提督と加賀 作:913
右翼方面は、押されているままにその『劣勢』を維持していた。
無論劣勢が続いてもよいこととは言えないが、潰走をはじめていない辺りはまだマシである。
何せ、パターン化された戦術・運動能力しか持たない、意思を一人に委ねられた二十四の艦艇と十二の決断力と柔軟な思考を持っている艦艇が足掻いているだけなのだ。
だからこそ、敵の戦力が集中している。
ここで、劣勢を維持できるのは大したものだと言えた。
中央部は現在、戦場に立つことで活発になった戦闘意欲を敵にぶつけ、新造正規空母たちを基幹とした機動部隊を後衛に、戦艦を基幹とした水上打撃部隊を敵に向かわせてこれに対処。ビスマルクや矢矧の予想よりも遥かに組織的且つ効率的に戦っていたのである。
攻めたり守ったりを繰り返すのではなく、敵旗艦に突っ込むように性急な攻めを掛けようとしているのが、僅かに心配の種ではあったが。
そして、左翼。
ここでは、轟沈艦よりも退避した艦が多いという異常事態が発生していた。
戦意の鈍い二個艦隊を側面の盾にし、時計の秒針を狂いなく手動で動かしていくような精密極まりない艦隊運動で火力を集中。
限られた物から最上の結果を叩き出さざるを得なかった敵の守りを貫く錐部隊の本領発揮である。
「そろそろ攻勢限界点に達します。どうしますか?」
「壁を作るように一斉砲火。艦載機で敵の足を止め、駆逐艦を収容」
現場において最も要求される『決断の速さ』を完璧に満たしながら、ビスマルクは矢矧に指示を下した。
矢矧が全艦にどう動くかを伝え、目標となる座標を伝える。
敵艦隊の猛烈な砲撃を紙一重としか言えない無駄のない小刻みな回避運動で避けながら、駆逐艦が敵艦隊を重巡洋艦の主砲の射程内へと引き寄せた。
向こうはビスマルク以外後方支援射撃のかなわない射程外に出て安心していたようだが、引き寄せられてはどうしようもない。
「Feuer!」
長射程の三十八センチ連装砲が唸りを上げ、水柱が敵の視界を塞ぐ。
それは予測の範疇だと言わんばかりに動じず、駆逐艦たちを仕留めに来る敵艦隊を一息遅れて降り注いだ 二十,三センチ(三号)連装砲から放たれた弾が直撃した。
敵は攻勢の臨界点にある。そう判断したからこその、謂わば見極める目があるだけ引っ掛かってしまったというあんまりな事態に、大和は素早く艦隊を退かせた。
空には、爆撃機と雷撃機が悠々と飛翔している。
制空権を握られた末に釣りに引っ掛かり、更には撃ち崩された陣形のままでいつの間にやら密集体型によって砲弾の雨を降らす準備を整えた敵に突っ込んでは今度こそ轟沈者がでるだろう。
「……それにしても、あれだけ掻き回してまだ整然と陣形を整え直すとは尋常ではありませんね」
『敵さんも、君だけには言われたくないだろうね』
矢矧の陣形構築と艦隊運動こそ、尋常ではない。誰もが彼女の賞賛の言葉に同じような感情を抱き、心の内でぼそりと呟いた。
実際に口に出したのは彼だけだが、その言葉に首を横に振ったり疑問を示す者は皆無といってよい。
「あとは、ヤマト、型?」
「はい。あれは恐らく大和です。確証はないけれど、そんな気がするの」
矢矧の艦歴は進水の遅さもあって後半の戦いから、つまり敗色が濃厚となった時期に生まれ、戦い、死んでいる。
後半の大規模作戦の殆どに参戦し、常に勇戦してきた彼女は、最期の戦いとなる菊水特攻作戦で大和に次ぐ大型艦であったため圧倒的多数のアメリカ軍を相手にすることになった。
最終的に合計魚雷六、七本・爆弾十、十一発を被弾。大和に先んずること十二分、姉妹艦と比べても異様に長く戦闘を継続した矢矧は二年と少しの生涯を終えたのである。
『顔馴染みか』
「はい。ですが、戦うからには全力でやります」
提督の語気に漂う心配そうな、彼女の身を慮るような言葉を自身を持って断ち切った。『矢矧』と、自分は違う。艦名を受け継ぎ、戦歴も確かに記憶にあるが、違うのだ。
そんな矢矧の気持ちを知ってか知らずか、提督は軽く軍帽を目深に引く。
顔馴染みで、かつてはともに戦った艦と、砲火を交える。彼女たちがそれに関してどういった気持ちを抱いているのかはわからないが、彼は己の業の深さを再確認した。
私欲だか大義だか何だかは知らないが、このようなことをみだりに起こすわけにはいかない。同士討ちなどは、この世で最も忌むべき行為でしかないのだから。
だがしかし、それが彼女らの生命に関わりのあることだったならば、どうか。
彼女らに自分たちのために立ってくれと言われたならば、どうか。
自分の身に危険が迫ろうが、それはまあ仕方がない。死にたくはないが、仕方がない。だが、彼女等はどうか。
上の人々が他者に無欲な献身を強制するのは勝手だが、押し付けられる方はたまったものではないのではないか。
提督の思考がしきりに勧められている反乱という事象に対して思考を巡らせているさなか、ビスマルクまでもが『お前が言うな』と言われるであろう台詞を吐いていた。
「まあ、とにかく。あのヤマトは強いのね。硬いし火力もあるしで、散々だわ」
「ビスマルク。大和も貴女にだけは言われたくないと思います」
「そうかしら?」
軽く頭を傾げ、思考を切り換え終えたビスマルクは帽子の鍔にさらりと手をやる。
大和の硬さと、敵艦隊の運動の巧さ。これら二つに加え、敵全体の練度の高さと予備戦力の豊富さ。計四個の敵の優秀な点が、自艦隊の進撃を阻んでいた。
このまま戦力の消耗がなく、集中力が続けばいずれは突破できるだろう。だがしかし、戦力も集中力も消耗していくし、矢矧の『時計の秒針を手動で刻むような』艦隊運動の巧妙さもその高水準が失われることは疑う余地もなかった。
「味方艦隊より入電です。『我の側面部を援護されることを望む』。どうなさいますか?」
「……なるほど」
左翼方面の戦いを戦意の寡少な第六・第七艦隊に任せ、もっとも勢いのある第八艦隊を攻勢を強めている中央部の援護に向かわせる。
中央部へ精鋭部隊を錐のように集中させ、一息に敵艦隊中央部を突破。無理矢理ぶち抜いて敵旗艦扶桑を轟沈さしめ、指揮系統をズタズタに引き裂いてしまおうというのが大体の作戦計画だった。
特に巧緻さがあるわけではない至ってシンプルな作戦なだけに、ビスマルクは余計な制約を負って戦わずに済む。色々と条件を付けられる方が、却ってその破壊力を削いでしまう。
「別に馬鹿にしていたわけではありませんが、大本営はもっと小煩いものだと思ってました」
『現場にいるときはそこそこ大らかなんだよ。役所に入ると政治家になってしまうけどね』
そもそも、今の大本営は艦娘が出てくる前の絶望的な戦況下で殆ど全滅した海軍の旧エリートの生き残りが占めている。平時の予算取りと政府への献金などのお役所勤めの為に小細工と力の平行性を好む傾向にあった。
故に『自分の描いた戦いの邪魔をされない為に』戦う前にこまごま口を出してきたり提案を一蹴したりするが、戦いに入ったならばそこそこ物分かりがよくなる。
あくまでも、自分が主導権を握っている間は、だが。
「私は拒む理由はないと思うけど、矢矧はどうなの?」
「同意します」
「いいんじゃない?」
副官とでも言うべき矢矧の同意と先鋒大将というべき足柄の同意を受け、ビスマルクは第六・第七艦隊に左翼を任せるとの電信を送った。
反応は芳しくなかったものの、一応の行動は示してくれたあたりもたせてくれはするだろう。動きの鈍さからどうにも信用はならないし、士気の低い軍隊が勝ったためしは無いということを考えれば頼りにもならないが、任せないことには動けもしない。
「Admiral。貴方は?」
『私はとうに前から戦術的判断は君に一任しているよ』
ビスマルクは、即断した。
敵左翼部隊と行っていた砲撃戦を取りやめ、砲門を閉じて迅速に後退。のろのろと出てくる第七艦隊にスイッチし、得意の紡錘陣形を以て前面に火力を集中。
押し込まれつつある敵艦隊中央部を樵が大木に切り込みを入れていくかの如き確実さで砲弾を叩きつけていく。
「第一艦隊に道を開いてやりなさい」
貴族的なプライドの高さと、騎士的な忠実さ。双方の美点を合わせたような彼女らしい号令が、黒煙と緋に彩られた戦場の空気を切り裂いた。
「Feuer!」
ピンポイント。敵の戦列を構成する為に必要不可欠な一戦隊に火力を集中し、その悉くを大破に追い込む。
本来ならばこの間隙を突いて乗り崩し、火力集中と欠損部分を起点にした半包囲で壊滅さしめるところだが、今それをやろうとすれば第一艦隊と隊列が入り混じることになるし、『手柄を奪った』という汚名を着せられかねない。
ここは、何もしない。というより、紡錘陣形の先端を敵側面に向け続けることこそが大本営の望むことだろうという予想が、彼女にはあった。
「次発装填、急ぎなさい」
獅子の勇敢さと、鷹の知恵。狼の如き俊敏さ。
敵に怯まない自信と、それに見合う実力。牙を必要以上に見せない賢さと、機を逃さない決断の速さ。
殆ど理想的な前線指揮官である彼女は、そこそこの配慮も施すことができるのである。
「全艦、突撃!」
複縦陣の丁度中央で指揮を執っている大淀の命令が隅々まで行き渡り、綺麗な艦列を維持したまま第一艦隊は前進した。
ピンポイント砲撃の威力とその技術的な難度に一時魅せられていたものの、そこに含まれた好意を見逃さないほど盲目でもない。
「敵艦隊を打ち崩します。砲火を敵旗艦に集中して下さい」
扶桑。改二と呼ばれる一種の到達点に達した初めての艦娘に、第一艦隊の砲火が集中する。
旗艦に砲火が集中することが日常茶飯事な第八艦隊とは違い、敵艦隊の旗艦は中央部に位置していた。大淀もそうだが、これはむしろ先頭に立って被弾上等な戦いをする方がおかしいのであって決して臆病ということではない。
本来撃沈されてはならない艦というのは、中央部で味方を盾にしつつ戦う。戦艦であれば味方の頭を越えて砲撃を行ってもいいし、航空母艦であれば艦載機を以て敵艦載機と戦わせたりしてもよい。軽巡であれば対空戦闘の士気を執ったりと、様々なことが中央部ではできる。
陣頭指揮というのは色々と大変且つ不便なところがあった。利点と言えば、視界が広がることと常に現状を見て判断を下せることであろう。
「ビスマルク。被弾状況は大丈夫なの?」
「三十二発。それがどうかした?」
そしらぬような顔で砲撃を放ち、砲弾を敵に喰らわせるとともに向かってきた砲弾を弾く。
極めて困難なことをなしながらも平然と会話できる辺りに、彼女の異常な強さが伺えた。旗艦というには戦闘的過ぎるが、その資格が充分にある。
『そろそろかな』
提督のつぶやきが、不吉な空気を纏っていた。