神父と聖杯戦争   作:サイトー

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35.魂の尊厳

「―――殺人貴……ッ!」

 

「もう、やめておけ。アンタじゃ俺を殺せない」

 

 腕を切り落され左目から血を流す女が、目の前の黒装束の男を睨み付ける。

 

「ふざけるな、てめぇ……!

 アンタだけはこの手で殺すって決めたんだ! 諦めら切れるか……っ!!」

 

 黒装束の男が困った様に蒼い目を空へ向けた。自分の目の前に息も絶え絶えになった女魔術師が一人、地面に横たわっていた。

 

「困ったな。今あんたを殺すと後が面倒なんだよ……」

 

「ああ、そうかい。

 殺すのは駄目でも左目と左腕を“殺す”のは構わないって言うのか…っ」

 

「命が有れば何とかなる。こんな世界だ、方法は腐るほど存在するさ」

 

「……男が女に言う言葉とは思えないね、屑野郎」

 

「はぁ……ったく。化け物に言われるのは何ともないが、アンタみたいな良識ある女に言われると、流石の俺でも傷付くよ」

 

 隻眼隻腕になった女に魔力はもう無い。今の状態はまな板の上の鯛にも等しい。それにそもそも、この黒装束の男の強さは既に死徒二十七祖に並び、危険度も一桁台に到達している。知り合いの神父や正義の味方に匹敵、あるいは凌駕するまでの真性の魔人。魔法に至った友人さえも恐らくは、当たり前のように殺されてしまう死神だった。

 場の雰囲気も腐る様な殺気が充満する。黒装束の男も、殺そうと思えばいつでも目の前の女を殺せる。だが、殺そうと行動に移った瞬間、道連れにされそうな特有な嫌な予感も無くは無い。彼は今純粋に、この場所で待っている人物の登場が待ち遠しかった。

 

「先程、魔犬の始末が完了した。

 アルトルージュ・ブリュンスタット派もトラフィム・オーテンロッゼ派も壊滅状態。さらに魔術協会も聖堂教会も戦争の続行は困難極まる。結論を言えば、今回の戦争は誰も勝者に成れずに終了した。

 ―――この死都はもう、我々の戦場ではなくなった」

 

 現れたのは血塗れの姿をした黒衣の神父。右腕で黒色の回転拳銃を握りしめながら、淡々と殺人貴と女に呼ばれた男へ静かな視線を送る。

 

「…そうか。死んだのか、あいつも」

 

「いや、復讐騎は月蝕姫を連れて何処かに消えた。あのような姿をされては殺すに殺せん」

 

 そこで神父は言葉を一端区切った。愉快気に笑みを浮かべる神父はおそらく祝福しているのであろう、一人の女を守ると決めた騎士の決意を。その誓いもいづれ消えて無くなるのだと理解していながら。

 

「……追うのか?

 確かにお前からすればあの男の行動は背信行為であり、真祖の姉妹である死徒を殺す事は利益にもなろう」

 

「今はいいさ。決着は何時か付けないといけないが、まだ他にやるべきことが俺にはある。二兎追う者の末路を辿る気は無い。

 ………それよりもコトミネ。そこの魔術師、あんたの知り合いで当ってんだろ。だったら―――」

 

「―――分かっている。そこの魔術師は俺の身内だ。

 お前に殺されてしまうと、俺はお前を殺さなくてはならない。そうなると流石に面倒だ」

 

「―――言峰、アンタは……!」

 

 魔術師の眼に危険な色が宿る。もはや感情が氾濫し、手負いの猛獣にしか見えない。その場所にいるだけで空気が死んで逝くのが理解出来る。

 しかし、そんな状態の魔術師を見ても神父に変化は無い。怪我を心配している訳でも無く、魔術師や黒装束の男に敵意を向ける訳でも無く、何でも無い日常風景の一つでしかない平常な雰囲気。戦場の真っ只中であるこことはまるで場違いな態度だが、それが酷く恐ろしく見えるのは間違いではないだろう。

 

「睨む気持ちも分からなくもないが、殺人貴が相手では殺されるだけだぞ。それに衛宮が死徒の残党討伐に張り切り過ぎて死んでしまえば……ほら、悲しむ人間が何人もいるだろう? この場には師匠も来ているしな。

 ……故にだ、もう行くぞ美綴。

 その男を今殺そうとしたところで時間の無駄だ。その程度のこと、殺され掛ったお前なら理解しているだろう。それにだ、素早く安全地帯に退避し、本格的に怪我の治療をせねば、お前の命も実に危うい」

 

「………っ」

 

 説得する為に現状を理解させた後、倒れ伏した魔術師に手を伸ばす神父。彼の手を睨み付けながらも、彼女は忌々しそうに残った右腕で掴んだ。神父はそのついでにと、切り落されたまま放置されている魔術師の腕を拾い、それを彼女に渡した。肩を貸して貰っている魔術師は神父から自分の左腕を受け取り、それを虚空へと消す。

 

「さようなら、殺人貴。今回の共闘は中々に愉快であったぞ」

 

 まだ収まり切らない殺意を周辺にばら撒いている魔術師を守る様に運びつつ、神父は悟りを開いた聖者みたいな声色で別れを告げた。そして、神父と魔術師は男に背を向けて歩き始める。

 

「―――………すまなかったな。今回あんたには随分と助けられた」

 

 そして、目に包帯を巻き直した男は二人の背中に向け、感情が籠もった言葉を掛けた。先程までの冷徹な雰囲気には似合わない常人並の感謝の念が入った声。

 

「気にするな。馬鹿騒ぎは嫌いでは無い。

 ……なぁ美綴、お前もそう思うだろう?」

 

 背を向けながら神父は応え、それから自分の隣にいる魔術師へ笑い掛けた。その神父の笑顔を見て、魔術師は心の底から憤怒の念を目で射抜いた後、視線を地面に向ける。

 

「あたしさ、今回は本当に後悔してる。

 ……自分の正体があんなだなんて、知らなかったんだ。もう、何も分からなくなっちゃた」

 

「なるほど。……お前は俺に助けて欲しいか?」

 

「―――要らない。

 自分程度も自分自身で救えなきゃ、この道を選んだ価値が消えてしまう」

 

 だからこそ、自らが掴み取った道に価値がある。彼女の信条として、これはもはや呪いにも似た志。自分で始めた事であるから、辿り着きたい願望があった。

 

「もう、無力な自分には反吐が出る。

 ……力が欲しい。せめて、アンタを叩きのめせるだけの……――力が欲しいよ」

 

「―――……‥そうか」

 

 生き残った者は極僅か。この地獄を制覇した勝者はいなかったが、それでも分かる事は一つ。勝者はいなくとも、死んだ者が敗者である事は確かだった。そう言う意味では、戦い抜き、生存を獲得した彼らは紛れも無く、傷を負おうとも戦争の勝者であったかもしれない。

 それが、とある戦いの結末。人が死に、古き祖が何人も消え、しかし得るモノは何も無い争い。だが、それでも、死徒の王はいづれ地上へ完全な姿で甦るだろう。復活の刻は既に始まりを告げてしまった。とは言え、今の時代には関係ない話。

 ―――これは聖杯に召喚された一人の英霊の記憶。夢の中。

 今の第五次聖杯戦争の時代から考えれば数年後に位置する未来情報。聖杯戦争とは違うとある戦争の結末の一つであった。 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 城に残ったアヴェンジャーを置き去りにし、彼らはアインツベルンの森を疾走していた。先頭を走るのはセイバー。次にアーチャー。その後ろに凛と士郎、そしてバゼットの三人が続いている。もう何分間も走り込み、背後にあった城も既に木々の影に隠れて目に見える事は無い。

 だが、戦闘による魔力の波は通常の魔術師同士の戦いとは文字通り、世界の次元が違う。故に距離が離れていようとも、その激戦は肌で感じ取れるように荒々しい。

 

「―――――――……」

 

 特に黙り込むバゼットは、その地獄が良く理解出来る。あの英雄王の強さは既にアヴェンジャーから聞いていた。

 この世全ての宝具を手中に収めていると言っても過言ではない英霊の中でも規格外のサーヴァント。もはや勝てるとか負けるとかの話では無い。あの男はその気になれば、敵対するサーヴァントを全てを敵に回しても、軽く戦争の勝利者になれる程の能力を持つ。そう、自分のサーヴァントから聞いている。

 しかし、アヴェンジャーにして見れば、それでも問題では無かった。勝てる手段を持ち、それを勝てる様に戦いの中で運用すれば、勝利を得るのは不可能ではない。むしろ、アヴェンジャーにとっては普段通りの戦闘の同じく容易いこと。

 そうであったが、イレギュラーの存在で不可能が不可能のままにされてしまう可能性の方が高かった。

 一番の要因はギルガメッシュのマスターであるらしい言峰士人の存在。奴はここぞと言う一番の場面において、相手がして欲しく無い必殺の策を繰り出す策士。英雄王の慢心や油断を補う様に、そもそも油断をすると言う機能が無い怪物だ。その男が英雄王の傍らにいる限り、命に至る程の隙をギルガメッシュが作る事はないのだろう。逆に、敵を殺害する程の機会を生み出すと分かってしまう。

 

「―――止まって下さい!」

 

 ……瞬間、セイバーの大声で逃走劇が止まる。

 今は一刻も早くアインツベルンの森を走り抜けねばならないが、それを分かっている筈の彼女はそれでも足を止めなくてはならなかった。

 

「逃げるのは其処までよ。

 ―――ここから先に進むと言うのであらば、私の屍を越えて往くが良い」

 

 先頭を走るセイバーの眼前に敵が現われた。本来ならば絶対にこの場所にはいてはならない人物―――アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎。

 その為だからか、幽霊でも見てしまったようにセイバーは茫然と呟く。

 

「……アサシン―――っ」

 

 ―――群青の侍が立ちはだかった。

 既に武器は抜刀されており、大太刀には鋭すぎる剣気が纏わり付いている。

 

「……成る程。全てはアレの策略通りか」

 

 忌々しいとアーチャーが吐き捨てる。

 

「セイバー、気を付けろ。―――奴の刀は徹底して強化されている。

 確実にあの神父の仕業だ。あれは下手な仕事はせんからな。君の剣とも数度は十分に斬り合える強さになっているだろうよ」

 

「それは……―――厄介です」

 

 アーチャーが簡易的にアサシンの脅威を教えた。これを知らねば、セイバーとて先入観から一撃で首を撥ねられていたかもしれない。彼女が直感で悟れた未来は、見事に斬られて敗北する自分の姿。しかし、知る事が出来た今では不意はつかれない。

 

「アサシンですって……! それじゃあ、そんな――――まさか……っ」

 

 凛は瞬間、弟子の策を悟った。あの場所から態々逃がした理由も良く分かった。

 まさかキャスターが門番にしていたサーヴァントを手に入れ、こうして見事に配役するなど悪魔的としか言いようがない。

 一手も二手も此方の行動を先読み、回避不可能な困難に陥らせる手腕は、凄まじく素晴しく“言峰”らしい。悪辣で非道で効率的のようにでいて、まるで敵を使って遊んでいる。

 

「……っち。やってくれるじゃない―――!」

 

「麗しいお嬢さん。そなたとは面するのは初めてだな。そして、そちらのご婦人とも初対面となる」

 

 アサシンの視線が凛とバゼットに移った。白々しいまでの無形の構えは、無防備に見えつつも剣気によって死の守りが生み出されている。その剣気をまとも直撃した彼女としては、構えを取るのは執行者として当然のこと。凛もまた拳を無意識のうちに構え、宝石の準備をする。

 

「―――――――」

 

「……ほぉ。素晴しい闘志だ。見たところ、両者共に拳法家とお見受け出来るが、如何かな?」

 

「―――――……っ」

 

 身の構え方、体の重心、殺意の在り方。それら観察出来る事から、小次郎は敵の攻撃手段を初見で大凡検討を付けている。剣士として、殺す者として、この侍は完成され尽くしていた。

 一目で敵が収めている武術を見抜く。その圧倒的観察眼は、究められた武の技量の裏付けでもある。

 

「それにしても、ふむ……―――おぬし、寺の門で出会った時よりも、随分と強くなっておるな。

 ……急激なまでのその武の成長。

 生前に出会う事の無かった魔術師と言う者どもは、実に面妖で面白い。ただの人間でしかなかった私では、おぬしらの理は今一理解出来ぬ」

 

 森の中で雅な笑みを浮かべる。アサシンの姿はまるで森の緑に溶けてしまいそうなまで、世界に馴染んでいた。しかし、手に握る刃はそれとは真逆。アサシンの剣気は命を奪いに足る脅威に満ちている。

 ……だが、此方に斬り掛って来る気配はまだ無い。

 言うなれば、そのらしくない雰囲気は、セイバーやアーチャーからすれば不可解だった。

 一度戦えば簡単に分かってしまうが、このアサシンと言うサーヴァントは死合いに飢えている生粋の人斬りだ。強い者を戦いたい。名誉や願望の為に殺し合える武人では無く、極めた業と生み出した技で刀を振りたいが為に、人と殺し合う武を形にした男なのだ。

 生まれながらの剣士。刀が好きで戦が好きな侍。戦に飢えている武者。

 だから、セイバーやアーチャーと言う最高の獲物を前にして戦いを挑まないのが有り得ない。生前に出会う事さえ出来なかった強者との殺し合いは、死人であるアサシンにとって何者にも代え難い。

 

「―――は。君はあの連中の操り人形に成り下がったみたいだな」

 

 嘲るようなアーチャーの皮肉。それと同時に背後の三人を守る為、彼もセイバーと共に剣を構える。残り僅かな魔力を振り絞り干将莫邪を投影した。

 このアサシンの技量の前では、あっさりと人間では斬り殺されてしまう。故に弱っているとはいえ、サーヴァントである自分が前に出ない訳にはいかない。

 

「私が操り人形だと?

 ―――……ク。何を今更。

 現世に召喚された時から、つまらぬ傀儡にされていたぞ。だが、今の私には下らぬ縛りは無い」

 

「つまり、貴方は―――」

 

「―――そうだ。

 私は私だけの意志で、おぬしらを斬るために此処に居る」

 

 彼はマスターの男に命じられて此処に居る訳では無かった。侍がこの場所に居るのは、ここでなら強者と斬り合えると神父に言われたから。言うなれば、協力者として利害が一致して、セイバーとアーチャーを斬り殺しに来たのだ。

 あの男はサーヴァントに行動を強制させない。サーヴァントと自分の利害を考え、それが合致して互いが自分の意思で動くように策を張り巡らせる。自発的に何かを成すように動かすのだ。

 ゆらり、とアサシンの殺気が充満し始める。

 目に見える程あからさまな、此方の命を奪い取ると宣告する殺意が森の空気を壊していく、死んで逝く。世界が斬り裂かれていくと錯覚する。

 セイバーが剣を構え、アーチャーが守りに入る。暗殺者との殺し合いが始まり、命が散ってしまう修羅が引き起こされる、その時―――

 

「「「「「――――――!」」」」」

 

 ―――唐突だった。その瞬間―――世界が激震した。

 アインツベルン城の方向から極大の閃光が天に向かって迸っていた。爆発音と衝撃波が森の奥にいる彼らにも伝わってきた。五人の身に緊張が奔る。

 もはや例えようのない轟音が森全体に響き渡り、確実に城で何かがあったのだと分かってしまう。

 

「―――……アヴェンジャー」

 

 バゼットはラインを通じて自分のサーヴァントが弱っているのが良く理解出来た。虫の息なんて程度では無く、既に呼吸さえ満足に出来てはいまい。

 

「………ほう。向こうの死合いは早くも佳境に入ったか」

 

 全員に緊張が奔った。特にバゼットの呼吸はかなり乱れる。

 

「さて。此方も手早く始めんかね。急がなくては困るのは、おぬしらの方だと私は考えているのだが」

 

 ゆらり、ゆらり、侍は間合いを詰める。

 まだ刀の範囲では無いとは言え、この暗殺者の必殺圏が近寄って来る圧迫感は恐ろしく、背筋が凍りつくように脅かされる死を感じてしまう。

 ―――刹那、異変が起きる。

 最後部にいた遠坂凛は幽鬼を目撃してしまった。その男はこの場所には居てはならぬ者。只ならぬ悪寒を感じて直感的に視線を動かした先―――森の影に隠れ、嘗ての敵が自分だけを見ていた。敵の存在に気が付いているのは直視されている自分だけ。前に殺し合った時とは違い、眼鏡を最初から外し、上は白いシャツだけになっている。

 

「――――――――」

 

 完全に隙を突かれた。その男にとって、この好機を逃す理由が欠片も無かった。

 

「………な――――――」

 

 遠坂凛の全身が硬直してしまう。その視界に入る男は既に死んだ筈のマスターの男―――葛木宗一郎。

 ―――彼はその場にいた敵全ての不意を確実に突いた。

 誰も奇襲を予感出来なかった。アサシンを囮にし、アサシンの壮絶な剣気を隠れ蓑にし、森の中に身を潜めていた。

 故に―――この攻撃に対応出来る者はサーヴァントのみ。

 

「「―――――――凛!」」

 

「―――おっと。

 おぬしら二人の相手は私だ」

 

 アサシンの妨害。殺意と行動により、サーヴァント二体を場に拘束する。二人とマスター達の間には、何時の間にか侍が長い刀を敵を殺す様に構えている。余りにも短い刹那の間、暗殺者は二人の警戒網を潜り抜けていた。視線が自分から外れた瞬間、殺意を無にし、殺気を消失させて行った神業だ。

 ―――アサシンは何時かと同じ様に、サーヴァントを通さぬ門番となる。

 ―――それと同時に首を狙う刀が振るわれる。

 凛を狙う暗殺者と出現と、アサシンによる絶対的技量が成した絶技。二人は完全に不意を突かれ、動きを止める言葉と共に首を撥ねようと奔った二刃に襲われていた。それは燕返しの応用としての同時二撃による斬撃。その攻撃の一刃をアーチャーは避け、もう一刃をセイバーは防いでしまった。アサシンの技量を以ってすれば、二人相手にしたまま、二人に対して同時に剣戟を繰り出すのは容易い事。

 よって、セイバーとアーチャーは助けに向かう事が不可能となる―――なってしまった。アサシンが背中を見せれば斬り殺すと剣気で語っていた。

 ―――だがもう遅い。

 アサシンと一瞬でも交戦してしまった時点で、既に蛇の奇襲は始まりを終えている。葛木宗一郎はアサシンが二体のサーヴァントを停止させる言葉を発し、それと同時に二重斬撃を放った瞬間には、殺しの王手を掛けていた。

 

「……ぁ―――――」

 

 潜り込んで来た死神の影を垣間見て、凛は小さく声を呟いた。それは思わず漏れてしまった悲鳴にも等しい畏怖の示し。

 葛木宗一郎ほどの使い手の奇襲ともなれば、もはやその手腕は英霊から見ても脅威である。況してや、魔術でも無く、何かしらの礼装を使っている訳でも無く、彼のそれは完全な人としての技量。例え魔術師であろうとも、逆に魔術師であるからこそ、殺し合いを日常にしていない者では、対応できないのは当然のこと。

 彼の標的は遠坂凛。

 ―――アサシンに対応する為にセイバーとアーチャーがマスター達の前に出てしまった今、彼女は最後尾に位置していた。

 だからこそ、今の彼女を守る者はいない。正確に言えば、アサシンと葛木宗一郎に挟み打ちにされた時点で、最後尾にいた凛を庇える者はいなかった。バゼットと士郎の意識もアサシンに集中していた。そして、自分の身を自分で守れる凛であるが、不意を完全に穿たれた彼女では、咄嗟に身を守る事しか出来ない。

 

「――――――――」

 

「……ぐ、ぅ―――!」

 

 攻撃を防いだ腕が砕けた。初撃は防げたものの、追撃が既に視認不可の速攻で開始される。さらには凛の足の甲を葛木は踏み潰し、その場から逃げられぬよう強引に固定。二撃目には防御の上から衝撃が全身に奔り、両腕を更に砕きながら胴体にダメージが入る。三撃目も四撃目も同じ、その次もその次も。

 ……しかし、遂には腕が機能しなくなる。

 葛木は凛に魔術の使用など許す事をしなかった。ただの数秒と言う短い時間を使っただけで、彼女の接近戦での攻撃防御の主軸となる腕を使用不可にまで追い詰めた。

 

「―――カハ……っ」

 

 蛇の拳打。彼女の両腕は骨も肉も折れて千切れて使い物にならなくなったが、拳を振う男はその防御をすり抜けて急所を狙い仇の死に迫った。

 ―――心臓の狙った致死の拳。

 胴体に抉り込み、明らかに骨も内臓も崩れ砕けている。凛の口からは血が流れ落ち、内臓系もイカれてしまったのが一目で理解出来てしまう。

 

「遠坂………っ」

 

 士郎が葛木に斬り掛った。手に持つ武器は干将莫邪。

 

「――――――」

 

 だが、恐ろしい事に、彼は斬撃が自分の身に届く前に一打を放つ。その常識外れにも程がある人間の極みとも言える技量と速度で、敵の肉と骨を自分が斬られる前に抉った。

 肺を打たれて呼吸が止まり、余りの威力に後方へ吹き飛ぶ。

 士郎はそれでも視線を動かさず、足を強引に地面に付けて吹き飛ぶのを堪え切った。ザザザ、と靴底と土が擦れて二本の線が地に刻まれる。

 しかし、それでも士郎の行動は無駄ではなかった。遠坂凛は敵から逃れる事が可能になった。葛木の意識が標的から外れた瞬間、凛は直ぐさま危険地帯から抜け出していた。足も腕も胴も激痛に支配されているのも無視し、生存する為に脱出した。そして、踏まれていた足の甲も使い物になってしまい、無事な四肢のは片足だけ。本来なら歩く事さえままならぬ状態となれば、逃げられた距離は短い。間合いを次に詰められれば、死を間逃れるのは至難。

 しかし、あの魔人の(はや)さを考えれば有って無いような距離であろうとも、近距離の致死圏内にいるよりかは幾分かまし。

 

「……はぁ―――ぐぅ……っ」

 

 無論のこと、逃げる事が出来た遠坂凛は死んでいない。死から逃れる為、停止した体を強引に動かしていた。

 彼女は防御の抜けられると悟った瞬間、足と腰と背を使って敵の打点をずらして威力を弱めていた。後方にも動き、さらに生存率を上昇させた。しかし、当たった個所もまた即死しないだけで普通の人間であれば、致命となっただろう。

 ―――それ故に、凛の判断は速かった。

 攻撃を放たなければ死ぬ。敵を自分から遠ざけなければ――確実に死ぬ。

 

「―――!」

 

 交通事故以上に酷い有り様の左腕であるが、凛は魔力を込めて無理矢理動かす。まるで銃口を向けるように人差し指を尖らせ、その先の標準を葛木宗一郎に合わせた。

 指先から唸り出るのは遠坂凛の十八番となる魔術―――ガンド。

 フィンの一撃と呼べる程、致命的な呪詛の物理的干渉能力を持つ魔術は、ただの人間からすれば大型拳銃よりも性質が悪い。撃ち出した時の衝撃で激痛が腕中で渦巻くが、歯を喰いしばって苦悶の声一つ呟かない。

 

「―――――」

 

 音速で飛来するそれを視認した彼は無言のまま、当然のように黒い弾丸を回避した。

 ―――その避けた隙を狙い、バゼットが殴り掛かった……!

 最速の右ストレートが彼の胴体を狙って振われる。ルーンによって魔力が込めれた拳が直撃をすれば、ただの人間である葛木では即死は間逃れない。

 

「…………………――――!」

 

 ―――その光景は凛と士郎には二度目。魔人の絶技は再度繰り返された。

 奴はまた、肘と膝で攻撃を完全に無効化し切った。葛木宗一郎はセイバーの剣速さえ完全に見切り、この絶技を行った生粋の魔人故、バゼットが相手でも問題は無かった。

 しかし、バゼットはセイバーと違う。彼女の攻撃手段は剣一本だけでは無い。右腕が封じられた程度、まだ左腕と両足がある。逆に、手と足が一本づつ使用しているこの男の方が今は不利……!

 彼女は左腕を振り上げようとする。時速80km以上に達する必殺の魔拳を敵の顔面に叩き込む為、攻撃が開始される―――!

 

「……ぐ――――ぁ!」

 

 ―――ぐちゃり、と潰れた。肉と骨が混ざる音。

 バゼットの右腕を魔人が、圧倒的な力で以って肘と膝で圧縮したのだ。万力のように粉々にされた腕は最早使い物にならない。

 だがそれでも、バゼットは敵を倒す為に左の拳を放つ。しかし、その攻撃は流れる様な動きで完璧に回避された。攻撃が掠りもしなかった。

 そして、バゼットの拳打を避けた隙を狙い―――凛が再びガンドを撃つ!

 連射による弾幕の嵐であり、機関銃と遜色無い殺戮空間。しかし、その全てを蛇は合間を縫う様に回避し切った。それは連続で針の穴に糸を通す以上の精密さと見切りが要求される動きだが、セイバーの不意の斬撃を完全に見切る男からすれば実に容易い。

 ……だが、それは無駄では無い。

 凛が撃たねば、バゼット・フラガ・マクレミッツは葛木宗一郎に殺されていた。片腕を潰され、攻撃を回避され、彼女は蛇にとって絶好の獲物と化していた。カウンターによって殺害されていた所を、凛の援護によって距離を取る事が出来た。

 

「……馬鹿、な。肘と膝で私の――――――――!」

 

 葛木宗一郎から距離を取ったバゼットが驚愕を漏らす。信じられないと言うよりも、その所業が理解出来ない。

 自分もその男と同じ様に拳を武器にする者であるからか、その圧倒的なまでの技量の差に絶望さえも感じている。この男はサーヴァントでは無く自分と同じ人間であり、自分とは違って魔術を一切行使していない。

 ―――信じられない事に相手は唯の人間。

 サーヴァントさえ一方的に屠れるような戦闘が可能な人物が、純粋に拳を鍛えただけの人であるのだ。これ程の奇跡的で圧倒的な腕を持つ者が、今この場所でバゼット・フラガ・マクレミッツの前に存在している。

 

「――――――」

 

 無言のまま、葛木宗一郎は拳を構えた。

 

「遠坂……!」

 

「分かってる。―――バゼット、良いわね?」

 

「……了解しました」

 

 此方の損傷は手酷い。凛は両腕と内臓をやられ、バゼットは右腕が潰れた。死徒に並ぶほど頑丈でしぶとい士郎だけが手足を通常通りに使える。とは言え、その士郎は戦闘に次ぐ戦闘で万全には程遠く、何時戦闘中に死んでも可笑しくは無い。

 

「………ぉ、ん……ゴホ―――」

 

 ドバリ、と凛は無動作に血を吐き出す。無理矢理に飲み込めば呼吸が乱れると考え、空気を出すのと同時に血を吐いた。

 ……赤い血反吐が地面に流れる。

 血流は口からそのまま落ちた所為か、首を通って服にも大量に付着した。自分の血液でべっとりと赤く染まり、肌に直接張り付いている。

 

「――――――……っ」

 

 その光景を士郎は横目で確認し、葛木に対して敵意を改める。あの男の纏う雰囲気は前に殺し合った時よりも、何処かしら禍々しい。

 奴は前回とは違う。心の底から殺意を以って此方を皆殺しにしようとしている。

 その事が士郎には手に取る様に分かった。修羅のような、悪鬼羅刹のような、そんな恐ろしい様に変化は無いが目の鋭さが違う。

 ―――それは、なんて様なのか。

 死に損無いの成れの果て。彼は真実の意味で幽鬼へと成っていた。

 

「―――……ぁ」

 

 バゼットはその男の内面を直視してしまった。何も映さぬ空虚な目は色を宿すこと無く、純粋無垢な殺意に満ちている。

 ……似ている。この男は彼らに似ている。

 恐ろしい。狂おしい。なんて様。昔に出会った神父、その彼の息子、聖杯戦争中に同盟を組んだマスターの少年。バゼットが他の人間とは何処か違うと感じたそんな彼らと、この敵からは同じ何かも感じ取れる。

 この男はそんな彼らに似ている。

 言うなれば、内側に何も無い虚ろな人型。身の裡にある一つのモノに自分を見出し、己の全てを捧げてしまった破綻者の在り方。

 

「………―――――」

 

 この敵は強い。多分、何もかもが強い。自分よりも肉体が、精神が、心が、魂が強い。

 だからこそ言える、勝ちたい、と。

 だからこそ思える、生きたい、と。

 もう、道に迷うのは嫌だ。自分も彼ら見たいに答えを求めたい。自分の何かが欲しい。如何仕様も無く憧れているのだ。

 

「―――二人とも。私から仕掛けますので、援護をお願いします」

 

 バゼットは既に理解していた。自分に出来るのは、敵の攻撃を堪える壁になる役になるのが一番効率的だと。

 凛では無理であり、士郎では体力が持たない。

 また利き腕が潰されている為、宝具の使用も万全では無くなったのも大きい。なので右腕は攻撃には使えず、精々が無理に動かして肉の盾にしか使えない。

 

「いいわ。……行くわよ、士郎」

 

 凛は状況は一瞬で把握。まず、セイバーとアーチャーは此方の援護には来れない。今も尚、セイバーとアーチャーは完全にアサシンによって足止めされている。暗殺者の剣術は冴えに冴え、隙あらば即死の一撃を繰り出そうとしつつも、その場から逃さぬように刀を振っている。

 また、無理にアサシンを突破しようとしても、アサシンも此方に来てしまう事になる。何よりも、アサシンに背を向ける行為は余りにも危険。逆にアサシンを抑えられていると考えるべきだ。自分達は三人で葛木宗一郎を撃破する。

 

「……わかった。援護する」

 

 士郎もそれは分かっている。前にはアサシン、後ろには葛木宗一郎。正に前門の虎に後門の竜と言った危機的状況。

 そして自分達にとっても、恐らく敵にとっても、乱戦にだけは成りなく無い。

 サーヴァントに対して攻撃手段を持たない葛木は勿論のこと、敵よりも数の多い自分達も乱戦だけは回避したい。一度こうやって戦闘が始まってしまえば、今のような各個撃破が互いの戦術的判断として一番効率的なのだ。

 

「――――――――」

 

 最早もう話す言葉など彼には無い。敵はただ殺すのみ。

 ―――葛木は間合いへと大きく踏み込んだ。

 目的の相手は遠坂凛。この女を殺す。否、殺さなくてはならない。仇を殺れるのであれば、キャスターの代わりに命を奪い取ろう。

 

「……っち―――」

 

 体が損傷した凛では咄嗟に動く事は不可能。故に、最早今の彼女では葛木宗一郎の極まった武術の動きに対応出来ない。敵が弱まった自分の命を先に狙っていると悟り、無意識の内に舌打ちをする。

 また、凛は自分の魔術が支援に向かず、更に言えば精密な狙いを得意としていないと分かっている。体が損傷した今の自分では足手纏いになる可能性が高いが、決して邪魔にだけならぬように魔術の援護を行う為、敵の動きを読もうと思考する。タイミングと攻撃範囲を間違えた瞬間、自分達が一人一人殺されていくのは目に見えていた。

 今は二人を信じ、魔術を使う好機を狙うのが最善。

 敵に殺される寸前になっても最後まで足掻き、只管必殺を成せる機会を持つのが自分の役目―――

 

「――――……っ」

 

 ―――その間にバゼットが巧く入り込んだ。

 葛木宗一郎は遠坂凛を殺す為には、彼女を排除せねばならない。そして、葛木が止まった瞬間、側面から士郎が強襲した……!

 ―――しかし、無駄な事。

 初手の奇襲によってバゼットは利き腕が使えない上、士郎の肉体は最初から崩壊寸前なのだ。

 蛇は双剣の剣戟を容易く回避。その上、剣の柄を握る右手の甲を狙い打って斬撃を逸らし、カウンターで拳を士郎の腹部に喰らわせる。死を感じた士郎は咄嗟に右手から来るだろうアンカーを注意して首を守ったが、それを動きから読んだ葛木による手痛い迎撃だった。

 今の彼にはキャスターの加護は無い為、刃を弾く事など不可能。しかし、そもそも彼の拳は人を殺すのに魔術など要らないのだ。刃が無理であれば隙を狙い、柄を握る手やその先に繋がる腕の部分を打てば良く、いざとなれば刀身の側面を打つ。

 ―――瞬間、バゼットが蛇を打つ。

 士郎を攻撃している好機を逃がさぬよう、彼女は左腕で高速打撃を行う。今度は先程のような腕を使用不可にする失態をせぬよう、念入りに速度と狙う箇所に注意した。

 

「……っ――――!」

 

 だが、避けられた。ルーンによって魔力が込められた致死の拳が空振る。故に、敵の足を狙ってルーンによる強化を施した蹴り技を繰り出す。

 士郎や凛から見れば、その動きが剛直にして破壊的。

 バゼットの拳と脚による体術は凄まじく、サーヴァントとも渡り合える領域。そこまでの極みに達していながらも―――葛木宗一郎には程遠い。

 彼の技は奇形故に強い。……故に見極められ易い。

 しかし、それは決して弱い訳では無い。そも、この男は生身で英霊の動きに追随出来る性能と、英霊を確かに仕留められる武術を保有する。根本的な部分において、葛木宗一郎は何処か逸脱した強さを誇る。バゼットの強さも魔術師として極まっているが、この男は神秘を知らぬ人間としての極限近くまで達しているのだ。

 ―――だから、彼女の蹴撃を避けられた。

 セイバーを手玉に出来た技量を前に、どんな武術だろうと葛木宗一郎は敵の業を見抜いてしまう。自分の技が二度目から通じ難いように、彼はその天性の才能から理に適った武の動きと流れが殆んど通じない。何処までも実直なバゼットの体術を、段々と隅から隅まで攻略し始めている。

 

「―――――」

 

 開かれた右手がバゼットを襲う。右手が動く前に悪寒を感じていた彼女は咄嗟に右手を盾にしてしまい、その砕かれた腕を掴まれた。そして再度、鈍い音と共に潰された。

 ―――そして、一気に投げ飛ばされる。

 余りにも力任せで強引な技により、勢いそのまま宙へと舞う。人間を容易く浮かばせ、自動車以上の速度で振り回す腕力は既に怪物としか例えられない。

 

「……が――――――――!」

 

 短い悲鳴が上がった。腕を砕かれながらも、彼女は思いっ切り樹木へと激突。その衝撃によって木は軋み揺れ、肉体があっさりと壊れた。全身の痛みで咄嗟に判断突かないが、何処かの骨が折れた感触がした。この一撃は明らかに士郎が受けたモノよりも遥かに危険。

 意識が朦朧とする。はっきり言って今直ぐにでも死にたくなる程、肉体全てが悲鳴を上げている。

 ここまでの怪物、彼女は人生で初めて戦った。

 狂った魔術師や代行者、あるいは死徒と呼ばれる怪物達と戦い続け、戦闘経験を積み重ねて来たが、この男のような敵は初めてだった。自分の体術が通じず、自分の体術以上の格闘能力を生身で持つ達人。そう、それは、自分より高みにいる武を鍛えた唯の人間。

 

「―――バゼット……!」

 

 一瞬にして二人が堕ちる。それを見た凛の声。無論、彼女はそんな事で思考停止などする隙を成す訳も無く、痛む左腕を前に出して弾丸の雨を降らす。

 そんな死の飛礫を前に葛木宗一郎が取った行動は簡単だった。

 ここは森の中。そして、ガンドの威力は見たところ、樹木を圧し折るような力は無い。

 彼はバゼットを投げ飛ばした方向とは逆に移動して目にも止まらぬ……否、目にも映らぬ魔速で以って木々の影に隠れた。

 

「………ぐ、ぁ――――」

 

 士郎は言う事を聞かぬ肉体を意思で無理矢理自分の支配下に置き、凛の元へ急行する。黒いガンドの弾幕を避け続け、木を盾にしながらも進む葛木よりも早く士郎は凛に辿り着き、改めて彼は双剣を構える。

 ……そして、凛のガンドと士郎の双剣により、葛木宗一郎の蛇から命からがら生き延びる。綱渡りのような危機的状況であるが、二人の連携によって何とか次の瞬間まで戦い続ける。

 バゼットも、今直ぐとはいかないが、乱れた意識が回復すれば直ぐにでも立ち上がるだろう……その筈だった。

 

「―――………え、あ……え? 

 あぁ、そんな……うそ、ウソ、嘘。嘘だ……だって、貴方は私の――――」

 

 木に寄り掛ったまま茫然とする。彼女は目を虚ろにさせて、ただ虚空を見ているだけ。無論、アサシンと戦っているサーヴァント二人は勿論、士郎と凛も自分達の敵に精一杯でバゼットの様子には気が付いていない。

 だが、異常なまで不吉なほど感情の無い声は伝わっていた。

 戦闘音だけが静かに鳴り響く森の中、彼女が発す言葉は雑音程度で何を言っているのか分からないが、何かを呟いているのは何となくわかった。

 

「―――アヴェンジャーが死にました。死んで、しまった……っ」

 

 バゼットの小さい悲鳴。それで全員が全てを悟った。小さい声であったが、その言葉は全員に伝わっていた。彼女は気が付かぬ内に弱弱しく、けれども皆に聞こえる様に叫んでいた。

 

「……………――――!」

 

 彼女は壊れそうだった。肉体が崩れそうだった。もう自分一人では動きたくも無かった。

 ―――それなのに、バゼット・フラガ・マクレミッツは止まらない。

 彼女は自分が思う以上に強い。冷たい言い方ではあるが、心を許していた相棒が死んだ程度では諦める事など有り得ない。

 思考を巡らし、考えに考え、肉体は決して停止などさせない。その末に、逆転の策を錬り出した。

 

「―――アーチャー……っ!!」

 

 森を震動させる怒声。バゼットらしくない、殺意さえ込められいると錯覚する程の気合い。

 アサシンと対峙していたアーチャーはその一言で彼女のやりたい事を悟る。この段階では最善を成すのが、死から遠ざかる為に優先される。何せ、一人の男を犠牲に生き延びている途中なのだ。

 

「セイバー、頼む……!」

 

 故に、彼はしばしの間、セイバーだけに暗殺者の相手を任せた。流石に離脱する事は佐々木小次郎の殺気の包囲網によって無理であるが、身を守る様に少しだけ離れる。

 

「―――アーチャーのサーヴァント!

 私との契約を求めます! このままでは事態が悪化する一方だっ!」

 

「……了解した―――!」

 

 そして、互いに準備を整えた。距離は離れているものの、契約をするだけであるならば、互いに了承するだけで良い。

 

「―――告げる!

 汝の身は我の下に、我が命運は汝の弓に!

 聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら―――」

 

 ―――そして、魔力が激流と化した。

 

「―――我に従え! ならばこの命運、汝が弓に預けよう……!」

 

「アーチャーの名に懸け誓いを受ける……!

 君を我が主として認めよう、バゼット・フラガ・マクレミッツ―――!」

 

 煌びやかな魔力の輝きがアーチャーを覆い包む。この瞬間、新たな主従が組まれる。

 ―――契約はここに完了する。

 バゼット・フラガ・マクレミッツは死したアヴェンジャーの弔いの為、新たにアーチャーのサーヴァントと共に聖杯戦争に参戦した。

 

「………む―――」

 

 セイバーと斬り合い、首を撥ね飛ばさんと敵を追い詰めていたアサシンが一気に劣勢になった。

 燕返しを使わせぬ為に猛攻を仕掛けつつも、段々と自分の剣技を暴かれていき、後一歩で殺害されそうなギリギりの綱渡りをしていた。

 しかし、それももう終わりだ。マスターと契約したアーチャーが甦ったのだ。

 

「―――フハハハ……! そうか、復活したかアーチャー!」

 

「そうだ。ここからは我らの反撃だ……!」

 

 だが、アサシンは死なぬ。サーヴァントを二体相手しても、剣技だけで生き延びている。それはもう、これ以上無い程生き生きとして表情で、笑いながら斬り合い殺し合い―――この一瞬一瞬の何もかもを楽しんでいる。

 

「―――愉快、実に愉快よ!

 やはり私の目に狂いは無かった。あの神父は見るからに面白そうな人間だったからな……!」

 

 故に、この褒美をくれたマスターに感謝を。あの男は十分以上に現世で自分を楽しませてくれる。

 森の木々が切り裂かれる。アサシンの結界と見間違える領域の斬撃の嵐により、その攻撃を回避した二人の後ろにあった木が斬れる。また、両断される。そして、斬り裂かれた。敵に攻撃の間を与えぬ連続斬撃。

 アサシンが前世でも出したことが無いまでに全力で斬り殺しに掛っている。

 自分と殺し合える敵を二体も回してさえ、怯まない、止まらない、斬られない、殺されない。刀を振う事を静めてしまうなんて―――有り得ない。

 

「アサシン。貴方はそこまで極めて、それでも尚――――!」

 

「―――当然だ。

 敵を斬る為に私は此処に存在する……!」

 

 セイバーの声が斬撃と共に下され、アサシンも声を刃と共に斬り返す。

 

「……剣鬼め。

 そこまで刀に狂い果ててさえ、まだ首が斬り足りんと言うかぁ―――!」

 

 セイバーの剣が逸らされて首を両断されそうになるも、アーチャーの双剣が乱舞して彼女は敵の背後に回る。だが、陰陽の双剣は全て斬り落とされ、セイバーを狙って刀が奔った。それを彼女は避け、その隙を縫って双剣が斬り掛り、刀はそれを弾くと同時に斬り返し、剣もまた戦場で舞う。

 立場は完全に逆転していた。

 セイバーは弱ったアーチャーを少々庇いながら戦い、アーチャーは援護に徹していた。しかし、こうなってしまえば、完全に弓兵が攻勢になる。

 

「―――まるで足りん、全然足りん……!

 おぬしら戦場に生きた者共に、敵に恵まれなかった百姓の事など理解出来ぬだろうがなぁ!」

 

 アサシンの声が響いた。この男は柄にもなく、幼子が初めて水遊びを覚えた時のように笑っている。一本の刀が舞い踊り、聖剣と双剣を相手に剣戟が高らかに鳴り続ける。

 ―――サーヴァント達の戦況は劇的に変化した。

 しかし、そうは言っても、サーヴァントを支えているマスター達の戦況は逆に悪化の一歩を辿っていた。故に、バゼットは急いで戦場へと舞い戻る。

 

「……急がないと――――!」

 

 アーチャーを万全にさせたバゼットが士郎と凛の戦場へ急遽向かった。数十秒の間と言え、あの蛇を相手に二人が欠ける事無く生き残れた事に称賛される事だろう。

 

「士郎! あれ無理、全然当たらない……!!」

 

「……分かってる―――!」

 

 凛のガンドは機関銃と変わらない連射で撃つが、敵影にすら黒い弾丸は掠っていない。彼女に視界に映ったと思えば、既に木々の影に隠れている。撃つ度に粉々に骨折した腕が震動して地獄の痛みを感じるが、彼女はそれを気力だけで我慢する。

 

「――――――――」

 

「―――――……っ」

 

 影から強襲する蛇の牙を、士郎は双剣で迎撃。敵の狙いは遠距離攻撃を持つ凛。

 戦法としてはヒット&アウェイ。葛木宗一郎は自分の暗殺術を知られているが故に、取られる手段は効率的且つ防衛的なモノに限られる。攻撃に徹した所で自分の技を何時かは破られる。

 双剣の一閃が彼のシャツを切り裂いた。白いシャツが赤い血の色に染まる。しかし、その攻撃後の隙を狙って一打殴るものの、敵は身を捻る事で拳を肩に掠らせるだけ。

 

「――――い……っ」

 

 掠っただけでこの激痛。ハンマーで叩かれたのと同じ程度の破壊力。だが、その苦痛を士郎は無視し、もう片方の剣で斬り込む。葛木は素早過ぎる魔速の動きで回避した。そして、右手のアンカーが伸びる。

 

「………ぁ――――――あ!」

 

 士郎はその攻撃だけは避け無くてはならないと知っている。セイバー程の耐久性が無くては、指を喰い込まれた挙げ句、投げ飛ばされて全身が砕かれた果てに死ぬ。

 

「―――――本当にこいつはぁ……っ!」

 

 しかし、士郎は凛のガンドによって救われた。もし微かでも弾丸が遅くば、首を食い千切られていたかもしれない。

 

「……っち、くそ―――!」

 

 悪態を凛が付いた。しかし、彼女の心情を考えれば無理は無い。このままでは有効的な手段も無く、ジワジワと追い詰められて殺されるだけ。使える魔術が素早く使え、攻撃速度も速いガンドだけなのもきつい。

 無論のこと、凛とてガンド以外にも魔術を行える。この場に相応しい魔術はまだある。しかし、この葛木宗一郎と言う魔人の初動に追い付く魔術となると、魔術刻印による無詠唱の工程要らずのガンドしかない。大がかりな魔術でも良いが、外した瞬間に死ぬだろう。それに宝石を的確に投げられないまで両腕は損傷し、ガンドを構えるだけで精一杯。

 また、僅かでも呪文など唱えていれば、戦闘に介入さえ出来ない。咄嗟に連続して使える魔術ではないと意味がない。広範囲魔術なんて準備している暇も無く、そもそも士郎達の動きを妨害すれば、的確に隙を穿たれ手負いの自分が最初に殺される。そうなれば順番に殺されていくのみであり、セイバーも魔力が無くなって直ぐに死ぬだろう。

 森の中で戦っているのも最悪極まっている。この場所は自分には余りにも不利。戦闘を見るに、初手の奇襲によって殆んどの移動能力を無力化され、足手纏いになっていた。

 

「―――士郎。わたしが囮になって……」

 

「駄目だ、自棄になるな! 

 ……それに今の遠坂じゃ殺されるだけだ」

 

「あぁもう! じゃあ、どうすればいいのよ!」

 

「今は耐えるしかない……!」

 

 既に完全に気配を消し、森の中を無音で高速移動する葛木宗一郎を警戒する。背中合わせで周囲を見渡し、士郎は双剣を構え続け、凛は人差し指でガンドを構え続けている。

 

「すみません。待たせました」

 

 ―――バゼット・フラガ・マクレミッツが戦場に帰還した。

 背負っていた道具入れをその場に置き、彼女の背中には球体が一つ、独りでに宙へと浮いている。

 砕かれいる右腕はダラリと垂れ下がっているが、まだ左腕と両足は健在。彼女はまだ、戦意を失っていない。

 

「―――あの男は私が止めます」

 

 衛宮士郎と遠坂凛は、魔術師の背中を見る。……そして、彼女の背中越しに敵の姿を見る。

 ――――葛木宗一郎が其処に居た。

 

「―――――――」

 

「―――――…っ」

 

 魔人が動き、魔術師は直立不動。あの男が相手では、自分の格闘技を全て封殺されるのは理解した。だから、蛇の拳を迎え撃つ為、致死の一撃を撃つ為、彼女は待った。

 ―――左腕で宝具を構え、左の拳で敵を狙う。

 葛木宗一郎がバゼットの間合いに入り込まんと迫ったが、拳の範囲に入る前に脚で蹴る。ルーンによって魔力で発光する右脚の蹴りが敵の頭部に当たりそうになり―――彼は容易く避けた。更に回避するだけでは無く、敵の脚の勢いを利用して拳で脚を殴った。バゼットの脚はルーンで強化していたが、硬化されていない生身の部分を狙われ、あっさりと骨が砕けて肉が千切れた。

 

「っ――――――――」

 

 その砕けた片足に魔力を流し込み、一本の芯を作って無理矢理動かした。強化魔術の応用により、自分の意志による魔術そのもので肉体を魔力で操るように動かしたのだ。

 その砕けた右足を地面に着け、軸として体を回転させる。殴られた時の勢いさえ利用し、体を思いっ切り捻った。

 ―――そして、左脚による回し蹴りを放った……!

 

「――――――――」

 

 ……だが、その結果も同じだ。左足の回し蹴りも避けられ、足は拳によって砕かれた。

 それを見ていた凛は顔を強張らせ、士郎は死にそうなまで目付きを尖らせる。

 葛木宗一郎がバゼットに接敵する。もはや両足を駄目にしてしまった彼女では、蛇の追撃を避ける事など不可能。

 ―――互いの拳が届く絶殺の至近距離。

 今のバゼットでは、これ程の敵の必殺を初見では見抜けない。しかし、その動きそのものは段々と見抜けてきた。

 ―――故に、伝承保菌者(ゴッズホルダー)は敵の拳を先読みする……!

 

「―――斬り抉る戦神の剣(フラガラック)―――!」

 

 ―――避ける時間も距離も無い近距離真名解放。

 足を砕かれながらも宝具に魔力を流し、真名を唱えながら敵を待つ。そして、この絶殺の機会を逃さなかった。

 本来の能力である因果干渉をする事は出来なかったが、それでも剣先から輝く貫通攻撃に成功する。

 

「――――――――――……」

 

 レーザーの如き光の束により、葛木宗一郎の片腕が離される。心臓を狙う一閃を避けたものの、肩から光線が斬り裂いた様に左腕が取れてしまった。

 ……ボトリ、と腕が血と一緒に地面に落ちた。

 蛇はもう右腕しか残っていない。葛木宗一郎が極限まで鍛え込んだ技を使えるのは、既にこの一本のみ。

 

「……――――――――――」

 

 力尽き、地面に倒れていく敵を彼は見ていた。宝具による攻撃の勢いのまま、彼女は後方へと頭から落ちて行く。肉体の行き先は仲間の二人が佇む場所。

 そして、既に葛木にとって敵に取られた腕など、自分の腕では無くなってしまった肉体の一部になんてモノに、最早もう用は無い。今の彼は長年鍛えた自分の肉体にすら愛着は無くなっている。だからこそ、彼はただ真っ直ぐに敵を見ている。

 

「――――葛木……!」

 

「―――――――――」

 

 その、自分の腕を奪った敵の影から、双剣を持つ少年が自分へと斬り掛ってきた。彼はその剣と男を迎え撃つ為に、一つだけになった拳を構えた。

 ―――剣と拳が交差する……!

 衛宮士郎が持つ双剣が振われる。その陰陽の双剣を見て、葛木宗一郎は右腕で敵を一閃する。そして深く深く、右拳が衛宮士郎の胴体に抉り込んだ。

 

「――――――――――――ぁ」

 

 たったの一歩だけ、士郎よりも素早く葛木は間合いを踏んだ。その事により、剣が自分を斬る前に拳を届かせていた。

 ……干将莫邪が飛んで行く。士郎の手から離れて行く。

 

「――――――――」

 

 ―――その双剣の片割れを、遠坂凛が手に取った。彼女は陰剣莫耶を両手で握った。衛宮士郎の背後に隠れ、その影から伸ばした腕で剣を掴んでいた。

 凛は肉体の全てに魔力を流し、全力で強化魔術を施し、魔力によって自分の肉体を支配する。自分の意志によって肉体を操作する。これにより、本来なら動けないまで損傷した体を一時だけ万全に動かして敵の―――葛木宗一郎の意表を突いた……!

 

「――――――――――……っ!」

 

 ……それは無言の一閃だった。

 凛の斬撃により、葛木宗一郎の右腕が切り離された。蛇は両腕を失い、流し過ぎた血によって身動きも満足に出来まい。

 最早敵を殺す為の腕も無い。

 それだけでは無く、肉体が何処も動かなくなっている。完全に体が死んでいる。ただ、精神だけが死体の中で生きている。

 

「……負けたか――――――」

 

 呟かれたのは言葉には何の感情も込められていない。この男を象徴するように空虚であった。

 

「―――あれの仇を討てず残念だ」

 

 膝を折った。後ろへと倒れた。彼は重力に従って崩れ落ちて逝く。

 ……葛木宗一郎は、死した体を漸く休ませた。

 本来ならば、教会の地下で既に致命的なまで死んでいた男。ただ神父の業により、この時まで死んでいなかっただけな肉体。葛木宗一郎は魂と精神と、その空虚な心だけで敵の前で立っていた。

 ―――そんな、今にも死にそうな男を遠坂凛は見下ろしていた。

 既に動かぬ程の体を引きずる様に歩き、彼女は左腕で殺意を表しながら葛木宗一郎を見る。彼の今の状態では本当に生きているだけ。死を前にし、心臓が動いているだけで苦しいだろう。確実に殺害するにはこの機会を逃してはならない。

 

「……遺言はある?」

 

「――――――無い」

 

「―――……そう。わかった」

 

 遠坂凛の魔術刻印が光り輝く。魔力によって淡く青い灯を持ち、遠坂の魔術を発する為の工程が組み立てられる。

 ―――左腕からガンドを撃った。

 それが葛木宗一郎と言う名の男の最期となった。彼女は再度、今度こそ確実に息の根を止める為、キャスターのマスターであった空虚な男に止めを刺した。

 

「………………」

 

 ガンドの一撃により、彼は静かに死んだ。心臓を停止させ、物言わぬ死体と化した。

 凛はただ、その死体を見続けている。静かに静かに、じっと自分が先程生み出した死を見つめ続けている。

 

「………倒しましたか」

 

 右腕が砕け、両足も砕けた。内臓も傷付き、無事なのは左腕だけ。そんな状態であるもバゼットは意識を保ち、凛に喋り掛ける事が出来た。声を上げるだけで全身が痛むが、それでも確認しなくてはならない。

 

「―――ちゃんと殺したわ」

 

「そう、ですか。……すいません。貴方には嫌な役をさせてしまったようだ」

 

 凛の声色から、バゼットは彼女の心理状態を読み取れた。そう言えば、自分も初めて人を殺した時、こんな風に落ち込んだのを思い出した。

 

「いいの。それは、もう……うん、大丈夫だから。

 ……それよりも士郎。あんたは大丈夫。何発もあいつから拳を喰らってたでしょ?」

 

「―――ああ。俺は別に平気だ。体中痛みで凄いけど、痛いだけで傷は大丈夫だ」

 

 彼の言葉を聞き、凛は優しく笑った。士郎にはそれが痛々しくて見ていられない。

 

「そう。あんたも体外可笑しいわね」

 

「……ああ。そうだな」

 

 それだけで凛には士郎の心が分かってしまった。そんな優しい、衛宮士郎に相応しい声で、彼が自分を守ろうとしているのが分かってしまった。

 

「―――……やめてよ、バカ」

 

「……ごめん」

 

「―――ん。良いわよ、別に。ほんとは嬉しいから。………ありがと」

 

 最後の感謝の言葉だけ、口の中でその音を消す。

 そして、凛もまた、二人がそうであるように、肉体の限界が来ている。しかし、それでも敵がまだいる限り、座る訳にはいかない。

 

「……行くわよ、二人とも」

 

 その言葉を聞き、士郎とバゼットは無理に体を使って立ち上がる。

 バゼットは宝具によって残り少なくなった魔力で肉体を満たし、その魔力で無理に体を動かす。士郎は士郎で、無傷とは言えないが信じられぬタフさでまだまだ動く事が出来た。凛も潰された足を引きずりながらも、自分たちのサーヴァントがいる場所へと向かう。

 ……しかし、戦闘の音がしていなかった。

 強大な英霊の気配は其方から感じられ、セイバーとアーチャーの気配も確かに存在している。だが、戦闘による魔力の波動は無い。

 

「逃げるのかね、アサシン。私達に背を向けて」

 

 三人が来た時、どうやらサーヴァント達の戦いも終わりを迎えていたらしい。凛はただ、セイバーとアーチャーの背中を見て、既に自分達の戦いが終わりそうなの理解した。

 

「すまぬな。私としても最期まで斬り合うのも一興だが、勝てないなら戻れとの指示だ」

 

 アサシンとて、自分が勝てないのは理解していた。自分と同等の剣士に加え、弓兵が戦うとなると首を切り落すのはほぼ不可能。無論、死なぬように防戦をするのは出来るが、それでは勝てず、この場所で死力を尽くす意味も無くなっている。精々が足止め。しかし、そんな事にアサシンの心情は関係無い。

 ―――葛木宗一郎が死んだ時点で、アサシンの敗北のようなもの。

 そして、サーヴァント二体に加え、サーヴァントさえ隙さえあれば打倒する可能性があるマスターが三人もこの場にはいた。しかし、彼ならば足止め程度なら可能でもあった。だからこそ、アサシンはこの指示を態々言葉にし、それは指示を出した神父の意思でもあった。つまり、向こう側も最期の決戦に向けて、万全を喫する為に力を温存する事に決めた訳である。更に言えば、来るならば直ぐに決着を付けてやると言う挑発でもあった。

 

「―――――――――――」

 

 そうして、気配が消失したアサシンが視界から消える。

 消耗し過ぎた彼らも無理に追う余力も無く、追跡戦を挑んだ所でその場所に英雄王と神父も現れるだろう。敵もかなり消耗していると考えられるが、自分達の方が勝算は低い。

 

「……帰るわよ」

 

 凛の一言によって、皆の意志が統一される。セイバーとアーチャーは警戒はしていても構えを解き、バゼットも一息ついた。士郎も勿論、今までの疲れを吐き出すように大きく息を吸ってから出した。

 

「―――それとアーチャー。

 あんたとは帰ってから、たっぷりと話さなくちゃならない事があるんだから―――覚悟しておきなさい」

 

 その笑顔を向けられ、弓兵はやれやれと召喚された時のように苦笑を浮かべたのであった。

 敵はアサシン、ギルガメッシュ―――そして、言峰士人。

 油断など欠片もで出来ない強敵難敵揃いであるが、それは此方とて負けていない。恐らく、この第五次聖杯戦争の決着は近い。彼ら五人は油断することなく、森の中は再び脱出に向けて進んで行った。

 

 

◇◇◇

 

 

 今、彼が存在している場所は闇一色であった。

 何も見えない。何も聞こえない。しかし、音では無く脳内に直接響き、そして刻む込むように伝播してくる何かが満ちている。

 

 死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。

 ――――始まりの刑罰は五種。

 ――――生命刑、身体刑、自由刑、名誉刑、財産刑、様々な罪と泥と闇と悪意が回り周り続ける刑罰を与えよ。

 『断首、追放、去勢による人権排除』『肉体を呵責し嗜虐する事の溜飲降下』『名誉栄誉を没収する群体総意による抹殺』『資産財産を凍結する我欲と裁決による嘲笑』死刑懲役禁固拘留罰金科料、私怨による罪、私欲による罪、無意識を被る罪、自意識を謳う罪、内乱、勧誘、詐称、窃盗、強盗、誘拐、自傷、強姦、放火、爆破、侵害、過失致死、集団暴力、業務致死、過信による事故、護身による事故、隠蔽。益を得る為に犯す。己を得る為に犯す。愛を得る為に犯す。得を得るために犯す。自分の為に■す。窃盗罪横領罪詐欺罪隠蔽罪殺人罪器物犯罪犯罪犯罪私怨による攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃汚い汚い汚い汚いおまえは汚い償え償え償え償え償え償えあらゆる暴力あらゆる罪状あらゆる被害者から償え。

 『この世は、人でない人に支配されている』

 罪を正すための良心を知れ罪を正すための刑罰を知れ。人の良性は此処にあり、余りにも多く有り触れるが故にその総量に気付かない。罪を隠す為の暴力を知れ。罪を隠す為の権力を知れ。人の悪性は此処にあり、余りにも少なく有り辛いが故に、その存在が浮き彫りになる。百の良性と一の悪性。バランスをとる為に悪性は強く輝き有象無象の良性と拮抗する為兄弟で凶悪な『悪』として君臨する。

 始まりの刑罰は―――――――――――――――――――――――――――

 

 極性の呪い。世界全てから生み出された世界全てを穢す呪い。

 人間を全て等しく、憎悪し、罵倒し、断罪する怨嗟の声。この世全ての悪に満ちた世界。

 

「……生前の夢から目覚めて見れば、この惨状か。相変わらず、これには呪いが満ちている」

 

 殺された男は夢を見ていた。大昔の、そして第五次聖杯戦争の時間軸で考えれば、未来に当たる夢であった。あの女には生前凄まじく手を焼いていた為、死んだ今になっても印象が強い。アレとの出来事を忘れる事は、様々な事柄を情報として記録に刻まれた英霊として有り得ないだろう。

 

「だがまぁ、死してここで目覚めるとはな」

 

 しかし、殺されて死んだ後は意識を失って、そして醒める事も無い筈であったが、何故かこうして死の夢から目覚めてしまった。勿論、今のこの状況もまた、夢なのかもしれないが。

 

「―――懐かしい。

 この感覚は実に久しぶりだ。死後の世で死に果て、再び地獄に戻ってきた訳か」

 

 先程から闇の中を漂っていた男―――アヴェンジャーのサーヴァントは笑っていた。ギルガメッシュに殺害され、魂を聖杯に取り込まれた彼は無色の力の塊と化し、ただエネルギー源になる筈だった。

 しかし、聖杯の中身を満たす呪詛と彼は同類だ。互いに意思疎通が可能な程、質が似通っている。嘗てのように無色であるのなら兎も角、今の聖杯からすれば彼の存在は歓迎すべきモノとなる。

 

「―――よう。初めまして。それとも久しぶりって言った方が良いかな、アヴェンジャー?」

 

「この世界で聖杯に呪われたのは、この世界の自分だ。故に、初めましての方が正しいだろう」

 

「へぇ、そうなの。では改めて。

 ―――初めまして、アヴェンジャー。聖杯の中へようこそ」

 

 目の前に現れたのは自分に似た黒い影。死したアヴェンジャーは擬似的な視界によって姿形を暗闇の中で捉えていた。

 

「ふむ。では、此方も初めましてだな、アヴェンジャー。招き入れてくれた事に感謝しよう」

 

 アヴェンジャーは、目の前の人物に対してアヴェンジャーと自分と同じ名で呼ぶ。不思議と不自然な雰囲気にはならず、特に黒い影の方は笑いを堪えている様子で会話を楽しんでいる。

 

「……やっぱり真名の方でコトミネジンドって呼んだ方が良いのかねぇ。お互いに復讐のサーヴァントじゃ、色々と面倒臭いな」

 

「その通りだな、この世全ての悪(アンリ・マユ)

 

「あらら……分かる?」

 

 アンリ・マユと呼ばれた方の人物は楽しい雰囲気を更に濃くし、アヴェンジャーへ笑顔らしき何かを向けた。影になっていて分からないのであるが、気配で何となく感情の程度を彼は悟る事が出来た。

 

「無論。そもそもだ、それ以外に該当する人物が存在しない」

 

「―――流石は聖杯の子。

 オレの所為で失った感情も、もう守護者と化したアンタには必要ないみたいだ」

 

「……先程も言ったであろう。お前が奪い尽くした相手は、この世界の言峰士人で在って、アヴェンジャーであるコトミネジンドでは無い」

 

「どっちもオレからすれば変わんないんだけど」

 

 ふ、と息を吐く。復讐者の神父は思考を巡らした後、相手の結論を考えた。しかし、幾つかの候補は考え付くも、決定打は無く対処法も無し。

 だから、彼がこれからアンリ・マユに対してする質問も簡単な問いとなった。

 

「まぁ、それは良い。自分が聖杯内部で溶けていない理由も察しは付いている。

 ……解らぬのは何故、嘗てのこの世全ての悪(アヴェンジャー)で在った筈のお前が、こうして俺の前に姿を現したのか。その理由が知りたい」

 

 ニタリ、影が禍々しく笑みを作った。それはアヴェンジャー・コトミネジンドに似通った中身の無い空白の笑顔。見た者に悪寒と恐怖を与える笑顔であって笑顔では無い表情だ。

 

「―――なに。簡単な取引さ。

 悪魔が英霊と取り交わす純粋な契約だ」

 

「サーヴァントを支配する聖杯であるお前が、既に取り込んだ敗者に対して取引とは、胡散臭いにも程がある。

 だが……なるほど、悪神の話となれば十分に面白そうだ」

 

「だろ?

 ……まぁそもそも、泥の中で意識をカタチに出来る怪物なんてアンタくらいしかいないもんだから、この契約も本来なら無意味な筈だったんだけどね」

 

 暗い暗い闇しかない泥の呪詛。そんな地獄の中で、二人は楽しそうに会話を続けていった。

 聖杯戦争がまだ続き、聖杯降臨も後僅か。

 最後の場で出会ってしまった復讐者(アンリ・マユ)復讐者(コトミネジンド)は、呪いの中で更なる呪いを作り出す為、呪詛を互いに編んでいった。




 それと今回の裏設定なのですが、実は葛木先生は色々と対魔術用の護符っぽいの付けていました。とは言え、荷物にも成らない程度の軽いものですし、一般人にも使える魔力要らずの軽いものです。暗示程度なら防げますが、物質化して音速で迫るフィンの一撃の直撃には耐えられない程度のもの。もっとも、魔術師であるなら護符で結構弱まったガンド程度なら自身の抵抗力でどうとでも出来るのですが、葛木先生にはそれが出来ませんでしたので、凛のガンドが効いた訳です。また、神父も色々と武器を貸そうと考えていましたが、そこは葛木先生的に使い慣れた拳のみを頼りました。
 最後に、CCCの悪魔ランサーが何か可愛い。マジアイドル。

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