神父と聖杯戦争   作:サイトー

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 ガス無しで風呂が冷水。この時期ですので地獄です、コキュートスです。そしてコンロも使えない。


32.Cannon gem

 冬木市新都。アサシンから情報を聞いた後、士人が借り宿のリビングルームで休息をとっている。テーブルには書類が積み上げられており、椅子に深く座っている彼は仕事終わりにと、知り合いの魔女の薬草で作った煙草を吹かして一服中。一目で高級品と理解できるソファーにはギルガメッシュが腰を落ち着かせており、夜の楽しみとしてテレビを観ながらワインを飲む。

 そして、リビングルームの隣にある寝室には、治療が施されたイリヤスフィールが死んだ様に眠りに付いていた。自由を得たアサシンは相も変わらず、神父から私服を借り、夜の冬木市探索と出掛けている訳であった。

 

「――――はぁ……」

 

 煙草を吸い終わった士人が、ソファーに座るギルに視線を向ける。その顔は無表情であり、普段は笑顔が多い彼とは纏う雰囲気が全くの別物だ。

 

「………ギル、あの黒いサーヴァントは何だったのだ?」

 

 感情を浮かべない神父の問い。彼の中には如何やら解けきれない疑念があるみたいだ。

 

「――――ハ。まさか貴様、気が付いていないのか?」

 

 紅い目を爛々と輝かえて臣下を見るギルガメッシュ。彼は士人の問いが意外であり、ワカラナイと言葉を漏らした神父が愉快であった。

 

「………不可思議にも程があるのだ。

 何故、如何して、あのサーヴァントがアレを装備している。あの武装は俺が今、開発を現在進行させているモノの筈。

 頭の中の空想でしかない存在(モノ)を、何故あのサーヴァントが持っている……」

 

 もはや魔眼レベルで扱える解析魔術。視界に入る存在を調べ、脳味噌に情報を叩き込む魔術が、士人に疑問を抱かせていた。黒いサーヴァントの僧衣、あれは士人が頭の中だけで考案していた魔術礼装だ。あの黒衣と他の装備品も、士人の空想の世界にしか存在しないモノ。

 初めて直接黒衣のサーヴァントを見た時、彼は疑念を顔に出さなかった。だが、空想がそのまま目の前で現実になって現われる光景はそう、気味が悪いとでも言うべきだろうか。彼の心は疑念で溢れるが、しかし、もし現実が“そう”ならば真実は一つしか存在しない。

 

「ならば答えは一つだ。……もっとも、真実を知ろうが、無知のまま終わりを迎えようが、この聖杯戦争の結末は同じモノとなる。

 ―――故に、真実を知りたければ、自分の目で確かめる事だな」

 

 愉しげに笑みを浮かべ、美味そうに葡萄酒を喉に流し込む。ギルガメッシュは笑顔を深めながら、今後の仕上げを無言で思案する。

 

「―――なる、ほど……そうか。

 聖杯以外にも愉しむ余地が、この聖杯戦争には有る訳か……」

 

 

 夜は更け、また朝が来る。彼らの戦場が時と共に近づく。第五次聖杯戦争の終わりが、静かに始まろうとしていた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 遠坂凛と衛宮士郎は番人であるアーチャーを同盟者の二人に任せ、教会内へと乗り込んで行く。目的地は勿論、キャスターとそのマスターが潜伏する地下礼拝堂。

 

「悠長にやっている時間はないわ。アヴェンジャーがアーチャーと決着をつける前にキャスターを倒すわよ」

 

「わかってる。ここから無駄口はなしだ。

 ―――それと。本当にキャスターをまかせていいんだな、遠坂」

 

「ええ。とことんまで追い詰められるだろうけど、それでも手を出さないで。士郎は葛木先生をできるだけ引き離してくれればいい」

 

 礼拝堂を走り込んだ勢いのまま、中庭に続く扉へ向かう。

 キャスターの気配が近くなり、教会はだんだんと化け物の胃袋に入った様な魔窟へと雰囲気を変貌させていく。清浄な空気は欠片も無く、中は禍々しい魔女の魔力で満ちている。

 

「―――――投影(トレース)開始(オン)

 

 士郎は出来るだけ丁寧に工程を編み、八つの段階を踏んで幻想を具現した。慣れた仕草でアーチャーが愛用する干将・莫耶を握りしめる。

 彼は軽い頭痛に襲われたが、顔を僅かに顰めるだけで耐える。この魔術の負荷は確実に、使用者である衛宮士郎を侵している。

 

「…………………」

 

「?」

 

 ふ、と気の所為か、士郎は凛が俯いた様に見えた。

 しかし、戦闘を前に集中を切らす事は出来ず、彼は疑問を殺して凛と共に闇を降りていく。地下に通じる階段を走り抜け、一際広い空間へ出た。後は以前と同じよう、階段の手すりから聖堂へ飛び降りた。

 

「あら。飛び降りてくるなんて、まるで猿ね。

 何を急いでいるのか知らないけど、人間なんだから階段くらいは使いなさい」

 

 着地をする二人に聞こえたのは嘲りの声だった。奇襲に近い乱入に対し、魔女は余裕を見せている。フードの影で解からないが、おそらく彼女は自分に楯突く無知蒙昧な魔術師を愚弄している笑顔を作っているのだろう。

 

「――――――――」

 

 そして、その隣には葛木宗一郎がいた。

 殺気が無ければ敵意も無く、ただ視線を此方に向けるのみ。静かな立ち姿だが、それが彼の戦闘態勢。透明な殺意によって葛木宗一郎と言う脅威を隠している。

 

「……………―――――」 

 

 キャスターと葛木宗一郎の後ろには、衛宮士郎のサーヴァントであったセイバーの姿がある。状況は二日前のまま、彼女は磔にされて頭を下げている。

 士郎は間に合ったと思う反面、静かな様子が気になる。以前に見た時はキャスターの魔力に逆らい、苦しげであった。それが今では凍りついたかの如く、静かだった。

 イヤな予感に精神が軋んだ。アサシンがいないのは僥倖だが、この不安が的中してしまえば生きて帰れない。

 

「来たわよキャスター。色々考えたんだけど、やっぱり貴女には消えて貰う事にしたわ。

 目障りだし邪魔だし煩わしいし、なによりその格好が気にくわないのよね。いまどき紫のローブなんて、どこの田舎者よって感じでさ」

 

 憎まれ口を叩く凛だが、心中は真逆だ。その証拠に彼女はじりじりと距離をつめ、攻撃の機会を虎視眈々と狙っている。眼に余裕はなく、獲物に喰らい付く猛禽類のように鋭い視線。

 左回りにキャスターへ間合いを近づける凛に対し、士郎は右回りに距離を詰めていた。葛木をキャスターから引き離す為、彼もまた戦況を読むことに専念している。

 

「――――ふん。見逃してもらった分際で、随分と勘違いをしたようね。いまどきの魔術師は皆こう猪頭なのかしら。これではアーチャーが見限るのも当然ね」

 

 凛の罵詈雑言が癪に障ったのか、キャスターは疎ましげに彼女を睨みつける。

 その隙にと士郎は位置を移動させていくが、それを無言で葛木は見据えていた。この程度の策を見逃す男ではないが、彼は全て承知の上で行動している。

 衛宮士郎が自分を狙い、遠坂凛がキャスターを狙い、各個撃破を目論んでいる事も。何かしらの秘策を持って戦いに挑んできている事も、葛木宗一郎は気が付いている。それを踏まえてなお、キャスターの好きにさせているならば、その消極性からいって彼は傀儡に近いマスターだった。

 後方支援を得意とするサーヴァントと、白兵戦を専門とするマスター。本来の立場が逆転している二人は、この聖杯戦争における在り方も逆さになっていた。聖杯を執拗に求めるにキャスターと、自分の意志も無くキャスターを守る葛木宗一郎。もし、この二人が聖杯戦争の定理に当て嵌まる様に、立場も在り方も逆に成っていれば、ここまで外れた道を取る事なかったかもしれない、と。そんな無駄な事を、士郎は刹那の間に考えていた。

 

「それじゃ始めましょうか。貴女との小競り合いもこれで三度目。いいかげん、ここでカタをつけてあげる」

 

 一歩、凛はキャスターへ間合いをつめる。

 

「大きくでたわね。まさかとは思うけど、本気で私に勝てると思っているのお嬢さん?

 だとしたら腕比べどころの話じゃないわ。今回も見逃して上げるから、まずその根性を直していらっしゃいな」

 

「そんなの、勝てるに決まってるじゃない。

 だってそうでしょう? 貴女みたいな三流魔術師に、一流である魔術師(わたし)が負ける筈ないんだもの」

 

「――――そう。なら仕方ないわね。

 その増長、厳しく躾ける必要があるようね、お嬢さん」

 

 構えは同時、それが合図。

 士郎は無防備になるキャスターへ襲い掛かり、

 

「っ………!」

 

 当然の様に、葛木の一撃に阻まれる。

 幽鬼の如く佇む暗殺者。時間稼ぎなどさせぬ、と殺意で知らしめるように士郎の命を殺(ト)りに掛った。セイバーさえ追い詰めた“蛇”を繰り出し、致死の嵐が巻き起こる。

 士郎の技量では持って一分。拳に宿る毒に牙を剥かれたら最後、抵抗も虚しく死に逝くだけ。それは凛も同じであり、本来なら同じ分野で格上の敵に勝利する術は無い。戦う相手が逆でなければ勝ち目は無い。

 ―――だが、逆を言えば少しは戦いになった。葛木を相手にすれば遠坂は成す術も無く殺され、キャスターと士郎が戦えば一瞬で灰に変わる。反面、この組み合わせならば瞬殺される事はない。

 つまり、この戦いはどう倒すか、では無く。凛と士郎にとって、互いに格上の相手に対してどこまで保つかと言う、そんな綱渡りであった。

 

「―――――」

 

 無音のまま、毒に塗れた死神の鎌の如き左拳の連撃が放たれ続ける。右拳は今か今かと眼前の獲物に狙いを定めるのみ。

 

「っ―――――――!」

 

 士郎は襲い掛かる拳を必死に防いでいた。ただ双剣を動かし捌き続ける。

 アレの拳は生きた『蛇』そのものだ。紙一重で避けたところで、躱した直後に軌道を捻じ曲げて喰らい噛み付く。セイバーはなまじ蛇の拳を紙一重で躱せる反射神経を持っていたが故に、蛇の餌食となり深手を負った。

 もっとも、士郎にはそんなセイバーの様な芸当は行えない。紙一重で回避するなんて事は到底不可能であり、そもそも拳を見ることさえ出来ていなかった。不可視のものを自分から防ぐ事など、彼の技量ではまだ無理だ。

 

「が――――――!」

 

 肩口。左鎖骨に拳が掠り、激痛が全身に浸透する。

 

「は、ぐ―――――!」

 

 まるで玄翁を振り落とされたと錯覚する程の痛み。そのまま肩ごと左腕を噛み砕かれたような感覚に、士郎は短剣を落とし掛けた。

 しかし、彼は踏み止まって攻撃に耐え、右の短剣で眉間に迫る拳を弾く。ガギィン、という剣が剣とぶつかり合って響くような金属音が鳴る。必死になって後退するが、士郎の前には葛木が既に間合いを消していた。

 

「は――――」

 

 身震いする程の戦慄。その構えに死神を視る。

 次こそ耐えきれないと士郎の脳裏に諦めが奔った。そもそも、彼がここまで堪え切れたこと自体、異常なまで良く戦闘を保てた健闘だった。

 葛木宗一郎は衛宮士郎の戦法を理解している。前回の戦いで自分が殺し切れなかった原因、それは彼が何度も虚空から生み出す双剣に他ならない。逆に言えば、双剣への対処を間違えなければ殺し切れた。あの陰陽の短剣を始末してしまえば、衛宮士郎は殺すだけの獲物に成り下がる。仕事は簡単、仕上げまでの道筋も見えている。宗一郎にとって殺しとは、呼吸をするのと同じくらい簡単な動作である。

 故に葛木宗一郎が考え付いた殺し手は単純だった。目の前の敵から厄介な守りを作る武器を、その陰陽の双剣を奪ってしまえば良い。

 

「―――――――――」

 

「づ―――――――!」

 

 まず、右の短剣を砕いた。キャスターの魔術で硬化した拳は、わずか数合で未熟な投影宝具を粉砕した。

 

「――――投影(トレース)再開(オン)………!」

 

 即座に破壊された剣が複製される。無理な投影では最初の双剣の完成度は望めない。結果として即席の投影では、数撃は受け止めきれた双剣の精度を段々と落としていく。奈落の穴へ転がり落ちる悪寒の中で、士郎はそんなチキンレースを走り抜かねばならなかった。

 呼吸を殺し切れず、荒い息を上げる。無我夢中で蛇に短剣を合わせる。肉体は双剣に従うだけ、しかし、限界は越えている彼の五体は既に悲鳴さえ上がらない。

 加えて、魔術行使の度に襲われる頭痛。砕かれ、再び投影すればガリガリと内側を削られていく。魔力では無い。剣を一つ、また一つと鍛えて複製する度に、数少ない魔術回路が消えていくような感覚。だが士郎はこの苦行に耐えるしかない。

 ゼロになるのはもはや目前。作れてあと二本。彼の魔力貯蔵が尽きた瞬間、戦いは呆気なく最期を迎える。

 

「え――――――――あ?」

 

 ガン、と言う鈍い轟音。衛宮士郎が吹き飛ばされた。

 葛木宗一郎の右拳。不動のまま狙いを定めていた鉄槌が、ついに槍の如く撃ち放たれた。

 

「―――――――」

 

 士郎の肋ごと貫く筈だった一撃は、交差した双剣が受けていた。自身の必殺を防がれた光景に感じるモノはないのか、宗一郎は相変わらず無表情であり無音を崩さない。

 しかし、双剣は完全に破壊され、衝撃で士郎はそのまま吹き飛ばされた。ドン、と思いっ切り背中が壁にぶつかった感触で、士郎は自分が五メートル近い距離を弾き飛ばされたと悟る。

 

「は、――――つ」

 

 呼吸が出来なかった。肺が停止していた。内蔵が麻痺している。

 衝撃で心臓の鼓動さえ痺れた状態では、呼吸はおろか手足さえ動かせない。僅か数秒、心臓の活動が再開するその空白に―――幽鬼は迫る。このまま士郎の状態が続けば、六度殺しても余りある。

 

「――――――――――――」

 

 倒れ込んだまま士郎は眼前の敵を睨み付ける。その視線を受けた宗一郎に変化はなく、その空虚な両目には獲物の死を静かに映し出している。

 まだ諦めないと戦意を明らかにする士郎だが、戦うべき手足は動かない。しかし、元より彼は剣を振るう側の人間ではない。成すべきことは足止めであり、最大の武器は初めから魔術である。故に諦めず、受けた役目を果たせずに諦められることなど出来はしない。

 士郎は自分にまだ出来るコトは有る筈だと、戦術を構成すべく思考を巡らせ―――礼拝堂内で拳を叩き付けた打撃音が響き渡った。

 

「え?」

 

「――――――――――」

 

 その音は、衛宮士郎と葛木宗一郎の戦闘で鳴ったモノではなかった。

 士郎は思い描いていた剣の構造が消えた。葛木は首を螺子切ろうと詰め寄った足を止めた。

 

 ―――その異変は葛木の背後から。

 祭壇を背にしたキャスターから起きたものであった。

 

 

◆◆◆

 

 

 劣勢を強いられていたのは彼女も同じであった。いや、実力差を明確に把握している為、彼女の負担は彼より大きなものであっただろう。その分、胆は完全に座っていたが。

 

「―――Αερο―――」

 

 余裕に満ちた仕草でキャスターは凛に指を向ける。

 紡がれる魔術は『病風(アエロー)』。キャスターは詠唱など必要としない。神代に生きた魔女にとって、自身と世界を繋げる手順(じゅもん)など不要なのだ。キャスターは常として歯車(せかい)を回す神秘を帯びている。彼女にとって魔術とは命じるだけの、己が番犬に『襲え』と告げているに等しい。

 

「―――――Acht(八番)……!」

 

 それを秘蔵の宝石で相殺する。キャスター相手に呪文詠唱の機会などない。持ち込んだ十の宝石に貯めた十年分の魔力全てを使い切る覚悟、それこそが自分を奮い立たせる険しい戦意となり自分の足を支えている。

 

「ふふ、健気に頑張ること。そんな奥の手があるとは思わなかったわ、お嬢さん」

 

 自分の魔術を純粋な魔力で消されながらも、キャスターの微笑は消えなかった。それもその筈、キャスターは殆んど無限に魔術を行使できるが、宝石と言う増幅器で対抗する遠坂凛には勝ち目は限り無く零に近い。

 歴然とした魔術師としての差。それこそ魔法使いクラスに至っているキャスターにしてみれば、遠坂凛程度の魔術師のレベルでは恐怖心すら湧かないだろう。持っている宝石は所詮十か二十と言ったところであり、そんなモノでキャスターが敗北する道理など存在しなかった。

 

「――――Sieben(七番)……!」

 

 繰り出された電荷を七つ目の宝石で相殺する。残る宝石は後六つ。

 

「あら、綺麗に防ぎきるのね。本当に健気。自分だけ守っていれば石を使い切る事も無いでしょうに」

 

「――――ッ」

 

 クスクスと嘲笑う声を聞こえないかのような無反応で、遠坂凛は次弾に備えて新たな宝石を指にはさみ込む。キャスターの言った通り、自分だけ守っていれば宝石は砕ける事無く三回は役に立つだろう。しかし、それは出来ない。キャスターの魔術はひとたび発動すれば聖堂を覆い、この場に居る人間全員に襲い掛かる。キャスターに護られている葛木宗一郎は兎も角、衛宮士郎は焼け死ぬことになろう。

 

「ふうん、まだ守りきるつもり? 大した信念ですけど、それはいつまで保つかしらね。受けてばかりでは結果は見えていてよ、お嬢さん」

 

キャスターの指が動く。

 

「―――――――Sechs(六番) Ein Flus, ein(冬の)Halt()……!」

 

 それに、彼女は先手に取った。受けてばかりでは宝石は失い殺されるのは目に見えている。キャスターの魔術と遠坂凛の宝石。そこに込められた魔力が同等ならば、先手を取れば倒し得ると言う事だ―――!

 

「―――Κεραινο―――」

 

 だが、それでもキャスターの魔術には程遠い。そもそも両者の戦いに“先手”は初めから存在しない。あるのは力による押し合いのみ。同等の速度で攻撃し合える二人にとって敗北とは、先に魔力が尽きた方に訪れる。

 故に―――

 

Funf(五番、),Drei(三番、),Vier(四番)……!

 Der Riese(終局、) und brennt(炎の剣、) das ein(相乗) Ende――――!」

 

 もはや、純粋に押し通る。連続で秘蔵の宝石を使い潰し、キャスターの何もかもを魔力で塗り潰す―――!

 解放した宝石は三つ。加えて虎の子であった四番を用いて、禁呪である相乗さえ重ねた。それは遠坂凛の限界を超えた魔術。

 ―――その魔術を紫の魔女は、事も無げに防いでしまった。

 いや、それは相殺どころの話では無かった。キャスターは自分に向かってきた魔力、その全てを衣の中に呑み込んだのだ。

 

「―――――――」

 

 愕然と立ち尽くす。そして、その背後では彼が敗北した音が聞こえた。砕かれる鉄の音と、肉が石に叩きつけられる音。

 勝敗はここに決しようとしていた。為す術も無くよろよろと、力が抜けた様に体が前のめりに流れていく遠坂凛。

 

「あら、これで終わり? まだ手持ちの宝石もあるのでしょう?

 諦めずに、なくなるまで試して見たら?」

 

「――――――」

 

 答える気力など無かった。幾つ宝石があろうと今の攻撃が最大であった。それが通じない以上、“遠坂凛の魔術”では“キャスターの魔術”を破れない。

 

「そう。ようやく理解したようね。何をしようが私には敵わないと。けれど楽しくはあったわお嬢さん。魔術を競い合うのは久しぶりでしたからね。

 ええ、それだけでも貴女に価値を与えましょう」

 

「っ―――――」

 

 前のめりに倒れる足を堪え、吐き気を手で押さえて、彼女はキャスターを睨み付ける。

 

「悔しい? けれどこれが現実よ。むしろ誇りなさい。

 遊んであげたとはいえ、貴女はこの私に魔術戦をさせたのだから」

 

 そうして魔女は魔術師を指さした。これが最期であると伝える様に。

 

「消えなさい。あの坊やが私のマスターに倒されるのは時間の問題。

 その前に―――こちらも、そろそろ終わりにしましょう」

 

 ゆっくりと死を呟くキャスター。

 ―――その油断。その断定こそを、遠坂凛はずっと待ち望んでいた。

 

stark(二番)―――Gros zwei(強化)

 

 ―――解放する呪文はただの一言。

 俯いたまま、口元を微笑みに歪ませて呟いた。宝石によって強化術式が完全に自身の肉体を別物に作り変え、遠坂凛は常識外の怪物と化す―――!

 

「――――――!?」

 

 ―――その瞬間、キャスターの貌が驚愕に染まる。それは魔術師として浮かんでしまった驚きだ。

 止めを刺す為に放った魔術を相殺されるのは良い。足掻くなら諦めるまで殺すまで。しかし、自分と魔術戦を演じてみせたその魔術師本人が魔術を隠れ蓑に、自分に殴り掛ってくるとはどういう事なのか―――!?

 

「ご――――ふ……!?」

 

 パリン、という音。素人が見れば瞬間移動としか思えない速度で間合いを詰め、凛がキャスターの胸に打ち込んだのは中国拳法で言う所の寸頚だった。

 それも唯の悪足掻きでは無い。葛木宗一郎と戦った時より尚素早く強靭な一撃。キャスターもマスターから敵の情報を教えて貰って接近戦対策をしておいたが、まさかここまで容易く自身の“守り”を砕くと計算外にも程がある。

 キャスターとて策として、接近戦を挑まれたとしても防いで捕えたところを魔術で殺すつもりであった。しかし、先程までキャスターとさえ魔術戦を行える人間が、ここまでの領域とは想像もしていなかった。この魔術師の少女は十代程度の年齢で自分と魔術戦が可能なほど魔術を鍛え上げ、さらに肉体面でも達人級なまでに技術を鍛え込んでいる事となる。それは何処まで異常な才能があれば可能なレベルなのか、サーヴァントであるキャスターも戦慄する程だ。

 まだ完全には破壊されていない術式防護膜であるが、それでも伝わって来る衝撃は確実に致命傷を与えられる威力を持つ。このままでは殺されるとキャスターは脳髄が凍った。

 

「―――、魔術師のクセに、殴り合いなんて……!」

 

「おあいにくさま…! 今時の魔術師ってのは、護身術も必修科目よ……!」

 

 次の瞬間、凛の体が沈む。両手を床に付け、キャスターの膝元まで屈みこむ。格闘の心得などないキャスターからすれば、それこそ目前から消え去ったと錯覚する程の素早さだ。

 ダン、という肉で肉を打つ音が響く。体ごと回す旋脚の足払いにより、鈍い一撃がキャスターの足を蹴り折らんとばかりに炸裂した。

 

「きゃ―――――――――――――!?」

 

 足を払われ、背中から地面へ崩れるキャスター。―――だが、遠坂凛の攻撃は終わらない。足払いの後、キャスターに背中を向けたまま立ち上がりかけ、回転する勢いのまま肘を叩き込み―――

 

「飛べ……!」

 

 体の回転を止め、とんでもなく腰の入った正拳を炸裂させた―――!

 

「ごふ………!」

 

 吹き飛ぶキャスター。肉体を爆散させても不思議ではない正拳突きが直撃し、彼女は衛宮士郎と同じ様で壁まで叩きつけられた。

 

「ぁ――――あ」

 

 背中を壁に預け、朦朧と吐息を漏らす。致命傷を負ったのか、呼吸と共に口から血が流れ出る。

 

「取った――――っ!」

 

 瀕死のキャスターに止めを刺すべく距離を詰める。ここまで虫の息となったサーヴァントならばマスターでも容易く仕留められる。地を蹴り飛ばして吹き飛ばした数メートルを走り抜け、凛はキャスターに迫った。

 時間にして数秒もなかった攻防。余力のないキャスターを仕留める為、強化魔術により彼女は暴力の化身と成った。時間にして数秒程度の“強化”。それこそ遠坂凛が用意した策であり、それを成功させるために自分に不利な魔術戦を演じてみせた。

 そうして遠坂凛の策は成った。キャスターは欺かれ完全な敗北に喫した。この戦いは遠坂凛の勝ちに終わっていた――――

 

「――――いや。そこまでだ、遠坂」

 

 ―――そう、この男がここまでの怪物でなければ。

 キャスターに迫る凛が風ならば、それは雷が走るような悪夢でしかない速度。サーヴァントに匹敵する身体能力。

 

「――――――――」

 

 遠坂凛の表情が凍る。凛も士郎も口さえ開けないのか、完全な無音が礼拝堂に満ちる。

 

「……――――――!!」

 

 凛の肉体が危機に反応して動き出す。死を直感して咄嗟に顔を守り後ろに跳んだ瞬間、葛木の右腕から繰り出せれる一撃が、遠坂凛の顔面を強打した。

 顔を守り後ろへ跳んで衝撃を減らしたにも関わらず、それでもなお威力を殺しきれないのか、凛は大きく弾き飛ばされた。

 

「勝機を逃したな。四度打ち込んで殺せなかったおまえの未熟だ」

 

 葛木の言葉を聞き、不意に凛は疲れたように目線を顔ごと地面に下げる。そして凛は誰にも見られないように顔を歪めた。

 

「―――くく……」

 

 ニタァ、という擬音が良く似合う笑顔。正に悪魔の笑い。

 それは罠に掛っている事にも気付かず狩人に抵抗する哀れな獲物を見るような、自分が陥っている状況に気付かない草食動物に牙を絶てる肉食動物のような貌。

 

 

「……“läßt(解放)”―――――――!」

 

 

 ―――呪文が唱えられた。

 紫の魔女の意識が戻ったその瞬間、キャスターの胸に付着した宝石が爆音と共に炸裂した―――!

 

 

「――――――――――――――――――――」

 

 為す術も無くキャスターが爆ぜる。魔術を成す間もなく、避ける機会も無く、キャスターと葛木宗一郎の二人が礼拝堂の石壁へ吹き飛んでいく。

 

「……勝機ならもう、作れる瞬間にとっとと作っておいたわ」

 

 ―――勝負は最初の寸頚でキャスターへ一撃を与えた時点で決していた。

 宝石を手の平に隠すと共に一打し、予め張り付くよう呪文を刻んだ宝石を敵の体に接着させる。そして対象人物と自分の距離が離れた瞬間、その宝石を爆散させて致命傷を与える簡単な魔術だ。体に付着させて爆発させるので、強力な対魔力を保有していても完全に防ぎきれない死の一撃であり、絶対的な殺傷性を誇るゼロ距離爆破である。

 意外にもこの悪辣な魔術戦闘法を開発したのは遠坂凛であり、これは宝石魔術と肉弾戦を応用した奥の手だ。自分の弟子が代行者として戦ってきた本物の怪物達の話を聞き、そこから生み出した数ある必殺魔術の一つ。そして弟子と一緒に考えた宝石魔術を使った戦闘術の一つ。

 奥の手を出すならば、更なる奥の手が無くてはならない。カタチに拘る事無く殺し手が沢山ある方が生き残れると、遠坂凛は言峰士人から教えて貰っていた。必要なのは敵対者が考え付かず、そして対策の仕様が無い攻撃が理想形だと。それも、殺せると確信出来る瞬間を待ち続け、その機会を逃さず仕留めなければならないと。

 

「―――――っ」

 

 肉と石が互いにぶつかった鈍い音が礼拝堂に響く。爆発と壁に当たった衝撃で葛木宗一郎の呼吸が停止する。

 その状態の中、彼は鈍い苦痛を感じながらも閉じていた目を開き、そして――――上半身だけになったメディアが目の前に転がっていた。

 疑うまでも無く死に体だった。今生きていようとも数秒後には必ず死んでいる悲惨な状態。人型でさえない残骸になってしまったキャスターは、呪文はおろか、もう声一つとて上げられないだろう。

 

「――――――――」

 

 キャスターの視界に宗一郎が目に入る。彼の身に刻まれた手遅れなまでの致命傷。死期は近く、その命も幾許かであろうか。

 魔術師でもなく、聖杯に興味がある訳でもないのにここまで付き合ってくれた自分のマスター。倒れ込む彼を見た彼女は、紅い血で顔が汚れながらも、心の底から優しげに笑顔を浮かべた。

 

 

――愛しています、宗一郎――

 

 

 最期に望みを果たした魔女は、マスターの前で唇のみ動かして、その思い(呪文)を最期に伝える。

 自分の心を伝えた後、彼女は薄っすら儚い笑みを浮かべて、愛しい男の目の前で消えて逝った。私が死んでも、貴方だけは死なないで欲しいと思いながら。その願いが届かないと解りながらも、届いて欲しいと望みながら消滅していった。

 

「…………………―――」

 

 葛木宗一郎の目の前で、キャスターの姿が砂と変わっていく。彼は己のサーヴァントが死んで逝く光景を見届ける。

 

「―――そう、か……………」

 

 ポツリ、とそう呟く。

 そうして彼の心臓は静かに止まった。強引に留めていた意識を闇に墜とし、一人のマスターが戦争から脱落していった。

 

「……――――――――」

 

 ……凄惨な末路。キャスターの敗北。礼拝堂に広がる赤色の景色。

 だがその流血の残り痕も、キャスターの消滅と共に世界から消えるのであろう。倒れ込みながらも、共に血の中に沈むキャスターと葛木宗一郎を見て、凛は静かに宣言する。

 

「―――してやったわ」

 

 キャスターを助けにきた葛木諸共、凛は宝石魔術の解放により吹き飛ばした。血が散り撒かれ、キャスターは腹を境に引き千切られる。弟子の神父に良く似た笑顔を浮かべている凛だが、その表情を良く見れば苦しげに引き攣っている事が見て取れる。

 

 ――――初めて、彼女は初めてその手で人を殺した。

 

 遠坂凛は魔術師として、己が願望の為に両手を真っ赤に汚した。殺し合いに挑み勝利した、彼女の父が凛にそう望んで託した様に。“遠坂”の魔術師で在るならば、敵を倒したその事実こそ称賛され、他に思ってしまった感傷に大した意味は無い。

 

「……はは」

 

 それは何に対しての笑いなのか、傍で彼女を見る士郎には判らなかった。しかし、士郎は薄ら笑う凛の姿が悲しくて、何か声を掛けなければと強く思った。

 

「……遠さ―――」

 

「さ、士郎。……セイバーを助けないと」

 

 だが、彼の言葉は凛の言葉で途切れた。

 この聖杯戦争において感傷は不要なのだと、殺した罪悪からくる後悔など本当に意味が無いのだと、凛は目で士郎を制した。

 それにそもそも、凛に手を汚した事で感じる後悔は無い。彼女の心に有るのはそう、自分がキャスターと言う女を殺したと言う過去を忘れないように、葛木宗一郎と言う一人の男が冬木にはいたのだと、その事を忘れないでおこうと思っただけ。心の贅肉と遠坂凛が良く例えるモノがあった。

 

「……そうだな」

 

 彼は凛に近づき、倒れ込む彼女に手を差し伸べた。くすり、と苦笑を浮かべて手を握りしめ、凛は傷付いた体で立ち上がる。

 

「ざまぁ見なさい、キャスター。

 現世の魔術師を――――“遠坂”の魔術師をなめんじゃないっての」

 

 憎たらしくモノを言い放つ。キャスターの残骸を背後に、彼女の顔には不敵な笑みが浮かんでいる。それは敗者に対する勝者の決別。負けて死んだキャスターにしても、遠坂凛に自分の死を悼まれても気色が悪いだけだろう。

 

「遠坂は本当に“遠坂”なんだな」

 

「…………ふん。なにそれ、褒めてるの?」

 

「当たり前だろ」

 

 即答だった。他意は無いが、だからこそ失礼極まりない励まし。

 殺して生き残る、これはそんな戦いだった。士郎の中の蟠(わだかま)りは理想が続く限り取れないモノだが、正義の味方を目指す彼は決して目を背けなかった。背ける事が出来なかった。

 

「士郎の癖に生意気ね」

 

 不器用な笑顔を浮かべる凛であるが、士郎の言葉は素直に嬉しかった。そう、自分に言い聞かせて、彼に笑い掛ける。凛も士郎と同じで不器用な性格なのに違いはない。

 

「―――素晴しいな、凛。

 マスターでありながらサーヴァントを打倒するとは。英霊である私から見ても、君には恐れ入るよ」

 

 

 ……唐突に礼拝堂で響く声。

 

 

「―――アー、チャー……?」

 

 

 そんな凛の呟きは、虚空から撃ち下されてくる剣軍により空気へと消えた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 教会から出て来た人間は二人――士郎とセイバーだけであった。バゼットの視界には同盟者の一人である少女の姿は無い。勿論、先程自身の相棒と殺し合いを演じていた紅いサーヴァントの姿も無い。

 

「――………ん?

 凛の姿が見当たりませんが、どうしたのですか?」

 

 黒いフードを被ったサーヴァントを従える魔術師。教会から出てきたセイバーと士郎は、教会の前で待っていたバゼットとアヴェンジャーに出会う。士郎と凛とは数分前に別れたばかりで直ぐの再会だが、セイバーと対面するのは今回の聖杯戦争では初めてだ。

 そして、セイバーもバゼットに会うのは初めてなのだが、彼女が背後に従える黒衣の男には十分すぎるほど見覚えがある。

 

「――貴様、アヴェンジャー……!」

 

「ほう。久方ぶりだな、セイバー。また再会出来て何よりだ」

 

 不可視の剣を自分達に向け睨みつけるセイバーに、彼はなんの気を負う雰囲気も無く構えていた。セイバーの殺気からマスターを守る様に自然と前に立つ。

 そして彼は僧衣のフードで顔を隠しておらず、セイバーは初めてアヴェンジャーの素顔を直視した。その男に向け、刃の如く鋭い視線を叩きつける。

 

「―――――……」

 

 数日ぶりに黒衣のサーヴァントを見て、セイバーはこの男の情報を一瞬で思考する。

 彼女は召喚直後に黒衣の男と戦闘を行い、殺され掛っていた自身のマスターの命を助けた。しかし、そのサーヴァントと戦闘を行って撃退しても、真名は勿論、クラス名さえ判明できなかった。だがセイバーは同盟を組み、今では自身のマスターである遠坂凛からの情報で、召喚された直後に戦った黒衣のサーヴァントのクラス名だけは知る事が出来ていた。

 黒衣のサーヴァント、クラスはアヴェンジャー。解かっているのはそれだけの不気味な正体不明、それがセイバーが抱くアヴェンジャーの率直な考え。双剣で戦うスタイルはアーチャーと被っており、異様なまでに不吉な印象に残っていた。彼女の脳裏には、アヴェンジャーに対して黒く不吉なイメージが底にこびり付いている。

 

「我々は今、お前のマスターと同盟関係を組んでいる。

 出来ればその険呑な殺意を内に収めて欲しいのだが、セイバー(お嬢さん)?」

 

 不可視の剣を自分に向けるセイバーを胡乱気な視線で見ながら、口元を笑みの形で歪める。

 

「故にだ、剣士ごっこのパントマイムはそこまでにして欲しい」

 

「……っ」

 

 ギリ、と視線の圧力が増す。にたりと笑うこの男にセイバーは斬撃を叩き込みたくなる。その笑い方を見ると昔に戦った事がある黄金の男を何故か思い出されて癇に障った。

 

「挑発はそこまでにしてくれ、アヴェンジャー。

 それにセイバーも剣を収めてくれないか。あの二人はセイバーを助ける為に協力してくれたんだ」

 

「ですがシロウ!」

 

 自分の相棒を静める士郎と自分の主に抗議の視線を向けるセイバー。ついでにだが、アヴェンジャーの後ろで疲れた様にヤレヤレと首を振るバゼットがいた。士郎はバゼットのその姿に諦めを感じ取れた、主にアヴェンジャーに対しての。普段からこのサーヴァントはこんな雰囲気で会話をするのが常なのだろう。

 

「ほほう。マスターぶりも随分と板が付いて来たものだな、魔術師。最初に串刺しにした時と比べ、お前も“らしい”顔をするようになってきた様だ」

 

「……誰の所為だと思っているんだ、誰の」

 

 士郎は疲れた視線でアヴェンジャーの睨みつけてみるが、睨みつけられた本人は愉しそうに笑っているだけの効果しかなかった。

 この聖杯戦争に巻き込まれた根本的な原因は、アヴェンジャーが士郎の心臓を貫いた事件である。その事実は士郎もアヴェンジャーも理解しており、それが分かっていながら士郎に笑い掛けるアヴェンジャーの性格は最悪だ。実にこのサーヴァントの人格は歪んでいる。

 バゼットもそこら辺の事で色々と思うところがあるのか、申し訳なさそうに謝罪の視線を士郎に向ける。彼女は一般人を殺害するのに苦痛を感じるくらいには倫理観を捨てては無く、そもそも衛宮士郎殺害未遂はサーヴァントの独断だった。そして、そんなバゼットの姿をセイバーは見てしまい、このマスターは苦労人ですね、と勝手に結論付けた。

 

「辛辣な態度だな、衛宮士郎。

 ……まぁ、それはそれとしてだ。マスターが初めに言ったが、遠坂凛がいないようだが、教会の中では一体何があった?」

 

「………―――」

 

 バゼットとアヴェンジャーの視線は鋭い。しかし、ここに遠坂凛がいないと言う事はそれなりの理由があり、原因も限られある程度は予想出来る。故にバゼットの表情はある種の緊張が出ており、アヴェンジャーは相も変わらず笑みを浮かべていた。

 

「キャスターを倒せた。……けど、遠坂はアーチャーに攫われた」

 

「なるほど。そこまで強行手段に打って出たのか、アレは。随分と追い込まれているな」

 

 苦悩に歪んでた士郎の顔が更に歪む。目を閉じて眉間に皺を作る彼の姿をセイバーは心配そうに見守っている。

 そして士郎はアヴェンジャーが“この事”をまるで納得しているかのような言葉を聞き、脳裏にある疑念が浮かび上がる。このサーヴァントは知っているのではないかと、自分が感じたアヴェンジャーの違和感が伝えてくる。

 

「……アヴェンジャー。あんた、アイツを知ってるのか?」

 

「―――ああ。アーチャーの正体はとうに判っていた。遠い昔になるが、ヤツとは生前からの知り合いだ。

 だからこそ、キャスター討伐に俺は協力した訳でもあるのだがな」

 

「―――――――」

 

 呼吸が止まるとはこのコトか。知っているとはつまり、不可解なアーチャーの行動原理も知り得ているという訳で。士郎に憎悪を向ける理由も、凛を裏切った理由も、セイバーを以前から知っている様な態度も、おそらくそれら全ての要因をアヴェンジャーを知っていた事になる。もはや不気味を通り過ぎ、士郎は自分の心が凍ったのを実感する。

 

「―――アヴェンジャー。貴様は何者だ?」

 

 凍りつく士郎に代わりセイバーがアヴァンジャーに詰め寄った。丁度一歩踏み込めば剣の間合いであり、戦闘を直ぐにでも始められ、更に背後にいる自分のマスターを守れる位置。

 それを観察しながらアヴェンジャーを態度を最初のものと変えることなく、当たり前の事を喋るかの如く自然に口を開いた。

 

「―――神父だよ。

 生前は神に仕えていた唯の人間だった」

 

「……? 貴様は何を言って―――」

 

 怪訝そうに自分を睨むセイバーに笑みを浮かべながら、しかし彼の視線は士郎に向いている。その言葉と誰かに似た雰囲気と顔立ち。唐突に全てが繋がり、士郎の脳裏に一人の人物が浮かび上がった。

 

「―――アヴェンジャー、もしかしておまえは…………っ!」

 

 なんの意図で自分に正体を勘付かせているのか理解出来ない。

 士郎の内に広がり精神を蝕む疑念。そして見えてくるサーヴァントとマスターの関係性。目前の男を見て薄々雰囲気だけ似ていると思ったが、ここまで類似点が多ければアイツを疑わなければならない。

 

「そこまでですアヴェンジャー。…それに士郎君とセイバーも、今は問答に時間を潰している暇は有りません」

 

 そうして、士郎の言葉を遮る様にバゼットが会話に入り込む。これ以上このサーヴァントの娯楽に付き合うのは危険だ。

 

「すまないな衛宮士郎。俺の真名など隠す価値も無いが、マスターにとっては違うモノなのでね」

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ―――教会での戦いが終わる。

 セイバーは遠坂凛と契約する事で生き長らえたが、彼女のマスターに新しくなった遠坂凛はアーチャーに浚われた。アーチャーは衛宮士郎との因縁に決着を付ける為、過去の自分に提案されたアインツベルン城に去って行った。

 

「………………」

 

 無音の中、神父が歩む。足取りは重々しく、周りを注意しながら進む。

 人気は消え、暗く静まり返った冬木教会。戦場の空気は流れ、闘争が満ちる戦場の血臭は消えた。今の教会は物静かに、本来の主たる言峰士人の帰還をただ歓迎する。

 かつんかつん、とその教会の中を進み、士人は地下礼拝堂へ足を運んでいる。自身の工房であり、キャスターに荒らされた被害状況を確認する為だった。

 もっとも自分の工房は魔術師から見てば、それなりの宝が溢れているので、そこまで酷い状況ではないだろうと予想していた。破壊衝動よりも収集したくなる物欲が湧く位には、士人の作品は神域の領域に入っている。

 ギルガメッシュの宝物庫から情報を得て作られた作品集。妖精文字や原初のルーン、あるいは統一言語が消え去る前の太古の世界で使われていた魔術言語の文字や、神々の文字が刻まれた魔術礼装は通常の神秘の規格外だ。魔力が込められた文字はそれだけで神秘を宿す。そして、その神秘を物造りの分野にしか使えない当たりが士人が士人たる所以だろう。知識だけ有っても、自分の分野にしか活かせないのだ。しかし、こと道具造りの分野に関してならば、誰よりも有能で万能な魔術師でもある。あの固有結界が良い証拠だ。

 黙々と工房や教会の修復の事をあれこれ思考しながらも、表情は全く無く、悲惨な状況を嘆く独り言も無し。彼はただ真っ直ぐ目的地を目指す。

 

「……………―――」

 

 ―――その途中、彼は血塗れで煤けた葛木宗一郎を見つけた。

 

「―――ほう。死んでいないのか」

 

 死体と変わらない姿。何も映さない瞳。

 遠坂凛と衛宮士郎に敗北を喫し、パートナーであり偽りの妻であり、愛そうともしていたキャスターさえ守れず殺され――――それでも葛木宗一郎は生きていた。

 

「―――――――――」

 

 皮肉にもキャスターが死に際で願った、“死なないで欲しい”と言う願いが届いたのだろう。

 葛木宗一郎の心臓は爆発の衝撃で止まり、脳も機能を停止させていた。そして有る程度の時が過ぎ、彼は蘇生した。一時的な仮死状態から復活した。

 ―――しかし、それは必然だった。

 何故ならば、キャスターが命を振り絞って最期の最後で治癒を施した。それは奇跡としか言えない魔女の神秘。魔女は魔女で在るが故に人の死は癒やせず、死を遠ざける事しか出来ない。しかし、僅かながらに致命を癒し、その死期を少し伸ばしていた。

 

「――――………………」

 

 何もかもが終わった礼拝堂で目を覚ました後、彼は無音で天井を見つめていた。隣にいたキャスターの遺体は既に魔力を霧散させ、跡形も無い。言峰士人の足音に気付きながらも、彼の声を聞きながらも、葛木宗一郎はただ、視線を宙に漂わせているだけ。

 ――――無言のまま死に逝く男。それを見下ろし、神父は告げる。

 

「生きたいか、葛木宗一郎」

 

「――――ああ」

 

「キャスターが死に、それでも聖杯を欲するか」

 

「――――ああ」

 

「何故、お前は戦うと決めた」

 

「――――拒む理由が無い」

 

 余りにも単純な答え。生も死も、葛木宗一郎に違いは無い。生き残って聖杯を手に入れるコトも、手に入らず殺害されるコトも、彼からすれば等価値の未来であった。だが、それでも、この男はサーヴァントのマスターであろうと自分に役目を課している、キャスター本人が死んだ今でさえ。

 ―――神父は笑う。自分と似たモノを抱える男に祝福を。

 そして、人殺しの道具でしかなかった男は確かにキャスターが死んだ瞬間、心の中に蠢くモノを感じ取れた。




 溜めていた分がこれで無くなりました。ここからは凄まじい亀更新になる予定です。後の展開も少なくなり、第五次聖杯戦争ももう少しで終わるでしょう。
 この作品を読んで頂き、有り難う御座いました。

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