提督と加賀   作:913

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浅き者様、活字中毒様、皐月病様、評価いただき光栄です!


五十八話

少し嬉しげな、弾む様な声を出した加賀は、気持ちとは真逆に俯いた。

 

あからさまにお前で良かったと言われ、選ばれて良かったと言う感情を表に出すのは、はしたないように思える。

赤城のように愛想が良いが闘争本能や激情をみだりに外に出さないようなポーカーフェイスが、加賀は欲しかった。

 

自分に備わっているのは生まれ持っての無愛想な面だけだが。

 

「……嬉しいわ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

如何にも取ってつけたような言葉に若干怯み、提督は頬を引き攣らせながら敬語で礼を述べる。

 

加賀の感情表現は、平坦なのだ。言葉にもほんの僅かな感情しか出ず、怒っている時にわかる程度。

 

「敬語でなくとも、いいのだけれど」

 

「あ、はい」

 

「……?」

 

困ったように首を傾げ、加賀は提督を訝しげに見つめた。

 

加賀は、いじめられたいと言うような感情がある。軋むほどに抱き締められるのが嬉しく、骨と肉が圧迫されて提督の身体に押し付けられて痛みを感じるのが幸福だった。

 

命令されて、支配されたい。支配されて、毀されたい。

 

踏みつけられて組み敷かれるような、そんなことをされるのが彼女の欲望として確かにある。

 

現に通りかかりざまに尻を思いっ切り叩かれた時も、嫌ではなかった。怯んだりはしたが、ムカリとはしなかった。

 

鉄面皮の割りに短気な、という自覚のある加賀は、沸点が低いわけではない。

すれ違いざまに女性が尻を叩かれれば、怒るだろう。

 

いやではない、と思っていた。

 

「もっと、乱雑に扱ってくれてもいいのよ、提督。私はあなたの秘書艦なのだから」

 

「加賀さんを乱雑に扱うってのは、なぁ」

 

芸術作品を床に叩きつけて割ろうとするようなもの。

そのような認識が、彼にはある。

 

もっとも、その芸術作品を戦場に出しているのは自分なのだが。

 

「……」

 

加賀としては提督に、支配されたい。頭のてっぺんから足のつま先に至るまで全てを支配され、組み敷かれて犯されたい。

愛を囁かれ、溶け合いたい。

 

芸術作品なんぞではなく、使い捨てのカイロでいい。使うだけ使われて捨てられたい。

 

身体の芯から甘い欲望が解き放たれ、加賀は思わず赤面する。

 

(私、淫らなのかしら)

 

隷属願望に魘されたところはあると、わかっている。

だが、それは仕方ないとも思っていたし、割り切れていた。

 

だが、その思考が世間一般の女性として正しく、健全かと言われれば首を縦に振る自信は無い。

 

「提督は、優しいのね」

 

「そうかな」

 

優しい人は好きな女を鉄火場に立たせないと思う。

心の中でつぶやき、加賀と言う女を見た。

 

美人である。人だということが信じられないほど完成されているが、非現実的な美貌ではない。

あくまでも絶世の、健全な美貌なのだ。

 

「……加賀さん、飲もう」

 

「いいけれど」

 

一旦酒を取りに戻り、加賀はちょこん、と安産型のお尻を提督の横に置いた。

 

これは、提督としては意外である。

 

てっきり隣に座ったという事実をリセットする為に彼女がわざわざ取りに行ってくれたのかと思ったのだが、そういうことでもないらしい。

 

こういうことがあるからこそ加賀は自分に気がある―――とまではいかずとも脈があるのではないか、と思ってしまうのだ。

 

グラスは二杯。それぞれに酒が満たされ、泡を立てる。

 

お互いに乾杯、と言って、提督と加賀は同時に喉を潤した。

 

喉が渇いている。物理的要因ではなく、心理的な要因によって。

 

提督は、片手で持ってぐびぐびと飲む。

加賀は、両手で持ってちびりちびりと飲む。

 

この二人の飲むスピードが違うくせにペースが同じと言うのは、喋る配分の違いでもあった。

 

「……恋、したことある?」

 

「え?」

 

加賀に唐突に問い、提督は戸惑う彼女に対してもう一度繰り返した。

 

「恋」

 

「……しています」

 

「そっか」

 

素っ気ない返答にやや落胆し、面食らいながら、加賀は変わらない外面とは裏腹に内心で拗ねた。

 

自分に興味があってした質問ではなく、彼が語りたいことを語るための質問だと気づいたのである。

 

「加賀さんにはわかんないだろうけど、恋って苦しいんだよ」

 

「苦しい?」

 

「理性じゃなくて、感情で好いてるんだ。無理だと思っても諦めきれないし、その人の一挙手一投足が気になるし、一言でもこちらを褒めたり認めてたりするような言葉があると嬉しくなる。逆に、それが恋と繋がらないとわかるとすごく、辛い」

 

加賀は、側に居るだけで幸せだった。そりゃあ自分のことを好きになって欲しいが、本質的には『側に居るだけで』というところは変化していない。

 

自分は連れないような態度を取った覚えは無いから、つまりはそういうことなのだろうと思う。

 

提督は好きな人が居て、それは自分ではないのだ。

 

「……今、わかったような気がします」

 

「言われるまで気づかなかったの?」

 

「ごめんなさい」

 

少し驚いたような顔をした提督を見て、加賀の心は更に傷んだ。

 

脳天気な奴だとか、思われたのだろうか。

それとも、この言われるまで気づかなかったのという言葉は、彼が自分とは別な女性に恋していることを、ということなのだろうか。

 

後者ならば、自分は拒絶されたことになる。

 

「……提督、は」

 

絞り出すように、加賀は勇気を振り絞ってこの二択の特定に動いた。

 

「提督は、私と居るのは苦痛?」

 

ある意味苦痛だと言いかけて、提督は口を噤む。

 

苦痛なのはこちらの都合で、加賀が悪いわけではない。強いて言うならば、ややこしい言動をなくしてほしい。

 

苦痛だと言えば、決定的な破局が訪れるだろう。

 

「……苦痛じゃない。でも時々、加賀さんがわからなくなって、辛いよ」

 

「表情に、出ないものね」

 

その自嘲気味の台詞には、あることが表れていた。

つまりそれは、加賀は本当は感情豊かで、でも表に出ない、ということである。

 

そして、それに関して彼女は悩んでいる。

 

しくじったな、と提督は思った。

何を言えばいいかわからない。この時に至って、提督の女性経験の浅さが露呈した。

 

「…………でも加賀さんは、頑張ってるじゃん」

 

「結果が出なければ意味はないわ」

 

それはそうだとも思う。だが、表情の鈍さと言うのは生まれつきのもので、矯正できるたぐいのものではない。

 

加賀は表情筋が死滅しているのではないかと思うほど無表情だが、なんとなくわかるようになってきているのだ。

 

それが受け手側の成長か送り手側の成長かは、定かではないが。

 

「……私も、夢があるわ」

 

「ん?」

 

「私も、夢を抱けたの」

 

仔犬のような無垢さで、加賀は提督に凭れ掛かり、見上げる。

 

凭れ掛かる為にサイドテールは解かれ、美しい黒髪がさらさらと後ろに流れていた。

 

「好きな人に、必要として欲しい。好きな人に、頼って欲しい。好きな人に、愛して欲しい。好きな人と私だけで、暮らしたいの」

 

美しい。

いつものサイドテールももちろん最高だが、くくっていた髪を解くと目新しさとしとやかさ、女としてのもろさが出ている。

 

言っていることの慎ましさもあって、提督は思わず抱きしめてやりたくなった。

奪ってやろうという悪魔の囁きをいくどもはねのけ、彼は何とか無防備な肢体を組み敷くことを耐える。

 

「……いけない夢かしら?」

 

「いけなくは、ないよ」

 

つまりはその時が来たということだ。

 

提督は心の中で呟いた。

 

加賀が艦娘から普通の女に戻り、退役して余生を暮らす。

そこに自分はいないし、居るべきではなかった。

 

「で、その好きな男とは一緒になれそうなの?」

 

「……それは、まだです。だけれど、一緒にいる機会は今でもかなりあるので、いずれは」

 

四六時中秘書艦として引きずり回されながら、それでも互いに都合のつく時間を作ってはあっているのか。

 

まったくしらなかった事実に驚きつつ、提督は自分がお邪魔虫でしか無いことに気付いた。

 

(秘書艦、解任してやろうかな。好きでもない男の側に居なくて済む、と泣いて喜ぶかもしれん)

 

実際そんなことをされれば加賀は別の意味でさめざめと泣くだろうが、そんなことを彼がわかるわけもない。

 

なんか嫌な予感をおぼえて首をかしげる加賀を見て、提督の頭からその考えは吹き飛ぶ。

 

可愛い。可愛いのだ。

 

どうせとられるならせめて寸前まで側にいたい。

 

「……加賀さんは、俺の側に居てくれる?」

 

いつまで、と。

心の中でそう付け足して、提督はその黒のニーソックスが眩しい太腿に置かれた柔らかな手を掴む。

 

期限が決まっていたら、答えてくれる。

もし万が一何かの事故で加賀が自分のことが好きだったら、『ずっと』とでも答えてくれるだろう。

 

思いを断ち切るためにも、提督は曖昧ながら大きく振りかぶった一太刀を振り下ろした。

 

「…………」

 

無限に感じられる沈黙のあとで、加賀の表情が更に固まる。

 

それは、見せたくない、見られたくないと言うような拒絶の貌だった。

 

「……いつまで、居てほしいの?」

 

 




Q.加賀さんは何を考えてこういったのでしょう?

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