日がとっぷりとくれて、暗い夜が幻想郷を包んでいる。
人里ならいざ知らず、森の中は真っ暗である。空に輝く星々も生い茂った木々に阻まれてしまう。歩く道はけものみちである。そこを二人は歩いていく。先導するのは黒髪の少女である。奇妙な衣服の裾が揺れている。頭には精巧な刺繍の施された布を巻いている。
木々の間を抜けると小川の音がする。夜の静寂に流れていく、水の音。
それは小さな川であった。森の中の細流は流れがゆるい。その傍をさざめは歩いていく。
ふと、ほのかな光が二人を包む。後ろを歩くマミゾウが「ほう」と感嘆の声をあげた。彼女の横を小さな緑の光が通り過ぎていく。それは一つではない。
暗い森の中で踊る、蛍の群れ。光の線を虚空に描くように、無数のそれがあたりを照らす。
水の流れが奏でる音楽と共に、彼らは思い思いに飛ぶ。マミゾウが見上げると、木々の隙間から丸い月が見えた。考えるまでもないが、マミゾウは口に出したくなった。
「よい。夜じゃの」
言葉だけで愉快になる。マミゾウはそれでもさざめを見失うことはない。そのあたりはしっかりしている。だが、この目の前の少女は片手にどこからか摘んできたのだろう、猫じゃらしを掴んで、振っていた。目の前の蛍を払っている。
「蛍めぇ……うっとおしいなぁ」
随分と贅沢なことを言っている。マミゾウはくすりとした。確かに豊かに自然の残っている幻想郷では蛍も珍しくないのかもしれない。「外」ではそうはいかないからマミゾウはギャップを感じる。それにさざめの帰る道であるから、毎日見ているのかもしれない。
さざめは本気で蛍を叩き落そうとしているのではない。その証拠にねこじゃらしを振りながら小声で「かっぱっぱー、かっぱっぱー、きゅうりのキュウちゃん丸かじりー」と歌っている。
マミゾウはそれに苦笑する。それにどうやらさざめは自分が妖怪であることを隠す気が無いらしい。少なくともこの夜なかに森に入る人間はいないだろう。彼女は自分が「河童」とは一言も言っていないが、バレバレでもある。
「あとどれくらいでつくかのう」
「あん? ああ。もうつくよ。ほらこの川の傍だから」
さざめはねこじゃらしで川の先を指す。少し離れたところにぽつんとあばら屋が建っていた。流石にマミゾウは夜にも目がきく。だから直ぐにぼろぼろの外観が見えたのだ。板葺の屋根に塗装自体されていない剥き出しの壁。窓には障子のようなものはない。
「あそこに一人で住んでおるのか?」
「そりゃあ、あれに二人ですみゃあ、狭いだろう?」
「それもそうじゃのう。じゃが、河童は集団で生活するものではないのか?」
「…………は? か、かっぱ? 誰が?」
「…………」
この期に及んでしらを切る気らしい。頑なにこの少女は自分を河童とはいわない。マミゾウも別に追及するつもりはないから、腰からキセルを取り出して歩きながら、器用に火をつける。少しすって、ふうと吐く。
白い煙が立ち上っていく。
さざめの家、その玄関にはのれんが掛けられている。木の板などはないから防犯などする気がさらさらないのだろう。だがそののれんが面白い。黒い布地に色とりどりの花の刺繍が施されている。
「なにをやっているんだ。さあ、はいれはいれ」
すでに家に入っていたさざめがマミゾウを呼ぶ。ごとりと音がしたのは、彼女は背負っていた反物を置いたのだろう。マミゾウはのれんをくぐる。手触りがいい。それに僅かな驚きを感じて。家の中のあまりの狭さにもっと驚いた。
狭い板敷の部屋、それがこの家の全てである。台所もないし、風呂もない。そこにさざめは座って素足で胡坐をかいている。半ズボンだから気になることはない。横には先ほどまで担いでいた荷物がある。
積まれた白い反物の山が三つか四つ。着物掛けも何故か二つもあり、そこに白い着物が掛けられている。染付も絵付けも刺繍もされていない。それが無駄にスペースを取っていた。後は部屋の隅に台があり、その上に何か乗っている。
一応床に何かが散らばっているということはない。強いてあげるならさざめが脱ぎ捨てた靴くらいである。
「おじゃまするぞい」
「いらっしゃい。まあ、みてのとおりなんもかまえないけどね。ほら、このあたりに座ってくれ」
さざめは反物の山をどけて、マミゾウの座るスペースをつくった。 マミゾウがそこに座る。履いていたつっかけは脱いでいる。彼女も遠慮なく胡坐をかく。肩肘を自分の足に置いて、座る。
「しかし、物が多い」
「まあね。仕事道具だから仕方ないさ。あ、ちょっと待ってくれ」
さざめは上着を脱ぐ。下に着ていた藍色の着物は袖が短い。白く細い両腕が見えた。彼女はうわぎをたたんで置くと、部屋の隅にある台に膝立ちで向かう。ただ、その台の前ではしっかりと正座する。
「?」
マミゾウは首を傾げた。台の上にある物、それは小さな「位牌」である。さざめはその前でぱんぱんと柏手を打ち、なむなむと適当な念仏を唱える。
「ぎゃーてぎゃーて。よし。待たせたね」
くるっと振り返るさざめ。お参りとしてもあまりに杜撰である。それでもマミゾウは聞いた。
「さざめ殿。おぬし……仏教徒なのか?」
「はあ? そんなわけないよ。こりゃああれさ。人間ってやつの弔い方はこんなもんなんだろう」
「見よう見まねでやっておるということか。しかし、少々てきとうじゃのう。まずはのう、どれわしも挨拶をしておこう」
マミゾウは立ち上がり、台の前に座る。そして静かに手を合わせた。祈りの言葉は唱えない。この位牌がなんなのかもわからない。あくまでさざめのよくわからない祈り方が気になっただけである。
「まあ、このようにな。位牌の前で手を叩く必要はない。それは巫女のおる神社の作法じゃからな。……しかし、わしがこのようなことをするとはな」
くっくと自分を笑う狸。元々人間と生活していただけ、このようなことは良く知っている。それでも妖怪が祈るなど、どこかの寺のようである。マミゾウは笑みを浮かべたまま、さざめを見る。当のさざめは目を丸くして、マミゾウを見ている。何かに驚いているようだった。
「さざめ殿……?」
「ん、あ。いや。私以外がこれに」
さざめは位牌を指さす。位牌を「これ」といったり、指さすあたり遠慮はない。
「手を合わせてくれるのは初めてだからさ……ありがとう、と言えばいいのかな」
「なに、気にすることはない。ほんとうに大したことはしておらんからのう」
くっくと冗談交じりに言うマミゾウ、それにさざめもつられて笑う。
「そうかもなぁ。それでも嬉しいよ。なあ、あんた。袖を繕ってやるけど、その間上着がないだろ? 私が仕立ててあげるよ」
「ほう、それは重畳。今度楽しみしておこうかのう」
「何を言っているんだ。そんなのんきなはなしじゃないよ。うーんそうだなぁ」
さざめはマミゾウを見る。じっくりと、顎に手をあてて、片目を細める。その格好で動かない。しばらくして、やっとさざめは立ち上がった。
「あんたには緑がよさそうだ。良い色が浮かんだよ」
言いながらさざめは、反物の山から一つを取る。巻かれた織物は白い。緑どころか染付もされていない。彼女はそれを両手で持つ。マミゾウは何もいわない。何をするつもりなのか分からないが興味はある。
さざめは織物に手をかざしながら、巻物を開くようにするすると布を引く。そしてマミゾウの目の前で、それは起こった。
引いた先から、白い布が鮮やかな緑色に染まっていく。さざめの手に触れている場所から、すうと「色」が現れる。彼女の動きによどみはない、手慣れているのだろう。
巻かれた布がほどかれていく。色のついた場所がほのかに光っている。長い布が床に降りていく。
こうしてマミゾウは疑問の答えを得た。
さざめという少女に最初であった時に抱えていた色とりどりの反物。人里にあふれている、美しい着物のこと。それを誰も不思議に思っていないこと。あれは当たり前のようになっているのは、きっと目の前の少女の「せい」だろう。
マミゾウは呟く。
「色をつける程度の能力、といったところか……」
それは幻想郷のバランスを崩すほどの力。といっても大妖怪と張り合えるとはいえないだろう。ただただ単純な原理である。幻想郷の「色」の大きな部分を河東さざめという少女が担っている。のかもしれないということだ。
「ほら、こんなもんでどうだい。見事な色だろう?」
さざめの両手には解かれた織物。少し薄めの緑色のそれ。
「まあ、大した能力じゃないけど。ワタシにはこれと裁縫くらいしかできないからね」
「……大した能力じゃない、か」
外の世界ならばそうだろう。だが、幻想郷ではどうであろう。それは無くなってでもみないとマミゾウにもわからない。さざめにはもっとわからないだろう。彼女はすとんと座って、
膝に織物を載せる。それから近くに合った箱を取り寄せた。それをぱかっと開く。
中にあるのはハサミ、針山にささった針。それに糸や小物が入っていた。裁縫道具だろう。
それからさざめはにやりとマミゾウに笑いかける。
「いいものをつくってやるよ」