提督と加賀   作:913

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三十六話

「敵艦隊発見、十二時方向!」

 

飛鷹の鋭い索敵能力に頼らずともわかる、視認できるようなところまで敵艦隊が出てきていた。

最早あれから時は経ち、予想接触時間に達そうとしている。このことを考えると視認できるのは普通だが、艦載機隊の攻撃が幾ばくかの損害を与えていると考えた提督の予想にはまだわずかな期待があったのだろう。

 

敵艦隊は当然ながら艦列も整然としており、つぎはぎとも言えない。艦隊に欠損は見られないし、損傷した艦艇の姿も見えない。

 

「……殆ど無傷、なのかしら?」

 

「旧制二個艦隊十六隻が相手にするには十三個艦隊百五十六隻は多すぎます。何隻かが脱落しようとも変わりません」

 

「そうかもしれないわね」

 

こちらは九個艦隊百八隻と変則一個艦隊十六隻の百二十四隻。三十二隻の戦力的開きを『出撃時点では』持っていた。度重なる空襲で右翼・中央部から駆逐艦十九隻、軽巡洋艦四隻、航空母艦五隻が喪失させられている。

 

つまり、旧十個艦隊九十六隻対十三個艦隊百五十六隻。三割程の兵力差が両者の間では開かれていた。

 

「はじまりましたね」

 

「整然とした動きはまず見事、ですか」

 

敵味方の航空機が入り乱れ、長射程の戦艦から砲撃を開始。この期に及んではもはや交渉や訴えるべきことなど何もないとばかりに始まった戦火は、右翼方面から野火の如く広がり中央部へ。左翼方面にはまだ来ては居ないが、同じ草原にいる以上は野火から逃れることもできない。

何せ、その火自体もまた意思を持っている。『燃やしてやりたい』、と。

 

「戦艦部隊どうしの殴り合いはまず互角、ですかね」

 

「この短時間で負け始めたら、本当にどうしようもないわ。少なくとも中央部を構成する艦隊は高い練度を誇る精鋭なのよ?」

 

中央部がじりじりと押し返しつつあり、右翼部隊はじりじりと押し返されていた。何かとやかく言う気はないが、矢矧にしたら意外である。

嘗ての司令官に存在していた性格の悪さはどうあれ腕のある艦隊を知っているビスマルクからすれば意外というわけではなかった。

 

大本営の直属艦隊はその旧艦隊出身の艦娘と新編された後期型の艦娘の入り混じった混成艦隊ではあるが、内地で充分に訓練を積んでいるだけって中々に統制・連携がとれた艦隊になっている。

艦載機の練度も消耗が続くほかの鎮守府とは比較にならないし、経験こそ近海の駆逐艦と潜水艦と身内との演習でしか積んでいないが、それは艦隊としての実戦経験の浅さであり個々の艦艇はそれぞれ別な艦隊で戦っている経験があった。

 

つまり、大本営は馬鹿にならない程度の精鋭部隊を保持している。そう言い切ってもいいほど、現場の部隊は奮戦していた。

 

「案外と、内地組も馬鹿にはできないわね」

 

『あんまり人を馬鹿にするもんじゃないよ、矢矧。スポーツじゃないんだから、強い敵と戦ったからってこちらが強くなるとは限らないのさ』

 

いきなり敬愛する提督から声を掛けられたことに怯んだのか、矢矧は思わずといった様子で後ろを向く。慌ててきょろきょろと海上を見回してしまったあたりに、彼女の動揺がうかがえた。

 

勿論提督は海上にも後方にも居ないし、ただ単に彼女が反射的に動いたことに過ぎない。だが、彼女には歴戦の艦らしからぬ初々しさがある。

それが得も知れない可愛さがあるし、常に凛々しさを纏っている人間が慌てて中身の女性らしさを見せた時ほど面白いものもなかった。

 

『私はビスマルクの艦内だよ』

 

「あ、その……いえ、わかっては、います。はい」

 

『まあ、敵も味方も侮るなかれ、だ。勝つにしても負けるにしても、侮った状態で勝ち負けの結果を得るのは良くはない』

 

矢矧から緊張が消え、阿賀野型らしいトランジスタグラマーな身体から無駄な緊張感が排されて鋭気が満ちる。彼女特有の張り詰めたような気は、戦争において武器にもなるが弱点にもなっていた。

久しぶりにビスマルクの指揮下に入ることに気張っている矢矧では、このおそらく長期的な戦闘になるであろう海戦の途中で鋭気が切れるかもわからない。

 

鋭気を以て短期の内に敵を潰走せしめるのも大事だが、この戦いにおいてはそれは適わないだろう。

 

『頑張ってくれ』

 

「はいっ」

 

相変わらずの気張りっぷりに提督は少し頭を掻いた。気張るのもいいが、この張り切りは頼もしいにせよわずかに危うい。

加賀の指揮下にいれる以外は、目から離さない方がいいのかもしれなかった。

 

「敵左翼部隊所属の艦載機隊、突入してきます!」

 

「震電改を出撃させなさい。制空権を確保しなければ戦いにもならないわ」

 

練度の低い空母艦娘に所属する搭乗員では同じ機種である敵戦と味方艦戦を見て叩き落とされる前に一瞬で区別することなどできはしないが、流石に飛鷹・隼鷹の両軽空母の艦載機は違っていた。

そもそも震電系統は比島鎮守府の独占機体であるために機種が違うと言うこともあるが、その戦いぶりには安定した物がある。

 

「敵艦戦、退いていきます。こちらの損失は二機、あちらは十三機。追撃しますか?」

 

「いや、隼鷹に半数の収容を任せ、飛鷹に同数の発艦を。終わったら役割を変えてもう一度」

 

ヒトガタに変わって収容されていく艦載機たちに、殆どタイムラグと言うものはない。

しかし、気をつけるに越したことはなかった。

 

一方、那須隆治退役中将の旗艦扶桑では。

 

「……やはり敵左翼部隊では制空権を確保するのは不可能か」

 

『ビスマルクも矢矧も、制空権の重要さを文字通り刻み込まれて艦娘となっていますから、これからも抜かりはないかと思います。こちらは防空に徹するべきではないでしょうか?』

 

「……それもそうだ。が、制空権を得られんとなると厳しい戦いになるだろう。

大和。戦況はどうだ?」

 

回線を左翼部隊に対抗させている指揮官である大和に繋ぎ、戦況を尋ねる。

回線が繋がったことからいきなり混戦の鉄火場であることは無いと思っていたが、一見したところ思ったよりも味方の被害が少なかった。

 

『至って平凡な砲戦が三十分に渡って続いています。しかし、やはり非凡です』

 

「どう非凡なのだ」

 

『敵は対砲撃用・対爆撃用のバリアを切って戦っています。つまり当たれば沈められますが、当たりません。大袈裟ではないものの小刻みに的確に動かれ、掠らせるどころか夾叉すらも出来ていないのが現状です』

 

「制空権を取れず、敵が矢矧ときたらそうだろうな。味方は?」

 

『それがあちらも掠らせるばかりで、何とも言えません。全体的は平凡ながら、局所的には非凡なのだと言えます』

 

那須隆治退役中将は、ちらりと視線を横に逃しながら思考に耽る。

三十分の凡戦が、攻めあぐねてのものであればいい。だが、到底そうであるとは思えなかった。

 

北条中将の戦術的な巧妙さは衰えたとも思えないし、知略の泉も枯れているとは断ぜない。

 

「油断はするな。バリアが長持ちして装甲の厚い戦艦を前に出し、じっくりと攻めていけ」

 

『はい』

 

そう彼女が返した瞬間に、大和と視界を共有させていたスクリーンに鈍色の白煙の弧を描いた流星の群が降り、一気に爆音と焔に覆われる。

 

耳を戦闘機の飛翔音の如き甲高い音が支配し、慌てたような扶桑の顔が視界に入った。

 

「どうした!」

 

『敵艦隊は左翼部隊の先頭にあった戦艦二隻に砲撃を集中。重巡洋艦四隻の砲門四十門と戦艦の主砲八門の計四十八門から放たれた砲弾が全弾流星の如く着弾し、対砲バリアも装甲も粉微塵に粉砕された模様です』

 

聴覚の回復した彼の耳朶を打ったのは、殆ど信じ難い難易度を誇る曲芸と、それによる被害の甚大さだった。

 

「……轟沈か」

 

『大破です。尤も、機関部も砲塔もその機能がありませんから駆逐艦による曳航が必要不可欠ですが』

 

「曳航させろ。見捨てる訳にはいかん」

 

ただの一度の斉射で、戦艦二隻と駆逐艦二隻が失われる。

一個艦隊の三分の一、左翼部隊の九分の一が失われたことに、彼は渋面を浮かべることを禁じ得なかった。

 

『敵艦隊、微速で整然と退いていきます。既に射程距離を脱されました』

 

「追撃はするなよ。確実に罠がある」

 

『……了解しています』

 

大和の悔しそうな表情が示すように、これは完全にしてやられた形になる。

しかし、一気に攻められたら確実に打撃を与えられるであろう局面で微速で整然と退かれては、罠があるとしか考えられなかった。

 

が、実際はそんなものはない。三十分の凡戦で敵艦隊の移動パターンを読み、射角を調整し、隊列をそれ専用に整えて成功した曲芸ことピンポイント砲撃はそう何回も繰り返せるものではないし、突入して燃料と弾薬を浪費するわけにもいかないと言うのが、実際のところである。

 

何せ、まだまだ三つに割けられた一部隊の内の三分の一と戦っているだけなのだから。

 

『効果は大、と言ったところか。牽制にも使えるし、有り難いよ』

 

「……些か以上に、晴れがましく思います」

 

僅かな混乱に乗じてか、味方の散発的な砲撃も夾叉に持ち込めていたりと目覚ましい。

彼女の統制の下に放たれた一撃はただの一撃であることには変わりないが、戦術的な活性を産む一撃であることは確実だった。

 

「提督、私にはまだ余裕が有ります。混乱に乗じて再度進み、ピンポイントにもう一度砲火を集中しましょう」

 

褒められたことに気負ったのか、矢矧が語気を上げて次なるピンポイント砲撃を求める。

提督が座標を伝えて射角を調整し、矢矧が動かす。謂わば共同作業であるが故に、このピンポイント砲撃は一層曲芸めいていた。

 

提督に、この更なるピンポイント砲撃に対して異存はない。

しかし、あまり切り札は使いすぎるものではないという認識が、ある。

 

それに、ビスマルクがちらりと目配せしてきているあたり、何があるのだ。

 

『いや、序盤戦では一射で充分じゃないかな?』

 

「そう、ですか……」

 

『終盤にかけての決定力を得る為に、あれはとっておこうじゃないか』

 

しょぼーん、と言う擬音が似合う感じに萎んでしまった矢矧を励まし、『それでいい』とでも言うような顔をしているビスマルクに目配せする。

 

『ビスマルク、先程の微速後進の如く好きなように』

 

「Ihr Vergnügen」

 

ビスマルクに一任するとの声を掛け、一先ず提督は黙った。その後を引き継ぐような形で、彼女は前進させるべく指示を出した。

 

「震電改に爆撃機と雷撃機を含んだ三編隊を構成。駆逐艦は敵戦艦に二隻一組で肉薄、攻撃に当たること」

 

嘗て十八番とも言えた戦法に、これまで回避するくらいしか出番のなかった駆逐艦の意気が大いに上がる。

 

『ビスマルク』

 

「何かしら?」

 

『善く戦っているな。敵も、味方も』

 

慚減戦法の集中した右翼では、やはりと言うべきか敵が優勢。制空権も拮抗に近いが、押し切られることも考えられる。

中央部では、大本営直属の三艦隊が砲弾と魚雷、航空機の三種を活かして攻めまくっていた。

左翼部隊は、僅かに押しているのか、負けているのか。

 

「まあ、誰だって負けたくはないでしょう?」

 

『それはそうだ』

 

艦載機に意識のリソースを割かれている間に肉薄し、複数で取り囲んで大威力の魚雷で戦闘不能に追い込む。

駆逐艦の対処に注力すれば、頭上から爆弾が降ってくる。

 

ビスマルクと妙高型重巡洋艦による援護射撃も馬鹿にならず、じわじわと戦闘不能の艦が増えていた。

 

「機関部を破壊しなさい。敵戦力を潰して残り士気を上げるより、ご退場願った方が効率的よ」


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