提督と加賀   作:913

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四十三話

ぼんやりと、輪郭が浮かぶ。

琥珀の目と、烏のように黒い髪。

 

怜悧な印象を受けるその相貌を、提督は確かに見たことがあった。

ちょうど、この角度で。

この、ふわりと香るような匂いが顔の周りにあって。

 

「……加賀さん」

 

「提督、気づいたのね」

 

心なしか嬉しそうな加賀の言葉を遮ったのは、提督の如何にも訝しげな表情。

彼は、己の記憶の海に意識を埋没させていた。

 

「……ねぇ」

 

「何?」

 

いつになく真面目な声色に、きゅっと身が引き締まる。

ぐっ、と掴まれた手が温かく、加賀は思わず目を逸らした。

 

「違う。こっち向いて」

 

「は、はい」

 

嫌だ、と言うほど反抗的ではない。と言うよりも犬のように従順な質の加賀は、恥ずかしさを堪えて提督の疑念と誰何の念が混ざったような瞳を見つめ返した。

 

「―――加賀さんってさ、そうはホイホイ居るような美人じゃないわけよ」

 

「同型の艦であれば、複数存在しますが……」

 

「いや、艦娘としてじゃなく、人間として。人がここまで完全な美人顔ってのは、なかなか無いと思うんだ」

 

無造作に手を頬にやり、撫でる。

普段のヘタレっぷりとは裏腹に、提督は真面目な態度とブレない視線で、加賀に静かに向けていた。

 

「……どこかで、会ったことないかな」

 

「会ったこと、ですか」

 

「そう。あの場所で提督見習いと秘書艦として、会う前に。会ったことないかな。こんな形で。

こうして気絶したところを、加賀さんが助けてくれた気がするんだよ。覚え、ないかな」

 

加賀の記憶は、いきなりはじまる。

幼い頃の記憶は忘れているから断片的に思い起こすことができるということはなく、いきなり精密な風景が浮かぶのだ。

 

気がついたら横須賀の海に居て、キラキラと海が光っていた。

人間が居て、こちらを指差していて。

 

それで自分は艦娘として分類され、横須賀の仮設鎮守府に連行され、軍学校の特殊施設に入れられた。

そこで二年ほど学び、提督と会ったのである。

 

実質的に、彼女に自由行動の権利はなかった。

 

「無いと、思います」

 

「本当に?」

 

明らかな確信を孕んだ疑いに、加賀は思わず怯む。

普段は布で包んだような感情表現しかしないくせに、今回はいやに鋭利さが際立つ。

 

その変化に対する不安が、先に立っていた。

 

「ごめんなさい。本当に、心当たりがないの」

 

「そうか……」

 

役立たず、と言われるかと思いきや、意外にも提督はそのまま押し黙る。

鋭利さと言うものが、徐々に鞘に収まっていくような印象を受けた。

 

「提督」

 

「ん?」

 

「役に立てなくて、ごめんなさい」

 

「あ、いや。気にしなくていいよ。何かこう、猛烈な既視感がしただけだから」

 

いつも基本的に笑ってくれている彼の表情が曇ったことに、加賀は胸が痛むのを感じた。

 

劣悪な環境で歪んでしまったとはいえ、彼女は元々『性善説を具現化したような善良さ』を持つ艦娘という種族の一人である。

本質的には、彼女は優しくしようと思えるものには優しかった。

 

「思い出すように、頑張ります」

 

「あ、いや、バカの戯言だと思って聞き流してくれていいのよ、ホント」

 

犬であれば消沈して尻尾が垂れているような加賀を励ましつつ、提督は脚を組んで壁に凭れる。

 

加賀に似た恩人だと、思っていたことがある。

だが、あれほどまでにダブったのは初めてだった。今までは、似てるっちゃ似てる、程度なものだった。

 

(あの娘は、何だったのやら)

 

あまり憶えていない、というのが正直なことである。

と言うよりも、平和な世界という常識が現実をむりやり見せつける形で叩き壊された時だっただけに、あの燃える街以外あまり憶えていないのだ。

 

そのことを話題にすると加賀が肩身の狭いような反応をする為、彼はあまり話題に上らせない。

しかし、加賀に似ているということが何かを示しているような予感がある。

 

「……あの」

 

「あぁ、うん?」

 

「私、出会った時はどんな感じでしたか?」

 

「真面目な感じ」

 

キビキビしていて、提督の不慣れな仕事ぶりに愚痴をこぼすことなく支えてくれた。

まあ、戦場に出ることができずにひたすら演習、という状況に追い込まれるにあたって少し不満を漏らしたりはしていたのだが。

 

「……それから?」

 

「それからはまあ、うん。人が嫌いになったっぽかったような」

 

「今も、そうだけれど」

 

変化とは言えない、ということを暗に示そうとした加賀の言葉に一つ首を横に振り、提督は自分に対する変化を一つ上げた。

 

「前はよく下賤な豚が人の姿をしているのを見るような視線を浴びせかけてくれてたのに、今じゃすっかりいい子になっちゃって、ねぇ」

 

下賤な豚、というあたりで、加賀は肩をびくりと上下させた。

実際、そんなような目で見ていた自覚がある。

 

なにせ、人間が嫌いだったのだ。

 

「…………そこまでではないけれど」

 

「豚くらいには思ってた?」

 

「……」

 

素直に、加賀はこくりと頷いた。

良くも悪くも信頼する存在には素直なところが、加賀という犬系艦娘の美点でもあり欠点でもある。

 

美人に蔑まれることに不覚ながら興奮を禁じえない提督は、これに対して『あの頃もよかったなぁ』などと思いを馳せていたが、加賀のいたたまれなさは積もる一方だった。

 

嫌いなものはとことん嫌い、好きなものはとことん好き。

好悪の情が激しいという自覚があるだけに、『職務上の上司』という不干渉な関係から『見捨てた一員』を経て『愛する人』となった提督は、このジェットコースターを経験している。

 

加賀としては、過去の自分を殴り殺してやりたい。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言うのは、ある意味真理だとよくわかる己の過去を見せられ、加賀は地味に黄昏れていた。

 

「今も豚?」

 

「今は、その」

 

信頼する上司で、愛する人。

後は、飼い主とでも言うのか。ストッパーとでも言うのか。首輪とリードを握ってくれている存在であろう。

 

ともすれば嫌いな奴を徹底的に、影に日向に攻撃し、叩きのめしてしまいがちな加賀の攻撃的な性格を鈍化させているのが彼だった。

 

それが吉と出るか凶と出るかは、まだわからないが。

 

「今は、信頼しています。あなたのもとであれば、死んでも良い程度には」

 

「え、あ、うん。ありがと」

 

忠誠心と言うものを、極一般的な小家庭で生きてきた彼はあまり理解できない。

 

と言うよりも、平和な世界での一般人に『忠誠心とは?』と訊いても、『上限は百』とか帰ってくるだけであろう。

 

彼も、そのクチだった。死んでも良い、と言われても、その気持ちがわからない。

 

「……信じてくれないのは当然だけれど、これからも働きで示します」

 

「いや、忠誠心ってのがあんまりわかんないんだ。俺がこの人の為なら死ねるってのは、好きな人しか対象にないし」

 

琥珀の眼が見開かれ、好きな人という一言で加賀が開こうとしていた忠誠心講座で使うべく用意していた言葉が吹き飛ぶ。

 

提督に好きな人が居るというのは、加賀は想定していなかった。

 

提督は側にいてくれて、自分を支えてくれている。

あくまで職務上の関係だとはいえ、そこから男と女の関係に発展させるのは非常に常套的な手段である筈だった。

 

滑稽なことに、加賀は自分ができていないことを提督ができると思っていた。

更に言えば、この常套手段に出ないということは女の子にあまり興味がないのか、とすら思っていたのである。

 

加賀は男に興味はないが、提督には純度百パーセントの興味しかない。勝手な妄想で悶えてしまう程に、興味がある。

 

加賀は、このことを完璧に失念していた。

 

「…………………好きな人」

 

「あ」

 

あ、と言う反応で、加賀は思った。

提督は人間なのである。生きているし、欲望もある。

 

つまりは恋もするし人を愛しもするということ。

 

少しでいい、自分と居る時だけでいいから自分を見て、愛して欲しい。

赤城から『愛人気質はやめた方が』と言われた加賀は、この段になって自分が愛人気質ではないことに否応無しに気付かされた。

 

どろり、と。

黒い泥のような感情が胸から漏れる。

嫉妬と、独占欲。

 

常々自分はそういうことを許容できるし、許容したいと思っていた加賀に対して、心は高らかに叛旗を翻していた。

 

(醜い)

 

自分が、いやになる。

 

この時ばかりは己の鉄面皮に感謝しつつ、加賀は若干光が消えかけている瞳を閉じた。

 

こんな汚い姿は見られたくない。提督が見ているということを、知りたくない。

 

自分の殻に閉じこもってしまった加賀に、提督は何ら良い手を思い浮かべることはできなかった。

 

そもそも、原因がわかってもなぜそれが原因となったのかがわからない。

 

(俺に提督でいて欲しい、のかな)

 

結婚すれば、まあ、退役するだろう。美人揃いの職場に居て、中破やら大破やらであられもない姿を大真面目に見なければならないのだから、夫婦関係と提督業が両立するはずもない。

 

そう考えると、先ほどのセクハラ認可も納得がいく。

やめて欲しくなくて身体を差し出そうとするのでは本末転倒も甚だしいように思えるが、そうでないと説明がつかない。

 

どう宥めたものか、と。彼は真面目に考え始めた。


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