提督と加賀   作:913

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だるまさん様、迫王様、日陰の隅っこの炭酸水様、評価ありがとうございました。

艦これ改で丁から丙にいつ行くか、姉様を幸運艦にしながら装備を整えつつチキっている所為で送れました。すみません。


五十五話

「木曾、頼みがあるんだけども」

 

「何だ?」

 

イケメン。

雷巡になっていなかった頃の戦傷で斜めの切傷が付いた右眼を眼帯で覆っている彼女を見て、提督はしみじみそう思う。

 

男勝りの東洋豪傑風の武人。それが提督が抱く木曾に対するイメージだった。

大本営の恨みも口にすることは殆ど無く、性根がサッパリとしていて頼りがいがある。

 

相棒、とでも言うのか。

加賀が惚れた女と頭脳を兼ね、ビス子が右腕、赤城が左腕ならば木曾は懐刀なのだ。

 

身を守る為の鋭利な刀。

その勝手な認識に沿うように、と言うよりはむしろ超えるようにして期待に応えてきてくれた木曾に対し、提督はかなり一方的な信頼を抱いている。

 

もっともそれは提督目線での話であり、木曾も木曾で提督の情報収集能力や指揮官としての統率力、人格面に多大な信頼を置いていた。

 

戦術面に関してはお察しである。

割りと気を遣う質の木曾ならば、『どこか一つでも極めてれば一流だろ?』とでも言うかもしれないが、これは事実だった。

 

「鈴谷と輸送船団の護衛を代わってやれないかな。一時的にでいいんだけども」

 

「頼まれたのか?」

 

「まあ、ね」

 

洞察力の鋭さが滲み出ている織部色の瞳にすぐに見抜かれて頭を掻きながら、提督は包み隠さず打ち明けた。

 

嘘をつかないでおこうと、自然と思える存在にわざわざ嘘をつく理由はない。

 

「ならいいぜ。俺には、お前を板挟みにする気はないさ」

 

「木曾……」

 

本当にお前はイケメンだな、と言い掛けて提督は止めた。

女性に対してイケメンというのが褒め言葉なのか、それがどうにもわからない。

 

格好いいな、とも言いたいが、それもどうなのかと思う。

 

「……いい女だな、お前」

 

「ハハッ、照れるな」

 

自分よりも背が小さいにもかかわらず、しかも女性にもかかわらず、頼れる兄貴分のような空気を醸し出している木曾が、すこし照れ臭そうに頭を掻く。

 

なかなかにギャップが豊富な光景に驚き、惹かれながら、提督は酒を呑みつつ食べ物を抓んでいた。

 

後ろから凄まじい嫉妬の眼差しが背中をぶっ刺して貫通していることに気づかなかったのが、幸いだったのだろう。

 

彼は、男友達と呑むようなノリで木曾と呑み、大いに喋って楽しんでいた。

 

「木曾」

 

胡乱げな目をした加賀がやって来たのは、その時である。

 

酔っている。そのことが一目でわかる眼差しなのに、その佇まいは機械のように正確で、規範を一歩も踏み越えていなかった。

 

「ん、加賀か。何だ?」

 

「少し、提督を貸していただけるかしら。詳しくは言えないけれど、公的な―――そう、公的な義務に於いて提督が必要なの」

 

私的ではない。私的に提督を呼び出そうとなどしていない。

 

この二度言うことで強調された言葉は提督にとっては『あくまで公的なお付き合い。提督が退役すればただの他人』という事実を突きつけられたような気分になり、木曾からすれば『私情を抑えているのかな』という、からかいたいような気分になった。

 

「いいぜ。ほら、お前も行ってやれよ」

 

「ああ……」

 

若干の諧謔味と刃を砥いでいるような隙の無さが湛えられた織部色の瞳が猫のように細まり、『私と貴方は部下と上司。私的なお付き合いなどありません』と断言されて傷心の提督の背を叩く。

 

気のない返事と共に酒を呷って立ち上がった提督の斜め後ろに、すぐ加賀が影のように寄り添った。

 

「難儀なもんだなぁ」

 

不器用と言うか、何というか。

 

ああも恋慕に身を焦がしながら、されど只管に職務にひたむきになられると、自分の心の一画に根付いている思いを、自覚せずにはいられない。

 

(らしくないさ)

 

酒を己で注ぎ、呑み干す。

嘗てもっとも『らしくなかった』艦娘が、提督への恋慕を必死になって叶えようとしていることを、その牛歩どころか蝸牛のような遅さの変化を身近で見てきた木曾は、気づくことができていなかった。

 

 

月が、綺麗な夜である。

 

「加賀さん、待って」

 

「はい」

 

会議室現宴会場から出る前に待ったをかけ、提督はグラスを被せた日本酒を瓶ごと取った。

好きな女性に『勘違いしてんじゃねーよ』と言われた傷を治すことはおそらく永劫に―――彼の感覚では―――訪れないが、それでも誤魔化すことはできる。

 

その手段が、酒だった。

 

「おまたせ」

 

「お酒、好きなのね」

 

加賀の声に皮肉の色はないが、少しこれに眉を顰めた提督は、思わず傷心のままに加賀に抗す。

 

声音の端に諦念を滲ませ、瞳に反抗心を見せ、提督は珍しく加賀に負の感情をぶつけた。

 

「こんなの呑まなきゃやってらんないよ」

 

宴会場の最中に仕事なんか、と言うことと、加賀さんに思いっ切り振られた、ということ。

 

こんなのが示すのはこの二つであったが、それが加賀に伝わるとは限らない。

 

「……っ」

 

鉄面皮が僅かに揺らぎ、瞳に宿した意志が定まらなくなる。

 

―――否定された。

 

そういう思いが、彼女にはあった。

 

「……ごめんなさい」

 

怯えたように、加賀は俯いて謝る。

彼女が一番恐れるのは依存している相手、つまりは提督に否定されること。

 

彼女は心底、提督が見せた負の感情に狼狽していた。

 

「ごめんなさい」

 

「あ、いや、こちらこそ……」

 

私と居ても楽しくなくて、呑めないとやっていけないほどに辛いなら。

 

そう言いかけて、止まる。

つまらないのは当然だ。自分は感情表現が下手だし、可愛くもない。格好良くもなければ、美しくもない。

 

なんの取り柄もない、鉄面皮の女である。木曾のような格好いい女性と呑んでいて、そんな女に連れ出されたら、どうか。

 

自分だったら、嫌だ。提督と呑んでいるのに、他の男に、しかも何の取り柄も魅力もない男に邪魔されたくはない。

それが私的な空間を、公的なもので壊されたのならば、尚更。

 

「後のことは私がやっておきます。楽しく木曾と呑んでいるところを―――」

 

今までおとなしく、と言うよりはむしろ怯えていた加賀の肌から、嫉妬の毒棘が飛び出す。

 

自分の魅力の無さを認めて好きな男の人を魅力の有る女性に引き渡すなど、したくはない。

 

公務なのだから、無理矢理にでもしょっぴけるのだ。

自分は悪くない。自分は、悪くない。

 

言いかけたところで、加賀はそう暗示をかけようとし、止めた。

 

(卑怯者。臆病者)

 

自分を酷評し、先を続ける。

自分の心を抉るような痛みと共に、加賀は辛うじて平静を保って言い繋げた。

 

「―――邪魔をしてしまい、すみませんでした」

 

くるっと身を翻し、先へ進む。

宴会場に戻る気もないし、戻る必要もない。

 

嫌われたのだ。提督に、邪魔な奴だと思われたのだ。

 

(死ぬ、べきでしょう)

 

死んだら、どうなるのだろうか。喜ぶのだろうか。悲しむのだろうか。

 

提督は、泣いてくれるだろうか。

命日にはほんの一瞬でもいいから、自分のことを、思い出してくれるだろうか。

 

(艦載機の子たちは、遺して)

 

そうして死ぬのが、一番いい。

 

凄まじく内向的で自罰的な特徴がよく現れている思考を巡らせながら、加賀は逃げるようにその場を後にした。

 

逃げたい。嫌いって、言われたくない。愛して欲しい。

 

ドロドロとして粘性の高い感情が高まり、その昂りに乗じて身体に艤装の模様が競り出るように浮かび、沈む。

 

角を曲がり、加賀はほっと一息をついた。

やっと、泣ける。

 

そう思った瞬間、床にお尻を付きそうになり、思わず苦笑が漏れた。

 

(弱くなったものね)

 

前は、他人など何する者ぞと思っていた。孤高で居たからこそ強い面もあった。

しかし、今はどうだ。他人からの承認無しでは生命の維持すらする気にならない。

 

崩れ落ちたら、本当に立てなくなる。

廊下で無様を晒したくないと思う程度の自尊心を持っている加賀は、壁に手をついて身を起こした。

 

「……か、加賀さーん?」

 

その途端、提督の声が鼓膜を震わす。

必死に立て直した心の平静が、完全に崩壊した瞬間だった。

 

それでも、泣きたくはない。泣き顔を見るのが嫌いだと、提督は言っている。

 

醜い自分を更に悪化させない為に、加賀は必死に取り繕った。

 

「…………何かしら」

 

「ごめん。仕事ちゃんとするから、許して」

 

「気に病まなくていいわ」

 

思わずその言葉に甘え、飛びつきそうになった自分を打擲し、加賀は背筋に溶けた鉛を流し込んでいくかのような苦痛と共に虚勢を張る。

 

「私一人でもできるもの」

 

「そりゃあそうだろうけど、さ。俺もまあ、せめて上司としては加賀さんと一緒に居たいんだよ」

 

焦っているのか、提督には珍しく告白スレスレの言葉が飛び出した。

 

私人としての自分が『赤の他人で、誘おうなどとは絶対に思わない』程度な物だということは、よく考えればわかりきったことだろう。

 

そう思い直して、彼は拗ねるのをやめて、もう一点の希望もないと諦めた。

 

今まで心の何処かで『何かの間違い』で加賀と恋人になれるかもしれないと思っていた、自分が愚かだったのだ。

 

もう希望もないと言うより、最初からそんなものはない。そう考えれば、些か気が楽だった。

 

逆に考えれば、最初から一点の希望もない加賀の運命の人以外の人間よりは、自分はいくらかマシなのだ。

何せ、側に入れる。声を聴ける。言葉を交わせる。それで充分、幸せと言うべきだった。

 

「……上司としては?」

 

「うん」

 

「…………そう、ね」

 

上司としてはと言うことは、自分とは私的なお付き合いをしてくれない、と言うよりはしたくもないが、上司と部下、提督と秘書艦だから付き合ってやるということなのだろうと、加賀はそう解釈する。

 

そもそも前提がズレているのだから、正しく伝わるわけもない。

加賀は提督を愛しているが嫌われていると思っており、提督は加賀を愛しているが嫌われていると想っている。

 

互いの勘違い故にノーガードで殴り合うような恋愛模様は、一向に改善される様子を見せなかった。


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