提督と加賀 作:913
「加賀さーん」
ほろ酔いとなり、本来楽天的とは間逆な性格が楽天的となった提督は、赤城部屋に入って早々加賀に絡んだ。
普段ならばその負の暗黒闘気に圧されて怯むところを、提督は行ったのである。
「……提督」
「あ、加賀さんも呑んでんの?俺もね、呑んできたのよ」
無遠慮に隣に腰を下ろした彼を慮り、加賀は卓上に置かれた一升瓶を持って目の前に置かれていた空きのグラスに注いだ。
「どうぞ」
「あんがと」
この頃には加賀もしたたかに酔っていたし、何よりも彼女は傷心中である。
想い人と話し、自分のことをどう思ってるか聞いてみたかった。そして秘書官として見放されたのならば、兵器としての自分の性能を売り込みたかった。
「提督は、私のことをどう思っていますか」
「どうも何も、美人だなーと」
褒められた。
この外見は加賀という艦娘に共通するものであれ、それでも褒められるのは嬉しい。単純かもしれないが、自分の気持ちに素直になった時に恋慕の情を抱いた男に対する彼女ほどちょろい物はないであろう。
言うなれば、常に何をしても好感度が下がらない状態なのに素直になったとき、即ち今は何をしようが好感度が上がる感じになっていた。
「……女として、私は貴方の役に立てていません」
「何か言い方がエロいね」
普段ならば心の奥に留めておくような事柄をポロリと吐き、提督は流し込むように酒を更に呑み下す。彼が酔っているから理性が消えかかっているのもあったが、実際、加賀の今の発言はイケナイ関係にあるかのような錯覚を持たせるかのような曖昧さがあった。
怜悧且つ平坦な声色をしている加賀だからこそ、えもしれない色気がある。
「そういう意味ではありません」
わずかに頬を染めながら、加賀は必死に弁明した。彼女が言いたいのは自分が人として扱われるには充分な成果を上げていないのではないかということであり、色事において、というわけではない。
無論、迫られたらどうなるかはわからないが。ひとまずは色事においてではなく、一個の存在としての話である。
「知ってるさ。要は君は、自分が役立たずだから今回の任から外されたと思ってるんでしょ?」
「……はい」
「残念ながら、それは違う。俺はまだまだ加賀さんを側から離す気はないよ」
くいっとお酒を引っ掛けながら、提督はふらーっと加賀から一升瓶へと目を移した。
どうでもいいが、彼はかなりの酒好きである。
ドイツに留学していたことがある為にビールやワインの方が舌に合うが、日本酒もいけなくはない。
だから、日本語が出来なくて孤立しがちだった―――というか孤立していたビスマルクを引き取り、日本語を教えたりなんだりかんだりとしていたという経歴がある。
他の提督は年齢もマチマチだし学歴もそれぞれで、第三外国語でドイツ語をやっていても日常に忙殺されて忘れた、ということが多かった。
その点彼は年齢的にほとんど現役に近かったし、元々ドイツが好きな男である。
ビスマルクと聴いた時に角付きの鉄兜を被った爺さんが腕振り回して演説しているところを想像し、しかる後にそれを無理矢理女体化するという荒行をこなし、覚悟完了した彼に待っていたのはただの美人だった。
ただのと言うには美人に過ぎ、頭に『絶世の』とかその美貌を賛美する形容詞が何個か付くほどの美人だったが、そこそこ美人耐性ができていた彼にとっては真紅の衝撃、とまではいかなかったろう。
まあド肝はぬかれたし、ツンケンしている時代のビス子が躾けられるまでかなりかかっていたのだが。
「……ぇ、と」
蚊の鳴くような声で戸惑い、燃料を機関部につっこまれたかのように顔が紅潮する。
うなじから顔までを真っ赤にした加賀は、体育座りの要領で折り畳まれた脚に額をのせた。
丸まるように姿勢を変えたことにより、淑やかな黒髪と目で見てわかる程に紅潮したうなじが色っぽく、太腿に押し潰された胸が男を誘うような魔性の魅力を放っている。
赤城の策からすればアレだが、これを提督が見なくて正解だった。
見ていたら、生唾を飲み込むどころでなく刺激されていたことが請負である。
「あら、加賀さん寝ちゃったの?」
「い、いえ」
僅かに乱れた声が、彼女の心理的な動揺を如実に表していた。
機関部代わりの心臓は壊れるのではないかと思う程に早鐘を打ち、全身を超高速で血が駆け巡る。
身体はポカポカと火照り始め、脳内は歓喜で満たされていた。
「なら、飲もうよ。酒」
「……………ありがとうございます」
暫しの沈黙で無理矢理息と鼓動を整え、全身から朱色を引かせる。
加賀の身体には未だ震えという形で隠し切れない動揺が残っているものの、酔っている男が一目見てわかるほどではなかった。
「……私、側にいてもいいの?」
「勿論。目の保養になるし仕事は出来るし強いしで、非の打ち所のない敏腕秘書だもんな、加賀さんは」
泣きそうな程の嬉しさに唇を噛み締めながら、加賀は酔ったかのように身体を傾ける。
とん、と。サイドテールになっていない方の側頭部が提督の二の腕にぶつかり、そのままの体勢で凭れかかった。
口の端が少し上がり、加賀は僅かに微笑む。
まだ任から外された理由は説明されていないが、必要とされていることがわかった途端に両肩にのしかかっていた重みが消えたような感じがしたのだ。
「疲れてる?」
「少し」
「ごめんね。でも、いつもありがとう」
凭れられていない方の手で髪を撫で、猫のように目を細めている加賀のサイドテールに触れる。
猫めいた性格をしている加賀の尻尾は、どちらかと言えば犬だった。
「柔らかいし、艶がある。相変わらずのいい髪だね」
「…………手入れ、してますから」
潮風に負けないように、彼女は風呂に入った時は入念にケアをしている。
いつ撫でられても良いようにと手入れを怠らない癖に、ビスマルクの如く撫でてほしいと言えないあたりが彼女だった。
「へー」
気のない返事の後に何回かポンポンと頭を軽く叩かれ、頭の上から掌が消える。
名残惜しげにチラリと上目遣いになり、加賀は残念さを隠す様に俯いた。
ここでこんな顔を見せれば、二度と撫でてもらえないであろう。
彼がそれくらい鈍いということは最早、鈍い彼女にもわかっていた。
「戦、敵はどれくらいの戦力ですか?」
「横浜の残存艦隊と伊勢提督の残存艦隊も、一部合流したらしい。大湊警備府だと手狭だからってことで拠点を捨てて管理領域である樺太で再編成してるから―――どうだろうな」
管理領域。
これは、鎮守府・基地・泊地・警備府などがそれぞれ占領した海域・地域を軽く支配できると言うようなもので、それぞれ独自の戦時体制を敷くことができるようにという配慮のもと作り出された物だった。
住民の戸籍は日本国であり、政治を行うのも日本国の公務員だが、資源や基地を管理するのは駐屯している軍である。
北から順に並べていくと、泊地ALの南部中将は泊地AL一帯、大湊警備府は北海道から樺太まで。
後は基本的に本土にある為管理領域を持つ鎮守府は少ないが、地味に最大規模なのが北条中将こと彼の物であった。
北は港湾都市として栄える台湾、本拠地であるルソン島・ ビサヤ諸島 ・ミンダナオ島からなる旧フィリピン領を挟んで南にジャワ・スマトラ・セレベス・ボルネオ・ニューギニア・ティモールなどの豊富な天然資源を産出する島々を保有する。
誰が呼んだか『北条王国』。ご先祖様もビックリな広大かつ豊かな地方政権だった。
これを維持し、半ば独立不羈たる地位を確保したのが加賀の『潰されない為に牙を砥ぐ』という方針であり、『艦隊・国の維持に必要な資源の八割を北条王国カッコカリに頼らざるを得ない』という環境を整えることだったのである。
「政府は燃料弾薬に困ってるらしいから、苦戦したのでしょう」
「そうらしいね」
無論、誰が輸出を堰き止めたかは言うまでもない。
「因果応報ですから憐れみも何も抱いてませんが、懲りることを望みます」
「何を懲りるの?」
「……無謀さと無能さを。罪の深さを」
ドライアイス製の剣めいた雰囲気を纏い始めた加賀の頭に手を乗せ、撫でる。
キッと釣り上がった眦が蕩け、主にまたたびを嗅がされた猫のような温さと柔らかさを取り戻したところで、提督は再び何回か頭をポンポン叩いて手を離した。
「ね、止めたげなよ」
「……考慮しておきます」
牙を抜かれれば、ほとんど確実に粛清される。
太平洋は深海棲艦が50、北に居る同志も含めない自分たちが30、人間が20くらいの戦力比が望ましい。
人間たちの戦力の半分は北に居る同志を含めていることを考えれば、50:30:10:10くらいか。
南方に来た時は80:10:5:5でなんとか敵を削れたから、少しの誤差ならばこちらが潰れる心配はない。
今は、35:50:5:10。深海棲艦を潰し過ぎたお陰で、資源などの地力と練度、艦艇数や火力を含めた戦力が偏ったからこういうことになった。
(アメリカが滅びれば、MI方面艦隊がこちらに来て丁度なのだけれど)
向こうも中々しぶといし、守勢ながら盛り返しつつもあるらしい。
今は、やろうと思えばトラック以東を管理領域に容れられる。やると戦力比が更に崩れるからやらないが。
「……加賀さん」
「わかりました。止めます」
戦力比の為に。というか、一人決戦兵器めいた『(対空をしっかりやれば)不沈戦艦』の加入によって戦力比が更に開いたのをどうにかせねばならない。
ビス丸が倒した戦艦棲鬼。アレを使って天秤を合わす。
「ありがとね、加賀さん」
「いえ」
頭を凭れさせながら、加賀は想い人と共に静かに時を刻んでいた。
「それよりも、私もお外に食べに行きたいです」
「クリスマスまでには帰るよ」
酔っているからこそ、二人の間で本音のキャッチボールが行なわれている。
例えそれがフラグでしかなくとも、加賀と提督の間では有り得べかざるものであった。
「はい」
無表情の中に嬉しさと恥ずかしさを込め、加賀は凭れながら静かに寝入る。
それは、腹黒くならざるを得なかった彼女の素の姿だった。