提督と加賀   作:913

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五十一話

また、死んだ。

また、死んだ。

 

また、またまたまたまた。

何回も何回戦って、安心を得て、側に居てくれと頼まれて。

 

手を、繋いで。

 

抱き上げた時には、事切れている。

 

海に身体を浮かべ、向かう。

空襲を防ぎ、陰から見守る。

 

それから触れたことも、あった。共に暮らしたことも、あった。

でも、死ぬのだ。自分は生き残り、彼は死ぬ。

 

自分に関わると、死ぬ。

 

守ろうとした。何回も何回も繰り返し、検討しながらやり直した。

でも、死ぬ。死ぬ。死ぬ。

 

死んで、死んで、死んで。十回の繰り返しの後に、彼女は壊れた。

目の前でひたすら自分の愛し抜き、依存していた存在が死ぬのを見て、壊れた。

 

全て壊れればいいと、そう思った。

 

むくり、と。白い身体が起き上がる。

色素が抜け落ちたような身体は女性らしい起伏に富んでおり、その相貌には怜悧さがあった。

 

そしてその眼には、絶望がある。

 

「……テイ、トク」

 

蹲った。額を膝にくっつけ、手を回す。

こうしていれば、気づいた提督が来てくれた。

 

どうしたんだ、と言って、来てくれたのだ。

 

今、来る人は居ない。

 

(私はその優しさに甘えて、甘えて、甘え切って……)

 

依存した。全てを依存して、受け止めてもらって、自分は幸せだった。

 

この肢体を何度も愛され、彼を何度も愛し、とろけるようにして抱き合って寝て。

そうして朝が来て、お互い顔を合わせて苦笑するのだ。

 

そんな日は、もう二度とやってきはしない。

 

ズブリと、頸を刃で掻く。

まだ赤い血が噴出し、身体が別の生き物になったように痙攣し、そして、戻った。

 

「……ダメ」

 

戻りたい。戻りたい。

戻りたい戻りたい戻りたい。

 

彼に自分として会いたい。自分として隣を歩きたい。自分として、愛してほしい。

 

依存して依存して依存して、その重みに気づかずに死なせてしまったようなことは二度と起こさない。

 

―――俺は、君のことを愛してるんだけど、君はどうかな?

 

最期の出撃の前に、彼は問うた。

自分が彼の愛を受け入れ、彼に一度も明確な好意を示す言葉を言わなかったからだろう。

少し困ったように、彼は言った。

 

―――嫌い?

 

違います、と自分は答えたのだ。

そして、黙った。

 

恥ずかしいのだと。照れくさいのだと。それを黙っていても理解してくれると思っていて、甘えていた。

 

―――次に帰ってくるまでには、その可愛い口から聴きたいな。

 

唇を奪われて恥ずかしくて、でもその何倍も嬉しくて、でも表情に表せなくて。

言葉にも出せず、自分はこくりと頷いた。

 

帰ってきたら、言うつもりだった。

 

でも、彼は帰ってこなかった。

自分が迎えに行き、やっと会えたのだ。

 

物言わぬ屍となって。

 

「……アイタイ」

 

逢いたい。逢いたい。逢いたい。

 

肩を掻い抱き、軋む程に締め付ける。

彼は自分を愛してくれた彼ではないとしても、外見も口振りも、全てが同じだった。

 

壊れそうな心を抱えて、白の少女は黒い島の上で涙を流す。

島には誰も、居なかった。

 

 

Ⅹ Ⅹ Ⅹ

 

 

何か、ぽわぽわしている。

 

渡された五万円を財布にしまい、椅子に座っている加賀を横目で見て、提督は少し心配になった。

 

加賀の機嫌が良い、ように思われるのである。

 

何故セクハラされて喜ぶのかはわからないから、今回の喜びはビスマルクと同じような仕事を振り分けられたから、だろうか。

 

未だにあまり理解できない忠誠心と言うものは、同じ立場に立つ同僚と同じ質量の仕事をその対象から得られないと不満に思うものらしいかった。

 

(それにしても、柔らかかった)

 

抱きしめるのは二度目だが、一度目は切羽詰まっていた事を考えると、その柔らかさや女性特有の良い香りを存分に堪能できたのは今回が初めて、ということになる。

 

本当に日本人系の身体付きなのかと問いたくなる程に豊満な胸部装甲と、いつも醸し出している雰囲気とは打って変わった押しの弱さと従順さ。

 

その辺りが、提督を更に夢中にさせていた。

 

「提督」

 

キラキラと光り輝くようなやる気を漲らせ、少し乱れた服を整え直した加賀は提督の前へと進み出る。

頭の中にお花畑を咲かせていそうな雰囲気は変わっていないが、それでも彼女の身体を包むぽわぽわ感は少しマシになっているように見えた。

 

「何?」

 

「ありがとうございました」

 

ぺこり、と加賀は頭を下げる。

彼女からすればこれは『撫で、抱きしめていただいてありがとうございます』ということだろうが、提督にはそれがわからなかった。

 

加賀からすれば提督に抱きしめられることはご褒美でしかないが、提督にとっては自分が抱きしめてやることがご褒美だとは思っていない。

 

何故ありがとうなのか。それが彼にはわからないのはそれが理由である。

 

「どういたしまして?」

 

豊かな胸部装甲の南半球から腰へとなだらかに下って、折れそうな程に細くなり、臀部の辺りで膨らむ。

 

提督は、女性としての魅力に富みすぎているほどに富んだ身体を抱きしめていたのだということに改めて恥ずかしくなっていた。

 

恐ろしい程の美人である。釣り気味の猫目が持つ険しさを真一文字に結んだ口元が冷たさに変え、芯が通ったような背筋がその冷たさを凛々しさに変えているのだ。

 

冷たい美貌、と言うのか。完全にその美貌に、提督は一目惚れしてしまっている。

中身も知って更に惚れたが、まず恋心を持っていかれたのは加賀の美貌によっていた。

 

内面のちょろさを知ったのは最近のことだし、綺麗というよりも案外可愛いところもあると感じたのも一年ほど秘書艦と提督という形で付き合ってからであるが。

 

提督は、癖っ毛がピョコピョコと飛び出し、自分がめちゃめちゃに撫でてしまったがために少し乱れた髪を見る。

艶やかで黒曜石のような美しさを持つ、淑やかな黒色をしていた。

 

「……これからも、その」

 

そう言いかけた加賀の身体が半歩ほど、前に出る。

踏み出したのは加賀らしくなく、半歩と言うところが加賀らしい。

 

胸の前に手を当て、彼女はそれ以後を言い淀む。

構って欲しいが、構って欲しいとは言えない。その辺りが、加賀の面倒臭さだった。

 

尤も、構ってやればすぐに気分が高揚してしまうあたり、いざやるとなれば面倒臭くはない。

 

「加賀さーん?」

 

「……いえ、何でもないわ」

 

それでも、こうして言い淀んでいる所に水を向けられると咄嗟に否定してしまい、更には今まで言おうとしてきたことを無かったことにしてしまう。

 

感情が豊かで血の気が多いのにもかかわらず面に出ないと言う美点でもあり欠点でもある特徴が、彼女の進歩を邪魔していた。

 

「そっか」

 

「そうよ」

 

それっきり黙った加賀は、何となく歩き始めた提督に追従して歩く。

 

加賀は極めて優秀なナンバーツーだが、それだけでしかない。それに、リーダーシップにはかけるし、好き・嫌いで対応を両極端にしてしまう。

彼女はその辺りをキチンと理解していた。

 

リーダーシップと言えるリーダーシップを持っているのは、提督のみなのである。

彼が居なくなれば決断力は鈍り、その決断に対する信頼も鈍る。

 

重盛・高倉上皇・清盛と、今まで隆盛を保てていたリーダーシップの持ち主を立て続けに喪った平家がどうなったかは、歴史というものが証明していた。

 

加賀が何をするにせよ、それは提督の承認を受け、全面的な後押しを受けてのものなければならない。

 

「加賀さん」

 

話し掛けられて、加賀は少し距離を詰める。

提督が言うことならば何にせよ、一応は聴いてみようとするのが加賀の素直さだと言える。

 

尤も、聴いてみようとするだけであり、それに対していつも明確な反応を示すわけではない。

 

「四国奪還戦は成功したらしい。高知の沿岸部しか占領されていなかったから、この作戦名は大袈裟だとは思うけども」

 

今回がまさに、それだった。

 

「……それは重畳なことね」

 

自分でも驚くほど素っ気ない声色が出たことに逆に驚きつつ、加賀はツン、とそっぽを向く。

 

このような素っ気ない反応を示して欲しいと、提督が思っていないことを彼女は容易に想像できた。

 

だが、殆どこの言葉は脊髄反射で出てしまっている。

 

罰の悪さを心に仕舞い、加賀はもう一度提督に向き直った。

 

「素直だねぇ」

 

「私が心配すべきことは大本営がこちらに主力艦隊を向けてくることと、敵南方艦隊の残存部隊が共同作戦を取り、戦力が分散されてしまうことよ。寧ろ、失敗してくれた方が防衛上楽でした」

 

「何で?」

 

「程良く互いに損耗したところに介入し、深海棲艦駐屯部隊を殲滅してから大本営に譲渡する。こうすれば大本営も再建に時間と資材を割かれますし、距離的な問題からこの鎮守府からその為の資材を供給することになります。この供給を緩急自在に絞れば、敵艦隊の襲撃時期を操作することすら可能です」

 

資源の供給をやめれば、即開戦で都合も良い。

割と腹黒い加賀に若干ビビりながら、提督は肩をすくめて話を終えた。


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