提督と加賀   作:913

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二十一話

背後から肋骨の隙間に剣を突き通し、肺を貫いて肉を抉るように胸へと刺す。

 

比喩ではあるが、このような表現が似合うほど鋭い視線を浴びせられ、三日。

提督はとある軍艦の船内で加賀を侍らせながら仕事をしていた。

 

「……あの、加賀さん」

 

「………………………」

 

抵抗する気力すら根こそぎ圧し折るような眼光が、提督の身体を突き通す。

怖い。緩衝材であるビスマルクですら、裸足で逃げ出すこの迫力。

 

「何かしら」

 

「いえ、何でも……」

 

「何でもないのなら話しかけないでいただけますか?」

 

「はい……」

 

とっくに諦めているとはいえ、好きな女性に『話しかけんな』と言われるのは精神的にくるものがあった。

 

何故怒っているのか解らない。過度なスキンシップが悪いというのならばわからなくもないが、あれはビス子自身が求めてきたものである。

仲間意識が強い加賀さんが仲間に嫌がらせされたことに対して怒るならばわかるが、あれは嫌がらせではない。

 

「……」

 

黒いニーソックスに包まれたむっちりと肉付きのいい太腿を組み、加賀はベットに腰掛けていた。

加賀は元々良いとは言えない目つきが、一睨みで気の弱い人間を殺せそうなほどに鋭くなっていることに気づいている。

 

しかし、どうにもならない。ムカムカしているのだ。

 

(何でビス丸だけが褒められるのですか)

 

自分だって頑張った。市街地に被害が及ばないように、ビスマルクの戦闘が少しでも優位に進むようにと敵空母の艦載機を根こそぎ撃墜し、更には蒼龍・飛龍からなる二航戦を指揮して残敵を掃討している。

 

自分だって褒めてもらえるだけ頑張ったのだ。

 

(何でビス丸だけが撫でられるのですか)

 

貧乏揺すりで軽く部屋を揺らしながら、加賀は枕を抱きかかえる。

鼻から下を少し男臭い匂いのする白い枕に埋めながら頬を膨らますその姿は、目つきを除けば完全に拗ねているとしか思えなかった。

 

(目つきがヤバイな……)

 

チラリと後方を見た提督が感じたのは、背中に刃物を突きつけられたかのような恐怖を与える魔眼めいた気配だった。

 

どうしよう、と彼は考える。

加賀は怖い。キレると怖いのだ。

 

(…………何がマズかったんだ?)

 

頼みの綱の赤城もいない。緩衝材ことビス子は『新世界より』を聞きながら操舵室に籠もっている。

 

どうしようもない。そして、彼は思考を止めた。

というよりも、肉感的な太腿の魅力が恐怖を上回ったと言っていいだろう。

日本人よりもスタイルがいいはずのドイツ人よりも何故かスタイルがいい加賀の身体を全知全能で感知しながら、提督は背中に突き刺さる視線が和らぐのを感じ、止めた。

 

「提督」

 

「はい?」

 

「お仕事、手伝います」

 

いきなりどうしたと突っ込みたくなるほどの優しげな口調が逆に恐怖を煽る中、提督は敏腕秘書らしい容姿に恥じることなく仕事を己の三倍の速度で片付けていく加賀をぼんやりと見つめる。

 

絶対に人に懐かないシャム猫のような雰囲気と、何度見ても飽きない氷の美貌。

メリハリの利いた極上の美体を道着が覆い、豊満な胸を胸当てが締め付ける。

 

憧れと恋慕しか抱けないような好みの塊。それが、彼にとっての彼女だった。

 

「……やりました」

 

「お疲れ様」

 

ぐっ、と握った拳を内側に下げ、派手さを軽減させたガッツポーズのような動作を取る加賀に不釣り合いな子供っぽさを感じながら、提督はひとまず労りの言葉を投げる。

 

何故手伝ってくれたかはわからないが、仕事が減ったことは確か。

これを労ずして、何を労ると言うのか。

 

目の前で一つ頷いた加賀に、何かを期待するようにジーッと視線を浴びせられながら、提督は仕事に戻ろうと椅子を回転させた。

 

「提督」

 

「おぅ!?」

 

回転させた椅子を片腕で戻され、再び加賀の美人顔の前に座らされた提督は、少し胸が高鳴るのを感じた。

 

ああもう、自分は本当に同しようもないほど彼女が好きなのだ。

 

叶わない恋に情念を燃やす自分を嘲笑しながら、彼は想いを他所へとやる。

 

自分では、到底絶世の美女たる彼女には釣り合わない。

そんな冷徹な判断で希望を破棄する計算高さが、彼にはあった。

 

「私、やりました」

 

「はい」

 

「やりました」

 

「はい」

 

軽く俯きながら同じ様な発言を繰り返す加賀を見た提督は、少しのあいだ思考を巡らす。

彼女は、仕事を頑張っていた。頑張れば、疲れるだろう。

 

ならば、何故俯いているのか。簡単ではないか。

 

「加賀さん、自分の部屋に帰っていいよ」

 

細い肩に手を置き、優しく諭す。

 

加賀の体勢が『撫でなさい』というものであるのにも関わらず一切その選択肢が出てこないのには、ある意味で凄まじいものがあった。

 

何せ、この男は加賀の抱いている恋慕に対しては本当に鈍感で無頓着なのである。

 

そして加賀は例によって例の如く、頭にきた。

 

「ごぅ!?」

 

「…………」

 

軽く跳び上がって無言の頭突きを提督の顎に食らわせ、加賀は強かに反動ダメージを食らった頭を抑える。

軽く涙目になる程には、彼女も痛手を負っていた。

 

「か、加賀さん。何で怒ってんの?」

 

「私は、ちゃんとやりました」

 

再び軽く俯き、加賀は自分の思い通りに動かない口を憎悪する。

彼女は、ビスマルクのように優しい感じに撫でて欲しいのだ。

 

撫でて、撫でて、撫でて、よくやったと褒めてほしい。

できれば、ぎゅーっと抱きしめて撫でて欲しい。

 

巧く甘えることができない彼女は、自己嫌悪が激しかった。

側に甘え上手なライバルが出てきたから、尚更かもしれない。だが、元々彼女は不器用で上手く立ち回れない質なのである。

 

だからこそ、彼女を相手にする者はそこらへんをうまく汲んでやらなければならない。

極論だが、心の動きがわからないならば、『好かれてんのかな』とわかればガンガンセクハラしていくような積極性がなければ彼女の気持ちを汲むことは難しかった。

 

「いや、わかってる。頼りにしてるよ」

 

無言で首を振り、犬の尾のようなサイドテールが暴れる。

もっと他のことを求めていることを、彼はここで初めて理解した。

 

気づいても、何をすればいいのかがわからないのが彼の彼たる所以である。

 

「何をすればいいの?」

 

「……よくやった、ってしてください」

 

「はぁ?」

 

まるで意味がわからんぞとばかりに訊き返す提督に、加賀はいつになく怯み、竦んだ。

敵は怖いが、怯まないし竦まない。何故なら、勝ち筋が見えるから。

 

しかし、この慕う男の行動だけはどうしようもなく怖いのだ。

この世のすべてが、ではないが負けても再起を計れば二度目がある。

 

だが、喪った恋慕を再建する方法など、彼女は知らなかった。

 

「…………」

 

「……足りないなら、もっとがんばります」

 

無言で立ち尽くしたまま固まっている提督を無意識の上目遣いで、加賀は切ない想いを堪えるように見上げる。

 

「頑張ったら、なでてください」

 

「……撫でて欲しいの?」

 

「…………」

 

肯定するのは恥ずかしい。だが、ビスマルクのように撫でられたい。

そしてできれば、抱きしめて欲しかった。

 

自分から言えるわけ無いから、偶々の事故のような形で。

 

「……厭?」

 

「い、いや、いいけどね」

 

すーっと髪に向けて手を伸ばし、僅かに引っ込める。

癖っ毛を直す為に入念に手入れされた艶やかな濡れ羽の髪は、彼に不思議な神聖さを感じさせるものであった。

 

「……いや?」

 

「そんなことはないです」

 

上目遣いが更に殺人的な破壊力を齎している状態の加賀の頭に手を置き、撫でる。

所謂ジト目に分類される眼の目尻が下がったことに気づくこともなく、提督は自分のものとは明らかに違う柔らかな髪を手で味わっていた。

 

ビスマルクもいいが、加賀もいい。癖っ毛な感じがあるが、柔らかい。

サラサラ感はビスマルクの勝ちで、柔らかさなら加賀の勝ちであろう。

 

やり始めたら止まらないような感覚に襲われつつ、提督は加賀を撫で続けた。


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