違いだとはいえ少し認めたような視線を向けてきた加賀にもあっさり真実を話したのである。

 

好きな女に買いかぶられたならば少しはそれを利用したりしようとするものだが、彼の場合はそういうものが一切なかった。

勝手に買いかぶられ、見放されるくらいならば最初から買われない方がいいと考える。

 

そんな思考だからこそ、あからさまに近い好意を有り得ないと考えて否定し、希望を持たないようにしていた。

 

「ん……」

 

提督のそんなマイナス思考をは知らぬとばかり、加賀は正装である道着のままの身体を掛け布団で包み、枕に頬を乗せる。

そんな思考を読み取れないということもあったし、滅多にできないことを今ならやれるという好機を逃さないためだった。

 

まだ体温が残っているし、濃厚な男という生物の特徴を感じさせる匂いも残っている。

それに包まれると、まるで抱き締められているかのような感覚があった。

 

(前のは、あんまり憶えていないのが悔やまれます)

 

『加賀!』

 

記憶の中で怒鳴りつけるような声が、大破した上に追撃し、最後の敵機動部隊を姫ごと葬り去った後に襤褸切れのようになった身体に響く。

 

『何であんな無茶をした!』

 

頭を下げる間もなくふらついた身体が支えられ、力の抜けた背中に手が回る。

ギシリと身体中の骨が軋むような力が、強く記憶に残っていた。

 

(乱暴にと言うのが、いいのかしら)

 

怒鳴られ、怯んだところを抱き締められ、自分の身体がすっぽり腕の中に収まったあたりで言い様のない安心感というか、嬉しさが湧いたのだ。

 

血が抜け、海水を浴びせられて体温の下がった自分に、やけに彼の身体の温かさが伝わってきたというのも、あるかもしれないが。

 

「加賀さん、眠いの?」

 

「……!?」

 

欲をかいた自分の完全なる失敗だったとはいえ、まるで物でも抱き締めるかのように強く、軋むような力で扱われた点では栄光の記憶と言える一幕を思い返して目を瞑っていた加賀の鼓膜を、その一幕の主演の声が打つ。

 

「加賀さん?」

 

「はい」

 

声こそ平常だとはいえ、泳ぐ目とビクリと動いた肩が彼女の動揺をはっきりと示す。

いつもならば見られる寸前に何とか誤魔化せることをおもえば、この場合の敗因は慢心だった。

 

「あのさ。寝たいんなら俺のじゃなくて自分のとこで寝たら?」

 

「…………あちらは、寝心地が悪いの」

 

「快眠できましたって言ってたじゃん」

 

今朝方に言った自分を恨みつつ、加賀は寝返ることでそっぽを向き、掛け布団で自身をすっぽり覆う。

 

完璧な、『論破されてから解答拒否』の姿がここにあった。

 

「…………時差ボケです」

 

「今更?」

 

極めて真っ当な答えを返した彼を射竦める涙目ながらの恨めしげな視線に、提督は遂に考えを止める。

 

「おやすみ」

 

「おやすみなさい」

 

日本まで後、数時間のことだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。