提督と加賀   作:913

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二十六話

大本営は、陸海空の三軍の高官から構成される合同機関である。

 

陸軍は一時本土に上陸されてしまった時に勇戦。人員・兵器の殆どを失いながらこれを食い止めたこともあって影響力を消失。『本土に来るかもしれないから一応』ということで解体はされなかったものの、予算は四割ほど削られた。

空軍も深海棲艦に対して無力な無人機が流行らなくなったことと、上層部の面々が爆撃によってこの世から文字通り消滅したことにより、解体されている。

 

本来三軍から構成されるべきこの大本営は、海軍八割陸軍二割という圧倒的な差を以って実質的に海軍の独占機関となっていた。

 

この大本営は艦娘を指揮する適性を見出されなかったものの、養成学校での成績の優秀さを基本とした人員で構成される。

そもそも提督という職業が能力よりも素質が優先されることもあり、彼らには常に劣等感と不満が付きまとっていた。

 

自分ならもっと巧く出来る。

自分の方が優秀なのに、何故奴なのか。

 

その結果から生まれるものはと言われれば即ち、現場意見の軽視だった。

旧日本軍に於いて『恩賜組』と呼ばれた優等生で構成された参謀たちが恩賜組よりも成績が劣等な情報参謀を軽視したようなことが、ここでもまた起こっていたのである。

 

優等生と言うのは、プライドが高い。何せ、この世における殆どの勝負事に勝ち続けてきたのだ。プライドが高くなければ維持は出来ないし、勝てば自ずとプライドが備わる。

 

ビス丸だのビス子だの言われているビスマルクも剣角こそ取れたものの未だにプライドが高いし、加賀も生前・現在問う必要すら無い程にかなりプライドが高い。

 

「つまり、我々に大本営から直々に『一個艦隊を北方海域へと派遣するように』ってくるのは余程切羽詰まっていることの証左になるわけだ」

 

「……」

 

「そうね」

 

無言のまま視線のみで先を促す加賀と、キッチリと相槌を打つビスマルク。

比島鎮守府実働部隊の双璧とも言えるこの二人が私室に呼び出されたのには、それなりの理由があった。

 

加賀は深夜に、それも私室に呼び出された時にかなりの覚悟と期待を抱いたし、ビスマルクも寝巻きのまま行く訳にもいかずに何があっても対処できるような洒落た服装で出頭したが、そんなことを彼が知る訳もない。

あくまでも深夜に呼び出したのは数分前に届いた実質上の救援要請を迅速且つ内密に処理する為であり、それ以外の理由などは無いのである。

 

「まあ、当然ながら俺も本土に行かなければならない。だから君達を呼んだわけだ」

 

「了解したわ、Admiral。留守中の通商破壊と艦隊運営はこのビスマルクがバッチリ請け負ってあげる」

 

どちらか一方を残し、どちらか一方に一個艦隊を預ける。

二人呼び出されたのだから当然そうなるであろうと言う予想が二人にはあり、自然とその役割が割り振られていた。

 

加賀が外征へ行く。ビスマルクが鎮守府の番をする。

 

特に理由はないが、提督ならばこのような判断をするのではないかと言う確信めいた予想が、彼女たちにはあった。

 

が。

 

「いや、ビスマルクが五航戦と妙高型重巡洋艦四隻と木曾を含む二水戦からなる一個艦隊を率いて俺と外征。加賀さんが赤城と二航戦・三水戦らを統轄して鎮守府の留守を守って欲しい」

 

「は?」

 

「……え?」

 

コロコロ変わる表情が所謂ポカン顔になったビスマルクと、一語に万語に勝る疑問と不安を混ぜた加賀の視線が提督へ集中する。

 

「今回は編成に口を出されてはいない。これは俺自身が考えて決めたことだ。機密情報に類する為、今言ったことを口外することは禁ずる。あと、ビスマルクは明日フタマルマルマルに料亭風庵に顔を出すように。以上、解散」

 

異例とも取れる判断を下した提督は、敢えて二人の視線に目を合わせることなく書類を読み上げるような調子で言い終えた。

 

「返事」

 

「了解」

 

「……了解、しました」

 

一拍遅れて返事をし、トコトコと所在無さげに去っていく加賀の背を追いかける様に、敬礼を終えたビスマルクが追従する。

 

「加賀、大丈夫?」

 

「はい」

 

明らかに大丈夫ではない。

一目見てそうわかる彼女を気遣って度々声を掛けるも、明らかに心がどこかに昇っていた。

 

秘書艦として長期に渡って仕えてきた彼女からすれば、この判断は強いショックを受けるものなのだろう。

喪心するには些か軽い出来事に過ぎる気もしなくなかったが、彼女にもその寂しさはわからなくもなかった。

 

彼女も彼の為に結果を上げ、優秀な悍馬に有りがちな癖を無くして尽くしてきた挙句にドイツに強制送還させられた時は喪心している。

まあ、今から見ては『勝算のない戦いに巻き込む人数は少ない方がいい』という善意からのものだと思うが、女からすれば『死ぬかも知れないが一緒に来て欲しい』と言われたほうが嬉しいこともある。

 

女と付き合うのに慣れていない提督が知るよしも無いが。

 

「私の強制送還の時もそうだけれど、何かしらの理由があると思うの」

 

「知っています」

 

「私の経験からすると、何かしら独断するに足る強い理由がある―――つまり、貴女を心配してのものではないかしら?」

 

「知っています」

 

取り付く島もないというのはこの事だった。

 

「……明日、それとなく聞いてみるわ」

 

「……お願いします」

 

もう、これはどうしようもない。

 

プライドとかそういう虚飾が吹っ飛ぶ程の衝撃に出くわした加賀はダンボール箱に入れて捨てられ、更には濡れ鼠になった仔猫のような雰囲気がある。

自分が犬気質、或いは馬気質な癖に猫が好きな彼女からすれば、捨てられた猫のようになった加賀を無視して自らの幸福を喜ぶわけにもいかなかった。

 

「……何だかなー、と言いたいわね」

 

さらりと流した金髪を指で玩び、『ビスマルクの部屋』という標札のついた自室の扉を開ける。

誰もいない部屋に少し寂しい物を感じながら、ビスマルクは布団に潜り込んだ。

 

幸運の黒猫オスカーと戯れる夢を見た、翌日のヒトキュウサンマル。

 

「何だ、一人で行ってなかったのか?」

 

「道がわからなかったとか、そういうことでは無いわ。同じ行くなら、話しながら行きたいと思っただけよ」

 

グラマラスなワガママボディーを常日頃纏っている灰色のボディースーツから瀟洒な洋服へと変え、更に季節感を重視した黒いコートに身を包む。

 

黒いコートと夜の闇に、発光しているかのような見事な金髪が映えていた。

 

「……案外と冷えるものね」

 

「深海棲艦が来てから寒冷化が始まってるらしい。人間が温暖化を引き起こしたことに対する意趣返しのように、ね」

 

北洋から来ただけに、彼女は寒さに慣れている。しかし、ここが本当に南方かと思う程に今夜の外気は寒かった。

 

「人類はやり過ぎたのかもしれない」

 

「いつになく感傷的ね。神というものを信じているの?」

 

「因果を」

 

信じている。

敢えて省き、提督は一般的な海軍のイメージとは異なる黒い軍服の袖を振った。

特に理由はない。強いて言うならば、指先に通おうとしない血をシャッフルするような感覚であろう。

 

「まあ、人が滅ぶのもいい。文明が衰退するのもいいさ」

 

「過激なことは言わない方が賢明よ、Admiral」

 

「何が過激なもんかね。他者を盾にすることでしか生きられない種族なんざ、死んだ方がいい」

 

ビスマルクは、黙って聴いていた。

人の心とは複雑なものであることを、彼女もまた良く知っていのである。

 

「今の人類は、他者が常に犠牲になっていることすら気づいていない」

 

「今更、よ」

 

生物が生きていくには誰かを淘汰せねばならない。米を食うにも稲を殺し、肉を食うにも獣を殺す。

 

より良い生活のために他者を蹴落とし、結果として蹴落とした者を死に追いやることもあるだろう。

 

彼が言っているのは、自分の罪悪感から出たエゴに過ぎなかった。

 

「……それもそうか」

 

「だからまだ、人は滅びないんじゃないかしら?」

 

白いマフラーに鼻から下を埋めながら、ビスマルクはクスリと笑う。

生きる為に稲を殺しても、獣を殺しても、人は気に病まない。儀礼的に感謝を口にするが、犠牲になった彼等に何かをしてやろうとは、思わない。

 

自分たちもそんなものだろうと、彼女は割り切っていた。

 

感謝は口にする。死も、悼む。

されど、艦娘が死ねば所詮は『一隻』なのだ。

 

『一人』では、ない。

 

加賀は、そこのところがわかっていないのだろう。期待を抱いていたから、憎悪がある。

ビスマルクには、期待はない。生まれたことに対する義務感と、やれることをやれるだけやってみたいという欲のみがあった。

 

加賀は、最初のうちに理想を見てしまったのだろう。人との共存や、対等な関係と言った、それを。

 

ビスマルクには、それがない。種族的な差異を自覚していたし、軍艦としての服従心と誇りのみがある。

 

人類との対等な立場での共存などは考えたこともなかったし、これからもないだろう。

現在、『個人』との対等な立場での共存ならば夢見ているが。

 

「滅びを華々しくする為に私達が居るならば、別だけれど。神は人に試練を潜り抜けられるだけの武器を与えたと、考えられない?」

 

「武器だとは思いたくはない。同志、だと思いたい」

 

「事実を認めない在り方は、好きよ。理想は綺麗なものだもの」

 

その綺麗さが、彼の鎮守府にいる艦娘を絶望に叩き込んでいた。

互いに疎通し合っているのならば手酷いマッチポンプだが、互いの見方が違う。

 

それだけに、彼の業は深かった。そして、彼もその業の深さを自覚している。

 

「俺は、悪党だな」

 

「理想を抱くとはそういうものでしょう、Admiral。

貴方の悩みは言うなれば、理想に魅せられた者が悪いのか、魅せてしまった理想が悪いのか、理想を理想と定義せざるを得ない現実が悪いのか、と問うも同然なことなのだから」

 

そんなものは、見方によって変わる。

見方と言うのは、本当に都合の良い言葉だった。

 

「誰だって化物を隣人に持ちたくない。でも、持とうと思える人も居る。社会とはそれでいいの。思想を統一しようとする先には、排斥しか待っていないわ」

 

「重みがあるな、君が言うと」

 

彼女の生まれたドイツ第三帝国といえば、思想と国民感情を統一して一方向に向かせたことで著名な国である。

外部からの圧力と莫大な借金が独裁者と言うものを必要としていたとはいえ、彼女の真の母国はあまり褒められた国ではない。

 

「貴方へのアンチ・テーゼよ。私も含めて、貴方への批判者は内部に居ない。アンチ・テーゼの提唱者は大本営であり、国民である。貴方の世界が閉鎖的で完結的にならないことを、望むわ」

 

「その時に君は、諌めてくれるかな?」

 

「諌めるし、アンチ・テーゼを述べるでしょう。だけれど、貴方がそれを言い出したならば、私は最後に貴方に従う」

 

「何故?」

 

断定的な物言いに対して呈された疑問を受け、ビスマルクはその白磁の美貌に悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「私は、民主主義が独裁を望んだドイツ第三帝国の戦艦なのよ?」


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