【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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第伍病・センコク

 それは、あまりにも唐突過ぎであり、同時に、“綾小路咲夜”らしさに満ちた発言だった。

 

「園芸部を廃部しなさい」

 

 確かに責められる部分はあった。 反省すべき行為や考えは多く、自身の身の潔白を主張する気なんてハナっから毛頭ない。

 だが、しかし。

 だがしかし、だ。

 

 それで『廃部だから諦めなさい』『はい分かりました』で終われるワケがない。

 園子の厚意にかまけて、同じ部員としての意識が足りず負担をかけてしまった事は、俺の失態で。

 本来学生は全員家に帰らなきゃいけない時間帯に、活動をしていた事も、到底褒められる行いでは無かった。

 間違いは認める。 起こしてしまった。 それで叱責が来るなら甘じて受け入れよう。 反省文を求められるなら原稿用紙何十枚でも書き連ねてみせる。 行動で示せと言うならば毎朝誰よりも早く校門に行って、掃除だってする。

 でも、更生や反省の機会を根こそぎ奪う廃部だけには、絶対従えない。

 

 ……なんて、思いを感情に乗せて素直に吐き出したところで、事態が収まるわけではない。

 そんな生易しい相手ではなく、むしろ、逆に咲夜に対して付け入るスキを与えてしまうだけだろう。 だから考えろ、咲夜の目的を察しろ。

 その為に今やるべきなのは、まず咲夜の話をある程度まで聞く、つまり判断材料を得る事だ。 頭ごなしに否定する事だけが対話じゃないんだから。

 

「悪いけど、余りにも話が急すぎて意味が分からないんだ。 順を追って説明してくれないか」

「……驚かないの?」

 

 思った反応と違う返事が来たからか、咲夜は一瞬間を置いてからそう聞き返してきた。

 だとしたら都合がいい。 この手の状況は、全体のペースを掴んでいる方が有利に話を進めやすい物だから。

 

「もちろんパニック寸前だよ。 だから説明を求めてるんだ」

「~~っ、調子狂うわね……まあいいわ。 ヒステリックにならなかった事は褒めてあげる。 本当はその方がやりやすかったけど」

 

 たちどころに先ほどまでの張りつめた空気が弛緩していく。 ここまでは狙い通り。 さっきの空気のまま話が進んでいたら、まずろくな状況にも結果にもならなかったに違いない。

 普段通りの調子に戻った───と言っても、十分すぎるほどやり辛い相手ではあるけど───咲夜が、自信満々に語り始めた。

 

「といっても簡単な話よ。 私……というよりも査問委員会ね。 私達は以前からあんた達園芸部の動きを監視()てたの。 その中で、学園のルールに則る事がなくて、部活動の領分を大きく逸脱した行動が見られるようになったと判断したの。 今だってまさにそうよね? こんな時間まで全員で花の植え替えなんて、あり得ない事じゃない」

 

 悔しいが、これに関しては完全に咲夜の言い分が正しいので、流石に何も言えない。 他のみんなもそこは同じようで、園子は自分を責めているのか、人一倍表情を重くしていた。

 早くこの状況を打開したいが、まだ咲夜の話は終わらない。

 

「というわけで、園芸部には廃部が最もふさわしいと判断したわけ。 こんな時間でもまだ帰ろうとしない部活動なんて、不良のたまり場になったら大変だものね? この判断は()()()()()()()()()()。 ハイ説明おしまい、庶民の頭でも分かりやすい説明だったわね、感謝しなさい」

 

 徹底的に上から目線な態度。 かつての羽瀬川ですらここまで自意識最強ではなかったろうに。

 そんな綾瀬にまず応えたのは悠だった。

 

「うん、とても良く分かったよ。 相変わらず君らしい、一方的で理不尽な、聴くに値しない内容だった」

「あ、綾小路君、そんな挑発するような事言ったら……」

「大丈夫だよ部長、今すぐこの場で廃部になんてならない。 この女の我儘を素直に聞く必要なんてないから安心して」

 

 普段からは想像に難しい、真正面から喧嘩を売る様な言い方に焦る園子を、今度は普段の口調で宥める悠。

 咲夜はというと、悠の挑発的文言で頭に血が上り……なんてことは一切なく、むしろ、その言葉を待っていたとばかりに、にやりと口端を上がらせた。

 

「悠、やっと口を開いたわね。 でも残念、いまや庶民の取り巻きでしか無いあんたに何を言われようと、何も響きはしないわ。 というか、ソイツ(庶民)が何か言ってからじゃないと口開けないのなら、最初から黙っていなさい」

「縁は親友だ。 取り巻きなんて雑で誤った表現でまとめないでくれるかい。 僕が黙っていたのは君がこの数年で少しは考えてモノを言えるようになったかを見ていたからさ。 結果は……もうさっき言ったからいいや」

「親友……親友って言ったの? あんたがそんな言葉を口にするなんて、ずいぶん柔らかくなったものね。 驚いたわ。 その遠回しで厭味ったらしい言い方しかできない性格で、良く友達ができたわね?」

「人は成長するものだよ、精神的にせよ肉体的にせよ、ね? その点、君はどちらも変化が見えてこないけど……第二次性徴期はまだのようだ。 あと訂正が一つ、僕は誰に対してもこんな言い方をするんじゃなくて、きちんと相手によって相応しい態度を変えてるだけなんだ。 君の名誉のためにも、これ以上は言わせないでくれ」

「っ……本当、人を不快にさせる言い回しはお上手ね。 母親から譲ってもらったのかしら?」

「母さんは関係ないだろう……」

 

 ───まさに舌戦と呼ぶにふさわしい応酬が間の前で繰り広げられている。 瞬く間にこの場は悠と咲夜だけのものになっていった。

 しかし、以前から咲夜絡みの話になると悠は少し性格が変わると思っていたけど、ここまで完全に相手を煽りに煽る姿を見るのは初めて……いや、()()()()()()()()。 けれども、とにかく驚きだ。

 

「あの綾小路君が、セクハラ発言してる」

「お、お兄ちゃん……悠先輩、いつもと性格が違う気がするんだけど……」

「まるで人が変わったみたいです……」

 

 渚や綾瀬はおろか、自分の部が廃部宣告されて一番パニックになっておかしくない園子までもが、今の悠の姿に関心を持っていかれている。 やや緊張感に欠けた状況だが、それだけ今の悠が咲夜に向けた敵意が強烈だという事の現れとも言える。

 最初に感情的になってはいけないと理性を働かせた俺とは対照的に、悠は時間が経つごとに言葉の熱量を上げている。 感情の高まりに思考を任せている節すら見受けられてきた。

 

「あ、あの、一ついいですか……?」

 

 この終わりがなさそうな舌戦に介入したのは、意外にもこの場で一番それをしなさそうな、園子だった。

 疑問形で切り出したが、咲夜の返事も待たずに、そのまま話を続ける。

 

「その、査問委員会が決めた判断というものには、必ず従わないといけない決まり、なのでしょうか?」

「はあ? 誰なのよあんた」

「っ、園芸部部長の、柏木園子、です。 質問に答えてくださいっ」

 

 威圧的な咲夜の返しに一瞬たじろぐが、すぐに気を持ち直して言い返した園子。

 悠も悠なら、園子も園子だ。 いつもは穏やかで相手に食って掛かる事をしない彼女が、自分から……しかも、()()()()()()綾小路家である咲夜に自分の言葉を押し通すなんて。

 それに、発言の内容自体も的確だ。 ここまで話を聞いていて、俺も隙を見つけたら言おうと思っていた内容なのだから。

 

「部長? ……ああ、そういう事ね。 つまりあんたが、一年前の……」

 

 園子にとって忌々しい思い出。 以前は園子の事を聞かれて何も知らないでいた咲夜だが、あの後調べたか聞いたのか、咲夜は園子がかつて綾小路家の圧力を受けていた人間だと知っているようだ。

 園子を刺すように見る咲夜、その視線に負けそうになりながらも、決して視線を咲夜から離さない園子。 先ほどの悠との舌戦と異なり沈黙の時間が僅かに生まれる。

 だが、咲夜がほどなく視線を外し、というかつまらなそうにため息を零してその時間は終わった。 その後、

 

「正解に辿り着いたみたいね。 つまんないけど……」

「正解、ですか……?」

「そ。 実のところ、査問委員会には園芸部はおろか、全ての部活動や委員会を即座に廃部に出来る権利はないわ。 もちろん、私個人にもね」

 

 まるで種明かしをするように、あっけらかんと咲夜はそう言ってのけた。

 これに即食らいついたのは、やはり悠だ。

 

「やっぱりね。 いくら君が立ちあげた委員会だとしても、あくまでも学園の生徒の一人でしかない君に、そんな決定権があるわけない」

 

 先ほどまでの興奮した様子は演技だったのかと言わんばかりに、冷静な口調で話す。

 確かにその通りで、いくら学園創設者側の人間だからって言った言葉がまんま通る筈がない。 屋上の扉の鍵を外すのとは規模が違う。

 複数の生徒や、金の問題。 教師たちの存在意義や、何よりも悠の存在がある。 現状の咲夜にそこまで好き勝手出来る力は無いんだ。

 

「馬鹿にしないでくれる? その気になれば私の好きにするなんて簡単よ。 でもそれじゃあ教師どもの居る意味がなくなる……尤も有象無象なんだからどうでもいいんだけど、とにかくこの学園の為には必要なコマだから、ある程度は仕事を残してやったのよ」

 

 ここでようやく、俺が会話の本筋に乗っかれた。

 

「そうなると、査問委員会の決めた事はどう処理されるんだ」

「良い質問ね。 まぁ、本当は明日の生徒会総会で説明するつもりだったけど、特別に今教えてあげるわ、感謝しなさい。 査問員会の決定は全生徒の総意で決められる。 素晴らしいわね、まさに『みんなで作っていく学園生活』よ?」

 

 微塵も素晴らしいと思っていないどころか、心底くだらない過程だと思ってそうな顔をしている。

 とは言え、俺も『我が道を押し通す』を地で生きている咲夜が、このように見下している大衆(庶民)の意見を基に動くというのは、話を聞いてるだけでも違和感しかない。

 終わりに差し掛かろうとしている空気を、悠が最後まとめに掛かった。

 

「話は見えてきたね。 つまりは今査問委員会には何も力がない。 そもそも明日から始まる委員会が今日何を言ったって、最初から相手する必要もなかったのさ。 ね、安心してって言ったろう部長?」

「そういう事だったんですね……良かった。 でも、つまりは明日改めて廃部を問われることになるんじゃないでしょうか」

「それもないから安心して。 今回の事を議題に上げるってことはつまり、査問委員会が僕たち同様こんな時間まで、()()()()()()()()()残ってたことを自白するに等しいんだから」

 

 そういう事になる。 俺達は一応まだ部活という名目があったが、まだ本格始動する前の査問委員会がこんな時間まで居る正当な理由なんて無い。

 さらに言えば、何の効力もない虚偽の申告で俺達を廃部にしようとしたんだから、変に騒ぐものなら逆に自分の首を絞める事にしかならない。

 

「はいはい、その通りよ。 ちぇっ、もうちょっと慌てふためく姿が見られるかと思ったのに、つまんないの」

 

 すっかり狙ってた展開と違う方向に話がまとまり、咲夜は不満足なのを隠そうともしない。

 

「ま、いいわ。 私もこの程度で従順になるなんて思ってなかったし。 本番は明日からだし……帰るわ、これ以上ここにいる意味もなくなったから」

 

 そう言って、俺たちの反応を待たずに、さっさと咲夜は学園を後にしていった。 他の生徒もそれにならって粛々と消えていく。

 

「なんとか、なったのかな?」

 

 嵐の後のような静寂の中、綾瀬がまだ先ほどまでの空気感を持ち越したまま言った。

 その言葉を皮切りに、ようやく俺達も、ほっと息を落とした。

 

「い、一時はどうなるかと思いました、縁君に綾小路君、ありがとうございますね」

「いえ、僕こそ、同じ綾小路家の人間でいながらアイツの好き勝手を止められないで、ご迷惑おかけしました」

「そんな、あなたは全然迷惑なんて掛けてないですよ。 本当なら部長の私がやるべき事なんですから……情けないです」

「ううん、そんな事ないって。 園子あのお嬢様に面と向かっていったじゃん。 私なんて何も言えないでたし、凄いよ園子、全然部長してる!」

「あ、綾瀬さん……ありがとう、ございます」

 

 綾瀬の言う通り、あの場で率先して声を上げる事が出来たのは凄い事だと思う。 俺も機会を探るばかりで全く入っていけてなかったし。

 少なくとも、出会ったばかりの園子からは想像できない活躍だった。 綾瀬の真似じゃないが、まさに部長らしかったと思う。

 という事をそのまま素直に俺も園子に伝えた。 先ほどまでの緊張が解けて気が緩んだからか、終始園子は顔を真っ赤にして、俺や綾瀬の言葉に過剰すぎる程謙虚になっていった。

 

「とりあえず、これ以上はもう無理ですし、今日は帰りましょう。 続きは明日……みんなで」

 

 部長のその一言で、今日の俺たちの部活動は、やっとのこと終わりを告げる。

 ホンの十数分の間だったのに、まるで一年近くも時間が経ったような疲労感を背負いながら、俺たちは各々の帰路についた。

 

 その帰り道の途中。 俺を挟んで右に綾瀬、左に渚と並んで帰る中、

 

「そういえば、査問委員会の決め方って、結局どうやって決めると思う?」

「全生徒の総意で決めるって言ってたが、そういやどうやって総意を見るかは言ってなかったな……渚は何だと思う?」

「うーん……多数決、とかかな?」

 

 多数決か。 確かにそれが一番わかりやすい総意のはかり方ではあるか。 アンケート用紙みたいなのに記入して集計~なんて事を考えてた俺より手早い発想だ。

 

「あ、でも全校生徒で多数決っていうのも差が明確にならないと分かりにくいよね……全生徒が一か所に集まる時なんて頻繁にあるわけでもないし」

「無いってわけでもないのよね~。 渚ちゃんの考えが正しかったとしたら、それこそ明日の生徒会総会なんて絶好の機会じゃない?」

「綾瀬さんは、明日いきなり動くと思います?」

「今まで遠巻きにしか見てなかったけど、今日の様子を見たら……やりそうかなーって思う。 渚ちゃんは? クラス一緒なんでしょ?」

「はい……私もそう思います」

 

 そうだった。 最近までおとなしかったからあまり気にしてなかったが、渚と咲夜はあろうことか同じクラスなんだよな。 今後はそれも懸念事項の仲間入りだ。

 

「渚、少しでも咲夜がちょっかい掛けてきたらすぐに逃げるんだぞ。 どんな時でもいいから、すぐに俺の所にこいな?」

「お兄ちゃん……うん、ありがとう。 でも、流石に今日の事だけで心配しすぎだよ。 いくら綾小路さんだって……ううん、分かった。 気を付けるね」

 

 途中まで言いかけた言葉を抑えて、渚がこくんとうなづいた。 俺の少し過剰な心配の理由が分かったからか。 それ以上渚が否定してくることはなかった。

 一人だけおいてかれた綾瀬は、急に渚が言葉を変えた理由に至れず、不思議そうな顔で俺と渚の両方を見やる。

 

「あれれー? なんか今の言い方、普段と雰囲気違わなかった?」

「別に……普通ですよ」

「そうかなぁ……やけに意味深な間が二人の間にあった気がするんだけど」

「気にしすぎですって。 あっでも、兄妹だから、綾瀬さんには分からない何かがあるのかも、ですね……?」

「……ふーん」

 

 二人ともいきなり剣呑な空気醸し出さないで。 最近穏やかなってきたと思ったのに、いざ一緒に帰ろうってなったらすぐこれか。

 

「とにかく、明日以降、今まで以上に気を付けていかないと。 用心しなきゃいけないのは綾瀬だって同じだからな。 この前の事もあったし、何かあったらすぐに教えろよ?」

「うん、ありがと。 そういえば言えてなかったけど、あの時はごめんね、巻き込んで」

 

 あ、しまった。 この前綾瀬の人間関係に巻き込まれた話は渚には話していないんだった!

 やばい、詳細を聞かれて今とっさに穏便な説明できる気がしない。

 

「この前? この前って何ですか? ……お兄ちゃん、綾瀬さんに何かされたの?」

 

 ああほらやっぱりこうなった、助けて。

 

「あれ、そういえば渚ちゃんには話してなかったんだ?」

「なんですか、教えてください」

「ふふ、内緒」

「はぁ?」

 

 なんで綾瀬はそうやって危機を煽ることを平気でするんですか。

 

「私と縁の……うーん、渚ちゃん風に言うなら、『幼馴染にしか分からない何か』かなー?」

「……っ、人の発言をあげつらってからかわないでください!」

「あ、もう着いちゃったか。 じゃあね二人とも、また明日!」

 

 散々渚を煽った挙句、何も教えずにさっそうと帰宅した綾瀬。

 残ったのは、久方ぶりに危ない空気を放つ渚と、久しぶりに背中をくそ冷たい汗が伝う俺。

 

「……お兄ちゃん」

「話すから」

「うそは」

「つかないから」

「……なら、早く家に帰ろう」

「はい」

 

 慣れた、とは言わないが。

 機械化されたかの如く、適切な答えと対応が出来るようになったのは、成長と言っていい物か悩みどころであった。

 

 ・・・

 

「で、何があったの? お兄ちゃん」

 

 夕食の用意を先に済ませて、食卓で向き合いながら、おもむろに渚が切り出した。

 

「一言でいうとトラブルに巻き込まれました」

「具体的に教えてほしいな」

「綾瀬が元居た委員会の男子が綾瀬の事を好きでさ、他に男子生徒に恋心抱いてた女子が妬みから綾瀬に嫌がらせしようとしてた」

「それって、人間関係のトラブルって事? あの綾瀬さんでもそういう事あるんだ……へぇ」

 

 軽く驚く渚の気持ちは良く分かる、俺も最初は綾瀬にその手のトラブルが起きるとは思っていなかったから。 とはいえ、一度起きたのなら信じられないもくそもなかったのだけれど。

 

「それで、どうしてお兄ちゃんがその中に関わることになったの?」

「そりゃまあ、幼馴染だからだろうな……」

「あ……そう、そういう事ね」

 

 単純明快な理由に納得するとともに、どこか腑に落ちなさそうな表情を見せる渚。

 

「と言っても、そこまで大変な事にはならなかったよ? 最終的には綾瀬が無理やり誤解を解いて、否応なく終わったからさ」

「そっか、ならよかった……」

「……どうかしたのか? 何か、今の俺の説明で気に入らないとこでもあった?」

 

 確かに、相手が自分で服脱いで脅迫してきたり、最後長時間綾瀬に抱き着かれたりと、言ってない部分はあったが、そんなの言えるわけがないし幸いにも話の本題とはズレた内容なので違和感なく省いている。

 はたから聞けば、特に疑念を抱く内容でもない筈なのに。

 

「……ねえお兄ちゃん」

「ん?」

「その、お兄ちゃんを巻き込んだ人って、お兄ちゃんが綾瀬さんの幼馴染だから、目を付けたんだよね?」

「ん……そう、だな」

「綾瀬さんが誤解を解いたっていうのも、つまり、綾瀬さんが好きなのは……お兄ちゃんだって言ったんでしょ?」

「そこまではっきりとは言ってないけど」

「でも、つまりはそういう事でしょ?」

「それは……えっと」

 

 今までにない詰め寄られ方に、思わず言い淀んでしまった。

 返事に困っている俺に、渚はさらに続けて言った。

 

「ねえお兄ちゃん、『幼馴染』って、そんなに特別な関係なのかな?」

「特別な関係……?」

「私はね、幼馴染なんて言っても、所詮は他人だって思ってたの。 家族より特別な関係なんて、無いって……でも、他の人にとっては違うのかな」

 

 確かに、幼馴染という関係を特別視する人間は多い。

 友達、親友、恋人、夫婦……それらと近しくも異なる関係が幼馴染だ。

 性別に関係は無く、たまたま、一緒にいる時間が長くなったから生まれた関係。 成分さえ抜き出したら、確かに渚の言うように所詮は他人と言い切ることも出来なくはない。

 

「幼馴染はキョウダイや家族みたいな関係に近いって、みんな思ってる。 なのに、恋人同士になったとしても、誰もおかしいって言わない。 本当の兄妹が恋人になったらみんな変な目で見るのに」

「……」

「私ね、それが狡いって昔から思ってる。 他人なのに兄妹の間に平気で入ってきて、いつか気が付くと、誰よりも一緒にいる時間が多くなってて、皆がそれを当たり前に見て、置いて行かれる私はただ見るしかできない……そんなのって、狡いじゃない。 本当は兄妹の方がずっとずっとずっと、特別な関係なはずなのに、一緒にいるのが当たり前のことなのに……」

 

 ああ、そういう事か。 これが『野々原渚』の言葉の意味だったのか。

 CDではヒステリックな叫びの中で出てきた一言に過ぎなかったが、きっかけはともあれこうして穏やかな空気の中聞くと、深く心に入ってくる。

 幼馴染という存在を、俺も頸城縁も持っている。 頸城縁の時は、お互いの中に恋愛感情があったのかまでは結局分からなかったけど、でも家族のように大事な存在として、お互いを認識していただろう、少なくとも俺は。

 では、今の俺は?

 

「お兄ちゃんは、『幼馴染』の綾瀬さんをどう思ってるの? 綾瀬さんがお兄ちゃんを、……好きなのは、流石に分かってるでしょ? お兄ちゃんは、どうなの」

 

 俺の目をじっと見て、真摯に向き合う渚。

 正直に言うと、俺はいつかこの言葉を問われる時があったら、その時の渚は狂気を孕んだ姿でいると思っていた。 答えによっては、俺か綾瀬のいずれかが危機に陥る。 そんな時に向けられる言葉なのだと。

 だが、いざその時になってみたら実態は違った。

 渚は狂気を孕むどころか、今まで一番真剣に、考えて俺に問いかけている。 命の危険や駆け引きなどとは無縁な真摯な時が俺たちの間にあるだけだ。

 なら、俺も答えないといけないだろう。 今の俺が思ってることを、素直に。

 

「……俺の中で、一番心の距離が近い人間だと、思ってる。 それこそ、渚の言うように、家族みたいに一緒に居て当たり前だと思ってるし、それに……」

 

 一瞬自分を止めた躊躇を振り払って、言い切った。

 

「いつか、自然と恋人になって、家族になるんじゃないか。 そう思っているところも、ある。 それくらい俺と綾瀬は一緒にいる時間が長いし、他の女子にはそう思う事は無い。 きっと、それは」

「二人が幼馴染だから」

「そう、そうだな。 うん。 俺の好きな事も嫌いな事も知ってて、俺も綾瀬のそういう所を知ってて、お互いの過去を知ってて……」

「一緒に居ることが他の人よりもずっと、当たり前になってる」

「……うん」

「じゃあ、どうして『好き』って気持ちになったの? 幼馴染って言うだけで、好きになるの? 一緒に居る時間が好きって気持ちを生むの?」

「それは……」

 

 言われてみたら、確かに。

 一緒に居て当たり前、いつか恋人になるんだろう、そんな気持ちは好きと呼ばれる部類に入るのかもしれないけど、じゃあ、その『好き』はいつ形になったんだろう?

 渚の言葉をマネするつもりはないが、一緒に居る時間が『好き』を生むなら、それこそ渚の事を『好き』になる方が自然だと言える。

 じゃあ、渚の事は好きじゃないのか? いいやそんなわけない。 俺は渚の事が好きだし、それは綾瀬を……ああもうこの際言うさ、綾瀬を好きだと思う気持ちと、なんら優劣のない物だ。

 綾瀬を好きと思う気持ちと、渚を好きと思う気持ちには、質的違いが生まれる理由は無い筈なんだ。

 じゃあ、何が違う? 『家族と他人だから当たり前の違いだろ』という楽な結論に逃げるのは無しだ、渚だってそう言われる事も可能性として分かった上で聞いてるのだから。

 

 だけど、どんなに考えても渚に答えられるだけの言葉が俺の中から出てこない。 何か頭の奥の方で引っかかりは覚えるが、それをはっきりと掴み取る事が出来ない。

 沈黙が続き、答えあぐねる俺を、しかし渚は別段責める事をしなかった。 代わりに、少しだけ寂しそうに一瞬だけ目を閉じながら息を吐いて、

 

「……ごめんね、ちょっと綾瀬さんがからかってたから、お兄ちゃんに八つ当たりみたいに意地悪な事聞いちゃった」

 

 優しい笑顔を浮かべて、そんなことを平気で言った。

 そして俺は嫌でも理解する。 今の俺では、渚の問いに答えられるだけの明確な気持ちがないのだと。

 もし、今のまま無理やり答えを見つけたとしても、きっとそれは中身のない形だけのもにしか過ぎないだろう。 だからきっと、俺は渚に今、救われたのだ。

 

「ごはん、冷ましちゃ嫌だし、食べよう? いただきます」

「……ああ、いただきます」

 

 渚と俺の会話で夕飯は確かに少しだけ冷たくなったけど。

 それでも、俺の中に残ったわだかまりよりは、ずっと素直に身体の中に溶けていった。

 

 ・・・

 

 翌日、木曜日。

 いつものように渚と登校して、普段通り教室について、当たり前に綾瀬と悠と会話を挟みつつ、日々内容の変わる授業を受けていく。

 

「昨日はごめんね、渚ちゃん凄い色々聞いてきたでしょう? 大丈夫だった?」

 

 お昼休みの中で、綾瀬にそう尋ねられた。

 

「ううん、大丈夫。 特に問題は無かったよ」

「え、そうなの? 私てっきり鬼のように貴方に聞いてくるんじゃないかと思ってて、後で悪いことしたかなって思ったけど、本当に平気だった?」

「大丈夫だって。 でも、次からはああいう言い方は無しな?」

「うん、流石にもうしないわね」

 

 他愛もなく、でも、暖かい会話。

 これが、渚と交わす時とで何が違うのだろうか。

 改めて『幼馴染』とは何なのかを考えて、でも答えが出る間もなく、時間は動き、とうとう6限目の生徒会総会になった。

 

 全ての生徒が講堂に集まる。 その殆どが強制されたつまらなさを隠すことなく、近くの友人や自分一人で世界を作り、早々にこの時間が過ぎるのを待つばかりであった。

 今までなら俺もそう言った生徒たちの仲間だったけど、今回は話が違う。 今日は咲夜が動くのだから。

 予算の話、生徒の苦情やら提案、教師たちのどうでもいい話……相変わらずわざわざ全生徒を一か所に集めてまでやる価値があるか分からない時間が過ぎていく中、ついに『その時』は来た。

 

「では最後に、以前から掲示板で告知はしていましたが、今日から新しくできる委員会の紹介と、委員長からのあいさつがあります」

 

 司会運営役の生徒が言ったその言葉に、ろくに話を聞いてなかった生徒たちもしんと静まり返っていく。

 一種奇妙な現象ともいえるが、皆今から登壇して言葉を話すのが『綾小路咲夜』だと分かっているからこそ、いったい彼女が何を言い出すのか気になっているんだろう。

 それだけ、今この学園においての彼女の存在感の高さがうかがえる。

 

 そう言った生徒たちの視線をすべて受けながら、しかし何らひるむ様子もなく、咲夜が登壇した。

 

「端的に話すわ。 査問委員会は、あんた達が分を弁えて日々生きているかを測る為にある」

 

 既に、その言い方で講堂がどよめいた。

 

「と言っても、大した話じゃないわよ。 あんた達庶民が出来る事なんてたかが知れてるもの。 分を弁えないなんて言い方しても、当てはまる奴なんかそうそう居ないわ。 でも……」

 

 一瞬の間を置いて、咲夜は言った。

 

「この前掲示板で告知してから、既にメンバーを使ってあんた達の活動を見させてもらったけど。 残念ながら幾らか目に余る行為をした連中がいたのね」

 

「野球部、隠れて喫煙してる生徒が居た。 サッカー部、3年生が1年生をいじめていた。 弓道部、部活の帰りに寄ったゲームセンターで長時間居座ってた。 文芸部、部の活動と著しく離れた活動内容……これについてはパソコン同好会とアマチュア無線部も当てはまるわね。 水泳部は……ここでは言うのを省くけど、プールの水って汚いのによくデキたわね? 信じられない」

 

 淡々と咲夜が言い連ねていく、部活動の監視報告。 俺たちにしていたのと同じ事を、咲夜は他の部活動にも行っていたのだ。

 当然、生徒の中からは悲鳴や怒号に近い物が飛び交っていく。 そんなヤジに一切ひるまず、最後に咲夜は、

 

「───以上の部活動を、向こう3カ月の活動停止にするのがふさわしいと、私……じゃなくて、査問委員会は進言するわ。 賛同する者は起立しなさい」

 

 この場で悪事を暴露し、流れるように総意を求める。 それが咲夜のやり方だったのか!

 だが、こんな雪崩式で採決を取ろうとしても、まともな結果なんて出るのか? いまだに生徒たちは動揺しているし、切れて話にならない奴もいる。 これじゃあ明確な決なんて───、

 

 そう、思っていた俺の考えは、次の瞬間木っ端に砕け散った。

 

 先ほどまでの空気が嘘のように、全生徒のうち7割以上の生徒が、まるで機械のようにすくっと立ち上がって見せたのだから。

 

「え……?」

 

 その中には、先ほどまで困惑していた生徒も多くいた。 咲夜が決を求めるまで当たり前に動揺を見せたのに、まるで『最初からそうと決めていた』様に平気な顔して立ち上がり、咲夜の言葉に恭順を示した。

 そうして、そこまで言ってやっと、俺は気づく。 この行為と時間の中に含まれた、咲夜の狙いを。

 

「炙り出した……自分の敵を」

 

 今、この場で着席したままの生徒は、すなわち査問委員会の───すなわち、咲夜の意にそぐわない生徒であるという事。

 その、学園の中に居て特定しづらい『敵』の在りかを、咲夜この一回で簡単に特定して見せたのだ。

 おそらく、それに気づかず座ったままでいる生徒が多くで、きっと、もう咲夜はそんな生徒たちを次のターゲットに捉えている。

 査問委員会、そして採決方法は、この学園において咲夜の敵を浄化する為の公的な手段だった。

 

 それに気づかず、俺は……焦る気持ちの中、後ろにいる悠を見た。

 

「……情けないって言葉の最上級を教えて欲しいよ、縁」

 

 そう口にする悠は、既に諦観した面持ちで、周囲を見ながら、

 

「この数週間、静かだったのは、この日の為だった。 きっと今起立している生徒、全員がもう、()()()()()()()だよ」

「───まじ、かよ」

 

 これが、綾小路咲夜のやり方。

 今まで大人しかったのは、悠の目があったからではなく。

 息をひそめて自分の派閥を学園内に生み出し、この学園を支配する為だった。

 

 ああ、最悪だ。

 

 本当の意味で、俺たちの日常が崩壊していくのを、この日をもって、俺は理解した。

 ……死にたくなってきそうだった。

 

 

 

 ―――続く―――


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