神父と聖杯戦争   作:サイトー

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 人間こそ、最高の娯楽となる。言峰綺礼が最も尊ぶ喜びは、多分そこに集約されるんだと思います。愉しめる人間が相手だから、彼は何時も嘘はつかずに本気なのかもしれません。だから同類で在りながら、自分にない物を持つ士郎が誰よりも綺礼は羨ましい。そして自分と同類なのに、迷い無く生きて死ねる綺礼が士郎は誰よりも羨ましいのかなぁ、と思いながら二次創作を書いてます。
 後、ゼロだとギルの愉悦の方がインパクトが強いですが、SN綺礼は愉悦と言うよりも娯楽派ですかね。無意味と無価値くらいにしか差しかない言葉ですが、何となく雰囲気程度に使い分けてます。



87.聖杯

「―――行ったか。でなければ、無茶をした甲斐も無いがな」

 

 固有結界を解除し、士人は現世に帰還した。無論、結界に取り込んだ使徒は生きている。出口を塞いでいた使徒に憑依した英霊情報は防御能力に秀で、そもそも士人でも唸る程の盾の使い手。そして、一人一人が地獄以上におぞましい鍛錬を繰り返したとしか思えない技量を持つ兵士で陣営を作る召喚型宝具を持っており、結界内で創造した宝具による絨毯爆撃をも平然と生き延びた。

 ……そもそも、宝具を炸裂させた爆風さえ盾で平然と受け流すのが平均レベルの兵士とは、一体どんな修羅の国の(つわもの)なのか。宝具になる程の兵なので優れているのは理解出来るが、あのレベルを“300”も連れて来るのは反則だ。

 

「あらま。側近中の側近である王の死兵たちでも、固有結界に侵食されるのは盾で優雅にパリィできないか。残念。

 ま、でも魔術師殺し(メイガスマーダー)なら……あれ―――」

 

 黒騎使徒を指揮する亜璃紗は、大聖杯へ走り向かった士郎を見送った。使徒に追わせることもせず、追い詰められた雰囲気もなく落ち着いていた。

 衛宮士郎を仕留めるに相応しい追手ならば、亜璃紗の手元にいる。彼を使えば、士人が師と友の為に費やした魔力と献身は無駄となろう。それを愉快に思い、彼女は笑みを顔に刻む。やはり人間は面白い。何もかもが、その心が面白い。

 

「―――なんで?」

 

 あの鏖殺者が影の中にいない。契約(ライン)もない―――何時の間に?

 

「あぁ、そう言う……へぇ―――死ぬんだ」

 

 何故、奴が此処に居ないのか―――それを考えるだけで、亜璃紗は面白かった。

 桜の為に亜璃紗はここで命を張っている。遠坂凛が転移したのを伝え、大聖杯に向かったのも教え、もう一分以上。

 間桐桜個人の望み。姉との殺し合い。二人だけの死闘。

 誰にも邪魔されず、研鑽と聖杯と執念を燃やし尽くす決着も付く頃合いだろう……―――その筈。

 互いに魔法に至った魔術師同士の殺し合いだ。規模で言えばサーヴァント同士の衝突を越えるエネルギーであり、この山を内側から激震させるレベル。黒騎使徒を今も亜璃紗は操ってぶつけているが、この多対多の戦闘以上のけたたましさだろう。

 

「神父さん、知ってた?」

 

 使徒に囲まれ、絶体絶命の状況にしか見えない士人に亜璃紗は気安く話しかけた。どう足掻いても嬲り殺しにされる数秒前だと言うのに、神父は相変わらず胡散臭く、少女は何も感じずに惨劇を娯楽にして愉しんでいるのみ。

 

「何をだ?」

 

「エミヤキリツグのこと」

 

「さて、何が何やら」

 

「……あ、そ。ま、良いけど。心、読めますし」

 

 ふぅうん、と溜め息一つ。言峰士人の脳味噌は知識の宝庫であり、優れた読心術師の亜璃紗からしても情報検索は面倒だ。しかし、ここまで面倒だと珍しさが勝り、ついつい奥深くまで覗き込みたくなる魅力があった。

 ……今でも有名な哲学書の一説。嘗て読んだ事のある彼女の娯楽品。

 怪物と戦う者は自分も怪物にならないよう注意せよ。深淵を覗き込む時、深淵もまたお前を覗き込むと言う言葉を思い出す。正しく、士人の魂は地獄の釜だ。精神の奥深くは深淵であり、宇宙や深海の暗闇に似た底の無さ。

 

「神父さん、マジ使えない。私が知らないことは知らないんだ」

 

 とは言え、深淵を潜ったのも無駄骨だったが。

 

「酷い言いようだな」

 

 使徒の一柱の四肢を斬り飛ばしながら行動不能にし、その言葉を亜璃紗に呟きながら彼は退避する。危険地帯から逃げながら、士人は自分が読心されているのは分かっていたが、構わずに相手を考察する。しかし、結果は今一つ。亜璃紗はある意味では分かり易い士人と同類の後天的異常者だが、それと同時に年頃の少女としての一面を僅かにだが持っている。

 行動原理となる不変の意志と、色々な事に興味を抱いて玩具にする無邪気な意思。

 まこと、性質が悪い女なのだ。計算高く、目敏く、自己中心的なのに、愉しむ為なら損得勘定をあっさり捨てる。

 何をしでかすか分かり難いが、何をしたいかは分かり易い。

 目的ははっきりしているのに、行動は一貫せずにあやふや。

 こんな不透明な人間性を持つ年若い少女。三十路間際の神父からすれば、実に不可思議な相手。そんな思考を亜璃紗は士人から読み取り、その全てが当たっている事に満足した。この外道からすれば、読心などと言う異能なんて無くとも、人の心を読むなど自分と同じ様に容易いのだと把握した。

 

「うーん、さてはて……―――」

 

 使徒を桜への援護に回したいが、まだ桜からの救援は求められていない。桜が死ぬのは困るが、彼女の言葉を裏切るのも困る。

 凛ならば、大聖杯の元に転移出来るのは分かっていた事。

 虚数結界と大聖杯による異界化で空間を封鎖し、転移など不可能にしながらも、あの魔法使いの腕前ならば単独に限定すれば一人分程度の孔は空く。凛の技量と桜の規格が釣り合うからこその抜け道。その桜が施したカラクリも凛は理解し、分かっていたから大聖杯へ跳んだ。もし、そう思わせる事自体が罠であろうとも、それ事大聖杯を潰す意志を以って戦いに臨んだ。伏兵を用意していようが、そいつごと全てを破壊する算段があった。

 だから、せめてもの望みだった。姉妹二人、決着を付けて聖杯戦争を終わらせることが。

 

「―――……いえ、いえ。いいえ。

 望みがなければ、人間なんて醜悪極まる心を宿す獣。死ぬ価値も無い」

 

 地獄の顕現はすべきこと。間桐桜個人の願望にあらず。真性悪魔の固有結界は完成せずに死ぬのも、悪神の権能で世界を崩壊させずに殺されるのも、桜の空っぽな心に響かない。

 死ぬのなら死に、終わるだけ。力が足りず、準備が足りず、間が悪かっただけな話に過ぎない。

 それを亜璃紗は桜の心を知り、理解しているからこそ、その悪行に幸が有ることを願うのみ。今はただただ、目の前の地獄に専心するだけで良かった。

 

 

◆◆◆

 

 

 狂える泥の塔だけが、衰えた第二法を新たに引き継ぐ筈だった魔法使いが死ぬ惨劇を見下していた。

 悪の為の神―――大聖杯。

 その杯を制御する桜こそ本当の支配者。殺し合いにおける実際の強さは別にして、優れた魔術師である切嗣も士郎も、桜からすれば虫けら程度の魔力規模。だが、その魔女をして、今となっては何もかもが想定外。魔法使いが死ぬのは計算していたが、脳を銃弾で抉られて殺されるのは有り得てはならない。

 ……凛の死体から視線を逸らし、士郎は桜を視界に収めた。

 気を付けなければならないのは切嗣だが、桜から流れ出る魔力と殺意は上位死徒がただの吸血蝙蝠に見える悪寒に満ちている。

 

「でも、今は先輩の相手をしている暇はないんです。ですよね―――衛宮切嗣……?」

 

 兜で顔は見えないが、気配だけで魔力のない人間を致死させる殺意。今の桜は殺したいと思うだけで、その感情が呪詛として働き、自動的に相手を呪い殺してしまう魔人である。

 ―――その殺気、切嗣を百度殺してもまだ足りない。

 凛に向けていた戦意よりも濃厚で、戦っていた時よりも更に禍々しい存在感。

 

「仕方ない。恩のある君が相手だ、話そう。

 まず初めにね、抑止力と契約を結んだ僕が、本来なら殺害しなくてはならない君に協力していたのはね―――遠坂凛を、殺す為だ」

 

「……どういうことです。そもそも、それなら何故、亜璃紗が貴方の思考を読めなかったのですか?

 貴方がしたがっていたことは、全てこっちも把握していた筈なのに……!」

 

「君にも言った筈だ。今の僕は守護者もどきだと。

 なので、手品の仕掛けは単純さ。あの亜璃紗に読まれる前に、まず本体である僕の記憶からその情報を魔術で即座に削除しておいた。

 そして、座からコピーして送られた僕の魂の方にのみ、その計画を覚えさせておいた」

 

 切嗣とて、最初から座の自分を使いこなせていた訳ではない。まず使えたのは、エミヤキリツグが持つスキルと宝具だけだった。そこから段々と霊体が馴染み、相手の魂を知覚し、意識と記録の共有が始まった。魂魄は契約時に融合したが、全てが完全に融け混ざった訳ではなかった。

 

「亜璃紗が読心出来るのは、表側で実際に脳味噌を使い、思考回路を運用している亡霊の僕だけ。その僕に後付けされた外部記憶装置の方の僕は眠り、思考を読まれようとも―――そもそも、思考していなければ、心を盗み聞きされる心配もない。

 ……後は頃合いを見て思い出すだけだ。

 本当、君は哀れだね。運が底まで尽いている。確かに、あの魔物の能力は絶対だ。僕も亜璃紗が持つ異能を対処する術は持っていない。多重人格にも対応するさ。

 ああ、だけど―――僕はこの抜け道を手に入れて、運良く思い付くことが出来たんだ」

 

「エミヤ……キリ、ツグッ……―――!」

 

「君はとても間が悪い。可哀想な程、幸運が足りてない。

 さぁ、後は世界の敵を皆殺しにして、この下らない聖杯を破壊して―――生きる価値のない衛宮切嗣が、最後に自殺するだけだ」

 

 極めて悪辣な挑発だった。桜は気が狂う程の、アンリ・マユの呪いが玩具に感じる程の憤怒に支配される。世界から排斥される痛みと違和感など、塵以下の微風にも満たない抵抗にしか実感出来ない。

 千を越え、万を越え、規格外にまで膨れ上がった虚数魔術を発動させる―――寸前、桜は何とか魔術回路を停止させた。

 

「貴方は、貴方はぁ……―――あぁ、ああああ! 何で、姉さんを、あの人は私が殺さないといけなかったのに!?」

 

 エミヤの宝具、神秘轢断(ファンタズム・パニッシュメント)。礼装魔弾「起源弾」と同じ能力を持つ魔術師殺しの力。この癇に障る話し方も、相手の心を嬲る会話も、いとも容易く―――間桐桜を仕留める為の罠である。

 それを理解したからこそ桜は魔術を止めた。聖杯から無尽蔵の魔力を汲み上げて感情のまま攻撃していれば、桜は全魔術回路を爆散させ、霊体の内部が弾け、その肉体が消し飛んでいたことだろう。

 殺すなら―――湖の魔剣(アロンダイト)でなければならない。

 鎧と衣にも魔力を回さず、純粋な殺人技能で抹殺しなければならない。魔弾とナイフに気を付ければ、魔術師殺しの種さえ理解してしまえば、一対一の殺し合いに持ち込めば良い。ランスロットの技量で以って正面から圧殺するのみ。

 

「ふざけるな、いい加減にしろ! 爺さん、何故遠坂を殺した!?」

 

「―――世界の敵だからだ」

 

 何一つ迷うことなく、僅かな間さえ無く、切嗣は士郎に告げた。

 

「それが世迷言だと言うんだ!? 彼女は大聖杯の解体を望んでいた!!」

 

「あれは魔法使いだ。何時かは席を宝石翁から譲られるか、あるいは……宝石翁を殺して奪い取るか。まぁ、知り得た平行世界の顛末なんて如何でも良いさ。

 確かなのは、この間桐桜を越える人災と成り果てる可能性が僅かにでもある事だ。

 ならば―――殺さないといけない。

 一の為だけに全てを危険に晒すなんて出来ない。

 僕はね、アラヤと契約を結んだ。報酬はまだ得てないけど、それを成すだけの力を身に付けた。君とイリヤを助け、冬木の聖杯戦争を終わらせる為の代償―――それが、遠坂凛の殺害だった」

 

「何故、そんなことが代償になる! オレの代償は座に登録されるだけだった!? セイバーが守護者の契約を結んだ時もそれだけだった!?」

 

「……アレは特異点となる。僕らの人理に、人類の惑星に、法則外の異端は不必要なんだ」

 

「オレの知ったことか……!!?」

 

 衛宮士郎は、エミヤシロウが守護者として人を殺し尽くす記録を嘗ての第五次聖杯戦争で見てしまっていた。けれど、エミヤキリツグは人類史から隔離された特異点でのみ活動し、それを歴史から剪定する代行者。切嗣が契約によって見た地獄とは、特異点における人間の営みの剪定だった。

 ―――遠坂凛(トーサカリン)

 第二法を手に入れながらもキリツグが剪定した未来にて、第三法にまで手を伸ばす腐り果てた獣である。

 

「死になさい……―――!」

 

 その話を聞き、桜は欠片も憎悪を陰らせることなく疾走する。もはや味方でも仲間でもない。裏切り者でさえない獲物。令呪による繋がりも、既に切嗣とはない。宝具であるナイフと契約破棄の魔術式により、桜と切嗣の間にある契約を魔術師殺しとして誇る腕前で消していた。

 ―――殺す。

 ―――死ね。

 斬撃の檻。士郎を警戒しながら、桜は切嗣の惨殺を決行。一度斬っただけで我慢など出来ず、死んだ後も死体を切って斬って、潰して呪って、焼いて沈めて―――魂を、泥の穴に焚べてやる。

 

「―――pentagon accel(五倍速)

 

 加速、開始。届きなどしない。

 今の切嗣は人間に在らず、亡霊に在らず、英霊に在らず―――守護者にも在らず。死した後、座に召される定めの契約の死人である。

 ―――混ざっていた二つの魂が今、完全に融け合わさった。間桐亜璃紗を欺く必要はなくなり、間桐桜を騙す必要もなくなり、遂に本性を顕した。

 魔術師殺し。鏖殺者。

 彼こそが―――エミヤである。

 

「―――先輩!

 なんで、なんで、なん―――……ああ、そうですか。結局、貴方もエミヤなんですか……!?」

 

 そして、桜は士郎による攻撃を魔剣を斬り落とす。魔力に任せて影の使い魔を作り出し、士郎の相手をさせて邪魔されるのを防ぎたいが、それをすれば起源弾の良い的だ。虚数の影魔も、呪泥の影沼も、今はエミヤキリツグが抑止力となることで封じられてしまっている。

 

「姉さんを殺した仇より……―――狂ったわたしを、先に殺したいのですか!?」

 

「……ッ――――――」

 

 殺せるものか、死なせるものか―――だって、桜なんだぞ。凛が死んで、やっと士郎はそう実感出来た。だが、それを言葉になど出来るものか。しかし、その想いは余りに遅く、今の士郎は切嗣と同じく阿頼耶識と契約を結んでいる。報酬も既に受け貰い、自分しか救えなかった人々を救ってしまった。死ねば英霊の座と言う、無間地獄に堕ちる定めにある。守護者となり、人間の走狗となり、救いたい人々を殺し続けるのみ。

 ―――それでも、桜と戦わなければならない。

 その士郎の背後に回り込むは、魔術師殺し。彼も既に士郎が手遅れなのは知っている―――だが、それでも子供が地獄に堕ちるのだとしても、切嗣は娘と息子が幸せに生きて、出来れば幸せの中で最期を迎えて欲しい。

 故に―――剣製の魔術回路が、邪魔なのだ。言峰士人の手で人並み以上の寿命を得たイリヤが居れば、二人は神秘から隠れながらも社会の中で平凡に、士郎は死ぬまで平和に暮らせる。エミヤキリツグはその為ならば容赦はしない。誰が相手だろうと、本人が敵に回ろうと、魔弾を回路に叩き込むのみ。

 

投影(トレース)開始(オン)……――――!」

 

 既に魔術で投影した後ならば、士郎の投影魔術は起源弾を無効化出来る。あれは魔術回路と繋がった魔術と接触することで発動する礼装なので、投影さえしてしまえば問題ない。士郎の投影は回路と魔力と関係なく世界に存在する故に、能力を解放させるために回路と繋がっていなければ起源弾と当たっても無事である。

 それは解析魔術でもう理解している。実際に今、士郎は切嗣の魔弾を防御した。

 しかし、凛を殺した加速魔弾の破壊力を受け止めるには、宝具の解放が必須であろう。そのまま受ければ高ランク宝具だろうと一気に撃ち抜かれてしまう。しかし、それは逆に好機でもある。宝具を粉砕可能なまで加速して撃つと言うことは、切嗣の腕も数秒間は破壊される。ナイフでしか魔術師殺しの技を使えなくなり、起源弾による迎撃は不可能だ。

 

「―――其処らの英霊より面倒臭い相手ですよ、貴方(メイガスマーダー)は……!」

 

 魔術による一掃さえ許されれば、士郎を地獄の中に獲られ、切嗣も大聖杯へ焚べて魂を融かしている。今まで鍛え上げた格闘技術と、憑依させたランスロットの武錬しか安全を考えれば使えない。アロンダイトによる身体能力増幅と、魔術による単純な肉体強化でさえ、弾丸かナイフが肉体を掠れば魔術回路が一瞬で崩壊してしまう。凛が成した魔術と気功による霊体破壊の魔拳以上に、切嗣の殺人技能は悪辣だった。

 その気になれば人類最強の英雄王さえ一瞬で抹殺し、サーヴァントなど地獄成就の養分に過ぎす、冬木全てを泥沼を沈めるのも容易な魔物。その桜にとって、この世全てにおいて最大の天敵となるのが切嗣と言う魔術師殺しなのだ。故に、彼が仲間で在ることに誰よりも安心していたのも桜であった。

 何よりも、今までの策謀は切嗣の脳髄が生み出た外道の思惑。

 聖杯戦争において脅威的な適性を持つ狩人である。大陸最大の略奪王、日本最強の陰陽師、不死の報復王、魔槍使いの光の御子、鍵の守護者である魔女。この五柱、一人一人を殺す為の手段を整えたのが切嗣だ。彼失くして桜は大聖杯の炉に魂を焚べず、悪神はマスターの誰かが無造作に屠っていただろう。

 魔術師の天敵で在る魔術師―――魔術師殺し、衛宮切嗣。

 彼こそが、本当の邪魔者だった。大聖杯にとって真に敵となる恐怖そのもの……!

 

時のある間に(クロノス)―――」

 

 しかし、士郎の剣技はその不利に対応し、桜の武錬もまた同じ。士郎程の解析魔術によって敵の武装を見抜く眼力は持たないが、桜も目はそれなりに仕上げている。概念礼装や魔術礼装が根本として宿している“概念”程度なら読み取れ、礼装の術式なら盗み取れる。ナイフと弾丸に込められた魔術師殺しの異能を察知し、対応するのみ。

 敵の観察こそ、生き延びる第一歩。

 戦闘における言峰士人の戦術眼を二人は教えられ、神父は士郎と桜にとって殺人技術の師匠。

 相手の動きと持つ武装から、敵の成したい事を容易く理解する。切嗣が殺し易い魔術師からは程遠い戦争屋である。

 

「―――薔薇を摘め(ローズ)……!」

 

 だが、その武術の冴えも切嗣は押し潰す。彼も優れた近接格闘の使い手あり、軍隊式格闘技として会得したコンバットの覚えがある。技術の差があるもそれは加速魔術、固有時制御により埋めれば問題なし。

 一対一対一の三つ巴。

 刹那―――蘇生が、開始された。

 

「な……ッ――――――」

 

 冷酷無慈悲な魔術師殺しが戦闘を有利に進める為ではなく、素で驚愕の声を洩らし出す程の異常事態。頭部を失っている亡者の影―――ソレが隠し持っていたアゾット剣が、切嗣の背後から串刺しにされた。

 圏境による存在感の消失。

 優れた使い手ならば姿を透明化し、光学探知、音波探知、熱探知さえ遮断する気配を殺す技法。ソレが出来るのは自然に溶けて透明化する程の技量ではなかったが、人間の第六感を誤魔化して不意打ちをするのは非常に容易い。

 それを察知出来なかったのは切嗣だけではなく、桜と士郎も同じ。そして、亡者が動いている訳を悟れるのは誰もいない。

 

「―――にぃ……!」

 

 辛うじて切嗣は身を捻り、心臓を串刺しにされるのは回避できた。同時に距離を取る。しかし、肺を一つ抉り取られ、口から大量の血液が吐瀉される。

 亡者はその気になれば空間を凍結固定し、相手を世界ごと停止出来る。その中で細胞残さず焼却するのが一番。しかし、魔力を消費すれば気配を察知される。優れた魔術師ならば魔力を激流として空間に叩きつければ、固定されている魔術式の力場はあっさり崩壊する。更にその停止空間をナイフで狙っている切嗣に斬られれば、魔術による拘束術式は一撃で破損する。

 ならば話は早い―――技による暗殺技巧こそ、可能性が一番高い。

 

「ねえ、さん……―――?」

 

 化け物に脅える桜の目。あれは何なのか。確かに今の桜ならば頭部を吹き飛ばされても生き延び、死から甦ることが出来る。魔人となった桜は死ねず、殺すなら霊体でなくてはならない。それを考えれば、相手が蘇生して動き出すのも不思議な事ではないかもしれない。だが彼女がそう考えながらも脅えるのは、大聖杯と繋がることで擬似的な第三法の使い手となり、悪神の肉体と霊体を得たからだ。

 人間ではない魔物であるから可能なこと。

 桜は自分が人間以上の神秘を身に付けた魔人となった自覚はあったが、自分の姉が何に深化したのかまだまだ理解不足であると知った。そう、分かってしまった。

 

「こんな程度で、私が―――遠坂凛が、くたばるかッ……!!」

 

 限界まで魔力を充填させた幾つもの宝石礼装。その中の一つには、平行世界で蘇生魔術を会得した自分から知識を学び、自動稼働する蘇生術式を刻み込んでいる物がある。

 更にその自動蘇生が間に合うよう生命活動が停止した場合、魔術回路を自動的に維持し、霊体が霧散することを防ぐことで、魂が肉体から乖離するのを止めていた。理由は簡単で、人は死ぬと魂が自然と死体から抜け落ちてしまう。流石に蘇生魔術とは言え、魂の復元など絶対に出来ない。肉体が甦れば復活可能なように、魂が抜け落ちるのも凛は礼装で防いでいた。

 加えて、意識を失うか、洗脳されるか、脳が破壊された場合に備え、自分の肉体と回路を魔術で支配し、動きを独立制御する宝石も肉体に仕込んである。これには条件付けした肉体制御術式によって外部からの干渉に対して働き、意識のない体の安全を最効率で守り、且つ敵が隙を晒していれば不意討ちで致命の一打を叩き込むオートシステム。

 これらの機能を持った三つの宝石をセットにした魔術礼装は、一つ一つがそれ専門に知識と能力を鍛え上げた魔術師が得られる叡智の結晶だ。つまり、第二魔法によって平行世界の自分を憑依可能な凛からすれば、違う自分の一生分の努力など、容易く手に入れられる唯の技術の一つでしかなかった。

 

「―――ッ……!」

 

 人間ではなく、魔術師でもなく、アレは法則そのもの―――つまり、魔法使い。その事実を切嗣は肌で感じ、自分が何を敵に回したのか、本当の意味を理解出来てしまった。

 ……あれには、魔術師殺しの技が通じない。

 数多の魔術師(メイガス)を狩り殺したが、魔法使いを狩った事は一度もなし。

 切嗣は遠坂凛と言う化け物を大いに勘違いしていた。そもそも彼女は、自分が殺される事を前提で桜と殺し合っていた。死者蘇生は魔法の領域だが第二法で成すことは出来ず。ならば魔法を利用することで、自分が死んだ瞬間に自動発動する蘇生魔術を準備しておけばいい。そのような理外の神秘を平然と使う生身のヒト。

 切嗣は悟る―――あれこそ、恐怖。

 第二魔法の真髄は世界移動でも時間移動でもなく、出来ない事がそもそも存在しないこと。ありとあらゆる可能性を見出し、あやふやとは言え未来を有る程度は予測して準備をし、行動することが可能なこと。

 戦闘において、正しく万能の超越者。

 自分が人生を賭して辿り着ける究極の一を無数に使役する者。

 遠坂凛が至った境地とは魔力を無限とする能力であり、無限に連なる平行世界を自在に運営することであり―――無限の自分を得る神秘である。

 ―――無限であることを根本とする。

 第二の魔法使いとは、無限の魔術師でも在った。

 

「来たのね、士郎……士郎? ぼーとして、どうしたの?

 相手はあの二人よ。しゃんと気張りなさい」

 

 頭部の蘇生を完了させる。宝石礼装に充填させておいた魔力全ての消費したが、第二法により既にまた限界まで魔力の補充が完了。何時でも死ぬことができ、直ぐ様蘇生する準備が瞬時に整った。凛が持つ宝石礼装は、そうした専用術式を刻んだ複合礼装であり、宝石剣と言う無限の魔術炉心と繋がった連動機関であり、全ての状況に対応する魔術式の集合体。

 それを士郎は知っていたが、あの領域まで至っているとは思わなかった。自動治癒程度ならば備わっているだろうと考えてはいたが、まさか自動蘇生まで可能とは思う事さえ出来なかった。

 

「―――いや、そこまでとは思っていなくてな」

 

 正義の味方として凛から離れた後、士郎は彼女がどれ程の研鑽を得たのか知らなかった。

 

「ふん。投影した鞘入れてるあんたなら、自動蘇生とはいかなくても、死んでいなければ同じことできるじゃない」

 

「死から甦ることは出来んぞ」

 

「今更今更。神秘を鍛えた魔術師なら、自分の肉体程度自在にしなきゃね」

 

 根源に至る程の叡智。深淵に潜り、何処までも落ち、逆行する真理。正確に言えば、まだ宝石翁こそ第二の魔法使いであり、彼女は魔法を使える魔術師だが、それでも神秘に狂った魔術学者。出来てしまう事柄は、やはり平然と使いこなすのだ。

 そして、凛は拳を握り絞める。起源弾を頭蓋に受けて回路にもダメージを負ったが、霊体も既に修復済み。蘇生式には高度な霊媒治癒も組み込まれ、肉体だけで霊的負傷も回復させていた。

 

「あぁ……―――これはまた、私に随分と不利ですね」

 

 大聖杯から無尽蔵の魔力を汲み上げられると言うのに、虚数魔術が使えない絶命の危機。しかも相手は三人だ。姉と一対一で殺し合えないとなれば、もう自分個人の願望に執着は出来ない。娘の亜璃紗に使徒の派遣を念話で頼もうにも、それは出来なかった。

 何故か?

 原因は至極分かり易かった。

 

「無駄よ、桜。もう遮断させて貰ったわ」

 

 凛が張った遮断膜。魔力を歪ませ、空間を乱れさせる結界魔術。空間魔術を応用し、大聖杯がある空洞の更なる地下に巨大魔法陣を刻み、この土地を一時的に隔離した。これならば切嗣が起源弾を結界に撃ち込み、結界ごと凛の魔術回路を殺そうにも、そもそも弾丸が結界の陣まで届かない。

 

「念話は届かない。助けは来ない―――」

 

「―――ふむ。それは早計だぞ」

 

 黒く汚染された法衣を纏う者。

 ―――その神父は、大聖杯の前に佇んでいた。

 

「言峰、綺礼……ッ―――」

 

 衛宮切嗣が、嘗ての正義の味方が、静かに呟いた。

 

「神父さん……なんで?」

 

「驚く事はない、間桐桜。君の望みは、私にとっても代えの効かぬ願望だ。

 この心臓―――その為だけに、生きている」

 

 亜璃紗は桜を遵守する。彼女の指示がなければ、大聖杯の御使いである黒騎使徒を送ることはない―――だが、綺礼ならば好きに行動できる。綺礼は綺礼なりの真心があり、姉妹同士の殺し合いを純粋に邪魔したくはないと、地獄を愉しむだけに亜璃紗に協力している。姉か妹かのどちらかが自分と血の繋がった家族を殺した後、彼は祝福を唱え、どんな痛みが心に刻まれたのか切開して愉しみたかったのみ。自分が介入すれば理想的な悲劇にならず、純真無垢な悲嘆を愉しめない。

 人間こそ、人間にとって最高の娯楽である。

 亜璃紗は綺礼と同じ嗜好を持つ外道であり、その亜璃紗を手伝いをするのは綺礼にとって悪い事ではなかった。

 その少女からの頼み―――何故、断れるのか。神父として、代行者として、彼は自分を消耗させ続けて生きていた。そんな誰かの為に身を犠牲にしてきた言峰綺礼が、この場にいない理由がない。

 

「だが、これはまた壮観だな。亜璃紗が居る故に、裏切りようもないと考えていたが―――成る程。流石は衛宮切嗣。

 常道なぞ無価値であり、絶対などない。

 おまえからすれば自分の魂さえ、人を殺す為の道具になると言うことか。英霊の魂に興味を一切抱かず、サーヴァントを完全に兵器として扱う魔術師殺しだからこそ、導き出せた裏切りの手段である訳だ」

 

 神聖さに満ちた存在感。今の綺礼は聖職者以外の何物でもなく、静かな微笑みに邪な意思は感じられない。心の底から他人を祝福する神父であり、善に属する神へ仕える者。

 無論、その善性とは―――言峰綺礼が喜びとするモノ以外に他ならないが。

 

「しかし、また随分と懐かしい物を見る。凛、おまえが持つソレは、私が遠坂の弟子を卒業した記念品でもあり、遺品の一つして授けたアゾット剣か。

 全く……殆んど、忘れかけていたぞ。

 嘗て私を導き、魔道を継承させて頂いた時臣師。彼は実に優れた“魔術師”であった」

 

「……なに、そんな事知ってるわよ。それよりも、随分と含みのある言い方じゃない?」

 

「それはそうだろう。彼こそが娘を間桐の養子に送り、マキリの業を全て引き継ぎ、間桐桜と言う魔術師として大成することを願った男だ。

 そして、それはこうして現在―――実現された。

 おまえ達二人は研鑽の果て、魔術師として最後に至れる境地に居る。そのような魔法を手中に収める程の腕前を持ち、更なる深淵に潜り続ける絶対性。

 そして、その果てに冬木の聖杯を巡り、今に至る。

 姉妹同士が殺し合うこの現実を幸運なことだと、時臣師ならば楽し気に喜んでいるだろうよ。魔道に生まれた遠坂家は、実に幸福であるとな」

 

「……まぁ、でしょうね。今なら分かるわ」

 

 凛は父親を尊敬している。幼い頃の思いに間違いはなく、彼は凛に偽ることをしなかった。嘘を吐いたことも、騙したこともなかった。

 一人の人間として尊敬すべき親であり―――魔術師としても、彼は完成されていた。

 

「父さんなら、そう考えるでしょうね」

 

 親の情を持ちながらも、彼は魔術師に過ぎなかった。

 

「ああ、その通りだとも。そして、時臣師の期待通り―――間桐桜は、こうして存在している。いやはや、正しくこの惨劇は、彼の望み通りの未来である。

 ……裏切り、殺した甲斐もあったものだ」

 

「ハ―――だから、何?

 あんたがそんな奴だって事は、もう理解してるわよ。まぁ……だからと言って綺礼、あんたを再びちゃんと地獄へ叩き落とすことに迷いはないけど」

 

「クク―――素晴しいな、凛。後生大事におまえが今まで使っているそのアゾット剣で、背後から心臓を抉り込まれ、何も分からぬまま蒙昧に死んだ愚者の娘とは思えんな」

 

「―――なん、ですって……?」

 

「その剣の刃、遠坂時臣の血を啜ったものだ。師殺しに使われた凶器であり、おまえは親殺しの礼装に愛着を抱いていたのだよ」

 

「コト、ミネ……キレイ……―――アンタは、そこまでッ!!」

 

 憤怒である。邪悪とさえ呼べる程の怒気は色濃く具現し、凛の殺意は限界まで高まった。彼女本人でさえ、人生でここまで激情を爆発させた事はなく、これ以上の殺意を誰かに向けることはないと実感する程だった。

 ……なんで、そんな事を思ったのか。

 言峰綺礼は遠坂凛のそんな感情をあっさりと凌駕させた。怒りに限界などないのだと。

 

「鳶が鷹を生むとは正にこれだ。実に世界は素晴しい。私の手で罠に嵌めた女も、物の序でに思い出してしまったよ。そう言えば、哀れなあの女は気が狂って死んでしまっていたな。

 名前は果たして、なんであったか。まぁ、どうでもいいことだが。

 確か遠坂時臣から種を仕込まれ、魔術師の後継者を生み出す為だけの道具だった女だよ。遠坂凛と遠坂桜を孕まされ、聖杯戦争に巻き込まれて死んだ女が居た筈だ」

 

「何を、言って……―――」

 

「―――もう分かっているのだろう、凛。私だよ、私が元凶だ。

 最初はな、些細なことだった。手始めに時臣師を殺し、そのサーヴァントと契約したのが始まりだった。おまえ達が前回の聖杯戦争で倒したギルガメッシュだよ。そして、そのサーヴァントと共にな……―――クク。ハハハ、今もまだあの時のワインの味は思い出せるぞ。

 凛。おまえはまだ、間桐雁夜を覚えているか?」

 

「まさか、アンタ」

 

 とても楽しそうに笑う神父が一人。綺礼の笑みを見た者は誰も動けなかった。そこまで彼は不吉だった。

 

「私はギルガメッシュに提案したのだ。間桐雁夜からバーサーカーを得る為に、少し娯楽に興じようとな。

 ……今となっては間桐桜も知っていることだが、おまえも知るあの者は聖杯戦争に参加していたマスターだった。そして、あれは時臣師を恨んでいてな。それを餌にすればあっさりと釣り上げる事に成功したぞ。

 その後は面白い程に拍子抜けだった。

 私が殺した時臣師の死体に会わせ、あの女を―――おまえの母親である遠坂葵を、その現場に誘い込んだ」

 

「―――綺礼……! 言峰、綺礼!!!」

 

「ハッハッハッハッハッハッハッハ! 才能がない私が考えたにしては、アレは実に素晴しい演劇だった!!

 逆上した間桐雁夜の手で、遠坂葵の首が絞めらている哀れな光景……実に、アレは愉しかった。人間とはああでなければ面白くない。精神を剥き出しにしてこそ、走馬燈は光り輝く。

 ……恥ずかしい話、人生初めての娯楽だったからな。

 物は試しと死蔵させていたワインを急いで取り出してみたが―――……あぁ、美味かった。人間程、ワインに深みを与える酒の肴は有り得まい。

 ギルガメッシュと共に飲んだ葡萄酒の味、今でも忘れられん……」

 

「――――――死ね」

 

 分かっている。凛は誰よりも分かっている。憎しみを奔らせるのは、それこそ綺礼の思う壺。それでも耐え切れないことがある。桜が蟲にされていると知った時に匹敵する激情―――だが、既に諸悪の根源である間桐臓現は桜の手で殺害され、憎悪を晴らすことは出来なかった。

 しかし、それとは別の、家族の仇が目の前にいる。桜からすれば自分を蟲に売り払った如何でもいい血の繋がった他人なのだろうが、凛にとっては掛け替えのない家族。桜の事を知った時に得てしまった狂う程の憎悪と、綺礼から与えられた地獄のような怨念が混ざり、繋がり、融け、一つとなって魂を支配する。

 もはや限界。

 ―――遠坂凛の憎悪は、臨界を遥かに超えた。

 

「待て、遠坂……ッ――――――」

 

 士郎の声よりも早く、凛は震脚で以って綺礼に接近。士郎は急いで凛の援護に向かい、切嗣もそれに乗じて攻撃に移る。

 だが、桜も同じく跳んでいる。今この場に居る者の中、一番優れた武錬を誇るのが彼女である。エミヤ程度の技量に遅れる訳もなく、完成され尽くされた技で以って蹂躙するのみ。

 ――――アロンダイトの暗き剣閃。

 アーサー王が持つ聖剣に匹敵する裏切りの神造兵器に狂いはない。泥に沈んだ桜にだけ許される魔剣が、二人のエミヤを迎撃。

 邪魔をさせない強い意思。

 桜は渾身の武技を振って障害となった。

 それを凛は圏境で把握しながら―――強く、早く、地面を踏み込み跳んだのだ。

 

「―――綺礼……!!」

 

 死ねと言った言葉に偽りは欠片もない。絶殺を生み出す凛の絶紹。彼女の拳は迷い無く、綺礼の心臓部を狙って奔った。

 ―――とん、と軽い音で胸部に添えられる拳。

 果たして、遠坂凛に武術の基礎を教えたのは誰であったか。どれ程の高み、師を越える境地に至ろうとも、何度も何度も鍛錬で合わせた呼吸を忘れることなど有り得ない。

 

「―――戯け」

 

 憎悪に汚染されながらも、呪詛によって僅かに狂気を加速されていようとも、凛の武に狂いはなかったのに―――綺礼は、動作全てに同調していた。呼吸も、視線も、神経も、筋肉も、意識も、何かもを掌握されてしまった。

 中心点から端にまで衝撃が渡り、心肺が一気に停止する。

 ……心臓を穿ったのは綺礼の方だった。

 凛の一撃を避け、己が専心を動きを止める事に費やしていた。

 そして、強化された凛の肉体に触れたことで指の骨に亀裂が入るも、綺礼の拳は精確無比な凶器。徹底的に鍛えられた人体破壊の合理に間違いはなく、本当に僅かな一瞬だが凛の肉体を停止にまで追い込んだ。

 

「無様―――」

 

 右拳は砕けたが、何一つ問題はない。止まっている悪性心臓を強引に鼓動させ、汲み上げた呪詛を左腕に送り、悪神の加護が黒い渦となって腕の周りで螺旋を描く。

 ―――凛が止まった一瞬のみ、綺礼に勝ち目がある。

 ならば迷いは不要。流れる様に左手で彼女の顔を鷲掴み、一気に後頭部から地面へ叩き付けた。だが、強化された肉体で動く凛に傷はなく、脳が衝撃で揺れただけ。今の彼女を物理的な手段で殺すには、宝具並に概念が高められた武装でなくてはならない。

 故に―――言峰綺礼は深く笑みを刻んだ。

 生み出たのは、綺礼が作り出す呪い。左手に宿ったのは精神を“切開”し、傷跡が腐り枯れる悪魔の怨念。掴まれた頭部から直接身の内に流れ込む黒いエーテルは、意識を一気に染め上げ、凛は口から内部に入って来た泥を嚥下してしまう。

 

「―――ではその魂、我らと同じく腐り給え」

 

 祈りは此処に。

 

この世全ての悪(アンリ・マユ)――――――」











 第四次聖杯戦争から十九年も熟成した娯楽、綺礼は最後の最後まで楽しみました。父親を殺され、母親を玩具にされ、妹も狂わされ、弟子は終わっていて、友人は酷く壊れ、恋人は地獄に落ち、凛の理性は最後の一線を越えました。ここまでされて怒らないとそいつは人間じゃないと思い、綺礼もそう思ったから凛の感情に止めを刺しました。
 それでも戦い続けるからこそ、凛はヒロインじゃなくてヒーロー寄りなんですよね。


 しかし、剣豪面白いですね!
 これを無料でゲームとして楽しめるとは、良い時代になったものです。

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