狸は往来をのんびり歩く。
ここは幻想郷にある人里の一つ、その往来である。外の世界とは違って、地面が剥き出しの大通り。左右には多くの瓦葺の商店が軒を連ねているから、商売の盛んな場所なのだろう。そう、狸はキセルを吸いながら思った。
狸、たぬきといっても見た目は少し違う。栗色の髪は腰まで届くほど、それに葉っぱの形をした奇妙な髪飾りを付けている。大きな瞳に丸メガネ。片手に持った長いキセルを咥えては、離し。ふーと白い煙をはく。
狸の名前は二ッ岩マミゾウといった。見た目麗しい女性に見えるが、別にそのまま間違っていない。狸でも容姿がよいものはいいのだろう。ただ、今日は少し地味な黒の着物を着ていた。
「きみょうなことじゃな」
のんびりとした口調でマミゾウは言う。彼女はこのごろ幻想郷に来たばかりで、どうにもわからないこともある。今日もそれを見つけて、ふと口に出してみた。しかし、別に不快ではない。新しい発見をすることが生きる楽しみでもある。
マミゾウはゆっくりと商店を見回しながら、歩いていく。行き交う人々と肩が触れそうになるが、ひょいと軽く避けている。幻想郷の小さな「市場」でも、道には人が大勢いる。その中を何の苦も無く歩くマミゾウはなかなかに優雅でもあった。
マミゾウが最初に見たのは食事処だろう。商店の一つにのれんが掛けてあり、その前で桃色の着物を着た女性が客引きをしている。元気よく「寄って行ってよ」と手あたし出しに声を掛けている。狭い社会だからこそ顔なじみが多いのだろう。
「そこのお姉さん! たべていかないかい?」
「わしか? いや、こんどにしておこう」
マミゾウも声を掛けられたが、やめておいた。本当は鼻をくんくんならして、ちょっとだけお腹も減っていたがそれはまたの機会。手持ちの「葉っぱ」をお金に換えてからくるべきだろう。
そうして狸は歩く。次にマミゾウが見たのは、小さな掘っ立て小屋のような店であった。そこにはゴザが敷かれていて、多くの野菜が並べられている。大根、人参、きゅうり、なす、ジャガイモ。存外幻想郷の農業も捨てたものではない。
ほうほうと足を止めたマミゾウは感心している。それを見た店主だろう、一人の男が近寄ってきた。深い青の鉢巻きをして、前掛けをした男性である。
「おねえさん、今日はきゅうりを買っていかないかい?」
「ははは、帰り道に河童におそわれたくはないからのう。またこよう」
きゅうりを持っていると河童に襲われると聞いて、男性は噴き出した。マミゾウもそれに合わせるというよりは、簡単ないたずらが成功したように笑う。マミゾウは八百屋をそうやって立ち去った。
往来にはそのようにいろいろな店があるが色んな人がいる。緑の着物を着た少女が店番をしている小物屋もある。それに往来の中メイド服を着た、銀髪の少女が通り過ぎていくのも目に入った。そうかと思うと、怪しげな黒の被り物をした「占い屋」のような物もいる。
道行く人もそれぞれ違う。一人で歩くもの、肩を寄せ合って大勢で歩くもの。着物も赤、青、黒と違い、それぞれ花だとか鳥だとか絵付けも見事にされている。マミゾウはそれを見るだけでも面白い。
だが、それこそが彼女が「きみょう」と表現したことであった。
「幻想郷は色であふれておるの」
立ち止まってマミゾウは言う。そう、彼女の言う通り、この人里は「色」で溢れていた。
色。それは過去から今まで、たくさんの者たちがそれを「表現」するために苦心してきたものである。外の世界でも「染料」という物はちょっと昔までは貴重で、例えば紫などは高貴な色として重宝されていた。
などとマミゾウが思っていると、往来の真ん中を少々着飾った女性が歩いていく。何を急いでいるのかわからないが、早足で髪につけたかんざしとその飾りが揺れている。彼女は鮮やかな「紫」の小袖を着ていた。マミゾウは苦笑するしかない。
少なくとも幻想郷は外の世界よりは科学的には遅れている。人口も少ないため「色」を表現するために必要な植物や鉱物はどうしても少なくなってしまうはずである。皆無とはいかくても、道行く人々が着飾るには足らないだろう。
「まあ、そうじゃな」
ぷかーとけむりをはき、マミゾウは考える。のんびりと。別に多少の疑問があったとしても人々がお洒落をしているのであれば、別に何もいうことはない。根拠がなくとも楽しみがあればいい、ような気もする。
「ゆっくりとたのしむとしようかのう」
本当にゆっくりという。この謎解きも一つの楽しみでしかないのだ。
そんな彼女の目に、往来を歩く「興味深い物」が入ってくるのは時間の問題だったともいえるだろう。それは大きな背負子(作者注:しょいこ。背中にからう運搬具) に多くの反物を括り付けた少女だった。色とりどりの反物を背負って、重い足取りで街を歩いている。
それに格好も妙である。頭には布を巻いているが黒色の生地に巧妙な刺繍がされている。前髪はその「布」の中にいれて横から黒い艶やかな髪が見える。
「アイヌ、か」
マミゾウが言う。おそらく幻想郷でわかる者はいないだろう言葉。しかし、マミゾウがその少女を「アイヌ」と言ったのではなく、その服装のことをいったのである。少女の恰好はまさにそれであった。
藍色の生地に白い線で文様の描かれた着物。その上に白い羽織をつけている。羽織は袖がうちに着ている着物と同じ色合いになっていて、そこにも巧妙な刺繍が施されている。それなのに下は半ズボンのような恰好で、膝から下の白い足が見える。
はっきり言えば怪しい。マミゾウはその少女の動向をじっと見つめている。人込みに紛れても見失わないよう、ゆっくりと後を追う。しかし、反物を背負った少女は少女でそう足は速くはない。
なぜ興味が湧くかはマミゾウにもわかる。「反物」とはつまり、着物一着分の織物が一反(長さの単位) に仕上げられているものだ。それを元に着物は仕立てられる。
その反物が染付を終えた姿で、少女の背にある。つまり先ほどの疑問の答えを少女が持っているのかもしれない。
「反物屋かの」
黒髪の少女のことをマミゾウはそういう。一定の距離を保ったまま、彼女は少女の後を追う。ただ、背負った荷物が重いからかどうなのか、その少女はふらふらと危なっかしい足取りである。たまに人にぶつかって、あわてて頭を下げていることもある。
少女がやっと足を止めたのはとある呉服屋の前であった。反物を持ってくるところとして正しいだろう。彼女は店の中に入っていく。マミゾウはちょっと離れた場所からその様子を見ていたが、中々出てこない。ふむと一声、マミゾウはキセルを仕舞ってから、呉服屋に入ろうとした。だが、折悪く中から少女が出てくるところだった。
マミゾウはそれでも足を止めない。少女とすれ違っても涼しい顔。化かすのは得意な狸のことである。焦ることもない。ただ、ふと妙な事に気が付いた。少女の荷物は減っていなかった。背中には多くの「反物」が括り付けられている。
白い反物である。先ほどまで背負っていた鮮やかな色の反物とはうって代わって、真っ白なそれが彼女の背中にはあった。呉服屋の中で入れ替えたのであろう。マミゾウはそれを流し目でみつつ、特に用事もない呉服屋に入っていく。少女は出ていった。
夕暮れの道を反物を背負った少女が行く。田圃が広がる道。妖怪の出る夜が近づくこの夕焼けの道を一人歩いていく。彼女以外に道を歩くのは一人だけ、とある狸が一匹である。ただ少し離れている。
狸ことマミゾウの目つきは険しい。それもそうだろう、少女はどんどん山の方角に向かって歩いていく。妖怪の巣窟といってよい、そこに昼でも立ち入る人間は少ない。なのに少女の足取りに躊躇はない。
マミゾウは少女が妖怪だと、直感した。それも人里に出入りしているのである。なんの魂胆があるのかはわからないが、マミゾウは妖怪と人間の微妙な均衡で保たれる「幻想郷」の仕組みを崩すものかを見極める気でいた。
「これ、そこの反物屋。ちょいと足をとめてくれんかの」
できるだけ温和な声でマミゾウは少女を止めた。そのこえに道を行く少女はすぐには振り返らず、ぴくりと反応する。彼女の前には夕日が山に沈んでいく。そして少女の影を長く、黒く伸ばしている。
少女はゆっくりと後ろを振り向く。夕日に照らされた顔に表情はない。整った顔立ちは冷たく、ただその瞳がマミゾウをじっと見ている。声すらない。
不意に鴉のガーガーという鳴き声が聞こえる。マミゾウが空を見ると数羽の鴉がバタバタと羽根を揺らしながら、旋回している。それに不吉さを覚え、マミゾウは一層目の前の少女への疑いを強くした、夕日に鴉。出来過ぎているだろう。
一羽の鴉がつっと下に降りてきた、真っ直ぐ少女の方向へ向かう。それを追う様に仲間の鴉たちも少女の下へ集まっていく。マミゾウはそれを使い魔かと思い、多少身構えた。わずかに開放した魔力がマミゾウの周りの空間を曲げる。
鴉達は少女に真っ直ぐ向かい、そのくちばしと爪を使って軽くつつき始めた。少女は今鴉が来たことに気が付いたようにぎょっとするが、数羽の鴉たちは示し合わせたように彼女を取り囲んでつつく。
「いた、痛っ!? な、なにするんだ、このやろう。いたい!?」
頭を抱えて座り込む少女。呆然と口を開けているマミゾウ。襲い掛かる鴉達。どうやら少女の使い魔ではないらしい。それどころか少女を微妙に手加減した形で攻撃し始めた。
一瞬あっけにとられたマミゾウだったが、直ぐに我に返った。どうやら少女は懲らしめたりするよりも助けるべき相手らしい。不吉さを感じたのは完全に気のせいだったのだろう。
鴉達はマミゾウが追い払った。どうにも私怨が混ざっているような攻撃だったが、そこは狸の大親分である。なだめつつ、すかしつつ、脅して追い払った。
「これ、反物屋殿。大丈夫か?」
「くっそ。あいつら、いつまでも根に持ちやがってー」
マミゾウが心配する少女は少し服がそでている。鴉のくちばしの餌食になったのだろう。悔しげに虚空を睨み、やっとマミゾウに気が付いたように会釈する。
「どこの誰かは知らないけど、助かったよ。まったく最近の鴉はこれだからいけない」
「おぬし……あやつらに何かしたのか」
「大したことじゃないよ。人里でおにぎりとかいうのををもらったから、あいつらにやろうと投げつけたら、ちょっと一羽の腹に当たって逆恨みされているだけさ。せっかくワタシが餌をやったのに執拗に追いかけてくるし」
「逆恨みかのう……それは」
むしろ鴉に同情したいような気持になるマミゾウ。だが、そんな彼女の気持ちとはおかまいしに少女は続ける。
「まあ、本当に助かったよ。普段ならどうってことないけど、今日は少し疲れていたからね。河童の川流れっていうこともあるもんだ」
「反物屋殿。おぬしは河童なのかい?」
「………………………いいや。言葉の絢ってやつだよ」
ああ、とマミゾウは嘆息した。どうやら取り越し苦労だったようである。何をと言われればここまで「嘘が下手」な少女がなにか企んでも大したことではないだろう。奇妙な恰好をしているが、それは他の妖怪とて一緒である。
「そうかのう。まあ、夜も近いし気を付けて帰るのじゃな」
「まて。あんた、袖が破れている」
「ほ?」
言われてみるとマミゾウの着物の袖が破れている。鴉を追い払った時にやぶれたのかもしれない。そこを全身ほつれまくっている少女がしたから、マミゾウは苦笑した。重病人がちょっと風邪をひいた人を心配しているようなものである。
「これは、まあ仕方ない。帰ってなおすとしよう。それじゃ?」
おっと振り向いてマミゾウが帰ろうとすると逆に引かれた。少女が引いているのだ。
「待てって。あんた。このワタシが目の前にいるのに無視しようってのかい? ワタシがそれを繕ってあげるよ。それに反物屋っていうのもあんた勘違いしてる。これは単なる小遣い稼ぎさ」
「ほほう、それはそれは」
「なんだか調子が狂うなあ、まいいや。ワタシは河東さざめ、しがない――」
ちょっとさざめは胸を張る。
「仕立て屋だよ」