提督と加賀   作:913

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五十七話

「できますよ」

 

艦載機を索敵範囲外から気づかせることなく急襲できるかという問いに対して、赤城は持ち手の骨を銀箔に包んだ七面鳥を齧り、咀嚼し終えて事も無げに言った。

 

「技術的に?」

 

「それもそうです。いくら技術的に可能だと言っても運が必要ですけど、その点提督は武運がありますし」

 

七面鳥を綺麗に食べ終え、袴スカートから出したお手拭きで手を拭う。

そのまま僅かに脂に濡れた唇も拭いて、赤城は骨をゴミ箱に捨てる。

 

「でも、そういうことではないですよね?」

 

「うん」

 

深海棲艦にも武運が憑いた艦隊が居ることは否定できない。だが、戦闘詳報を見るに、敵艦載機は真正面から現れ、雷撃機はそのまま雷撃して去り、爆撃機は直上で爆撃している。

 

技術どうこうの問題ではない。それが技術を備えた加賀が出した結論だった。

 

「異能で、これほどまでに気づかずに接近するにはどのような方法を用いればいいのか。まあ、最短距離は時を止めることですけど」

 

私はまだ三分半程しか止められません、と赤城は言う。

三分半程では、技術で補ったとしても視界外からの攻撃は不可能なのだ。

 

「提督は、その端末がアップデートされたことをご存知ですか?」

 

「聴いた。けど、異能は君たちから知らされていなかったから、見てなかった。見るべきじゃないとも思ってたし、ね」

 

「うーん……もう少し遠慮が無くてもいいんですけど」

 

まあ見たほうが速いでしょうと促され、提督は胸ポケットに入れていた端末の電源を入れる。

 

歩く時に自然に振られる分のエネルギーや日光や何やらで自動的に充電してくれるそれは、基本的には電池が切れることはない。

 

コンソールを操作し、艦娘の一覧を呼び出す。

色々明石にいじられているから大本営からもらった当初からはかけ離れたデザインをしているが、どんどん機能が追加されていることもあって、提督は別に嫌ではなかった。

 

「……異能欄、ね」

 

「はい」

 

運命の五分間、と言う言葉がある。

赤城の異能の元となったのはそれであり、結果として『失敗を踏みつけ、乗り越える』と言う強い意志と自信が彼女のそれを構成していた。

 

範囲はA。装填はE。威力はーとして表されているから無いということだろう。

持続はD。成長性はB。

 

ご丁寧に『最大値:A、最低値:E』と書かれているから、相当にピーキーなステータスだった。

 

「私、まだまだ粗いんです。一回使うと次に使うまで丸々三日かかりますし、持続時間も三分半。使ったらそこから問答無用で止まるので中断して残った時間を引き継ぐ、なんて芸当はできませんし、現状では『視界外からの奇襲』と言うところまでは」

 

「成長しきれば、できるかな?」

 

「できるまで、成長をやめる気はありませんし、満足することもしませんよ」

 

つまり、敵が異能持ちならそれは赤城の上位互換ということになるだろう。

少なくとも、異能面においては。

 

「……勝てそう?」

 

「正面から戦えば負けるでしょうけど、色々と工夫をすれば案外上手く行くのではないでしょうか」

 

楽観的な赤城を羨ましそうに見つめ、提督は端末に目を落とした。

 

異能の名前は『不撓不屈』。己に勝つ、諦めない、と言うようならしい名前である。

 

そんな気持ちを持ちたいと、提督は思った。現に、今怖くてたまらない。

 

今まで必死に手を広げて、全ての実を何とか落とさずに戦ってきた。沢山の艦娘の力を借りてだが、それでも轟沈させてはいなかった。

 

それが、今回崩れるかも知らないのである。

 

「なるほど、オーケー。じゃあ対策を考えておくよ」

 

「無理をなさらない程度に、よろしくお願い致します」

 

丁寧なお辞儀とともに、加賀にだけ見えるように、意味有りげな目配せをした赤城が退出する。

 

横に、加賀が座っている。

今にも押し潰されそうな提督の心を、それだけが柱となって支えていた。

 

「勝てるかな」

 

「彼我の戦力差がわかるまで、なんとも」

 

「あー、うん」

 

元来正規教育を受けた軍人ではない彼は、プレッシャーに弱い。

軍人とは我慢すること、という至言があるように、軍人は苦境に立っても決して弱音を吐いたりしてはならないのである。

 

彼は自分を必死に律しているから弱音を吐いたりすることはないが、それでも不安感を隠し切れてはいなかった。

 

好きな女性の前では無様を見せたくはないという見栄っ張りな思考が、彼を擬似軍人としていたと言っても過言ではないであろう。

 

加賀には、弱味を見せたくない。それだけで、耐えてこれたことが沢山あった。

 

(……不安なのかしら)

 

そのことを察して、加賀は今更ながら真面目に応対したことを後悔した。

 

割りと生真面目なところがある彼女は、見栄を張るよりも現実をそのまま言ってしまう。

木曾やビスマルクならば、ここで安心しろとでも言って提督の不安を解消できたのだろうが、自分にそんなことはできなかった。

 

「あの」

 

「何?」

 

「心配はいらないわ。何の根拠があるわけでもないけれど、その……」

 

あまり上手く言えない自分を不甲斐なく思い、加賀は思わず俯く。

バシン、と元気づけたいのに、そうもいかないのが嫌だった。

 

俯いている加賀の視界に、少し震えている提督の手が入る。

 

(怖いのね)

 

母性がかき立てられるような見栄の張りぶりに、加賀は少し微笑ましい物を感じた。

 

見栄を張っている提督は、なんとなく可愛い。抱き締めてあげたいような気持ちがふわりと浮かぶ。

 

「提督」

 

「な――」

 

何、とまた言いそうになった提督の顔を、加賀の豊かな胸部装甲が包み込んだ。

 

背が低い加賀としては、提督の背と首に手を回して、少し屈ませるようにして抱きしめるしかない。

首に回していた方の手を頭に添え、撫でる。

 

後から見れば『何と恥ずかしいことをしたのか』と絶句したい程のものだったが、この時の加賀には活発な母性本能があった。

 

抱きしめて、安心させたいと言う母性が恥ずかしさを超えていたのである。

 

「む?」

 

安心するような、そしてものすごく眠気を誘う加賀の匂いを嗅ぎ、母性の柔らかさを感じ、提督は思わず首を傾げた。

 

何が起こったのかわかるが、理解することを脳が拒絶している。

そんなような状態に、彼はあった。

 

「私が、頑張ります」

 

そんなこんなで混乱している提督を安心させようと、出来うる限り感情を表に出した温かな声である。

 

人型を取ってからまだ満五年も経っていないのに、彼女には非常に濃やかな母性が育まれていた。

そこがまた赤城に『共依存させかねない』と思わせる一因なのだが、彼女は別に彼を依存させたいわけではない。

 

普通に安心してもらいたいだけだった。

 

「赤城さんも、ビスマルクも、木曾も、鈴谷も、蒼龍も、飛龍も―――あと五航戦も居ます」

 

だから、他者の名前も挙げる。

心にまで届くようにと自分の体温で提督を温め、少しでも安心してもらえるように、自分たちを頼ってもらえるようにと抱きしめる。

 

「あなたの為だけに、あなたの命令で動く無敵艦隊よ。擂り潰されてきた他国のそれとも、擂り潰してきた深海棲艦のそれとも比べ物にならない練度があるわ」

 

「……不吉」

 

ボソリと、提督は呟いた。

彼からすれば、無敵艦隊など死亡フラグないし敗滅フラグだとしか思えないのである。

 

「何が?」

 

「無敵艦隊って言っても、いつかは敗れる時が来るわけじゃん」

 

「それは、そうだけれど」

 

加賀の与える安心感にほだされたのか、提督は目蓋を僅かに閉じながら不安を口にした。

 

無敵艦隊と謳われた艦隊で、終わりが良かったものは一つとしてない。この世は盛者必衰、弱肉強食。

 

それが戦争という非常時であり、理性化された倫理観が通じにくい環境ならば尚更であろう。

 

「心配だよ」

 

とくん、とくん、と。

分厚い胸部装甲を通しても、心臓の鼓動が微かに聴こえていた。

 

加賀は生きている。人間と同じような容姿で、人間と同じような言葉を使い、人間と同じような感情を持って、生きているのだ。

 

「……提督は、生き残るわ」

 

「皆で生き残らなきゃ意味がない」

 

温かくて、柔らかくて、小さい。

そんな加賀に抱きしめられて、包み込まれて、安心を得ている。

 

そんな自分に情けなさを感じつつ、提督は一先ず身を委ねた。

 

二十年程早く人として産まれてきているのに、逆にこのざま。

 

「頼りないかな、俺は」

 

「とっても、頼れる人よ」

 

甘くて温かく、柔らかい。

眠りたい、と言う欲望に抗しかねて、提督は腕を加賀の腰に回す。

 

細い。細過ぎるほどに、細い。

 

女性としての魅力溢れる、揉みに揉んで吸いたくなる程に見事な形とハリを持った双球からクリームを絞るようにして細まり、腰部で極まって臀部で膨らむ。

 

見れば見るほどに美しい、抱き締めて殺したくなる程の細っぽい身体だった。

 

「頼れる?」

 

「はい」

 

完全に子供が母親に甘えているような姿勢で、提督は尋ねる。

女の身体と言う神秘に、少なくとも意識がある時には提督は今までこんなにも密着していたことはなかった。

 

好きだ、という気持ちが募る。細く、必要な部分にむっちりと肉の付いた身体に密着するのは、その甘い眠気を誘うような匂いと安心感が相俟って麻薬のような癖と快感があった。

 

「提督、寝たの?」

 

「……寝てない、けど、このままがいい」

 

少し離れて、また引っ付く。

こうすることでまた、エアバッグのようにして加賀の身体を味わうことができた。

 

無性に安心するこの匂いを、もっと嗅いでいたい。柔らかさと温かさを、離したくない。

 

その気持ちがあらわれたのか、痛い程に抱きしめられて、胸の形が押し付けられた頭を受け入れるようにうねるように変わる。

 

ここになって流石に恥ずかしくなって、加賀は僅かに身を捩った。

 

「前に、ここまで怖かった時はさ」

 

ポツリ、と抱きしめるのをやめて、身を起こした提督が呟く。

加賀は少し琥珀の瞳を動かし、半分ほど自分に抱きしめられていて見えないその顔を見た。

 

「一人で耐えなきゃいけなかったわけだから、状況は好転してるのかもね」

 

「……ごめんなさい」

 

「いや、今嫌々にでもこうしてくれるのが、嬉しいよ。安心もしたし、落ち着きもした」

 

名残惜しさをこらえて、提督は加賀のめちゃくちゃにしたくなるような魅力を持つ身体から離れる。

 

女体の神秘と言うものの全てが、彼女の身体に詰まっていた。

できればその隅々までを探検し尽くしたいところだが、あいにく自分にその資格はない。

 

「……提督を抱きしめるのは、嫌ではないわ。私が嫌うということは、触れたくもないということだもの」

 

事実、提督も前はそうだった。

好悪の情が深く、その差も大きい。好きな者には限りなく甘く、嫌いな者には際限なく冷たい。

 

「あー、提督を、ね」

 

冷や水をかけられたように浮かれていた心が冷める。

頭を掻き、提督は加賀の身体をちらりと見た。

瞳には何の疑問もなく、逆にこちらの言い方に対する戸惑いがあった。

 

「…………そう、だけれど」

 

相当悩んだらしく、加賀はかなりの沈黙の後に返す。

 

「君の提督で居られてよかったよ。提督にならなきゃ、加賀さんとはこうしていられないわけだし」

 

「私も、提督の秘書艦としての任を課してくれたことだけは、大本営に感謝しています」

 

少しきな臭い言い方だな、と思いつつも、無意味な沈黙が気まずさを呼ぶことを加賀は知っていた。

 

出来るだけの好意を示すべく、それとなく加賀は好意を伝える。

 

「ああそう」

 

だが、帰ってきたのはいつになく冷淡な言葉だった。

 

視線が冷たい。こちらへの害意と言うよりも、諦めと悔しさのような負の感情だが、加賀はその辺りに敏感である。

 

すぐさま、彼女は自分の発言が歓迎されていないことに気づいた。

 

「…………提督は、私でない方が良かった?」

 

「わかんないよ、そんなこと」

 

恋したいとは思っていた。だが、こんなに苦しいとも思っていなかった。

 

加賀とは、いいところまでは行く。他人ではないし、嫌われているとは思えないほどに近くまで行ける。

 

しかし、その度に『提督だから』と言う現実を突きつけられるのだ。

 

ならば最初から気のない態度を取って欲しい。抱きしめたり、認めるような言葉を言わないで欲しい。

 

『加賀さんは、最初の提督が俺じゃなくてもそう言ってるよ』

 

『もっと優秀な奴が出てきたら、そっちの方がいいだろうに』

 

『別に俺に拘る理由も何もない癖に、無自覚でこちらの心を縛るのはやめて欲しい。もしかしたら、とその度に思うのだから』

 

ぐるぐると、その三言が回る。

 

加賀が優しくしてくれる度にそう思い、提督だからと聴く度に冷める。

救いは、すぐに『提督だから』と言ってくれるから長期の期待を抱かないで済むところだろうか。

 

「でもやっぱり、加賀さんでよかったんじゃないかな」

 

「……そう」

 


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