提督と加賀   作:913

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三十九話

ビスマルクを先頭に、足柄を次鋒にした猛攻は、味方中央部の援護―――もとい主攻も有り、概ねうまく運んでいた。

 

「残り燃料は三割、弾薬も三割。全部叩きつければ勝てなくもない、かしら?」

 

「目前の艦を追い込めばいいのだから、勝てなくもないはずだけど……」

 

矢矧はちらりと後方を振り返り、軽く首を振って視線を戻す。

自分たちが今更後方に向かい、繞回・包囲してくる敵部隊を防ぐわけにもいかない。

 

進むしかないが、進み続けるには後方に不安が残っていた。

 

そんな不安とは裏腹に、統一された砲撃指揮は敵艦隊を斜めに切り裂き、更にそこから傷口を広げつつある。

ビスマルクたち第八艦隊は、多少心中に不安からなる迷いという蟠りを抱えていても何とかなる程度の練度と技能を持っていた。

 

駆逐艦の雷撃を中軸に据えた近接戦闘と、艦載機による精密爆撃。

それによってもたらされたは、この艦隊一の長射程を誇るビスマルクの主砲が遂に一旦後退した敵旗艦たる扶桑の姿を捉える。

 

提督が声を上げたのは、その時だった。

 

『無線を傍受した。大本営直属艦隊が退く、らしい』

 

「どういうこと?」

 

『さあ。我々をここで捨て石にするかで大淀と大本営では相当やりあっているみたいだけど、何かがあったんじゃない?』

 

無線、索敵、敵弾の予測。

 

艦娘の性能を向上させる異能が主な提督において、唯一と言っていい自己完結の異能を持っている提督は、基本的に自分から電波を拾ったり索敵をしたりと忙しい。

 

今回も、その行動の最中で偶然拾ったものらしかった。

 

「捨て石って……腐ってるわね」

 

戦線維持と艦隊行動の円滑化に腐心していた矢矧は、舌打ちと共に大本営の行動を嘆く。

吐き捨てるように言っただけな為、外部に回線を繋げていた提督と隣に居たビスマルクにしか聴こえていないのは幸いだった。

 

回線に乗せてしまったいたら、確実に士気が下がっていただろう。

 

『そう言いなさんな、矢矧さん。俺もまあ、自分の艦隊と他人の艦隊だったら迷わず自分の艦隊を選んじゃうような人間なんだしさ』

 

個人回線を矢矧に繋ぎ、提督は『誰でもそうだよ』という論法で説き伏せにかかった。

軍閥化を厭われている現状、不満を溶かしていかねば割と取り返しがつかないことになる。

 

そのくらいの政治的センスは、彼にもあった。

 

「……すみません。軽率でした」

 

『うん。で、ビスマルク。打開策は?』

 

「敵の戦略的な行動は、後方に回っての包囲殲滅、よね?」

 

『じゃないかな。よくわからないけども』

 

加賀に『当たり前のように勝ち、当たり前のように敗ける』と評された提督の戦術眼などは大したものではなく、経験でしかない。

それを自覚しているからこそ、正規教育を受けている艦娘に任せているようなところがあるのであろう。

 

「なら、後方に回ってくる艦隊は大本営の三個艦隊に任せ、我々は前進。敵を食い止めつつ追撃を絶ち、後は退くことにするわ」

 

『わかった。だけど、大本営が戦うかな?』

 

「敵は、何に対して反乱を起こしたの?」

 

なるほど、と提督は頷いた。

反乱を起こした那須元提督は、所謂良識派。自分も所謂良識派。

 

彼もその辺りはわかっているだろう。だからこそ、その酷使の仕方すらも酷い大本営に対して反旗を翻したのだ。

 

『未来の味方となり得る勢力には、恩を売りたい。だが、おおっぴらに売ってはこちらの首が危うい。程々に戦って、退いてくれるわけか』

 

「Genau」

 

その通り、と流暢なドイツ語で述べたビスマルクの提案を完全に理解し、提督は口を挟んだことを詫びつつ己の職分に戻った。

軍事的な玄人として育成された艦娘に余計な口を挟み、作戦を歪な物にして敗死してしまった同僚の、なんと多いことか。

 

自分のやれる範囲だけをやる、というのは彼の習性にすらなっていた。

 

「では、敵の頭を抑えるわよ」

 

「了解」

 

血気盛んに戦い続けていた足柄も、無線でのすったもんだの末に『これからのより激しい戦闘の為に』と受け入れる。

 

攻撃態勢から横への移動態勢へと、矢矧の手によって素早く姿を変えた艦隊は、散発的に来る敵弾を整然と避けながら敵の頭に出る事に成功していた。

 

『入電』

 

「あら、クリスマスパーティーの招待状でも届いた?」

 

苦戦と言っていい戦のさなかだからこそ、と言わんばかりに余裕の笑みを見せつける彼女に、提督は苦笑しつつその冗談を返した。

 

『残念ながら、今年は身内だけでだよ、ビスマルク。無線はまあ、退くから殿はよろしく、と言った体のものさ』

 

自分たちが殿を務めることを全艦に行き渡らせるべく、移動中の第八艦隊(北条)に所属する艦娘全員に回線が繋がれる。

 

誰もがもはや返す言葉も見つからず、或いは返す気すら失せていく中、隼鷹がお気楽そうな体を崩さずにポツリとこぼした。

 

「飛鷹、今まで無断で置いていかれたことを考えれば、これは大きな一歩だと思わない?」

 

当然ながら、提督の艦隊には割りと地獄を見てきた面子が多い。

それを逆手に取ったポジティブシンキングには笑うしかなく、暫くの間回線は含み笑いで満ちた。

 

笑うしかない、と言うマイナスの感情よりも、隼鷹のおどけたような口調に負の感情がほだされたという艦娘が多い。元来、彼女等は性善説の住人なのである。

 

「そうね、隼鷹」

 

少しムッとしていた飛鷹も、他の艦娘も笑顔になったところで、ビスマルクが矢矧に目配せした。

 

この時、矢矧は士気回復のために意識的に統一速度を低下させている。

その低下分を、ビスマルクの目配せで元に戻した。

 

もうやるべきことはやり切り、あとは殿を務めるだけだと言う自覚がある。

 

「さあ、進歩を見せてくれた大本営が持つ艦隊を救ってやりましょうか」

 

白磁の肌。

そう形容して何ら問題のない肌を見せながら、ビスマルクはスッと手を掲げた。

 

「全艦突撃!」

 

退きはじめた大本営艦隊の後部に喰い付こうとしていた敵艦を一斉射撃で怯ませ、そのまま敵艦隊の頭を抑える。

 

頭を無理矢理に抑えつけ、那須艦隊の前進を阻んでいる形になっているが故に、ビスマルクへ降り注ぐ砲火は尋常なものではない。

 

まだ穴開きだらけの戦線を支え続けていた南部・一条の両艦隊に撤退することを、提督は勧めた。

と言うよりも、全体の兵力の殆どが大本営の三個艦隊が離脱してしまったが為に逃げている。

 

もはや、勝ち目は無かった。

 

『本艦は味方の最後衛に付き、一条・南部両艦隊の撤退を掩護する。ビスマルク、付き合ってくれるかい?』

 

「当たり前、よ。あなたはそういう人だもの」

 

最後衛と言っては安全そうだが、実質最前線である。

それだけに、降り注ぐ砲火も熾烈を極めた。

 

『ビスマルク。砲撃が来るぞ。十一時方向。右舷方向に回避することを勧める』

 

「人気者は辛いわね」

 

『全くだ』

 

バリアと言うべき防御装甲を削られることなく完全に回避することに成功し、ビスマルクはボソリと感想を述べた。

凄まじい数の砲弾が、彼女には降り注いでいる。

 

『あ、右舷から雷撃。前進して対処。その後は左舷方向からの砲撃が予想されるから、バリアを厚くしておいてくれ』

 

「了解。情報は共有させた?」

 

『勿論』

 

ビスマルクが避けて、後続にあたっては元も子もない。

その辺りを共有させ、全艦を統率するのは矢矧の役目である。

 

「今のは、事前にわかっていなければ雷撃に対処するのは難しかったわ。ありがとう」

 

『いや、こちらこそ避けてくれてありがとう。って、また来るぞ。二時方向。左舷に避けてくれ』

 

ひょいひょいと避け、傷を防ぐ。

その様な曲芸じみた回避運動も、そう長くは保たないことは重々承知していた。

 

例によって例のごとく、提督は座乗艦共々己の命を艦娘の撤退の為に矢面に晒している。

 

ビスマルクもこの癖には慣れているだけに、『死ぬかも知れない』と思うよりも、『この人の元に帰ってきた』という感慨の方が先に来た。

 

『苦労をかける。本当に』

 

「苦労だと思っているなら、乗せてないわ」

 

『そうかね。君は優しいから、無理しているという可能性もあるんじゃないの?』

 

「怒るわよ。そういう指揮官を乗せて戦えるのは、私としては本望なの」

 

どう足掻こうが、自分は艦娘という存在を盾にして戦っていることに変わりはない。

エゴではないか、と思うこともある。というよりも、思わない方が珍しい。

 

それだけに、ビスマルクは自分の気持ちをストレートに表現し続けねばならなかった。

 

自慢の主砲の一斉射撃で敵戦艦と重巡二隻を大破に追い込み、ビスマルクはやっと一息つく。

殿の最後衛は、疲れる。回避に関しては提督がアシストしてくれているからまだまだバリアに余裕もあるが、本来ならばこうも避け続けることは難しい筈なのだ。

 

『疲れた?』

 

「Admiralは?」

 

『そりゃまあ、君には負けるけど疲れたよ』

 

異能を使うにも、体力が要る。

実際に砲撃や雷撃に直面し、指揮までこなしているビスマルクと仕事量は違えど、消耗は似たようなものだった。

 

敵の追撃の弱まりを感じながら回線を繋げて話しているビスマルクの元に、隼鷹からの回線が入る。

もう既にこの時点で嫌な予感しかしないが、楽観にかまけて現実を無視するわけにもいかない。

 

ビスマルクは、回線を繋いだ。

 

「あー、こいつはヤバイんじゃないかな」

 

「どうしたの?」

 

後方を中心にしているものの、全方向を警戒するべく艦載機を放っていた隼鷹が焦りの声を上げるということは、何かがあった。

 

提督がビスマルクに雨霰と降り注ぐ敵の攻撃の察知に全力を傾けている為に、仕事が増えた隼鷹は一時的に航空戦から離脱し、現在の空は飛鷹が一手に支えている。

 

ビスマルクのあくまで余裕、と言ったプライドが高そうな面持ちは、本心からのものではない。

あくまで指揮官としての仮面であり、旗艦としての仮面である。

 

迂闊に動揺や怯みを見せてはいけないと言うことを、この聡い艦娘は知っていた。

 

『後方で敵艦載機群を発見。新型だよ』

 

「新型、と言うことは深海棲艦?」

 

『それも、恐らくは姫級を含む二、三隻の空母機動部隊だろうね。こっちには来てないみたいだし、見つかってもかかってこられなかったけど……どうする?』

 

「隼鷹は偵察機で敵の確認を。矢矧は大本営直属艦隊の大淀に電信、『我、後方ニ敵深海棲艦ヲ発見セリ。編成ハ不明ナレド、空母三隻ハ確実ナリ』、と」

 

「了解」

 

恐らく敵の一艦隊が迂回しており、敵の艦載機群が本土目掛けて一直線に迫っている。

この状況下で戦える程、ビスマルクは無謀な決断を下すことはできなかった。

 

と言うよりも、大本営はその有能さでこれを掴んだからこそ己の艦隊を退かせたのではないか。本土が目的だった場合、到底間に合うとは思えないが。

 

「二連斉射して、徐々に後退。索敵を密にして横浜に寄港、補給を受けてから比島へ撤退……で、いい?」

 

『現場の指揮は君に任せてある。良い様に計らってくれ』

 

思ったより酷いものではない。少なくとも、自分たちにとっては。

 

怜悧な取捨選択を行いつつ、ビスマルクは艦隊を率いて殿の任を完遂させた。


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