提督と加賀   作:913

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三十四話

「つまり、我々は同胞と戦うことになったわけだ」

 

軍帽を頭の上から取り、日本人らしい黒い髪をポリポリと掻きながら提督は申し訳無さげに打ち明けた。

 

彼は、ただでさえ人間のために彼女等を戦わせているという負い目を負っている。

それなのにまた、人と人同士の争いに艦娘を巻き込むなどと言うことが起きた。

 

戦争は、いい。歴史上幾度となく人類は同胞と戦い、殺し合ってきている。

だが、何故彼女等を巻き込むのか。

 

「私は諸君らの提督としては不適切な指示だが、戦線離脱を許可したい。人同士の争いは、人の手で終わらせるべきだからね」

 

「では、戦線離脱をした場合どうすればいいのですか?」

 

「戦線離脱をした場合は比島へ帰りなさい。好きな所に行っていいが、そこが一番安全だろうからね」

 

生真面目と言える矢矧の質問に応じ、提督はポツリと呟いた。

 

「詰るところ、人類は手に余る力を手に入れたのかもしれない。こうなれば、私を含めて一度滅んだ方が世の為だったのかもしれないな」

 

「そうすると、私たちは何を守ればいいの?」

 

「自分の身を。それが本来正しい戦争だろう」

 

ビスマルクの質問に何の迷いもなく答え、提督は目深に帽子を被り直す。

隣に立っているビスマルクも、正面に立っている矢矧も、何も言わずにその場を去った。

 

「……だからこんなところに全員を呼び出した、ということなのかしら?」

 

「そうでしょうね。私に乗っていては実質私には選択権がないもの」

 

彼女等には、二日間の自由行動とそれが終わって一時間後のイチロクマルマルに提督が宿泊している室に来るようにとのお達しがあった。

なのでだいたいわかっていたが、これはまあ予想通りだと言える。

 

「矢矧、貴女はどうするの?」

 

「一度誓った忠誠は破られるべきではないと考えます」

 

小さい加賀とでも言うべき才気と、忠誠心。

伊達に彼女の『貴女はこれ、貴女はこれ』という素質を叩き伸ばす教育を受けていないと言うべきか。

 

一個人に拠る忠誠心と言うものが教育によってではなく、ただその人物への印象で変わることを考えれば、この二人は本質的に似通っているところがあるのかも知れなかった。

 

「なるほど。駆逐艦たちにはどう伝えるの?」

 

「そのままを伝えたいと思います。選択は強制されるべきではありませんから、私の意見は伝えずにおこうかと」

 

これまた、妥当な処理である。非凡さはないが篤実さがある。

 

豪華な廊下を一歩下がりながら歩いている矢矧には言わないものの、ビスマルクはその平凡な判断能力と非凡な艦隊運動の卓越さというアンバランスさを多いに買っていた。

 

彼女ほどの艦隊運動の巧者は母国ドイツにも居なかったし、提督のような清濁併せ呑む巨大な器と勝運を持った提督も居なかった。

日本はこれを、厚く遇するべきなのであろうが。

 

「いいんじゃないかしら。私は重巡連中に言ってくるけど……まあ、足柄がいるから無駄でしょうね」

 

「誰よりも勝利に拘ってきた彼女が逃げるのは少し、想像できません」

 

勝利、勝利、勝利。二言目にはそれである。

科学の発達したこの世の中でもゲン担ぎを忘れない、或いはそれほどまでに勝利への念が強すぎる艦娘を矢矧の言葉で思い出し、ビスマルクは僅かに帽子の鍔を下げた。

 

「他の妙高型も、姉妹一人を見捨てられるような世渡りの巧い性格ではないし、確定かもしれないわね」

 

「……まあ、こちらも殆ど確定したようなものだから」

 

娘が親に懐くように、駆逐艦は提督に懐いている。

わらわらと群がってくる幼女たちには流石に何の手も打てない加賀からすれば嫉妬の対象でしかないが、彼女たちもその忠誠心は高いのだ。

忠誠心なのかと聴かれれば頭上に『はてな』を浮かべる娘が過半を占めるであろうが、傍から見ればそうである。

 

「提督は本気で言っているのだろうけど、個人に拠る忠誠心と言うものがあることを理解していないのか、しても認識しようとしないのか」

 

「どちらもでしょう。提督は相当鈍いもの」

 

矢矧とビスマルクが笑い合い、軽く手を振ってそれぞれの役目を果たすべく廊下を左右に別れた。

 

結果として、彼の艦隊から離脱しようとするものは出なかった。しかしそれは、総意としてではなく個人的な意思レベルの話でも皆が与えられた『大義』と言うものを信じていないことを意味していた。

 

そして、数日経って自艦隊と味方複数艦隊が隊列を整えながら進んでいるのを見ても、提督の憂鬱は収まらない。

寧ろ戦場が近づく度に憂鬱さが増し、遂には溜息をつくほどになっていた。

 

「全く、うちの艦隊は頑固者揃いか。意志の固さは別なときに使って欲しいもんだね」

 

艤装を纏い、船体を仕舞って移動している最中のビスマルクの顔が映し出されたスクリーンに、提督は思わずといった様子で溢す。

 

三面あるスクリーンの中央にはビスマルクからの視点が、左にはビスマルクの喜怒哀楽豊かな美人顔が、右には電探代わりのヘッドフォンを装着した矢矧のクールな美貌が映し出されていた。

 

通常の彼が得られる視覚的情報はこの三つだけであるが、感覚的な情報はその気になれば艦娘を凌駕する。

何より、土壇場になると非常に的確な指示を下すことが、彼には出来た。

 

本人は『あれは運が良かったんだよ。君たちの奮戦もあったが、とにかく運が良かった』と自嘲気味に評す指示の的確さと、長時間保たないものの艦娘より範囲・精度ともに正確な索敵能力こそ、ビスマルクが危険を冒して彼を乗せてきた理由でもある。

 

士気的な意味だけに留まらず、彼にはそこに居る意味があった。

 

『司令官の意志が固くて頑固者なんだから仕方ないでしょう、Admiral』

 

「何を言うのかな、君は。俺ほど意志が弱くて柔軟な人間はいないと思うがね」

 

『冗談』

 

海原に、鉄の艤装を背負った少女が数十人。

そんな常識的な目から見たら異端極まりない光景の一隅。長い金髪と灰色の軍帽を被った女性と黒い長髪を一本に括った女性が率いる一団からは、後方から白いジャージを来たマネージャーの如き少女が離れるように南方へと退いていく。

 

『何故、今になって速吸が来たの?』

 

「叩きに来るなら此処らへんだから、念の為に燃料を補給しておこうと思って予め遣わしといたんだ。機動力の有無は命の有無にも関わるからね」

 

正しい判断だ、とビスマルクは思った。

もうすぐ樺太から程近い最後の此方側の基地がある。本当ならば一気に其処に駆け込んで再度出撃・樺太に向けて進撃したほうが良かろうが、敵からすれば長駆してきた自分たちを待つ必要が見当たらない。

 

ここで一度補給を入れておくのが、案外と命運を分けるかも知れなかった。

 

『敵艦隊発見、十三時方向!』

 

数分後、矢矧の張り詰めた声が艦隊を揺るがす。

提督が座乗している艦隊の一員である彼女の索敵範囲は空母艦娘に匹敵していた。

 

正確性はともかく、臨戦態勢を整えるべく一番に発見する為の大雑把な広さを、彼女の電探は持っている。

 

「総司令部へ通達。此方第八艦隊、ワレ敵艦隊発見ス、とね」

 

『十二時方向・十三時方向に偵察機を発艦させなさい。直掩機は一時収容して再度発艦。急がず正確に、だけど素早く、ね』

 

索敵には第二艦隊が当たるということで索敵機の発艦は禁じられていた為に電探による索敵に専念していたが、最早そんな悠長なことを言っている場合ではない。

矢矧も大雑把・広範囲な物から高精度な物へと電探を代え、再び索敵に入っていた。

 

『いいのかい?まあ、あたしと飛鷹はいいんだけどさ』

 

「ビスマルクの指示に従うように。責任は私がとる」

 

自然と変わった提督の一人称に臨戦態勢となったことを感じたのか、隼鷹は常は見られぬ謹厳な面持ちで敬礼し、割り込んだ矢矧用の回線を切る。

正面の回線からは紙のヒトガタとなった直掩機が収容され、これまた陰陽師の如く飛行甲板に連ねたヒトガタが索敵機と艦戦になって空へと揚がった。

 

『提督、敵の距離は200キロメートル以北です』

 

「わかった。予想接触時間は?」

 

『約二時間。どうしますか?』

 

「対空戦闘用意、視認でき次第で砲雷撃戦の用意を。対空戦闘は君が駆逐艦を主力として執り、砲雷撃戦はビスマルクが重巡を中心にして指揮を執るように」

 

パッ、と敬礼して消えていく回線からの映像に敬礼で返し、溜め息をつく。

対空戦闘ならば矢矧が独自に研究している為に先達だが、彼女は本来艦隊運動の巧者。

 

何個も役割を兼ねさせても難色一つ示さないが、あまりよろしいとは言えなかった。

 

『敵艦隊より第八・第十艦隊司令部及び総司令部に通信が入っているわ』

 

「繋ぐように」

 

見事な敬礼をして消えるビスマルク用の回線を、見覚えのある同僚の顔が占拠する。

 

那須隆治。階級は中将。退役しているとはいえ鍛えるのを怠らなかったからか頑健な身体付きをしており、その鋭意は寧ろ増加していた。

 

『我々には叛逆の意志も、権力への欲もない』

 

『ほざくな叛逆者。ならば何故日本国に砲口を向け、樺太を不法に占拠したのか!』

 

『世の中の無道を糺す為だ、本部長閣下』

 

一息入れ、呼吸を正す。

自らの思いの丈を吐くように、彼は厳かに問いを投げた。

 

『深海棲艦と言う天敵に見舞われながら、この世に人が生き長らえているのは何故か』

 

提督も、帽子を手でいじくり回していて答えない。

南部中将も、興味深げに口の端を上げるのみで答えない。

 

作戦本部長も、内面はどうあれ様子をうかがうかの様な体を崩さずに居た。

 

『一重に艦娘と呼ばれる彼女らが我々の藩屏となって奮戦し、その身を捧げてきたからではないか』

 

『それは我ら海軍の働きを不当に貶めるものであろう!』

 

『不当では、ない。我らは何もしてこなかった。前期型と呼ばれる古参の艦娘に対しては褒賞を以って報いるどころか仇を以って報い、一部の輩は大量生産できることを良いことに使い潰し、あまつさえ女として夜伽を強要している鎮守府すらもある』

 

やれやれ、と。提督はゆっくりとした挙動で肩を竦める。

これはもう、真実なだけに反論できない。距離の暴力が大本営お得意の権威の暴力によって黙らせることを防ぎ、作戦本部長の顔も蒼白だった。

 

『そんな事実は確認されていないであろうが!』

 

『証拠の品はある。現に私は貴官らに提出した筈だが、公開されなかったようだな』

 

ファイルが各司令部・各旗艦の元へと送信され、開くか否かを請求に迫る。

いきなり開かないのは、良心か。或いは更なる狙いがあるのか。

 

(なるほど。嫌悪ではなく不信感を煽る、か)

 

開くなと言う命令は、不信感を煽る。

開けば、嫌悪感を煽る。

 

人は、嫌悪を抱いても言う事は聞く。しかし、不信を抱けばそうは行かない。

 

(私ならばどうするかはこの際問題ではないな。作戦本部長殿ならば受け入れんだろうという、それだけでいい)

 

そのどちらに転ぼうがどうにもならない二者択一を選ばせることで、戦意の鈍化を計ろうというのだろう。

全く、厄介な奴を敵に回したものだった。

 

『作戦本部長閣下、身にやましいことはないと抗弁されてきたのですから、ここは戦意の低下を防ぐことも含めて開かせるべきかと』

 

『馬鹿なことを言うな!』

 

一条中佐の提言を一蹴し、作戦本部長は一喝には高すぎる声で叫ぶ。

 

『ファイルの削除を命ずる!これは敵の罠であり、策である!』

 

大本営直轄の第一・第二・第三艦隊が僅かな迷いと共に、意思を持たぬ第四・第五艦隊が機械的に削除し、第六・第七艦隊が迷いを抱き、第八・第九・第十艦隊が複製した後に削除。

 

第九艦隊は、一条中佐の艦隊であった。


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