提督と加賀   作:913

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ホワイトデーの、提督と加賀

ホワイトデーである。

提督は作ったクッキーを引き出しの中から取り出し、一つ溜息を付いた。

 

端末をいじり、加賀の項目を呼び出す。

小さな口がキュッと一文字に結ばれ、琥珀の瞳に感情というものは浮かんでいない。

『何ですか?』とでも言いたげなその瞳は、加賀が提督に不満と怒りを叩き付けていた頃に撮った物だった。

 

異常な美しさ、と言うのか。人間離れした美貌が、端末に浮かんでいる。

 

しみじみと、美人だと思う。そして、自分の顔を見て嫌になる。その繰り返しで毎日が進む。

 

(来たな)

 

コツ、コツ、コツ、と。

加賀の下駄が床を鳴らす音が規則正しく響き、提督は端末の電源を切って身を横たえる。

美人に起こしてもらうというのは、嬉しい。それが、恐らくこの時期を逃しては一生味わえないことならば尚更だった。

 

「提督、朝です」

 

提督は寝ている、振りをしている。

出会った時からしたら驚きの面倒見の良さに、彼は今更ながら驚いていた。

 

少しずつ変わっていったから何の違和感も抱けなかったが、今思い出してみると落差がひどい。

 

「……提督、まだ寝たいの?」

 

二、三回。加賀は優しく提督の身体を揺らす。

出会った頃ならベットごと蹴り飛ばして文字通り叩き起こしているであろうことを考え、提督は思った。

 

案外、加賀はデレてきているのかもしれないと。

 

「毎日、頑張っているものね」

 

少し口の端が弛み、加賀は寝ている振りをしている提督の頭をゆっくりと撫でる。

聴覚と触覚で感じている現在の加賀と、ベットを蹴り飛ばして『起きなさい』と言っている過去の加賀との差異に若干の怯みすらも感じつつ、提督は細く柔らかい指が自分の頭を撫でるのを感じていた。

 

これだけでも、寝ている振りをして良かったと思える。加賀に撫でられることは、それほどの価値を持っていた。

 

そろそろ起きるかな、と。加賀に色々してもらったことに対して、やる気が満ち溢れた提督が不自然にならない程度に早急に身体を起こそうとすると、加賀の視線が一点で止まった。

 

「また端末を使いっ放しで寝て……」

 

ふわりと香るいい匂いが覆い被さり、ベットの壁側に置いておいた端末が加賀の手に収まる。

仕方ないとばかりに電源を切ろうとして、加賀はピタリと動きを止めた。

 

「…………写真、変更できるのかしら」

 

無愛想であることは最早諦めの境地にまで達しているが、提督にいつも見られる写真に表れている無愛想さは尋常ではない。

眼が、非好意的であることを如実に語っていた。

 

「……やっぱり、笑える女の方が好きでしょうし」

 

部屋に備え付けられた鏡の前に写った自分の姿を見て、加賀は思わず溜息をつく。

無愛想、無表情、鉄面皮。表情豊かで可愛い女性を、つまるところ駆逐艦の大半や赤城のような女性を目指している加賀からすれば、クールビューティーなどはなんの価値も無いものにしか見えなかった。

 

「にっ、こり?」

 

掛け声とは正反対の冷笑と言うべき鏡に写った己の顔を見てたまらず目を泳がせ、加賀は再び提督のベットの側に膝立ちをする。

 

無表情な自分が、人一倍表情豊かで感情豊かな提督に好かれたいと思うのは、無謀とかそう言うレベルではないように、彼女には思われた。

だが、提督が結婚するまでは、少しでも一緒に居たいのである。

 

「提督、起きて」

 

「……おはよ」

 

「おはようございます」

 

顔のすぐ上を加賀の豊かな胸部装甲が通過するという非常に悩ましい事態に、文字通り直面した提督は、少し視線を逸らしながらむくりと上体を起こす。

 

彼の頭の中を占めるのは、あの時に起きたように見せかければラッキースケべに見せかけたセクハラができたのではないかという後悔と、やらなくて良かったという安堵の二つであった。

 

「……あの、提督」

 

「は、はい」

 

ずいっ、と身を乗り出してきた加賀の動きに、先ほどのラッキースケべチャンスのことを思い出した提督は、どもる。

もう、本当に彼は美人に耐性があるようで全く無かった。

 

「この端末の、私の写真。どう思われますか?」

 

「いつも通りの綺麗な加賀さんだな、と思います」

 

完全に緊張している提督の、半ば好意を暴露しているような一言に対して、加賀は心中で赤面しつつ、心を嬉しさで満たしている。

外見は加賀と言う艦娘に共通するところが多いと言っても、彼女はかなり気を使っていた。

 

容姿を褒められるのは、と言うより褒められるのは加賀のモチベーションを大幅に上げると言えるであろう。

 

つまり、割りと単純で直情的なのである。

 

そして、その単純で直情的な心がある違和感に辿り着いた時、彼女には珍しく思ったことがそのまま言葉に出ていた。

 

「……い、いつも通り?」

 

「はい、いつも通り」

 

「これと、今の私が、同じ?」

 

「え、はい」

 

自分から見れば、自分は割りと柔らかさというものが増しているような気がしなくもない。

だが、傍から見ると大して変わっていないらしい。このことは加賀にとってショックだった。

 

「…………そう」

 

明らかに、テンションが一段階降下している。

それを見抜けないほどには無能ではない提督は、慌てた。フォロー仕方は皆目見当がつかないが、とにかく考えなければただでさえ低い加賀の好感度がマイナスに行く。

 

もう正式に恋人になるとか、そういう奇跡には一切幻想を抱いていないとはいえ、加賀のことが好きな以上は嫌われたくない。

 

「加賀さんは、そう。ほら、いつも綺麗だよ。最近は少し柔らかみが増したけど、それもそれで新鮮味があってかなり良いし、うん。

つまりその、そういうことです。はい」

 

後半は支離滅裂になりつつ、提督は何とかフォローを及第点にまで持ち込むことができていた。

本人は知らないことであるが、『柔らかみ』と言うのが加賀にとっては気分上昇の一大ポイントだったのである。

 

「……そう」

 

「そうなのです。はい」

 

「なら、良かったわ」

 

同じ『そう』でも、アクセントと声色と雰囲気が微妙に違う。

この微妙な違いを敏感に察知してフォローと失言を見抜くチキンレースを、提督は敗け、敗け、勝ち、と言うようなリズムで繰り返していた。

 

結果として好感度は上がり続けているわけだし、放っておいても好感度はプラスに傾いていくのだから問題は無いのだが、そんなことを提督が知る訳もない。

 

他人の好意を見抜くということの、難しさ。この二人は、その思春期の男女のような難題に一年近く足踏みを強いられている。

 

互いに恋愛に対して臆病で、現状維持で満足してしまうきらいがあるとはいえ、これは些かかかり過ぎというものであった。

 

「加賀さん、そう言えば今日はホワイトデーだね」

 

「はい」

 

提督が根巻きから着替えるまで部屋の外で待機していた加賀は、若干声を上擦らせながらこの行事確認の如き問いに答えた。

なるべく意識をしないで振る舞おうとしていたものの、特に意味はないなどと言ってしまった以上、返してもらえるかどうかは極めて怪しい。

 

加賀には、割りと公私混同を起こさない提督が自身を秘書艦に据えているのは事務能力の高さの為だとわかっていたし、第一機動部隊の旗艦に据えているのは指揮能力の高さと航空母艦としての性能の高さ故だとわかっている。

 

戦力として、艦娘として必要とされていることに幸せは感じつつも、女として側に居ろと命令されないことに一抹の寂しさがあった。

 

命令されたら、何の厭もなくそれに従う。どんなことでも、する。

流石に為にならないことは諌めるが、それが聴き入れられなくとも従う。

反抗的な時期とは天と地ほどの差がある、犬のような艦娘。

 

提督が知ったことではないが、前の左を向けと頼めば右を向いてドヤ顔するような加賀とは違い、現在の加賀は後ろからトコトコと付いてくるような忠犬タイプとなっていた。

 

「バレンタインデーに、俺は君にチョコを貰った」

 

「……その、特に意味はありません。ただ、提督が疲れていたようで、たまたまチョコがあったので渡してみただけよ」

 

「そりゃあ、わかってる。俺が加賀さんからそういう意味でチョコを貰うことはないってことはね」

 

心の中は表面上に現れた淡々とした状況認識を行っているように凪いではいないが、自分の顔面偏差値と能力の総合から算出した身の程をよくよく知っている提督は、半ば諦めの境地にまで達している恋慕を抑えて加賀の横顔をチラリと眺める。

 

一見しても二度見しても、彼女は全く平静に見えた。

 

実際。

彼女は激しく動揺していた。提督は自分から好意を伝えられても、困る。困るし、嫌がる。だから、貰うことはない、と言ったのではないかと推測してしまったのだ。

 

(……手は、絶対に繋げないのかしら)

 

最初は見ていられるだけでも幸せだった。それが見ていられることが当然になって、側に居ることができることでしか幸せを感じられなくなり、今は手を繋いでみたいという大それた想いを抱いている。

 

本人的には、欲が深過ぎると思ってしまう所以だった。

 

(でも、抱きしめられたことはあるのだし、何かの事故があれば……)

 

崖から落ちたら、そうなるかもしれない。

でも、適当な崖がない。それに提督ごと落ちるということも、有り得る。

 

取り敢えず手を繋いでもらうという願望を胸の奥底に仕舞いつつ、加賀はやっと平静を取り戻した。

 

「だから、はい」

 

故に、だろう。

彼女が平静を取り戻した瞬間に差し出されたシンプルなデザインの袋を見て、彼女の意識が再び大揺れを起こしてしまったのは。

 

「これは?」

 

僅かに上ずりそうになった声を無理矢理矯正し、加賀は軽く下を向きながらその袋から視線を外す。

直視すると嬉しさのあまり跳び上がってしまいそうで、結果としてそうするしかない、と彼女は瞬時に判断していた。

 

「お返し。特に意味はないにせよ、一応バレンタインデーに貰ったわけだからね」

 

「……お返し、ですか。そうですか」

 

嬉しい。嬉しい。嬉しい。

でも、なぜあの時あんなことを照れ隠しで言ったのか、あの時の自分を小一時間問い詰めたい。

 

そんな正負相反する思いと共に、加賀はそーっと手を伸ばす。

手を伸ばした先にある『お返し』の袋を指で摘み、素早く提督の手から奪った。

 

『いらないならいいよ』とか言われて貰えなかったら、三日三晩枕を涙で濡らすことになる。

そう判断した加賀の、珍しい速攻であった。

 

「いただいておきます」

 

くるっ、と後ろを向いて、加賀は素っ気無くそう返す。

その袋を胸に抱きしめている姿からすれば不自然な程、それは素っ気無さが際立つ発音だった。

 

(ありがとう、ございます)

 

心の中で漏らした一言に感謝と恋慕の情をこめ、加賀は僅かに顔を綻ばせた。


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