提督と加賀   作:913

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二十七話

「で、何故私なの?」

 

ゲルマンの魔女。

如何にもそんな印象を与える悪戯っぽい笑顔を浮かべた美貌に見惚れ、不思議がるように首を傾げられてから数分後。

少し早めではあるが、二人は料亭風庵に到着していた。

 

予め、部屋は予約してある。

 

するすると着物の似合う女将に案内され、奥の個室に通された二人の間で最初に鳴ったのは、ビスマルクの疑問の声だった。

 

「大本営に対して敵意を抱いていないからだ」

 

明快且つ率直に、加賀という女性の好悪の情の激烈さを知っていれば誰でもわかるほどに単純な理由である。

加賀は大本営という仰々しい名前から、偉ぶりが好きな構成員、作戦を押し付けてくる厚顔ぶりと、首輪を付けようとする敵愾心の全てに明確な嫌悪を示していた。

 

兎に角、反りが合わない。互いにプライドが高く能力がある為に妥協を知らず、彼女を連れていけばただでさえ微妙な大本営との仲が更に拗れることは想像に難くないであろう。

彼としては、それは出来れば避けたかった。

 

「……なるほど、いいわ。やってあげる」

 

「ありがと。正直、渉外系の仕事には加賀さんは向いてないからさ」

 

ビスマルクは、色も相まって静かに凪ぐ湖面を思わせる碧眼でもって彼を見据える。

 

「見かけは臆病、辺境警備の昼行灯。彼は北条、最後の壁」

 

『Leyte』と銘打たれた映画を見た時に、ポロリと出てきたフレーズである。

自分にも取材班のようなものが来たことは関係ないであろうが、政府から正式に派遣された『加賀』と『赤城』が居たこともあり、それは中々と言える出来であった。

 

映画となるくらいには多分に、そして人類が圧倒的劣勢を跳ね返して勝てるということの証左として、彼は英雄的に描かれている。

 

プロパガンダと言う奴だった。

 

「何だ、そりゃ」

 

「プロパガンダ映画の一節の、和訳。限られた情報しかないから、貴方は都合の良い偶像となっているのよ」

 

「俺が居なくなれば半年保たない、とか公言する参謀本部がある国だからな。どうにも俺は君の本国に好かれているらしい」

 

あくまでもこれは年単位で前、つまり彼が現在勢力圏に置く南太平洋地域に精強なる深海棲艦の艦隊が海上で威を振るっていた時である。

 

現在、南太平洋に於ける深海棲艦の艦隊はまさに補給線と精強なる艦艇の尽くを失った根切れの状態にあった。

謂わば、稲が頭を垂れて刈られる時を待っている状態だと言える。

 

彼は最早、南太平洋海域からの攻勢を守るには必要ない駒だった。

 

「残そうとは、思わなかったの?」

 

「いつまでも個人に頼るような防衛ラインを敷いてちゃ、いずれ大病になって帰ってくるさ」

 

ある程度脅威を残させることで有利に立ち回ることができることを知っていて尚、やらない。

あくまでも真摯に、彼は国の為を思って動いている。

 

それが、思想的な―――つまり、支配か融和かの違いだけで疎まれているのだ。

 

「あなた、何でドイツ人じゃないのかしら」

 

「そりゃあ相模に生まれたからだろうさ」

 

ドイツでは、思想が政府によって統一されることはない。第三帝国の轍を踏まないよう、細心の注意が払われている。

それには勿論限度はあるし、危険思想を野放しにするという事ではない。

 

が、ドイツの艦娘には人権のようなものが認められている。厳密に言えば人権ではないが、支配などはなるべく行わないようにしていた。

 

彼等の国民性として、勝者を畏敬し敗者を冷遇する、というものがある。

自分との関係がどうあれ勝者には一定の敬意を示し、敗者を冷たくはじき出す。

 

艦娘は勝者であり、提督もまた深海棲艦という異分子に対する勝者であった。

 

「……だーから俺が人気なのか」

 

「そう。どのような形であれ、勝ちは勝ち。勝者には畏敬と栄光を、敗者には侮蔑と転落を。それがドイツという国よ」

 

「怖い国だ」

 

「勝ち過ぎると殺す国よりは、余程怖くないと思うけれど?」

 

どっちもどっちだが、提督には身びいきもあって日本のほうがマシに見える。

そもそも『己は勝者になれるような器ではない』と自己規定している彼にとって、勝てないと生きていけないというのは、どうか。

 

まあ、戦わなければ生き残れないというのは深海棲艦が居ない頃から続く社会の仕組みでは、あった。

要はオブラートに包んで言って欲しかったのである。

 

「だがまあ、俺は本来勝者ではない。ただ運と人材に恵まれただけだ」

 

「あら、『運も実力の内』と言うじゃない。将帥たるもの、戦機と勝利を引き込む運を持ってなきゃダメなのよ、Admiral」

 

時の女神に愛されているとしか言えない豪運を持つ者が、英雄となる。

 

ガイウス・ユリウス・ カエサルしかり、ナポレオン・ボナパルトしかり、鉄血の方のビスマルクしかり。

彼等は神憑り的な、或いは時の女神に愛されているとしか思えない運によって巡ってきた機会を逃さず掴んでいった結果、英雄となった。

 

英雄とは風であろう。動けば周りに音が生じ、気に流れをつくる。

 

彼が動くことで生じる風は彼自身には感じられぬとしても、その温厚な眼差しと柔和な表情は周囲の空気を変える物を持っていた。

 

「運に関しては、納得がいく。俺は天に愛されてるレベルで運がいいからな」

 

「魚雷一本が致命傷になった私には無かったものであり、恐らく貴方より軍事に造詣が深い将たちが渇望して遂に掴み損ねたものよ。大事にしなさい」

 

ビスマルクが言い終えたて暫くして、個室を区切る襖がカラリと開く。

これぞ和という料理を前に、二人は静かに手を合わせた。

 

 

一方、加賀。

 

(…………選ばれなかっ、た)

 

赤城部屋の隅っこで、彼女はダークマターを生成している。

無論本当にダークマターを生成しているわけではないが、それに近いものが生まれるのではないかと錯覚させるほどに、今の彼女は暗かった。

 

(……私はもう、要らない娘なのかしら)

 

ビスマルクの方が、愛想がいい。話が上手い。よく笑って、可愛い。綺麗。耐久力でも上で、速力でも上。

 

一方自分は嫉妬深くてヤキモチ焼きで、おまけに短気。無愛想だし、無口だし、笑わない。可愛いくないし、綺麗でもない。耐久力にも速力にも劣る。

 

(……いや)

 

枕を抱きしめ、無表情の仮面を崩れさせる程に彼女は啼いた。

辛い。痛い。心が軋むように罅割れ、砕けそうな程に脆くなる。

 

いっそ壊してしまおうと、そう思うほどに痛かった。

 

そして彼女が纏う暗黒闘気は、流石の赤城にも『どうしようもない』と思わせるだけのものだったのである。

 

「ど、どうしたのよ、一航戦の頼り辛い方?」

 

結果、鶴姉妹の幸運な方が動員された。

これは、紐パンの方では赤城の二の舞いであろうと判断されたが故の動員であろう。

 

常日頃やり合っている対抗馬をぶつけて対抗心を煽り、元気を取り戻したところを赤城と鶴姉妹の紐パンの方とで説得すると言うのが、だいたいの作戦であった。

 

「……瑞鶴ですか」

 

相変わらず暗く、声のトーンは一段低い。

提督と居るときは光っているように見える琥珀の目からも光が消えかけている。

 

この外見と返事の時点で、瑞鶴は恐怖とは別な何かが背筋を走るのを感じた。

 

「貴女は鍛練を積めば私の後を継げます。精進しなさい」

 

「え……」

 

「貴女も、一航戦なのだから」

 

期待の裏返しとも取れる鬼のような要求と辛辣な口振り、圧倒的な技量によって瑞鶴を育ててきた彼女にとっての『本当は好きだけど嫌いっぽく振る舞ってしまう、だけどやっぱり頼りになる師匠』は、ただの良い人になっている。

 

瑞鶴は、脱兎の如く逃走した。

もう、こんな棘のない言葉を吐くのは加賀ではない。

 

「あれ、加賀さんじゃない!絶対なんかおかしいって!」

 

「そうねぇ……」

 

常に厳しくされている人間が優しくされると逆に怖くなってくる例の現象に見舞われた瑞鶴をあやしつつ、翔鶴と赤城は顔を見合わせる。

 

逆に、今がチャンスなのではないか。

 

ジョースター卿の教えを受けてもない二人に、そんな共通の思考が芽生えた。

加賀は、素直ではない。どちらかと言えば内にある殻に自分を押し込んでしまうところがあり、とても柔らかい中身を知る前に多くの人はその硬さに辟易してしまう。

 

だが、今は多大なる精神的なダメージのお陰で殻が剥け、柔らかいところが剥き出しになっていた。

 

(しますか?)

 

(しましょう)

 

そういうことになった。

 

素早くアイ・コンタクトを交わし、二人は一人を引き摺って撤退する。

ビスマルクからの電信でもうすぐ帰ってくる旨が報告されている今、下手に励ましたりして殻を復活させることはなかった。

 

提督には、柔らかい中身が剥き出しのままあってもらう。こうでもしないと、関係が全く進まない。

 

殻が復活してからの加賀の羞恥心には犠牲になってもらうとして、二人はそううかうかとしていられないことを或いは当事者以上に知っていた。

 

「翔鶴姉、加賀さんを励ましたりしなくていいの?」

 

「瑞鶴。この世の中には励ましたりしない方が素直になれる人もいるのよ」

 

少し不思議そうな顔をする瑞鶴を帯同して五航戦の私室まで退き、赤城は厳かに決断を告げる。

 

「加賀さんには、犠牲になってもらいましょう」

 

一升瓶を置いてきたのは、その為でもあった。

加賀は殻が有る時は中々酔わないが、泣いている時は異常に酔いが回るのが速い。

 

そのことを利用し、本音をぶつける。

 

励ましても、彼女の不安は根本的な解決にはならないのだ。

 

「ただいまー」

 

「Ich bin da」

 

声のトーンで酔い具合を測り、提督はほろ酔いくらいであろうと測定する。

ビスマルクは、相手を潰れるほどには酔わせない。程度と節度を弁えるように、相手の酒量を自然と調節してやって生きてきていた。

 

つまり、泥酔しない程度に気持ちよく飲めるくらいのベストな状態で、彼女との飲み会は終わる。

 

「ビス丸、ちょっと」

 

「?」

 

シラフかと思う程に常と変わらない語調と体捌きと、爽やかな匂い。

常に香らせている薄っすらとした香水の匂いを漂わせながら、ビスマルクは五航戦部屋へと入室した。

 

「何かしら?私は加賀に用が有るから、手短にしてくれると助かるわ」

 

「その用。提督から直接言わせて欲しいんです」

 

何の用かも察している聡い赤城から放たれた願いの意図を察してなお、ビスマルクは『任せなさい』とばかりに頷いた。


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