提督と加賀   作:913

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十六話

何度も、願った。

何度も、祈った。

何度も、何度も、悔やんだ。

 

私たちは、そう簡単に切り離せる程の繋がりしかなかったのか。

私は、あなたの片腕ではなかったのか。

 

理性で理解しても、本能がその認識を拒む。

どんな名将であっても、補給・参謀・指揮を行ってに引き受けることは能わない。

 

だからこそ、三人が必要だったのではないか、と。

 

陸に囲まれ、懐かしくも一変した景色の中。

磨かれ、光に燦めく藍玉のような薄く澄んだ蒼を湛える瞳から、一滴の雫が零れ落ちた。

 

 

Ⅹ Ⅹ Ⅹ

 

 

ほんの数分前まで個人個人が好きなことをやりたいだけやっていた、艦娘の控室。

現在そこでは、豪勢な昼食が振る舞われていた。

 

『豪勢な』と形容してみても所詮は一般家庭から見てということでしかないが、ともあれカツカツな運営を行っている鎮守府の艦娘からしたら目も眩むような、安定した運営が行われている鎮守府の艦娘からしたら少し嬉しい程度の、豊富な物資を蓄えている鎮守府の艦娘からしたら貧しく感じる程度の食事。

 

つまり、一汁三菜プラス肉料理一品という物だった。

 

「生牡蠣」

 

「獲れません」

 

「半熟卵」

 

「ありません」

 

「フランスのワイン」

 

「億が飛びます」

 

生牡蠣と言えば、現在世界でも稀となってしまった珍味中の珍味。

半熟卵はまあ、そんな贅沢に使っている余裕がない。

フランスのワインは国交の関係上プレミアが付き、ビスマルクが要求するような年代物であれば悠々億に届く。

 

酒屋成金というのは、この国ではよく聞く単語であった。

 

「……文句は言えないけど、やっぱり末期感があるわね」

 

政治も荒んでいる感じは否めないし、国民もまた生存圏の拡張を望んでいる。

仕方ないことではあるが、このままではその国民の生存圏の拡張の要求に屈した政治が軍を動かし、国防に必要不可欠な練度の高い精鋭を無為に摩耗し、使い潰してしまう可能性があった。

 

通常の敵は、練度十。

Eliteと呼ばれる赤い敵は、練度三十。

Flagshipと呼ばれる黄色の敵は、練度五十。

Flagship改と呼ばれる青色の敵は、練度七十。

 

目安だが、深海棲艦と艦娘が互角に戦うにはこのような配分でぶつけていく他はない。

練度二十から三十で、大体の艦娘が一人前―――初期改造を迎える。

 

現在各鎮守府が保有する戦力は、差異さえ有れど平均値は三十。最高値の平均は五十と言ったところだろうか。

 

練度は、通常の業務と化している出撃を一年二年繰り返しても補えるものではない。

 

「仕方ありません」

 

正直なところ、この横浜鎮守府で用意されたものよりも比島で用意されるものの方が豪華で、創意工夫が利いているだろう。

しかしながら、これはこれで出してくれた方が心を込めて作ってものだ。

 

加賀は料理を作る側だからこそ、それをよくよくわかっている。

 

「本土への食料品の輸送船も、必ずしも安全という訳ではありません。制海権を完全に確保した航路で運べる物資にも限りがありますし、何よりルートが二つしかないのです」

 

長門提督こと南部中将の泊地ALから大湊警備府の勢力圏を経由し、大湊から揚陸して本土へ至る北方航路と、フィリピンのレイテ・スービック両島から台湾を経由して九州の佐伯に揚陸する南方航路。

 

占領が確定した空き地に失業した民を植え、国が食料を買い取ることを約束して農耕をさせる。

 

それが、現在の国民生活を支えていた。

 

「悲しいわね」

 

「あなたは美食家だものね」

 

「よくわかっているじゃない」

 

何だかんだ言いながら美味い美味いと膳を平らげ、ビスマルクは持参していた紙のナプキンで口元を拭く。

 

何にせよ、彼女は根っこの方は育ちのいいお嬢様であった。一々、動作の端々がそれを匂わせる。

 

「Danke, hat gut geschmeckt」

 

「ごちそうさまでした」

 

明らかに毛並みの違う声と、流暢なドイツ語。

基本的に、各鎮守府同士は何かしらの交流がある。

 

故に大体の艦娘がそれぞれ現在確認されている日本艦をモデルとした艦娘と知己を得ている―――とまではいかずとも、顔と声くらいは知っていた。

はっきり言えば彼女らの認識内にてビスマルクと言うドイツ製艦娘は異端であり、であるからこそ興味を惹く。

 

隣に居る加賀は英雄の秘書官として有名だったことも、ビスマルクに視線がいく理由となった。

レイテの英雄の秘書官である彼女は、他の加賀とは艤装のデザインの細部が異なっている。

 

彼女が変えたというより、後期型の加賀の艤装のデザインを大本営がわざわざ変えたと言った方が正しかった。

艤装の改造の実験だったとは言え、その選択は概ね良いものだったと言えるだろう。

 

何せ、別個体の加賀が無駄に敬遠されずに済むのだから。

 

「……ねぇ、加賀」

 

「何か?」

 

「あれで満腹になったの?」

 

「はい」

 

あれで、と言っても、彼女ら空母・戦艦組に配られた食事は所謂成人男性一人前。

意外と健啖家の多い空母・戦艦をモデルにした艦娘にはベストとはいかずともベターな選択だったのだが。

 

「相変わらず小食なのね。そして無口」

 

「あなたは相変わらず健啖家で、多弁。変わりの無いようで何よりです」

 

左手で底を、右手で側面を持ちながら熱い緑茶を飲んでいる加賀と、飲み口のあたりを白さの際立つ指で持ってくるくると廻し、水を撹拌しているビスマルク。

 

一目でわかる、静と動。沈黙と喧騒、鉄と炎。どちらにも特有の魅力かあったし、何よりも見ていて飽きなかった。

 

「ねぇ、加賀」

 

「わかっています」

 

非常に鋭敏な知覚を持つ提督の艦娘である彼女たちもまた、その鋭敏な知覚を与えられている。

彼の知覚が謂わばアクティブスキルであり、オンオフ切り替えが内部で―――即ち脳に負担をかけない為に無意識のうちに切り替わってしまうことに対して、彼女たちのそれはパッシブだった。

 

パッシブと言ってもやはり身体の延長である艤装を意識しておかなければならないから、結局のところはアクティブなのかもしれないがそんなことはどうでもいい。

 

問題は、試しに艤装を意識した瞬間に鎮守府内部で深海棲艦の反応が感知できたことである。

 

「どうしたものかしら?」

 

ちらりと周りに碧玉の瞳をやったあたり、彼女の意志は周りにも注意を呼びかけて対処するということらしいが、加賀の考えはあくまでも規則に沿っていた。

 

そして何より、不確かな他人の実力を全くと言っていいほど信じていない。

 

「私たちに指揮権はありません。独自で動くべきでしょう」

 

「どちらが?」

 

「私は空母。空が私の活きるところです。壁の中は戦艦に任せます」

 

平坦で、抑揚の無い―――好意的に解釈すれば冷静沈着で泰然とした、悪意を介せば冷酷非情で人間味に欠ける。

そんな彼女の声色と鉄仮面のような表情は、いつよりも僅かに硬かった。

 

時を埋めるようなツーカーぶりを見せながらも、それを見たビスマルクは重ねて問う。

 

「私でいいのね?」

 

「私情は挟むべきではありません」

 

もう聞くなとばかりにバッサリ切って捨てられたところで、ビスマルクは彼女の手の震えと噛み締めたような口元に気づいた。

 

これが彼女の内面をよく知らないものであったならば、『折角人が気を使ってやったのに』と思ってしまうに違いない。

何せ、人より多分にある感情の波が表情と言葉に現れないのだから。

 

「任せなさい」

 

「……元より貴女に任しています」

 

それだけ言って廊下へと出て行く加賀の背を途中まで追い、右折する。

警備の艦娘が居るから顔パスとまでは行かないが、それでも彼女には自信とでも言うべきものがあった。

 

「……あれはオオヨド、かしら?」

 

彼女が知らない日本艦をモデルにした艦娘は、多い。と言うより、知っている艦娘の方が少ない。

だが、その姿は前に一度だけ見たことがある。

 

性格までは知らないが、基本的に日本の艦娘は人が良い。真面目に話せばわかるまではいかずとも、英雄の虚名を使えば何とかなる、が。

 

(かといって、笠には着たくないのよね)

 

偉ぶっても何にもならない。敬意を表されるに値するのは、能力でも家門でもなくただ実績のみ。

高い能力も活かせずに実績を挙げられなければ尊敬には値しないし、無能でも必死になって実績を挙げれば尊敬に値する。

彼女が実績を挙げたのはここを去る前であるし、過去の功績に浸るのも美しくはない。何よりも、挙げた功績というものは次の未来に挙げるものこそが『最上の物』となるべきだった。

 

いつまでもいつまでも『あの時の』ではダメなのだ。これから挙げるものこそがその人物のベストであらねばならない。

 

強烈な自身への期待と自意識の高さが、彼女の戦意を支えている。

 

無論それは、他者に強制されるべきものではない。正直なところ、一度でも『ああ、あの』といわれるような戦果や業績を残せれば上等なのだ。

ただ、彼女は自身の内にある強迫観念のような思いを否定しきれなかったし、停滞している自分を見限られるのが嫌だった。

 

「オオヨド、でいいかしら?」

 

「はい。大本営付け、大淀型の一番艦・大淀です」

 

前にも触れたが、大本営の付けの艦娘は練度が高い。それぞれが解体された鎮守府のエースとでも言うべき存在であり、寄せ集めとはいえ所謂『エース部隊』である。

その他にも大本営が独自に育成している―――とうわさがある程度だが―――精鋭部隊があるらしく、実戦経験には乏しい物の経験豊富な練度四十、五十程度ならば完封できるほどには強いのだとか。

 

この大淀も、見たところ練度七十は下らない実力者であるらしかった。

 

「貴女は先日北方の泊地ALから比島鎮守府へ転任したビスマルクさんですね?」

 

「ええ」

 

「練度は九十八。38cm連装砲4基8門、15cm連装副砲 6基12門、 10.5cm連装高角砲 8基16門を備えながら、五連装酸素魚雷も備えた異色を放つドイツの誇る大戦艦。大本営の勧誘対象でもあります」

 

さらさらと個人情報を並べ立てられ、ビスマルクは僅かに怯む。

この、何もかもを知っているかのような冷徹な視線は苦手だった。

 

加賀も冷徹な視線はよく向けるが、外壁を剥いてみるとそこには必ず温かみがある。

大淀と呼ばれた艦娘の目は、戦力を見定めるものでしかなかった。

 

「私に何か御用でしょうか?」

 

「万が一の事が起こりうる可能性があるの。それを踏まえた上で、私をその部屋の中に入れてはもらえないかしら?」

 

「不可能です。内部で行われている会議を艦娘が視聴することは許可されていません」

 

「なら、練度の高い精鋭を艤装を付けた状態で待機させておくことは、できる?」

 

「それくらいならば可能ですが、動く理由が見当たりません。その係が居る以上、貴女の一言で従事している仕事・役割を放棄して万が一に備える、ということは不可能です」

 

そして、巡回を任された艦娘を保持する大本営側の人間のメンツも潰れる。

別段言いはしないが、大淀にはその泥沼の光景が容易に想像できていた。

 

見事なまでに冷徹さを貫く大淀も、好きでやっているわけではない。

彼女は、と言うよりも彼女が所属している大本営は規律主義者である。

彼等にとっては規律が第一であり、それを保つことを何よりも求めた。

 

彼等の高位は規律の取れた社会でのみ成立する。規律が蔑ろにされては、純粋な人望と信頼の度合い、後は力で高位が決まってしまうだろう。

彼等が人的被害よりも何よりも、規律と規則を大事にする気持ちが、大淀にはわからなくもなかった。

 

だからこそ、貫かねばならないものもある。

 

「大本営は充分な警護を割り当てています。この鎮守府には艤装を装着した艦娘が巡回していますし、今のところ電探に感はありません」

 

「こちらの電探に感があったのよ。それも複数の、強大な物が」

 

「少なくとも、こちらでは無かったということになっています。無い以上は動かさないというのが大本営の考えです。貴女が正しいかもしれませんが、無い物は無いのです」

 

ビスマルクの主張は、説得力に乏しい。しかし、北条中将こと加賀提督配下の艦娘が持つ索敵能力は大本営の持つそれを凌いであまりあった。

 

だが、大本営は彼が相手だからこそ受け入れないだろう。

彼等にはない人望と才能を持ち、優秀な手駒になるであろう艦娘から『彼個人に対する絶対的な忠誠心』を持たれている以上、大本営からすれば彼は邪魔でしかない。

 

優秀な手駒とは裏を返せば敵に回せば恐ろしい駒であり、叛逆の恐ろしさ故に密偵を送り込んでも、縄で括って宅配してくるような鎮守府を内偵させることは不可能。

更には、彼の非凡な指揮能力に抗し得る人材が居ないことも、大本営の北条中将に対する恐怖混じりの憎悪をかき立てた。

 

どんなにそれが正しくとも、『大本営が間違い、北条中将が合っている』という構図を崩さない限りは絶対に聞き入れないであろう。

 

「貴女達に現実を見る気はあるのかしら?」

 

「私の預かり知るところではありません。が、嫌いな者のいうことを聞くくらいならば戦力を失おうがどうでもよい、というスタンスであることは確かかと」

 

呆れるような溜め息をついた時、壁の砕ける音が室内に響く。

 

その瞬間、室内に灰色の風が扉を蹴破って侵入した。


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