俺ガイル短編集   作:さくたろう

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社畜となった俺にだって譲れないものがある。

 季節が秋から冬に変わり、俺は年末の慌ただしい雰囲気の中、多忙な日々を送っていた。

 三崎さんとはシュークリームを買いに行った後も、何度か飲みに誘われて一緒に飲みに行った。ただそれだけだ。それ以外、何か起こるわけでもないし、起こす気もない。職場の人間関係なんてそれくらいがちょうどいいだろう……。

 

「ふう……」

 

 仕事が一区切りしたところで喫煙所に行き、コーヒーを飲みながら一服する。……こんなんで喜び感じちゃう俺ってどうんだろうな。安すぎないか、俺の幸せ。

 窓から見える夕日を見ながらそんなことを考えて黄昏ていると、ウェイウェイと戸部のような奴らが歩いてくる。俺の同僚たちだ。

 

「いやあー、今日の合コン楽しみじゃね?」

 

「だな、ナースとかマジ上玉だろ。」

 

 こいつらいつも合コンしてんな。そんなに出会い求めてどうすんの? そもそも何回もやっててまともに成功したことあんのか?

 

「今日もさっさと定時で帰って準備しようぜ」

 

「おう、今日はガチで行くぜ」

 

 ……お前ら、合コンとか行くのは勝手だが仕事くらい終わらせていけよ。このくっそ忙しい年末時期にこいつらが定時で仕事を終わらせられるとは思わんがな。こいつらが仕事を終わらせずに何食わぬ顔で定時に帰るせいで俺みたいなやつが仕事増えんだよな、まじで世の中理不尽極まりないわ。

 

「でもさー仕事終わんなくね?」

 

「終わんなくても大丈夫だろ。主任に泣きつけばあの人なんでもやってくれるからな」

 

  にへらっと三崎さんを嘲笑するように吐き捨てながら、同僚は言葉を続ける。

 

「昨日も軽く泣きついたら『それならあとは私がやっておくから大丈夫だよ』なんて言ってたから全部押し付けて帰ったわー」

 

「お前最低だなー。まあ俺もなんだけどさ」

 

「それにあれだべ。主任とかどうせ仕事が生きがいみたいな人だから、俺らの仕事をやることで楽しんでんだよきっと」

 

 こいつら何言ってんだ。

 

 同僚の話しなんて普段なら全く興味ないが今日は別だった。笑いながらあいつらが三崎さんのことを馬鹿にしているようで、それを聞くのが今の俺には耐えられなかった。こんなの俺らしくもないのだろう。ただ、このままあいつらに三崎さんが馬鹿にされるのは癪に触る。こいつらはあの人のことを何もわかってないくせに……、二人で飲んでるとき、会社の話をするときのあの人の悲しげな瞳とか知ってんのか?

 

「おい」

 

 気づけば俺は同僚たちに話しかけていた。

 

「なんだよ、比企谷。お前も合コン行きたいのか?」

 

「ちげえよ。それよりお前ら、自分の仕事くらい自分でやれよ。あんまり主任任せにすんな」

 

 なんでこんなこと言ってんだ俺は。……あれだな、雪ノ下さんに言われたからだ「助けてあげて」と、だから助けようとしたんだな。うん、そうだ、それ以外に特に理由はない。友人の姉の頼みだもんな、そりゃ断れないだろう?

 

「なんだよ急に。別に主任がやりたがってんだ、いいだろ?」

 

「本人がそう言ったのか?」

 

「い、いや、そうは言ってねえけど」

 

 そりゃそうだろ、どこの世に部下の仕事を喜んでやろうとする奴がいんだよ。こいつらは自分のいいように解釈しすぎなんだ。そして「じゃあ自分でやれよ?」と言おうとした時――

 

「つうかお前さ、やけに主任の肩持つな」

 

「そうな、お前主任に惚れてたりすんの?」

 

 は? なんでそうなる。今の話をどう聞けば俺があの人に惚れてることになるんだよ。擁護したら惚れてるとか小学生かこいつら。本当、頭大丈夫なの? いや、大丈夫ならそもそもこんな会話にならねえか。

 

「ちげえよ、話すり替えんな」

 

「だよなぁ、あんな地味でダサい人に惚れるわけないか」

 

 ……なんだろうなこの感じ。別に俺が言われてるわけじゃないのに、胸が締め付けられるような。

 その言葉に俺は何も返せずにいた。

 

「単なるマジメくんか。まあ、なら気にすんなよな、お前に頼んでるわけじゃないんだ。いこうぜ」

 

「おう」

 

 そして二人はその場を離れていった――

 

 

 一服して気分転換できていたはずなのに一瞬で胸糞悪い気分になり、このまま仕事をする気分にはなれないのでもう一度タバコに火をつけ一服する。胸の中にあるモヤモヤを煙と一緒に吐き出すように、ゆっくりと大きく息を吐いた。

 部署に戻ると定時は過ぎていて、さっきの同僚たちや他の奴らの姿はそこにはなく、キーボードを叩いている三崎さんと課長だけが残っていた。

 

「おっと、もう定時を過ぎてしまったね。帰りが遅いと妻がうるさいんで先に失礼するよ。残った仕事よろしく頼むよ、三崎君」

 

 帰りの支度を済ませた課長がそう言って、主任のデスクに自分の仕事であろう書類等を置いた。

 

「あ……、わかりました。お疲れ様です……」

 

「うむ、お疲れ」

 

 そのまま出入り口で俺とも挨拶をして課長は帰宅した。

 

「主任」

 

 声が小さかったのだろうか。呼びかけても返事はなく、キーボードを叩き続ける。もう一度、さっきよりも大きめの声で呼ぶ。

 

「……ん、比企谷君、どうしたの?」

 

 ようやく呼び声に応じる。こちらを向いた三崎さんはいつもよりも疲れた表情をしていた。

 

「他の奴らはどうしたんですか?」

 

「ちょっと今日はどうしても大事な用事があるらしくて帰るって言ってたよ? 仕方ないから残りは私が引き継いで終わらせることにしたの」

 

 どうしても大事な用事? 合コンがか? ふざけんな。それに……この人もこの人だ、毎回毎回同じようなことを言われて仕事を押し付けられているなら三崎さんのことだ、本当はいろいろと気づいてるんじゃないのか。

 

「それで帰したんですか。……主任、本当は気づいてるんじゃないんですか? どうせあいつらが主任のこといいように使ってるだけだってこと」

 

 言わずにはいられなかった。昔ならこんなこと一々俺が他人に言うこともなかったろう。

 ただ、今の三崎さんを見ていると昔のことを思い出してしまうから。

 高校2年の文化祭実行委員会の時のことを――

 

 あの時、俺は雪ノ下の体調が悪いことに気づけなかった。何が「人間観察が得意だ」だと、あの頃の俺を消したくなる。

 でも、今回は救う、あの頃の俺とは違うから――

 

 三崎さんの顔色はいつもよりも悪くなっている。年末で仕事量も増えていってこのままだと確実にこの人は体調を崩すだろう。だがそんなことは俺がさせない。

 ……雪ノ下さんに頼まれたしな。

 

「別にそんなことはどうでもいいよ」

 

「どうでもよくないでしょ? 主任、自分の顔見てないんすか。明らかに顔色悪いし、少しは休んでください。あんなやつらのために自分が苦しむことないでしょ」

 

 そうだ。あんな奴らのためにこの人が苦しむ理由なんてない。この人はもっと自分を大事にするべきなんだよ。

 そう思いながら、何か引っかかるような感じがしたがさらに言葉を続ける。

 

「今の主任のやり方は間違ってますよ。そんな自分を犠牲にして……」

 

 ここまで言いかけて言葉が止まる。

 そうだ、……やっぱりこの人と俺は似てるんだ……それも昔の俺と……。

 自分を犠牲にして、会社のために働いている三崎さんと、自分を犠牲にすることで……いや、昔とか言ってるが、結局俺だって今周りのやつらのやり残した仕事を片付けてるじゃないか。それなら結局、今の俺も昔の俺も何も変わっちゃいないってことだろ……。

 

「すいません、なんか偉そうなことを言って……」

 

「ううん、いいの」

 

「あいつらの分は俺も手伝うんで。早めに終わらせて帰りましょう」

 

 違う。俺が言いたいのはこんなことじゃない。これじゃ何も解決なんかしやしない。だが、今の俺には明確な解決方法が浮かばない……、だったらせめてこれくらい手伝わないと。

 

 それから三崎さんが同僚に頼まれた仕事や課長の仕事を片付け、二人とも会社を出たのは日付が変わってからだった。

 

「お疲れ様です」

 

「ん、お疲れ様。ごめんね、比企谷君、手伝わせちゃって」

 

 あなたが謝ることじゃないでしょうそれは……

 

「ふぅ、流石にちょっと疲れちゃったかな」

 

「大丈夫ですか?」

 

 大丈夫なはずないのに、そんなこと今のこの人を見てればすぐわかるのに。そんな言葉しか言えない自分に嫌気がさした。

 

「うん、大丈夫。それに比企谷君に心配されたのは嬉しかったしね?」

 

 にこっと疲れた顔でそう言われる。それがきつくて三崎さんから顔を背けてしまう。

 彼女がその後に「またね」と言ってその日は別れた。

 

 その夜、三崎さんを助ける為に何か解決作がないか考えたが、明確な案は思い浮かばずに俺の意識は眠りについていった――

 

 

 そして次の日、会社に行くと三崎さんの姿はなかった。

 

「課長、今日は主任はまだ来てないんですか?」

 

 何故か不機嫌そうな課長にそう聞くと、皮肉を言うように話し始めた。

 

「ああ、なんか体調を壊したらしいよ。胃腸炎だっけ? まったく困るよねぇ。この忙しい時期に。主任にもなって体調の管理すらできないなんて社会人失格だよ」

 

 は? 胃腸炎? それってストレスとかが原因でなる……? あの人はそこまで追い詰められてたってことなのか? ……何やってんだよ俺は……

 

 課長のがそう言った後、その言葉に反応した同僚たちも続いて三崎さんのことを貶し始めた。

 

「本当ですよ、主任に休まられると上司の尻拭いを僕たちがしなくちゃいけないんですからね」

 

「上司がこんなだと仕事に身が入りませんねえ」

 

「それな、つうかさ、主任0っていつもなんか残ってるけどさー、仕事遅くね? 残業する社員って会社にとってお荷物でしかないよな」

 

「わかるわかる!」

 

 何言ってんだこいつら。

 どう考えてもあの人が体調崩した原因はお前らにあるだろ。それを何堂々と全て三崎さんのせいにして……あの人が誰の仕事して遅くなってると思ってんだよ。

 ただでさえ、あの人が調子が悪いと気づきながらも助けることができなくてしんどいのにこいつらの言葉で頭がおかしくなりそうだった――

 

 それからはほとんど仕事が手につかず、三崎さんのことばかり考えていた。今更かもしれない……もう遅い可能性だってある。それでも、こんな腐った環境からあの人を助けたいと思い、必死で解決作を考えた。だが昨日の夜同様にここまで悪くなった環境を変える名案は思い浮かばなかった。

 定時の時間が過ぎて周りのやつらは退社していく。仕事なんて気分じゃないのに、今日も何故かまだパソコンに向かって作業している。いつもと変わらないことといえば三崎さんがいないことくらいだった。

 

「少し休むか……」

 

 自販機に向かい、いつもあの人が渡してくれるコーヒーを購入し、喫煙所に向かう。

 一本目を吸い終わり、続けてもう一本吸おうとすると携帯が鳴る。

 着信の相手の表示を見た瞬間、軽く憂鬱になり一度深呼吸をしてから通話に応じた。

 

「……もしもし」

 

『ひゃっはろー、比企谷君。どうしたの? 元気ないねえ』

 

 そりゃ元々沈んでる時に、このタイミングであなたから着信なんてきたら元気なんてでませんよ……。

 

「いえ、別に」

 

『そっ、でさ、比企谷君。私が何を言いたいかわかるよね』

 

 この人の考えなんて本当は分かりたくないし、わかろうとしても普段ならわかるはずもないだろう。ただ、この時に限ってははっきりと何が言いたいのかわかる。それは俺が俺自身に言いたいことなのだから。

 

「……はい」

 

『ん、わかってるならいいんだ。それじゃあね』

 

 え? これだけなの? もっと何か言われると思ったんだが……。

 正直「はい」と答えた時点で雪ノ下さんに何を言われても受け止める覚悟でいた俺は、彼女が何も言ってこないことに拍子抜けしてしまった。

 

「い、いや、何か俺に言うつもりで電話したんじゃないんですか」

 

『まあね、言うつもりだったけど、比企谷君は十分ちゃんと考えてるようだしね。今回は失敗しちゃったみたいだけど』

 

 やっぱり知ってたのか……。それならもっと責めてくれた方が気が楽なんだがな……。

 

『あのね、もし、君だけの力でどうしようもない時は一人で抱え込まないで誰かを頼るといいと思うよ。それが誰かは比企谷君なら言わなくても大丈夫だよね? 君は本物を見つけることができたんだから』

 

 そう言うと、俺が返事をする前に電話を切られた。

 

 そっか……「誰かを頼るといい」か。

 思い浮かぶのは高校時代に多くの時間を共有した二人。

 雪ノ下さんがなぜ親友の三崎さんを自分の手で助けずに俺に助言をしたのかは謎だが、あの人のことだ。何か考えがあるのだろう。今はそんなに重要じゃない、それよりもだ。

 携帯を手にし、さっきまで通話をしていた人の妹に電話をかける。

 

『もしもし』

 

「雪ノ下か、俺だ」

 

『ごめんなさい、どちらさまかしら』

 

「いや、だから俺だって」

 

『ごめんなさい、私の知り合いに俺という人はいないわ。間違い電話ではないかしら』

 

 え? 何、なんなの? あ、もしかして雪乃さん俺の携帯登録してなかったのかー、っておい。

 

「比企谷だよ……」

 

『あら、比企谷君だったのね。てっきりオレオレ詐欺かと勘違いしてしまったわ』

 

「いや、つうかお前、俺の携帯登録してないの? 画面みたらわかるよね?」

 

『…………さぁ?』

 

 おい、随分間が空いたな。こいつ絶対わざとだろ。でも何かそのやりとりが懐かしく「ふっ」と笑ってしまう。

 

『元気はでたかしら?』

 

 なるほどな、そういうことか。今の俺の状況を雪ノ下さんにでも聞いてこいつなりに俺を元気付けてくれようとしたんだろうな。こいつそういうのは不器用だし。

 

「ありがとうな」

 

『ふふ、あなたが素直に礼を言うなんてらしくないわね』

 

「ほっとけ」

 

『それで、どうしたのかしら』

 

「ああ、実はな……」

 

 それから雪ノ下に今までのうちの部署の環境、三崎さんの現状、同僚たちのことを話した。俺が話している間、あいつは黙って俺の話を聞いてくれた。聞いていてくれていただけだったが、今まで話す相手すらいなかった俺にとってそれはどれだけありがたいことだったのだろうか。

 俺の話が終わると雪ノ下がゆっくりと、そして優しい声で尋ねてきた。

 

『それで、あなたはどうしたいの?』

 

 そんなことは決まってる。今俺のしたいこと……それは。

 

「俺は……」

 

『待ちなさい』 

 

 次の言葉を発しようとした時、雪ノ下に遮られる。聞いてきておいてなんだよ。今の俺がしっかりと言って、それで協力してもらえるパターンじゃなかったの? 完全に流れ遮られちゃったよ。

 

『あなた、由比ヶ浜さんにも伝えたのかしら?』

 

「いや、まだだけど」

 

 予定では雪ノ下に話をつけてから由比ヶ浜には頼む予定だったしな。

 

『そう、それなら今週の金曜日に予定を空けておくからその日にみんなで会うのはどうかしら? あなたの”依頼”についてもその時にゆっくり話しましょう。私もそれまでに考えておくわ。それと由比ヶ浜さんと一色さんにはあなたから連絡しなさい』

 

 なんでこいつは俺の言いたいことをまだ言ってもないのにほとんど理解しちゃってるんだよ。そんなにわかりやすいですかね。……まあ、これからのことはあいつの言ったとおりに進めよう。わざわざ”依頼”というワードを使ってきたんだ、引き受けるってことでいいんだよな。

 

「わかったよ。それじゃ、あいつらにも連絡するから切るぞ」

 

『ええ、頑張りなさい。私たちはあなたの味方よ』

 

 そう言って雪ノ下は通話を切った。

 

「ふっ」

 

 あいつの最期の言葉を思い出し、小さな笑みが溢れたのがわかった。「私たち」か、そう言われるだけでなんだってできそうな気分になる。あくまで気分だが。まあ、今まで沈んでいた気分は大分良くなったきがする。

 もう一度携帯を操作し、今度は由比ヶ浜へと電話をかける。

 

『やっはろー、ヒッキー! ヒッキーから電話なんて珍しいね、どうしたの?』

 

「ん、いや。実はお前たちに頼みたいことがあってな」

 

『いいよ!』

 

 いや、まだ何も言ってないんだけど? こいつ、頼みごとがもし変なことだったらどうするつもりなの? もうちょっと警戒心というかなんというか、そんなにあっさりとオーケーされちゃうとちょっと拍子抜けしちゃうだろ。

 

『ヒッキーからの頼みごとだもん。何か大切なことなんでしょ? だから、いいよ』

 

 ……こいつらには本当に敵わないな。

 

「ありがとな」

 

『ヒッキーが素直!?』

 

 いや、そこには驚くの? というか俺って未だにそんなに捻くれてるわけなの? 社会人になってから大分丸くなったと思ってたんだが……。

 

 それから由比ヶ浜にも雪ノ下同様に、最近の俺の周りで起きた出来事や、三崎さんのことを伝えた。今週末も来てくれるらしい。あいつだって忙しいはずなのにな。本当にこいつらには感謝してもしきれない。

 

「最後は一色か」

 

 由比ヶ浜との通話を終えたので同じように一色に電話をかけると2コール目で繋がった。やけに早いな

 

『もしもーし、先輩から電話とかどうかしたんですかー?』

 

「いきなり悪い。実は今週の金曜日空いてるか?」

 

『な、なんですか、いきなりデートのお誘いですか? すいません、その日は九州の方に行っているので無理です、また誘ってくださいお願いします』

 

 なんか久しぶりに聞いたなそれ。しかしあれか、九州にいるなら流石に無理だよな。

 

「それなら土曜日か日曜日はどうしてる?」

 

『そ、そんなに私に会いたいんですか!? え、えっと土日はどっちも仕事ですね……。ていうか先輩、三崎さんとはどうなったんですか?』

 

 土日どちらも仕事か、ならまあ都合はいいな。胃腸炎なら今週一杯は休みだろうし、土日辺りにはある程度回復している可能性もある。行く前に連絡をして、大丈夫そうなら一色のところでお土産にシュークリームでも持って行ってあげるとするか。

 しかしあれだな、いろはすさっきから何か壮絶な勘違いしてるよね? まあそれはほっとくか。

 

「それじゃ土日どっちかお前の店に行くから、シュークリーム2個くらいとっておいてくれないか」

 

 少し間が空き、電話口から「なるほど」と呟き何か納得したようでそのまま話し始めた。

 

「三崎さんにですね。先輩も良いところあるじゃないですか。任せておいてください、張り切って作っておきますね!」

 

 やはり俺の考えがどうにもこの3人にはほとんど筒抜けらしい。何これ? いくら高校時代からの付き合いで10年近いといってもこんなに人の心が読めるものなの? 俺は君たちの心とか全く読めないんだけど?

 

「……まあ、そんなとこだ。じゃあよろしくな」

 

「了解でーす!」

 

 通話を切り、一服する。こんなに電話したのなんか初めてじゃないのか俺。いくら仲がいいと言っても電話は照れるんだよな。できればメールかなんかで済ませたかったわけだが、内容が内容ではあるし、メールなんかよりも直接口頭で伝えたかった。

 

「さてと……もうひと頑張りするとするか」

 

 できるだけ早く終わらせて解決策について考えたいしな。あの二人が協力してくれるのは素直に嬉しいが俺もできる限り考えたい。

 あいつらと電話をして気分転換できたおかげか、残っている作業を問題なく終わらせ家路につく。

 

 

 次の日になり、いつも通りに起床し定時に出社する俺。

 結局、昨日も何も思い浮かばないまま寝落ちしてしまっていたらしい。

 部署では仕事を頼む相手がいない課長や同僚たちが機嫌が悪いのがわかる。こいつら露骨に顔に出すぎなんだよな。

 勤務時間がしばらく過ぎて昨日と同様に主任の愚痴を言い始める同僚たち。最早同僚なんて呼びたくもないな、そうだ同僚(仮)と呼ぼう。しかし、こんな愚痴を三崎さんが戻るまで聞かされなくちゃいけないのだと思うと気が滅入るな……。

 仕事が落ち着いた頃にはお昼近くになっていた。俺にとっては三崎さんが休んでいなくても休んでいても仕事の量はあまり変わらないわけで、そこはそんなに重要ではない。問題なのは同僚(仮)どもだ。あの人がいない分、仕事を自分たちでこなさなければならない。いつもサボってた分のつけというやつだろうか。仕事も遅く、完全に残業ペースだわな。あの人はそれを全部一人でこなしていたというのだからどれだけ仕事ができる人かというのがわかる。

 そしてそのイライラを発散するかの如く主任の愚痴を言い始める。さっきからそれのループだ。

 いい加減うんざりとしてきたので同僚(仮)に文句を言ってやろうと思った時だった。

 

「失礼するよ」

 

 柔らかい笑顔を見せながら白髪の老人が扉を開けて挨拶する。滅多に姿を現さない社長がうちの部署にやってきた。

 視察だろうかここに来てから社員たちの仕事ぶりをじっくりと観察している。

 

「そう言えば、三崎君はどうしたのかね?」

 

 社長が課長にそう尋ねると課長はさっきまでの不機嫌そうな顔とは違い、取り繕うかのような笑顔で答える。

 

「彼女は体調不良で休んでおりまして。ここ最近、特に仕事に性を出して張り切っていたんですがね。彼女の仕事に対する熱意は我々も見習わなければなりません」

 

 いるいる、こういうやつ。自分より立場の上のものにだけへーこら頭下げてご機嫌どりしちゃうやつな。本心ではそんなこと1ミリも思ってないくせによく言うわ。

 しかし、社長はその答えで満足したのか「そうか、そうか」と満足な笑みを浮かべながら立ち去って行った。どうにもあの社長、良い人は良い人なのだが周りの状況を把握しきれてないというか、この課長が上手く隠ぺいしているのか。ここの現状が理解できていない。それを上手く伝えてあの社長に信じてもらうのが一番いい方法ではあるのだが、課長と平社員である俺の意見、どちらの言い分を信じるのか怪しいところだ。

 だがもし……上手く社長を味方に付けることができたなら勝てるかもしれない――

 

 

 

 それから金曜日までほぼ毎日、同じような日々が続いた。三崎さんがいないというのはやはり思った以上に深刻なことであり、俺もできる範囲で同僚(仮)の仕事をしているのだがそれでも少しずつ溜まっていくばかりだった。

 いつもなら今日も残業して俺以外に残った仕事をできるだけ片付けるところではあるのだが、今日はあいつらとの約束があるため、久しぶりの定時帰宅をすることにした。

 珍しく定時で帰ろうとタイムカードを押そうとすると、課長から「比企谷君? 君もう帰るのかね? みんなはまだ仕事をしているというのに。呑気なものだね、君も」なんて言われた。

 いやいや、おっさん、あんたの方こそ何言っちゃってるんですかね? そもそもこうなった原因はお前らが呑気に終わってもいない仕事放置して他人に擦り付けた結果じゃねえか。特大ブーメランありがとうございます。

 同僚(仮)たちや課長の冷たい視線を無視し俺は約束の場所に向かった。

 こちとら何年もこいつらよりも冷たい視線浴びせられてるんだ。おっさんの睨みなんて怖かねえよ。やっぱちょっと怖い。

 

 そそくさと退社した後、待ち合わせの時間まであまり余裕がなかったので駆け足で向かう。そのおかげでなんとか時間の5分前には着いたのだが……。

 

「ヒッキー、遅いよ!」

 

「そうね」

 

 何故か由比ヶ浜はムスっとしながらそう言い放ち、それに雪ノ下が不敵な笑みを浮かべながら同調する。

 いや、ちゃんと5分前に着いたじゃん。俺は何分前に来ればいいんだよ。そう言い返せれば楽なのだが、言い返したあとが怖いのでとりあえず軽く謝る。本当に俺の立場ってなんなの?

 

「それじゃ行きましょうか」

 

 いつも通り雪ノ下を先頭に歩き始める。しばらく歩くと見慣れたマンションの下に来たところで雪ノ下は足を止めた。

 

「今日はここでいいわね」

 

 ここって……。

 

「お前んちじゃねえか」

 

 なんでわざわざこいつの家で話し合うの? というか雪ノ下の家に上がるとか久しぶりでちょっと緊張しちゃうんだけど。

 

「あら、悪巧みをするならその辺のお店よりもいいと思うのだけれど?」

 

「もしかしてゆきのんの手料理食べれるの!?」

 

 由比ヶ浜、お前は何しに来たの?

 

「そ、そうね」

 

「やったー! ゆきのんの手料理だー」

 

 そう言いながら雪ノ下に抱きつく由比ヶ浜。いい加減お前らもいい歳なんだから百合百合しててもあんまり需要ないぞ?

 

「と、とりあえず夕食の準備をするから離れてもらえるかしら……」

 

「あ、じゃああたしも手伝おっか!?」

 

「それは結構よ」

 

「即答!?」

 

 ふっ。なんだろうな、こいつらのやり取りを見てると落ち着くというか……。

 

「あっ、ヒッキー、なんでニヤけてるの、キモイ!」

 

 おい、それはあんまりだろ。もう25だけど八幡泣いちゃうよ?

 

 

「それじゃあ、始めましょうか」

 

 雪ノ下の料理がテーブルに並べられ夕食の準備が整い、食事を始める。

 高校時代から料理スキルはかなり高かったが今は最早プロを超えてるんじゃないかというレベル。一品一品がとても手が込んでいるのがわかる。味もどれもが一級品だ。あまりの美味さに俺と由比ヶ浜は出された料理を一気に平らげた。

 

「「ごちそうさまでした」」

 

「お粗末さまでした」

 

 さてと、腹拵えもしたことだしいよいよ作戦会議といきますか……。

 食後のコーヒーを入れ終えた雪ノ下が席に着き全員が揃う。

 

「じゃあ、始めるぞ――」

 

 それから俺たちは一晩中、三崎さんを助ける為の会議をした。一人では考えつかなかったこともこいつらと一緒に考えることで色々と解決策が思い浮かび、実行するための準備や予定も立てることができた。本当、こいつらには感謝してもしきれないな……。

 その日、一番の難関である解決作が思い浮かんだことにより、俺は久しぶりにぐっすりと眠ることができた。

 

 翌日、この前約束した通り、俺は一色の店にと足を運んだ。

 

「いらっしゃ、あ、せんぱーい」

 

 いや、そこは最後まで言い切ろうな? 俺、一応お客さんだから。ほら、周りの人みんなこっち見てるし恥ずかしいんだよ。お前目立つんだし、それくらい考えてくれませんかね?

 

「近いから、もう少し離れてくださいお願いします」

 

「えー、なんでですか、別にこれくらいただのスキンシップなのに」

 

「お前はそう思っても周りはそう思わねえんだよ」

 

 さっきからこいつ目当てっぽい客の視線が痛いんだよ。察してくれませんかね?

 

「とりあえず、シュークリーム2つくれ」

 

「はーい」

 

 一色は慣れた手つきで、ショーケースのシュークリームを2つとプリンを2つ取り包装していく。ん? プリンなんて俺頼んでないぞ?

 

「なあ、一色」

 

「はい、なんですか?」

 

「俺、プリンなんて頼んでないぞ?」

 

「そうですねー」

 

 いや、そうですねって……、何? 俺に店の売上に貢献しろってことなの? いや別にいいけどさ。

 

「これは昨日、私だけ行けなかったお詫びですよ」

 

 お詫びって、お前が別に詫びることでもないだろうに……。

 

「流石に悪いだろ。気持ちだけ受け取っとくわ」

 

「あーあー、そういうのいいですから。結衣先輩たちに聞きましたよ。先輩には今まで散々お世話になってるんで、本当は私も先輩の力になりたかったんですよ。」

 

「別に世話したつもりはないんだけどな……」

 

「もぉ~、女の子の好意は素直に受け取っておくべきですよ?」

 

 女の子? お前もいい加減今年で24なんだから女の子って歳じゃな「先輩?」あ、やばい……この目は俺の思考が完全に見透かされてるやつだわ、ハチマン知ってる。

 

「とにかくですね、早く三崎さんのお見舞いに行ってあげてください。うちはプリンも美味しいんですから、きっと喜んでくれますよ」

 

 せっかくこいつがここまで言ってくれてるんだし素直にもらっておくか……。あんま断るとあとが怖そうだしな。

 

「わかった。サンキュ」

 

 そう言って店をあとにしようとすると後ろから「いってらっしゃい!」という声が聞こえた。そこはありがとうございましたじゃないの? ……まあ、これがあいつなりの励ましの言葉だったりするんだろうか、それなら俺はその声援に答えれるよう行動するとするか。

 

 

 それから先月の頭あたりに酔いつぶれた三崎さんを家に送った記憶を元に目的地に向かった。別にその時も何かあったわけじゃない、神に誓って。

 その時は初めて三崎さんが酔いつぶれてしまって、流石にこのまま一人で帰すのはまずいと思ってタクシーで送ってった。ただ、あの時は夜だったというのと俺自身もわりかし酔っていたので道中の記憶が曖昧なんだよな……。

 しばらく道に迷いながらも歩いていると、見たことのあるマンションにたどりついた。

 

「ここ……だよな」

 

 中に入り、エントランスで三崎さんの部屋を確認しインターホンを鳴らす。なぜかインターホンで喋るのって緊張するよな。いや、普通に人と話すのも緊張しちゃうんだけどさ、俺の場合。

 少し待つとスピーカーから声が聞こえた。

 

『はい』

 

「三崎さん、いきなりすいません。比企谷です」

 

『ひ、比企谷君?』

 

 いや、驚きすぎじゃないですかね。そんなに俺が訪ねるのが珍しいことですか、珍しいことだわ、よく考えたらこんなことするなんて考えられないな?

 

「お見舞いにきたんですけど、そっち行ってもいいですかね?」

 

 次の返事が来るまで少しの間が空いた。

 あれ? これ拒否られちゃうパターンなやつ? そういえばなんで俺は三崎さんが拒否することを考えてなかったんだ。当然のように部屋にあげてもらえると思ってた自分を殴りたい……。

 

『え、えっと……部屋散らかってるんだけど大丈夫?』

 

 ああ、なんだ、そんなこと気にしてたのか。大丈夫です、この前送ったときに既に経験済みなので。この人は酔いつぶれててそんなこと記憶にないだろうが。

 

「問題ないです」

 

『ん~~~、じゃあ上がってきて……』

 

 了承を得たのでエレベーターに乗り部屋に向かう。4階までたどり着いたところで降り、隅の部屋のベルを鳴らす。

 

「……いらっしゃい」

 

 一週間ぶりに見た三崎さんの顔は少しやつれていて疲れているようだった。それでも弱弱しくはありながらも優しい表情で出迎えてくれる。それが切なくもあったが不覚にも胸の鼓動が早くなったのがわかった。

 

「お邪魔します」

 

 出てきた三崎さんに挨拶して中に入る。何か物がいろいろと隅の方に追いやられているがこれはこの僅かな時間でできるだけ片付けようとした結果なんだろうか。

 チラっと横目で三崎さんを見ると恥ずかしそうに俯いているので多分そうなのだろう。この人の身だしなみで大体想像できたけどこれが片付けられない女というのだろうか、これじゃ、アラサーで結婚できていないのも頷ける。もう俺がもらうしかないな……無し、今の無し!

 

「えっと、とりあえず、その辺に座っちゃって?」

 

 うん、どの辺ですかね? 見事に足の踏み馬がないというか。仕方がないので床に落ちているものを軽くまとめて脇に寄せ、座れるスペースを確保して座る。

 

「三崎さん、もう物は食べれるんですか?」

 

「うん、軽いのならなんとか」

 

 よかった……三崎さんに確認をしていなかったので買ったのはいいが食べれなかったらどうしようかと思ってたんだよな……。

 

「それじゃこれ、一色の店のシュークリームです。あとこっちのプリンは一色からです」

 

「わぁー、ありがとう!」

 

 シュークリームを手に取り口に運ぶ、一口目を食べ頬に手をやり「おいし~っ」と言う仕草に見惚れてしまったのは秘密にしておこう。しかし、思ったより元気で良かった……。まあこれもシュークリーム効果のおかげなのかもしれないが。

 それからしばらく、三崎さんが美味しそうにシュークリームを食べる姿を眺めていた。……本当に美味しそうに食べるなこの人。

 三崎さんがシュークリームを食べ終えたところで本題に入る。今日ここに来たのはこれが目的なのだから。

 

「三崎さん、いつから復帰するつもりですか?」

 

「ん、そうだね……来週の月曜日は無理でも火曜か水曜くらいには戻りたいかな。だいぶ仕事溜まっちゃってると思うし」

 

 少し早すぎないですかね……。胃腸炎って2週間くらいは安静だったきがするんだが……。

 

「もう少しゆっくり身体休めちゃダメなんですか?」

 

「でもこれ以上会社に迷惑かけたくないし……」

 

 何故、この人はこう考えてしまうのだろうか。

 迷惑かけるどころか部署で一番会社に貢献しているのは三崎さんなのに。

 こんな悲し気な表情なんてしてほしくない、この人には笑っていてほしいから――

 

「会社より自分の身体を気にしてください!」

 

 自分でも驚くほど大きな声をあげていた。

 

「ど、どうしたの急に……」

 

 急な大声に動揺してしまったのか、震え声で尋ねられる。

 

「もう三崎さんには辛い思いをして欲しくないんですよ。あなたには笑っていて欲しいんです……」

 

「えっ……それってどういう……」

 

 どうもこうもこんだけ恥ずかしい台詞言ってるんだから察してくださいよ……。

 まあ、今から言う言葉のほうが絶対恥ずかしい気がするけど。

 

 社畜だろうがなんだろうが、俺のやることはいつだって変わらない。変わらないけれど、ただ、そこに信念があるから、俺はそれを遂行するだけだ。

 

「だから、俺はあなたを助けてみせます」

 

 そう、これは俺が、俺の意志で決めたことだから……。

 

 

 これだけは譲れない――


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