神父と聖杯戦争   作:サイトー

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 セイレム、まだ始めてませんがそろそろやろうかと。知人に少しだけネタバレをされました。
 ミコラーシュがキャスターで良いとか何とか言ってましたが、随分と啓蒙高いストーリーみたいで楽しみです。多分、L字ポーズとって宇宙の神様と交信しているのがラスボスと見ました。
 且<我らに瞳を授けたまえ


後日談
献身者の墓


 嘗て、ハサン・サッバーハと名乗る男が居た。

 暗殺術の頂点と呼べる絶対的技量。豊富な学術知識に、身に修めた呪術の叡智。暗殺教団の教祖に相応しい人格と、その圧倒的なカリスマ性。彼が唱えた教えは信者の魂を掴み、瞬く間に信仰は砂漠の国へ広まった。

 しかし、彼はそれを捨てたのだ。両親に付けた貰った本来の名を棄て、教祖としてハサン・サッバーハと名を新しくし、その名前さえ捨て去り、彼の暗殺者は自分の息子に自分の名前を授けた。彼はただの山の翁となり、死に物狂いで身に付けた暗殺術と呪術さえ捨て去った。

 残った物は、仮面と鎧と―――剣と盾。これだけあれば、と彼は納得した。

 精霊も宿さず、神秘の一欠片もない剣。変哲も無いただの剣だからこそ、これを鍛えることにした。これを技とすることに決めた。

 ハサンを名乗る後継者達が獣へと堕落する前に、せめて人のまま死ねる様に。彼は生涯を掛けて鍛え上げた暗殺術を棄て、暗殺教団の秘技である始まりの地獄の天使(ザパーニーヤ)も暗殺者として捨て、せめて後に続くハサン達が大義のある人生で終われる様にと願った。

 自分を殺して手に入れた新しい“教祖の暗殺者(ハサン・ザッバーハ)”と言う自分さえ全て投げ捨て、死の谷に眠るただの山の翁へ成り果てたのだ。名無しの、暗殺者を暗殺するただの暗殺者と化してしまった。

 

「……それで、師よ。あのオヤジ、今どうなってる?」

 

 暗殺教団を創設した教祖が幽谷へ去り、二十数年後。

 

「気になるのか、ハサン」

 

「やめろ。アンタにそう言われるのは気色悪い。そもそも、まだオヤジの名を継ぐのは早い」

 

 ―――此処は、アムラート城の一室。

 二代目頭目である生薬のハサン・サッバーハと、後に葬主のハサンと呼ばれる呪術師。その二人が居るのは、初代ハサン・サッバーハが建設した砦であった。この記憶の今から考えれば未来であり、過去を回想している今のハサンすれば過去の出来事だが、このアラムート城はモンゴル帝国の侵略によって完全に破壊され尽くされている。現代においてイランに存在しているのは僅かな跡地のみ。

 今となっては、ハサン達の記憶にのみ存在する初代頭目教祖の砦だ。

 暗殺者を統べ、教えを広め、その彼が晩鐘となる事を決めた居場所。

 暗殺教団の全てが此処から始まり、終わりを迎えた場所でもあった。

 彼が作り上げた教団そのものの運営は、キヤー・ブズルグ=ウミードを後継者としてハサンは決めた。伝道局にはデフダール・アブー・アリー・アルディスターニーと、ハサン・ブン・アーダム・カラーニーの二人。軍事部門の指揮官はキヤー・バー・ジャアファルである。

 だが、暗殺者を統べる山の翁は別だ。

 呪術や武術を極めた献身者の頭目として、その時代の最も優れた暗殺者として、ハサン・サッバーハの名前は受け継がれ、影の中で存在し続けた。歴史に名を残さぬ無貌無銘のハサンで在ることが、教団を支配する本当の後継者だった。

 

「目標にしているのがアレとなれば、何時まで経ってもハサンに成れないな。こうやっている今も、あの方は谷の霊廟で剣を振って自分を鍛えている」

 

「……だろうな。あの先代、生真面目を煮詰めて、更に思い詰めてた様な人だったから。自分の心情は誰にも何も言わない。挙げ句、教団を存続させる為の監視者になると言って、俺にこの教団を渡して姿を消した」

 

 ハサンに成る前の二代目ハサンは先代―――つまり、初代ハサン・サッバーハから直接教えを受けていた。酒に堕落した兄は首を斬り落とされ、違う兄は伝道師の殺害を企てたと死に追いやられ、代わりに自分が二代目と成り上がった。元々の腕前は兄より自分が上であったと判断していたが、今は暗殺者としての技量よりも教団を繁栄させる経済能力と政治能力の方が重要だった。教祖のカリスマに頼っていた教団の運営を軌道に乗せる為には、ある程度の経済機能と神の暴力装置としての脅威が必要であった。組織力が低い今の段階では、ハサンとはただただ強いだけでは物足りない。必要なのは集団をより巨大化させ、組織を繁栄させる王としての能力。これこそが重要であり、初代ハサンが消えた直後の暗殺教団に必須なこと。

 それを考えれば、今の教団には兄の方が利点がある。自分はただの暗殺者で良い。兄ならば、教団内で一番暗殺技術を鍛えた者をハサン・サッバーハになれる機能を備えられる。二代目ハサンはそう考えていたのだが、初代ハサンはそう考えてはいなかった。

 

「そも、教団に教祖は既に不要であった。あの方の役目は教祖となり、教団を設立し、神に仕える信徒を生み出すこと。その為に自らもまた最高純度の信仰者と成り果てる必要があった。

 ……分かるか?

 この教団は、ハサン・サッバーハそのものなのだ。

 支配者は影で在らねばならず、教団指導者として、歴史に名を残してはならない。

 故に我ら悪性精霊へ奉じる呪術師一派が教団に(くみ)するのも、暗殺者に奥義を伝授する為でもあるが、そもそもあの方の為。あの方が必要とするからこそ、我らは教団に属するのみ。この邪術、彼の御方が必要としたが故に、私はお主らに呪殺の真髄を伝授する」

 

 後に四代目となる葬主のハサンは、弟子である二代目ハサンにそう語った。初代が霊廟に眠りにつくのを見届け、二代目と三代目が首を斬り落とされ死んだ後―――そのハサン達の遺体を、彼女が教団の墓へと埋葬した。五代目以降の死んだハサン達の遺体も全て回収し、教団の墓へ全て埋葬した。ハサンだけではなく、任務で死んだ暗殺者達の遺体も、回収出来た者は全て彼女が埋葬した。

 ―――秘術、地獄の天使(ザパーニーヤ)

 ハサン達の秘技。それら全ては彼女が教えた呪術が始まり。暗殺者の適性を見抜き、適切な呪術を教え、至れるように徹底して鍛え上げる。だからこそ埋葬者の呪術師たる彼女は教団内でも特別に“葬主”と呼ばれた。しかし、初代ハサンに殺されたハサン達を墓へ埋葬するハサン故に、違う意味でもまた彼女はハサン達から「葬主のハサン」と英霊の座では呼ばれている。そして、埋葬するのはハサンだけではなく、死んだ同胞の献身者の遺体も回収し、教団埋葬地区の墓地へ送り続けていた。

 

「とは言え、今はただの教団員、ただの献身者。あの方……我らが教祖の教えにより、呪術も組織の武器として有用に使われるようになった。

 それは、とても喜ばしいことだ。使われず、死蔵されるだけの兵器に価値はない。私の父も霊廟に眠る彼の御方に心惹かれ、呪術の叡智と技術を教団に提供し、私と言う呪術師の暗殺者を生み出した」

 

 始まりの髑髏の仮面を被る男。底知れぬ暗殺技術に、呪術師にも劣らぬ神秘への知識。しかし、最後に視た時の姿は髑髏兜と黒い鎧。暗殺者には程遠い騎士甲冑の姿は、暗器を使うあの人らしからぬ程に目立ち、らしくない殺人者の形だった。

 死の化身―――……なのだろう。

 しかし、死の気配が濃過ぎる変化をしてしまったあの人は、暗殺者と言うよりも処刑人になっていた。

 

「それに与えたのは呪術ばかりではない。無論のこと―――……薬物、についての知識もな」

 

「……その話か。師よ、やはり貴女は反対なされるか?」

 

「反対はせんぞ。必要ならば、悪行を成すのもまたあの先代様からの教え。元より殺人の技を生業とするこの教団で、過度な道徳は逆に害毒となる。

 ……この場所の信仰を守れる程度の、折れぬ尊厳が在れば良い。

 故に、最低限の尊厳さえ奪い取るお前のやり口は、確実に霊廟のあの方の怒りを買うぞ」

 

「かもな。だがよ、俺はこれが必要だと思う。だから行う。自分が、この山の翁で在る限りはな」

 

「薬と女、あるいは男を使った洗脳だぞ。お前自身は堕落せずにいればお前の兄弟のように、父であるあの方に首を斬り落とされることもないだろう。だが、悪徳に満ちた繁栄はお前の心を犯し、魂が腐り落ち、堕落するのも時間の問題となる。

 ―――良いのか?

 二代目ハサンとして、人生を全うする期間が短くなるぞ」

 

「構いはしねぇさ。オヤジに匹敵する後継者は俺以外にも居る。妹の方も殺人者として自分と同等の技量もあるし、ハサンの名には俺以上に相応しい三代目となる。俺が死んでも何も問題はなく、そもそも念の為に、俺も妹もそれぞれ良い相手と子供を作っておいてある」

 

「お前が良いなら、私はそれで構わんのだ。ただな、死なずに全うし、後継にハサンの銘を明け渡すことも出来るのだぞ。

 あの方、先代ハサン殿もな、人の心がある。殺人を犯せばやはり、罪によって魂が削れてしまうのだ」

 

「―――まさか。あの人が?」

 

「当然だろう。でなければ、自分を棄て、神に仕え、人の為に人を殺める苦行を為す訳がなかろうが」

 

「そうなのか。けれど、教団拡大には必要なことだ。確かに、あの人を悲しませることはしたくない。堕落した我が兄を殺した時も……ああ、そうだったな。

 人を殺すのは誰よりも巧みだが、人殺しを好んではいなかったな」

 

「ならば……―――」

 

「―――いや、使えるものは使う。

 ハサンの後継足り得る弟子にも、この考えを支持する者が一人いる。だが、あれは暗殺の素質が極めて高いが、策謀家としての才能がオヤジに並ぶ。ならばこそ、山の砦にハサンは二人要らず、あれには違う使命が必要となろう。故に我が弟子が未来、宣教師としてこのアムラート城を離れ、異教徒共が跋扈する西の土地にも教えを伝えるには、現地において即席で、強力な手駒を量産する必要がある。

 だからこそ、弟子と貴女と俺で作り上げた新たなる戦士ではないか。殺戮を尊ぶ異教の十字軍共と、我らを排斥する多宗派を抹殺する暗殺者だろうが。

 名付けて―――殉教者(フィダーイー)

 俺と貴方の教えを受けた我らの若き弟子、ラシードの思想を根底に持つダーイーの先兵だ。名前自体は今までのフィダーイーと同じだが、育て方が大きく違う」

 

 ハサンに匹敵する技量を持ちながらも、暗殺教団の砦を離れ、十字軍や他国の違う宗派の土地で戦い抜いた暗殺者がいた。山の翁と呼べる確かな能力を持ち、老人の名を世界に知らしめた戦士にして英雄。

 ラシード・ウッディーン・スィナーンと、ハサンの弟子は名乗っていた。

 二代目ハサンは、正確に言えば父の跡を継いだハサン・サッバーハ二世である。本名はハサンではないが、影の支配者としてハサンと名を変えたので、ハサン二世と言っても良いのかもしれない。とは言え、暗殺者として初代の座を継いだ事で、自分の経歴は全て消し去っており、もはや先代の教えを体現する唯のハサンでしかないのだろう。血の繋がった妹を除き、他の暗殺者と隔絶した強さを持つ故にハサンの名を継いだだけの男だった。

 その彼が自分の後継者とするのが惜しいと考えたのが、弟子であるラシードだった。

 ラシードは二代目ハサンと共に、高純度の信仰心を持つ戦士を量産する事に腐心していた。自己犠牲を厭わぬ完璧なる献身者。その対象になったのは、自ら土地や信仰を守る為に暗殺教団へ入信した者ではなく、異教徒や思想が違う者。教団の戦士に作り変えるおぞましき呪術と薬物の業により、献身を越えた殉教の意志を抱く宣教の先兵だった。

 

「ラシードは、素晴しい暗殺者であり、優れた呪術師であり―――先代様を思い出させる将の才がある。

 ハサンの名を引き継ぐことなく、この砦から離れた土地であろうとも、先代様のように国そのものと戦い抜けるだろう。異教の十字軍なる略奪者共も、多宗派の軍隊だろうと関係無く、巧く使いこなすに違いない。時に利用し、時に使い捨て、我らの教団を世界に轟かせる英雄に成り得よう。異なる信仰が根付く場所で、この教団の教えを広める事も十分に可能だろう。

 ……だが、奴が望むは、表側における英雄の地位ではない。

 求めるのは貴様が座する地位―――真に、教団本部を統べる暗殺者(ハサン)の名だ」

 

「分かっている。あれは危険だ。第二の教団も、恐らくは作り出すだろう。俺があれと進めている計画も、その軍事力を維持する為に使われることもな」

 

「本当に、貴様は分かっているのか?」

 

「安心しろ。あれは砦から独立させた事を恨むだろうが、それが弟子を成長させる栄養源となるだろう。暗殺者としての技術と呪術も無論、餞別としてザバーニーヤに等しい業も伝授しよう。

 ―――我が弟子は成長する。

 頭は良いが、今はダーイーに相応しい献身者に過ぎん。だが戦地において、ハサン・サッバーハの名に匹敵する宣教師(ダーイー)となり、何時かはその境地を自らの手で越えた信仰者となる」

 

「成る程。ならば、良い」

 

 暗殺教団と呼ばれているが、信徒全員が名無しの暗殺者である訳ではない。裏側で初代の意志を継ぐハサンが君臨しているが、表向きにはハサン・サッバーハではない指導者が存在し、他にも様々な者が暗殺者以外の役職に付いている。また、そう言った名の有る者の中にも、ハサンと同様の暗殺者としての訓練を積んだ者も多くいる。

 若いラシードはその筆頭だった。ハサン・サッバーハに代わる才能を持つが、暗殺者以外の素質にも溢れていた。彼ならば、主席宣教師に相応しい活躍をするだろうと考えていた。

 

「師よ、ハサン・サッバーハとは称号だ。最も優れた暗殺者が担う名だ。教祖の教えを継ぐ頭目として、教団の君主さえ逆らえない翁の威光を持つ。

 ……しかし、所詮は名無しの暗殺者だ。

 その本質は道具であり、教団最強の兵器であることだ。死と、力と、技による権力だ。その始まりであるオヤジは信仰の果てに空へ至り、あの霊廟が建てられた境界の住人となった。

 謂わば―――空の境界である。

 ハサンを継ぐには、名を消し、顔を潰し、己を空にし、我らの信仰を体現しなくてはならぬ。その信仰の極点に位置するが故の、頭目が発揮する威光だ。だからこそ、唯一人のハサンになれなかった才能ある者を、そのままただの献身者として死蔵するのも馬鹿らしい」

 

「何を、当たり前なことを。教団上層部は(みな)、先代様の教えで暗殺者としての業を持つ。その皆が、本当は影に座する無銘の教主を目指した。

 ……しかし、全員がお前に破れた。

 目指した信仰の頂きであるハサン・サッバーハになれなかったからこそ、その者達が我らの教団を組織として運営する幹部となり、優れた統率力を持つ者が君主として信徒の指導者(フッジャ)となったのだろうが」

 

「だから、ラシードはハサンにしねぇのよ。オヤジに似たカリスマ性がある男を、有効に使わないのはハサンとして間違っているからな」

 

 後にハサンの読み通り、ラシードは六代目主席宣教師となり、戦火渦巻く西の地で暗殺教団の支部を確立させた。そして、その支部は巨大な組織となり、本部にさえ逆らえる程に強大な権力を持つに至った。

 

「ああ、それは確かに。しかし、そうなると、異教徒共の侵略先となる西の地は地獄となるな。ラシードは今でも危険極まる宣教師だが、戦地にて更なる深化を果たすだろう。極まった才が、真なる暗殺の極意に辿り着き、我らの教団の先兵となる……いや、違うな。

 我らと殺し合える程に、あやつはハサンで在る必要もなく、あの教主の同様の信仰を垣間見ることとなる」

 

 そして、初代ハサン・サッバーハが作り上げた教団本部は、砂漠を越えた東の草原より来た帝国侵略軍によってすべからく鏖殺された。初代皇帝チンギス・カンが作り出したモンゴル帝国に滅ぼされるまで、初代頭目の居城であるアムラート城砦はハサンの本拠地として使われ続けた。

 聖杯戦争に召喚されたアサシンにとって、歴史とは過去であった。

 あの光景を彼女は覚えていた。炎が生きたまま人間を焼き、逃げ延びた者も射殺され、斬殺され、屍が作り出される地獄絵図。自分が育てた暗殺者が馬の蹄で踏み潰され、骨が折れる音がまだ脳の記憶の中に残留している。

 ハサンの暗殺一派は滅びなかった。

 ……生き残り、自分達はそのまま存続した。しかし、暗殺教団は組織として、あの帝国の先兵共の手で滅びを与えられ―――

 

 

◆◆◆

 

 

 ―――その記録を魂から掘り起こし、アサシンは暗い思い出に浸っていた。

 さてはて、あの滅びから幾年か。教団が滅ぼされた後、更にハサン・サッバーハの名が消えて何世紀か。

 生前の思い出はやはり英霊にとって薬であり、毒でもある。過去の故郷での記憶を思い出しながらも、嘗て歩んでいた道を彼女は死後もまた同じく歩き進んでいた。

 

「ただいま。戻ったよ、諸君」

 

 おかえり、と返事をする者は一人もいなかった。彼女が居る此処は、荒地の砦跡に封じられた地下墓地。生ある者は誰一人もおらず、目の前にあるのは塚の列である。夥しい数の墓が綺麗に並べられ、その中で区切られた意匠の違う墓の集まりがあった。

 合計で十九の墓。

 遺体がないものもあるが、慰霊碑としての役割は十分に果たしていよう。

 

「…………」

 

 ともあれ、生き残ってしまったものは仕方が無い。今はもう神父との契約を切ったが泥により受肉し、彼女は現世で生存することが可能になったサーヴァントの一柱。

 アサシン、ハサン・サッバーハ。

 葬主のハサンとも呼ばれる暗殺教団四代目頭目である。

 

「……不老の命、下らん。これでは石ころと同じだ。ただの無機物だ。

 無念よ。ああ、これでは死に切れん。何故、名前を得られなかったのか。あるいは―――」

 

 ―――この第二の生で、自分の人生を全うして名を得るべきなのか。

 

「いや……だが、もう過ぎ去った決別だ。だろう、皆の者。前世の死に場所に選んだこの場所で、また死のうと戻って来たのだがな」

 

 元々、暗殺教団の埋葬地区はアラムート城の地下奥深くに葬主のハサンが作った墓地だった。しかし、生前の段階で既に場所を移し、教団幹部であろうと誰も場所が知らぬ土地にあった。知っているのは、献身者として、神の意志の代行として、暗殺を行う献身者の中でもハサンに連なる者共だけ。あるいは、生きたまま役目を終えた暗殺者だけだった。

 だが、そもそも結末としては、アムラートの本部はモンゴル帝国によって壊滅した。

 戦った暗殺者達の殆んどが鏖殺され尽くした。酷い、惨い、殺戮だった。ハサンの居城も消えて無くなったのだ。教団は組織として完全に壊滅した。しかし、それでもハサンの暗殺者達は生き延びていた。残った信徒が逃げた先には主席宣教師ラシードが作り上げた西の地もあった。

 とは言え、そのハサン・サッバーハの系譜は十九代目で終わりを迎えた。

 葬主のハサンは初代に首を切られたが死ねず、モンゴル帝国が行った大量虐殺による組織消滅も生き延び、ハサンが消えてなくなる最後の最期まで見届けた。十九代目の屍もこの墓地に埋葬し、モンゴルの脅威から逃れた暗殺教団が本当に滅び去るまで暗殺者達の傍に居た。

 

「―――久しいな」

 

 そして、誰も居ない筈の墓地にて髑髏の騎士が一人、彼女の後ろで佇んでいた。

 

「お久しぶりです。冥府より戻りました、ハサン・サッバーハです」

 

「そうか。だが、良くもここまで無様を晒せた。我らの神は杯など持たず、あれは異教徒に示された神に仕える救世主の御業。それを魔術の徒が魂を贄として模倣し、更に異教の神霊が持つ大釜を本質とした神の奇跡の真似事だ。

 故に、この世に聖杯などと言う物はない。妄想と狂信を混合し、それを求める為、人を殺めるとは何事か。抱いた主への信仰に迷い、ハサンであった過去を持ちながら、殺人の罪科に彷徨うとは恥を知れ」

 

「はい。申し訳ありません、初代様」

 

「謝る必要は皆無だ。我は汝らの罪を許す資格を持たぬ。無論、同じハサン故に裁くことも有り得ぬ。それらが許される存在は天に住まう主だけである。我に可能なのは、死に場を失った亡者と成り果てる前、せめて人としての死を与えることのみ。

 天命亡きハサンは殺せぬ。

 神託無き免責は許されぬ。

 そのような事、貴様ならば我と同様に理解していよう」

 

「……はい。肯定致します」

 

「死に塗れ、命を喜びながらも聡明なる血の呪術師よ。貴様は葬主と数多のハサンめらに呼ばれながら、己自身が墓場から迷い現れた。挙げ句、魔術師の隷属として再びこの世で、信仰無き殺戮を彷徨いながら果たした所業。

 正しく、怠惰、堕落、劣化哉。

 汚濁極まるとは貴様の業だ―――首を出せ」

 

「―――……はい」

 

「だが―――」

 

 アサシンを見下ろす死神の姿。しかし、髑髏の騎士は剣を出すことはしなかった。

 

「―――もはや、構わぬ。既に汝の名へ天命は下り、神託は果たされいる。人間としての貴様の首はもう、我が遥か昔に斬り捨てた。

 ……我らハサン・サッバーハの晩鐘は二度、同じ名に鳴ることはない」

 

「有り難き、お言葉……です。初代様」

 

「だが、そも、今の我に首を断つことは不可能だ。貴様ならば理解していよう」

 

「それは……はい、その通りであります」

 

 髑髏の騎士は、言ってしまえば幻だった。アサシンのように肉体がある訳でも無く、サーヴァントのように実体を持つ訳でもない。

 もう特例でもない限り、騎士は世界に具現することは無理なのだ。

 霊廟から独自で出来る事と言えば、こうして自分の幻影を世界に映し出す程度の干渉が限界だった。

 

「我は今、眠りに付いている。この姿は蜃気楼だ」

 

「その様ですね。あの境界の、死の幽谷に住まう貴方にとって、現世の方が夢中の幻影なのでしょう。正に初代様は我々ハサンの後継達にとって、水を求め彷徨う砂漠で幻視する蜃気楼なのです。

 ……だが、何故なのです。

 貴方は何故、まだ――――死ぬことが、許されぬのですか?」

 

「貴様には関係ないことだ。これは我の定め故に。この世に我が天命の鐘がまだ鳴り響かぬが故に。よって我、未だ境界にて、最期に鳴るか否か分からぬ神託を待ち続けるのみ。

 ……しかし、我らが信仰の為に生きた貴様であれば、その問いをする資格を有する」

 

「では、何故?」

 

「世には、獣が存在する。貴様が召喚された聖杯戦争において、あの水子が封じられた杯も、サーヴァントとして生み出れば人理によるクラスを得ていた。

 ―――だが、やはり些末事だ。

 死なぬのは己が信仰の為に過ぎん。

 もはや我が身、自害によって果てる以外に終末はない。

 なれば、星と共に終わらぬことが我の天命。人類の滅びと共に消えるが定めとなる」

 

「分かりました。そう言うことであれば、教主様」

 

「……ほう。また、懐かしい呼び名だ」

 

「私にとって、やはり貴方を初代と言うのは違和感があります。恐れ多くもハサンの名を継いだ信徒としてならば兎も角、貴方の前ではそれも難しい。

 ……これも、私が死に惹かれた弱さの一つなのでしょう。

 その声を聞きますれば、その髑髏の御姿に成る前の、我ら信徒に教えを与えた頃を思い出します」

 

「肯定しよう。汝の弱さは堕落の誹りに値する。しかし、それも既に価値はない。首を斬り落とされ、(そそ)がれた罪科である。

 ……好きに呼べ。

 貴様が名無しの呪術師であるのと等しく、我もまた名無しの亡霊に過ぎん」

 

「ありがとうございます、教主様。でしたら、少し……話しをしても?」

 

「構わん。ハサン・サッバーハであれば我は正すのみだが、信徒として懺悔をすると言うのであれば拒む理由はない。

 話すべきことを話すと良い。

 話したいと考えたことを話すと良い」

 

「感謝致します。では……――――――」

 

 ―――第六次聖杯戦争。

 日本の冬木で引き起こされた魔術儀式。

 大聖杯、アンリ・マユ。

 陰陽師、安倍晴明。 

 略奪王、チンギス・カン。

 騎士王、アーサー・ペンドラゴン。

 報復王、ホグニ。

 光の御子、クー・フーリン。

 抑止の化身、ミツヅリ。

 死神、殺人貴。

 魔法使い、遠坂凛。

 殺し屋、アデルバート・ダン。

 聖騎士、デメトリオ・メランドリ。

 人造人間、エルナスフィール・フォン・アインツベルン。

 伝承保菌者、バゼット・フラガ・メクレミッツ。

 盗賊、美綴綾子。

 正義の味方、衛宮士郎。

 召喚者―――言峰士人。

 この戦争の参加者全てが狂気を抱き、殺し合い、命を賭けて聖杯を奪い合った。一人一人がハサン・サッバーハを殺し得る魔人達だった。

 

「そうか。貴様の召喚者は、貴様にとって良い魔術師で在ったようだ。それも、あの草原の獣と対峙するため、我が信仰の剣を模倣するとはな。

 ……ふむ。あの晩鐘もどきが幽谷に響いたのも、その影響だろう。

 現世から乖離した霊廟で眠るだけの日々であったが、久しく目が冴えてしまった。まさか、ハサン・サッバーハの晩鐘を為そうとする我と同じ愚か者がいようとは」 

 

「はい。私を召喚した魔術師は、我らハサンと同じく、悪で以って求道を為す者でありました。我らとの信仰が反する異教徒でしたが、神に仕えて命を奪う殺人者でした」

 

「我らハサンの中でも、貴様がその者に召喚されたのも道理であったか。

 成る程。我も霊基が召喚術式と適応するとなれば、何時かは何処ぞの魔術師に召喚される運命もまた良い未来やもしれん」

 

「―――……御冗談を」

 

「……………」

 

「……すみません。冗談は御嫌いでしたね」

 

「否。気にするでない。尤も、冗談を言った覚えも言われた覚えもないが」

 

「そうですね。貴方は何時もそうでした。申し訳御座いません」

 

 誠実且つ、実直且つ―――頑固。髑髏の鎧を着込む前、頑固者過ぎて色々と凄まじい面倒事を起こしていた教主の姿をアサシンは思い出した。何がんでも自分を絶対に曲げない男の信仰心が、その手の不真面目さを嫌っていたのを彼女ははっきりと記憶から甦らせていた。

 

「……まあ、良い。それで貴様、これから何を果たす?

 もはや我らハサンが頭目となるべき教団も潰え、導く信徒も存在せぬ。責務が消えた我と同様、貴様もまた柵を失くし、今は自由の身だ」

 

「無論、修行をやり直そうかと。まずは再び、あの巡礼の旅を行い、生前の自分を振り返る予定です。自我を見詰め直さなくては、自身の欠点を知ることも出来ません」

 

「ほう。砂漠越えか。懐かしい旅路だ」

 

「今の世ですと、あの国の名はエジプトでしたか。その後は我らハサンの弟子、六代目主席宣教師ラシードが教えを広めた地へ行く予定です。あの地も名前が代わり、今ではシリアと呼ばれているとか。異教徒と他宗派が混じり、終わらぬ凄惨な殺し合いを続けておりましたが、あの土地はまだその連鎖から抜け出せず、闘争が続いております。実際に、その中で今の人々を見てみたいのです。

 ……しかし、それでも我らが生きた時代から、もう九百数十年です。

 国も、宗教も、文化も、何もかも違う何かへ変わってしまいました。だからこそ、自分の眼で確認して練り歩くのは、良い旅の修練となりましょう。

 けれども―――巡礼だけは、変わらぬものです。そこでなら見付けられる筈です。

 生前に名が無かった私はハサン・サッバーハの名を頂けた時、とても本当に、嬉しかったのです。ですのでもう一度、自分の本当の名前を見出してみたいのです」

 

「死してまだ、足りぬ自己を修練するか」

 

「はい」

 

「―――ならば、果たせ」

 

 それだけ呟き、髑髏の騎士はアサシンの前から消え去った。この墓地は数多のハサンと暗殺者の残留思念が集い、一種の異界となっている深淵だ。だから、彼は夢の幻影として姿を投影出来たが、それも役目を叶えれば維持する必要もない。

 

「去ってしまわれたか……ええ、さらばです。

 我が存在、座の眷属となり、イスラーム(天国)にもジャハンナム(地獄)にも逝けぬ魂ではありますが、それでも何もしないまま消滅を待つ気はありません。何の価値もない写し身であろうとも、価値を作れない訳ではありません。

 足掻いてみます―――この、変わらぬ世界で」

 







 読んで頂き、ありがとうございました。
 アサシンは旅を終え、その後は生前と変わらず、人を殺して人を助け続けました。その過程で少年兵やら孤児を拾い、彼らに消え去った嘗ての教団の暗殺技術と信仰を僅かな人々だけでも良いから伝えようと伝授したりしました。子供の才能が有ろうが無かろうが関係無く、望む限りの技術と知識を与え、弟子がその力で善行をなそうが悪行をなそうが関係無く、見続ける事になります。
 その果てで、やっと名前を見付ける事になるかもしれない。そんな終わりでした。

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