提督と加賀   作:913

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三十話

ビス子は自分に惚れているのか、否か。

提督は彼女の狙い通り、そこのところが気になり始めていた。

 

これを確実に確かめるには、大きく分けて二つの方法がある。

 

一つ。本人に訊くこと。

 

二つ。一挙手一投足に気を配って統計を取ること。

 

これら二つにはそれぞれ異なる利点があり、同時に異なる問題点があった。

 

まずは、前者の利点と問題点から。

前者を選べば、なるほどたちまちの内に彼が抱いた疑問は氷解されるであろう。しかし、それが勘違いだった場合は、どうか。

おそらく自意識過剰という―――顔面偏差値的にもっともな―――レッテルを貼られ、ビスマルクとの意思疎通にも齟齬が生じる。現在築いた戦友として気兼ねなく相談したり酒を酌み交わすといったような関係も、消える。

 

すぐわかるという心理的な負担の軽減を含めば、ハイリスクハイリターンという言葉が似合う案。それが前者だった。

 

では、後者はどうか。

後者を選んでしまえば、彼の心に蟠っている疑念は氷解されることなく居座る。謂わば、何時出るかわからない一挙手一投足に注目した結果とやらを待ち続けなくてはならないのだ。

されど、消極的ながら利益はある。それはつまり彼女との関係を悪い方向へと進ませる可能性が殆どなくなる、ということだった。

 

待ち時間での忍耐とそれに吊り合うだけの結果が取れるかどうかわからないことも加味すれば、これは前者とは色を変えたローリスクローリターンな案だと言える。

 

ここで注目してほしいのが、提督がどちらに転ぶにしてもかなりの決断力を要求されるのに対し、ビス子はどちらに転ぼうが利益しか出ない、ということだ。

 

前者を選ばれても彼の性格的に『好きです』『わかりました』『付き合っていただけますか』『はい』とはいかないだろう。

が、ここで無理矢理返事を急かすことなく『いつまでも待ちます』といえば、どうか。

 

少し考えても見てほしい。

 

気高き獅子の如き金髪と、澄んだ湖水のような美しさを湛える碧眼。

 

俊敏果敢といった言葉の似あう精悍な狼を思わせるほっそりとした無駄のない身体。

 

件の気の強さ、誇り高さと、明敏さに、高貴な血が醸し出す気品という四個の課題を与えられた神が創ったかのような、各パーツが一つのテーマに即して纏まった美貌。

 

加賀には僅かに劣るものの相当に豊かな形の良い胸部装甲。

 

顔を埋めてみたいほどの柔らかみを感じさせる加賀とはまた違った魅力を持つ、よくバネの通った反発性のある魅惑の太腿。

 

白人特有の透けるような肌の美点のみを抽出したような印象を受ける白絹の肌。

 

軽く列挙しただけでこれほどまでの女として備えられる武器を持った全身兵器のような美女が自分のことを慕い、あまつさえ己が告白の答えを言い渋ったのにも関わらず『まだ返事はいりません、あなたの心が定まるまで待っています』と一途さを仄かに透けさせて一歩下がったら。

 

そして彼女が、そんな姿勢とは無縁に見える気の強いタイプだったならば。

 

たいていの男は、陥ちる。

 

つまり前者を選択した場合はほぼほぼ確実にビス子大勝利ルートが固定されていた。

 

そして、次善の策としての後者。これも中々高い効果が見込めるであろう。

何せ、色恋事と言うものは友愛から親愛へとシフトさせてきた繋がりをもう一段上の『恋愛』へと引き上げなければならないのだ。

友愛で人柄を知り、親愛でその人柄に溶け込み、恋愛を以って同化する。

この過程を踏まずにいきなり告白しても、互いに観察し合っていない限り帰ってくるのは『友達から』であり、快諾したにしても暫しの間は恋愛ではなく友愛から親愛へのステップを踏み、知り合わなければうまくいきようはずもない。

 

友愛から親愛へは、シフトした。そして、恋愛と移行させる為に親愛で溶け込んだ感覚を乖離させ、今一度見てもらう必要がある。

 

彼女は、驚くべき綿密な計画と誤差・齟齬の擦り合わせを一人でやってのけていた。

 

そもそもドイツ人と言うのが平素理屈っぽいということもこの計画性に関係があるのかもしれないが、民族性がどうあれ結果としてはこの立案・実行能力の高さは彼女の能力だと言えるであろう。

 

ヘタれている暇などないし、余裕もない。相手には走っているように見せないが実のところは走っているというのが彼女の現状であり、それが如何にも貴族らしかった。

 

で、結果的にどうなっているのかと言うと。

 

「Admiral、シャキッとしなさい」

 

「……うん」

 

ビス子怒りの五時半起こしを喰らい、提督は眼を瞬かせながら外套を着る。

ついでに言うならば、別に彼女は怒っていない。謂わば慣用的な表現である。

 

加賀は更に四半刻早い五時に起こしに来るが一時間くらい寝顔を見ながらぽけーっとしているので、全く以って実害はない。

 

時々提督の胸板のあたりに顔を押し付けていたりするが、本当に愛玩する猫めいて害のない女だった。

 

そして提督は、それを知らない。気がついたら側に居るんだね、くらいなもの。

 

ビス子はまあ、身体に優しく意識に厳しい規則正しい生活をしている。

加賀は一見厳しそうに見えてダダ甘な為、『あと十分』と頼まれたら嫌と言えないようなおかしみがあった。

 

「くっそ眠い」

 

「いつもこの時間に起きているのではないの?」

 

「いや、いつもは六時から六時半とかで、まちまち」

 

昨夜の脳内検討の結果、提督はそこそこ意識していくことに決めている。

元々ビス子の『らしい』優雅さや気品には目が惹かれるものがあった。それを更に見ていく。

 

犬のような忠実さからくるいじめたくなるような愛らしさと、褒めて褒めてと来る時と普段の凛々しさの対比が彼女の魅力になっていることに今更ながら気づいた彼は、寝ぼけ眼を擦って目を凝らした。

今は、凛々しいビスマルクである。

 

「ふぅん……そうなの」

 

「含んだ言い方だな。何か問題があるのかい?」

 

「別に。そういうことか、と思っただけよ」

 

ひらひらと手を振りながら部屋を去るビスマルクの背中を見送り、提督はベッドから降りて前へと進み、机の傍らにあるハンガーラックからワンセットの軍服を取った。

柄でもないが、彼は軍人である。一応整えるべき体裁というものがあり、どうでもいいならば秩序と規律に従わなければならない。

 

白い桜花が二輪印された中将の階級章が縫い付けられた軍服をさらさらと着こみ、襟元を正して軍靴のつま先を地面に打ち付けて軍帽を被る。

手袋を填めた手でドアノブを回し、現代的な通信機器が配備された私室兼司令室を出ると質朴且つ古風な廊下が眼前に広がった。

 

まるでドアを開けた瞬間にタイムスリップしたかのような不思議な気分と違和感は、彼が常に感じるところであろう。何せ、指令室は現代でありながら艦自身は二十世紀なのだ。

 

「まあ、この艦を造ったドイツ人も二百年ちょい経って極東の黄色人種に使われるとは思ってなかっただろうな……」

 

「それはまあ、そうでしょうね。私も日本に来るとは思っていなかったもの」

 

「なんでもって神様はこんな気が狂ったような世界にしてしまったのかねぇ」

 

二つの軍靴が艦を鳴らし、金髪と黒髪が廊下を進む。

如何に慧眼を持つ非凡人であってもイギリス海軍に壮絶なリンチを受けて沈んでからも引き上げられることなくこの地球という星の海原に姿を現すとは思っていなかったであろうし、海上を化け物が占拠するとは予想することすらできなかったであろう。

 

この一事においても、如何に人の能力を基にする予想というものがあてにならないのがわかった。

 

神とは

気紛れで、人の予想を嘲笑いたいがために時に信じ難い贔屓と邪魔をすることがままある。

 

そんな世界に生きて、己の勝運を信じるのが果たして意味があるのか、どうか。

少なくとも今のところは運が良く、素質などと言うチケットをもたせ前途を閉ざすと言う最大の邪魔を神が罪滅ぼしという『殊勝な』感情の元に贔屓していると言うべきであろう。

 

「ビスマルク、今日の予定は?」

 

「マルハチマルマルに大湊警備府の総司令部に赴き、作戦会議。終わり次第総司令部の指示に従って動くことになるわ」

 

「わかった。じゃ、行こうか」

 

提督は己の打ちっ放し鎮守府とは違う彼方に見える赤煉瓦を見て嘆息し、大湊警備府近海に割り当てられた区画に接舷・占領している大艦巨砲主義の産物から降りた。

 

本来彼女が収容していた兵員は人間から艦娘という軍艦の力を持っている人でも兵器でもないような存在に入れ替わり、削減されている。

 

つまるところ、ビスマルクが率いてきた艦娘たちはこの戦艦ビスマルクで居住していた。

 

「提督、おはようございます。何処へいらっしゃるのですか?」

 

「作戦会議、ということになっている」

 

「その間、艦隊の統率を頼むわね」

 

「了解。任されました」

 

ビシッ、と綺麗な敬礼をして謹直に立つ矢矧に視線をやり、ビスマルクは提督に小声で驚嘆を告げた。

 

「矢矧、暁、雷電の二人に響、夕雲、巻雲、風雲、朝霜、飛鷹と隼鷹と妙高・足柄・羽黒・那智の変則艦隊は、まだ崩してなかったのね」

 

「そりゃまあ一度固まったのは統一運用した方がいいし、崩す理由もなかったからな。軽空母の二人は引き抜いて使ったりしていたけども、だいたいこの枠は崩してないさ」

 

極めて変則的なこの艦隊、司令官―――というか司令艦はビスマルクだった。

ドイツへ送還されるまで最大火力となっていた彼女は、当初戦線が拡大するに連れて護衛・哨戒の為に多くの戦闘単位を作らねばならない都合上、そして戦艦が一隻もいない都合もあり、過去にかなり頼りとされている。

 

つまり、本来は重巡洋艦を何隻か突っ込んで火力の足しにする彼特有の艦隊編成の例外として、その重巡洋艦何隻かに匹敵するとなった上で編成された。

 

戦艦ビスマルク、軽巡矢矧、暁型駆逐艦四隻。最初はこの組み合わせであり、他の部隊より僅かに火力に劣っていたのである。

 

だが、戦線の拡大がマシになっていくに従い、戦闘単位の統合が行われた。

そして、謂わば均一に配置していた火力をビスマルクの令下の艦隊に集中することを決定される。

 

つまり、今までの戦果と練度を加味し、先鋒。敵の堅陣をぶち抜く為の錐としての役割を担わせる旨が提督直々に発表され、それに伴って他の勇名を馳せた戦闘単位を統合。新たに虎の子の練成が終わった軽空母も配置し、こんな歪な有り様になった。

 

当初は、艦隊運動担当の矢矧を戦術担当のビスマルクが、暁型四隻を艦隊運動担当の矢矧が統率することで事足りのだ。

しかし別な一隊が合流し、矢矧が担っていた艦隊運動を誰がやるかということになり、これが狂うことになる。

 

将軍がビスマルク。下士官が矢矧。兵士が暁型四隻。

これは殆ど固定された機構であり、動かすにはあまりに勿体無い練度があった。

 

なので、本来指揮を取るべき重巡洋艦・軽空母がただの一介の軽巡たる矢矧の指揮を受けることになる。

 

矢矧は、名人芸を持つ人種に有りがちな武人気質・職人気質な性格をしていた。

自然と見込んでくれた提督とそれを容れたビスマルクに対して強烈な感謝と忠誠の念を深めたし、指揮下に容れられた妙高型の四隻と夕雲型の四隻に異論はなかったが、同僚に見られるたびに首を傾げられるような変則的な編成となったのである。

 

「嘗ての最強水上部隊の復活、ということに圧されない程度に気張って頑張ってくれ」

 

「必ず」

 

白い手袋を見せるようにサッと最敬礼し、矢矧は阿賀野型共通の制服めいた艤装を艦橋に吹く風に靡かせて艦内へと向かう。

 

やることは、演習。

 

大方、久々に本来の指揮官のもとで戦うのだからと張り切っているのだろう。

 

「そう言えば。何故私の副官に矢矧を付けたの?」

 

「不満かい?」

 

「まさか。ただ、ふと気になっただけ」

 

矢矧の姿が完全に消えたところで声をかけるあたり、彼女はこういう反応も予期していたのだろうと考えられた。

が、わかりきった質問でも意思を確かめることは重要である。

 

「理由は二つ。まず、気質が似てる」

 

「……なるほど、二つ目は?」

 

「どちらもバグっているのではないかと思うほどしぶといし、敢闘精神に優れる。しぶとい指揮官には、しぶとい副官がお似合いだろうし、錐役には敢闘精神がなくては務まらんだろうさ」

 

錐役には、弾雨の中でも掻い潜ってなお驀進するが如き勇気と豪胆さが必要とされた。

 

その点ではまあ、適任であろう。

 

「総旗艦が先頭に立つなんて、現在ではとっくに廃れたのでないの?」

 

「どっこい、伝統と言う都合の良い言葉がある」

 

「嘘は良くないわね。ただ、後方で扇動するだけの正義の広告塔になりたくないだけでしょう?」

 

「そういう解釈をする者はよっぽどの捻くれ者しか居なくてね。何せ、とっくに廃れたはずの絶滅危惧種なもんだから、さ」

 

互いに茶目っ気ある笑いを見せ、提督は本体を連れて戦艦ビスマルクを跡にした。


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