【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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第拾病「友達だからだ」

 綾小路咲夜にとって、今回の出来事は今までと何も変わらず『当たり前』の連鎖でしかなかった。

 綾小路家という、日本はおろか世界にすらその存在を知らしめる名家に生まれた彼女にとって、『理不尽』とか『想定外』とか、そう言う概念は空想の産物に等しい。

 自分の要望が通らなかった事は一切無く、無さすぎて『自分の思い通りにならない』と言う発想そのものがまず生まれない。

 

 雨が『水に濡れる者の寒さ』を知らない様に。

 火が『燃えてる物の熱さ』が分からない様に。

 

 理不尽も想定外も、それらは全て彼女が他人(庶民)に知らず知らずのうちに押し付けるモノで、決して自分に降り掛かるものでは無かった。

 

 だがしかし、それは無理もない話だ。

 貧乏人は金持ちの生活を夢想する事は多々あるにしても、金持ちが貧民の暮らしに焦がれる事などありはしないのだから。

『庶民』が受ける受難を、『貴族』が知る理由などないのだ。

 

 だから、咲夜は今回もまた、当たり前の様に動き、当たり前の様に事をなし、当たり前の様に終わらせるつもりでいた。

 親族の──自身よりもなお次期当主の座に近しい人物からの指示を受け、都心からやや離れた地方都市、いずれ綾小路家の『国』となる土地にある学園を掌握する。こんな事にわざわざ感情を起伏させる意味なんて、あるはずも無い。

 

 ……が、何事にもほんの少しだけ、気まぐれの様な例外がある。庶民の使う言葉で言う『強いて言うなら』の『強いて』が、貴族にも付いて回る時がある。

 

 自分の向かう先、すなわち『良舟学園』に居るとある人物。

 

『綾小路悠夜』

 

 ──自身と同じ綾小路家でありながら、現在は牙を抜かれた獣の様に地に落ち、空気の様な存在として生きる男。それが、ここには居た。

 

 調べれば、今は自身を『悠』と名乗り、温厚で物腰柔らかに、平穏な生活を庶民の中で営んでいるという。

 反吐が出る様な気持ちを、咲夜は久しく感じた。

 何故なら、彼女が知る綾小路悠夜とは、決してその様な人間では無かったからだ。

 

 彼は、かつて自分以外の全人類を見下しているのではないかと疑うほどの、傲慢が服を着て歩いてる様な人間だった。

 綾小路家には『お金で買えない物は無い』という考えが深く刻まれているのだが、悠夜の場合はそれを通り越して『自分に従う上に金を払える幸せを噛みしめろ』とでも言わんばかりの横暴さ、傲慢さで常に身の回りの人々に接していた。

 

 自身を生んだ両親と、現当主にのみ傅き、それ以外の人間ならたとえ同じ綾小路家でも──とりわけ、歳下の自分に対しては露骨に、悠夜は見下した言動と態度を隠さなかった。

 そんな男がある日を境に綾小路家の跡目争いから身を引き、一族の前にも姿を見せなくなり、気がついたら地方都市の一学生として日々を享受している。

 

 それが、気味悪くなければ何だというのか。

 だから気に入らない。昔から理解したく無かったが、当時は自身と同じ『貴族』としての在り方に準じていただけまだマシだった。

 だが今はその矜恃すら捨て去り、たかが『庶民』と成り果てた。

 

 綾小路家の人間でありながらその名と血を無作為に野に放っている。しかも自分を見下していた奴が! 

 

 だから、咲夜は徹底的に潰してやろうと決めていた。

 当たり前に、淡々と当然の如く事を済ませる以外に、乗り気になる理由が生まれたのだ。

 

 それが、今回の『強いて』の一つ目。

 

 一つ目と言うからには、当然二つ目もある。

 生き物の多くが二つの目を持つ様に、咲夜の二つの眼にも、二つ目の『強いて』があった。

 

 と言っても、これは最初からあった事柄ではなく、あくまでも悠夜について調べさせた内に出て来た副産物で、偶然見つけた『強いて』だが。とにかく、気にならざるを得ない男が居た。

 

 それが『野々原縁』だった。

 過去から今までの経歴を調べるに、特筆すべき所があるとすれば両親が不在の日が非常に多く、10代半ばで既に妹と2人暮らしをしているくらい。それ以外は彼女が一括りに縛って捨てる庶民と何も変わらない人間だった。

 

 しかし、彼は『綾小路悠』の親友の位置にいた。

 さらに、悠夜が現在の性格になったのは、野々原縁が悠夜と関わる様になってからだという話も出てきた。

 つまり、『悠夜』を『悠』に変えたのは野々原縁だと言う事になる。

 

 それが、咲夜には不可解だった。

 何があったのか、何が起きたのか、どんな心の変化があの2人の間で生まれたのか、自身が雇った情報屋は『そこまでは料金の範囲を超えてますので』と教える事は無かった。

 

 それだけではなく、今回自分が良舟学園に行く事になった直接の原因にすら、野々原縁は深く関わっている。

 たかが庶民が、巡り巡って自分に影響を与えたと言っても過言では無いのだ。

 

 そんな庶民がいるものだろうか? 

 少なくとも、今まで庶民に関心を向けてこなかった咲夜には、野々原縁がどんな人間なのか想像すら出来なかった。

 

 であるならば、自分で知るしかない。

 果たしてどんな理由で、あの傲慢な男と友人になんてものになろうと決めたのか。何故友人であり続けているのか。

 

 あくまで受け身でしか無かった彼女の姿勢が、前のめりになった瞬間だった。

 

 ──まさか、8月最後の日にそうだと知らず出会う事になるとは思わなかったし、たかが街の夕焼けなんかを見せられる事になるとも思わなかったし、図らずもそんな庶民的な景色を見て──多少でも、心を動かされる事になるとも思っていなかったが。

 

 ともかく。

 

 9月から良舟学園の生徒として君臨した咲夜は、それからも予め決められたシナリオに従い学園で自身の傀儡となる査問委員会を打ち立て、教職員を黙らせ、生徒を従わせ、瞬く間に学園を意のままに出来る位置まで躍り出た。

 

 そうなるまでの僅かな間でも、咲夜は隙あらば野々原縁に接触を図ろうとしていた。まだ自分の最大の謎である、『悠夜と何故友人になったのか』を明らかにしてないからだ。

 しかし、中等部と高等部の差があるとは言え、同じ敷地内に居ると言うのに、咲夜は驚くほど縁との十全な会話の機会を得る事は出来なかった。

 

 理由は単純、悠夜が密かに動き、自身と縁が出会う場を作らせなかったからだ。

 だから咲夜は、強引にシナリオを進めて、無理やりにでも縁との接触の機会を生むために、悠夜を学園の中で袋小路にさせる方針を取った。

 

 従者に指示を出し、適当な額を条件に悠夜の周りの人物に『ちょっかい』を掛けさせ、悠夜にストレスを与えると共に、悠夜の存在が全体に不幸を与える様な展開を生み出す布石を用意した。

 与えられたシナリオからはやや逸脱した、咲夜の独断で決まった事だったが──結果的にロボ研の部長の逆上した発言によって、その目論見はものの見事に成功。

 流石に、野々原縁の幼馴染に『パパ活』疑惑を持たせて騒ぎを起こすと言うやり方はどうかと思ったが、事を起こした生徒が勝手に考えついてした事で、自分がそうしろと指示したわけでもないので、『都合良く動いてくれた』程度で考えが終わった。

 

 とにかく、これを気に悠夜は怪我を負って学園を休み、更に学園内でも査問委員会──と言うよりも自分に対して、直接怒りや不満をぶつけられない生徒達の憎しみの対象になった。

 

 彼や野々原縁が所属していた園芸部そのものも、査問委員会との関係を疑われて立場が危うくなったが、そんなのは庶民が勝手に考えを飛躍して産んだ愚かな疑念でしか無く、咲夜の意に介する事ではない。

 

 ようやくちゃんと話が出来る状況になり、満を辞して1人きりだった彼を車に誘ったのが、水曜の夕方だった。

 

 野々原縁は、初めて会った時とは比べものにならない位に、自分に対して警戒心を向けていた。無理もないだろう、と咲夜はそれを受け入れる。自分が査問委員会を使ってしている事や、悠夜にしている事、何より縁達の現状を鑑みれば警戒しない事の方がおかしい。

 

 だから、咲夜は野々原縁に対してまず自覚を促すところから始める事にした。

 きっと悠夜からアレコレと自分について話を受けているのだろうが、そもそも自分が良舟学園に来た理由の中に、野々原縁がある事を分からせた。

 

 だが、咲夜は珍しくこの選択がミスだと思った。

 

 余程、衝撃的な事実と受け止めてしまったのだろう。縁は深く動揺してしまい、これ以上は十全に悠夜についての会話が出来ないと判断した咲夜は、『これから幾らでも話を聴く機会はある』と思い直し、憔悴した縁を車から下ろして──あろう事か、余計な事を思いついてしまった。

 

『この男は、どこまであの男(悠夜)のために心を痛められるのだろうか』

 

 一度それが気になると、もう止められなかった。

 

 台風が自ら晴天になろうとはしない様に。

 火災が進んで鎮火されようとしない様に。

 

 綾小路咲夜と言う激情の中に沸いた知的好奇心は、自制なんて概念とは無縁に縁を苦しめた。

 

『悠を裏切るか、心中するか』

 

 我ながら残酷な選択肢を与えたが、多くの言葉を交わすよりも、その方がどれだけ悠夜を思っているかが簡単に分かる。

 

 裏切れば、その程度。

 心中するなら……改めてその心境を聴けば良い。

 たとえ口を割らないとしても、金さえ積めばどうせ最後は言う事を聞くものだ。

 

 お金で買えないモノはない。たとえ自分を嫌う人間でさえも、本人やその周囲に金を積めば、簡単に物事は動く。

 どのみち縁が悠夜を裏切ろうと、裏切らなかろうと、与えられたシナリオに書かれた結末は近く、覆る事もない。

 もはやここまで来れば、咲夜がこの先取る行動は決まっていた。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「さて。ここまでが『彼女の視点』で振り返った『今まで』です」

 

 薄暗い月明かりの中、良舟学園では無いどこかの制服──でもなく、一張羅のスーツを着込んだ少年。『塚本せんり』が淡々と言葉を紡いだ。

 彼だけがスポットライトの様に照らされ、周囲は深い夜の黒に染められている。さながら一人芝居の劇場の模様を呈していた。

 

「しかしこれはおかしな話なんです。『お金で買えないモノは無い』を自論にしてる彼女は結局ここでもその結論に至った。野々原縁がどう転んでも最後は金で収めようとしました」

 

 大仰に、塚本は言葉を続ける。

 この事実を誰かに話す事を、心底楽しんでいるように。

 

「でも、それなら初めて出会った時に最初から金を積んで自分の疑問を答えさせれば良かったんです。なんでそれを考えもしなかったのか。その理由に、彼女は気づいていません。なんなら、そうすれば良かったという事すら未だ分かってない」

 

 夜の闇は動じる事なく、ひたすらに塚本の言葉を飲み込んでいく。

 やがて薄い雲が月に掛かり、ゆっくりと柔らかく、しかし確実に塚本を照らしていた月明かりが消えていく。

 月明かりが尽きて全身が夜に溶けるその直前、塚本は最後にニッタリと笑みを貼り付けて言った。

 

「これって、結構大事ですよね。だって、人は得てしてそういう『気づかない』にその人の真実が隠れてるんですから」

 

 あるいは、

 

「敢えて『気づこうとしない』心の動き、でしょうか」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「はぁ?」

 

 それが、登校早々の綾小路咲夜の言葉だった。

 HRの開始を告げるチャイムが鳴る10分前。中等部と高等部を繋ぐ連絡通路の手前で、咲夜はたった今自分が言われた発言を思い返して、やはり『はぁ?』と言う以外無い結論に至った。

 

「何言ってるのアンタ……意味が分からないんだけど」

「じゃあもう一回言う。頼むから悠や俺達をこれ以上追い詰めるのはやめてください」

 

 そう言って深々と頭を下げたのは、昨日話をした野々原縁だった。

 以前と同じ様に教室まで姿を見せた彼に誘われ、昨日あれだけ憔悴していたのが嘘の様に復活していたから、何か面白い事でも考えたのかとついてみたら、これだった。

 

 何の捻りもない、ただ純粋な『もうやめてくれ』と言う懇願。

 正直、期待外れだった。

 そう言うと、まるで自分がこの庶民に何か期待をしていたのかの様で癪ではあるが。

 無いはずだったが、あの悠夜と親友をしていたくらいだから、わずかでもその可能性を感じていたかもしれない。

 

 一蹴するのは簡単だが、どうしても気になってしまう事があった。

 

「何でそこまでするのよ」

 

 やめる気なんて更々無いが、縁の行動理由は気になった。

 昨日の様子を見て、縁にはもう新しく何か行動を起こすだけの気力は無いと思っていた。

 だが、期待外れとは言え堂々と正面から『やめてくれ』と懇願してきた。

 

 その行動力が何処から湧き出てくるのか、そこが咲夜には分からない。

 

「アイツを助けようとする理由が分からないわ。綾小路家の人間とは言っても、これから先アイツと一緒にいたって何もメリットないのに」

「メリットなんて関係無い」

「だったら尚更なんでよ」

「友達だからだ」

 

 ハッキリとそう言い切った縁に、咲夜は返す言葉を見失った。

 

 友達。それは咲夜にとってあまりにも無力な言葉だ。

 

 咲夜は幼い頃からずっと、年上で力もある大人達が『綾小路』と『庶民』、『主人』と『従者』、『報酬を与える側』と『恩恵を受ける側』と言う明確な関係の元、自分に忠実だった世界で生きてきた。

 そんな咲夜にとって友達とは『平等』で『契約も金銭も絡まない』、何一つ信用に値しない関係にしか思えない。

 

 であるならば当然、そんな関係を理由に動く縁が理解出来なかった。

 自分に頭を下げている姿は、他の生徒からも見られている。ここは中等部だから見ているのは全員縁にとって年下の中学生ばかりだ。

 

「恥ずかしくないの? アンタ色んな奴らに見られてるのよ?」

「恥ずかしくなんてあるもんか、悠の為になるんなら、衆目で頭を下げる事なんて何でもない」

「……意味わからない」

 

 一体悠夜の何が、縁をここまでさせるというのか。

 メリットなんて関係ないと縁は言うが、そんなわけがない。きっと何か理由があるはず。

 それとも、本当に『友達』だと言うだけでここまで出来るのだろうか? 

 

 だとしても、そうだとすれば、何故悠夜なんかにそんな人間が出来るのか。そんな関係を築けるのだろうか。

 悠夜だって本来は自分と同じ、綾小路家の人間だと言うのに。どうして──、

 

「くだらない」

 

 どうして、その先に続く言葉を明確にする前に、咲夜はそれ以上考える事をやめた。

 その言葉が何であるかを自覚したら、何故か自分を許せなくなってしまう気がした。

 

 その代わりに、咲夜の中に湧き出たのは怒りだった。

 何に対しての怒りかは分からない。本当に怒りと形容して良いものかも、考える気にはならない。

 だがとにかく、咲夜はたった今目の前で頭を下げてる男に対して、どうしても加虐しなければ気が済まなくなったのだ。

 

「アンタ、本当にあいつなんかの為に何でも出来るって言うなら、土下座してみなさいよ。地面に額を擦り付けて、お願いしますやめて下さいってくらい言ってみなさい」

 

 流石にそれはプライドが許さない筈、そうしたら所詮口だけの友人だと非難すれば良い、そう思った咲夜だったが、

 

「分かりました」

 

 そう淡白に言い返して縁はすぐさまその場で土下座をして見せた。昨夜の言う通りに額を廊下に擦り付けて、先程までよりもずっと丁寧な口調になり、

 

「お願いします。園芸部を──私の友人の悠を、これ以上苦しめるのはやめて下さい」

 

 そんな事を、言って見せた。

 

「っ……!」

 

 苛立ちを収めるために要求したのに、咲夜の中の激情はかえって強くなった。

 100歩譲って縁の言う友達という関係があるとしても。

 果たして、本当にこんな呆気なく土下座まで出来るものなのだろうか? 

 

 金と契約で成り立つ関係性でさえ、土下座を求められればまずは、どんな小さな仕草や言葉や態度でも、抵抗の意を示す筈だ。

 それを、野々原縁という男は躊躇いなくやってのけた。

 そこまでか? そんなに、この男にとって悠夜は大事な人なのか? 

 

 なんで、どうして、

 あんな男に、こんな友人が──、

 

「──っ!!」

 

 縁の呻き声が廊下に響いた。

 咲夜が、縁の後頭部を踏んだからだ。

 この良舟学園に来てから一度も他人に見せた事の無い表情を、咲夜は縁に向けていた。

 先程から咲夜の心の多くを占める怒り。それだけではなく、何故か哀しさや──どこか悔しさの様な物も含んでいる、そんな表情だった。

 もっとも、縁はそんな表情を向けられてる事など分かるワケもない。ただひたすら、咲夜に頭を踏まれて蹴られて、それでも土下座を崩さず為されるがままを貫いていた。

 

「そうやって一生頭を下げてればいいじゃない! アンタが何を言っても、何をしても、明日で終わりなんだから」

 

 何回、縁の頭を蹴ったのだろうか。少し離れたところから見ていた中学生も、咲夜の暴行を目の当たりにして巻き込まれまいとその場を離れ、文字通り2人きりになる。

 落ち着きを取り戻した咲夜は、未だに土下座したままの縁を無視して踵を返し、教室に戻ろうと足を進める。縁が止めてくる気配はない。

 その代わり、3〜4歩ほど歩いてから立ち止まり、咲夜は振り返らないまま縁に冷たく言い放った。

 

「アンタがアイツを──悠夜をそんなに大事に思ってるのは嫌と言うくらい分かった」

「……」

「でもね、アンタは知らないかもだけど、アイツはアンタが思ってるよりもずっと最低な奴なんだから。『友達』だなんて思ってるのはアンタだけよ」

 

 その言葉に縁は何も言い返さず。

 小さな舌打ちを残して、咲夜は教室まで戻っていった。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「いててっ……」

 

 咲夜にしこたま踏み抜かれた後頭部をさすりながら、縁は自分の教室に向かって歩く。

 

「だ、大丈夫ですか……?」

 

 心配そうにそう言ったのは、柏木園子だ。

 彼女は縁から頼まれて、彼と一緒に中等部まで同行していた。同じく縁の要望で、彼が咲夜と会話している間は少し離れてた所から2人のやりとりを見ていたのだ。

 

「悠夜──か」

 

 咲夜が去り際に口にした言葉を、縁は小さく反芻する。

 

 親友である悠の、本当の名前。

 悠が良舟学園に来てから半年頃までは、彼は自分をそう名乗っていた。

 その頃の悠を思い返して、縁は咲夜の言葉に一つ納得が言った。

 

「確かに、あの頃の悠は、かなりの問題児だったもんな……」

「そうだったんですか?」

「まぁ、もし園子があの頃の悠を見たら、絶対仲良くなろうとか思わない程度に、今とは性格が違ってたよ」

「……咲夜さんの様な感じだったんですか?」

「もっと。咲夜は俺達を『庶民』て言うけど、これって一応人間扱いはしてるだろ?」

「そうですけど……えっと、じゃあつまり?」

 

 縁の言い方で、園子は察しがついてしまい、尚更信じられないという顔になる。

 

「人間扱いしてなかったよ、あの頃は。家畜扱いでもなく、本当に視界に映す気が無かったんだろうな」

「想像出来ません……そこだけ聞くと、その、咲夜さんの方がよっぽど……」

「まぁ、咲夜とあの頃の悠を比べたら、100人が100人咲夜の方がマシって答えるだろうな」

 

 そんな『綾小路悠夜』が、どうして今の様な性格の『綾小路悠』になったのか。

 その過程を思い返そうとして、縁はやめた。たとえ過ぎ去った思い出だとしても、当時を振り返るには、教室に辿り着くまでの僅かな時間では到底足りない。その頃については、悠が元気に戻ってきて皆が部室にいる時に、改めて話そうと決めた。

 

 その代わりに、縁は考える。

 もし、咲夜の悠に対する印象が当時の『綾小路悠夜』のままであったとすれば。

 これまでの悠に対する冷たい態度も、俺が悠の親友だという事実に対する疑問も、全て納得がいく。

 きっと咲夜の中にある悠は、今も変わらず『綾小路悠夜』のままなのだ。

 

 そして、だからこそ──きっと、そこに活路がある。

 

 咲夜への懇願は何の意味もなく終わってしまったが、確実に得られたものはあった。

「園子、明日について何だけど、お願いがあるんだ」

 

 既に、昨日咲夜に言われた事は全て園子にも共有済みである。

 その上で、縁は明日咲夜が起こす緊急集会について、園子にあるお願いをした。

 それを聞いた園子は一瞬驚いたが、すぐに納得して力強く頷いた。

 

「はい。分かりました……頑張ってくださいね」

 

 ありがとう。縁はそう言い返して、2人は各々の教室に分かれていった。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 時は僅かに遡る。

 渚に自身が抱えてる悩みを打ち明けてから、小一時間が過ぎた頃。

 縁は、数時間前に咲夜に車から降ろされ、嘔吐した公園のベンチに1人佇んでいた。

 警察が見かけでもしたら、職質不可避という状況だ。

 縁がそんなリスクを踏まえてまで、敢えてまたこの公園に戻って来た理由は、ただ一つ。

 

「露骨に待ち過ぎじゃないですか。どうしたんですか?」

 

 待っていたからだ。

 他でもない、塚本せんりを。

 

「スーツ姿なんだな」

 

 塚本の格好は、今までとは違い、こんなスーツ姿だった。

 年齢不相応な格好なはずだが、妙に似合っているな。と縁は内心呟く。むしろ、今までの学生服姿の方が似合っていないとすら思った。

 

「はい。仕事があったので。普段はこの格好なんですよ」

「そうか」

「それで、わざわざこんな時間に、こんな所に来てどうしました? ゲロの処理でも?」

「それはもうやった。俺がここに来たのは、こうすりゃお前が来るかと思ったからだ」

「……おやおや」

 

 様子が変わった。塚本はすぐに縁の変化に気づいた。

 夕方から今までの間に何が起きたのかを、把握する事は流石に出来ない。けれども、今の縁の精神テンションは咲夜が査問委員会を打ち立てるよりも前の、力強い時期のそれに戻りつつあるのは確かだった。

 

「僕に用がある、と」

「あぁ。俺がやりたい事の為には、お前の力がどうしても必要だからさ」

「やりたい事……成る程、成る程成る程」

 

 その言葉だけで、塚本は縁が咲夜に真正面から立ち向かおうとしている事を理解した。

 咲夜の示した『悠を裏切る、または心中する』以外の、縁にしか出来ないやり方を見出したのだと。

 

「その為に、情報が欲しいわけですね? だから僕に依頼をする為、ここで僕が気になってちょっかいかけてくるのを待っていたわけですか」

「そう言う事。と言っても、半ば賭けみたいな物だったけどな。誘っといてなんだが、ストーカーかよ」

「酷い」

 

 そんな小言を挟みつつ、塚本は本題を聞く前一つ、重要な話を持ち出した。

 

「依頼内容の前に一つ。これはビジネスの話なので、大事な事をお伺いしますね」

「なんだよ」

「依頼料ですよ。言っておきますが、僕たちを雇うとなれば一般的な高校生のお財布では絶対に足りませんよ。依頼について話を進めても、手持ちが無ければ話になりません。貴方が幾らまで払えるのか、先に聞かせてください」

「あぁ、そう言う事か。後で話そうと思ってたが……じゃあはい、これ受け取って」

 

 そう言って、縁はポケットから取り出した一枚の紙を塚本に渡した。

 

「なんです、これ……はい?」

 

 思わず、困惑の声を上げてしまう塚本。

 今まで会話した中で一度も見た事が無かった塚本の反応に内心ほくそ笑みつつ、縁は平然を装いながら話を続けた。

 

「これでダメか?」

「いや、まぁ……悪くないですよ、問題ないですけど」

「なんだよ」

「恥とか、意地とか、無いんですか? よりによって、これって……」

 

 縁から受け取った紙、それは8月最後の日に、縁との別れ際に咲夜が渡した、1千万円の額が記入された小切手だった。

 渡された日からずっと使い道が分からず、渚と相談の上保管しっぱなしだった物。それを、縁は簡単に塚本に渡したのだった。

 

「使えるものはなんだって使う。それくらいしなきゃ咲夜を止めるなんて出来ないだろ?」

「それは、確かに」

「それに、元々どう使えば良いか分からなくて持て余してた物だし」

「ふふ、ふふふ……」

 

 幾ら相手が綾小路咲夜だと言っても、1千万円という大金をここまで簡単に手離すのを目の当たりにしては、流石に笑わざるを得なかった。

 だが同時に、納得も出来た。

 4月以降行動パターンが変わった野々原縁だが、その変わった後の縁なら、こんな事を簡単にやってしまうだろう。

 

「良いですよ、この額で引き受けましょう。それでは──」

 

 一端間を開けて、縁にお辞儀し始める塚本。

 急に何を始めたのかと呆然とする縁だが、塚本はお構いなし顔を上げてから、フッと柔らかい笑み──今まで見せた張り付けた笑顔とは異なる、恐らく初めて見せる本当の笑みを浮かべながら言った。

 

「私、塚本せんり──いいえ、『千里塚インフォメーション』が、貴方の望む情報を全て御用意致します。なんなりと、お申し付けくださいませ」

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 自身に与えられたシナリオの最終章。

 金曜日の集会が、始まった。

 

 今回は自分が進行から採決まで全てを務める、そう咲夜は決めていた。

 本来なら既に査問委員会は先週の様に、所属する生徒達に全てを任せ、咲夜はただ委員長と言う座に座り続ければ良い。そう言うシナリオだった。

 

 だが、咲夜の性格がそれを良しとしなかった。

 ましてや今日で悠夜に引導が下されるのだ。

 その役を自分以外に委ねるなんて選択肢、咲夜が取るはずも無かった。

 

 それに何よりも──、

 

「野々原縁、アンタの答えを聞かせて貰うわよ」

 

 今となっては、悠夜と同じくらいに疎ましい男の名前を口にする。

 昨日も朝から不快な思いにさせられた。

 なんで不快に感じたのか、その理由さえ曖昧なままのが更に不快感を助長させる。

 

 悠夜の為に、土下座して頭を踏み抜かれてもなお、悠夜を助けようとした『友人』。

 そんな人間が、果たして今までの自分の人生に居ただろうか。

 

 自分の世話をする人間はいる。

 自分の警備を務める人間もいる。

 可愛がってくれる人間もいるし、評価してる人間もいる。

 およそ、現代社会で多くの人々が欲し、願い、望む立場と人間関係を、自分は生まれた時から既に持ち合わせている。

 

 でも、だからこそ、考えてしまった。

 

 果たして、金も権利も立場も関係なく、自分のために他人に土下座までして助けてくれる人が、果たして居るのだろうかと。

 あんな、人を人とも思わなかった悠夜にさえ、そんな人間が生まれたんだから。

 自分にだって、そういう人が。

 そんな、※※が──、

 

「──咲夜様、お時間です」

 

 思考が、現実に引き摺り戻される。

 

「──えぇ、分かってるわ」

 

 先程まで自分が考えていた事は、全て気の迷いだと切り捨てる事にした。

 自分は『貴族』。『庶民』とは存在の価値が違う人間なのだから。

 

 あぁ、でも。どうせ今日で最後になるのなら。

 少しだけ、もうちょっとだけ、思いを馳せてしまおう。

 

 全生徒を見渡せる演説台の前に立ち、備え付けマイクの電源が入ってるのを確認し、小さく呼吸を整えて。

 

「第3回、査問委員会による緊急集会を始めるわ」

 

 ──もしかしたら、自分がこんなにも悠夜を気に入らないでいたのは。

 

 ──自分を肯定する人間ばかりだった中、ただ1人、自分を周りとは違う眼でみる人間だったからかもしれない。

 

「さっそくだけど、先週から今日までで、査問委員会に報告したい事がある生徒、ここでそれを言いなさい」

 

 それが、野々原縁に与えた分岐点。

 ここで縁が手を挙げれば、悠夜は学園から消え、綾小路家からも立場を失い、破滅する。

 

 ここで縁が手を挙げなければ、悠夜だけじゃなく園芸部の全員を学園から追放する。

 

「さぁ、アンタの答えを見せてみなさい」

 

 マイクが拾わないほどの小声で呟く。

 生徒達は『この場で査問委員会に報告する生徒が果たしているのか』とザワついている。

 やがて、その中の一画から一際大きな声が響いた。

 

 視線を向けるとそこには、堂々と右手を挙げる、縁の姿があった。

 

 ニヤリ、と咲夜はほくそ笑む。

 ここで手を挙げたという事はつまり、縁は悠夜を──彼にとって親友である『悠』を裏切る選択をした。

 

 あれだけ『友人』だなんだと言っておきながら、やはり最後は裏切ったのだ。

 だが、それで良い。それが最も賢い選択なのだから。咲夜はそれ以上縁を攻める気は無かった。

 

 後はもう、ただこれから縁がする『報告』を受けて、悠夜を終わらせるだけ。それで、シナリオは完結する。

 

「良いわ、話してみなさい。野々原縁。──アンタの(願い)を聴いてあげる」

 

 もはや一片の障害も無い。

 ここから先は未知数のない出来レース。

 綾小路咲夜が今まで生きてきた『当たり前』の延長でしかない。

 

 そのフィナーレを飾る縁に、査問委員会の生徒が駆け付けてマイクを手渡す。

 マイクを受け取った縁が、咲夜とは違い特に気負う様子も見せず、ただし真っ直ぐに咲夜を見据えて言った。

 

「咲夜、まず最初に言いたいんだが──学校に通うだけなのに、しかも中学一年生が、真っ赤でスケスケでレースの付いた下着を履くのはちょっとマセ過ぎてるんじゃないかな?」

 

 ──勝負下着かよ。そう半笑いで付け加えた縁の言葉は、全生徒のみならず、教師達も聴いてて何を言ってるのか理解出来なかった。

 

 言ってる言葉は分かる。

 しかし、この状況で、この流れで、絶対言うような内容では無い。だから、理解出来ずに誰もが固まってしまった。

 

 ただ、1人。

 

「……ぁ、あぁ」

 

 この場で、この学園で唯一。

 縁の言う事を理解出来る人間。すなわち、

 

「ああああああああああああ!!!!」

 

 本日まさに真っ赤でフリフリでスケスケな下着をスカートの下に納めている、綾小路咲夜だけは、下着よりも更に深く濃い真っ赤な顔になり、産声を超える全力の叫び声を、マイクに乗せて講堂中に響かせるのであった。

 

 誰もがつんざく様な悲鳴に耳を押さえる中、ただ1人、縁だけは変わらずに、咲夜を見据え続けている。

 

(さぁ、反撃開始だ。お嬢様)

 

 シナリオの最終章は今まさに、大きく赤字を書き込まれんとしていた。

 

 

 

――to be continued




千里塚インフォメーション

知らん人からしたら、いきなりなんぞや?って奴だと思います。
この二次創作だけの組織名とかじゃなく、ヤンデレCDと同じ世界観(てかシェアワールド?)の別作品があって、そこに出てくる組織に、千里塚インフォメーションがあります。

ヤンデレCD3作目の『惨』のアフターストーリー(現在は版権元が潰れて見られません……)でも、朝倉巴くんを木っ端微塵にしたユーミアの行方を追うとある人物が、千里塚に情報を依頼してたりします。


残り2話以内で、2章咲夜編が終わります。
2017年くらいから始まった2章、ようやく完結が近くなりました。最後までよろしくお願いします。

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