提督と加賀   作:913

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四十二話

「……」

 

食休みの時間にかこつけて、加賀はベッドを背もたれにして提督の隣に腰掛けていた。

青い袴のようなスカートと黒いニーソックスで艶めかしい白い肌は殆ど見えず、黒い胸当てが白い道着めいた服の胸部を押さえつけている。

 

提督の視線は彼女に向けられておらず、わざと逸らしたかのように明後日の方角を向いていた。

 

食休みというのも本当だが、加賀の手は忙しなく動いている。彼女はボードを下敷き代わりにし、仕事を黙々とこなしているのだ。

 

提督を隣においていくとやる気がもくもくと湧いてきて、結果作業効率が増す彼女であるが、その物理的な距離が近ければ近いほどにその効果は高かった。

 

もう既に加賀は、一日にこなす書類の三分の一を終わらせている。

 

敏腕な秘書艦であり、自分を使えば得がありますよ、ということを隣に座っている提督に示す絶好のチャンスなのだ。

 

「……あ」

 

右肩に重みが掛かり、動かしていたペンが僅かにブレる。

機械で打ったように綺麗で、ある意味味気ない文字が若干の人間味を帯び、加賀の口から思わずと言った体で驚きがこぼれた。

 

基本的に仕事の邪魔になるようなちょっかいはかけない提督らしからぬちょっかいだな、と加賀は僅かにむくれつつ横を向く。

 

そのむくれ顔を提督が見ていたら少しの罪悪感と共に、あまりの可愛さに鞭打たれていたであろうが、彼の意識は既に無かった。

 

要は、寝ていたのである。

 

「…………提督、寝てるの?」

 

当然、返答はない。目を安心しきったかのように瞑り、彼は加賀の肩に凭れるようにして静かに寝息を立てていた。

 

加賀の身体は、温かい。元となった艦艇からして焼き鳥製造機という渾名を持っているのでその所為かもしれないが、彼女は常にほかほかと温かく、体温が上がりやすい。

 

その温さが肩から伝わり、ふわりとしていい匂いとカリカリと言う一定のリズムを刻むペンと紙を子守唄にして寝てしまったのである。

 

「私の仕事を、見て欲しかったのだけれど……仕方ないわね」

 

と言うより、自分を見て欲しい。

真面目に働き、役に立つところを見て欲しかった。

側に置いて欲しいという加賀の思いは、ビスマルクと言う強力な対抗馬が来てから日に日に増してきている。

 

「私ね、提督。あなたのことを愛しているわ。あの時以来、本当に、愛しているの。だから、一緒にいて欲しい。私を、見て欲しいの」

 

前は自分の前でこのように寝ることなどなかった。

彼は艦娘を恐れ憚り、自分は彼を嫌っていた。

 

「……あなたが寝ているなら、言えるのに、私は一歩が踏み出せない」

 

怖い。

心の底から、彼から拒絶されるのが怖い。嘗て自分がしたことをわかっているだけに、加賀の懊悩は深いのだ。

 

見棄てられて、手の平を返されて。それでも戦っても、報われなくて。

戦う目的を見失って、でも戦って、結局憎しみが勝つ。

 

そうして、自分たちは提督を疎外した。

 

それを彼は許してくれたとはいえ、償えたとは思っていない。

更には許していないかもしれないと、時々思う。

 

形而上を取り繕うことは、誰にでもできるのだから。

 

「……好きに、なっていいのかしら」

 

その資格すらないのかもしれない。一旦勝手に嫌って、勝手に好きになる。そんなことが、許されるのか。

 

だがもう、好きなのだ。心の底から、愛してしまっている。

 

彼の為に生きることが愛することなら、死ぬこともまた愛の一形態であるということはわかっていた。

 

「…………あなたの、心が知りたいわ」

 

正面に回り、思ったよりも固い胸に手をやる。

トクン、トクン、と。ゆっくり生を刻んでいる彼の心臓の鼓動が、手を通して伝わってきていた。

 

生きろと、言われた。頬を叩かれて、呆然としている合間に抱き締められて。

骨が軋み、痛む程の抱擁と、提督らしからぬ珍しい激しい感情の爆発と共に、自分は生きろと言われた。

 

命令は、更新されるべきだろう。

 

「命令、して」

 

命令してくれたら、自分はきっと何でもする。生きるも死ぬも、それに託せる。

 

人では無く、兵器として生きれば、楽で良かった。だが、人に好かれたいならば、人で居なければならない。

 

「…………」

 

規則正しい寝息を立てている提督の身体を引っ張り、膝に乗せる。

提督は、何故か自分の大腿部をジッーと見つめることがかなり多い。胸とどっこいどっこい、と言ったところだろう。

 

だから、たぶんこれも喜んでくれるはずだった。

 

「…………仕事、しましょうか」

 

ポツリと呟き、仕事に取り掛かる。

加賀さん加賀さんと、いつもうるさいほどに話し掛けてくれる提督が寝てしまって、その一室は沈黙に包まれていた。

 

元々多弁な方ではない加賀は、仕事をやると決めたらひたすらそれに打ち込む。

どうにも集中力に欠ける提督は一時間に一度会話を挟まなければやっていけないようだが、加賀はひたすらに打ち込むことができた。

 

結果として、加賀は提督と共に仕事をこなしている時よりも遥かに速い速度で、仕事を終える。

そして。

 

「……ん?」

 

「おはようございます。もう昼だけれど、よく寝られたようで何よりです」

 

極めて平坦な発声に、『いい御身分ですね』と似通うような何かを感じ取った提督は、加賀の柔らかな太腿から頭を上げた。

 

「ごめん」

 

「……責めては、いないのだけれど」

 

「え、そうなの?」

 

「はい」

 

加賀を好きだと思っているが、殆ど同等レベルで恐れている提督からすれば、加賀の機嫌を損ねたくはない。

物理的にも怖いし、精神的にも怖かった。

 

「?」

 

「い、いや。何でもありません」

 

冷徹な美人は、いい。

だけど、怖い。

 

割りと臆病者な提督は、冷蔵庫から水が入ったペットボトルを取り出して喉を潤しつつ、ぼんやりと思考を巡らせる。

加賀の膝枕で寝たせいか、物凄く深く眠れた。最近どうにも眠りが浅いこともあり、提督はこのことに関しては嬉しかった。

 

「提督は、最近眠れていますか?」

 

「いや、あんまり。でも今はよく眠れたし、今朝もよく眠れたよ」

 

加賀の側に居ると眠れるのか、加賀の柔らかさを肌で感じると眠れるのか。

どちらなのかはわからないが、提督はそのように予測していた。

 

「……また、眠りますか?」

 

「うーん」

 

悩ましい。

加賀は、女である。香水や何やらを付けすぎた甘ったるい匂いがしないのに、ふわりと身体の芯から薫っているような香気がある。

 

落ち着くようで、そうではない。物質として見れば落ち着く匂いだが、それに体温と柔らかみが付属すれば、それは却って劣情を煽るものとなっていた。

 

提督も、男である。女ばかりの鎮守府で、悩ましい思いをしたことが一度もなく、何かを契機に一気に無防備になった彼女を抱きたい、と思ったことも一度や二度ではない。

 

女を知らないから手をこまねいているが、間違いを起こしそうになることもあると、彼は自分を洞察していた。

 

「加賀さんの側となると、どうもね」

 

「……落ち着かない、かしら」

 

「いや、加賀さんは美人さんだからさ。側に居るとこう、間違いが起きちゃうかもしれないし」

 

何故か凹んだような加賀に、慌てて釈明する。

誰だって、向けた善意を蔑ろにされればムッとするだろう。その辺り、加賀も同じらしかった。

 

もっとも、それは提督の思い違いでしかないのだが。

 

「ただの枕とは、思えないの?」

 

「物扱いは嫌だ」

 

「それはそうだけれど」

 

一応、自分たちがカテゴリとしては生物型の兵器にあたることは、加賀も知っている。

 

刀槍、有人兵器、無人兵器、生物型兵器。

 

人間の武器は年々進歩していた。大国同士の戦争が収まっていたから配備は最小限になっていたものの、生物型兵器も開発途上にあったのだ。

 

何の利益を上げるわけでもないから、その研究は微々たる物であったし、まだまだ船には人が僅かながら乗り込んでいたが、乗組員は基本的に機械化されている。

 

第二世代の兵器が第四世代となって転生した形、とも言えた。

 

「少しくらい、いいと思うわ。普段はそう扱わないのだから」

 

「少しくらい、少しくらいと迫られて、ガバッ、だよ。加賀さん」

 

「?」

 

恋はしているものの、軍事的な教育と一般常識しか教えられていない加賀には、恋愛という欲求への実体験がない。

ふわっふわした妄想に近い想像だけで、加賀は恋愛というものを想像していた。

 

故に、そういう方面には詳しくないが何故か手口だけは知っている提督の話が理解できない。

 

何が少しくらいなのか、そしてガバッとは何なのか。その辺りを、加賀は想像に頼るしかなかった。

 

(『少しくらい側に居たい』から派生して『少しくらい手を繋いでも罰は当たらない』から派生して、更に『ガバッと抱き締められる』、ということかしら)

 

完全に己の思考に一致している。

 

加賀はそう思ったが、と言うよりも自分の思考に合わせるより他にないのだ。

知識に乏しく、経験に貧しいのだから、当然であろう。

 

「……提督なら」

 

「はい?」

 

「ガバッてして、いいわ」

 

背丈の都合上、自然と上目遣いになる。

その破壊力に思わず鼻を抑えた提督は、思いっ切り後ずさった。

 

最愛の女性を、自分には相応しくないから誰かに取られていい、と真面目に考えてしまう彼は、まごうことなきヘタレである。

 

そのヘタレっぷりが、この近年稀に見る押し倒しチャンスにも遺憾なく発揮されていた。

 

「嫌?」

 

「い、嫌と言うより、何で?」

 

「…………提督だから、かしら」

 

加賀が膝を一歩進めると、サラシで縛っていてもそれとわかる豊かな胸部装甲が僅かに揺れる。

思わず生唾を呑みこみながら、提督は三歩ほど後ろに下がった。

 

「か、加賀さん」

 

「何?」

 

「上司はこう、もれなく部下にそういうことを強いる存在じゃないんだよ。信じられないかもしれないけどさ」

 

それほど酷いセクハラはしてきていないつもりの提督としては、自身の行いよりも、殆どがあの世や牢に行ってしまった嘗ての同僚を思い浮かべずにはいられない。

 

加賀という同一の艦娘に手を出していた同僚も居ることを加味し、提督は敢えてこのような表現を用いている。

嫌悪感とか幸福感と言うものは、どうやら同一の艦娘の中で微々たる物だとはいえ、共有されるようなのだ。

 

「信じているし、わかっています。だから、提督ならいいと」

 

「いやいやいや、それ、はぁ!?」

 

開けっ放しのドアから廊下に出ようとし、何でもない段差に引っ掛かる。

引っ掛かった時点で言葉が途切れ、そのまま彼は後頭部を強打した。

 

ガン、と言う衝撃と共に、意識が飛ぶ。

最後に見たのは、加賀の驚いたような顔だった。


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