神父と聖杯戦争   作:サイトー

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 取り敢えず、第二部のプロローグ的な話。段々と物語を加速させていこうと思っています。
 そして注意事項ですが、第六次のコンセプトの一つがチートvsチートです。原作キャラもオリキャラも強いですので、そう言う展開が嫌いな人は気を付けて下さい。


第六次聖杯戦争
41.衛宮邸にて


 ―――聖杯戦争。アインツベルンが画策した第三魔法成就の為に造られた魔術儀式。そして、衛宮切嗣とアイリスフィール・フォン・アインツベルンの両親を持つイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、前回に行われた第五次聖杯戦争における小聖杯である。

 ……そう、第五次聖杯戦争が終了したところで、イリヤスフィールは生まれながらの聖杯だ。今も尚、聖杯として機能する心臓で生きている。無理なアインツベルンによる調整により、短命であり、実際に成長も停止してしまっていた。実年齢と外見の年齢が大きく離れており、それはある意味母親とは正反対のギャップでもあった。

 

「―――はぁ、あの腐れ外道神父。なんで態々此処に来たのかしら?」

 

 陽光が入り込む衛宮邸の縁側。寒くなってきた季節であるものの、日の光で十分に暖かく、今日は風も余り強く無い。そんな季節を程良く実感出来る場所で重く溜め息を吐く女性こそ、嘗ては聖杯として生贄に捧げられたイリヤスフィールであった。

 赤い瞳に長い銀髪。外見年齢から見ると、十五から二十までと言った年若い風貌。しかし、実年齢は既に三十路に迫ったかなりの童顔な独身女性。色々と世の中を溜め息と共に悟りながらも、まだまだ若い気持ちのままでいたい年頃である。

 

「あーあ。街の空気も染まってきたし、そろそろなのね。あの神父にはしてやられたわ」

 

 髪の毛を一本に纏めてポニーテールにしている姿も、生活感が湧き出た自宅で寛ぐ女と言った雰囲気そのもの。とても良く出来た二人のメイドに、資産も使わなければ腐らせるほど所有しているとは言え、家事もせずにニート生活をするのも飽き飽きしていた。生粋の貴族様であるも、第五次以降は森の城からも離れて街暮らし。特に士郎たちが冬木を飛び出し、桜も時計塔に渡ってからは、生活に欠片も潤いが存在していなかった。それと、士人が消えたのは如何でも良い。

 それで始めたのが大学生。偽造した身分を利用してあっさりと国立大学に入学し、教育学部に所属した。なんだかんだで人生を充実させるべく、今までの日常とは違う娯楽が欲しかった。大河が楽しそうに働いているので、飽きが来るまでやってみようと興味本位で始めたのだ。

 ……学校は楽しかった。

 普通の日常は実に面白かった。退屈な毎日が幸福なのだと実感出来た。

 この生活に士郎たちがいればどれ程の幸せに満ちた日常なのかと夢想したが、今となっては価値は無い。道を決めた弟を応援せずに何が姉か。そして気が付けば四年が過ぎ去り、あっと言う間に教員免許を取得していた。以後三年間、高校で教員生活を衛宮邸から送っているのであった。

 無論、高校の中でかなりの有名教師。日本人では無くドイツ人であり、日本語を完璧に扱えるのは当然として、ドイツ語、英語、フランス語、何故かラテン語や大昔の数ある古語さえもマスター。その上であの見た目の美しさと若さ。加えて中身も完璧。女性にも受けがかなり良い上、男性から圧倒的な人気を持つ。そして、何時もの通勤に使うメルセデス・ベンツ製の高級外車。なので、有名にならない理由がなかった。

 彼女にとって、想像もしていなかった未来である。それはなんて儚くも、輝いている日々なのか。

 そんな毎日を送れる要因になったのが、あの神父だというのが中々に腹立たしいが。彼の存在無しにここまで長生き出来る事はなかっただろう。しかし、それを感謝する事はお門違いでもある。

 

「……正にダニね。あいつので所為で、士郎も凛も綾子も――――」

 

「―――言うだけ無駄よ、あの言峰が相手じゃさ」

 

「……アヤカ」

 

 銀色のポニーテールを揺らしながらイリヤは、後ろから声を掛けてきた者へ振り返る。どうやら衛宮邸には、イリヤ以外の人物がいるみたいだ。

 

「言峰の人格が捻じれ曲がってるのは、貴方も知ってるでしょ」

 

「……だって、分かってても、凄くむかつくじゃない!」

 

「あー、うん。でも、あんなのでも、良いところは結構あるんだよ? ……多分?」

 

 トレードマークの黒縁眼鏡を弄りながらイリヤと話をしている人物―――沙条綾香は困った様に返答した。

 高校生の時とは違い、彼女は大人として十分に成長していた。見た目も雰囲気も、落ち着きのある風格に満ちた眼鏡美人となっている。綺麗な黒髪もそこそこ伸ばしており、魔女と名乗れるくらいには気配に鋭さがあった。

 

「ねぇ、あなた……本当にあの外道と付き合ってたの? 正直言って趣味悪いわ」

 

「……若気の至りって、ほんと怖い」

 

 正直な話、自分の人生が一番輝いていたのはあの神父と関係を持っていた青春時代。はっきり言って、男としてあそこまで誠実且つ、究極的に相手を駄目女にする奴はいないと沙条綾香は断言出来た。場の空気と相手の心情を完璧に察し、紳士にも狼にもなれるとか、正に反則性能。嫌な気分にもさせず、幸せを心から染み込ませるように実感させてくれる。

 年齢を重ねた今になっても、別れたのは面白く無かったと思う。けれども、やっぱりそれは相手にとっても自分にとっても正解であった。

 

「まぁ……でもさ、思い出はとても綺麗なんだよね、これがまた」

 

「そう、なの?」

 

「あのね、イリヤ―――」

 

 綾香は過去を回想する。他の男とも付き合ってみたものの、どうも駄目だった。精神的に釣り合いで取れない。相手の心情が当たり前のように悟れて、欠片も一緒に居て楽しく無い。心が弾むことが余りに少ない。人間として面白くない。

 結局、自分の体を許した事があるのは―――

 

「―――やっぱ、さっきの言葉は撤回。若気の至りじゃなくて、一生の不覚だわ」

 

 まぁ、ついてなかった。そう言うことにしよう。彼女の結論はあっさりしていた。

 

「……ふ~ん。なるほどね、まだまだ未練タラタラって感じかしら」

 

「――――――――」

 

 言えない。とてもじゃないけど、別れた後も度々関係があったなんて、誰にも言えない。美綴のこともあって身を完璧に引いていたが、彼女が男性に対して良くも悪くも心に一番響いたのがあの神父であったのだ。あの男一人であった。

 そんな沙条綾香の最近の悩みは自分の結婚事情。

 沙条家の魔女として、これからの人生設計が結構行き詰っていた。冬木市と時計塔を行ったり来たりの生活であり、縁談も中々に落ち着かない。

 彼女は深みに入る頭の中で思ってしまった。ならば、いっそのこと――――

 

「…………いやいや、ないない」

 

 ―――思考を断ち切る。

 魔術師家系の魔女として子供が欲しい時期になってきたからと言って、それは余りにも自分らしく無い。眼鏡を人差し指で抑えながら、目を瞑ってイメージを打ち消した。

 

「……それで、アヤカは私に用事があったんじゃないの?」

 

 どつぼに嵌まっている友人の魔女に呆れながら、イリヤは胡乱気なじと目で訊く。はっとそれに気が付き、綾香は意識を現実に直ぐさま戻した。

 

「勿論。薬のお届けと、新薬開発の成功を報告にね。

 これで予定の寿命よりも大分長くなる筈。これでも私、お得意様には長生きして欲しいから、結構張り切ってみました」

 

「感謝するわ。最初の計画よりも大分順調な雰囲気ね」

 

 本来ならば短命なイリヤスフィールが今も生きているには原因があった。むざむざと周りの連中が何もせずに、助けられるのに助けない理由がなかった。

 方法としては主に二つ―――臓器移植と薬物投与。

 ホムンクルスの鋳造技術を利用した人形師の手腕によって、弱った臓器を作り物と交換する。衰弱していく肉体で、交換可能な部分は全て入れ替えた。聖杯たるイリヤスフィールとして心臓は流石に交換不可能であったが、それでも大幅に寿命を延ばす事は出来た。その上で沙条家の魔女によって生成された延命薬で命を長引かせているが、それも後何年保てば良い方なのかも分かっている。故に、薬品の改良によって寿命を出来る限り伸ばしていくのが重要となり、綾香は魔女として実に有益な商売相手を手に入れられた。

 そして、イリヤが今も生きていられる大きな原因は言峰士人による所が大きい。

 彼は聖杯戦争において違反を犯した等価交換の代償として、此方側が望むことをすんなりと事を運んで提供してしまった。沙条綾香の紹介や、その魔女に渾身の逸品である魔術礼装として優れた魔女の釜を渡す事で、イリヤの延命さえ可能な魔術薬品の開発に成功している。寿命を長引かせる為、根本的な延命治療として臓器交換を考え、そのホムンクルスに適応した人造臓器の準備をしたのも神父の手腕であった。

 止まった成長が僅かに始まったのも、これらの副作用的な効果と言える。また、二十歳を越えて童姿のままでは不便だろうと余計な手心を加えた神父がさらに、沙条と計画して人体成長を促進させる霊薬を開発したのも大きかった。

 

「本当にあのダニ神父は手加減をしらないわ。やるからには徹底して、私を隅々まで助けるんだもの」

 

「……まぁ、ねぇ。魔女の私以上に、色々と理論を閃いて魔術薬品の構成を考え付くんだもの。

 実際の黒魔術(ウィッチクラフト)の腕前は兎も角、あの発想力は魔術師として羨ましい限りね。道具の準備も一流を越えてるし」

 

 ピンポーン、とその時呼び鈴が鳴った。古くなって壊れていた衛宮邸のそれをつい最近新しく買って付けたからか、調子の良い音が家の中で響き渡った。

 

「―――あら、また客が来るだなんて珍しい。今日はセラとリズが二人揃って出掛けてるから、本当に面倒臭いじゃない。

 ……アヤカ。あなたは居間で待っててくれる? お茶受けも勝手に食べてていいわよ、飲み物もね」

 

「わかった」

 

「ごめんなさいね」

 

「いえいえ、お構いなく」

 

 ピョコンピョコン、とポニーテールを可愛らしく揺らして歩くイリヤの後ろ姿を綾香は見送る。あの可愛らしさと美しさと若さで、自分より年上とか詐欺にも程があると考えた。スタイルは確かに子供っぽい幼さがあるが、それがまたイリヤスフィールらしい魔性と言うか、小悪魔っぷりを出していると言うか、見てると色々と彼女はやるせなくなった。

 

「衛宮の奴も、あんな良い姉置いてくなんて罪深い男だね。

 ―――はあ。儘ならないなぁ。

 本当に私の姉も、あれくらい人間出来ていて、真っ当な人間だったら良かったのに……」

 

 声に出さないで口の中だけで音を消した。思っていても、外に出す気にはなれなかった。

 彼女は自分の姉のことを人間だとは思った事は無い。自分と血の繋がった姉妹だと認めていても、あの魔術師から人間性を感じた事はただの一度も無い。この世に発生した瞬間から生まれながらの化け物だった。

 一人だけの居間で座布団に座り、イリヤを淡々と待つ。沙条綾香を再度、思考に埋没する。

 どうも、あの姉は自分のトラウマになっている。長い間、あの笑顔を忘れる事もなければ、あのおぞましい印象が薄れる事も無い。死徒になって人間を喰らい、世界を彷徨っているのは知っているが、だからと言って自分がどうこう出来る相手では無い。と言うよりも、全然関わり合いになりたくない。代行者の方々には是非とも頑張って欲しいと応援したい程。可及的速やかに死んだ方が世の為人の為だ。

 アレを冬木市から撃退した言峰士人がいなければ、果たして自分は今こうやって生きているのか。そんな事は考えるまでも無く、面白半分の好奇心で実験動物にされた挙げ句、死体を玩具にされていただろう。あの姉は本当に道から外れた人類悪なのだ。そして士人も悪人で在るが、それとはまた種別の違う悪人。あの神父は有りの儘に人間をそのまま愉しめるが、あの姉は自分勝手に命を玩弄して愉しむ類の者。

 沙条綾香は魔女として別段善悪に拘りは無いが、それでも神父の方が沙条綾香からすれば遥かに好ましい極悪人であった。何故だか嫌悪感が無く、むしろ何処か透明な在り方に憧れる。

 

「―――毒されてないか、私……?」

 

 ふ、と自分が変わり始めた頃を思い出す。価値観が変異する程、彼との付き合いは色濃かった。

 魔女はあの神父と出会えたことこそ、自分の人生の転機だったとわかっていた。その時まで苦痛に感じていた魔女の家業も、自分なりの楽しみ甲斐を見出せていた。家を継ぐ魔女として、根源を目指す魔術師として、迷いが晴れていった。

 そして、黒魔術(ウィッチクラフト)以外の魔術も、色々と試行錯誤していくようにもなる。新たな視界を得た彼女は飛躍する。

 神父との関わり合いで変わったのは無論のこと、魔術関連だけではなく自分の内面もだった。今まで感じられなかった色々な物事が、様々な実感として手に入れる事が出来た。

 今の沙条綾香がこうして存在しているのは、正しく言峰士人との出会いから始まったのだ。

 

「…………―――」

 

 無言で煎餅を齧った。渋めの醤油味が、口の中で暴れていた。やはり、思い出は美化されてしまうのかもしれない。煎餅の苦みと固さに集中して、思考を空白に洗浄する。割り切れないからこそ、その事実を彼女は有りの儘に認知している。苦しいのであれば、苦しいままに受け入れた。

 

「―――仕方ない、なんて言葉は嫌いなんだけど」

 

 現実は現実。理想は理想。数ある選択肢から導いてきた未来が今となる。

 十代の頃では想像も出来ていなかったが、大人になってこうやって生活し、魔女として生きて行くのも慣れてしまった。魔術師として、社会に程良く溶け込みながらも神秘を探究するのは色々と気苦労が溜まる。

 ―――それで、数分後。コトン、家主がテーブルに人数分のお茶を置いた。

 客人を連れてきたイリヤスフィールが、綾香が待つ居間までやって来ていた。彼女が連れてきた人物はイリヤに似た髪の色をしており、きっちりとした修道服を着た女性であった。

 

「――――……で。要件はなに?」

 

 イリヤが不機嫌になるのも無理は無い。この修道女はこともあろうに、玄関から何も喋らずに居間についたら話をすると言ったきり無言を貫いていた。そんな態度を取られれば、普通の人間ならば失礼な奴と気に触るのは普通と言えた。プライド高めのイリヤスフィールとしては猶の事。

 ……そして、イリヤが連れて来た人物は、プライドが高い人間をからかうのが大好きでもあった。

 つまり、反応したらイリヤの負け。そこから色々と傷口に塩を塗り込む様に、彼女の結構傷付きやすい精神を痛めつけられる。あの腐れ外道な代行者に似て、色々と会話には注意が必要なのだ。

 

「―――第六次聖杯戦争」

 

「……―――――っ!」

 

「もう直ぐ開幕となります。

 私は聖堂教会の第六次聖杯戦争監督役としてイリヤスフィール・フォン・アインツベルン―――前回のバーサーカーのマスターに対して警告を行いに来ました。

 ―――時は刻一刻と切迫しています。

 逃げるのであれば避難する。戦うのであれば召喚する。早めにどちらか選んだ方が賢いかと」

 

 やはり、そうであった。彼女はアインツベルンの聖杯として、この事態を予感していた。第六次聖杯戦争の開幕が第五次と同じく周期が早くなれば、何時大聖杯が起動したも可笑しくは無かった。

 

「……召喚された数は何体?

 もしかして、既に全部出揃ったのかしら?」

 

「いいえ。サーヴァントの召喚が確認されたのは一騎のみです」

 

「―――それ、アインツベルンでしょう?」

 

「正解です。流石はアインツベルンの元マスター。あちらの情勢を悟るのがお上手ですね」

 

「……うるさいわね。だからなんだって言うのよ」

 

「いえ、別に。ただやはり餅は餅屋とは、この国の諺も巧い言い方をすると思いまして」

 

 涼しい笑顔で猛毒を吐く。

 

「あんなところ、とっくの昔に無関係だわ。もう既に、今の私には関係の無い場所よ」

 

 イリヤは既にアインツベルン家を抜け出している。正確に言えば、第五次聖杯戦争が始まった時点で死を前提にした出陣であり、もう彼女があの家に帰るべき居所など無い。

 ―――成功も失敗も、勝利も敗北も、戦争の結末は死が一つ。

 故にイリヤは資産だけアインツベルン家から大量に抜き取れるだけ抜き取って、冬木の街へ早々に移住してしまった。実に狡賢く、それは戦争費用として予め総資産から浮かして置いた金だった。そして、聖杯の孔が開いた事を建前の理屈にして、当家に対して自分の死亡説をでっち上げた。つまるところ、一生分の生活費だけ騙し取って経歴の完全抹消に成功した訳である。協力者は勿論のこと、金に目が眩んだ遠坂凛と、監督役放棄の償いとして等価交換に応じた言峰士人。

 

「あら、そうなのね。なら、その心臓も今は機能停止していると考えて大丈夫ですか?」

 

「良い感じに不調だわ。小聖杯となる私の心臓も、今回は大聖杯との共鳴率が前回よりも低い。この調子だと今回アインツベルンが用意した聖杯に、サーヴァントの魂は順調な様子で生贄にされるわね」

 

「聖杯で在るものの、聖杯として機能しないでいられる。言わば、磁石の強弱みたいなものですか。英霊の魂を引っ張り込む力が向こうの方が強いと言う訳ね」

 

「―――あぁ。なるほど、そういうことね。貴女の御蔭で少しだけ謎が解けたわ」

 

 イリヤは今日のもう一人の客人を思い出す。あの神父は死んだと聞いていたが、やはりというか生きていた。数年ぶりにこの場所に突然訪れた事に驚きはしたが、状況を把握してしまえば自体は本当に簡単であった。

 

「ふーん……やっぱり。あの腐れダニ神父が来たのも、私を観察するためだったのかしらね」

 

「……え―――?」

 

 そして、イリヤは段々と教会陣営と言峰士人の思惑を察して来た。

 現段階の言峰士人は聖堂教会から離れて活動を行っている模様。根本的に冬木教会は蝙蝠屋な言峰家の領域として半ば認められている節があり、聖堂教会内でも聖杯戦争運営区と特別視されている。しかし、その当人たる言峰士人は代理を頼み、巡礼と称して一時期世界を彷徨っていた。数年の間、代行者業務に集中していた時期もある。今だとカレンが言峰を継いで冬木教会を管理している。だがそれも今となっては昔の話。

 ―――彼は聖堂教会にもう居ない。

 殺人貴の最期を見届けた後、そのまま消息を絶っていた。

 既に暴走寸前となり魔王化間際の真祖を討つべく、魔術協会と聖堂教会は共同戦線を張り、これの殲滅に同意。殺人貴は徹底抗戦し、しかし魔王となった真祖は自分の騎士の手で星に還った。

 この戦役によって、大多数は死に果てた。聖堂教会のメンバーで生き残ったのはシエル程度しかいない。言峰士人も戦闘に参加していたが、死体も見つからず死んだことにされていた。これがおおよそ一年から二年前の話となる。

 つまり、それ以降、カレン・オルテンシアは教会を一人で運営していた。

 ……故に、カレンが思わず疑問の声を上げるのは当然であった。

 死体さえ見つかっていない兄が、この時期になって衛宮邸に訪れていた。自分に出会うことなく、イリヤスフィールを先に観察して帰って行ったらしい。

 

「――――――冬木にいるのですか?」

 

 カレンは訊かねばならなかった。この魔術師から、兄を消息の確認を取らねばならない。

 

「居るわよ、確実に。あの様子だと参戦する気みたいだったけど?」

 

「……そう、なのですね。

 では、だったら何故、組織に戻って来ないのでしょうか」

 

「教会から自分の意思で離反したんじゃないの? 離反者の末路は断罪だけでしょ、それも代行者なら尚更じゃない。まぁ、私も正確な原因は知らないわ。

 とは言っても、あの神父なら裏から手を回して、自分を無罪する位訳無いんだろうけど。あいつって、そういう策謀とか大好きだし」

 

 聖堂教会から離反した代行者。

 任務を放棄し、私情を優先する。

 もし生きているのであれば、彼は聖堂教会の離反者だ。

 

「―――殺人貴とお兄さんは知人でした。なにか、あの人物に頼まれたのかもしれません」

 

「……あー、うん。それが当たりだと思うわ。

 あの腐れ神父なら、それも一興とか楽しんで組織の一つや二つ、簡単に抜けるでしょう」

 

「―――許しません。

 あの駄兄はもう捕まえて、檻にでも入れて仕舞いましょう」

 

 うわぁ最悪、言いたげな表情を綾香は隠さなかった。なにせ、自分の目の前で関わり合いになりたくない兄妹の戦いの開幕が告げられた。唯でさえ魔術師や代行者同士は血生臭いと言うのに、その上で私情が混じったお題目が掲げられれば、悲劇が生まれるのは至極当然の流れと言えた。

 ふふふ。とか、そんな風に笑えちゃう貴方が怖いのです。なんて言う心の声を口から漏らさないように精一杯我慢する。

 

「……なんですか、根暗眼鏡。なにか言いたい事でもあるのですか?」

 

「いーえ何も、毒舌シスター。腹黒修道女に言うべきことは何も無い」

 

 仲が悪い。相性が全く良くない。人間性に差異があるとしか思えない程、修道女と魔女は人格が合致しなかった。

 

「まぁ、いいでしょう。私としても、貴女に何かしらの他意がある訳ではありません」

 

 綾香は直ぐにでも帰りたい。面倒事は全く以って御免である。視線を思いっ切り逸らし、少し冷えたお茶を飲む。このシスターからは何故か少しだけ敵視されており、毒舌の餌食に掛った事が何度も有る。

 

「それでは衛宮姉。私の仕事は終わりましたので、少し寛いでから帰ります」

 

 そう言い放った直後、カレンは静かにお茶を飲んだ。表情は微動もせず、美味いのか不味いのかも相手に悟らせない。そんな雰囲気最悪な状態でお菓子を頬張り、何故だかまったりし始めた。

 

「……いや、なんで寛ぐのよ? そして、私のことを貴女が姉と呼ぶな」

 

「なにを言ってるのですか。私は言峰士人の義理の妹。言峰士人と衛宮士郎は血の繋がった兄弟。そして、貴方は衛宮士郎の義理の姉。

 ―――ほら。私がイリヤスフィールをお姉さんと慕うことは、別に道理に反している訳ではありません」

 

「―――……ほんと、コトミネは最悪だわ」

 

「……うわぁ」

 

 まさに外道。相手の嫌がる話題とか超大好き。そんな修道女がカレン・オルテンシアであった。

 そして、カレンは聖堂教会から手配した偽造の日本国籍として、言峰可憐と言う名前を持っている。司祭としてはカレン・オルテンシアと活動しているが、どうしても他の身分証明書が必要な時は専ら言峰可憐の方を名乗っていた。

 故に、イリヤが言峰とカレンのことを呼ぶのは間違いではない。なにより、国籍は借り物とは言え、実際に言峰綺礼とは血の繋がった親子でもあるのだから。

 

「お兄さんの事を馬鹿にするのはやめて貰えませんか、イリヤスフィール?」

 

「……どうしたのよ、そんな急に。

 それに、そもそもな話、貴女も結構あいつのことを悪く言ってたと思うけど」

 

「当たり前ではないですか。お兄さんを―――言峰士人を愚弄していいのは私だけです」

 

 やれやれ、と溜め息をついてお茶を一杯。そして、新しく急須から緑茶を湯呑に注ぐ。熱いままのそれを彼女は躊躇いもせずに喉へと流し込む。勿論、表情に変化は皆無。

 

「―――――……」

 

「あぁ、うん。あれと貴女の二人は、やっぱりどう見ても兄妹ね」

 

 絶句するイリヤに代わって綾香が心情を吐露する。あの神父を知っている身として、実にカレンという女はらしいシスターであった。それこそ無視し切れない程に。

 

「―――あら。皆さん勢揃いですね」

 

 唐突に響く透き通るような女性の声。意志の強さと共に、柔らかい優しさも含まれた声はトロリとした魅力を持つ。

 声の主は気配も無く居間の扉を開いていた。

 ここに来たのは恐らく、この家の鍵を持っていたからだろう。そもそも、誰かに断るまでも無く、彼女は衛宮邸に入れるほど馴染んでいた。

 

「桜じゃない」

 

 この場で一番の年長者であるイリヤが、この家の家主として声を掛ける。第五次の時代で嘗ては少女だったこの女性とは、とても長い付き合いなので気心が知れていた。

 

「……間桐桜、ですか」

 

「どうしたんですか、カレンさん?

 まるで苦虫をダース単位で噛み砕いたみたいな苦い顔をして。折角の可愛らしさが台無しじゃないですか、勿体無い」

 

 うふふのふ~、と如何にも楽し気な表情。豊満に育った身体つきは女性としての美を体現し、その笑顔もまた母性的であり、蠱惑的でもあった。

 ……っち、と隠す事の無い舌打ちが鳴る。

 カレンとしても、間桐桜というこの魔術師は大の苦手だ。気配もそうであるが、自分を見る目があの神父に似過ぎていて何処か不吉で不気味。似ているのが似合わなくて、底の無い暗黒さが恐ろしい何かを感じさせた。

 

「あらら、ふふふ。舌打ちだなんて、本当に誰に似たのかしら?

 ……なんて、そんな無駄なこと言うまでも無いですね。だってこんなにもそっくりなんだもの。貴女と会うと懐かしくなって仕方ないです」

 

「――――――……」

 

 イリヤの心情ははっかりと表情に現れていた。うわぁ、マジ似た者同士……と。

 桜が黒くなり始めたのは、果たして何時の頃からだったのか。彼女が間桐家の当主になってから魔術師らしさが現われたのは、イリヤにも時期的に分かっていた。とは言え、イリヤが想像している訳と、桜が変わり始めた訳は違うので、イリヤは桜の内心を理解し切っていない。

 

「イリヤさん。顔に出てますよ」

 

「―――怖すぎるわ、桜」

 

 ちょっとだけ、ゾクリと背筋が凍った。イリヤは桜の事を気に入っているが、どうも精神的に恐い真っ黒な雰囲気が出ていた。まぁ、そんな彼女もまた彼女らしく、特に時計塔から帰って来てからは血の匂いも濃くなったと思う。気が付けば自分と同じ程度に魔術師らしさが身についていて、今となっては完璧に自分を越えた魔術師である。

 第六感的に少しだけ疑っている部分もあるも、それをイリヤは敢えて指摘しない。極端な例え話になってしまうが、桜が外道に堕ちていようとも、イリヤは彼女を認めていて、逆に助けようとしてしまうだろう。もはや士郎と同じ位、家族であると感じていた。

 

「ヒドいですね。花の独身貴族に対して、その言葉は辛辣です」

 

 間桐桜はそんなイリヤスフィールが好きである。特別に、家族愛的なモノも感じている。血の繋がりではなく、一緒に生活をしたから出来上がった人との絆。遠坂凛に対する感触に近い想い。

 勿論、聖杯戦争後から関わり始めた沙条綾香と、数年前から知り合いになったカレンも好ましいと思っていた。あの神父と関わり合いがある者は、今の桜の嗜好に適した楽しい人間が多いのだ。

 

「あー、それ。ちょっとグサって来たよ」

 

 綾香にとって、その問題は家系存続の為の命題だ。独身のままじゃあ本当に家が潰れてしまう。そも、家を継ぐ筈だった姉がアレなだけに、気苦労が多い次女である。妹は辛いのだ。

 そして、独身女性が衛宮邸の居間に四人。

 美女ばかりなのに、色々と男運がどん底な彼女たちだった。

 

「本物の貴族で独身な人も、そこにいますけどね」

 

「……うるさいわね。私だって好きな人位いるわよ」

 

「成る程。略奪愛と言うものですね。

 ……しかし、神は人の愛を祝福します。罪深い行いもまた、倫理に対する挑戦であり、信仰に対する新たな境地へ導けるのかもしれません」

 

「―――ふふふ」

 

「間桐。そこでそんな風に笑っちゃう貴女が私は怖いよ」

 

 やはり、姉と妹は相容れぬ。真実は常に残酷だ。そして、世間話もそここに会話は続く。

 誰もが腹に一物を隠している者であるが、それを暴いてこそのカレン・オルレンシア。彼女の目的として、間桐桜がこの場所に来たのは丁度良かった。間桐家の陣地まで出向いて聞くのは大変危なく、電話で聞くだけでは生の声で判断するよりも難しくなる。

 よって彼女は、場の空気を一瞬で浄化した。カレンの発する言葉は静粛を強要させ、聞く者の心を縛り付ける言霊が存在している。

 

「では、間桐桜。間桐家当主として聞きましょう。

 ―――汝は、この度の聖杯戦争に参加するのか、否か。その答えを教えて頂きたい」

 

「答えは否です。この度の聖杯戦争において、間桐は令呪の配布から逸れてしまいました。

 ―――英霊の召喚無くして、戦争を勝ち抜く事は不可能。

 ほら、そんな事に命を賭けるなんて、間桐の魔術師として有り得ないです」

 

 そして、長袖を捲って彼女は効力を失った前回の令呪をカレンに見せる。

 

「……確かに。機能はしていませんね」

 

「そう言う事です。私には座からサーヴァントを召喚する権利がありません」

 

 今の彼女の状態を言ってしまえば、言峰家の令呪と同じであった。サーヴァント召喚に使えない令呪であり、召喚者の権利として使えない未使用なだけの令呪でしかない。これではただの魔力の塊である。

 

「―――と言っても、野良英霊と契約する事は出来て仕舞います。まぁ、其処ら辺の匙加減はカレンさんにお任せしますよ」

 

「分かりました。では、教会の方でもその情報は貴重に管理させて頂きます」

 

「ありがとうございます。此方としても、間桐の事情を考慮して頂き、一魔術師として感謝します」

 

 ふふふ、と暗く笑い合う美女二人。

 第六次聖杯戦争が始まるまでは、まだまだ時間が掛かってしまう。本質的に戦争を管理する聖杯もまた、時期早々に始まった第六次聖杯戦争の参加者選抜に時間を使う。

 それまでは、この日常は続いて行く。

 選ばれた七人の魔術師に、聖杯を求める七人の英霊。彼らが集まる時、冬木の地で六回目の地獄が開催されるのであろう。




時系列が分かり難いと思いますので、物語の年表とか作ってみました。
◇年表◇
1992年:第四次聖杯戦争。言峰士人が聖杯に呪われる。
      遠坂凛に言峰士人が弟子入り。
1993年:言峰士人が本格的な代行者の修行を開始。
1994年:自分の異常を認識し、言峰士人が覚醒を始める。
1995年:地下室の撤去を開始。孤児院の正常活動。
1996年:言峰士人、カレイドルビーに遭遇。そして激写。
      マジカルステッキにとある仕掛けを施す。
1997年:衛宮切嗣死亡。
      バゼット・フラガ・マクレミッツが言峰綺礼と出会う。
1998年:言峰士人が現役最年少代行者に選ばれる。
      沙条家が冬木市に紛れ込む。
      言峰士人がギルガメッシュの臣下となる。固有結界の覚醒に成功。
1999年:シエルが機関長の嫌がらせにより、言峰士人の担当に抜擢。
      バゼットが言峰士人と遭遇。
2000年:沙条愛歌が冬木に襲来する。これを言峰士人が撃退。
2001年:アインナッシュの崩壊。死徒二十七祖第七位の消滅を確認。
2002年:一月、言峰綺礼死亡。
      二月、第五次聖杯戦争が始まる。結果、聖杯は完成ならず。
      三月、間桐臓硯が亡くなる。間桐桜が当主に。
      十月、冬木異変が起こる。
2003年:三月、衛宮士郎他高校卒業。
      四月、遠坂凛が衛宮士郎を弟子にして時計塔入学。
      また、バゼットが美綴綾子を時計塔で弟子にして入学させる。
2004年:カレン・オルテンシアと言峰士人が出会う。
      間桐桜が時計塔へ入学。
      言峰士人が代行者活動に専念し始める。
2005年:衛宮士郎、時計台を去る。遠坂凛も同時に時計塔から野に下る。
2006年:美綴綾子、時計塔を去る。野に下り、世界へ飛び出す。
      間桐桜、時計塔を卒業。その年、教会から養子を引き取る。
      衛宮士郎、封印指定に認定。
2007年:遠坂凛が時計塔に帰還。ゼルレッチの弟子となる。
      間桐桜が冬木の代理管理人となる。計画進行開始。
2008年:アルズベリ事変の勃発。死徒二十七祖の派閥が完全崩壊する。
      魔術協会、聖堂教会、共に組織形態が崩れる。
      埋葬機関第七位が副機関長を任命される。
      カレンが冬木教会へ赴任する。
2009年:衛宮士郎の封印指定が一時凍結。
      遠坂凛が魔法使いの弟子を卒業。
      言峰士人が本格的な計画を実施。
2010年:真祖アルクェイド・ブリュンスタッド討伐作戦。
      殺人貴死亡。そして、真祖の絶滅を確認。言峰士人の消息が完全に途絶える。
      シエルが埋葬機関の掌握を開始する。聖堂教会の組織再編を急ぐ。
      バゼットが執行者として王冠に選ばれる。
      衛宮士郎が処刑台送りにされるも、美綴綾子が阻止する。
2011年:第六次聖杯戦争。

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