神父と聖杯戦争   作:サイトー

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 戦争休憩回です。しかし、作者としては色々と悩む内容でした。


47.三つ巴の暗殺者達

 昼。正確に言えば、夕方に入る少し前。沈みゆく傾いた太陽の光は、地球の大気とぶつかる事で色合いを変色させる。橙色と化した夕闇の輝きは、これから世界が闇に変貌していくことを知らしめる。何度見てもこの光景に変わりは無く、人々は一日の終わりを実感するのだろう。

 

「カッコ良かったですね、貴方の息子さん。先輩はどんな姿でも、実に先輩らしかった」

 

「――――――……」

 

 無言を貫き、煙草を吸った。口から煙を吐き出し、強く冷たい視線で自分を召喚した魔術師を睨む。

 

「……間桐桜。君は僕を如何したいんだい?」

 

「嫌ですね。そんな疑い深く見ないでください。好きな様に戦って下さって、本当に私は構わないのです」

 

 間桐邸のリビングで椅子に座る陰鬱な男―――衛宮切嗣は、重く言葉を吐き出した。

 

「信用出来ないし、信頼も出来ない。共に戦う仲間になるなんて、そんな冗談は聞きたくなかった」

 

「ふむ。相変わらず疑り深いな、衛宮切嗣。実際問題として、情報も集まり戦略も練り易くなったであろう?

 ―――我々は聖杯を求める同志ではないか。

 これまでの過程はともあれ、結果として同じ物を望む者ならば、それなりの仲間として信用したらどうだ」

 

「黙れ、言峰綺礼。協力者としてなら信用を認めてやっても良いけど、仲間として信頼するなんて、とてもじゃないが不可能だよ。

 ―――最後の最期でおまえは裏切る……僕も、間桐桜も、間桐亜璃紗も。

 結果が目に見えているのに、何でそんな異常者を仲間にする事が出来るってんだ」

 

「駄目ですよ、切嗣さん。どうせ死ぬのですから、最後が来るまで仲良くしましょう。綺礼さんはその辺りこと割り切ってますので……ほら、嘗ては敵だった貴方にも割かし親切じゃないですか」

 

 桜が黒い笑みで断言した。この場に居る全員の本心だが、言って良い事と悪い事が世の中にはある。それが、この言葉だ。決死の覚悟……唯の覚悟では無く死を決意する程の妄執ゆえに、この歪な同盟が成り立っている。ならば、それを軽々しく言葉にすべきでは無いのだ。

 だからこそ、桜は他人の想いを揶揄するように残酷な事実を言い表すのだが。それも、相手が衛宮切嗣なんて言う傷だらけの心を持った大好物ならば猶の事。

 

「……桜さん、凄く凄く胡散臭過ぎるよ。そんなのだから、衛宮さんに嫌われてしまうんです。ほら、見るからに人間不審そうな男なんですから、もっとナイーブに扱って上げないと」

 

 とは言え、エグイ人間しかこの場には居ない。一番年下の亜璃紗でさえこれならば、他の三人はどれ程の鬼畜具合か。

 

「亜璃紗ちゃん。君はあれだね、男から余りモテないでしょ?」

 

「嫌だね、衛宮さん。こう見えても私、仮面を被るのとても上手いんだよ」

 

 一室に四人は集まっていた。間桐邸らしく薄暗い部屋だが、広さと飾りは一級品。そして、大きいテーブルの上には、上品且つ家庭的な物凄く美味な料理が並んでいる。

 まるで四人家族の夕飯時な四角い机を前にして椅子に座り、四人の魔術師たちは黒い雰囲気を出して座っていた。間桐桜の隣には衛宮切嗣が座り、彼の対面に言峰綺礼が座り、神父の隣に間桐亜璃紗が座っていた。亜璃紗は正面に座る桜を見つつ、彼女が作った料理を堪能していた。

 

「……う~ん。なんで桜さんは、料理はこんなに家庭的に旨いのか。やっぱり愛が重要なんでしょうか」

 

「ずばり、その通りです。愛も料理も、手間暇掛けて仕上げを完成させるものですから。亜璃紗も何時か分かる時が来ますとも」

 

「―――違うね。愛は突然訪れるモノだよ」

 

「―――違うな。愛は自分で見出すモノだ」

 

 ……と、切嗣と綺礼の声が被った。食事を一瞬で食べ尽くして煙草を吸っていた切嗣は、ゆっくりと泰山風味の激辛料理を楽しむ綺礼と目が合った。

 

「自ら手に入れた幸福を棄て、聖杯を望んだおまえが愛を語るのか?」

 

「人の営みを余分にしか感じられない男が、愛を知っているとでも?」

 

「まぁまぁ、そんなに殺気を出さないで」

 

 亜璃紗は笑顔で仲裁に入る。正直に言えば、彼女はこの二人が面白くて大好きだ。桜も桜で歪んでいるが、衛宮切嗣と言峰綺礼の壊れっぷりはこの世に二つと無い最高の遊興である。

 

「……おまえの息子、衛宮士郎は衛宮切嗣に似て、らしい末路を辿っているではないか。正義の味方を継がせる事が、おまえの愛と言うものなのか。

 ならば随分と、親孝行な子供だな。

 父の無念を晴らすべく、自ら煉獄で焼かれる事を良しとするなど、確かにおまえから愛されなければ出来ぬ行いだ」

 

「そういうアンタらしくなく、普通の父親みたいに息子へ肩入れしてるね。彼が聖杯に落ちた時も助けていたけど……何と言うか、あれは実に気味が悪かった」

 

「「―――……」」

 

 間桐親子の心は一つになった。似た者同士だなぁ、と。

 しかし、何だかんだと桜も亜璃紗も空気の読むのは得意だった。もっとも、他人の心情を悟れる程聡いからこそ、精神を甚振るのがとても巧いのだが。

 会話は続く。長い間、二人とも聖杯の中に居た所為か、こんな会話がライフワークになっていた。桜が食器を台所にかたし、亜璃紗は携帯電話を弄くり回していた。しかし、綺礼は楽し気に切嗣へといつも通りの暗く重い笑みで、しかし何処か神聖さに満ちた表情で語り掛けていた。

 

「私の娘は冬木に居てな、そっと見てみたら妻に似て美しく育っていたぞ」

 

「奇遇だね、僕の娘も今はこの冬木に居るよ。おまえに殺されたアイリそっくりの美人だった」

 

「ふ。私が殺した? 馬鹿を言え。

 あの女はそも、死に逝く運命(サダメ)の器人形だ。故に、手を下したのが私とは言え、それはおまえから見ても別段取るに足らない事であった筈だが」

 

「うっかり自分が拾った子供の方が呪いに対する適性が高くて、心臓の呪詛を吸われて死んだ男とは思えないな。

 願望を果たすべく挑む筈だった第五次聖杯戦争に参加出来ず、聖杯内に囚われていた間抜けとは思えない台詞だね」

 

「その呪詛に抵抗出来ずに死んだ奴の台詞とは思えん程、皮肉が効いた言葉だ。やはり、正義の味方であった者は言う事が違う」

 

 アヴェンジャー・この世全ての悪(アンリ・マユ)の亡霊と化した二人を、奈落の底の地獄から召喚してから続く毎日。こんな光景が、既に間桐邸では変わらない日常となっていた。

 衛宮切嗣の戦場視察と、間桐桜の蟲による冬木監視網。

 先日の殺し合いにおける考察を行い、その後の夕飯になれば、場の雰囲気は戦場のソレから一変されていた。この四人は全員が全員、生真面目な性格な為作戦の邪魔をするような事は一切しないが、お互いの性格の所為で皮肉と嫌味の応酬に直ぐになった。

 特に綺礼が切嗣に皮肉を言えば、切嗣が嫌味を言う。それに対して亜璃紗が娯楽に浸り、桜は笑みを浮かべて三人を見るのが常である。

 

「…………―――ふふ」

 

 ―――そして、間桐桜は計画通りに事態を運ぶ。

 だが、彼女からしても、アインツベルンのキャスターの規格外さは想定の範疇が飛び抜けていた。どうもあの魔術師のサーヴァントは、この度の聖杯戦争のイレギュラーを知っており、自分達を警戒している様子も手に取る様に分かった。念入りに考察すれば、あのイレギュラークラス・アヴェンジャーの召喚に関与している疑いもあった。もっとも、キャスター殺しは目の前の亡霊二人を巧く使えば良い事。それに、自分を助けてくれたあの神父からの贈り物でもある亜璃紗も使える。更に言えば、自分たちの陣営は実に相性が良く、人格的にも同じことが言えた。お互いがお互いを裏切るタイミングも分かり切っている。

 ならば、後は容易い。

 敵陣の攻略は、この化け物どもに任せれば十分だ。何よりも、自分もその化け物の仲間内。彼女が計画した作戦として、この難しい戦況は、この局面を乗り越える事で、段々と聖杯戦争の序盤を抜け出していく事が可能になりそうだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 二つのソファー。間にテーブルが一つ。

 机の上にはメモ帳とコーヒーが入ったカップが二つ置いてある。湯気が出ている為、入れたてであるのが分かる。香りもそこそこ上品で、一級品ではないが飲み心地は良さそうだ。

 

「―――それで殺人貴……じゃなくて、アヴェンジャー。アンタが召喚されている事、速攻でキャスター組にバレてんじゃん?

 気配遮断とか、ホントに巧く使えんてんの?」

 

 正直な話、綾子の心境は最悪であった。左目の眼帯を外し、傷跡と橙色の瞳を持つ義眼を外に見せている。自分が生まれながら持っていた左目は、とある死神に斬り“殺”された。そして、斬り“殺”された左腕の変わりの義腕も取り外し、椅子に深く座りこんでいた。

 そう、この目の前の男が生前に、自分の左目と左腕を斬り殺していた。そんな相手を前に平常心を保つは色々と気苦労が重なるのだ。

 しかし、今の気分の悪さはソレとは関係ない。

 綾子は単純な話、今の戦況の悪さが心底気に食わない。なにせ、第八番目のイレギュラーとして持つ一番の有利性は、本来ならば存在しないと言う点だ。つまり、此方から打って出なければ狙われないと言う事。なのに、キャスターは最初から知っていたかのように自分達を積極的に付け狙い、最後には他の組の前に姿を無理矢理曝け出された。

 

「分かっているんだろ、マスター? あのキャスター、俺達の事を最初から知っていたよ」

 

「……やっぱり、そうなるんかねぇ。じゃ、そもそもこんな事態になったのが、奴らの仕業だったんかな?」

 

「―――なるほど。

 だったら、このイレギュラーである俺も、開催者のアインツベルンによる違法の一端なのかもしれないな。

 マスターから話を聞く限り、あの家は真っ黒なんだろうし。まぁ、聖杯の為ならこんな程度の違反は運営範囲内なんだろうね」

 

「キャスターを召喚したのがアインツベルンであるのだとしたら、その可能性はでかいんじゃないか? あたしも其処ら辺は、あんたと同じ考えさ」

 

 まず、怪しいのは御三家。遠坂、間桐、そして―――アインツベルン。

 遠坂は色々と無理があるので、綾子は直ぐに除外した。あの当主の性格を考えれば、この様に第八番目が召喚されるような改造は行わないだろう。

 間桐は間桐で色々と怪しいが、八番目を召喚させる意味が無い。そもそも、あの家の当主の間桐桜に令呪は出ていないらしい。なので、間桐が犯人だと過程した場合、もし八番目のサーヴァントが召喚されるのであれば、その令呪は桜にこそ現れるべきである。間桐の不参戦は教会の監督役から聞いた話なので、これはそれなりの信憑性がある推測だ。

 よって、一番疑い深いのはアインツベルンとなる。

 そして、キャスターの主もこの家の者と思われる。

 八番目の存在を知り、それを強襲するにはアインツベルンが一番適合していた。

 

「あの家、狂ってるからあんまり好きじゃないんだよね。ほら、ホムンクルスって何だか見ていると、魔術師のエゴの塊過ぎて胸に迫るモノがあるし」

 

 片方しかない右腕で、アヴェンジャーが入れた熱いコーヒーを飲む。脳味噌に糖分が全く足りないので、砂糖とミルクが入った甘さたっぷりの反ブラック主義。そして、アヴェンジャーもアヴェンジャーで自分の分のコーヒーを入れていた。そちらもやはりマスター同様、甘さ控え目とは言え砂糖とミルク入りのものであった。

 

「―――魔は、何処までも魔だよ。

 魔術師(ヒト)に作られし人造人間(ホムンクルス)とは言え、本質的には魔術師の同類さ」

 

「なにを今更。あたしだって魔術師さ」

 

「―――は。マスターが魔術師だって?

 それは全く違うさ。君みたいな魔術使いは魔術師には程遠い。この聖杯戦争だって、聖杯にも根源にも興味がない癖に参加して何を言っているのやら」

 

「……そう言や、あんたは守護者に属する英霊だったな。そうなりゃ、そっちの言い分の方が正しいんだろうね。

 なにせほら、根源を目指す魔術師を殺す絶対装置なんだし」

 

「―――……ああ。無論だとも。

 あの時の契約通り、世界を守護するオレからすれば、真実なんて簡単に知る事が出来るからね」

 

 アラヤと契約した殺人貴。故に彼は、第六次聖杯戦争で現界した最上級のサーヴァント。ありとあらゆる神秘を殺害する死神である。

 

「実に皮肉だよね。その目で斬り殺された眼と腕の傷が、あんたを呼ぶ触媒になるなんてな。

 ……ああ、クソ。

 殺人貴が守護者になってるんなんて知ってれば、この傷の効果が無くなる程の強力な触媒を用意したんだけど」

 

「ぼやくなよ、盗賊。こっちからすれば、マスターの御蔭でこの聖杯戦争に参加出来た。こう見えて自分は凄く感謝しているんだ」

 

「そりゃ嬉しいが、あんたは真名が他の連中にもろバレだからね。色々とマスターとして運用に困っちまうよ」

 

 彼はまだ全てをマスターに語っている訳では無い。聖杯に対する願いも、守護者になった原因も、マスターに告げていない。しかし、サーヴァントとして甦った理由として、生前に果たせなかった事をすると、綾子に言っていた。

 

「魔眼の使い処はそっちに任せる。他サーヴァントとマスターの攻略も同じさ。

 俺の意見は戦略の参考程度にしてくれれば良い。召喚されたサーヴァントである身として、マスターの方針に従うよ。

 ……それに、こう言うサバイバルはそっちの方が得意だろ?」

 

「否定はしないさ。アヴェンジャーの魔眼は、対宝具戦の主戦力だからね。

 それに敵を殺せなくとも、宝具を殺せれば敵の武器を封じられる。敵の戦力を削り、段々と追い詰めて行こうじゃない」

 

 コトリ、とコーヒーが入ったマグカップを綾子は置いた。片腕しか使えない為、色々と不便だがそれを補える仲間がいれば特に困った事はない。

 

「良いね、それ。けれど、らしく無く結構慎重に進めるんだな」

 

「―――衛宮が参戦している」

 

「……ああ、あいつか。

 アレが居るとなると、眼の天敵がいる事になるのか」

 

「それもあるが、一番厄介なのが―――あの言峰が冬木に居るかもしれないと言う所だ」

 

「…………―――不吉だ」

 

「だろ? だから、今回の馬鹿騒ぎは厄介過ぎて嫌になってくるんだ。あの二人が敵側として戦場に居るなんて考えると、それだけで面倒臭くて堪らないのさ」

 

 やれやれ、とアヴェンジャーは重く溜め息を吐き出した。生前の記憶が確かであれば、衛宮士郎は天敵の中の天敵。言峰士人は何を企んでいるか全く理解出来ない災厄そのもの。思考すればするほど、アヴェンジャーは手元のコーヒーの味が苦くなっていく。

 特にあの神父、自分が生きていた時に起こった戦において同盟を結んだ際、此方が頼んだ犬の殺害を成功させた腕前。目的を確実に達成させる為に、計画し、準備し、実際に実現させる。狙われたら最後、確実に仕留める為の計画と手段で以って、敵を殺しに掛るだろう。

 

「神父の方はまだ見て無いけど、あの男の性格を考えればアサシンを呼んでいそうだ」

 

 アヴェンジャーは偵察兵としても使える有能なサーヴァントだ。綾子は彼を巧い具合に利用し、色々と他の組を探っていた。冬木市にある怪しい箇所に探りを入れ、何組かのサーヴァントとマスターを見付けていた。しかし、その中に言峰士人の姿は無い。よって、確認出来た者共を使って消去法で思考すれば、アサシンのサーヴァントを召喚している可能性が一番高い。

 

「あー……いや、どうだろう。でも、可能性としては一番高いかもね。あいつ、良くも悪くも合理的だからなぁ」

 

 話し合いは続く。マスターとサーヴァントであるならば、練れる策は熱い内に完成させておくべき。しかし、夜も有限であり、次の日の決戦は直ぐにでも始まってしまうのだろう。ならばサーヴァントとして、アヴァンジャーは有る程度は話が纏まったのでマスターを労わる事にした。

 

「……マスター、もう休んだらどうだい? 今日は色々と疲れた筈だ。取れる疲労は取れる内に解消してしまうのが一番だ」

 

 包帯を掛けているが、彼の視線が優しい事に綾子は気付く。どうやら本気で此方の体長を気にしているらしい。

 

「そうだね。今日は疲れたよ。もう、休もうかな」

 

 戦争一日目を終了する。聖杯降臨までまた一歩、近づいた事を意味している。

 そして、美綴綾子に願望は無かった。しかし、この聖杯戦争に命を賭すと既に決めている。聖杯になんて叶えるべきもの自体が存在しないが、聖杯そのものに興味はある。だがその前に、彼女は降りかかる火の粉は全力で振り払う主義だ。故に、戦うならば全力だ。召喚したサーヴァントも、正体は心底気に入らぬが、有能性だけは認めていた。

 笑みを浮かべ、綾子は意識を落す。ベッドは無いので、そのままソファーに寝転がった。今日一日を振り返り、次の日の忙しさを忘れて彼女は眠った。

 

「―――おやすみ、マスター」

 

 

◇◇◇

 

 

 黒い衣を纏った女。その服装は闇に溶ける漆黒に染まり、襤褸布にも似た古臭さが骨董な風味を出している。そして、彼女の希薄な存在感は尋常のものではなく、目の前にいるのに此処に居るのだと認識出来ないまで気配が無い。フードを被っているため顔を覗くことは不可能であり、常に暗い影によって素顔を見る事は出来ないだろう。

 

「神父……やはりな―――」

 

「―――アサシン。まぁ、まずは敵戦力の分析からだ。どうやら今回の聖杯戦争、サーヴァントに並ぶまでにマスターも曲者揃いと見える。

 それに、敵勢力の把握はほぼ終了している。

 セイバーと衛宮士郎。

 アーチャーと遠坂凛。

 ランサーとバゼット・フラガ・マクレミッツ。

 バーサーカーとアデルバート・ダン。

 また、キャスターはアインツベルンが召喚しており、あの大規模砲火も奴らが実行であろう。そして、ライダーの方も正体は大凡の予測は立てられており、マスターの方も判明している。アヴェンジャーがイレギュラークラスの第八番目として召喚されたが、あれの正体は昔馴染みであり、そのマスターも知らぬ仲では無い。

 とはいえ、今はまだ潰し合いの序盤。手を出すならば、敵の隙を窺わなければならない」

 

「……ふん、そうか。貴様は慎重に進めるのだな?」

 

 アサシンはサーヴァントとは思えない程、かなり強気の口調でマスターと対している。潜伏場所として隠れて入手しておいたビルの一室で、二人は静かに戦略を組み編んでいる。

 ライダーとの遭遇戦で負った傷は癒えており、敵の追跡も撒いて完全に逃げ切った。その後、街中に変装して潜伏し、時間が経過してからマスターの元に戻って来た。

 

「不安か?」

 

「ふざけるな。この私にそのような侮蔑をするか、莫迦者」

 

 視線を士人に向けたアサシンはマスターを強烈に睨んだ。彼はサーヴァントが被るフードの中が見えたが、其処在ったのは不気味な髑髏の仮面だけ。

 

「では、策は有る訳か。専門家のお前を疑うのは馬鹿らしいが、俺はそれでも万全を喫する主義であるのでな」

 

 む、とアサシンは唸った。観察をしていたから分かる事だが、どうもマスターが現世の魔術師とは思えない程、戦闘能力が異常な領域で高かった。サーヴァントもサーヴァントで怪物揃いで在る様で、マスターとサーヴァントが一緒に居てはまず暗殺は不可能だろう。

 火薬などを使った陣地爆破も計算に入れているも、それは情報戦を制してからであり、今の段階ではまだ使えない。敵の居所さえ掴んでしまえば、暗殺も策が程良く練り込める。

 

「気配遮断のみでは、些か不具合が生じる。この度の戦は中々に暗殺者泣かせだ。念には念を入れ、監視と接触には術が必要であるな」

 

 そう言って、アサシンは顔を隠していた髑髏を剥ぎ取った。ハサンが山の翁の証とするお面を外し、素顔をマスターの前に晒す。

 召喚者である言峰士人は彼女と契約してから初めて、自分のサーヴァントの素顔を見た。

 

「……ほう。お前は、顔を剥いだハサン・サッバーハでは無いのか?」

 

「戯け。ただ単純に、顔の皮膚を剥ぎ取る必要が無いハサンの一人だっただけの事。

 故に今の顔は私本来のモノでは無い作り物だ。他人から奪い取って来た偽物に過ぎんし、生まれ持った本当の顔も既に記憶から失われている」

 

 顔色の悪い作り物めいた美貌。顔面蒼白で病弱そうで、まるで水死体みたいだ。不自然な紫色の唇に、紫色をした瞳に、綺麗に自然な色をした紫の髪。

 この顔はアサシンにとって数有る内の一つでしか無い顔だ。奪い取って来た人間のパーツを組み合わせて作られた彼女固有の顔だ。そのまま他人から写し取った複製を多く持ち、自分で作ったオリジナルの顔は他にもあるが、今のこの顔が彼女にとって一番のお気に入りだ。暗殺者として生まれた時から教団の呪術師に育てられた彼女には、自分の顔に関する記憶は何一つも無く、沢山の人間の顔に関する記録だけが残っていた。

 

「そも、私は呪術師でもあってな。この手の術は暗殺者として得意分野だ」

 

 彼女の変化は突如始まった。顔立ちに肉が脈動するように暴れ、髪の毛の長さと色も変わっていった。発している気配や、士人には分からないが人固有の体臭にも変化があった。変化があるのは顔立ちだけでは無く、体型や声色さえも変化していった。

 

「―――まぁ、この程度ならば支障は無い。それなりに有能な手札として利用出来るだろう?」

 

「……それは、セイバーのサーヴァントか」

 

 アサシンと視界を共有していた士人は、この度に召喚された剣の英霊の姿を知っていた。その召喚者たるマスターも確認済み。

 

「あの戦いの後、戦場から血を採取して置いたのだ。写し身が可能なのは、このサーヴァントだけでは無い。また、男にも変化が可能であるので、あの場に居た者で血を流した者に成り代われる。

 ―――私に抜かりは無いぞ、神父」

 

 また、アサシンの服装も変化していた。彼女の黒い衣は鎧の形に偽られており、見た目は完璧にセイバーそのもの。この黒衣には変装を補助する目的も果たしており、自分の目で観測した装備の外観を真似る事が出来る。

 

「……性格は大丈夫か? 気配や口調も写せるのか、お前は?」

 

 もし、変装による暗殺を行うのであれば、近づくまで他者であると悟られてはならない。違和感が生じてしまえば、完璧な暗殺は成功しないだろう。

 

「ええ。大丈夫です。血液に含まれた情報より、見た目だけでは無く中身の方も複製が可能ですので」

 

 これは士人が九年前に聞いた事があるセイバーの口調と音声だ。姿形は勿論のこと気配も変わりなく、これを見破るにはそれこそ専用の宝具が必要となるほどの技量であった。

 

「ああ……それと、一般人のフリも出来るぞ」

 

 再度、姿が崩れて形成し直された。成り替わった人物はこれと言って特徴の無い標準的日本人で、例えるならば学校のクラスで三番目に可愛らしい整った顔立ちの女性だ。

 今の彼女からは、一欠片もサーヴァント特有の気配は無かった。魔術師の第六感で捉えたところで唯の人間でしか無く、魔力反応も感じ取れないだろう。本当に何処から見ても唯の一般人であり、その動作も平々凡々としていて武芸者が持つキレもない。服装も先程の鎧姿から現代日本の少女に相応しい私服と化していた。

 

「……ほう」

 

 アサシンの情報をマスターとして知る士人にすれば、確かに予想はしていた能力。だが、実際に眼にすれば如何に有能な隠密技能なのか良く分かった。

 

「成る程、これは良い。使いところを間違えなければ、難敵共の暗殺が容易く可能になる」

 

「当然の事を言うな、戯けめ。

 如何に使いこなすべきか、この業を作り上げた私が一番知っている」

 

「それは確かに。お前の業だ、どの様に使うべき技か知り得ているのはお前だけだろう」

 

 何でも無い唯の人間。それも武芸者特有の仕草も無ければ、魔力反応も無い普通の一般人が、突如として恐るべき暗殺者となって奇襲を行う。

 ……防ぎようがない。

 サーヴァントさえ警戒出来ぬ者が、いやサーヴァントだからこそ警戒しない者が突然敵となる。一瞬の間の混乱は必須となり、其処へ士人が攻撃の手を横から撃てば殺害出来る可能性は跳ね上がる。

 

「さてはて、脱落は皆無。イレギュラーも複数確認。

 ―――この度の聖杯戦争も存分に面白そうだ。

 なぁ、アサシン。折角の現世だ、お前も精々お楽しみを見付けておくと良い」

 

 会話もそこそこ。神父は愉快な表情を隠す事無く、元に戻した顔へ髑髏の面を付け直す暗殺者へ微笑みかけた。既に体格も最初の状態。そして、変化の溶けた黒衣は元の襤褸に戻り、召喚した時のアサシンの姿に一瞬で変わる工程を神父は見ていた。彼女の顔と、体と、服が同時に変化していく様は実に奇怪であった。

 

「莫迦者。聖杯獲得の為、私はこの戦争に参加しているのみ」

 

 彼女の表情は仮面によって分からない。しかし、気配から読み取るに、己を召喚した魔術師を睨んでいるのが分かる。

 遊びでは無い。娯楽では無い。遊興で甦ったのではない。

 暗殺者のサーヴァント―――ハサン・サッバーハは自己を欲するが故に現界している。彼女は只単に、数多のハサンでは無い本物の自分自身を見出したいだけ。

 

「ほう。

 ……いやはや。聖杯内に悪魔が住まうと知った程度で、願望を棄てる類の者で無く良かった。俺はマスターとして実に幸運だ」

 

 この男から暗殺者は聖杯戦争の全てを聞かされているが、アサシンに迷いなど無い。世界が滅び去ろうと、人類が絶滅しようと、呪詛で星が沈もうと、望みが果たせればそれだけで十分だった。他の事を願うなど贅沢であり、違う望みなど心が腐る余分だった。

 他は棄てた。

 ……とは言え、それは彼女から感情が失われた訳では無い。楽しい事は楽しいし、悲しい事を悲しいと思うのは可能のまま。薬物漬けにした肉体と、不感症になった精神と、悪霊に取り付かれた魂魄だが、それでもアサシンには人間性が有った。

 だから、迷いを棄てる必要があった。

 このアサシンのサーヴァントは暗殺者として完璧で在り、一柱の反英霊として極まっている。神の為に、国の為に、何より教団の為に生きた過去は既に歴史に埋もれた。全てもう滅んでいる。ならば、今自分が保有しているハサンとしての業と、暗殺者としての技は、他の誰かの為では無く自分の為に使う。自分の為に、彼女は初めて人を殺す。そんな戦争に参加した。

 感情を消して、自我(エゴ)の無い山の翁と成りながら……死んだ今の自分はエゴの塊だ。

 

「……実に不快な男だ。

 これだから、魔女狩りにしか反応出来ぬ代行者は胸糞悪い。神罰好きめ」

 

 アサシンにとって、目の前の神父は計り切れない魔術師だった。何を考えているのか分からないが、理解出来る事が一つだけ有る。それは、この男が正真正銘の極悪人だと言う事だ。

 例えるなら、吃驚箱だろうか。それを開けば何かしらの仕掛けが発動すると知っているのに、どうしても開けたくなる妖しさがあった。

 内に秘めるモノが異常な、それこそ本人にのみ価値が存在する歪みであるのだろう。故に何処までも透明な在り方を貫ける。他者の理解を必要とせぬから、自己を全う出来るのだ。

 

「なに。俺もお前も、神の名の元に人を殺す人でなしだ。信じるモノは違えども、同類であれば理解し合う事も不可能ではないだろう?」

 

「―――ふん。確かに、私も貴様も神罰を謳って人を殺してきた。

 だが、今の私は違う。

 聖杯戦争の為に行う殺人である限り、自分の為の暗殺だと全て肯定する。下らぬ杯の取り合いとは言え、願いが叶うとあれば是非も無い」

 

 ああ、これはとても良い女だ。そう、純粋に彼は気分が良かった。恐らく、数多く存在するハサンの中で、もっとも相性の良い暗殺者であるのだろう。

 この女は、自分が苦しんでいる事に苦しんでいない。苦痛を苦痛として認識出来ていない。

 傷だらけに成り過ぎて、もう心が壊死している。

 ハサンに選ばれるほど極めた業の為、何を犠牲にして、何が破壊され続けたのか。彼女の人生は血に塗れ、死に埋もれ、屍の山を築き、死んで終わりを迎えた。アサシンはそんな当たり前な自壊を只管繰り返し、此処まで到達した。結末は、今居るこの場所だった。

 

「奇遇だな。それは俺も同じだ。この殺し合いは、自分の為に行う戦争だよ」

 

「ならば、それこそ是非も無し。貴様は私に相応しい契約者だぞ」

 

 無貌の女は、浮かびそうになった苦笑を噛み殺す。再度真っ黒なフードを被り、部屋の中心部に用意してあった椅子に座った。

 彼女はとある本を手に持っていた。書かれている文字は日本語。サーヴァントとして現代日本の知識を得ている彼女は、今の時代の言語にも通じており、問題無く読む事が出来た。内容は現代伝奇物の小説なようで、若者から中年まで楽しめる話であった。

 

「……で、アサシン。帰り道に食べた料理は美味かったか?」

 

「素晴しかった。実に旨かった。あれ程パンチの効いた食事は初めてだったぞ。

 生前から香辛料の類は大好物であったが、あの領域に至った味覚衝撃は過去最高と言える。あれは、そうだな……正直に言えば大麻(ハシーシュ)よりも好みかも知れない」

 

 アサシンは自分で喋った大麻と言う単語で口調を無意識に強めた。どうも何かが癇に障ったらしい。

 

「そもそも、この国で吸える大麻は安物で腐り掛けた愚劣な唯の粉。不味過ぎて吐き気しかしない、全く以って糞だ。

 育成するのであれば、もっと愛情を込めて栽培しろ。

 加工方法も杜撰極まる。薫りに風味が欠片も無いではないか。

 はぁ……嘗ては自分で栽培し、じっくりと最高の一品となるように加工していたのだが。生前に使っていた物と比べると、どうも気分がよろしくならん。

 ―――いっそのこと、自分で作ろうか。いや、流石にそれは……」

 

 どうやら、このアサシンは薬物調合が生前の趣味であったようだ。なんだか説明に熱が入っている。段々と話が飛躍し、どんどん長引いて行く。だが、マスターたる言峰士人は、彼女の話をしっかりと聞いて上げていた。自分が契約したサーヴァントの無駄話を微笑みながら、ちゃんと会話の返事をするその姿はマスターの中のマスター、略してマスマスだ。

 本を読みながら長々と喋り続ける暗殺者に対し、神父は気配のみで意を返していた。

 

「……まぁ、それ故にだ。今の私にとってもっとも好ましい物と言えば、あのマーボードウフなる煉獄料理だな。

 ああ、素晴しいにも程がある――――――」

 

 ―――と、彼女は話を切り上げた。自分が熱中している事に気が付き、第三者視点で考えた瞬間に少し恥かしくなった。

 そして、アサシンは元より薬物中毒な気があるので、どうもマーボーインパクトに当てられたらしい。上質な大麻が手に入らないと嘆いていたが、彼女はそれと同等、あるいは越える逸品に出会う事が出来た。

 

「それは喜ばしい。紹介し甲斐があったと言うもの。

 マスターとサーヴァントは性質が近寄った者が呼ばれると言うが……成る程、料理の好みも適応される訳か」

 

「良い事だと私は思うぞ、神父。食い物の選り好みが近いとなれば、日常生活で衝突する事も少ないからな」

 

「確かに。別段、困る事では無い」

 

 ぺらり、と次のページを捲る。会話を止め、本に集中した。感心した表情で読み解き続け、現代日本文学を吸収する。そんな読書に耽る自分のサーヴァントを視界から外し、神父は思考に埋没していった。

 そして、士人も士人で机に向かって自分の作業を開始した。カチャカチャグチャグチャ、と音を立てながら整備を行っている。

 

「…………」

 

「…………」

 

 沈黙が続く。二人とも手を動かしているが、考えている事は相手の事だった。マスターはサーヴァントを、サーヴァントはマスターを考察している。もっとも、大部分の答えは悟っており、互いにその解答は殆んど同じであった。

 この主従は、互いに互いが似ていると思いながらも、彼と彼女は互いを理解し合っていなかった。否、似ているからこそ、理解し合えないと分かっていた。

 似た境遇―――名前の喪失、過去の消滅。

 似た人生―――神罰の代行、殺人の罪悪。

 似た精神―――感情の除去、人格の歪曲。

 この二人にとって夢は便利だった。既にお互いに相手の過去を垣間見て仕舞った。だから、言葉無く、そうであるのだと納得する。

 

「……そう言えば、神父―――貴様は聖杯に何を願う?」

 

 ふ、と聞いていなかった事を思い出した。アサシンは自分の願いは既に語っているが、主君の願望はまだ知っていなかった。

 

「―――何も無い。

 強いて言えば、それが自分にとって幸福だから……だろうか」

 

 敵意だった。否定だった。

 アサシンから滲み出る気配には、困惑と憤怒が混同されていた。

 

「幸福、だと。ソレが?

 ―――歪み過ぎている。

 願望を果たす為に殺し合いを行うのでは無い。

 聖杯戦争と言う殺し合いそのものが、貴様にとって幸福と成り果てるとでも……貴様はそう言うのか?」

 

 願望の為に殺し合うのであれば、まだ彼女には分かっただろう。人には欲望が有り、それを果たすべく殺人に手段を選ぶのも分かる。

 しかし、この聖杯を得るまでの過程が幸福となるのであれば、実に奇怪だ。

 何かを得るためでは無く、言峰士人は聖杯戦争と言う物事それ自体に対して価値を感じ取っていた。この男は聖杯そのものに価値がある訳では無く、聖杯戦争と言う馬鹿騒ぎが楽しいと九年前に実感してしまった。

 

「―――そうだ。

 これしか無いが故に、自らに定めた在り方を全うするだけだ」

 

 目で語っていた。貴様も同じ穴の狢だろう、とアサシンに視線を送っていた。

 

「お前は、この戦争を楽しいと感じられないのか?」

 

「……それは、どうだろうな。人殺しは日常でしか無い」

 

 解体していく。この神父は暗殺者の精神解剖を、愉快な表情を隠す事無く開始した。

 

「お前は、人を殺した瞬間―――報われたと思わなかったのか?」

 

「――――――報われた?

 いや、しかし……ならば何故、ならば何に我慢で出来ない」

 

 既に本に視線からズレている。彼女はマスターの視線を受け、茫然と言葉を無意識で呟いていた。

 そして、ハサンの名を貰った女は、たった一言で過去を思い浮かべてしまった。瞬間的に、刈り取って来た人々の断末魔や、絶命する刹那の顔を思い浮かべた。

 人殺しは楽しいと感じた事は無い。

 教団に忠誠を誓った暗殺者としての作業であり、仕事であり、日常だ。だが―――

 

「―――自らの在り様を全うした実感は、殺しを成し得た時だけだったのだろう。

 暗殺だけが不確かな自らの精神に、確固たるカタチを与えてくれる。

 人を殺さなければ生きていけないのではなく、人を殺さないと自己を確認出来ない。

 故に、お前にとって聖杯戦争はそれ自体が、アサシンと言う役目自体が、自分を自分だと認められる生の一時。死して尚、解放されぬ定めた在り方と言う事だ。ならば―――」

 

 神父は懺悔を求めていない。神父は救済を求めていない。神父は幸福を求めていない。

 空っぽの器が、ただ単純に専用の中身だけを求めているだけ。

 自分の幸福など理解出来ぬが、この求道だけを実感出来るとなれば、それこそが言峰士人の幸福なのだと言えるだろう。悟れた在り方を全うし続ける生き方を貫く事が、彼にとっての幸福なのだと言えるのではないだろうか。

 願望を抱けぬ者が宿した空白。

 欲望を失った者が欲した実感。

 ―――透明な在り方は鏡となり、アサシンの底に溜まっていた澱を映し出す。

 人を殺して役目を全うして、それが幸せであったのか、否か。疑問に思う事も無い教団での苦行の毎日に、果たして満足を得られたか、否か。

 そもそも自分はハサンとして、幸福な人生だと実感していなかったのか、否か

 分からなくなっていた。暗殺者でしかない彼女は何も分からない、理解出来ない。自分で決めた自分の在り方では無いハサンの名は、自分で求めた訳でも無い山の翁としての称号は、何だったのか。

 

「―――失った幸福を取り戻す為、お前はお前が欲しいのだ。

 それは願望とは言えない。幸福と呼ぶべき欲求だ。

 ハサンでは無い、自分だけの在り方が欲しいのだ。

 その為の聖杯戦争、その為の聖杯に対する願望だ。

 幸福を欲するが故に求めた願望であるならば、お前の身の内で暴れる無念と執着は過去へ託すべき後悔だ。

 お前はただ単純に―――ハサン・サッバーハで在った事を、幸福だと実感出来なかったのだ」

 

 心を無遠慮に解剖された彼女は、この人間の空白が見えた様な気がした。

 

「つまり、幸せな人生では無かった。だからハサンでは無い自分を得る為、今この世界に存在している」

 

 士人は見抜いていた。自分のサーヴァントは、自分自身と言う人間に対する認識を勘違いしている、と。

 ただ一人の自分(ハサン)を欲している。

 だけど、その根底には過去を許せないハサンでは無い自我が存在していた。

 

「分かったか。お前は聖杯に願望を果たしに来たのではない。

 お前は聖杯から、幸福を得る為の在り方を求め―――言峰士人の召喚に応じて此処に居る」

 

 願望の為では無い。願望は唯の手段であり、それでは満足出来ないと今、彼女は気が付いた。手段が目的となり、本来の目的を忘我して、ハサンとしての在り方が魂と化している。

 

「ああ。貴様の言う通り、なのかもな。そうか、そう言う事か――――」

 

 ―――だから、私は名が欲しかったんだ。

 

「結構。どうも癖でな、迷える子羊に事実を突き付けるのが趣味に成ってしまった」

 

「……神父、お前は最悪だ」

 

 ハサン・サッバーハの名に価値は有った。自分にとって無意味な人生では無いと、それなりに満足している。楽しい事もあった。人殺しも嫌いでは無い。

 ……だが、それは幸福な人生では無い。

 だから、一人のハサンでしかない事を変えたかった。

 ハサン・サッバーハと他人に決められた在り方に挑む為、アサシンは聖杯を目指す。

 

「何を当たり前のことを。俺は暗殺者のお前を召喚し、聖杯戦争を勝とうする魔術師だぞ」

 

「莫迦者め。それはあれか、私を愚弄していると考えて良いのだな?」

 

「クク。一度死んで甦った今生だ。己を自覚して好きに生きてみろ」

 

「成る程な。そうか、貴様に召喚された己が不遇を憎悪するしかない訳か」

 

 何となく、と言うよりもほぼ確信してマスターである魔術師、言峰士人について人物像を把握した。この男は生粋の極悪人だ。先程のように他者の苦悩を食い物し、その結果が善に転ぼうが、悪に転がろうか一欠片も気にしない。

 まぁ、結果として殺人を愉悦してしまう自分自身の業もまた、極悪人と呼ぶに相応し過ぎるのだが。

 アサシンは、この暴かれた魂に凝り固まった業が神父を楽しませていると分かった。そして、他人の業を娯楽とする求道が言峰士人の業であると、彼女は今回の問答で悟っていた。

 

「良くぞ気が付いた。

 聖杯戦争と言う短い間とは言え、改めて宜しく頼む―――アサシンのサーヴァントよ」

 

「―――ふん。聖杯獲得の為だ。

 貴様は私を気兼ね無く、存分に扱き使うと良い。勝つ為とあれば仕方が無い」

 

 まず理解しなくてはならない。深く知る必要がある。やられたらやり返す性質のアサシンは、士人の業も何時か切り開いてやろうと内心で楽しみにしておいた。

 決意を新たに、彼女は意気込みを強く刻み込む。聖杯を欲する願いの強さは深まり、自我の澱とも言える執着心を恥じる事無く容認した。彼女は己が業を認めた上で、正しく我欲を良しとした。

 

「ふむ……」

 

 その時、態とらしい達成感が込められた呟き。ヌチャリ、と彼は細工を最後に施した。していた作業を完了させ、本を再び読み始めていたサーヴァントへ声を掛ける。

 

「……これで完成だな。見てみろアサシン、実に良い出来栄えだろう?」

 

 そこで完成した装備をアサシンに見せた。

 

「何だそれは。蛸か、烏賊か、磯巾着か?」

 

「……使い魔だ。何故、陸で戦う聖杯戦争で海中生物が出てくる。お前は本当に可哀想なサーヴァントだ」

 

「貴様の美的感覚(センス)が足りて無いだけだと思うぞ、神父。可哀想な程まるで足りて無い」

 

 例えるなら、足が沢山生えたボール。数にして四本の手足っぽい何かが、凄く俊敏にニョキニョキと動いている。大きさは小さ目のサッカーボールで、野球ボールよりはかなり大きいと言えた。

 

「何だと。……うむ、なるべく格好良い形を目指したのだが―――」

 

「―――ぇ、えー……?」

 

 黒魔術と錬金術を混ぜた新型使い魔であったのだが、自分のサーヴァントからの受けは良くない。生体部品と機械部品を組み合わせた独自のモノとは言え、前衛的にも程があったのだろう。程度も過ぎれば何とやら、だ。

 なので、アサシンは驚いていた。自分の美的感覚から乖離した逸品は、理解の外に位置していた。

 

「ああ、と……その何だ―――すまない。私が悪かった」

 

「構わないさ。嗜好は人それぞれだ。趣味趣向が異なれば、フォルムの拘り方も違うものだ」

 

 え、もしかして落ち込んでいるのか、とアサシンは仮面の内側でうろたえていた。

 気を遣って謝罪した事が逆効果に成ってしまった事に気付いた。何と言うか、今にも作った使い魔の手足を引き千切りそうだ。恐らく拗ねている。

 何せほら、胡乱な目付きで彼は使い魔の手を取って、ブランブラン揺らしている。

 

「分かったぞ。それの正体は、名状し難き球体のような宇宙生命体、で正解だ……!」

 

 ぶっちゃけ必死だった。マスターが普段と違う態度を取る余り、少しだけ焦ってしまった。

 

「むぅ……これは少し太った猫を、大まかな印象で創作した使い魔だったのだが―――」

 

「―――分かるか! 何故そこまで不気味な物体が猫になる……!」

 

 取り敢えず、仲は悪くない。そんな二人組であったとさ。

 話は続くが無駄話で時間を潰す。既に成すべき会話を消費している為か、互いの交流を深めるだけのコミュニケーションになっていた。しかし、そんな主従の合間に乱入者が一匹。

 

「…………」

 

 無音だった。気配を失くした一匹の黒猫が侵入する。足音も無く、鳴き声も無く、静かに部屋に入って丸くなる。後、これはアサシンの推測であったが、その黒猫は「そんな猫がこの世にいるか」と怒気を神父へ発している様にも見えていた。

 

「……ほう、随分と嬉しそうだな。探し人でも見付けたか?」

 

 黒猫の鋭い視線。子猫とは思えない眼光。しかし、それから士人は大体の内容を察していた。

 

「そうか、良かったよ。予定通りとはいかなかったが、アレの召喚が確認された。ならば、お前も嘗ての主を夢見ると良いだろうよ。俺にとってもこの聖杯戦争は、昔の主君と縁深い故にな」

 

「夢魔よ、貴様も貴様で願望があるようだ。

 同じ死人もどきで、同じ悪魔もどきな我々三人だ。サーヴァントたる私だが、貴様も何か要件があらば私に言うと良い」

 

 このアサシンは黒猫に対し、妙な優しい雰囲気を持つ。士人に続き、本来ならば言葉を解する訳もない猫に対して、優しい声で微笑みかけた。もっとも、彼女の笑みはフードが影になって外からは見えないのだが。

 

「…………」

 

 黒猫は無言。冷たい気紛れな態度を崩さす、そのまま窓の近くで丸まった。




 今回はこのような感じで終わらせました。神父とアサシンの組に居た黒猫の正体ですが、取り敢えず言わないでおきます。アサシンの正体はハサンの内の一体でして、オリジナルです。能力の方は後々。後、タイトル通り、今回は暗殺者系統のキャラが三人参加しています。切嗣、アヴェンジャー、アサシンです。正直、暗躍するキャラしかいませんので、腹黒い聖杯戦争模様を巧く書ける様に心がけます。
 読んで頂き、ありがとうございました。

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