提督と加賀   作:913

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二十四話

空母寮、赤城部屋。

実質的には加賀との共同部屋だが何故か、ただ一人赤城の名が冠された部屋で、二人の美女が向かい合っていた。

 

「加賀さん、現状がわかっていますか?」

 

「……はい」

 

身内の敵を酷評したドライアイスの如き怜悧さは影を潜め、ただの乙女がそこには居る。

どうしようもないほど縮こまり、彼女は安定の体育座りで落ち込んでいた。

 

「いいですか?」

 

「はい」

 

「今までは出来レースでした。つまり、出走者があなたしか居なかったのですから、如何に止まろうが遅かろうが問題はなかったのです」

 

「はい」

 

「ですが今回、ドイツ製のスーパーカーが参戦しました。わかりますね?」

 

「…………」

 

いつも真一文字に結ばれている口が困ったようにへの字となり、琥珀の眼が自信なさげにふらりと揺れる。

 

自分に自信がない。どうしようもないが、もう加賀の恋愛に対する臆病さは治すことの叶わない宿痾だった。

 

「負けますよ、加賀さん。取られちゃいますよ」

 

「……いやです」

 

「結婚して、二人はドイツで暮らすでしょうね。此処は居辛いですし、ドイツも彼の補給線構築の手腕を買っています。加賀さんは付いていけるはずもなく、結婚式に出てそれで死ぬまで会えません」

 

「止めて下さい」

 

あまりの惨めさと、自分の隣に居てくれた彼が居なくなるという悲しさを、彼女はその豊かな想像力で以って鮮明にイメージしてしまう。

 

あまりにも悲しくて、生きる気力の九割が持って行かれることは請負だった。

 

駄々っ子のように首を振った後に赤城をキッと睨みつける彼女の眼には、涙がじわりと浮かんでいる。

敵に対する時の大胆さと周到さがあれば提督などは簡単に落ちるのに、ドライアイスの中身はすぐに傷つく泣き虫なのだ。

 

逆だったら逆だったでかなり人格的に問題がある。

だが、このヘタレっぷりも拙かった。

 

何せ、聴きたくありませんとばかりに両掌が両耳に蓋をしているのだから。

 

「目を逸らしても何も変わりませんよ」

 

「……提督もそう簡単には落ちません」

 

「押されたら直ぐですよ。向こうは加賀さんが好いてくれてることを知らないんですから」

 

本当は、有り得ないと断じて諦めきっているのだが、それを言うと加賀は更に凹む。

中々凹まない割に凹んでしまっては膨らますことが困難な質である彼女には、兎に角希望的観測を伝え続けることが重要だった。

 

それに、どっちであろうが対して変わりはしない。

 

「…………私の頭を撫でてくれました」

 

「ビス丸は?」

 

都合が悪かったらすぐ黙る。拗ねたらそっぽを向いて頬を膨らます。

切れ者ぶりはどうしたと言わんばかりのいじらしさに、赤城は頭を軽く抑えた。

 

「現実見ましょう、加賀さん」

 

「……どうしたら勝てますか?」

 

遂に惨めな自分の未来予想図を本能でも理解した加賀は、怜悧な相貌を不安と縋るような弱さに染める。

 

「既成事実でしょう」

 

無害そうな顔でとんでもないことを吐いた赤城を、加賀は心の底から恐ろしいというような顔で見つめた。

 

「ん……!」

 

そして、その隙を逃す赤城ではない。無造作に伸ばした手でぐいっと加賀の張りのある胸を鷲掴みにし、赤城はピクリと爪先から肩のあたりまでを小刻みに震わした反応を冷静に観察する。

 

服越しに食い込んだ指を押し返そうとする張りもあるし、手の指から溢れそうなほどの柔らかさも―――つまり、必要とされる案件を全て満たした胸部装甲。

 

感度も相当に良いし、何よりも常日頃の無表情からの恥じらいと触られたことに対する快感と、それに抗い我慢しようとする気持ちが混ざったようなその表情は、常の氷の美貌と同じ素材を使ったのとは思えないほどに淫靡で扇情的な魅力があった。

 

「何とか胸を触らせて、こんな顔をする。そうしたら確実に襲ってくれます」

 

鷲掴みにされた挙句、胸当てとサラシで凝った胸を揉み解されたこともあり、加賀のうなじに朱が昇る。

 

息を荒げて声色を調節しようとする様子にもまた、男を獣へと変える狂おしいほどの色気があった。

 

「……い、嫌です」

 

「何でですか?起動こそ難しいですが、成功率は百パーセントですよ?」

 

黒いニーソックスに包まれた太腿をモジモジと擦らせながら、加賀は揉み解された胸を抑えつけながらポツリとこぼす。

 

「その、初めては……」

 

「初めては?」

 

「愛してるって、言われてからでないと、その……」

 

それは、愛してると言われ、結婚した時に、生涯尽くすべき夫に捧げられるべきだった。

なんだかんだで求められたら断われずに捧げてしまいそうだが、それはそれである。

 

「乙女ですねぇ……」

 

「……普通では、ないの?」

 

「加賀さんを応援するにあたって私も色々と調べましたけど、そこまでお堅い人はこの世には存在しないようです」

 

鉄の塊が、肉と骨と脂肪で作られた型に圧し込まれた。

心があるとは思うが、無いと考えるものもある。

 

それは同一個体であっても様々意見の分かれるところであり、そう簡単に決着の付くものではなかった。

 

が、加賀は人になりたいと思っている。だからこそ、心と言う不確かで誤差しか生み出さないおおよそ兵器には不必要なものを許容したのだ。

 

「私、やっぱり人ではないのかしら」

 

「……」

 

これまで加賀は散々黙ってきたが、今度は赤城が押し黙る。

 

そも、彼女は心と言う物をあまり信用していないし、許容していない。兵器の本分は忘れるべきではないと思っているし、必要に応じて切り捨てられるものだと理解していた。

 

例えば、撤退戦の時。指揮官は金こそかかるが量産できる兵器より、兵士を優先する。

だから、赤城は加賀のように大本営に対して精神まで根付いた嫌悪を持っている訳ではなかった。

 

あの時、艦娘は兵器だった。そして、旧式になった兵器は廃棄される。

運命のあの戦いを終えた自分が鳳翔と同じく練習空母になるべきだったように、艦娘を兵器として見るならば大本営は完璧に筋の通った行動をしていた。

 

意思を持った兵器に踊らされる指揮官などは排斥して然るべきだし、廃棄される筈だった兵器が使い続けることによって性能が上がったのならばそれは、最高権力者が一括して運用した方がいいに決まっている。

 

大本営の理屈は、兵器としてみている人間には完全な道理として通るのだ。

逆に大本営からすれば自分たちの提督は、兵器に愛着を持ち、あまつさえその兵器たちを守るためには叛逆することさえ厭わない意味不明な人間だということになる。

 

これが理性でわかっていても尚彼の判断に感謝し、見棄てられたことに一抹の不信を抱いてしまう辺り、彼女も兵器ではなかった。

しかし彼女は、人間になりたいとは思わない。

 

別に加賀を否定するわけではないが、赤城は沈むまで赤城としてあるべきだという矜持のようなものが、彼女の精神の根底としてあった。

 

職人気質だと、言えなくもない。

 

「少なくとも艦載機を放つことができ、念ずるだけで鋼鉄の艤装を出すことができ、捻れば他人を殺害できる程の膂力を持つものは人ではないでしょうね」

 

「…………そう」

 

あくまでも戦場では兵器の役割に徹しようとする彼女と、くだらないことで一々悩む加賀とではその性質が大きく異なる。

 

だが彼女は、今まで支えてきてくれた相棒を支えるくらいはすべきだと思っていた。

 

「でも、あの提督は艦娘を人として見ています。加賀さんもまた、そう見られているのではありませんか?」

 

「…………そう、かしら」

 

「きっとそうですよ」

 

「……はい」

 

少し安心したように笑む加賀を見つめ赤城の心は僅かに温かみを帯びる。

結局のところ、彼女は加賀に甘かった。『人ではありません、私は加賀です』と言って憚らなかった彼女が宗旨を変えても、それは彼女ら二人の訣別の原因には成り得ない。

 

「頑張って」

 

「はい」

 

そう背中を押すと少しは自信が湧いてきたのか、秘書艦としての任を果たすべく加賀が立ち上がった。

 

歪んだサラシを隠すように改めて胸当てを結ぶその姿は、少しの勇気と覚悟に彩られていた。


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