【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた 作:食卓塩少佐
低速更新にも関わらず、嬉しい限りです。
第3章 河本綾瀬編、始まります。
第1病 エンドロール
俺、野々原縁には、目下のところ悩みが2つある。
一つ目の悩みは、目の前に長々と続く花壇の植え替えだ。
園芸部の活動の一環として、園芸部は先日から2班に分かれて花壇の植え替えをしてるが、これが数の多いこと多いこと。
枯れてしまった草花を袋に詰めて、用意した新しい種や球根を植える単純な作業だが、いかんせん、敷地が広いので大変さもひとしおだ。
言ってしまえば、校舎内の清掃活動にもなっているので落ちた木の葉をかき集めるとか、低い姿勢で作業する時間が多い。
まさかこの年でぎっくり腰とか笑えないので、万が一でも腰をやってしまわない様に気をつけている。
「お兄ちゃん、そっちは終わった?」
俺と同じく額にうっすら汗をかきながら言ったのは、妹の渚。
今日は俺と渚ともう1人で動いてる。渚は昔から家の草むしりとか花の世話とかやってたので、俺よりずっと手際が良い。
たまに出てくる虫にも動揺しないどころか、ミミズなら軍手越しとは言え平気で触るから、我ながら頼りになる妹だと思うばかりだ。
「もうすぐ終わるよ、そっちは?」
「終わったよ。向こうの花壇に行くね」
「分かった、すぐに追いつくよ」
「うん」
今年の5月末に、“女の子が多い所”に行く俺を追いかける形で入部した渚。
ヤンデレCDの“野々原渚”、“河本綾瀬”、“柏木園子”が勢揃いするという状況に、最初はどうなるのかとだいぶ胃を痛めたものだが、10月も半ばに差し掛かる現在、渚はとても協力的に活動してくれてる。
「それに比べて……」
一区切り着いて一息つく以上の息を吐きながら、俺は少し離れた所にいる奴を見る。
学生が昼休みや放課後に席を囲み談話するために設置された丸テーブルの椅子に、そいつは悠々と足を組みながら佇んでいる。
俺が視線を向けるのに気づいたそいつは、これ見よがしに使いの者に注がせた紅茶を飲んでほくそ笑んでいる。
明確な挑発行為に、思わず我慢の尾が切れた。
「うぉい咲夜嬢! そろそろお前も動けよ!」
これこそが目下の所俺を悩ませている二つ目の悩み──新入部員の綾小路咲夜である。
「──ふっ。い・や・よ」
紅茶を一飲みした後、映画『ティファニーに朝食を』のオードリー・ヘプバーンの様なポーズで不敵に言い放った。非常にイラつくが、容姿が淡麗なので普通に似合ってるのが悔しい。
先月、俺と学園や園芸部、そして親友の悠を巡って大きく対立した後に、紆余曲折を経て園芸部の新人になったワケだが……。
この女、丸くなったかと思えば──いや思った事なんて一瞬も無いが、とにかく従来通りの唯我独尊ぶりを遺憾なく発揮している。
「そんな汚れ仕事、私がやるワケ無いじゃない」
「歴とした園芸部の活動だぞ、お前も部員の端くれなら──」
「知らないわよそんなの、庶民のアンタが頑張りなさい」
「〜〜っ、ならせめてその支給係とこれ見よがしにティータイムするのを止めろ! 英国貴族かぶれかお前は!」
「なんですって! 訂正しなさい、アタシはかぶれじゃなくて正真正銘の貴族よ!」
英国かぶれ、の所は否定しなくて良いのか。そんなツッコミが口から出そうになるのを抑える。
「──もう、諦めようよお兄ちゃん。何言っても意味ないと思う」
渚が諦観した表情で俺を宥める。
もう既に渚は、咲夜が戦力になる可能性を切り捨てたらしい。
「渚、そうは言うがな」
「元々2人も3人も変わらない仕事量だし、その分私が頑張るから、一緒に残りもやっていこ、ね?」
我が妹ながらなんと出来た子だ。秋桜の様に可愛い笑顔を見せながら言う渚に心を癒される。
本当、これでヤンデレCDのヒロインだって分かってなけりゃ、心の底からシスコンになれそうな物なのになぁ……。
「アンタの妹はまだ分別が付いてる様ね、見習いなさいよ」
「匙投げてるんだよ、都合よく解釈するな」
妹の尊厳のために訂正をして、俺も渚の後を追いかける。
今日はもう、2人でやるしか無いと腹を括った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「──あの2人、大丈夫かな」
もう一つの班で動いていた河本綾瀬は、跳ねっ返りの咲夜と組んでしまった野々原兄妹──厳密には兄の縁の方──を心配しながら呟いた。
「断言する、まず絶対にアレはサボってる。今頃給仕係にカモミールティーでも注がせて呑気にしてるよ」
にべもなく断言したのは、縁の親友であり、咲夜と同じ綾小路の性を持つ悠夜。学園では悠と名乗っている。
普段は温厚で誰に対しても丁寧な彼だが、咲夜を前にした時だけは“アレ”とまで辛辣な態度になる。
そうなるのは今日が初めてでは無いが、綾瀬ともう一人この場にいる、園芸部部長の柏木園子はやはりまだ馴れなかった。
「相変わらず、咲夜さんに対しては辛辣なんですね、悠さんは」
「悠君とあの子って、いとこ同士なんだっけ?」
知り合ってからずっと綾小路呼びだったが、咲夜が入部した事で苗字呼びが被った結果、悠から名前で呼ぶ様に話が決まっている。
親しいから自然な距離感の縮め方と言えるが、同時に、他人からの呼ばれ方でさえ同じなのが嫌だ、という嫌悪の表現とも受け取れる。
案の定、園子や綾瀬から関係性を尋ねられた悠は、口元に付いた土を軍手の甲で拭いながら苦々しく答えた。
「まあ、以前も話した通りそうだよ。本当に、一番歳の近い親戚がアレって運が悪いよ」
「まぁ、かなり強烈よね。ここに転校してからずっと」
「それでも、縁に全校生徒の前で大恥かかされてからは少しマシになったんだよ」
「え、あれで!?」
「そう。昔から一族が集まる時に歳が近いからいつもアイツの相手を任されてたけど、アイツは本当にワガママだし文句しか言わないし頑固だし──はぁ……」
深々とため息を漏らしながら、悠は植え替え作業を進める。
心なしか、雑草をむしり取る手つきが乱暴になっている気もしたが、綾瀬はあえて触れない事にした。
「結構苦労してたのね、悠くんも」
「悠さんは、咲夜さんとだけ仲が悪いんですか? 他のいとこやご親戚の話は聞きませんが」
意外にも園子が一歩踏み入った話を持ってきた。
曲がりなりにも、5月まで間接的に綾小路家の被害を受けたはずの園子が、綾小路家の人間関係について聞いてくるのは驚きだ。
一瞬間に入って話を止めようかとも思ったが、悠が特に困った様子を見せないのと、綾瀬や縁なら遠慮して聞こうとはしない話題なので、悪い気もするが敢えて聴きに徹した。
「うーん……まぁ、殊更相性が悪いのは咲夜だけかな。でも……」
そう言って一旦手を止めて、思い出す様に秋空を見上げてから、悠はやはり苦笑を園子に見せつつ言った。
「綾小路家全体が、僕は苦手かな。誰もが誰も嫌な人ってワケじゃ無いけど……皆、何処かしら特化しておかしいから」
「そう、ですか……」
「普段は優しいけど、自分の携わる業界の発展に生じる犠牲は躊躇しない人。笑顔で陽気に接するけど、人の裏側まで覗き込んで来る様な人。……正直、こんな事言うの癪だけど咲夜が一番相手してて楽かも」
悠が見て来た、自分の同じ綾小路の血を持つ人間達。
その誰もが自分には無い、しかし欲しいとは思わない“何か”を持っていた。
「僕がこの町に来てから、ずっと名前を“悠”って言ってたよね」
「そうね……
「僕や咲夜だけじゃなく、僕らの世代は皆、名前に“夜”が付くんだ。この町には一族の政治闘争が嫌で逃げて来たって理由があるけど、その時に色々リセットしたくてね。この町では綾小路家の象徴みたいな“夜”って文字を名前から消したかったんだ」
結局、それも意味無くなったけど。
そう自嘲しながら、悠は作業の手を再開する。
その顔は先程までの苦々しいものではなく、恥ずかしさから来る赤面に変わっていた。
「ごめんごめん、自分語りが過ぎた」
「いえ、聞いたのはこっちですから。ありがとうございました」
「ははは、面白い話では無いと思うけどね」
2人のやりとりを聴きながら、綾瀬は思う。
彼の人間性に一番近しいのが咲夜であり、その咲夜が同じ学園の同じ部室に居ると言うのも、因果な物だと。
もっとも、そうなる様に事を動かしたのは悠でも咲夜でもなく、縁なのだが。
「話が逸れたけど、何が言いたいのかって言うと、咲夜が今日も部室に来たってだけでも、信じられないレベルって事」
「確かに……一応毎日部室に来てますし、目立った問題行動なども無いですね」
9月末、縁の大立ち回りで全生徒の前まで園芸部入部と、査問委員会の廃会を強制的に決められた時以降、咲夜は理不尽に周りに害を与える様な事は無くなった。
高飛車な態度で他人を見下す言動こそ変わらないが、査問委員会を動かしてた時の様な、独裁者然とした雰囲気は消えている。
「部長、サボってる時点でもう十分過ぎる程問題部員です」
「ま、まぁ……まだサボりとは分からないわけですから」
「……もう、部長はアイツに甘過ぎですよ……」
ため息を吐いてから、悠は過去語りで止まってた分を取り戻そうと作業に没頭し始めた。
代わりに、綾瀬がふと気になった事を園子に尋ねた。
「そう言えば、よく入部させたわよね」
「え、咲夜さんをですか?」
「そ。だってほら、園芸部がそもそも廃部されそうになったの、あの子の家の都合だったワケでしょ? ……私ならちょっと、いや絶対無理って思うから」
「うーん、確かにそうかもですね……」
まるで他人事の様な反応だったから、思わず植え替え中の低い姿勢のまま、前のめりに倒れてしまいそうになる綾瀬。
「そうかもって、気にならなかったの?」
「……気にならない、と言えば嘘になりますけど」
そう言いうと、少しだけ考える間を置いてから、言葉を続けた。
「あの子が直接何かしたワケじゃ無いから、その点について責めるのは悪いと思ってます」
「でも、査問委員会なんて立ち上げて潰そうとしてたのよ? それも水に流せるの?」
「流石にあの時は困りましたけど……結局、それも無かった事になりましたから。何よりも」
「何よりも?」
「──縁君に、全校生徒の前で恥ずかしい想いされてますから、それ以上何かを言うのは、可哀想かな……と」
苦笑しながら、園子は言った。
綾瀬はそんな園子につられて同じ様に引き気味に笑う。
「あー……そうかも、ね」
縁が園芸部と親友を守るためにやった事は、身内として見れば勇気ある頼もしい行為だったが、やられた側からすれば最悪を通り越して悪魔の所業だろう。
それを持ち出されてしまえば、確かにもうこれ以上周りが言える言葉は無いかもしれない。
「それに……縁君が『入部させたい』と言うなら、どんな人でも私は反対しないです」
「──信頼してるのね、縁の事」
「はい、もちろんです」
先ほどとは異なる、満面の笑顔で応える園子。
縁を心から信頼し、彼の言葉なら何だって信用する。
自分とは形の違う、しかし強固な繋がりがあるからこそ見せる笑顔だった。
そんな園子の笑顔を見て、僅かだが心の中にチクリとした痛みを覚える綾瀬。
その痛みから目を逸らしながら、綾瀬は手作業と会話を続けた。
「しっかし、廃部寸前だった園芸部も、中等部の一年生が入って本格的に安泰って感じよね」
「はい。これも縁君が頑張ってくれたお陰です。……本当に、良かった」
「──っ、そうね」
思いを馳せるような目をする園子の横顔を見て、またも胸に小さな痛みを感じる。
何故、こんな些細な会話で自分が引っ掛かりを覚えてしまうのか、綾瀬は自分に問いかけるが、答えを返してくれる存在などいるわけもない。
「──でも、私は綾瀬さんにも感謝してるんですよ?」
「え?」
園子から投げられた予想外の発言に、綾瀬は一瞬固まってしまう。
すぐに気恥ずかしさから照れ笑いを浮かべて誤魔化すが、そんな綾瀬の反応を特に茶化す事もせず、園子は話を続ける。
「あの日、綾瀬さんは私に園芸部室へ来るように言ってくれましたが、私には行く勇気が無かったんです」
そんな綾瀬とは逆に、園子はまるで昨日の出来事の様にツラツラと言う。
「縁君が私のために凄く準備してくれていたのは分かっていたけど、それでも校長先生や早川さん達を前に立つのは、怖かったんです」
「まぁ、そうよね……」
自分を追い詰めようとした学園の長と、誤解からとは言え自分を虐めていた人物らと、正面から立ち向かう事を求められては恐れが前に出るのも仕方ない。
仮に縁が万全の策を講じていたとしても、最後は自分に委ねられているのなら、躊躇いが生じても誰だって責められない。
事実、縁も当時は園子が来ない場合の
全てがうまくいった今だからこそ言えるが、当時はかなりギリギリの所で話が進んでいたのだ。
「そんな私の背中をぐっと押してくれたのが、綾瀬さんだったんですよ?」
「そ、そんな事言ったっけ私?」
「そうですよ!」
まるで自分の事のように、心外だと言わんばかりに力みながら園子は言った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「──はぁ……」
“あの日”の放課後。
園子は教室の席で一人、自分の人生で大きな分岐点となり得る選択を前に、どうすべきか決めかねていた。
『柏木、お前に最後に一つ確認したい事がある』
その日の朝、園子は縁にこう問われた。
『お前は、早坂たちの事を恨んでいるのか?』
なんて、難しい事を聞くのだとその時は思った。
恨んでいるかいないか、そんな風に問われれば、恨みがあるに決まっている。
自分が彼女達にされた仕打ちを思えば、当然の事だ。
しかし、その行動の原因を掘り下げれば、自分が真実を伝えなかった事も大きい。
言えば園芸部を潰される、そう脅されていたからこそ、園子は真実を早川達に言えず、だからこそ早川達は自分を悪だと決めつけてきた。
どちらかがもう少し歩み寄れば、相手を信じれば違う道があったかもしれないが、そうはならなかった。
四面楚歌、万事休す、そんな八方塞がりな意味の言葉ばかりが似合う自分に手を差し伸べてくれたのが、野々原縁だった。
とは言え、前述の通り彼女には最後の一歩──真実を知った彼女達と、和解しようとする勇気が無かった。
しかし、自分は彼の問いかけに対して“まだ自分は彼女達とやり直したいと思う気持ちがある”と答えた。
答えたのならば、それが本心だとするならば、やはり自分は早く校長室へ向かわないと行けない。
『お前が『解消』ではなく、『解決』を望むとするなら、どうすればいいか、どうしたいのか、自分で考えて決めてくれ』
なんて残酷な事を言うんだ。そう思った。
だけど、縁の言葉はかつて真実を言わなかったために苦しむ事になった自分に、深く刺さる言葉でもあった。
勇気を振り絞って、かつて友人だった早川達とやり直したい気持ち。
その“振り絞る勇気”を振り絞るに至らない、弱い自分。
何をすべきか分かっていながら、それが出来ない自分にどうしようも無い気持ちを抱きそうになったその時、彼女──河本綾瀬は現れた。
「居た! ──ふぅ、どうにか見つけたわね!」
教室の扉をガラッと力強く開けて、教壇側から自分を見やる綾瀬に、園子はたじろぐ。
しかし、綾瀬は持ち前の明るさがなす技か、普段通りの調子でスタスタと園子の前の席に腰掛けて、上半身だけ園子を向ける。
「あなた、柏木さんで合ってる?」
「は、はい……そうですが、あなたは」
園子は何度か、縁の隣にいる綾瀬の姿を見た事はあった。
しかし、名前も分からなければ、彼女がここにくる理由も見当がつかない。
「私、河本って言うの。縁の友達、よろしくね」
「は、はい……」
瞬時に来訪者の意図を察して、園子の頬が強張る。
そんな園子の顔を見て、綾瀬は顔の前で手をひらひらとジェスチャーしつつ言う。
「あぁ、違うの。無理矢理あなたを連れて行こうとか、そんな事考えてないからね」
「……そうなんですか?」
「うんうん。イヤイヤ引っ張っても、意味無いから」
「じゃあ、あなたは──」
どうして、ここに来たの?
そう言葉を続けようとした園子に覆い被さるようにして、
「見ておきたかったの、縁が助けようと躍起になってる人がどんなのか」
園子の机の上に肘をつき、じっと見つめながら言った。
その視線につい顔を伏せてしまう園子。
そんな様子を見て綾瀬は内心──、
(うーん、ダメかも)
身も蓋もない事を考えていた。
(縁には“本人にその気がありそうなら、連れてきて欲しい”って頼まれたけど……この子、一生ここでウジウジしてそう)
正直これは無駄足だったかもしれない、と綾瀬は早くも諦めの域に達しようとしている。
どんなに準備をしていようとも、本人にその気が無ければ居ない方がマシという状況は多くある。今回はまさにそのパターンに当てはまってるんじゃないだろうか。
(──とは言っても、すぐ諦めるってわけにもいかないのよね)
どのような意図があるかは分からないが、縁は既に園子と面識がある悠ではなく、自分を園子の引率役に選んだ。
園芸部と園子の件について、悠が縁の力として大きな活躍をしているのに対して、幼なじみである自分はほとんど役に立ってない事を、綾瀬は内心気にしている。
そんな中、白羽の矢が立ったのだ。
自分を頼ってくれた縁をガッカリさせたくはない。
(……とはいえ、怖がらせる様な事言ったのは私の方なのよね)
事前に持っている情報から、園子が初対面の人間に対して非常に臆してしまう事は容易に予想出来ていた。
それにもかかわらず、綾瀬は先程の様な品定めする鋭い視線を園子に向けてしまった。
案の定、園子は自分から目を逸らしてしまい、一回り小さくなった様な錯覚さえ覚えてしまう程萎縮している。
これでは逆効果だ。
(うーん……やっぱり全然割り切れてないかも)
妹の渚を除いて、今まで自分以外の異性と親しい関係になった事がない縁が、最近急激に距離感を縮めている人物。
それが、綾瀬が園子に抱く1番大きな印象だ。
これまで渚と自分、更に言えば渚は家族なのだから当たり前だとして、実質彼が異性へ向けるリソースの全てを独占していたのだ。
明確に付き合ってこそいないが、綾瀬にとって面白いはずが無い。
例えそれが、いじめから助けたいからと言う理由であろうとも……、縁の目が自分以外に向くのに、平気なわけがなかった。
「あ、あの」
そんな綾瀬の思考に、園子の言葉が割って入ってきた。
「ん、なに?」
「その……えっと、野々原さんは今、早坂さん達と何をしてるんでしょうか」
「何って……」
(アンタのために時間を使ってるんでしょう? そんな事聞くまでもないじゃない)
そう言い返したくなる気持ちをぎゅっと抑えて、綾瀬は努めて平常心を保ちつつ答える。
「園芸部室に居るわよ。何のためかは、分かってるでしょ?」
「……はい」
抑えたそばからまた、責める様な口調になってしまう。
ダメだと分かってはいても、どうしても攻撃的な口調が顔を覗かせてしまう事に、綾瀬自身も内心困惑し始めた。
(──私、こんなに自分の事抑えられない性格だったっけ?)
“縁の期待に応えたい”という理性と、“園子への仄かな嫉妬心”という感情。2つの相反するモノが相互に顔を出しては、綾瀬の心を揺り動かす。
こんな具合では到底、縁が全てを終わらせてしまう前に園子を連れて行くなんて無理だ。
園子では無く、自分自身に原因がある事に否応なく気付かされる。
「野々原さんは、どうして私なんかを助けようとするんでしょうか」
綾瀬から視線を外しつつ、園子は言う。
「嫌って意味じゃないんです。だけど、分からなくて……彼に聞いても、はぐらかすだけですし」
「……園芸部を助けようとしたの迷惑だった?」
「──そんなわけないです!」
綾瀬が放った言葉に、ガタッ! と机から身を乗り出して園子は言った。
先程まで自分から逸らしていた目は、しっかりと自身を見据えている。否定するとして、もう少し静かな反応をしてくると予想してた綾瀬は、園子の行動に少し驚いた。
直後、自分の行動に恥ずかしさを覚えて、園子はまたおずおずと椅子に座り直す。
「そんな風に大きな声出せるんだ、あなた」
「す、すみません……つい」
「ううん、謝らないで。その方が私も話しやすいし」
ほんの些細なきっかけだったが。
園子が分厚い氷の中からようやく、生の感情を見せてきた事で、綾瀬の中でも本腰を入れて対話しようと言う気持ちが芽生え始める。
「話を戻しましょう。嫌じゃないなら何で、あなたは縁の行動が気になるの?」
「……彼が私に何か企んでるとか、そう言う事は無いと思ってます。でも、私は彼と今まで何の接点もなかったし、過去に接点もありません」
「うん……そうよね」
「はい。だから……私を助ける理由が彼には無いんです。なのに、彼は早坂さん達だけじゃなく、大人にも……自分が損するだけなのに」
自分のために動いてくれる事は嬉しいが、そうしてくれるに足る過程が、理由が、過去が、関わりが無い。
(あー……そっか、この子。怖いんだ)
ずっと負の感情に人生を振り回されていた園子は、次第に心を閉ざしてしまい、いつしかその痛みに慣れてしまっていた。
その閉ざされた心の壁を壊して、突如手を差し伸べてきたのが縁だ。
しかし、暗闇の中に篭り続けていた園子にとって、縁の差し伸べた手の先にある光は、あまりにも強過ぎる。
例えそれが彼女に一切の害意を含まないモノだと分かっていても……彼女にとっては未知なる恐怖に映ってるのだろう。
詰まるところ。
園子が今もこうして踏ん切りが付かないでいる最後の理由は、縁の混ざりっ気のない純粋な善意に、園子が戸惑っているからだった。
(縁ったら、カッコつけすぎなのよ)
内心でそうため息を吐きながら、綾瀬は園子の言葉を反芻する。
“どうして、縁は
奇しくも同じ疑問を、綾瀬は先日縁にぶつけた事がある。
園子ははぐらかされた様だが、綾瀬はハッキリと答えを返された。
放課後の保健室で、気恥ずかしさからやや頬を赤らめつつ、幼なじみは言った。
『──それはな、綾瀬がいたからなんだ』
『俺と綾瀬が初めて会った日の事、覚えてるか? 通学路の途中にある、いつも通る公園にある桜の樹の陰で、いじめられていた俺を、綾瀬が助けてくれたのが、俺達の出会いの始まりだったよな?』
『今の俺を動かしているのは、綾瀬が見ず知らずの人を助けてくれる姿を見せてくれたからなんだ』
(──縁がこの子を助けようとする理由、知ってる筈なのに、何やってるんだろ)
園子が悩む理由を知り、縁の言葉を思い出し、先程までの自分の行動を振り返る。
縁が綾瀬に園子を託した理由。それは、2人が初めて出会ったあの日の様に、綾瀬が園子に手を差し伸べてくれる事を信じていたからではないか。
縁は、自分の中にある綾瀬への憧れと尊敬から、園子のために頑張ろうとしている。
しかし、言わば始まりとも言える綾瀬自身が先程からしている事は、縁やかつての綾瀬からはかけ離れた行動ばかり。
(なんか、ダサいな私)
綾瀬は、自分のやっている事が猛烈に恥ずかしくなり、その恥が猛烈な勢いで自身への怒りへと変わっていった。
「……河本さん? どうしました?」
すっかり沈黙してしまった綾瀬に、あたふたし始める園子。
そんな様子を視界に収めながら、綾瀬は決意する。
「──決めたわ」
スッと立ち上がり、鋭い眼差しになる。
「あ、あの……?」
ひょっとして、自分は聞いちゃいけない事を質問してしまったのだろうか。そんな園子の焦りを意に介さずに、
「柏木さん、あなたを無理矢理連れて行く事はしないって言ったけど」
「は、はい」
「それ、撤回するから」
「え、えぇ!? ──きゃっ!」
唐突に園子の手を握り、無理やり立ち上がらせて歩き出した。
引っ張られる姿勢のまま園子は抵抗する間も無く、どうにか転ばない様に歩を進めるので精一杯という状態だ。
「ちょ、ちょっと待って──」
「待たない」
途中何度も転びそうになる園子の事を気にせず、スタスタと廊下を歩く綾瀬。
途中、まだ帰宅してない生徒達が、すれ違う度に何事かと2人をチラ見する。
「も──もう! まってください!」
そんな視線にも遂に耐えかねて、園子は無理やり足を止めた。
今度は逆に綾瀬が後ろに倒れそうになったが、なんとか体勢を整える。
「何なんですか一体! 私はまだ行くとは」
「教えてあげる」
園子の抗議の声も聞かず、綾瀬が言う。
「縁が何であなたを助けようとしてるか、気になるんでしょ?」
「それは、確かにそう言いましたけど、今は──」
「理由なんて無いのよ」
「──はい?」
あまりにも突拍子の無い答えに、思わず園子は返す言葉を失ってしまう。
そんな様子を面白そうに小さく笑いながら、綾瀬は更に続ける。
「縁が助けるのは、単に彼がそうしたいからってだけ。その後あなたから何か取ろうとか、何かして欲しいとか、そんなの何も考えてないわよ」
「そんな……そんな理由で」
「そう言う性格なのよ。……なってたのよ、いつの間にか」
「……」
一瞬、縁の事を語る綾瀬の顔に先程までと毛色の違う感情を見た園子だったが、それが何なのか分かるより早く、綾瀬は言った。
「だから、あなたに身を持って教えてあげる。縁があなたのためにたくさん準備したハッピーエンドがどんなものか。私は横にずっと居たってだけだけど、あなたがいないだけで全部台無しになるなんて、そんなの許さないから」
「ゆ、許さないって……」
気がつけば脅迫じみた事まで言われている。
さっきまでとは別の意味で不安を感じ始める園子だったが、
「お願い、彼を信じて」
園子の両手をぎゅっと握り、目をじっと見つめながら言う綾瀬。
「もし、この後校長室に行って、あなたの納得出来ない結果に終わったら、私の事好きな様にして良いから。殴っても蹴っても、あなたが今まで早坂さんにされた事をそのまましても良い。なんなら、私を殺して校舎の花壇に埋めても構わない」
「な、何言ってるんですか河本さん! 冗談でもやめてください!」
「私は本気よ」
振り払おうとする園子の手を、絶対に離すまいと両手で握り続ける綾瀬。
常軌を逸した発言ばかりする綾瀬に、園子はどうしても聞きたくなった。
「どうして──どうしてそんな事を本気で言えるんですか?」
綾瀬の答えは即答だった。
「信じてるからよ、
自信たっぷりな言葉と顔に、園子は思う。
自分の事を信じるだけでも難しいのに、目の前の河本という同級生は、他人である筈の野々原縁を心から信じている。
それがどれだけ自分にとって眩しい在り方であるか。
「わたしにも……河本さんの様に、自信を持って何かを言えるだけの事があれば、きっとこんな風にうじうじと悩む事もなかったんでしょうか」
「柏木さんには、何もないの? 自信を持って言える事」
「……無いから、こうやって野々原さんや河本さんに迷惑かけてるんじゃ無いですか」
(──あぁ、もしかしたら、私は)
園子が先日縁にはっきり助けてと言っておいて。未だに決心がつかない本当の理由。
単に自分に無いものを持ってる彼への、つまらない八つ当たりだったのかもしれない。
「──私、そうは感じないけど」
瞬間、園子の心の片隅から産まれかけた、黒く澱んだ考えが掻き消えた。
「それは、どういう」
「だって柏木さん、さっき教室で凄い大きな声で言ったじゃない。“縁が園芸部や自分を助けようとしてくれたのは迷惑じゃ無い”って」
「……」
「それって、柏木さんの中にハッキリと“園芸部を守りたい”って意思があるからじゃ無いの?」
「──っ!」
「なら、それをハッキリいえば良いのよ。柏木さんが胸の内に暖めて大事にしてた思い、校長室にいる奴らにぶち撒けちゃいましょ?」
まるで簡単な事だと言わんばかりに、ウインクしながら綾瀬は言う。
園芸部を守りたい。
それは言われるでも無い、柏木園子の確かな本心。
綾瀬の言葉通り、それだけは絶対に譲れない確固たる意思だ。
「……良いんですか、そんな事して」
今までの生き方には全く無い──自分の願いのためだけに動く事の是非を、まるで親の顔を伺う子の様に園子は綾瀬に問う。
それに対し綾瀬は──、
「そんなの、当たり前じゃない」
そう、笑顔でカラカラと応えた。
「……」
何かが外れる音が、園子の中に響く。
それはもしかすれば、最後まで残っていた躊躇いという心の枷が外れる音かもしれない。
「──河本さん、手を離してください」
「でも、まだ──」
「一人で、歩きますから」
そう答える園子の顔は、教室からここにくるまで見せていた枯れかけの萎びれた花の様な物ではなく、今にも満開を迎えようとする生き生きとした物だった。
「──そう、分かったわ」
その顔を見て、綾瀬も満足気に手を離す。
(──なんか、少し似てるかも)
決意を固めた園子の顔が、何処となく、同じ様な場面でみせる縁のそれと重なる。
(──もしかしたら、そういうのも理由だったかもね)
教室で1人、うじうじしている園子。
公園で1人、泣きながらされるがままだった縁。
居ても立っても居られず、無理やり動き出したのは今も昔も同じ。
ならば、自分は園子にかつての縁を見ていたのかもしれない。妙に心がざわついたのは嫉妬だけではなく──。
「ふふっ、変なの」
「──え、何がですか?」
園芸部室までの廊下を横に並んで歩く綾瀬に、園子が訊ねる。
綾瀬はその問いには答えず、代わりに、
「ねぇ、柏木さん。あなたが全部うまくいったら、後で私たち友達にならない?」
「ぇ、ええ?」
「私、名前は綾瀬っていうの。だから全部終わったらそう呼んでね。私も柏木さんの事は園子って呼ぶから」
「ちょ、ちょっと待ってください、そんな急に」
「良いから良いから、さっほら園芸部室目の前よ、気を引き締めて!」
「も、もう──分かりました」
否応なしに話を進めて、無理矢理距離感を詰めてくる。
こういう所は野々原縁と似ているなぁ、そう思いながら園子は決意を固めて、園芸部室の扉に手を伸ばしていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「──あの時の綾瀬さんの言葉があるから、最後の一線を踏み越えられたんです。本当にありがとうございます」
「ふぅん、あの日の裏側ではそんな事起きてたんだね。河本さんも結構やるねー?」
「も、もうからかわないでよ。そんなの別に今更お礼言われる事でもないでしょ!」
思いもしない話の展開に、薄く赤面しながら綾瀬は言う。
「他の話しましょ、他の話。ほら、手も止まってるわよ2人して!」
はぐらかす様に言う綾瀬を見て、2人もそれ以上かつての綾瀬について何か言う事はやめた。
その代わりに、綾瀬の望み通り“他の話”を、悠が持ち出す。
「そう言えば今更だけど、君と縁は幼なじみだよね」
「えぇ、そうだけど?」
「出会ったきっかけって覚えてるかな?」
「あ、それは私も気になります」
「えぇ、また私の話? ……まぁ良いけど」
他の話になっても結局自分の話題なのかと思いつつも、綾瀬は端的に縁との出会いを話した。
「──じゃあ、縁君は綾瀬さんの様になりたくて、私を助けてくれたんですね!」
目をぱちくりと開かせながら、園子が言う。
悠も発言こそしないが、何か納得した様に頷いている。
「そんな事は、まぁ……言われたけど、私も」
「やっぱり。と言うことは、つまり……」
一度そこで言葉を止めて、園子は自分の軍手を外した。
何をするつもりなのかと見ていた綾瀬の手を、園子がぎゅっと握る。
「私が今、皆さんと楽しく過ごせているのは、本当に綾瀬さんのお陰なんですね」
少し気恥ずかしそうに、しかしハッキリと綾瀬の目を見ながら、笑顔の園子が言った。
「ありがとうございます」
「……」
その、余りにもまっすぐな笑顔に、綾瀬はしばしの間呆然とする以外の機能を失った。
「──も、もう! さっきからやめてよ。私は別にそんなつもりないし」
「そんな事──」
「ああもうほら、私軍手のままなのに握るから汚れてるじゃない! 手洗って、ね?」
「……ふふ、分かりました」
早口で捲し立てる綾瀬だが、照れ隠しで言ってるのだと分かり、園子は柔らかく微笑んで一度その場を離れて近場の水飲み場へと向かった。
「思いがけない攻撃だったね」
残った悠が、作業をしながら呟いた。
綾瀬は先程までの恥ずかしさを払拭させる様に、少し語勢を強くしながら悠を見て言った。
「悠君も変な事言うのやめてよ!」
「変な事じゃ無いでしょ?」
「だけど、私はあんな風に言われる様な──」
「謙遜しなくて良いさ。君が居なきゃあの時部長が来る事は無かったんだ。縁や僕ばっかり槍玉に上がるけど、部長にとっては君だって充分すぎる程、恩人なんだよ」
こちらを見ずに、淡々と述べる悠。
「……だから、そんなんじゃ無いんだってば」
吐き捨てる様に漏らした言葉は、秋の夕焼けの中で密かに溶け、誰の耳にも入る事が無かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そういえば、アンタと河本綾瀬って幼なじみなのよね」
相変わらず作業に参加しない咲夜が、さりとて紅茶を飲み耽るのにも飽きたのか、絶賛作業中である俺の真横に並び立ってそんな事を言い出した。
「……急にどうした」
「聞かれた事に答えなさい、どうなのよ」
「はぁ……まぁ、そうだけど。なんでそんな事聞くんだよ」
「付き合ってるわけじゃ無いの?」
「──ブッ!」
「ちょっと、汚いじゃない!」
「ゲホ、うぇ……」
爆弾発言をサラリと投げて来た。お陰で唾液を気管支に吸い込んでしまい、思い切りむせてしまう。
ひとしきり咳き込んだ後、俺は手を止めて咲夜に言った。
「付き合ってねえよ! 何でそんな疑問湧くんだ!」
「だって、前までかなり仲良かったじゃないアンタ達。アレで付き合ってないと思う方が無理あると思うわよ」
「──っ」
咲夜の返した言葉に対して、返す言葉に窮してしまう。
続く発現がどんなものか察してしまったから、尚更だ。
「最近アンタ達、側から見ても全然話さないから、くだらない喧嘩でもしてるかと思ったのに、付き合ってないのね」
「……そうだよ」
やはりだ。
となれば、この後に来る言葉だってもう予想がつく。
「じゃあ、何でアンタ達最近疎遠なのよ」
考えない様にしてた事を、変なタイミングで向き合わされてしまう。
咲夜の言う通り。綾瀬とは以前保健室で交わした会話を最後に、めっきり会話の量が減ってしまったままだ。
その場には俺と綾瀬、それに渚がいて……間違いなく渚がかけた言葉がきっかけになってると思うが……それを事細かく咲夜に言う気にはならない。
と言うか、大元を辿れば咲夜が査問委員会なんて物を立ち上げて俺達に脅迫なんてしなければ、何も無かったんだ。
それを完全に他人事のスタンスで聞いてくるんだから、本当にこの後輩は……。
「な、何よ……そんな恨みがましい目で見て」
「──はぁ、何でもない」
やめよう。咲夜とはあの日、全校生徒の前で決着をつけたのだから。
咲夜のした事について報復をしない代わりに、咲夜の目論見を止めさせた。自分から手打ちの話を持ち出したのに、今更俺から文句を言うのは筋違いだろう。
「……何よ、煮え切らないわね。結局なんでアンタ達は仲悪くなってるのよ、やっぱり本当は付き合ってて別れたとか──」
「2人はただの幼なじみですよ、お兄ちゃんもそう言いましたよね?」
再度降りかかりそうになった咲夜の追求を、いつの間にか俺達の間に入ってきた渚が止めた。
「綾小路さん、2人はただの幼なじみで友達なの。普通の距離感で接してるだけなの」
「何でコイツじゃなくアンタが答えるのよ、アタシはコイツに」
「はい、良いから良いから。もう集合時間近いから部室に戻りましょう?」
「きゃっ! 無理矢理引っ張らないで──やだっ軍手のままじゃない! 離して……1人で歩けるったら!」
咲夜の発言を待たずに、腕を掴んで無理矢理校舎まで戻っていく渚。咲夜は有無も言わせない渚について行くのでいっぱいいっぱいになり、俺に対する追求などすっかり頭の隅に追いやられてしまった。
「お兄ちゃんも、そろそろ行こう!」
「あー……うん、ここ終わったらな」
「先に待ってるからね!」
キラキラした笑顔で言う渚だが、それが純粋にただの笑顔だと思う奴は、この場には誰も居なかった。
「〜〜もう、土臭いの取れないじゃない……」
ぶつくさと文句を垂れる咲夜と、素知らぬ顔の渚と一緒に部室に戻ると、先に園子達のグループが戻っていた。
「お疲れ様です、進捗はどうでした?」
「ノルマ分は終わったよ。この調子なら明日の30分くらいで終わりそう。そっちは?」
「私達は……ちょっとまだかかりそうです」
「あれ、意外。もう終わったのだとばかり」
「あはは……」
俺達と違ってサボる奴が居ない組み合わせだから、てっきり今日で終わったのだとばかり思ってた。
まあ、明日俺達が終わったらその足で手伝えば良いか。そう納得したが、横の咲夜はここぞとばかりに悠へイチャモンを投げ掛ける。
「アンタ、ブツクサとくだらない世間話でもしてたんじゃないの?」
「……うるさいなぁ、そういう君はどうせ何もしないで漬物石みたいになってたんだろ」
「ツケモノイシって何よ!」
またいつもの口論が始まった……のだが、気のせいだろうか、悠の歯切れが悪かった。
見ると、園子や綾瀬も若干バツが悪そうに苦笑いしている。
え、もしかして本当に喋ってて進まなかったの? 黙々と頑張ってたの俺と渚の兄妹だけ?
まぁ、良いけどさ。ただちょっと意外なだけで。
「アタシはそこに居るってだけで意味があるのよ、アタシ達の方が進捗は上だったんだから、文句言う前に反省する事ね!」
いや、お前が誇らしげに言う資格は無いだろ。
なんて口出しすれば、更に話がこじれるのは目に見えて明らかなので黙っておく。藪蛇はごめんだ。
「……ふん、縁に弱みを握られて敗北したクセに」
「な、何ですって──!」
せっかく俺が黙ってても、悠が更に焚き付けるような発言をするせいで咲夜の怒りが臨界点を迎えそうになっている。
流石にこれ以上2人の口喧嘩を静観するわけにもいかない、そう思った矢先に動いたのは綾瀬だった。
「はい、2人ともそこまで。私達がお喋りしすぎたのは本当なんだし、これ以上はもうやめましょ、ね?」
間に立って、咲夜は悠を押し留める。
ならば俺は咲夜担当だ。
「そうそう。もう咲夜の情報はデータごと消してるから気にするな。中身も覚えちゃいないから」
俺と綾瀬が互いに綾小路を宥め、園子はそんな様子をどことなく楽しんでるように眺めて、渚は小さくため息をこぼす。
そうしてようやっと場が静まり、俺達は下校の校内放送とチャイムが鳴るまでの残り時間を、いつもの通り雑談で潰す事にした。
「……そう言えば、今更だけど」
明日の予定やら、勉強や教師への愚痴などある程度話題を出し尽くしてから、咲夜が俺に言った。
「あの情報って、アンタどうやって集めたのよ」
「あ、それは僕も確かに気になるな。探偵でも雇ったのかい?」
「あー……あれな」
そういえば、まだちゃんと話していなかった。
少し前まで、俺の前に現れては心を掻き乱す発言を繰り返した挙句、最後の最後に決め手となった、神出鬼没の男について。
「変な奴……もうホントに変な奴が居てさ。そいつが情報屋だって言うから頼んだら一晩でかき集めてくれた」
「……情報屋? 名前は分かるかな」
「塚本とか、千里塚とか名乗ってたけど……何なんだろうな」
『千里塚!?』
その名前を出した途端、悠だけじゃなく咲夜も……普段いがみ合ってる綾小路家の2人が初めて息を揃えて驚愕の声を発した。
「お、おう……そうだよ?」
「千里塚、確かにそう言ったのか?」
「だからそうだってば……え何、有名どころなの?」
「有名……まぁ、そう言えばそうね」
いまいち要領を得ない咲夜の言葉に頭を傾げていると、そんな事よりもと言う勢いで悠が詰め寄ってきた。
「良いかい縁、君が言ったその千里塚と言うのは──ああもう、こんな言い方したく無いけど、“庶民”が生きてて絶対縁が生まれる存在では無いんだ。僕ら綾小路家や──えっと」
「政界や裏社会に関わるクラスの人間達しか関わらない、アンタみたいに平和にのほほんとしてる奴が出会うはずないのよ」
「──まぁ、言葉遣いは悪いけど、言いたい事はそう」
成る程、言いたい事はだいたい伝わった。とは言えだ。
「あいつ、ハッキリそう言ってたんだよな。千里塚インフォメーションって。嘘なのかなあれ」
「……マジかい?」
「マジよ」
俺がそう返事すると、悠と咲夜は顔を寄せ合って、ひそひそと何かを相談し始めた。
「どう思う?」
「絶対に千里塚を騙った偽物よ。前にも亜桜や紅蓮宮の偽物が出たじゃない。どうせその類よ」
「だけど千里塚は諜報がメイン、戦闘力で誤魔化せる他の七罪とは話が違うよ」
「じゃあ本物の千里塚が本当にアイツに接触したって言いたいの? そっちの方があり得ないじゃない」
「それは、確かに……」
「おーい、もう話は良いか? ならそろそろ帰る用意を」
「待ちなさい!」
「なんだよ……」
「金はどうしたの、本当にせよ偽物にせよ、依頼料が無いわけないでしょ?」
「あぁ、それは……前にお前からもらった小切手を」
そう返すと、咲夜はやや思い出すための間を置いた。
「……8月に、アンタと初めて会った日のアレ?」
「そう、アレ」
「……やっぱり、偽物で確定ね。千里塚があんなハシタ金で動くはず無いもの」
「そう言う物なのか? 本当、お前ら2人の会話についていけないから分からないが」
「そうなの! ……でもそれはそれでムカつくわね、偽者のくせにアタシの個人情報全部バレるなんて、何よそれ……」
よく分からないままだが、どうやら咲夜は本人なりに話の落とし所を見つけたらしい。
悠もまだかなり引っかかる所がある表情をしているが、とにかくそれ以上追求してくる事は無かった。
園子や渚も俺と同じ様にポカンとした表情だし、綾瀬は──、
「……」
綾瀬だけは、部室の窓を見つめて……敢えて会話に意識を向けない様な、硬い面持ちでいた。
それがどこか寂しげな雰囲気でもあったから、今までなら『どうした?』と気楽に声をかけたのだが……最近の俺達の距離感でそれを実行するのは、難しかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それじゃあ、待ってるねお兄ちゃん」
「またね、みんな」
「……はぁ、さっさとシャワー浴びたい」
下校の時間になり、三者三様の言葉と共に部員達が帰路につく。俺は部室の鍵を返却するため、園子は部の日報を顧問の幹本先生に提出するために、職員室に寄ってから帰る。
渚はそんな俺を校門の前で待ち、綾瀬は……教室に忘れ物があるとかで、一度戻って行った。
「そう言えばさ、3人でなんの話ししてたのさ」
「え! ……言わなきゃダメです、か?」
「言いたくないなら構わないよ、それはそれとして気になっちゃうけど」
「そう言うわけでは……」
「じゃあ気になるなあ」
「分かりました、でも、恥ずかしくなったりしないでくださいよ?」
そう前置きをしてから、園子は何を話してたかを教えてくれた……のだけど。
「あー……俺と綾瀬がどうやって出会ったのかまで言ったのね、あの子ってば」
「ふふ、照れなくても良いですよ」
「そうは言うがさぁ……」
昔の自分を全然園子には話していないので、預かり知らぬ場所で語られると言うのはこう、どうも、もどかしい。
「綾瀬も明け透けに話すなよー……恥ずかしいなぁもう」
「恥ずかしいなんて、そんな事思う必要無いです」
羞恥心に埋もれそうな俺に、凛とした口調で園子が言う。
「どんな過去や経緯があっても、縁君や悠さん、綾瀬さん達が私を助けてくれたのは事実です。それに、今もこうやって皆さんと楽しく部活動が出来てるんだから……もっと誇りに思ってください」
そう話す園子の表情は、窓から差し込む夕焼けより遥かに明るい。
それは俺だけじゃなく、皆の力で今の時間を作ったのだと、園子自身が思っているからだ。“ヤンデレCD”の様に1人の力で園子を助けていたら、きっとこうはならなかった。
「……まぁ、なら良かった」
「はい、良いんです」
綾瀬との溝は残ったが、今この現状は、そこまで悲観的になる物でもないのだと、心から思った。
職員室について、要件をつつがなく終えた俺達だが、帰る前に園子に言っておかなきゃいけない事が1つある。
「──この前の、お礼がしたい?」
「そ」
咲夜と対決する前日、ワザと咲夜に土下座して頭を踏まれた際に、コッソリ園子にはその光景を隠し撮りして貰っていた。
結局、その映像も使う機会が無かったが……嫌な役をお願いした事には変わりない。
「まだ、その時の礼をしてないからさ。なんでも言ってくれ、死ぬ以外は善処するから」
「変な事言わないでください。……でも、何でも良いんですか?」
「ああ、二言は無い。言ってくれ」
──この時、俺はひょっとしたら気が緩んでいたのかもしれない。
たとえ、園子からヤンデレの雰囲気が無かったとしても。
“女の子から何でも言う事を聞く”なんて行為がどれだけ危険なのかを、全く考えないなんて。
「それじゃあ──」
何をしてもらおうか、逡巡する園子。
僅かな間を思考に巡らし、最後に出した答えは、これから始まる怒涛なる日々の幕開けとなる物だった。
「──私と、付き合ってくれませんか?」
感想お待ちしてます。