空から降りてきた一人の魔女はへへん、と顎を揚げ。人差し指で上唇のあたりをこすっている。何か得意気である。
頭にのせた大きな魔女の帽子には白いリボン。手に持った大きな箒。シンプルな黒の服と白いエプロン。魔法使いだと説明される前からさざめはわかってしまった。関わったら面倒になりそうだからと彼女は思った。
「そ、それでその霧雨さんが私になんの用なんだ?」
さざめは後ろに下がりながら聞いた。魔理沙ははっとして言う。
「お、おい。私は怪しいものじゃないぜ! さっきの霊夢との会話を聞いて手助けしてやろうと思っただけだって……」
魔理沙はあわててさざめを引き留めようとして、帽子がずれた。
「お、おっと」
顔が隠れて彼女は両手で帽子の縁をつかむ。離した箒が地面にからんと落ちた。魔理沙は帽子の下からその大きくて、星のように輝く瞳でさざめを見た。
「ま、まあともかくだ。あんたにみょうちくりんなものを探すにはいいところへ連れて行ってやる」
こほんと咳払い。ちょっと恥ずかし気に魔理沙は言う。
さざめは少し悩んだが、どうせ特殊な糸などというものの当てなどない。こくりとうなづいた。なんとなく気おくれしているのか、声が出てこなかったのだ。しかし、次の瞬間にはそのことを自覚してしまった彼女の負けん気がむわっと湧いてきた。
「わ、わかったよ。どこでも連れいってもらおうじゃないか。どうせ当てなんてないしね……! まあでもあれだからな、こう怪しいところとかす、すけべなところ……ぁぁ」
自分で勢い余って「すけべ」などと言い勝手に赤くなってしょんぼりしたさざめに魔理沙は首を傾げた。最後の方は何と言っていたのか彼女にも聞き取れなかったのだ。おそらくそういったところに連れて行ったらダメという意味だとは分かった。
「よし、じゃあ早速行くこうぜ」
魔理沙は箒にまたがった、ふわっと風がおこりさざめの顔を撫でる。ゆっくりと浮いた魔理沙と箒。さざめは呆けた顔をした。
「いや、さざめ……だっけ? あんたも飛んでいった方が早いと思うぜ?」
「私は飛べないよ」
「えっ? そ、そうか。じゃあどうしようかな。後ろに乗るか?」
「えっ」
え、と言いながらうれしそうな顔をするさざめである。自分で飛べない分、空を飛べると聞くとなんとなくうれしい。魔理沙は苦笑しつつぽんぽんと後ろをたたいた。乗れということだろう。
さざめは軽やかに一歩踏み出して、よろける。さっきまで腰が抜けていたのだ、急に動いてしまったからだろう。彼女は倒れないように踏ん張りつつ、何事もありませんでしたよとばかりにしれっとした顔で箒にまたがった。
「それじゃあいくぜ、ぷ、くくく」
「な、なにを笑っているんだ!」
さざめが抗議する。箒がふわっと空へ登っていくと彼女の上着がはためいた。
だんだん地面が遠くなっていく。さざめを見上げる道行く人たちも遠くなっていく。
「しっかりと捕まっててくれよっ」
魔理沙の声にのほほんとした顔でさざめが「えっ?」と言った。空を飛ぶことにワクワクしている顔でもある。その次の瞬間にはぎゅんと体に負荷がかかる。
「ふえ」
妙な声でさざめは箒にしがみつく。耳もとで空気の流れていく音がする。箒にまたがっていると足がぷらぷらして大変怖い。とさざめは身をもって思い知った。
「……」
情けない声を出すのは妖怪としてどうなのか、さざめはそう思って片手で口を押えるが片手でしがみつくと怖い。どんどん地面が遠ざかっていく。青い森が広がり、どこかで上がった炊煙が細く天に昇っていく。さざめはそれ以上のスピードで登っていく。
「おっと」
くるりときりもみ。魔理沙はにやっと後ろを向く。さざめはとても青い白い顔をしている。今何が起こったのかよくわからなかったが、だんだんと恐怖はこみあげてくる。しかし、だからといって彼女はおれない。
「な、なんだその顔は! ここれくらい、なんてことないさっ!」
「ほーう!」
くいっと魔理沙が手を動かすと箒は縦横無尽に空を駆ける。たまに漏れてくる河童の悲鳴を聞くのは幼い魔法使いだけだ。相当高いところにまで昇ったのか一瞬視界が真っ白になった。
(な、なんだこれ)
雲の中。さざめは少し前も見えない。体にまとわりつく水気に頭を振る。一体何をしようっていうんだと彼女は悪態をついた。一瞬だけ瞳を閉じた。
蒼が広がっていた。
どこまでも遠いその大きな世界がさざめの小さな瞳に映っている。ほんのり開けた口に冷たい空気が入ってくる。足元には雲の絨毯。ふかふかでやわらかそうなそこに、2人と箒の影がゆっくり動いている。
さざめは声もなく遠くを見る、果ての見えない蒼がまぶしい。彼女はこの「色」を忘れないように自分心臓のあたりに手をやる。ぎゅっとつかんだそのしぐさは忘れないようい心に刻むかのようだった。
「それじゃあ降りるぜ」
「へっ?」
ぎゅん。いきなり箒は角度を変える。さざめは悲鳴を上げる暇もなく箒にしがみつく。
「ちょ、ちょっとゆっくりわぁあああああ」
静かな空の世界に、哀れな河童の悲鳴がとどろいた。その悲痛な叫びを聞くでもなく、太陽が照らしてくれている。
☆
「はあ、はあはあ」
地べたに両手をついてさざめは息を整えた。ちょっと泣いてしまったことは内緒であった。さざめはがたがた震えている両足を自分でもんでみた。はあ、とその場でため息をついて空を見上げている。
白い鳥が一羽、どこかへ飛んでいく。さざめはさっき見たあの「蒼」を心に浮かべるために、目を閉じる。心に「色」が広がっていくような感覚。彼女の能力であの色を再現することができるだろうか、それは、さざめ次第であった。
「そろそろ中に入ろうぜ」
ジロリとさざめが後ろを向いた。声の主は魔理沙である。要するにさざめが怖い思いをした犯人であり、
「はあ」
あの「蒼」を見せてくれた恩人でもある。
「あんた、なんであんな高いところまで私を連れて行ったんだよ」
さざめはゆっくりたちあがって聞いた。そこのところはどうにもよくわからない。魔理沙は両手を後ろで組んで、ちょっと考えてから言う。
「なんとなくだぜ」
何を考えたのかわからないような答えにさざめはかっくりと肩を落とした。感謝すればいいのか怒ればいいのかさっぱりとわからない。さざめはだから、不機嫌ですと顔に書いたようにふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「それで、なんでここにあんたは連れてきたんだ」
ここ。この人里離れた場所にぽつんと立った古道具屋だった。さざめは来たことがないが、その存在だけは知っている。店には「香霖堂」と書かれた看板が飾ってある。どうにみても商売っ気がない。
「くす」
さざめは少女らしい声で笑う。なんとなく自分と似ている。魔理沙はそんな彼女の横を通り抜けていく。
「ここの店主なら外の世界からきた変なもんをいっぱい持っているからな。あんたの探しているものもあるかもしれないぜ。まっ、ぼったくられるかもしれないけどな」
「私は見ての通りだ。カネなんてないよ」
ひらひらと袖を振って見せるさざめ。魔理沙と彼女は連れ立って古道具屋に入っていく。入り口の近くには中に入り切れなかったであろう、「ガラクタ」が並んでいる。自転車というものや、鉄でできた看板。三角の赤い何か。さざめの眼にはあまりいい物には映らない。
店内に入ると薄暗く、どことなく埃っぽい。入り口から入ってくる光がやけに明るく感じられる。
「やあ、いらっしゃい」
きらりと光るメガネ。銀髪の店主は静かにそういった。その手に持った釣り竿を撫でながら、
「あぁああああああああああああああああああああああ!!!!! 私の竿っ!!」
さざめの声が響き渡った。