提督と加賀   作:913

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四十六話

「……ん?」

 

留守番をしていた加賀が提出した明細と報告を少しずつ読み解いていく為に、提督はまずは資源の明細から目を通した。

 

ボーキサイトの消費は常とあまり変わらないが、12月20日から21日にかけて燃料と弾薬とが爆発的に増加している。

 

旧フィリピンと呼ばれる島嶼群を本拠にしたこの鎮守府には基本的には自給自足をして有り余るほどの資源が毎日のように振り込まれる。

新たに発見された南方資源の源泉と言える土地が、ルソンなのだ。

 

ルソンには極力手を付けず、謂わば最終手段として資源の採掘は深海棲艦が放棄した島嶼で資源を採掘。

 

掘り尽くすまで主力を留めておき、あらかた終わればその警備に回していた艦娘を引き揚げさせ、駆逐艦や軽巡に担がせて備蓄。

 

深海棲艦が占拠した島嶼は、資源が出る。枯渇していても、復活する。

 

提督が密かに突き止めたギミックを利用して、彼は戦力となりうる軍需物資を物狂いのように備蓄し続けていた。

 

もっともそれは、隷下の艦隊が高い練度を持ち、ある程度の備蓄があるからこそできることなのだが、それを満たしているからこそである。

 

彼は自身が恵まれていることを自覚し、その幸福を自覚していた。

 

「加賀さん、侵攻あったの?」

 

「はい」

 

戦闘詳報に目を通しつつ、提督は隣で鉄面皮を保っている加賀をちらりと見る。

侵攻を受けたと言うのに、平静を保っている。彼女の豪胆さが、提督には羨ましかった。

 

「12月20日ヒトヨンマルマルから空母七隻、重巡洋艦三隻、軽巡洋艦五隻、駆逐艦二十隻領域に侵入し、12月21日マルサンマルマルに引き返しました。こちらは小破が三隻、艦載機隊の被害は五機。敵空母五隻、重巡二隻、軽巡洋艦五隻、駆逐艦十九隻を撃沈しています」

 

「相変わらず、すごいね」

 

「はい。鎧袖一触です」

 

誇らしげに言うでもなく、加賀は極めて平坦な発音でそう述べた。

当然のことだ、と言わんばかりのその台詞は、聴く者が聴けばこう聴こえる。

 

――――頑張りました。褒めて、撫でて、ぎゅーってしてください

 

口ではとても言えないし、態度からではわかりようもない。

 

「甘いですねぇ」

 

「うん……」

 

本当に、態度と内面に差異が有り過ぎる。

片眼鏡を通して見ることで心の声を聴いた赤城と瑞鶴は、顔を見合わせてつぶやいた。

 

彼女たちが居るのは、屋根裏。排気口というべき鉄柵の隙間から視線を向けていた。

ここに通じている場所に来るのに何回か同僚たちの『何をやってるんだ?』と言う懐疑の視線を向けられたが、赤城はある意味で図太い。

瑞鶴はそれほどではないが、腹を括ってしまえるところがある。

 

二航戦は不在だから良いとしても、翔鶴は良い娘なので、このような盗み聞きをすると聴けば全力で止めに来ることは間違いが無かった。

 

「加賀さんは、傷はどう?」

 

――――この娘、ヘソ曲げて傷を誤魔化すところあるからなぁ

 

「損傷箇所は有りません。心配いらないわ」

 

――――せっかく心配してくれたのに、何故私はこんなにも無愛想に答えているのかしら。あぁ、私の馬鹿馬鹿馬鹿

 

ヘソ曲げて傷を誤魔化すところは、修復までの時間がギリギリだったとはいえ轟沈寸前にまでいった前科を持っている。

それ故に、彼は全くその辺りの加賀の発言を信用していなかった。

 

「診断書は?」

 

――――まーた、痩せ我慢してるんじゃないかこれ

 

赤城は、提督らしい疑い方に苦笑しつつ心の中で『今回は痩せ我慢ではないですよ』と、こぼす。

 

いつもいつも無理して、自分の身を全く考えずに全身全霊で彼の為に働こうとする加賀を押し留め、『あなたが無理する方が却って提督には負担となります』と諭すのが赤城の役目。

他の艦娘には強いないからこそ、自分の身を捨てて尽くそうとするのが、加賀と言う狼種犬系艦娘だった。

 

「……これだけれど」

 

――――信用、されてないのかしら。これまでを振り返れば当然だけれど……少しくらい、私を信用して欲しいものね

 

「それはお人好しの提督さんでも無理なんじゃ……」

 

屋根裏から様子を伺っている瑞鶴にすらそう言われてしまう程度には『不惜身命』を貫いていると思われる彼女は、一応反省はしている。

ただ、少し、忠誠心プラス恋慕プラス罪悪感が自分の命と釣り合わないだけなのだ。

 

具体的に言えば、提督の性格が反転して、『加賀ぁ、お前あの時はよくも俺の精神を圧搾してくれやがったなぁ』と脅せば、罪悪感に襲われて途端に奴隷の様に従順になる。

 

何をしようとも文句は言わないし、死ねと言われたら死ぬ程度には、加賀は罪悪感を抱いていた。

 

コンピュータで解析され、診断され、印刷された結果に目を通し、提督は一つ頷く。

 

「よし、誤魔化してないね」

 

――――目を離せない娘だな。こと、このことに関しては

 

「……むぅ」

 

――――心配してくれるのは、嬉しいのだけれど

 

お互いが、お互いを想っている。

そのことが節々にわかるだけに、赤城の珈琲摂取量は増えた。

備えが無かった瑞鶴は、砂糖を吐きそうになっている。

 

「あの、提督」

 

「うん?」

 

「……いえ、その、何でもないわ」

 

このごく短い会話も、この二人が片眼鏡を通して見れば、こうなる。

 

――――提督とお出掛けなど大それたことは望まないから、少し見回りにでも行きたいわ。けれど、提督は仏頂面の私なんかを連れ回して嬉しいとは思えないし、どうなのかしら

 

――――あ、加賀さんから話し掛けてくれた。嬉しいな

 

――――提督は私のことをどう思ってくれているのかしら。仏頂面な私を秘書艦として使っていただいてるのは、温情なのでしょう。ならばここで胡座をかいて更に欲を深めるのは、業が深いというもの。提督は優しすぎるから、断われないでしょうし

 

「……甘い」

 

「……これ、何でお互いに気づかないんですか?」

 

「お互い自分の欠点だけを凝視して、『釣り合うわけがない』と断じてしまっているからですよ」

 

砂糖を口から吐きそうになり、あまりの甘さから逆に見ているこちらが恥ずかしくなった、という形の瑞鶴は頬を染めて俯いた。

 

もうこれを無理矢理にでも付け、結婚させてしまおうと、思わないでもなかった。

 

「やっぱり、加賀さんには結ばれるのはまだ早いですね」

 

「ぇ、え?」

 

そんな考えを打ち砕くように、赤城はポツリとこぼして来た道を逆進し始める。

 

瑞鶴は一瞬呆気にとられたものの、慌てて追従しながら理由を問うた。

 

「あの娘の愛の形は、溶かすような愛です。成熟しなければこの形は変わりません」

 

「?」

 

溶かすような愛と言われても、瑞鶴にはわからない。

この辺り、もう恥ずかしくなって片眼鏡を外してしまったことが裏目に出ていた。

 

加賀は、提督に依存している。

存在意義とか色んなものを、好きになるにつれて提督と同一化させてしまった。

 

それは提督が悪いわけではないが、加賀が悪いわけでもない。ただ、頼れる人間が一人だけで、その人を好きになってしまった、と言うのが不味かったのである。

 

加賀は依存し、依存し、依存する。どんな扱いを受けてもそれを受け入れ、想い人の理不尽を愛で溶かす。

 

愛しているから。

 

この一言で、加賀は永遠に想い人から離れることもできずに尽くし、尽くし、尽くすのだ。

お互いの常識や暗黙の了解といったものを甘やかし、依存し、愛すといった暖かさで包み、溶解させる。

 

もう加賀は提督と言う想い人に対する愛しさに首まで漬かった状態であり、生命維持以外の全てを依存していた。

 

死ねと言われたら、死ぬ。

消えろと言われたら、消える。

戦えと言われたら、戦う。

勝てと言われたら、勝つまで戦い抜くだろう。

 

その依存は、自分だけでなく依存対象までをも溶かしてしまうことに、

加賀は気づいていなかった。

 

提督はこのまま加賀の愛を知り、受け入れれば、その愛の深さに驚き、喜ぶ。両想いであり、打算も何も無いのだから、喜ぶ以外に分岐はない。

そして、躊躇いもなくその愛に沈んでいくだろう。

 

どろどろに蕩けたような二人の世界を構築し、共依存してどうしようもならなくなる。

加賀の依存の対象は少なくとも、断固とした孤影を守らなければならない。

 

そうすれば、加賀は提督を献身的に支えるだけの良妻で済む。

ただ、自信がない提督と自信がない加賀が組むと、どうしようもならなくなるだけだった。

 

まだ早いと言うのは、そういうことである。どちらが成長してこの時間を縮めるのかはわからないが、少なくとも赤城にはそう思えた。

 

愛してしまったが為に、加賀は裏切られ、切り捨てられ、見捨てられた時に芽生えた恐れが提督へ剥き出しになっている。

 

元来加賀は、戦士として強くはない。そもそも傷を負わされたら怒るか怯むかの二択しかない彼女の心が、戦いに向いているはずもない。

弱い心を必死に鼓舞しながら戦って、見捨てられて壊れかけ、何とか提督が継ぎ直した。

 

提督が居なくなればどうなるかは目に見えているだけに、赤城の心配と配慮は細やかであり、深い。

 

決して心は強くない相方の姿を目に浮かべながら、赤城は更に思案を巡らせ始めていた。

 

――――ほんの少しでいいから、私を見て。私を褒めて。私を愛して。

 

私を、捨てないで。お前など要らないと、言わないで。

 

わたしと、ずっといっしょにいて。ひとりに、しないで。

 

 

ふとした拍子に毀れてしまいそうな脆さを持つ彼女は、変わらず凛として、提督の側で座って居た。


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