提督と加賀   作:913

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二十五話

加賀は、いつものように仕事をしていた。

書類に目を通し、要約したものを提督に渡す。

 

秘書艦としての権限を越すことなく、彼女はあくまでも決済を提督に委ねていた。

勿論、本当に時間がないときは自分で片付けてしまう。

 

しかし、その場合も彼女は提督決済した書類に書かれていた要旨を抜き出して伝え、『それは嫌だな』と言われたならば即座に取り止めていた。

 

独断専行しがちに思われる切れ者である彼女だが、犬のような忠実さを以って上官である彼を支えている。

 

少なくとも、現在は。

 

「……仕事終了。お疲れ様でした」

 

「うん、お疲れさん」

 

謹厳実直な体を崩さず、加賀はテンプレートと化した言葉を紡いだ。

仕事が終わったら、これを言う。

言い終わったら、テレビをつける。

 

そのまま夜の九時までダラダラし、夜ご飯を作って十時に食べ、身の回りを整理整頓の後、就寝。

 

何の色気もない、そんなダラダラ生活が大演習から二ヶ月ほど続いていた。

 

「お、速報か」

 

左の頬を乗せて肘をつきながら軽くチャンネルを切り替えていた提督の手が止まり、リモコンが机の脇に戻される。

情報収集の名手でもある彼からしたら遅すぎる情報であっても、『どのように加工されたか』を見ることはかなりためになるのだ。

 

真相がわからないことがあっても、元情報が如何に加工されたかの法則に当て嵌めれば枠くらいは掴めるだろう。

尤も、今まで真相がわからないことがテレビに放送されたことはなかったが。

 

『臨時ニュースです。大湊警備府が管理する樺太で、海軍は大演習を行うとのことです。既に大湊警備府に所属する艦艇は樺太に集結した模様であり、政府は付近の住民たちに近づかないようにとの声明を発表しました』

 

「嘘を付け」

 

軽く欠伸をし、チャンネルを変える。

くだらないことには一々突っ込んでもいられないとばかりに億劫な態度を崩さない提督に、加賀は静かに問い掛けた。

 

「嘘?」

 

「そ。大湊警備府の艦娘たちが叛乱したのよ。新任の提督を弾劾して、ね」

 

「大湊警備府の前任は那須隆治退役中将……あなたの一つ下の世代ね」

 

正確に言えば艦娘を兵器として見ていない最後の世代だと言え、現在の主要鎮守府を預かる提督はこの世代に該当する。

 

特徴と言えば歳こそ二十代半ばから五十代後半までと幅広いものの、いずれも福利厚生にそこそこ力を注いでいることであろう。

 

艦娘は飯を食わずとも生きていけるし、寝なくとも身体機能に支障はない。

反抗的な意思を持つ艦娘も、支配適性が高い者ならばむりやり従えることができる。

 

つまり、大本営曰く『兵器の顔色をうかがって』おり、仲間感覚の横繋がりと上司と部下の縦繋がりで付き合っているのが南部中将・北条中将こと提督ら第一世代。

第一世代ほどではないが福利厚生に気を使い、上司と部下の縦繋がりでのみ付き合っているのが第二世代。

この支配適性に物を言わせて艦娘を兵器として運用、必要に応じて破棄するのが第三世代以降だと言えた。

 

「新任は伊東少将。第三世代以降の人ね」

 

「期待の新人って奴だね」

 

第一・第二世代は地獄を潜り抜けてきた所為か、横の繋がりが深い。

大本営からすれば、意味不明な見方をする人間が精強な戦力を従えて横で繋がっているのだから、恐ろしいことこの上ない。

 

見つけて即投入が常識だった原石のままの第一・第二世代とは違い、コツコツと支配適性を中心に加工していった人的資源を入れ替えているのである。

本来ならばあまり問題にならない伊勢提督のブラック運用がテコ入れされたのは、彼が第一世代だからということもあった。

 

まあ、彼もあまりの戦力の少なさと過労の為にやっていることは第三世代以降と変わらなくなってしまっていたのであるが。

 

「支配適性はS。ご立派ね」

 

嘗ては提督にも向けられていたゾッとするような冷たい視線で、加賀はチャンネルを変えた先でも割り込んできた臨時ニュースの画面を見据える。

 

「そんなに言うもんじゃないよ。誰だって圧倒的な力を見せつけられたら怖くなるさ」

 

「あなたも?」

 

その四文字からなる問いには、恐れられているのではないかと言う少しの不安と、否定してほしいという願望を込められていた。

 

初期の頃ではあるが、自分たちが彼に不満を抱き、造反しようとしていた事実はある。

見棄てられた時に、血の気が多い質である彼女の胸に人間という種族に対する暗い激情が迸ったのも、覆しようのない事実だった。

 

そして、そのやり用のない怒りがただ一人の身近な人間である提督に対する居辛さや言葉の棘となって刺さったことも、事実である。

 

加賀が恋愛に対して臆病である一因が、この事実に対する慚愧の念があることは否定できなかった。

 

「ああ、怖いよ。叛乱を起こされたら手も足も出ないままに殺されるし、何回か嬲り殺しにされるかなって思ったこともあるからね」

 

「…………すみません」

 

「仕方ないさ。人間が嫌いになるのも、わかるような事態だったからね」

 

自分より遥かに優れた戦闘能力を持っている部下には距離を置かれ、上層部には見捨てられる。

見棄てられた艦娘たちには同胞が居たが、彼には同胞などいない。全てが自分に敵意を持っており、そこまではいかずとも潜在的な不信があった。

 

事態が好転するまでの半年間で最も悲惨な環境に居たのは、間違いなく提督であったろう。

 

「あの、私―――」

 

「いいって。別に謝罪でどうこうなることでもないし君たちが謝ることでもない。実際俺は君たちを戦わせていたわけだしな」

 

今まで命を懸けて守っていた者に裏切られ、背中から刺された挙句に見棄てられる。

艦娘たちがいくら善良な性格をしていても、不信感が芽生えねばおかしかった。

 

そしてその頃は、彼の状態も酷い。夜も眠れずに睡眠薬を摂取して無理矢理寝付き、こちらに向かってくる足音に怯え、周りに心許せる者が居ない。

嘗ては親しく言葉を交わせた艦娘にも、自分に対する遠慮と僅かな怯えに、己の同族に対する嫌悪がある。

 

正直なところ、度々悪夢として出てくる死と隣合わせの半年間を彼は思い出したくもなかった。

まあ、互いに勘違いしているだけだったと分かったから凝りはない。

 

艦娘たちは人への不信感はあったものの彼への敵意はなかったし、彼もただ『そうなるのではないか』という恐怖があっただけである。

 

「今はそうでもない。怖いは怖いが、それは誰にも平等に向けられる俺固有の臆病さからのものだ」

 

「…………」

 

「嘘じゃない。俺は、加賀さんたちを怖がってないよ。ただ、平等に怯えてるだけだから」

 

過去の自分に、戻れたら。

 

そう思ったことは数知れないし、自分を殺してしまいたいと思ったことも数知れない。

 

「提督は、この仕事を辞めたいですか?」

 

「ああ、辞めたい。辞めていいよと言われれば俺は手を打って喜ぶだろうけどだが、でも途中でほっぽりだすのもなんだかなと、思うわけだ」

 

ズキリと、心が痛む。

臆病だ臆病だと言っているが、彼の心は強い。

 

傷つきやすいし逃げ腰だが、折れることはないから強いのだ。

 

それを利用している自分が他の何よりも嫌悪を掻き立てる。

どうしようもなく、醜いと。

 

「しかも、君たちが戦っている中でのうのうと日常を刻める気もしない。

もしかしたら自分だったら助けられたかもしれないのに、と。後悔したくないわけよ」

 

自分を嘲るように笑いながら、提督は己を馬鹿にするように呟いた。

 

「我ながら馬鹿だね。ここに居ても戦えないし、何が変わるわけでもない。何が出来るわけでもないのに、その場に居合わせないよりはマシだとか思っている……自己満足の極みだな」

 

「そんなことは!」

 

今まで生きてきた中でもぶっちぎりで大きな声が加賀の喉奥から放たれ、提督と加賀の双方が驚く。

提督も加賀がこれほどまでに大きな声を出せるのだと思っていなかったし、加賀もこんなに大きな声を自分が出せるのだとは全く思っていなかった。

 

「……ないわ。本当よ」

 

「あ、はい……」

 

彼女らしからぬ大声に圧倒され、提督は萎縮したままにそう答える。

他の艦娘と比べれば、それほど大きい声というわけではない。しかし、普段から寡黙で物静かな加賀が言ったからこそ、その反動は大きかった。

 

「……ま、まあ。兎に角加賀さんにはあの時も今はも助けられてるよ。感謝してます」

 

「……私、何かしたかしら?」

 

「ほら、時々夜食作ってくれり、黙って話を聴いてくれたでしょ?

あれ、結構楽になったんだ」

 

別に、何が出来るわけではない。ただ、最後まで付いてきてくれた人に見棄てられたくなかったから、彼女は側に居たのである。

人が住む街からはなれて野に独居する者は却って孤独というものを感じない。人の中にいればこそ孤独は深まる。

 

しかしながらその孤独を慰めてくれるのも人なのである。

 

「ありがとね、加賀さん」

 

「あれは、違います」

 

「加賀さんにとっては違うかもね。でも、それは受け取り手が決めるもんだよ」

 

あの時の恋慕は、仄かに揺らめく程度の火でしかなかった。

何となく気になり、疲れていそうだったので夜食を作っただけである。

 

「本当にありがとう。君が居なきゃ恐怖に目が曇ったままだったよ」

 

「……いえ」

 

自然と頭に置かれた手に撫でられるたびに、赤城に言われた言葉が薄れていく。

柔らかく、優しく、彼の掌が加賀の犯した罪科故の凝りを溶かしていった。

 

(ずっと、ずっと、あなたのことを愛してます)

 

例えばこの思いが叶わなくとも、私はあなたの盾であり、弓である。

世界があなたを否定しようと、私だけは着いていく。

 

あなたが、そうしてくれたように。

 

とくり、と。

温かな鼓動と共に、彼女は一つ壁を超えた。


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