提督と加賀   作:913

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五十九話

いつまで、と加賀は訊いた。

 

加賀としてはその曖昧さが怖い。『ずっと居ます』と言う言葉が誤爆するのが怖い。

 

その意味も込めて、加賀は提督にそれを求めた。

 

加賀は、『ずっと居てほしい』と言って欲しかったのである。

 

だが、それは提督が加賀に求めたことだった。

 

(やっぱり不承不承、だよな)

 

感情が読みにくい加賀だが、それくらいならばわかる。

その琥珀の瞳には戸惑いが写し出されていたし、明らかに手の辺りが挙動不審なのだ。

 

鉄面皮と言える無表情の中にも、動くものがある。どこかそわそわとしていると言うのが、提督の見方だった。

 

「加賀さんが、俺を見捨てるまで、かな」

 

「それでは、ずっと居ることになります」

 

「嫌?」

 

「いえ」

 

俯いてこぼしただけに、表情が見え難い。

提督よりも背が低いだけに、色っぽいうなじがちらりと見える。

 

陶器のような白さが美しく、少し提督は圧倒された。

何となく、自分より綺麗というか、芸術的な物に対する気後れがある。

 

両手で酒を入れたグラスを持ち、ちびちびと呑んでいる加賀は、酔いの熱も顔に出ない。態度にも出ない。

内に篭もり、少しずつではなく一気に波が来るタイプだった。

 

いつも結っている髪を梳いた加賀の髪が、提督の肩に僅かに触れる。

ほんの一歩だけ、加賀は横に動いて近づいていた。

 

「私で、いいの?」

 

「加賀さんにとっての提督が俺でいいなら、そうなる」

 

どこか不安げにそっぽを向いたような言い方に、加賀は昔の自分の所業を色々と思い出した。

反抗期の女学生のようにことあるごとに噛み付き、指摘し、駄目出しする。

 

その繰り返しが提督から自信を奪ったことは、想像に難くない。

 

「……色々、あなたに酷いことをしてきたという自覚があるからとやかく言ったりはできないけれど、私はこれでもあなたに忠誠を誓っています。そこのところはその、信じてほしいわ」

 

「なんか最近角とかが取れて、おとなしいもんね、加賀さんは」

 

常に警戒と敵意を失わなかった猫が、不意におずおずと近づいてきたような感覚が、提督を常に支配している。

かと言ってこちらから歩み寄れば、つつつっ、と何処かに行ってしまうのであるが。

 

「……少しは、その、素直になりたいと」

 

「いいことなんじゃないかな、それは。そうしてくれれば俺も随分楽になるよ」

 

「素直な私の方が、面倒くさい頃の私よりいいでしょう?」

 

少し悔やむ様にポツリとこぼれた言葉に、提督は少し頭を傾げて反論した。

 

「いや、加賀さんは面倒くさくても良かったよ。何か、面倒くさいけど特有の可愛さがあった」

 

それにと言ってはおかしいが、基本的に今の己の腹心と言うか、信頼の置ける―――ビス子やら赤城やら―――は、一様に面倒くさかった。

人なのだから当然だが、信頼関係を築くには相当な労力を使う。素直なのも居たが、素直な子と言うのは希少で、なおかつ素直だからと言って信頼関係を築くのが簡単というわけではない。

素直と言うのは、最初からある程度言うことを聞いてくれるというだけで、信頼関係を築くには地道な積み重ねを要求される。

 

赤城はまあ、素直と言ったら素直で、面倒くさいと言う分類に入れるとしても面倒くさい連合の中でも極めて良識的だった。

最も面倒くさい加賀が事務の一切を取り仕切る秘書艦、次席のビス子が文字通り盾となる旗艦なあたり、彼の面倒くさい女に対する懐柔の巧みさは達人と言えよう。

 

「……提督は、ヘンな趣味をしていらっしゃるのね」

 

急によそよそしくなってそっぽを向いた加賀を見て、提督は再び地雷を踏んだかと危ぶむ。

そもそも、彼は面倒くさい女に対する懐柔の方法は心理把握の巧みさによるものではなく、その面倒くささの迷宮を素直さと根気で溶かす、と言った物なのだ。

 

だから、何処まで行けば懐柔し切れたのがわからない。ビスマルクは色々とわかりやすいからわかっただけである。

例えるならば、最初に話しかけた時の第一声たる『気安いわね』プラス氷のような冷たい表情から、日本滞在の終盤の『私が旗艦になって、護ってあげるわ。感謝しなさい』言う褒めてオーラまるだしのドヤ顔への変遷。これを見れば、流石にわかる。シベリアンハスキーがわんこになったことくらいは。

 

加賀はまぁ、柔らかくなった。ちゃんと受け答えしてくれるようになったし、ゴミを見るような目で見てくれなくなった。声音も冷たさが消えた。

ただ、どうかな、とも思う。

 

感情の起伏を感じるが、その内容がわからない。故に、懐柔し切れたのかな、とは思えない。

ビスマルクの地雷は踏んでも五秒くらいで何とかなるし、何より地表面に剥き出しで放置されている。

 

加賀の地雷は本当にわからないし、踏んだことすらわからないことが多々あった。

 

「軽蔑した?」

 

ふるふるっと、首が振られる。

違います、ということらしいが、その動作は鼻に毒だった。

加賀の自由になった髪からは常に、ふわりといい匂いがしている。

 

それがほわほわと撒かれたようなもので、提督としてはそのいい匂いに居たたまれなくなる。

 

加賀は普段から、女女しているわけではなかった。

 

時々大荒れする琥珀の目は感情の波を映すことなく凪いでいて、口はその寡黙さを示すように結ばれている。

服装は当然艤装のそれであり、喋ることも少なく、声音もまた凪いでいる。

 

腰のくびれや胸と臀部の豊かさは彼女の女としての魅力を無計画に、無造作に、そして暴力的に撒き散らすが、肝心の顔が美術品のような美しさでしか無いから、ある程度中和されている状態なのだ。

 

つまり、感情とか、そう言った躍動感がない。

 

だから動作と匂い、視覚と嗅覚による不意打ちを食らうと、提督としては正気ではいられなかった。

 

(女だよな、やっぱり)

 

何とか美術品のような部分に注視することでその女として自己主張の旺盛な部分から目を逸らしてきたのに、こうなっては辛い。

 

「あの」

 

「はい」

 

少し俯いて何やら考えていた加賀が唐突に横を向き、その口を開いたことで、提督も彼女と目を合わせた。

ほんのり動揺の波が来ている琥珀の瞳は、提督には眩しく見えるほどに愛らしく見えた。

 

「今のはその、違います、と言うことよ。つまり、軽蔑はしていないと、そういうことになるわ」

 

「わかってるよ」

 

「……そう」

 

誤解を招きたくなかったのか、ちゃんと一生懸命(と、思われる。表情と声色は変わらないが、眼が切実であった)話してくれたのだから、これは素直に嬉しい。

 

第一、加賀の可愛いところを見れた。話す姿は、慣れないながらも誠意があったのだ。

 

「なら、いいの」

 

ちびちびと注がれた酒を飲む作業に戻った加賀の身体が、次第に弛緩してくる。

達成感による満足と、緊張感が切れたことに対する安堵と、何よりも余り強くない酒を少しずつとは言え摂取し続けたことが、原因だった。

 

「加賀さん」

 

完全に船を漕いでいる加賀に提督が話しかけ、返答がないことにを確認して彼女を見る。

寝始めと寝起き。この時に何されようが、人はまるで頓着しない。気づきもしない。答えはするが、覚えていないことが多いのだ。

 

「眠いの?」

 

「……ええ」

 

「なら、寝たら。お酒飲むと不安とか恐怖とかがあっても、ぐっすり眠れるんだよ」

 

「ええ」

 

几帳面に両手で持っていたグラスを机に置き、加賀はソファーに背を預けて寝息を立て始めた。

相変わらず、無防備である。

 

「加賀さん、寝ちゃったか」

 

答えはない。規則正しい寝息と、自分の肩にかかる微かな重みが、その事実を示していた。

 

腰に手を当て、少し抱き寄せる。

細さが際立ち、掴めば潰せそうな華奢さがあった。

 

「男の前で寝ると、襲われるよ」

 

結構な頻度で、加賀は酔い潰れる。

そんな風には見えないくせに、案外と酒に弱い。しかも、潰れるまでは飲まない、と言う節度がない。

 

前はこんなことは無かったはずなのだが、同じ時を過ごす度に酔う頻度と、眠りに落ちる可能性は高くなっているように思える。

 

非常に不安に思いながらも、提督は取り敢えずなんとなく撫でていた腰から手を離した。

胸からなだらかに落ちるくびれを撫で、臀部の前で引き返す。

 

何と言うか、かなりのセクハラだが、寝た加賀さんが悪い。

広い袖から出ている滑らかな手を撫で、掴む。

 

体温が高い。暖かいと言うよりも、暑い。天候がガタガタと変わっているこの謎の冬の時期、加賀の暑さは嬉しいが、少し心配にもなる。

 

「……取り敢えず起こすか」

 

色々と触り続けていた身体を揺すり、加賀を起こそうと苦心する。

だが、加賀は早々起きない。目覚めが悪いし、低血圧で判断も鈍い。

 

起こそうと揺らせば割りと眼に毒な光景が現れるのだが、それでも加賀は薄っすらと眼を開いた。

 

「部屋に帰ろう、加賀さん」

 

「……いや」

 

睡たげな目が何回か瞬き、また閉じる。

寝させてくれ、ということらしい。

 

こうなれば、何をしようが起きないことを提督は知っている。

 

対面を向いていたが為にぐったりと加賀の身体が提督へと倒れ込み、むにゅりとした圧倒的な質量が提督の鳩尾辺りに押し付けられた。

 

「……ゆっくりしましょう、ていとく」

 

「ゆっくりしましょう、って?」

 

果実酒の甘ったるい匂いと加賀の髪の何とも言えない良い香りが混ざり、思わずゴクリと唾を飲む。

女と言う存在が、自分の身体に押し付けられている。そんなつもりがあるのかないのかはわからないが、背筋がくすぐられたような甘美があった。

 

ゴシゴシと、甘える猫のように自分の頭を胸板に擦り付ける加賀をどうしたものか、と言うような、頭が白むような気持ちがある。

 

「……加賀さん、酔ってるでしょ。自分の気持ちに沿わないで、勢いで動くのはやめなさい」

 

「酔っていません。したいから、しているの」

 

眼が、完全に据わっていた。

 

ぎゅーっと身体を押し付け、甘えるように自分の匂いをつけようしているその姿は、まごうことなき『所有権を主張しようとしている猫』そのものである。

 

「……マタタビに酔った猫のような」

 

自然と声に出ていた感想に何を思ったのか、少し髪が乱れた加賀が胸板から頭を離す。

据わった眼で対面になり、加賀はおぼつかない手で酒を取って飲み、ほんのり赤くなった。

 

「……にゃー」

 

ぼそり、と呟く。

言った途端にそっぽを向き、後ろを向く。恥ずかしそうに俯かせた琥珀の瞳といつものように引き締まった口元、すぐ前まで押し付けられていた胸に変わって、小さな肩とすらりと背骨が通って形のいい背中が視界に入った。

 

(どうしたんだ、加賀さんは)

 

凄まじく可愛かったが、いきなりこんなになったことに戸惑いがある。

ほんのりと骨の美しさが見える背中も可愛いな、と、提督は暢気に考えていた。

 

肩甲骨と背骨にたまらない色気がある。

ひとまず水を渡して飲ませ、暫く経った。

 

加賀の肩のところに手を当て、提督はほぼ確定させるように声を掛けた。

 

「加賀さん、酔ってるね」

 

「……ええ」

 

「寝てきなさい」

 

こくん、と頷いて、加賀はフラフラしながらも立ち上がる。

よろめいた所を両肩を持って支えてやり、提督は振り向いた加賀に対して言った。

 

「送るよ。近いけども」

 

「…………お願いします」

 

ちどり足の加賀は、何回かふらふらと提督の方に寄りかかる。

その度に女性らしい柔らかみに満ちた加賀の身体が、提督を散々に悩ませた。

 

ぐいっ、と抱き寄せて、押し倒してやりたいと思える程に。

 

「……やっぱり、そうはならないのね」

 

「何がよ」

 

「いえ」

 

気の迷いです、とポツリとこぼし、加賀はピン、と背すじを伸ばした。


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