提督と加賀   作:913

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四十八話

ビス子怒りの五時半起こしを喰らい、五時四十七分に起床した彼は仕事がてら、現在の日本の国土を立体として表した地図をビスマルクと共に怜悧な眼で見下ろしていた。

 

人形の団体が深海棲艦の空襲によって寸断されたものの、徐々に復旧されてきている道路をのろのろと移動していく。

近海では背中から砲塔が生えていたり、弓を持っていたりと言う、各艦種の特徴を捉えていると思しき人形が滑らかに動いていた。

 

俯瞰風景と言うべきその地図は、軍事的に必要な要素を余すところなく映し出していた。

 

「相変わらず、機材がある上での情報把握にかけては他の追随を許さないわね」

 

「まあ、他の提督みたいに『バリア強度の上昇』とか『砲撃速度の上昇』とか、『火力の底上げ』とか、役に立つ能力じゃないけどね」

 

他の提督は、艦娘の能力を上げる異能を持つことが多い。と言うよりも、その底上げの幅の大きさこそが提督としての有能さとして格付けされている。

 

故に提督としての適性を持つ人間の発掘と練磨が急速に組織化された今となっては、彼は提督にすらなれないだろう。

 

格付けの仕方は、彼が本土勤務をしていた頃から僅かに変わった。

先ず艦娘の意思を奪う拘束力の強さ。

次に、艦娘の攻防能力を底上げする幅の大きさ。

最後に、独自性となっていた。

 

直接能力を上げることができるのは運と言う戦闘に役に立つとは確信できない不確定要素、独自性は索敵特化とすれば及第だが、拘束力に於いては塵屑同然。

 

長門提督こと南部中将などは火力とバリア強度を大幅に底上げでき、横浜提督こと一条中佐は雷撃能力と火力を底上げできる。

 

彼が出来るのは人間電探と言うべき異能と機材を活かしての広範囲・高精度索敵だけなのだ。

それも、負担をなるべく減らす為に異能二割機材八割の割合で、である。

 

索敵と、敵海域の制限や機構のハッキング。

謂わば奇襲を潰し、罠を外し、正面切っての殴り合いに終止させるだけの異能だった。

 

もっとも、世界最強と言っていい練度を誇る艦隊と正面切っての殴り合いを強制されようものならば、敵の絶望感は尋常なものではないだろう。

その点、彼が捨て艦と呼ばれる効率的な海域占領方法を使わずに地道に艦隊の練度を上げ、レイテ以外では勝てる敵としか戦ってこなかったのは正しい選択だと言えた。

 

そんなことを考えて、やった行為ではないだろうが。

 

「深海棲艦に動きは見えない。と言うことは、先程の第一攻勢で使い切ってしまったのかしら?」

 

「深海棲艦の戦力も、尽きることがあるらしいからね」

 

第一攻勢、と呼ばれたそれは、件の十二月二十日から二十一日にかけての敵機動部隊の来襲を含んだ各鎮守府に向けて深海棲艦がしかけた攻勢を指す。

 

大本営は間一髪でこれを掴み、直属艦隊を引き返させた。

それが、先の那須退役中将との戦いでビスマルク達が前線に取り残された原因である。

 

この機敏な判断によって大本営は辛うじて敵機動部隊の迎撃に成功したものの、このように完全に敵機動部隊を迎撃できた鎮守府は、三つしかない。

 

留守部隊に主力を振り分けていた長門提督こと南部中将と、大本営が置かれていたが為に計らずも大規模な援軍を受けることができた横浜提督こと一条中佐、遠征部隊が敵補給線破壊艦隊だった彼の鎮守府くらいなものだった。

 

他は鎮守府の空や海を占領されたり、轟沈者を出していたりする。

 

「まだ鎮守府に帰投できていない艦隊も居るらしいし……何か、また拙い感じになってきてる気がするわ」

 

「奇遇だね。同感だよ」

 

更に言えば、表向きは『演習』としてしまったが為に、演習にかまけているが為に主力を横浜に集結させてしまったということで、街に被害を出した各提督も非難を免れていない。

 

裏向きには大本営が叛乱艦隊を鎮圧しきれなかったということで、事情を知っている各提督への威光と権威の低下が著しかった。

 

具体的に言えば、今までは大本営が極めて強力な艦隊を保持しているからこそ軛を打つことができ、軍閥化が抑えられていたのである。

 

中央集権的な海軍の各鎮守府に対する支配体制を維持する為に打ち込んだ軛が、緩み始めていた。

 

誰もがこの不自由な世界に不満を抱え、それでも力無き故に折り合いをつけて生きている。

だからこそ、艦娘と言う力を行使できる自分たちはよくよく身を謹み、誰よりも折り合って生きるべきなのだ。

 

「俺はそう思ってたんだが、力を行使できるから自分たちは偉い、と思う提督が多過ぎる。実際に戦うのが誰だと思っているんだ」

 

「……ふぅ」

 

怒りすら篭もった提督の言葉を受け、ビスマルクは肩をすくめて溜め息をつく。

 

彼女としては、別に肯定も否定もできない。力を行使できる提督と言う職につけたのはのは生まれ持った特質があり、努力があった。

 

更には今まで一市民だった人間が『適性があるから』と言っていきなり徴兵され、今まで生き残っているということになる。

 

そのことにストレスを感じ、手に入れた力に驕りきってしまうのもわからなくもないのだ。

 

この辺りを嫌悪する加賀とは違い、ビスマルクには柔軟性と理解があった。

それは裏を返せば、『そこまで期待していないし、評価もしていない』ということなのだが。

 

加賀が病的なまでに人を嫌うのは、その善性と誇り高さに期待していたし、評価もしていたのに裏切られたからだろう。

 

最初から期待していないし評価もしていない者と、期待していて評価もしていたのに裏切られた者。

 

どちらが良いのかは明確な答えを出せないが、ビスマルクは提督には更なる成長を期待していたし、その性格や能力に対して評価もしていた。

 

加賀がその能力をわざと評価せず、敢えて期待を抱いていないのとは対照的である。

 

加賀は、停滞しても後退してもいいから、裏切られたくない。

 

ビスマルクは、僅か半歩でもいいから脚を前に出して欲しい。

 

過去の出来事から発したその辺りに、扱いの差は表れていた。

 

謂わば両者の差は、拠り所となる大樹は拠り所であり続けてくれればよいのか、それとも実を付けて欲しいのかと言う差であろう。

どちらも否定できるが、否定できない。

 

人付き合いに正解などはないが、難問、と言うのが一番しっくりくる表現だった。

 

「Admiral、人とは権力を手に入れる度に更なる高みを目指そうとするものなのよ。貴方の理屈は常識上の理屈だけど、それでしかないわ」

 

「権力闘争は、常識外での戦い。わかってるよ」

 

権力を手に入れると却って隷下の艦娘たちの身が危なくなることを何となく悟っている彼は、中将になってから二年だが昇進しようとすらしない。

 

大将どころか元帥になれるだけの功績を上げているのだが、やっかみを買うのが嫌だった。

と言うより、艦娘の給料を上げてくれと言う要望を通す代わりに昇進を蹴った後、そもそも昇進の話が来なくなっている。

 

「……結束しなきゃ滅びるのに、何で結束できないのかな」

 

「結束しなくとも誰かが何とかしてくれたからでしょう。現にレイテから侵攻してきた姫を含む艦隊を、誰かさんが何とかしてくれたわけじゃない?」

 

その誰かさんは、深海棲艦の最精鋭だった南方艦隊を撃滅してしまっていた。

南方艦隊が健在で、比島を含む豊富な資源地を得ていなかったならば、まだここまで酷いことにはなっていないだろう。

 

なにせ、そうする余裕もないのだから。

 

「ま、まあ、俺が悪いんだろうね」

 

割りとまともに皮肉を呑み込んでしまった提督は、思わずといった形で肩を落とした。

彼は外から来た危機を救ったし、外から来るであろう危機を未然に防いだ。しかし、その所為で内から危機が産まれたのである。

 

ビスマルクの言った言葉は、提督にとって相当耳が痛い。

危機を救う程の力量がない癖に、運と部下に恵まれて何とかなってきてしまっているのだが今までだが、それにあぐらをかかれては少々辛いのだ。

 

「べ、別にそうとは言ってないじゃない。元気出しなさい、Admiral」

 

「とは言ってもね」

 

南方艦隊の残存戦力である機動部隊は第一攻勢で加賀率いる機動部隊と対戦して擂り潰されてしまっている。

南は無事だが、それだけだった。正直なところ、戦力が過疎化した日本海側と四国・九州・関東あたりの沿岸部が拙い。

 

今挙げた地にある鎮守府は戦力が揃っているとは言えないから、第一攻勢で深海棲艦の残存戦力が尽きるとも思えなかった。

 

具体的に言えば、第一攻勢に繋げる形で第二攻勢もできるであろう。

 

「……四国を取られでもしたら日本滅亡までノンストップな気がするんですがそれは」

 

「……………ま、まあ。ここを保持することが肝要よ。資源地まで失えば基盤を失って、結果的に反攻作戦もできなくなるわけだし、AdmiralはAdmiralの義務と責務を全うしなさい」

 

「うん」

 

最近めっきり少なくなった大本営の報告書要求を自分で書き終え、それをビスマルクの目に通させる。

全部手とり足とりやってくれる加賀とは違い、ビスマルクは先ずやらせる。

 

その後少し添削し、指導するような形で報告書を完成させるのだ。

 

細かいところを一々指摘することもできたはずであるが、そこのところはこまめに直すだけに留める。

かなり間違っているところには口を挟んで説明し、完成した報告書を自分で読ませる。

 

これで間違えた箇所を自分で勘付かせ、放って置けば次に間違える箇所の十個のうちの一つを潰す。

 

それが、ビスマルクのやり方だった。

 

「終わったー」

 

「お疲れ様」

 

一息ついて彼が見たのは、壇に置かれた日本地図。

うじゃうじゃと動きを止めない人や艦娘、深海棲艦らの動向に目を通すことができるこれは、ビスマルクの艤装の中―――司令室に殆ど死蔵されていた。

 

彼はビスマルクに座乗することが多い、というよりも隷下の艦娘の中で座乗できる艦娘がビスマルクしか居ない。

故に、自分が指揮する時の戦闘に役に立つ物はビスマルクが艤装を展開した際に持ち込んでいたのだが、彼女が強制送還される時に外に出すことを怠ったのである。

 

結果、提督が居なければ何の役にも立たない機材と、機材が無ければ全体を俯瞰することはできない提督に別れてしまったのだ。

 

ビスマルクとの書類仕事をするにつけ、彼はそのような昔のことを思い出す。

昔と言うほど昔ではないが、毎日をのんべんだらりと過ごしていた自分の人生の中で、ここ数年は比べるのが馬鹿らしいほどに密度が濃い。

 

対人関係においても、事件性においても、である。

 

「ビス子」

 

報告書の最終チェックをしているビスマルクは、呼び方から提督が公の姿勢から私の姿勢に切り替わったことを覚った。

 

一貫して加賀さん呼びな加賀が密やかな嫉妬を抱く呼び方を受け、ビスマルクは律儀にも書類から目を離してそれに応ずる。

 

「命の補充はどうよ」

 

「出来ているけど、何?」

 

「なら万が一にも不覚はないな。ちょっと付き合ってくれ」

 

くいっと指をさしたその先には、鎮守府の外の繁華街があった。


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