提督と加賀 作:913
深海棲艦と呼ばれる人類の天敵が海上を跋扈し、各地の国を干上がらせた挙句陥落させていく修羅の時代。
『抵抗の世紀』と呼ばれた2100代という時代の特色であり、味であった。
この時代に際して通常艦艇の技術は衰退し、陸上兵器すらもお役御免とばかりに発展が止まっていく。
深海棲艦の艦載機や基地航空機に対抗できない空軍の航空機や人員も削減されていき、その代わりに台頭したのが、海軍だった。
国の政策は海軍が挙げる戦果に依っていくところが多くなり、旧時代の如く『海軍力こそが国力』というような見方が主流になる。
それは、端的に言えば海軍の動き如何で政策を実施できるかできないかが決まり、海軍の支持を受けた政治家、或いは海軍の思い通りに動いてくれる政治家が首相の椅子に座れることが多くなることを示していた。
何せ、国交というものが切れている現在の日本国を支える資源と食糧は、海軍が如何に領土を保持・拡張してくれるかに依存する。
例として、アメリカ合衆国を挙げよう。
深海棲艦を撃退できるアメリカは調子に乗ってあちこちの占領された国と地域解放していた。
彼等の手にも艦艇を模した人型兵器・艦娘が渡っていたし、その数も多かったのである。
だが、敗亡した国の難民を受け入れた為に経済が破綻し、治安とモラルが低下した。
この難民の害を解消する為に新たな土地を奪還せねばならず、奪還する度に難民が増える。
その結果、『この瞬間を待っていたんだ!』とばかり一転攻勢を掛けた深海棲艦によって休養が不十分であった前線部隊は壊滅。
更には嘗て平均練度五十後半という精鋭ぶりを誇った太平洋・大西洋両艦隊は半年間の戦いおいて磨り減り、その輝きを失った。
結果、残された練度十から二十の育成艦たちが未熟なままに戦場へと出撃し、磨り潰されて行くことになったのだろう。
アメリカは今や賄いきれない人民を抱え、ハワイとミッドウェー島をも取られ、国土に上陸されるかされないかの瀬戸際だった。
他にフランスやイギリスなども難民を受け入れていたが、彼等も経済的に豊かとは言い難い。
これに対して日本は、その結果が現れるまでもなく安定した難民の受け入れ拒否政策を貫いた。
艦娘というものが殆ど生まれなかった中国や韓国から来た人民を丁重に送り返し、入国を全く許可しなかったのである。
日本は、食料自給率が高い国であるとは言い難い。難民など受け入れる余裕がないし、その頃の日本の頭の中には国防しかなかった。
中国や韓国など、二次大戦の際に軍事用の艦艇をあまり保持していなかった国が要求してくる『艦娘の貸与』まで拒否し続け、日本は只管引き篭もる。
建造という方法が見つかるまで日本はただただ引き篭もっていた。
艦娘を深海棲艦の勢力圏に送り込むと半ば自動的にダメージを受け、敵艦隊に会った時には既に中破しているということもあり、攻撃を受ければたちまちのうちに沈む。
各国からこの報告を受けた大本営は、艦娘を深海棲艦勢力圏に送り込むことができる提督と呼ばれる存在が出てくるまで適性検査を続けた。
そしてその『待ち』の姿勢が功を奏し、日本は全体的に優勢とまではいかずとも局地戦線では優勢な戦力を保持していたにも関わらず、日本における海軍の地位は現在まともに深海棲艦とやり合えている―――ドイツ・アメリカ・イギリスなどの国の中でも最低だった。
要は今の日本は、軍服を着た政治家や本職の政治家が票を集めるために一時的に海域へと遠征させ、奪回しては奪われ、奪回しては奪われの繰り返しの続く消耗戦に引きずり込まれていたのである。
「Admiral、どうなの?あれから戦況は好転してる?」
ビスマルクは久しぶりに見る日本の町並みに再び興味を抱いたのか、まるで来たばかりの時のような挙措の騒がしさを見せていた。
その騒がしさも収まり、横浜市内の観光も終えたあたりで彼女はただ今の戦局を問うた。
指揮能力に不足はないという自信は誰よりも強い彼女だが、友邦とは言っても日本の戦局はドイツにそうやすやすと伝わってこない。
別に情報収集能力に秀でているわけでもない彼女の耳には、現在の戦局は全く不明なブラックボックスだと言える。
横浜市内を歩いている人間の顔を見るに、良さそうではないというのが感想だった。
「南方戦線では好転しているが、ここは手痛く叩かれたばかりだ」
第二期と呼ばれる艦娘、即ち艤装と艦娘本体を分離させることにより管理を容易にした後期型を率いる初めての提督として、ここ横浜鎮守府の司令官は指揮を執っていた。
適当な拠点となる島がなかった為に人工フロートを浮かべて前衛の橋頭堡とし、人工的な拠点を作ることによって国土への空襲・艦砲射撃を防いぐという戦法をとった彼の活躍は目覚ましく、少将への昇進も確実だと思われていたのである。
しかし、深海棲艦が擬態した秘書官に背まで刃物を突き通される形で彼は死んだ。
秘書官と司令官を失い、命令機能が完全に停止した警戒網を敵機動部隊と水上打撃部隊が突破。予め潜入し、秘書官に擬態していた深海棲艦が艤装装着機を含む港湾部を破壊し、艤装を失って人と何ら変わらない力しか持たなくなった艦娘たちも殆ど無抵抗のまま討たれ、鎮守府の施設も壊滅的な打撃を受けた。
市街地までは爆撃の手は及ばなかったものの、横浜鎮守府第一艦隊の被害は甚大であり、これを列挙する。
金剛・比叡・霧島・加賀・足柄・天龍・川内・那珂・白雪・村雨・陽炎・黒潮・夕雲・巻雲が轟沈。
扶桑・伊勢・妙高・那智・利根・筑摩が大破ないしは中破。
いずれも練度三十を越え、一人前とされるの艦娘であるが故に、その被害は相当に痛かった。
「四方の戦線の中で、ここが一番脆い」
ポツリと忌憚のない感想を漏らし、加賀は目の前に建つ旧鎮守府から、至って真面目な顔をしながらビスマルクの方へと振り向く。
「貴女が居た時よりはマシだけれど、戦力差は開いているわ」
「Gut.腕が鳴るじゃない」
ニヤリと狼のような獰猛な笑みを見せ、ビスマルクは黄金を溶かして糸にしたかのような見事な金髪を靡かせた。
その凄みのある一笑には、普段から艦娘と関わっているが故に美人に耐性があるはずの鎮守府職員すら一瞬目を奪われるほどの躍動的な『動』の美しさがある。
蒼天にほど近い断崖に一輪咲く孤高の名花を思わせる加賀の『静』の美貌に対し、彼女は気位の高く活発な貴族の令嬢といった、しかしどこか天然めいた無邪気さを感じさせる『動』の美貌という評が似合っていた。
「では、提督。威厳と寡黙さに重点を置いて頑張ってください」
「はい」
一先ず簡易的に再建された旧鎮守府の前で、三人の関係は意図的に儀礼的なものへと変貌する。
まず、加賀の出来が悪い弟を気遣うできた姉のような関係は秘書官と提督という制度上の物に固定され、戦友のような気安さと砕けた感じの特色を持つビスマルクとの関係はこれまた硬質な総司令官と一指揮官の関係に変わった。
本来このような切り替えは必要がない。通常、鎮守府でもこのような儀礼的かつ形式的な―――敬礼や敬語などの規律と上下関係が尊ばれるからである。
だが、比島鎮守府では案外とそこら辺の取り締まりが緩かった。
そもそも周りの鎮守府の如く厳しくしようとした艦娘がドイツから来てすぐのビスマルクくらいであり、加賀でさえそこのところはメリハリをつけていれば良いという物だった。
即ち、普段の生活を営んだり出撃したりするぶんには構わない。基本的に気のいい善良な性格を持つ個体が多い艦娘という種族を相手にするぶんには、特に強要せずとも目上の人間や他人に対して敬意を払ってくれるからである。
唯一風紀委員のような役割を果たしていたビスマルクは鎮守府内を見回るに連れて思考を変え、完全にに隙間の生じようのない『鉄の結束』を目指した。
これは同じような劣悪な境遇を受けた者同士にその痛みを共有させることで劇的にその一体感を高めると言う―――謂わば『身内』と『それ以外』をはっきり線引きすることで強烈な身内に対する仲間意識とそれ以外に対する敵愾心を煽るものである。
その頃は彼もまだ前線の危険な区域にその身を晒していたことも合わさってその煽動の進行ぶりは加速した。
加賀とビスマルクが苛烈な統率を、提督が実効性と厳粛さに乏しい緩やかな統率を示すことによって飴と鞭のような形になった彼の鎮守府は恐らく何処の鎮守府よりも艦娘同士が気さくに接し合え、結束が固いことだろう。
つまり儀礼的な面を捨て、却って並列な関係を鎖で繋ぐことによって更なる戦力増強を計ったのだ。
現に彼の鎮守府は仲間意識が強く、別段訓練の最低ラインを見せずとも『仲間に迷惑をかけない為』に、そこら辺の鎮守府とは比較にならない程の量と質を持つ訓練が自主性とそれに伴う士気の高さを保ったまま行われている。
こう言った公式の席に於いて『並列関係の強化』は儀礼的な面に疎いということで僅かにマイナス面に働くこともあるが、着いてこさせねばどうということはない。
「頑張りなさい、Admiral」
「おう」
軽く拳を突き出し、『ガツンとやってきなさい』といわんばかりに鼓舞してくるビスマルクと静かに手首だけで手を振ってくる加賀に背を向けた。
これと言って件の対策会議の開始時刻が差し迫っているわけではないが、念には念を入れることに越したことはない。
武骨な趣のある木製の扉を開け、提督は部屋の中へと入って行った。