提督と加賀 作:913
「Admiral、何がそろそろなの?」
『それは、この戦場の帰趨が決するのが、だよ』
味方中央部を構成する第一(大本営)・第二(大本営)・第三(大本営)艦隊がぐいぐいと押していき、それに第九(一条)艦隊が続く。
左翼から来援した第八(北条)艦隊が敵中央部側面へ砲火を叩き込んで中央部の突撃を助け、第八(北条)艦隊が抜けた左翼は第六・第七艦隊が敵の減少した三個艦隊に圧されまくっていた。
右翼はじわじわと圧されて左翼と同じような地点まで―――と言うよりは、左翼が一息に右翼と同じような地点まで圧されているが、完全に潰走する前に敵旗艦・扶桑を撃沈すればこちらの勝ちであろう。
まあ両翼が完全に破壊され、包囲されたらほとんど負けが確定するが。
『こちらは戦術ホログラムを見てるからよくよくわかるが、両翼が完全に圧し込まれている。開戦から三時間、よく善戦してくれたと言えるが、こちらは包囲されかけだ。どれだけ善戦しようとも、素直に褒めるという訳にはいかないな』
「どうすればいいかしら?」
『咬まれた手を守るには手を引くでなく手を喉元に突っ込むべし。敵の左右両翼をあぎととすれば、中央部が喉だ。思いっきり突っ込んで吐かせてやればいい、が』
戦略的な見地を得やすいハードと、趣味である加賀との戦場シュミレーションで得た経験。
現場に於いて最良の指揮官である彼女には大局はわからないが、提督ならばそこそこわかるであろうという期待に、提督は可能な限り頭を使うことで応えた。
『手首を切り落とされてはどうにもならない』
「……後方に回り込む部隊が居る?」
『その通り。まあ、受け売りだけどね』
加賀が無表情且つ眼鏡と言うスパルタ先生風衣装で指し棒とホログラムを使用して戦略講座をしてくれたお陰もあり、提督もそこそこの戦略を知っている。
迂回部隊が居ると、この時点のホログラムを見ればわかるかもしれないが、加賀のように何も戦況が動かない内から予想することは不可能だった。
「……第九(一条)艦隊に連絡を取らないの?」
『取った。が、彼が対応しても退路を絶たれることには変わりないし、邀撃しても勝てる練度であるとは限らないからね。過大に期待しないとなると、時間稼ぎがいいところだろう』
最後衛に回されたということになると、練度が低いということになる。
練度が低いと言うことは経験も浅いということになるし、その戦力で敵艦隊の別働隊に勝てるとは思えない。
勝利の鍵を握る別働隊には当然原則として精強な艦隊が割り当てられるべきだし、何よりも那須隆治退役中将の元で有名をほしいままにした山城の姿が見えなかった。
「なら、私は前に進むことだけ考えればいい、ということ?」
『そうだね』
極めて単純に思考を切り替えたビスマルクの問いに答えつつ、提督は静かに瞼を閉じる。
索敵開始。
地形が、海抜が、魚が。艦艇が。
一度発動すればその全てが彼の異能たる索敵の網を逃れることは敵わない。
まあ、艦娘なのか深海棲艦なのかはわからないが、艦種や強さくらいならばわかる。
『……こいつは拙いな』
「今度は何が起こったの?」
『後方に回り込んでいるのとは違う、六隻からなる半個艦隊が大湊に移動した大本営に向かっている。編成は空母四隻に重巡一隻、雷巡一隻ってとこかな』
無論、大湊にも四個艦隊が待機していた。故に六隻如き心配はいらないのだろうが、どうにも胸騒ぎがしてならない。
しかし、此処で無理に撤退しようとすれば大きな被害が出るし、間に合わないだろう。
これが深海棲艦か、帰投中の一艦隊か、それとも那須隆治退役中将の配下の艦娘か。
それがわからない以上、迂闊な手を打つわけにもいかなかった。
「練度は?」
『……九十代後半。全部、な』
妙に神妙な提督の声が、さらに危機感を煽る。
が、ビスマルクは編成と練度に疑問を抱いた。
山城の姿が見えないならば、彼女はどこに居るのか。いや、まだ提督に聞いていない後方に回り込んでいる艦隊に居るならばいい。
だが、練度が九十代後半というのはどうにも解せない。慢心ではないが、北条艦隊にしか練度九十代を超えた航空母艦は居ないはずである。
しかも、四隻。これはどう考えてもおかしい。
「その半個艦隊は深海棲艦、後ろに回り込んでいるのは那須隆治退役中将の別働隊、じゃないかしら」
『……ふーん、まあいいさ。どっちにしろやることは変わらない』
前を突破し、旗艦を轟沈さしめる。義はあちらにあるが、だからと言って負けて差し上げるわけにもいかなかった。
『敵中央部F7地点に砲撃を集中。なるべく正確に、効率的にだ』
「そこが一番脆いのかしら?」
『そうだ。少なくともそう見えるだろう?』
「確かに」
損傷艦と小型艦が多い。しかも、後続の一艦隊との紐帯となっている。
先のピンポイント砲撃で切られた紐帯を結び直したのは見事だが、それが更に粗を生んでいた。
「全艦砲撃用意、F7地点」
「暁は一番主砲の射角を十度、右に五度回頭。雷は二番主砲の射角を七度調整して九度回頭、足柄は出過ぎ。G4地点まで下がりなさい」
その後も滔々と続く指示と電信を受け、艦隊がさらさらと綻びを糺す。敵からすれば、やっとのことで生じさせられた綻びが数分足らずで補修されたわけである。
それにかかった計算は馬鹿にならないが、それで生ずる鉄壁さも馬鹿にはならない。
「今のところは波は凪いでいるからいいけれど、波が荒れ始めたら射角は各自調整。流れに沿って回頭指示を下します」
一斉攻撃と目標の変更の度に、一々こんなことをしている矢矧の苦労と疲労は押して知れた。
軽くこめかみに指を当てながら自らも主砲の射角をこまめに調整し、矢矧はその後もこまごま指示を下す。
遠いならば電信、近いければ口。判断・計算・打ち込みの速さの三種が揃った彼女に砲撃の恐ろしいまでの命中率は非常に大きなところを依存していた。
「攻撃体制、完了しました」
三分足らずで艦隊の再編成と目標に対して命中させるような―――即ち敵艦隊の数分後の位置に当たるような射角と艦の位置の修正を終え、矢矧は遂に口を噤む。
喋り疲れたとも言えるし、体力が払底し始めたとも言えるだろう。
だがそれは、非常に無理からぬことだった。
「撃ち崩しなさい!」
彼女の苦労を重々承知しているビスマルクは、適切なタイミングを見極めて斉射の指示を下す。
射程と、敵の意識の緩急。無闇やたらにしかけても勝てないし、数を撃ち込めば勝てるわけでもない。
「Feuer!」
戦局の停滞を切り裂くような鋭利な声が砲弾の雨となって降り注ぎ、八割が敵の艤装とバリアを叩いた。
叩いたと言っても、最早そんな生やさしい状況ではない。あるものは艤装を砕き、バリアごと艤装を抉る。
発射から着弾にかかるラグと、前方の第一艦隊からの砲火が収まり、油断するタイミングが物の見事に組み合ったからこその大戦果だった。
「次発装填。各自着弾観測射撃で撃ち減らした敵を確実に仕留め、敵艦隊の腹に楔を打ち込むのよ」
最早機関部やなにやらを狙い、曳航させて戦力を減らすような遠大な戦術を取っているわけにはいかない。一刻も早く敵艦隊の艦列を乱したのちに楔を打ち込み、そこから敵旗艦を狙って降伏さしめるしか勝筋がないのである。
「旗艦には砲撃を集中せず、随伴艦を確実に打ち減らすの」
「何故旗艦を狙わないの?」
「矢矧、貴女はAdmiralが戦場で討たれたらやすやすと降伏の道を選ぶのかしら?」
矢矧は、一瞬で納得したような風を見せて一つ静かに頷いた。
少なくともその場で即座に降伏はしない。殺した相手をむりやりにでも道連れにし、生き残れても鎮守府に帰って殉死がいいところだろう。
ビスマルクや木曾辺りも殉死タイプだが、加賀や鈴谷は叛逆タイプか。どちらにせよ、やられるのは極めて厄介だった。
「殺したらこちらが危ない、と?」
「そう。そして、大本営直轄の三個艦隊はそれを理解していない。当たり前なことだけれど、彼たちは制度に従っているのだから」
国という枠組みに従っている大本営に従っている。
つまり、大本営の首がすげ変わろうとなんら暴動や叛乱を起こすことはないし、死んでも『ご愁傷様です』くらいなものだった。
だからこそ、彼女たちにはわからない。個人に忠誠を誓っている者を相手にする時の厄介さが。
「私たちは、『人と艦娘の共存』という理想を体現してくれた彼に忠誠を誓っている。制度や理念、理想に忠誠を誓っている訳ではないわ。だからこそ、見えるものもあるし見えないものある」
「なるほど」
つまり、扶桑を轟沈させてはならない。敵もまた、ビスマルクを轟沈させてはならない。
程々に削り、あと一撃に追い込んで『お前が死ぬのはいい。彼女を道連れにするのか?』という形で退却或いは降伏に追い込む。これが死兵を作り出さないための、迂遠ながら犠牲の少ない方法だった。
「勝つ気は、あるの?」
「負けたくは、ないわね。敵が誰であれ、負けは楽しいものではないもの。
それに、まだまだ弾薬も、燃料もある。時間はないけど、尽きたわけではない。味方も小破すらしていないのだから、全力を尽くせば勝てる。そうでしょう?」
『勝ち目を絞られ、負けの目が濃いがそれでも勝つ気はあるか』
そう問うた矢矧に一寸の迷いもなく勝ち気そのものな答えを返し、ビスマルクは不敵に笑う。
完全包囲までの僅かな時間に活路を見出した第八艦隊の、猛反撃が幕を開けた。