提督と加賀   作:913

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十八話

「閣下、ご無事ですか!」

 

目の前で繰り広げられる艦娘らしからぬ肉弾戦をただただ茫洋と見つめる北条中将に、横浜の一条中佐が声を大にして問いかける。

 

横浜の提督である彼は、誰よりも彼を尊敬するところ厚かった。

彼の出身地は、高知。レイテでの完勝がなければ鹿児島と並んで侵攻対象になっていたであろう。

 

家も財産も失うという覚悟の元に直前まで奈良くんだりまで避難していただけあって、彼が『レイテに於いて我が軍が姫級を含む敵深海棲艦二個艦隊を相手に勝利し、此れを撃滅せり。指揮官は十四艦隊第七機動戦隊指揮官北条中佐』という大本営発表を聴いた時は、半信半疑のような心持ちだった。

 

姫級は、当時の第一・第三・第四艦隊からなる三個艦隊を以ってしても仕留めきれず、戦線の崩壊を齎した災厄の化身。

それが、全く名の聞こえることがなかった無名の中佐とその隷下の二隻の艦娘によって沈められたという。

 

そんなことは、とても信じられるものではない。ペテン師扱いする者もいたし、『どうせ大本営発表さ』と斜に構えるような人間もいた。

だがそれは事実だったし、英雄に祀り上げられた彼はその後も勝ち続けている。

 

八十三勝零敗十二分け。

 

不利と見ればすぐに退くため常勝ではないが、決して負けないその姿は、まさに国の盾だと言ってよかった。

 

これを、その時新米士官であった彼が尊敬していないといえば嘘になる。

彼の慇懃過ぎる態度は、その度合いを如実に表していた。

「この通り、無事だ」

 

自分なぞよりもよっぽど貴重な頭脳と統率を持つ彼は安否を確認する一条中佐の声に応え、泰然とした姿勢と珍奇な相貌を崩す。

少し茶目っ気のある態度は、未来を予知していたかのような慧眼と歴戦の勇将たる重厚さを一際引き立てた。

 

浮き足立っていた提督連中もこれに当てられて冷静さを取り戻し、かと言って座るわけにもいかずにただ立ち尽くす。

 

誰もが、一条中佐が続けるであろう言葉を待っていた。

 

「閣下、地下シェルターにお逃げを。その身に何かがあってからでは、取り返しがつかないと愚考いたします」

 

「そういう訳にはいかんだろう」

 

誰だって、近くに揚陸してきた深海棲艦が居るという事実を目にしては怯まざるを得ない。

その常識に囚われていたことを、一条中佐は彼のいやに冷静な声を聴いてすぐさま後悔した。

 

「何せ、私の部下が戦っているわけだからな。世界のどの軍隊でも指揮官が部下より先に退いていいという軍規は、ないだろう」

 

ハッとして、頭を下げる。

一条中佐は、彼の逸話の一つを思い出した。

 

レイテの奇跡の折り、彼は危険区域にエンジンや櫂のない小船一つで自身を曳航させ、戦果を泰然と待ったと言われる。

つまり、そういうことなのだ。

 

「小官が浅はかでした」

 

「いや、理屈からすれば正しい。提督は代えが利かんからな」

 

色々と勘違いされやすい彼だが、この『逃げない』『見捨てない』という二本の柱は、紛うこと無き本心だった。

今の自分は、部下の働きが傑出していたからであり、決して自分のものではない。

 

指揮官として部下の功績を横取りしたくはないし、栄転先のポストを何個か殊勲者に―――つまり、加賀を筆頭とした機動部隊の構成員たる六隻と重巡筆頭の鈴谷、水雷戦隊を統率する木曾、軽巡を束ねる神通・川内・那珂の三人に―――本土や内地の安全で福利厚生もハッキリとした場所に腐心して用意し、大本営からの召集令状などを拒否することなく通したりしている。

 

だが、どうにも部下が動かない。川内などは、栄光の横浜鎮守府水雷戦隊旗艦を用意するという召集令状が来た時、『カラダニキヲツケテネー』と思ったら次の日には元の巣に戻っていた。

 

『召集令状はなかった。イイネ?』という忍者脅迫力には、提督も『アッハイ』と言うしかない。

 

ならば、何ができるのか。

精々、出来うる限りで福利厚生とメンタルケアを整え、見捨てず逃げずに居てやることくらいだろう。

 

「これはまあ、なんの役にも立たない奴なりの意地さ」

 

手をひらりと動かして他の提督に避難を促しながら、提督は自嘲気味に笑った。

 

「戦っているのは、私の部下だ。諸君等は国の為に地下シェルターへと急いでくれるかな。負ける気はしないが、万が一ということがあるしね」

 

彼自身が驚いているほど、彼の心は凪いでいる。

レイテで『国の滅亡』が眼前に迫った時も、南方海域掃討戦という名の捨て石特攻を命じられた時も、自分は驚くほど鈍く、冷静になれた。

 

力のル級と渾名されているだけあり、戦艦ル級の砲撃は駆逐艦から重巡洋艦、ひいては戦艦の艦娘までを一回の斉射で大破・轟沈に追い込む。人が喰らえば、肉片の塊にすらなれないだろう。

 

一瞬で死が身近になった瞬間、一気に身体が冷やされた。

今の彼には、現実がよく見える。

 

「南部中将、頼みます」

 

「殺しても死にそうにない貴殿の保証だ。信じよう」

 

「嫌な信頼だ。銃弾一つで私は死にますよ」

 

この中で最優の能力を持った南部中将こと長門提督が先導し、各提督が正式な海軍式の敬礼をしながらぞろぞろと会議室を去った。

 

先程まで扉の前にいた大淀は居ない。

この部屋に居るのは、横浜提督と彼だけである。

 

「貴官も避難した方がいい」

 

「閣下が負けぬと仰せなら、小官も残らせていただきます」

 

「外れるかもしれないよ?」

 

「それで死んでも元々ですから」

 

ニヤリと笑う横浜提督の顔に、陰はなかった。

純粋なまでに、邪気がない。裏も表もなく、闇も知らない。

 

「君は、いい指揮官になる。気がする。私が言っても説得力に欠けるかもしれないし、君の能力とわからない現状では更に説得力に欠けるかもしれないけどね」

 

「い、いえ!そのようなことはありません!」

 

「そうかな」

 

「少なくとも、小官は閣下の御期待に応えるべく軍務に精励するつもりです。能力の低さは、努力することで補います」

 

この男も、恐らくは部下を見捨てない。兵器と認定された彼女等を、兵器と見ない。

 

兵器と見たら兵器でしかない彼女等を、巧く活かして用いれるだろう。

 

「Admiral、やったわよ」

 

「ビスマルク、ご苦労様」

 

パタパタと振れる尻尾と髪色に近い犬耳が幻視できるほどの忠犬っぷりが愛らしいビスマルクが鉄のヒールを高らかに鳴らし、室内へと駆けた。

艤装を展開し切る前にル級を殺し切ったからか、彼女の服装はドイツ風の灰色のダッフルコートに、見動きのしやすい長靴と黒いスカート。

 

全体的に暗い色で統一されているからこそ、美しい髪がひときわ綺麗に、煌めいて見える。

 

軍帽を被っていない彼女もいいものだ、と。提督は僅かに戻り始めた思考でそう思った。

 

「外に航空母艦が四隻、戦艦が六隻、重巡が十隻、軽巡が十五隻、駆逐が二十二隻。みんな横浜鎮守府が残した旧防衛ラインを突破してきた、ということになるけれど、気になることが一つあって」

 

「うん?」

 

チラリと視線を一条中佐の方へとやり、彼女は座っていた提督の左腕に両手を回して無理矢理立たせる。

少しの間引っ張っていった末に部屋の隅に自分が押しこまれるようになったとき、彼女はポツリと口を開いた。

 

「手引した奴が居るはずなのよ。横浜鎮守府の前任の暗殺も含めて考えていいのかは、わからないけど」

「―――理由」

 

「何故今が好機だと思ったの?何故こうも簡単に揚陸されたの?何故過剰な戦力をここへ投入したの?

説明がつかないことが、そう考えるとドミノみたいに説明がつくわ」

 

「有り得る。が、大本営ではないだろうな」

 

「わからないわ。Admiralは大本営から疎まれているし、脅威を感じられていることは確かだもの」

 

「でも、内通者はどうせ俺の虚名を恐れるんじゃないの?」

 

「それはそうだけど、可能性の枠から外すにはまだ弱いと思うの」

 

「つまり?」

 

「内通者がわかるまで、誰も信じない方がいいわ。正直、少し考えないとわからないから」

 

「了解」

 

内密の話を終え、忠犬ビス子と提督は元いた場所へと戻る。

少し不審気な顔をしている一条中佐に視線をやるでもなく、ビスマルクはその外見にはそぐわない老獪さを見せた。

 

「と言うわけで、敵空母の艦載機は加賀が殲滅し切ったらしいわ。空爆がないのはその為ね」

 

「……なるほど、じゃあ後は戦艦連中を潰す、と」

 

「戦艦の中には姫級も居るらしいの。外部では艤装を装着した子たちが頑張っているけど、姫級は荷が重いと思うわ。彼女等、中々やるから」

流石に練度三十そこいらの艦娘に『姫を含む優勢な敵艦隊を撃破せよ』とは言えない。

 

物理的にできないのである。

つまるところ、ここ横浜は占領される危機に直面していた。

 

「……待て、何故シェルターに入ったはずの提督の隷下にある艦娘が居る?」

 

「そこまでは私もわからないけど、一人残ってるAdmiralに触発されたとか、そんな感じではないかしら?」

 

長門提督の艦娘であり戦艦の中でもトップクラスの練度八十七を誇る長門が、颯爽と水上を滑り確実に数を減らしていっている。

他にも、各提督の秘書艦が指揮系統がハッキリしていないとは個々の戦闘でしかないとは言っても奮戦していた。

 

「横浜鎮守府の戦力は大本営直轄で、半ば押収されている。各提督の秘書艦を庇う形になるが、いけるな?」

 

「あら、誰に念を押しているのかしら?」

 

躾けられた忠犬は、誇り高き狼へ。

 

彼女が純粋な戦艦として生きていたD3Rの頃を彷彿とさせる、灰色の軍服。

それを思わせるシックな男性服からもわかる、起伏の激しい細い身体。

相変わらずの長靴とミニでは済まないレベルで短いスカートの組み合わせは不思議と痴女めいた印象を与えることなく、むしろ艶容たる上品な美しさを放っている。

 

身体付きそのものが無駄を削ぎ落としたが故の機能美に溢れ、見た者に精悍な肉食獣の様な印象を与えることも、その一因なのかもしれなかった。

 

「ビスマルクの戦い、特等席で見せてあげるわ」

 

「ほう、それは過福というものかな」

 

獰猛さと信頼を込めた笑みが交わされたが早いか、すぐさま二人が屋外へと出、一人が慌ててそれに続く。

 

「勝報を待つ」

 

「―――Ihr Vergnügen」

 

態々古式ゆかしい単語を選択し、ビスマルクは主に使える騎士の如く傅いた。

御意、と。如何にも芝居がかった表現に苦笑を示し、提督は軽く笑って出撃を示す。

 

それを受けて軽く笑った彼女の白玉の肌に複雑怪奇な紋様が浮かび、消え、再び異なった紋様が浮かんでは、消えた。

 

「閣下、これが」

 

「ああ」

 

端麗な顔にまで広がったその瞬間、艤装が埋没させられていた外皮から鎌首を擡げる。

 

四門の主砲、二門の副砲。機動性を重視した灰色のボディースーツに、鉄十字が誇らしげに鎮座する軍帽。

 

狙って放たれたであろう砲弾を茶褐色の手袋を填めた手でひょいと掴むや否や鉄片へと変貌させ、ドイツ第三帝国最強の戦艦は再び日本への海へと舞い戻った。

 

 

 


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