俺と黒雪先輩、つまりは《ブラック・ロータス》との出会いは黒雪先輩が有田春雪もとい《シルバー・クロウ》を見つけ出すよりもずっと前に遡る。
四月 梅郷中学校入学式の日。
「―――から来ました! 千道優です。一年間よろしくお願いします」
最後にクラスメイトに向けて軽くお辞儀を付け足して無難に自己紹介を締めくくった。
ぱちぱちとまばらな拍手に恐縮しながら着席する。
俺達新一年生は梅郷中入学式を終え、各クラスに別れてのHRの最中だ。
やがてクラス全員の自己紹介が済んだ所で教師から一人ずつに梅郷中ローカルネットIDが配布され、使用上の注意や規則なんかの説明が始まる。
特に聴かなくても大丈夫そうだったので俺は別の目的を果たすことにする。
なんて実際は数秒で片付くことだけど。
「バーストリンク」
バシィィン、という音が耳に響きわたる。
《初期加速空間》にダイブした音だ。
周囲は青色に染まり、あらゆる物の動きが止まる空間。
正確には俺のニューロリンカーにインストールされている《ブレイン・バースト》というアプリケーションが見せる一種の仮想空間。
しかし、そこらのVR装置が見せる仮想空間とは決定的に異なる点がある。
それは《加速空間》の名が指し示すようにここは、通常の一千倍にまで加速された世界なのだ。
そして、ここで加速されるのはアプリ所有者の思考時間。
――――――どういう事かって?
仮に普通の人が一秒だけ考える時間を与えられたとする。
当然一秒では何も考えられないし、それが普通だ。
しかし、これが《ブレイン・バースト》保持者だったらどうだろうか?
《ブレイン・バースト》を持つ者―――バーストリンカーと呼ばれる者達は、俺がたった今したように『バーストリンク』とコマンドを唱えるだけで彼らの思考は一千倍に加速され、千秒もの時間を得るのだ。
分に直して、十六分四十秒。
使い方次第ではテストで満点も取れるし、一部のスポーツでめざましい成績をあげることも可能だろう。
だが、おもしろいことに《ブレイン・バースト》の本質はそこではないのだ。
順を追って説明しよう。
まず俺たちが加速を得るためには《バースト・ポイント》使用する必要がある。だから便利だ便利だといって使いすぎているとすぐに持っていたポイントを切らしてしまう。
そのため《ブレイン・バースト》にはポイントを手に入れる手段が用意されている。
その手段とは――――――他のバーストリンカーとの仮想空間で行われる対戦格闘ゲームに勝利することである。
すなわち、《ブレイン・バースト》の本質とは、つまるところこれが対戦型格闘ゲームであることにある。
また《バースト・ポイント》は単純に加速するのみならず、対戦で使用する自身のデュエルアバターのレベルアップや各種アイテムの購入にも必要になる。
さらに《バースト・ポイント》を全て失ってしまうと《ブレイン・バースト》自体が強制アンインストールされてしまうのだ。
言い換えればバーストリンカーにとってポイントはゲーム内の経験値であり、通貨であり、生命線なのだ。
だから、《ブレイン・バースト》を長く持ち続けるには対戦を行わなければならないシステムになっているという訳だ。
話を元に戻そう。
俺は対戦のマッチングをするここ《初期加速空間》で、ある確認をしたかった。
それは梅郷中に他のバーストリンカーがいるかどうかだ。
青の空間の中で、マッチングリストを開く。
正直に言えば、この確認はあくまで形だけのものだった。
俺が入学した梅郷中は東京の端、杉並区にあって、バーストリンカー人口も中心部に比べるとやっぱり少ない。めぼしいリンカーもいないだろうと践んでいた。
マッチングが開き、リストを確認するため目を滑らせる。
→《ブロンズ・ファスファラス》
《ブラック・ロータス》
「ほら! やっぱり全然いないじゃないか」
自分以外は《ブラック・ロータス》しかいない。
やっぱり過疎ってるなぁ……
「んんっ!!?」
見間違いかと思ってもう一度リストを見直す。
否。
見間違いなんかではない。
「ブ、ブラッ! ブラック・ロータス~~~ッ!」
目が飛び出す程の衝撃。
《ブラック・ロータス》とは?
曰わく、加速世界最強の《王》の一角、レベル9の黒の王である。
曰わく、《
曰わく、先代赤の王を討ち取った者である。
いろんな意味で加速世界の超有名人の名がそこにあった。
興奮した俺は一も二も無く対戦を申し込んでしまった。
仕方ない誰だってそうなるさ。
途端、青色の《初期加速空間》が変容し始める。
青一色の世界は徐々に黄昏に色づき、停止していた生徒達の姿はかき消えていく。
同時に、俺の体を光が包みもう一つの姿へと変えていく。
腕は二倍程に膨れ上がり、身体は硬質な青銅色へと。
最後に視界の上部中央に『1800』の表示とそれを挟む様に、《ブロンズ・ファスファラス》と《ブラック・ロータス》のHPバーが現れる。
ステージ属性は《黄昏》だった。
現実世界と遜色ないリアルな夕焼けに包まれるステージだ。
対戦フィールドは完全に現実世界と乖離してはいなくて、面影を残す程度には現実世界の建物なんかも反映されたりする。
今回も壁こそ無かったが、梅郷中の校舎の骨格はそのまま残っていた。
俺はすぐさま窓から見える夕日に向かって飛び出し、校庭のド真ん中に着地する。
そして、今度は校舎に向き直り相手に呼びかける。
「ブラック・ロータス! 聞いてくれ!俺に戦う意思はない。俺はただあなたと話がしたい!!」
梅郷中のローカルネット経由での対戦なので、賑やかすギャラリーはいない。
静かな空間に俺の声が響く。
何度か同じように呼びかけていると、ややあって校舎の校庭に面した昇降口から彼女は現れた。
予想していた姿ではなく、黒い揚羽蝶を思わせる漆黒のドレスに身を包み、これまた黒い日傘を差した少女の姿であったが、俺にはすぐにわかった。
彼女こそが黒の王、《ブラック・ロータス》その人であると。
コツコツと静かにこちらに歩いてくる姿はなおも王の風格を漂わせていた。
俺の前まで彼女が来たので、一礼しながら謝辞を述べる。
「まずはこうして姿を見せてくれて感謝する。ありがとう《ブラック・ロータス》。あなたの立場なら俺の申し出を無視しても非はなかっただろうに」
「頭を上げてくれ《ブロンズ・ファスファラス》。キミは先に姿を見せて安心させようとしてくれていた。それなのに、情け無いことにこうして出てくるまで800秒も悩んでしまったよ」
ロータスの言葉につられて、中央のカウンターを見ると確かにカウントは三桁に突入していた。
「それでも信用してくれた事には変わりない。―――よければ姿を見せてくれた理由を教えてくれないか?」
「そうだな……まず一つはただ純粋にキミと話をしてみたかった。 私は二年近く《ブレイン・バースト》から離れてきたが、キミ《ブロンズ・ファスファラス》の噂はその前に少し聞いていた。 《
ロータスが指折り数えながら列挙していく。
俺はあまりそれらで呼ばれるのは好きではない。
「そして特に有名な呼び名が《
黒の王にまで知られているのは嬉しいが少し恥ずかしい気もする。
「そんな人物が対戦を申し込んできたんだ。私だって興味くらいあるさ」
クスリと笑いながらロータスはなおも続ける。
「それで、もう一つの理由だがな……このままではいけないと思ったんだ」
ロータスは日傘を閉じ、《黄昏》ステージの斜陽を一身に受ける。
黒いドレスから垣間見える白い肌があやしく美しく照り映える。
俺は思わず息を飲んだ。
単純に美しさに魅入ったのもあるが、それ以上にロータスの端正な顔にはっとする程の決意の色を見たからだ。
それは険峻な山嶺に挑む前の登山家や、果てしない航海に身を投ぜんとする航海士を思わせる顔つきだった。
「それは……どういう事なん……ですか?」
「私はこの加速世界の停滞を望まない。私はレベル10を目指しこの世界の果てを見てみたい。何のためにこの《ブレイン・バースト》が作られたのか。その答えを知りたいんだ」
ロータスから発せられる言葉がビシビシ俺の心を叩く。
ここにきて改めて俺は黒の王を実感していた。
「過去を引きずり隠れている間もこの欲求を捨てることはできなかった。だから――――」
畳んだ傘を天に向け、ロータスは宣言した。誰に向けるでもなく、己の心に誓うように。
「私は目指すもう一度! この世界の真実を知るために! レベル10を!」
俺はこの日のロータスの姿を忘れることはできそうに無い。
この時のロータスは依然として可憐なアバターであった筈なのに、天にかざした傘は漆黒の剣に、彼女の姿はいつの日か見た《ブラック・ロータス》そのものに――――俺には見えた。
「それでは、黒のレギオン《ネガ・ネビュラス》も復活するんですか?」
俺の口からは自然と敬語が発せられた。そうするのが当然だと思った。
「そうだな。しかし、それは今ではない。私は探しているのだよ」
「何をですか?」
「この世界を共に変えてくれる誰よりも速い者を」
加速世界で最強を誇る黒の王が“速い”と認める者。
それは間違いなくこの停滞した加速世界に再び躍動の風を運ぶだろう。
そこまで考えて、俺は無性にそいつと共に戦いたくなった。
俺は全てを得た《
「分かりました。あなたの事は来たるその日まで―――あなたがあなたのヒーローを見つけるまで絶対に秘密にします。《
「……ありがとう。そうしてもらえると助かるよ。私の居場所を知ったら黙ってない連中もいるだろうからな」
「かわりに一つお願いしてもいいですか?」
「何だ? 言ってくれ。できる限り善処する」
「簡単な事です。あなたが再びレギオンの旗を立てるとき、俺もそこに加えてほしい。俺もこのゲームのクリアをあなたとあなたが見出すであろう人物とともに迎えたい」
ロータスは一瞬キョトンとしたがすぐに納得した顔になる。
「いいだろう。《ブロンズ・ファスファラス》を我が《ネガ・ネビュラス》に迎える事を黒の王の名にかけて約束しよう!」
そう言ってロータスは手を差し出す。
「キミも確かに生粋のバーストリンカーなのだな」
「はい! 【ヒーローは常に上を目指す】 それが俺のヒロイズムですから!」
がっしりとロータスの手を握りつつも、俺はまだ見ぬ彼女のヒーローに思いを馳せるのだった。
次回から話が進みます。多分・・・
無いように心がけてますが誤字脱字あったら教えて下さい。