提督と加賀 作:913
体重が減らない。
加賀は一週間の間節制に精を出し、運動もいつもの倍はした。
だが、キロが動かない。動いたのはグラムだけだった。
「……故障しているのね」
加賀はそう断定して、持ち上げた体重計を優しく元の位置に戻す。
とても壊れたものに対する扱いとは思えないほど、その手際は丁寧で、優しかった。
女は脂肪が付きやすい。
そのことを象徴するように挑発的な育った胸を憎々しげに抑え、加賀は俯いて体重計を見る。
下が見えない、と言うほどではないが、見難い。
表示された重さは、変わっていなかった。
水着である青のビキニとパレオを掴み、加賀は体重計を放置してベットに突っ込む。
相変わらず、自分は太っている。その間違った自覚が、彼女を責めていた。
「加賀さん、まだ諦めてなかったんですか?」
「当たり前です」
ちらりと放置された体重計を見て全てを察した赤城は、服代わりの布団に包まった加賀を見てため息をつく。
少しでも体重が減ったと言う実感が欲しくて、彼女は一枚でも多く脱ごうとしたのだろう。結果としてあまり変わっていなかったのだが。
「まあ加賀さんの勝手ですけど、行きますよ」
「……はい」
女性の自分から見ても、惚れ惚れしてしまう程の美体だった。
尻は安産型で程好く大きく、形も崩れておらず桃のように丸い。
胸はツン、と突き出すようにせり出ており、手で掴むと指と指の間から柔らかなそれがはみ出てくるほどに大きい。
何故ここまでの恵まれた身体に対してグチグチと文句を言っているのか、赤城には皆目見当がつかなかった。
「赤城さん、お待たせしました」
いつものサイドポニーに、尾の無い方に傾かせて被った麦わら帽。
白いワンピースが夏の暑さを多少なりとも少なくしているような、そんな気すらする。
靴はいつもの通り、瑞鶴より僅かに低い小柄な身長を誤魔化す為の厚底仕様。
(どうせ海では誤魔化せないでしょうに)
浜では誤魔化しも効くかもしれないが、海では裸足。そのままの身長で挑まざるを得ない。
加賀の割りかし無駄な努力を横目で見て、赤城はいつものいじらしい小動物を見る目で一瞥した。
何というか、報われて欲しいものである。
無愛想で不器用だが、そう思わせる愛らしさが加賀にはあった。
(ツリ目なのに、どこか寂しそうなんですよね)
気の強さを示す証と言うべき瞳が、逆に弱さとか脆さとかいうものを露呈させている。
一度恋してしまった以上、それを拠り所にして、その一つの繋がりに依存し切ってしまうような儚さがあった。
加賀は、よく時計を見る。それは時間を気にする几帳面な性格だということもあるが、提督から貰ったものだから、ということもあるだろう。
いつも胸に忍ばせているそれに深海棲艦からの攻撃が当たりそうになると、狂ったように攻撃性能が増す様子を、赤城は何回も見たことがあった。
あの時計は、初めての戦いらしい戦いと言えるレイテの戦いで、姫級複数を雍した敵艦隊を殲滅した時に、加賀が最大殊勲―――所謂MVPをとった為に、その記念として提督から贈られたもののはずである。
一方的に関係を硬直化していた一時期は使いもせずに石ころのように適当にほっぽり出していただけだったが、加賀が提督に惚れると扱いは一変。宝石でも扱うかのように大切にされ、肌見離さず装備していた。
彼女にとっては必要とされた時に成果を上げたという誇りであり、存在を許されたということが物質として表れた物なのだろう。
加賀は、自分が提督に取って役立たずになれば自害しかねない危うさがある。
それを自覚しているかどうかは定かではないが、自分の存在を肯定してくれているも同然なのではないか。
「赤城さん、時間が押しています」
「わかってますよ、加賀さん」
懐中時計を懐に仕舞い、加賀は水着を入れたバッグを肩にかけて赤城を急かす。
加賀のメンタルを常に気にし、時に病ませ、時にケアしてきた赤城である。一動作一動作に不安点が透けるように見えた。
(いつになれば結ばれるんでしょう)
赤城は応援している。だからこそ、加賀と提督を時に近づけ、時に遠ざけている。
このまま結ばれても、加賀は提督に愛を求めて依存した末に盲信することになると、赤城にはわかっていた。
基本的に安定した性格をした提督も加賀と言う存在に恋慕を募らせる程に募らせ、自分のものにならなくとも良いと思うほどに拗れらせてしまっている。
拗れに拗れた恋慕の対象が急に己の掌に収まり、どうするのか。
恐らくは初めて味わう恋の成就に酔い、加賀と言う存在がたっぷりと満たしてくれる肉欲と愛欲の虜になるだろう。
加賀は爛れたそれを糺すどころか悦んで受け入れ、撫で、甘やかし、自ら求めて、溶かす。
昼夜問わず求められ、求め、精も根も尽き果てるまで一つの布団で愛し合うと思われた。
その過程で加賀は自分という存在を提督という存在に溶け込ませ、存在を維持していくには不可欠な歯車になろうとするに決まっている。
となれば、行き着く先は共依存だ。お互いがお互いを求め、生きていく為にではなく存在を構成する為に必要とし、故に拒まず、どこまでも墜ちて殻を作る。
殻の中を二人の世界にして、その中を愛で満たす。世俗の欲がないだけに、お互いがお互いの存在を確認し、触れ合えるだけで満足できてしまうからどうしようもない。
「加賀さん。自分が好かれるのではなく、自分を好いてもらうようにした方がいいですよ」
「……それは、何が違うのかしら」
「自分を変えるだけではなく、相手の価値観をこそ、自分を見てもらえるように変えていく、ということです」
加賀の愛は、行き過ぎていた。献身と言えば献身だが、自分というものに拘りがない。
自分を好きになって欲しいのではなく、何がどうあれ愛して欲しいのである。
こうしてくれた方が嬉しいな、と言えば、次の日からそれまでの人格を叩き壊して矯正していくようなところがあった。
そこらへんを、先ず直さなければならない。
愛と言うのは、折り合いである。互いが互いに理想を求め、折衷を付けて生きていく。
加賀の場合は折衷を付ける気がまるでない。そのままの提督が好きであり、求められるままに変わろうとする。
一種の、偶像崇拝に近いというのか。理想と提督がイコールで結ばれている為、己が提督の理想像であろうとするのだ。
「……何故、提督が変わらなければならないの?」
「折衷を付けるのが、愛ですよ。提督が他の娘と浮気したら、嫌でしょう?」
「それは私の努力不足よ。勿論、嫌だけれど」
嫌悪が内に篭もるタイプな加賀は、些細なことならば表に出すが決定的なところでは表に出さない。
溜め込んで溜め込んで溜め込んで、我慢の末に誰にもいないところで自爆しかねないところがあると、赤城は見ていた。
その自爆は他者に迷惑をかけない形になるだろうが、提督が望むものではないだろう。
「……そうですかぁ」
「はい。私も提督の周りに魅力的な女性が多いことは知っていますし感じてもいます」
的はずれなことを言いつつ、加賀は用意された車に乗り込む。
深海棲艦の湧き出る拠点を潰した鎮守府近海は、一定ラインまで一般解放されていた。
沿岸部では海水浴、もっと深いところでは養殖や漁。
鎮守府によって保障されている海域を飛び出して深海棲艦に沈められる漁船やらも居るが、概ね鎮守府近海に於いては平穏は保たれている。
「我ながら馬鹿をしたと言う自覚がある」
夕立ら白露型駆逐艦たちに顔を残して身体を砂に埋められながら、提督はボソリとこぼした。
「お待たせしました―――って、何で提督さんは憂鬱っぽい?」
セルフ生首になった―――と言うか、した夕立が持ってきたのは、ジュース。勿論提督がお小遣いを渡して買ってくるように促したものである。
「ここ来て、楽しい?」
海イコール戦場と言う認識は、そう言えば、と言うほど古い記憶になったわけではない。
むしろ常に更新され、鮮烈さで塗り替えられていくものだと言えた。
「提督さんは、楽しくないっぽい?」
「俺は、楽しいよ」
「じゃあ、夕立も楽しいっぽい!」
時雨も居るしな、と。提督は心の中で呟く。
教導院と言う指揮艦養成施設を主席で、しかも飛び級して卒業した時雨は、自ら志願して比島鎮守府に配属された。
加賀が大本営からの間諜かもしれませんということで夕立と時雨には監視をつけているが、提督はその点にはあまり賛成できていない。
何というか、幼い少女を疑いたくないのである。
更に理屈で言えば、間諜にするならばもっとまともな経歴にする筈だし、大量に新兵を送り込んで誰か間諜かをわかりにくくするはずだった。
夕立も時雨も、一般的な生徒とは言えない。逆にそれこそ、と言うのが加賀の主張だが、自分を殺して何になるのか。
「夕立、提督にそんなことをしていいのかい?」
「別に提督さんは怒らないっぽい。時雨もこっちきて一緒に遊べばわかるっぽい!」
練度が既に四十代にまで達している夕立の成長著しさに驚き、且つ感心していた時雨は、社交性が高い。
ただ、今夏に配属されたばかりに、元々友達だった夕立としか本当に仲良くはやれていないのが実情。
その辺りを察したのであろう。夕立は目敏く姉妹たちの輪の中に組み込もうとしていた。
「いい娘だな、夕立」
「ぽい?」
気を遣っているのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
年々汚くなりつつある自分の思考に辟易し、提督はムクリと状態を起こす。
「仲良くやれよ、夕立」
「う、うん。そうするっぽい」
かなり強固に作ったはずの土のドームを一撃でぶっ壊されたからか、若干驚いたような表情をとる夕立を後に、提督は砂まみれになった身体を軽く払いながら砂浜を歩く。
視線の先に、金髪碧眼の美女が一人。
如何にも感光しそうな白い肌。金と白で構成された身体によく映える黒ビキニ。
らしいグラマラスボディの持ち主は、せっせと穴を掘っていた。
「何やってんの、お前は」
そう声を掛ければ、華奢な肩がビクリと跳ねる。
咄嗟に、という感じに『Achtung』と言い放って穴に潜り、身を翻してからそっとこちらを窺ってくるその姿には、一種の稚さが垣間見えた。
「なんだ、Admiralなのね」
「何だと思った?」
「わかるでしょ?」
敵襲だ、と。
戦場ではそれを意味するドイツ語を短く叫んでいたから、敵だとでも思ったのだろう。
「あぁ、勿論冗談だけど」
「なら良かった」
かねがね思っていた己の場所選択のミス・チョイスを暗に指摘されたような気持ちになって顔を暗くした提督にフォローを入れ、ビスマルクは足で砂を掴んで穴の底から帰還した。
「……で、何やってんの」
「見てのとおり、穴を掘っているの」
ドイツ人は城を作らず、穴を掘る。
そしてその底にタオルを敷き詰めて身体を横たえ、若干涼しくなった空間で寝るのだ。
「何で掘るんだ?」
「それはまあ、掘りたいから?」
理屈ではない、ということか。
子供が捕まえたくもない蜻蛉を眼で追い、遂には脚で持って追い回すように。
ドイツ人は、穴を掘る。
「寝るんだろ?」
「このまま行けば、そうなるわね」
「…………まあ、気を付けろよ」
割りと武闘派で精神的にもタフな彼女が遅れを取るとは思えないが、それでも提督は一応警告した。
それを聴いたビスマルクはクスリと笑う。
別に馬鹿にしたというわけではなく、単純に心配されたことが嬉しく、気恥ずかしくもあった。
その辺りが、からかいとして噴出したのだろう。
「何に?」
やっていることは限りなく餓鬼だが、その美貌と声音、貴品はドイツの美人なお姉様と言うべき魅力があった。
自分より僅かに低い背丈が急に出てきて、目と鼻の先にまで近づいてきたこともあり、提督は思わず怯んで後退する。
それを見たビスマルクは、サッと身を翻す。
帽子をしていないが為に完全にその砂金の如き見事な金髪がさらさらと流れ、提督の鼻先を掠めた。
咄嗟に女性特有の甘い香りが鼻孔を刺激し、更に三歩程に下がる。
「フフ……」
微笑を残して穴の中に掘削作業に戻ったビスマルクに対して憤懣遣る方無い気持ちを抱きつつ、提督は無言で海に向かって歩きだした。