奇妙な唐傘のお化けと会ってから数日。さざめはいつも通りに過ごしていた。
多々良小傘に依頼した「針」はまだ出来上がっていない。でき次第届けるとのことだったが、さざめはのんびりと待つことにした。正直言えば「生地」と「糸」と「針」の三つがあれば、いつでも仕立てることはできるのだ。二つのめどはついている。
だから直近の問題としては防水の「糸」を見つけることにあった。最悪普通の糸でもいいのだが、どうせ仕立てるのであれば河童の生活に合った物を作りたい。考えてみればわかる。河童はよく水に入る、そこから上がるたびに縫い目だけ濡れていたら気持ちが悪いだろう。
服とは着る者に合わせて作らなければ、仕立て屋としては二流だと彼女は思っている。基本的にそれ以外出来ないさざめは、そこを妥協する気はあまりない。
☆★☆
夜明けの前の空は明るい。
闇が薄れ、だんだんと染みとおるような青が広がる空。星々達がだんだんと空へ帰っていく、朝と夜の狭間。遠い山々の稜線がオレンジ色に染まり、柔らかな「白」が世界をゆっくり包んでいく。
太陽がすぐそこまで来ている。
奥ゆかしい「彼女」はまだ顔を出さない。空を流れる雲が、風に流れてどこかに行く。涼しい風をいっぱいに受けて、空を飛んでいくのは気持ちがいいだろう。そして、こんな朝、こんな日こそ、
闇市を開くには絶好の時間である。
それが行われているのは妖怪の山と言われている、山のふもと、その小さな森であった。
そこに白い集団が集まっている。白いというのは比喩ではない。頭が白い、着ている物が白いということである。それも全て少女、もちろん人間ではない。天狗、それも白狼天狗の少女達であった。
彼女達は何かを囲むように、小さく車座になっている。中心にいるのは、黒い髪に頭巾をしたか仕立て屋、河東さざめであった。恰好はいつもの通り、白い羽織と中に甚平のような着物。
さざめは大きなゴザを引いて、そこに折りたたんだ白い狩衣(かりぎぬ) と紅と黒の袴。狩衣とはその名の通り。「狩り」をするときに動きやすいように作られた着物である。白狼天狗達はこれを付けていることが多い。
事実今集まっている、少女達も皆が皆同じような姿である。頭には六角形の帽子、それに白いだけの狩衣と短い袖。一様に合わせた黒を基調とした袴。腰には刀や剣を差している者も多い。
ある意味では「制服」なのだろう。しかし、彼女達とて少女である、その不満がいつしかこの「闇市」になっていた。隠れてのお洒落をしたいのはいつだって変わらない。ただ、上司にばれる面倒は避けたいのだ。
「さあ、これなんてどうだい」
さざめが狩衣の一枚を手に取り、広げる。それは身頃(着物の体を包む部分) と袖が紐で縫い付けられているだけの一見平凡な物である。白狼天狗達はきょとんとした顔で、お互いに顔を見合わせる。
さざめはにやりとして、裾をちょっとめくる。
――おおー!
歓声が上がった。「一見」では分からないが、裾のした、つまり裏地に描かれた赤い下地に桜の文様。めくってみなければ分からないお洒落。狩衣は白狼天狗達は仕事着であるから、ぴったりだ。
「それをください!」
「私が」
「いや、わたしが」
ちょっと喧嘩になりそうなくらいである。
地味かもしれないが、制服でも凝りたい乙女心であろう。さざめはどうどうと手で制して、まだ他の狩衣をとる。今度は分かりやすい、身頃と袖を繋ぐ紐に刺繍が入っている。それはさざめが前に見た「外の世界」の本に描かれてあった、雪の結晶の刺繍。
黒い紐に並んだ「結晶」達。さざめが色を付けて、そして刺繍を施した、幻想郷で唯一のものである。ただちょっと目立つので欲しがりながらも天狗達は、手を出しかねている。
さざめは焦らない。次々に仕立てた衣服を披露しては、安値で売っていく。彼女が安値で売っているのは、恐ろしく単純な理由であるが、ともかく、ゴザに並べられた狩衣も袴も飛ぶように売れていく。
「サイズが合わなかったら、言ってくれよ。仕立て直してあげるからさ」
アフターサービスをアピールしつつ、さざめは機嫌がいい。正直儲かってはいない。
それでも彼女は楽しそうに商売する、次に手に取ったのは黒い生地の袴、裾に赤いラインが入っている。裏地には小さな星が描かれている。ちょっと歩いていると、ちらりと見える程度の物だ。
そんなこんなで小一時間。すっかりと売れてしまい、白狼天狗はきゃっきゃと山に帰っていく。あたりには朝日が差し込み、すっかり明るい。
「ふう、売れた売れた」
上機嫌に後片付けをするさざめ。腰にはお金の入った袋が一つ、ずっしりしているが着物に使う反物を買えばすぐなくなる程度である。それでもあまり気にしない。さざめはいつものようにゴザを背負子に括り付けると、背負う。今から人里へ行かなければならない。
背負子には色とりどりの反物もくくられている。人里へ「納品」するものだ。仕立てることも仕事だが、染付もやっている。
そうしていると森の中から一人の白狼天狗がやってきた。
「……ああ、遅かったか」
「お? あ、モミジじゃないか」
現れた少女は肩をがっくりと落としていた。頭に六角形の帽子、真っ白な髪。涼やかな目元をした白狼天狗。それが彼女、犬走椛であった。着ているのは白い狩衣だが、中に黒いインナーを着ている、それがちょっと見えている。袴も黒地に「紅葉」をあしらったものだ。
背には鞘に入った大剣を担いでいる、柄が擦り切れているのは使い込まれているのだろう。彼女ははあとため息一つ、そしてさざめを見てもう一つため息。
「はあ、お早うさざめ。今日はもう店じまいなんでしょう?」
「ちょっと遅かったね。もう売れるもんはないよ」
「そうだろうね……あーあ。寝坊したなー」
「まあまあ、どうせ妖怪の生は永いんだ。また次に来てくれればいいよ。それとも特別料金で仕立ててやろうか?」
「うーん。いいや。今日もお山の見回りにいくから。しばらく我慢するわ」
「そうかい」
椛は頭をかきつつ、大きく欠伸をする。まだ眠そうで、目元に涙がたまっている。夜は妖怪の時間ならば、朝は眠いのか。それとも普通に眠いだけなのだろうか。
さざめは「お?」と何かを思いだした様子で、ポケットをごそごそ。
「それじゃあこれをやるよ。余ったんだ」
さざめの手に乗っているのは小さな「輪」だった。ただ、それを見た椛は眼をぱちくりさせた。その輪はさざめの手の中で、朝日を受けている。
七色に光っていた。
もちろん輝いてるわけではない。椛にはそう見えただけである。
その「輪」はいくつかの紐を絡めて作ってあった。細い紐が7本。赤・橙・黄・緑・青・藍・紫に染め付けられたそれらが、くるくると絡み合い。一本の輪になっている。
「これはみさんが、っていうらしい」
「ミサンガ? これ、髪を結ぶの?」
「いや。手首につけるらしい」
らしいらしい、とさざめは言う。ようするに聞きかじったものを作ったのだろう。椛はさざめからうけとったそれを、手首に付けてみる。その細い手首を包む「虹色の輪」彼女は口には出さず、ちょっと嬉しそうにする。
「まっ、あまりものだからね」
「…………」
こんなものが余るわけがない。意図して作っているのは明らかである。さざめが最初から椛に渡すつもりで作ったのかもしれない。何故か顔をぷいとそっぽに向ける、さざめの顔を見て、椛はそう確信した。嘘が下手な河童である。
「ありがとうさざめ」
「ど、どうってことないよ。あまりものだから」
まだ言っている。
☆★☆☆
日が昇りきる少し前、さざめは人里の呉服店から出た。背負子にはゴザや小さな箱等しかくくられていない。どうやら無事に反物の「納品」終わったのだろう。彼女は仕立てる材料は人里から購入するしかないから、人里とは切っても切れない関係にある。
さざめの歩く大路は左右に軒が立ち並ぶものだった。人里の中心である。
行き交う多くの人々の着物をじろじろさざめは見て、たまに自分が仕立てた物をみるとにやける。怪しいとしかいいようが無い。そもそも恰好も怪しい。白い羽織とその精巧は刺繍が一度見れば覚えやすい。一応本人は自分が河童だということは一度も言った事が無い。妖怪として「隠す」のがルールである。
ふと、八百屋の前で立ち止まるさざめ。置かれた野菜達には水滴がついている。瑞々しい印象がある。だが、さざめの眼はただ一つにしか、向けられていない。
きゅうり。ざるに乗った緑色の野菜。何本か並んだ神々しい姿。
さざめが八百屋から離れるとき、たまらず買い占めてしまったのか、手に大量のきゅうりがあった。その内の一本を普段は無愛想なくせにニコニコと食べている。しゃり、と噛むたびにほわんと蕩けるような顔している。重ねてにはなるが河童であることは一応隠している。人間側でも「気付かない」のがルールである。
そうやって食べ歩きながらさざめが向かったのは、自分の家ではない。とある貸本屋である。
鈴奈庵。人里にある貸本屋である。
主に「外」からやってきた本を取り扱い。小規模ながら印刷業も行っているという場所であった。だが、本とは奇妙なもので誰が描いているのか分からない物も多く、中には多くの「妖魔本」なども含まれているという噂もたつ店であった。
ただ、善良な店であることは間違いない。人里で有名な「稗田」の少女も通っているという。
店自体は大きい。屋根は瓦を葺き。しっくいで塗り固められた白い壁。ちょっとやそっとでは崩れそうない造りである。ただ、玉に瑕と言うべきだろう。入り口がすっぽり隠れるくらいの暖簾、その上に掛けられた屋号に問題があった。
そこには「鈴」「奈」「庵」と三枚の墨書が付けられているが、最後の一枚が外れかかっている。それだけで貧乏臭さがにじみ出ている、逆にそこに「味」を見つける人もいるかもしれないが、直した方がいいとさざめは思っている。
思いながらさざめは暖簾をくぐった。漂ってくる匂い、本の匂い。
中には壁に沿って置かれた、多くの本棚。そこにぎっしり入った本や巻物。入りきれなかった分は床に積まれている。それも無造作にではなく、しっかりと縛ってあるのだから、大事にしているのか微妙である。
「あ、いらっしゃーい」
明るい店員の声がする。その店員は奥の机にいた。
両手で本を開いている、読書の途中だったのだろう。その少女は鈴の形をした髪飾りで明るいブラウンの髪をツインテ―ルにしている。大きな瞳と丸メガネ。着物は市松模様で上からエプロン。胸元には「KOSUZU」と書かれているが、さざめには読めない。
名を本居小鈴という。机にも本が積まれ、何故か蓄音機が乗っている。
さざめはなんとなくここに来ると落ち着く。物がたくさんあるからだろう、家に似ているのだ。彼女はぼうと突っ立っていたが、小鈴から話しかけられた。
「いつもの?」
「え? あ、ああ。いつもの」
やりとりはそれだけである。さざめは来客用に置かれたソファに腰掛けて、腕を組む。ふと気づいて背負子を慌てて下ろした。そんなものを担いだまま座るなど、ちょっと浮ついているのかもしれない。
小鈴は本棚か数冊の本を取り出して、さざめの前に持ってきた。それは「外の世界の本」である。表紙に乗っているのはすらっとした女性であった。いわゆるファッション雑誌であった。
さざめは小鈴に軽くお礼を言って、一冊一冊を食い入るように見る。文字など読めない。だが、写真を見れば想像は膨らませることができる。だからさっきから浮ついていたのだ、服のことを描いた本ほど面白い「本」はないだろう。
小鈴もたまに来るこの河童をそのままに、自分の読書に戻った。さざめはたまに服を仕立てる代わりに「座り読み」にくる。お金はいつか仕事をもらった時に天引きである。
さざめは本を持って帰らない。家のぼろ小屋に無造作においておけば、失くすか破りそうだからである。貴重な本は高いから、弁償などたまったものではない。
そうやってさざめと小鈴は黙って本をめくる。紙が擦れる音とたまにどちらかの少女の出す、声が漏れる。そんな中でさざめは雑誌をめくる。
「外の世界はこんな……」
「ズボンの生地、なんだこりゃ」
「サンダルこんな精巧なの造ってるのか」
「マントみたいな、ええとぽ、んちょ?」
意外ににさざめはうるさい。小鈴はぱたんと手元の本を閉じてから、さざめを見てにっこり。さざめはなんとなくびくっとする。笑っているのに怖い。だから彼女も黙ってページをめくるようになった。
そしてしばらくして、暖簾をくぐる客が一人。
「じゃまするぞい」
それは和装の女性だった。緑色の羽織をつけた、茶色の長い髪。それに整った顔立ちと眼鏡。手には数冊の本。さざめは彼女をを見た瞬間ぎょっとして、ファッション雑誌で自分の顔を隠した。冷汗が流れる。
二ッ岩マミゾウである。数日前、さざめは彼女に会い、とある勘違いをしたままである。
(おや、こやつはあの時の)
マミゾウもすぐに気が付いた。顔を隠したさざめは無駄な努力だったようである。だが、この狸はあえて小鈴に話しかけた。
「小鈴殿。実はまた数冊本を手に入れての。よかったら引き取ってくれんか?」
「あ、こんにちは! ぜひぜひ、見せて下さい」
きらきらした目で小鈴は立ち上がる。新しい本と聞いただけで、心が弾む。マミゾウはそれを微笑ましく思い、本を無料で譲ってくれた「巫女」にほくそえんだ。彼女は小鈴に手元の本を渡すと、つかつかとさざめに歩み寄る。
小鈴はマミゾウの本を開いて、真剣に値踏みしている。どうやら外の「経済」を書いたものらしい。
「……さざめ殿」
「ド、ドチラサンデスカ」
マミゾウは吹き出しそうになった。白を切るつもりらしい。あまりにヘタすぎて、危うく笑ってしまいそうになった。
「ほう、河童違いじゃったかの?」
「カ、カッパナンテイナイヨ」
「ほうほう。河童はおらぬか。ところで、この羽織、よいものじゃのう」
「だろう!!!」
ファッション雑誌の下から現れたさざめの嬉しそうな顔、がだんだんと赤くなっていく。悔しさと恥ずかしさと嬉しさが入り混じった妙な顔でマミゾウは今度こそ吹き出してしまった。
「はははは。わらいわるい。あまりにおぬしがシラを切るので、ついつい」
「……く、くそ。お前狸みたいなやつだなっ! 嫌な奴だ!」
「それはそれは」
心の中でぷすーと笑うマミゾウ。狸である。まだ人間と勘違いされている。
ムキになって怒るさざめをそうやってからかっていると、小鈴が近寄ってきた。不思議な顔をしている。
「あれ? お二人とも知り合い……なんですか」
「小鈴殿、いやこちらのさざめ殿をつい最近知り合ってな。烏にいじめられて泣いているところを助けてあげたことがあっての」
「わー!! ほ、ほんとと嘘を混ぜたことを、い、言うな!」
「ふむ? どうじゃったか……いかんせん最近物忘れがひどくての」
困ったことよ、といけしゃあしゃあというマミゾウにさざめの肩が震え、また顔が赤くなる。しかし、この狸はそちらを相手にせず小鈴を見た。
「まあ、そう言う仲じゃ」
「はあ、ど、どういう仲なの?」
「まあまあ、それより小鈴殿もさざめ殿と知り合いとはな」
「知り合いというかたまに来てくれるくらいですよ。名前も今知りました」
「ほーう」
間延びした反応をマミゾウは見せる。チラリとさざめをみると、ツーンとした顔で腕を組んでそっぽを向いている。だから気が付かない。
マミゾウがさざめに向けた顔は笑っていない。冷たい、瞳がそこにある。妖怪の眼。
さざめはふと何かを感じて、マミゾウを見た。ニコニコしている。
「まったく、あんたとこんなところで会うとはね。世の中狭いもんだ」
「まったくじゃのう。ときにさざめ殿。おぬしは良く人里にくるのかの?」
空気が、冷たくなる。さざめは目を見開いた。だがマミゾウはその瞬間小鈴を見た。彼女は「え、えーと」と頬をかきながら、クリッとした瞳を虚空に向けている。明らかに今の質問の意味を分かっている。
人が、人里に来るかどうかなど質問としておかしい。それにマミゾウは小鈴の反応からもさざめがどうみられているのか、察した。だが表情はにこにこと笑っている。
「ふふ、まあ人里から離れた所に住んでいる人間は……おぬしか巫女、それに変人くらいじゃからな」
そっと「人間」とフォローをするマミゾウ。小鈴もふうと息をはく。気が付かないのがルール。さざめは黙っている。しばらく沈黙が続く。それにたまりかねたのか、最初に口を開いたのはさざめだった。
「里にはたまに来るさ。昔からね。今日は仕事と、ついでに糸を探しにきただけさ」
「糸、とな?」
「そうさ。仕立て屋なんだ。探してたって不思議じゃないだろう? 水に浸かっても濡れないようなヤツが欲しいんだよ」
「…………それは、難儀じゃのう」
「まあ、里にあるって期待はしていないけどね。どうにかして手に入れたいけど、手がかりもないし。どうしようか考えていたところさ」
口が軽いな。マミゾウは思った。今の会話を聞けば「妖怪」に関連した話だと、カンの良いものならわかる。彼女はふうと息をはく、キセルを吸いたいが今は我慢した。
「それならうってつけの場所があるぞい。さざめ殿」
「え? 心当たりがあんたにあるのか?」
「おうさ。ワシに任せておけ。その手の相談事にはめっぽう強い専門家を知っておる。どれ、おぬしさえよければ今からでもいこうかの」
「い、いくってどこにさ」
マミゾウは柔らかく笑みを浮かべる。さざめは気が付かないが、これは彼女の本心の表れでもあった。しかし、口に出した言葉は狸らしい。
「ひみつじゃ」
人里離れたとある神社で、一人の少女がくしゃみをした。