神父と聖杯戦争   作:サイトー

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19.神父と麻婆豆腐

 夜。ヨーロッパに属するとある国。ここは地方都市の光が入らない路地裏。闇に覆われ、月と星の光は一切入り込む余地がない。

 

「――――お前は昔、俺が殺した筈だが……?」

 

「……確かにな。だが、私は肉体の代えなど幾らでもあるのでね」

 

 言峰士人の前にいるのはいつか殺した死徒だった。今は止めを刺したその瞬間であり、彼は油断をすることなく命を奪っていた。が、その時の相手の言葉で、1,2年前の昔に自分が一度殺した相手だったのを思い出した。

 

「しかし真に残念だ。今回もまた貴様に殺されることになるとはな」

 

「何。ただの偶然だろうよ、吸血鬼」

 

 固有結界「魂縛界」を持つ吸血種となった魂を操る魔術師。森の中で士人が不意を突き、一撃で始末したことがある相手であった。しかし、今回の戦闘は先手必勝と言う訳にもいかず、士人は吸血鬼と交戦することになった。吸血鬼にしては珍しく拳銃を武器とし、そしてこの吸血鬼は前回とは桁外れの性能と技量を持った難敵となって士人に立ち塞がった。

 

「しかし、私を殺したところで無駄なのだよ。予備の肉体は違う街に準備してある。本体である魂が入った肉体を殺されるのはまだ二度目だが……何、今回も転移は成功するだろう」

 

 死徒は心臓を聖剣で串刺しにされたまま喋っていた。

 

「ほう。……それは、つまり――――――」

 

「――――そうだ……!

 二番目の私を倒した所で、第三、第四の私がまだまだいるのだよ、代行者・・・・っ!!」

 

 士人に止めを刺された男の体は、心臓から広がって行くように灰となって消えていく。

 

「くく! くははははは!! あぁあははははははははははははははははっ!!!!!」

 

 笑い声と共に、死徒は消滅した。肺が消えても口と目で笑っていた。魔術師が消える。そしてまた、魔術師は現れることとなるだろう。限り無く不滅に近い存在。本当に「殺す」為には魂そのものを死なせる必要が出てくる。

 

「それはまた、疲れる事だな……」

 

 代行者は灰となって消えた魔術師の跡を見ながら呟いた。これはある日の代行者の日常。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 言峰士人と美綴綾子の二人は飲食店の座っている。そして、ここでは独特な音楽が流れていた。今は客も少なく、周りの席に人は座っておらず厨房からも遠い位置にある。

 

「――――へえ。

 吸血鬼なんてのも実在するのか」

 

「ああ。主に死徒と呼ばれる吸血種でな、中々狂ってる連中だぞ」

 

 綾子の言葉に士人は答えた。その時にとある死徒を一人思い出したが、今はどうでもいい事だ。魔術師上がりだったその死徒はかなり強烈なインパクトを持った奴で、どういう運命なのか、自分が何度かその魔術師を倒していた。その魔術師は限り無く不滅の存在であり、理論上、魂を潰さない限り死ぬことが無いのだ。何度か遭遇して殺し合う内に記憶に残ってしまった。

 

「じゃあ悪魔だとか妖怪なんてのもいるのかい?」

 

「無論だ。それらは確かに実在する。

 俺は悪魔召喚が可能なソロモンの魔道書の原典を見たことがあるし、日本には妖怪である鬼と人の混血がいると聞く。本物の魔である鬼も未だに存在しているのなら、自然が造り上げた天然の結界の内側。要は異界で、この現世の世を生活しているのだろうよ。

 こういった常識外の生命体は人間社会に隠れているが、人々の裏側にいるだけでしかりとこの『世界』に存在しているぞ」

 

「マジ? そんなヤバいのがいるの?」

 

「本当だ。そして大抵は人を殺し人を食べるのが当たり前の連中だな」

 

 そう言って目の前の麻婆豆腐を食べる士人。神父の話に顔を顰めていた綾子もマーボーを、あの魃店長が調理した麻婆豆腐を苦も無く食べていた。二人は今、宴歳館・泰山にいる。

 

 

◆◇◆

 

 

 学校を出た二人は商店街を目指して歩いて行く。外に出ると救急車とパトカーの音が段々としてくる。どうやら、士人がすぐに連絡した為、公共機関も迅速に動いている様だ。

 

「―――で。美味い店って何処にあるのよ?」

 

 学校から外に出た綾子は士人に問い掛ける。

 

「商店街の一角にある中華料理店だ」

 

 固まる綾子。彼女は前に一度聞いたことのあった、商店街には地獄が存在すると。彼の地の名前は、泰山。自分は食べた事はないが、なんでも紅色の煉獄がそこには顕現する、と綾子は聞いていた。

 

「まさか、それって……泰山?」

 

「なんだ、知っているのか」

 

 見事的中。

 

「そう言う冗談は好きじゃないぞ、言峰、ははははは……………」

 

 取り敢えず否定して欲しく、そんなコトを言った。ワザとらしい笑い声で、その声も段々と萎んでいった。

 

「ハハハハ……―――――――本当だ」

 

 取り敢えず笑った後、士人は肯定した。

 再度、固まる綾子。

 食通だった知人の女子が泰山の麻婆豆腐を食べて、余りの辛さに号泣して意識が保てそうになかった、と綾子は聞かされていた。その女子は辛いモノ好きで他の店のものなら激辛を食べても大丈夫な強者だが、泰山のマーボーはダメであった。

 

「……死ぬ気、アンタ?」

 

「いや、そこまで言う程ヒドくはないぞ」

 

 真顔で断言する綾子に、らしくなく傷付いた顔を向ける士人であった。二人は泰山のある商店街へ向けて足を進めていった。

 

 

◇◆◇

 

 

 それから数十分後。そんなこんなで泰山でマーボーを食べている二人。蓮華を握り、マーボーを口に運ぶ綾子。

 

「しかし、この麻婆豆腐は美味い。やっぱり噂なんてあてにしちゃダメだね」

 

「だろう? この辛さが食を進めるのだ」

 

 士人は新たに同志を得た。食とはやはり気が合う者と食べれば旨くなるのだろう。もっとも士人はそんな情緒は関係なく、ただ麻婆豆腐が好きなだけであるが。

 

「このマーボーの辛さが、こう、何と言うか、タマらないかもしれないよ」

 

「美綴、お前は実に正しい。

 今日は俺の奢りだ。好きなだけ食べて良いぞ」

 

「本当かい! じゃオカワリ頼んでもいい?」

 

「勿論だ」

 

 魃店長が聞けば感涙ものの台詞を綾子は言っていた。麻婆豆腐の理解者をバゼット以来初めて得た士人は、その祝福として気前よく綾子に奢ることを決めた。美綴が言峰に遠慮する事も無く、また、女に奢ると言った男の申し出を断るのも如何かと思い喜んでゴチになる事にした。

 常連と言えど、最近よく来店する士人を魃店長は不思議に思った。また、同じく常連だった士人の養父である綺礼が死んだのが吹っ切れた様に見え、同時に安心もしていた。

 それに今回は同じ年くらいの女の子を連れて来ていたので、内心色々と勘繰ってしまう店長だった。

 

「(士人が女を連れてくるとは、ネ。時が経つのは早いアル)」

 

 士人が初めて来た時から外見が全く変わらない魃店長は、しみじみとそんなコトを思っていた。

 二人がマーボーを食べて初めて十数分。おかわりも食べ減っていた体力や、感じていた空腹感が消える。食べている間に裏側の事を質問していた綾子だったが、そろそろ本題に入ろうとした。

 

「でさ、言峰。

 ―――――どうして間桐を殺せたんだ?」

 

 意を決して綾子は士人に問い掛けた。

 目は揺らぐ事無く、真直ぐに彼を貫いている。師匠に似ているな、とそれを見て士人は思った。そして、凛と綾子が仲が良いのも、神父は納得出来た。

 

「ほう。どうして、か……。お前は、何故、では無く、如何して、と聞くのだな」

 

「ああ、間桐が殺された理由なんて判り切ってるじゃないか。

 アンタは監督役で、間桐はあたしたちを皆殺しにしようとした犯人なんでしょ? 状況を見ればなんとなくわかるコトだし、みんなの話を聞いていれば自然と理解する。

 ――――あたしが知りたいのは、それじゃない。あたしはおまえが、どうしてそんなコトをしたのか、それを知らなくてはならないと思ったんだ」

 

 む、と悩むように首を捻る士人。そして、1、2秒間、沈黙する。そのあと合点がいったように苦笑した。

 

「……間桐の死にお前が責任を感じる必要はない。

 俺は確かに美綴との約束で下手人を倒すと言ったが、それでお前が罪悪感を感じるのはお門違いだ」

 

「―――――……ん」

 

 図星だった。綾子は士人とあの時、結界の犯人を倒すと約束して為に、間桐慎二が殺されたことに言い様のない後味の悪さがあった。それは、ただ人が死ぬという現実に対するモノだけではない。事件に関わった者として芽生える罪の意識であった。

 

「それに間桐慎二はお前を路地裏で襲った犯人でもある。

 ほら。自分を殺そうとした相手の死を悼むなど、人に褒められる趣味ではないぞ」

 

「――――悼んでなんかない。

 自分を殺そうとした人間をあたしは悼む事はしないし、出来ないよ。

 ……ただ、な。周りの人が消えるのは悲しいコトで、アンタが人を殺したのが、何と言うか……そう、虚しいと思っただけさ」

 

「そうか」

 

 綾子の言葉。人の死は悲しいのだと、人が人を殺すのは虚しいのだと、そんな当たり前の感情。それが士人にぶつけられる。神父は、それを笑顔で受け取った。神父らしい微笑だった。

 

「まあ、それはそれとしてだ。お前の、如何して、という質問に答えよう」

 

 話を区切る士人。

 

「うん」

 

 綾子は話を促した。彼は真剣な顔をしている綾子の眼を見ながら話出す。

 

「一言で言ってしまえば、代行者、だからだ。

 神父であり代行者である自分には少なからず社会的責任がある。それはな、教会に所属する代行者として魔を払い、神秘の漏洩を防ぐ事で人間社会を維持する事だ。賃金を貰い仕事に就いているのだから当然の事だが、自分の仕事は果たさなければならないだろう。それにこれは、信仰、という精神的な宗教上の事でもあるしな」

 

それを聞いて綾子は、はぁ、と溜め息を吐く。

 

「……だから言峰さ。あたしは、どうして、と聞いているのよ」

 

 長くなりそうな話。綾子は呆れ顔で、結論を言え、とそんな意味のコトを喋り掛ける。言われた彼は、相変わらずないつも通りの笑顔で謝罪する。……もっとも彼の表情は全然すまなそうではなかったが。逆にイラつかせるのを楽しんでいるみたいであった。

 

「すまないな。では、長話になる前に話を纏めよう」

 

 神父は一息入れてから語り出す。

 

「俺の話は簡単でな。血に酔った化け物も、魔に狂っていた間桐慎二も、浄化の対象としては大差がなかったからだ。

 衛宮にも言ったが、あそこで間桐慎二という大量虐殺未遂犯を取り逃がすのは職務怠慢にも程がある。それにアレは隠すべき神秘の漏洩を全く気にしていなかった。殺さない方がどうかしている。さらにアレは監督役を殺すと敵対してきた違反者でもあったからな」

 

 士人の答え。間桐慎二は人殺しに過ぎなかったから殺した、とそう言った。

 それもただの人殺しでは無く、魔に属する人殺し。解り易く言ってしまえば、警察官が民間人を守るために仕方なく発砲して犯人を殺したようなモノだ、と士人は綾子に説明した。つまり今回の事はそれが裏側の場合に変化しただけ。警察官役が言峰士人であり、犯人役が間桐慎二に当てはまるのだった。

 

「そうかい。つまりアンタにとってはアレが日常だって、コトか……」

 

 綾子は理解する、この神父にとって殺し殺されは当たり前の日常でしかないのだと。あの場で間桐慎二を処断したのは当然の事であり、彼にとっては殺し合いは慣れ切った出来事に過ぎなかった。殺人を悪だと識っていながら当然の様に出来るのなら、それは言峰士人からすれば既に許容したモノなのだろう。

 

「そうだな。日常とは少し違うが、今回に似たモノは良くある事だ」

 

 そう答える士人。だが自分で言った言葉に違和感があったのか、むぅ、と怪訝そうな顔をする。

 

「……いや。やはり美綴が言った様に日常と言ってもいいかもしれないな。

 魔に属する悲劇は俺にとって既に違和感がない。教会の仕事はこのようなコトばかりだからな」

 

 神父は学校に行き、教会や遠坂邸で過ごす日々を日常だと考えていた。友人と話をしたり、学校で勉学に励み、師匠と魔術の修行をしたり、鍛錬に没頭したり、そんな日々を日常と考えていたのだ。代行者として、化け物や魔術師を討伐するのは非日常と士人は扱っていた。

 しかしいざ考えてみれば、これらにはあまり大差を感じるコトはない。士人は綾子に問われ、彼は日常も非日常も、自分にはその二つに境界が存在しないことに気が付いた。

 

「ふ~ん。なんと言うか、ご苦労様だな、それ」

 

「……いや。お前に労われてもな。

 しかもその言葉には全くのゼロと言える程、誠意が欠片も込められていないぞ」

 

 呆れ顔の神父。対面に座る友人にジト目を向けた。

 

「まあ、ね。それは今のあたしが実感できる世界ではないし。正直言って今の状況については、なにがなんだかさっぱりだわ」

 

「ふむ。まあ、それもそうだろうな。そもそも此方の知識がない美綴に理解しろというのが酷な話、こういうのは慣れが大切だ」

 

 疲れた様子の綾子は手元にあるお冷をグイッと一杯飲む。美味かったが灼熱としたマーボーの痕である、口に残った煉獄の熱が水に冷やされて引いていく。

 

「そう。まあ、話はだいたいわかったよ。

 アンタは別に正義感や偽善心で間桐をヤったって訳じゃないのね」

 

 と、彼女はそんなコトを喋った。取り敢えずと言った感じであるが聞きたいコトは士人から聞けたようだった。

 

「ああ。そもそも感情で誰かを殺めたことは一度も無い」

 

「―――――………。そっかぁ………」

 

 長く沈黙した後、綾子がそう呟く。と、丁度その時のことだった。

 

「ハイ、追加の杏仁豆腐お待たせアル。

 ……若いお二人さんは遠慮しないでもっとゆっくりしていくといいネ、フッフッフ」

 

 ―――まさにエアブレイク。そして店長は、ニタリ、と言う擬音が似合う笑顔を士人に向ける。

 年齢不明のロリ中華な店長はまるで、お邪魔ムシは退散アル~、と言いたげな雰囲気で厨房に戻って行った。

 

「……なあ言峰。あの店長、なんか勘違いしてない?」

 

 綾子は去って行く魃店長の後ろ姿を見て話し掛ける。そして士人の方に向き直った。

 

「………………む?」

 

「(――――こいつ、杏仁豆腐食ってるよ……)」

 

 綾子の視線を今気付いたように声を上げる士人。彼女は、パクパク、とデザートを食べて、食後を楽しんでる神父が目に入った。

 

「はぁ……ったく」

 

 悪態をつく美綴綾子。そして、ヤレヤレ、と首を振る。そうして綾子は、目の前の杏仁豆腐を食べる為にスプーンを握る。士人の様子を見ていた彼女は神父が、自分のコトを何も気にしていないのか、そもそも店長の妄言を聞いていなかったのか、と予想した。

 とは言え綾子は、あの言峰が色恋沙汰であたふたする姿など全く想像出来ないのであるが。彼女が今思うと、感情的な言峰を見た事が無かったのに気付く。怒鳴ったり、恥ずかしがったり、怖がったり、とそんな姿を見た事がなかったのだ。

 

「気にするな美綴。俺は別に不快ではない」

 

「――――――へ?」

 

 まさに不意打ち。真顔で士人が綾子に言った。

 

「……え、いや、ちょっと!?」

 

 無関心な姿を見せておきながら時間差で話掛けてきた士人に戸惑う綾子。学校で綾子に見せる人をからかったヘラヘラとした笑顔でもなく、お気楽で自由気侭な雰囲気も無く、死んだ魚のように無関心な目でも無く、物凄く男前な表情と意志が宿った目で士人は綾子を見ていた。一言で纏めてしまえば、カッコいいのだ。それも普段の士人と今の士人とのギャップがかなりスゴいことになっている。そりゃ戸惑って当然だった。

 

「―――――――――ク」

 

 と、そんな綾子から視線を逸らして神父は笑った。凄く失礼な笑い声だった。

 

「……オイ」

 

 震える声。綾子は理解する、自分はからかわれたのだと。そして思った、乙女の心を笑った外道神父に天罰をと。

 

「気にするな美綴。ただ何だ、少しからかいたくなっただけだ。他意は全くない」

 

「気にするわ! ってか、他意はないってどういうコト!?」

 

 再度混乱に落とされる綾子。そして、ククク、笑う士人がそこにいた、杏仁豆腐のスプーンを握りながらではあるが。

 

「さて? お前の好きに考えるといい」

 

何故(なにゆえ)っ!? それとアンタはあたしの質問にちゃんと答えろ!!」

 

 とぼける士人にツッコミを入れる綾子。第三者から見れば青春を謳歌する高校生同士の痴話喧嘩。所謂、青春の一時と言ったところだろう。社会人が見れば自分の青春時代を思い出す微笑ましい光景。または嫉妬を感じる光景だろうか。

 

「まあ、落ち着け美綴。その可哀想な様に免じて冗談はここまでにしてやろう」

 

 そしてソンナコトを言う神父さん。彼はとても良い笑顔をしているのであった。

 

「ア、アンタってヤツは! 本当に!!」

 

 震えるスプーン。綾子が握っているスプーンは今折れても不思議ではない程の握りっぷりであった。ついでであるが、厨房にまで聞こえてくる綾子の声は、魃店長からしてみれば痴話喧嘩にしか聞こえなかった。

 

「だから落ち着くといい、美綴。それでは杏仁豆腐を味わって食べられないぞ」

 

 パクリ、と食べ続けている士人。

 

「………なんかもう疲れた」

 

 スプーンでデザートを掬う。

 

「―――おぉ、これはなかなか」

 

 口の中に溶け込むように味わい深いソレ。さっきまでの表情を一転させ、綾子の顔が笑みを作る。それは疲れた心を癒してくれる味だった。

 

「ここの杏仁豆腐は店長秘伝の手作りだからな、そこらのモノとは質が違う。そして値段も良心的なのだ」

 

「ほうほう……って。随分詳しいな」

 

「まあな。俺はここの常連でな、もう十年近く通っている」

 

「それはまた長いね」

 

 士人が一掬いして口にスプーンを運ぶ。その後、味わった口の中の杏仁豆腐を喉に飲み込んだ。

 

「……気になったのがな、美綴」

 

「ん?」

 

 一口食べた後に彼は目の前の少女に問い掛ける。

 

「俺は人殺しだぞ? それにしてはお前の反応は酷く薄く感じられる」

 

 それは彼にとって当然の疑問だった。衣食住を保護され人権を約束された日本では、どのような理由があろうと殺人は禁忌となる。いや、どの様な理由があろうとも人を殺すという事は道徳に反し、現代日本の思想では殺人は罪悪とされる。その国の高等学校に通う女学生にとって士人のような人外の力を持つ人殺しは化け物に見える筈だ。

 美綴綾子にとって言峰士人という存在は殺人を許容した異常者。嫌悪感を覚え自分から遠ざけたいと思うのが当然の話だ。

 

「いや、アンタが何をしようが、言峰は言峰でしょ? 特に思うコトはないね」

 

 そう言って、また食べ始める綾子。それを見て、キョトンとした雰囲気になる士人。

 

「これはまた。予想外というか、何と言えばいいか……」

 

 む、と悩んだ顔になった神父。彼の目の前にいる彼女はそんな士人を面白そうに見ていた。

 

「……どうしたのよ。変なことでも言ったかい?」

 

 言われた士人は、むむ、とさらに悩んだ表情を浮かべる。

 

「まあ、変と言えば変だな。

 人の死を嫌悪するのは日本人の感覚としては当然の倫理観だ。殺人者を嫌悪するのもまた同じ。どの様な理由があろうと、人が人を害する姿は醜く映るのが自然だと思うのだがな。

 それに人の営みは善悪で区別され成り立っている。勿論、個人個人で認識は違ってくるが、お前にとって、『殺人』は、『悪』に属する人間の営みである筈だ」

 

 もっともどう考えるかは美綴の好きだが、と彼は最後に呟いた。

 

「―――と、言われてもね。

 あたしは殺害現場を見ていた訳でもないし、実感なんてないんだぞ」

 

 悩んだ雰囲気で綾子は士人に応える。

 

「それでも変だ。お前は真実として俺の行いを知っている。俺を否定しないコトは俺が間桐慎二を死に追いやったコトを否定しないのと同じだ。

 ―――お前はそれをわかっているのか、美綴?」

 

「………わかってるよ。

 人殺しはいけない。けどね、別に間桐が殺されたことにはなんの感慨もない。

 さっきも言ったが、人が死ぬのは悲しいコトで、そしてあたしが感じたのはそんなモノさ。間桐慎二が死んだコトで、特別に何かを思う事は別にないんだ」

 

 士人は黙ってそれを聞いている。

 

「例えるなら、そうだね、ニュースで人の死を知るのに近いかな。それが悲しい事とは思う、でも心に響くモノが何もないのさ。

 惨劇の場にいて、聖杯戦争に関わった者として、思うコトは多々ある。あたしがアンタにああ言わなくても結果は変わらないんだろうけど、間桐慎二の死にも関わってるから罪悪感に似た感傷も少なからず存在するよ。まあ、本当にちょっとしたモノだけどね」

 

 そう言った彼女は、パクリ、と掬っていたデザートを一口。

 

「なんとまあ、これは驚きだ。お前も大分歪んでいるのだな」

 

「失礼だね、アンタ」

 

 憮然とした顔を向ける。もっとも、歪んでいると言われて愉快な気分になれる人はそうそういないだろうから普通であるが。それに対して神父は笑顔を返した。

 

「いやいや。俺は褒めているのだよ、美綴。

 ――――お前の心は歪んでいる。

 平和に生きて来たお前が、突然目の前で起きた惨劇とそれによる人の死を許容できる時点で、普通の精神とは何処かが最初からおかしいのだろう。魔に適した人間というのはそういう部分が精神に少なからず存在する。

 美綴。お前にはやはり、此方側の才能が有りそうだ」

 

「……そうかねえ。

 あたしは自分の認識は普通だと思うよ。だって突然の惨劇と言っても惨劇自体が起こるのはわかってたし。それに間桐が死んだっていっても、いちいち他人の死に構っていたら疲れるだろ?

 身内の人間なら兎も角、他人は他人故に関心が湧かない。無関心なヤツがどうなっても関心は得られないのが普通だと思う……ま、あたしはだけど」

 

 そう言ってまた水を飲む綾子。やはりマーボー適性が高かった彼女も初めての泰山製麻婆豆腐は舌にくるモノがあった。杏仁豆腐だけでは、このマーボー、完全な口直しにはならないのだ。水のひんやり感がなんとも言えない。そして水を飲んでもまだ口の中がヒリヒリする。だが今の綾子にはそれさえも心地良かった。

綺礼や士人と同じで、綾子は確実にマーボー中毒になっていた。

 

「ふむ。では間桐はどうでもいいと?」

 

「部活の時以外では、ね。あいつとは部長と副部長という関係だけさ。間桐の死は悲しいモノだけど、それ以外はこれといって何も」

 

 綾子は「美綴綾子」として、間桐慎二には特別な思いやりはないと告げた。それを聞いて楽しそうに笑みを深める士人。彼は声を少し漏らして笑みを浮かべている。

 

「―――ク。そうか。

 しかしアレは学校の生徒を傷つけた外道だぞ。それについて思った事も、その挙句死んだアレに対しても何も思う事は無いと、お前はそう言うのか?」

 

「ないね。学校の人は今も心配だけど、間桐には全く。

 詳しく聞いてないからまだ学校の友達が全員無事かどうかわからないけど、一人でも生徒が間桐の犠牲になってたら遠坂はもっと暗くなってる筈だもの。過剰な不安はあまりないわ。

 あと確かに間桐のああいった行為は心底腹が立つが、死んだ人間自体には感情が湧かない」

 

 そう断言した。興味が無いと、関心がないと、身内でも無い悪党の死に思うことがないと。

 

「なるほど。お前がそう言うのなら俺は特に言うことはない。

 ……それと学校の方は安心して良いと思うぞ。見た限りだが、一番被害が大きいところでも死人は皆無であった」

 

「―――そっか。そりゃ良かったよ」

 

 

 安心した様に綾子は頷いた。

 

 

◆◇◆

 

 

 杏仁豆腐を完食した二人。口直しに頼んだデザートも楽しみ、今はお冷を一杯飲んでいるところだった。水を飲んだ士人が声を上げる。

 

「しかし随分と内心をブチまけるな。如何したのだ、一体?」

 

 話をしていく内に気になっていったコト。本来なら他人に隠しておくべき自分の内心を語る綾子を不可思議に思うのは当然だった。そして綾子が話していた事は自分自身の倫理観に関わる事柄だ。あまり他人に打ち明けるような内容ではない。

 

「アンタ相手に隠しゴトをしたって意味がないじゃない。身近な人に自分の本音を喋るのはひどく恥ずかしいけど、言峰が相手じゃ羞恥心が欠片も湧かないよ。

 それにアンタは神父さんなんでしょ、こういう話を聞くのが仕事じゃないのかい?」

 

 何でもないように綾子は言った。

 

「確かにそうだが。ふむ。まあ、お前の言う通り他人の懺悔を聞くのも俺の役目。お前の話を聞く事に不満は欠片も無いが、如何にも気になったのでな」

 

 神父は机に肘をつき、顔の前で手を指で合わせている。そんな士人を見ながら綾子はコップを片手に持ちながら、もう片方の腕の肘を机につき手で顔を支えていた。ふ~ん、と彼女は士人の会話に相槌する。

 

「しかし言峰、なんでこんなにあたしの質問に答えてくれるんだ? 裏側のコトは極力秘匿するのが義務じゃなかったのかとあたしは思うんだけど」

 

 疑問の声を上げる綾子。それに士人は呆れた声で返答する。

 

「……まったく、何を今更。

 気付いてないならここで言っておくが、お前は既に手遅れだ。完全に此方側の人間になっているのだよ」

 

「―――――は?」

 

 思わず口から漏れた声。

 

「いやいやいや。そんな話は全然聞いてないよ。……それ、どういうコト?」

 

 当然の疑問だった。自分はまだ一般人という認識である綾子は、異端の道を知ってしまった唯の女学生だ、と自分のことを考えていた。

 

「無自覚な素質で俺の精神干渉を完殺したお前が、前と何も変わらない日常に戻れるわけないだろう。別に特にこれと言って今までの生活が変わることもないが、異端を知った者として非日常と同時に日常を生きていく事になる」

 

「えっと、それはつまり……?」

 

 いまいち理解しづらい言葉まわしである士人の話に首をひねる。

 

「資格の有無だよ。美綴が此方側に来たいなら来ると良い。また来たくないなら別にそれで良い。

 そもそもこの冬木の地において、お前の生殺与奪は全てセカンドオーナーの遠坂凛にある。アレの弟子である俺は、半ば聖杯戦争の管轄から外れているお前の処遇を決める権利はないのだ。この地の異能力者の管理は師匠に責任があるからな」

 

 その話を聞いて思いっきり顔を顰める綾子。眉を歪め眉間に皺が寄っていて、どれ程悩んでいるか表情で良く解かる。

 

「―――生殺与奪って。その、遠坂が……?」

 

 戸惑いながら口を開ける。士人はそれを聞いて、ウム、と頷いてから話し始める。

 

「ああ、そうだぞ。しかしな、師匠は要らぬ殺生は好まないし、俺も殺さなくてよい人物を態々殺す殺人嗜好者ではない。

 本来なら異端を知った者は始末するのが魔術師の慣わしだが、ここのセカンドオーナーは魔術師とは思えない程のお人好しだ。まあ、その人の弟子である俺が『お人好し』などと言える事ではないのだがな。

 ……簡単にな、今のお前の状況を纏めて言ってしまえば、不幸中の幸い、という言葉通りの状態だ」 

 

 と、士人は話を終えた。そしてこの話を聞いて綾子は言い様の無い奇妙な気分となる。魔術などと言うのは本来なら御伽話だ。そこに、英霊と何でも叶う聖杯、さらにこの世界は幻想の生き物が跋扈する魔窟みたいな世界だと知る事となった。そして自分もそんな異端どもの一部分となってしまったみたいなのだ。

 未知に対する興味と血生臭い世界に対する不安。その二つが彼女の内にあった。

 

「なんだか面倒なコトになってるのね。じゃあ結局、聖杯戦争が終わったらあたしはどうすればいいのよ?」

 

 結論を知っておきたい。どうせ悩むのなら時間は多い方が良い、と綾子は考えた。

 

「お前の好きにして良いぞ。

 俺としては学びたいというなら魔術を学んで構わないし、このまま日常を過ごしたいというならこの事を忘れて生きていけばいい。

 だがまあ、この戦争で師匠が生き残ったら、美綴の意見を聞いた上で最終的な決定は師匠が決めるだろうよ。しかしお前はもう記憶の消去という段階はもう過ぎ去ってしまったからな、俺の意見では最低でもある程度は知っておき此方側の存在になるのが最善だと思うぞ。まぁ、無理矢理消去されると言う選択肢もあるにはあるのだが。

 此方側に来たとしても必ずしも魔に関わって生きていく必要がある訳でもないしな」

 

「……へぇ~」

 

 いまいち明確なビジョンが浮かばないので、綾子は気の抜けた声で取り敢えず相槌をうっておいた。ある程度の問答を終えた彼ら。入店してから長い時間が既に経っている。言峰士人と美綴綾子は結構長居をしてしまっていた。

 水を飲んでいた士人だが、前にいる綾子へと声を掛ける。

 

「さて、空腹も満たされた事だ。そろそろ帰るとしよう」

 

「そうだね」

 

 そう言って二人は席を立つ。お会計を済ませるためレジへと歩いて行く士人の後ろを綾子は付いて行った。


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