神父と聖杯戦争   作:サイトー

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 久方ぶりの更新です。外伝になります。オリキャラの一人、アデルバート・ダンの過去話みたいな内容ですので、そこまで物語に関わって来ないです。それなりに後味が悪いので気を付けて下さい。
 そして、ライトニングさんの新作を買おうか悩んでいるこの頃です。


外伝8.銃口の奥底

 ―――夕闇は過ぎ去っていた。

 ―――夜を照らす月光だけが街を映し出す。

 此処は合衆国の何処かにある街。秩序が存在しない代わりに暴力がまかり通っており、国の法では無い無法者たちのルールでコミュニティが成り立っていた。

 協会から脱会した殺し屋―――アデルバート・ダンは、イギリスの倫敦に移る前に住んでいた故郷に戻っていた。子供の頃から住み慣れた此処は歴史が積もったお上品な都会よりも粗野だが、魔術何て言う胡散臭いモノは早々に目へ入らない。銃声や怒声、あるいは悲鳴は響いたとしても、魔術師は全くと言って良い程この場所には居なかった。

 一人事務所を立ち上げて、生活費や研究費を稼いではいるが、それもボチボチ。丁度セカンドオーナーから隠れられる区域なので魔術師として棲み心地は十分だが、資金調達の方法は完全にブラックゾーン。

 仕事の依頼者は社会の裏表を問わず、神秘に属する同業者からも数多い。いや、むしろ逆に自分から進んで仕事を行う事も多くなっているので、封印指定執行者をしていた昔よりも、今のフリーランス状態の方が仕事は充実していた。魔術師の殺害や吸血鬼の抹殺は執行者時代よりも率先して出来るし、協会の保護も無くなったので死徒連中や魔術結社から命を狙われ易くなった。自分に怨恨がある化け物は数多く、封印指定や吸血鬼と言った真性の危険物から何度も殺され掛った。勿論、魔術協会や聖堂教会からの刺客も敵対してくるので、執行者時代より殺し屋としての腕前は全く以って錆びる事は無かった。

 

「―――よう、神父。こんな掃き溜めになんの用だ……」

 

 薄汚い事務所であった。机の上にはコンピューターが一台と、酒瓶と宅配便のピザのゴミが散らかっている。灰皿には煙草の吸殻が山積みになっており、ヤニの臭いが部屋に染み付いていた。虫が湧いていないのが不可思議な位小汚いが、不思議と嫌悪感は無かった。強いて言うのであれば、少しピザの匂いが籠って不愉快な気分になる程度か。

 机の上のコンピューターに向かい、椅子に座って作業を続けるダンは目の前の神父に気にする事なくキーボードを操作していた。目線を向ける気も無いらしく、常に画面を睨みつけていた。

 

「……オレを殺しにきたしては、奇襲が一つも無いとはオマエらしくないね。今一、この現状が察せられないんだが?」

 

 面倒事を嫌う引き籠りのような、溜め息混じりの声。殺し屋が殺意よりも、倦怠感に満ちた嫌悪を向けた。

 

「ほう、良く言う。暗殺、不意討ちはそちらの得意分野だろうに。

 俺はお前のような面倒な敵と市街戦を繰り広げる気はないぞ。お前相手に奇襲仕掛ければ、土壺に嵌まるのは目に見えている」

 

 嫌味な笑みを浮かべる性根が腐っていそうな神父―――言峰士人は、自分の命を狙った事もある殺し屋に対し、楽しそうな音程で語り掛ける。

 どうも、心の内を見抜かれていると錯覚してしまう。

 殺し屋にとって神父はこの世で相手にしたくない敵の内、上位三位に入っていた。だからこそ、いざ殺し合うとなると面白いので始末に負えない。そして、上位三の中で他二名の名はフラガとエミヤの二名である。

 

「……その猫、あれだろ? あの死神んところの使い魔じゃなかったか?

 昔、アレと殺し合いを演じた時に見覚えがある。殺人貴は噂で死んだと聞いていたんだが、その使い魔を見ると本当に死んだようだな」

 

 黒い猫。無言を貫く姿は猫らしくない忠誠心の表れだが、この猫が礼を尽くす相手は神父では無い。それに使い魔からは、主であろうこの男に対する敬愛の念は欠片も無かった。

 ……ダンの観察結果として、使い魔の所有権は神父に移動されていると見える。神父が死神から奪い取ったと言うよりかは、何かしらの契約に基づく譲渡だろうと考察した。

 

「大体はご察しの通りだ。断る理由も無いからな、縁に従がって貰い受けた。無論、ある程度の期間限定になっているが。

 そう言うお前は、あの小五月蠅い使い魔は連れていないと見える。なんだ、愛想でも尽かされたか?」

 

「……いや。雌犬を追い掛けて、何処かに走っていった。まぁ、飯時になれば戻って来るさ」

 

「ふむ。あれは中々に強烈な人格だ。先程夜道を歩いている時に遠目から確認したが……成る程。お前もアレも変わりないようで安心したぞ」

 

「――――――……」

 

 どす黒い殺気が印象的な殺し屋は、使い魔である黒猫―――レンにも見覚えがあった。嘗ての主人である遠野志貴の命を奪いに何度か交戦した協会所属の封印指定執行者であり、現在では協会から脱退したフリーランスの魔術師らしいと言う情報も知っている。故に、もう自分達を殺しにくる敵ではなくなっているが、そもそも根の人格からして愉快犯な殺し屋なので信用は出来ない。

 彼女は無言のまま警戒を続ける。神父と自分の目的は似通った部分が有る為、実行の為に必要な駒としてこの殺し屋が必要だ。

 つまり、此方の話に乗せなくてはならない。

 しかし、自分に交渉は荷が重い。

 その為、彼女はこの街に殺し屋が居ると言う情報を神父から受け、アデルバート・ダンの事務所を探し当てた。

 街さえ特定してしまえば、レンにとって特定の魔術師を見付けだすのは容易い。それも一度目にした事があり、匂いと魔力も覚えていれば猶の事。神父の口車に乗せられている事を自覚しつつも、彼女はこうやって偽物の主を此処まで連れて来たのだ。

 

「ようようアデルバード、飯を食いに戻って来てやったぜ!

 さぁさぁ、可愛いペットたる俺っちに飯を出してくれ! ……って、なんだ。こんなところまで何かの野暮用かよ、ええ神父様よぉ。あ、それはそれとして、そこの可愛らしい子猫ちゃんも如何したんだってばよ」

 

 犬である。まごうことなき小型犬である。首輪も無ければ、何かしらの飼い犬である証も無い野良犬であり、何処から如何見ても唯の犬であった。

 噂をすれば影が差すと言うが、ある意味実にタイミング良く殺し屋の使い魔が現われた。

 

「……―――」

 

 レンは何かしらの、見てはいけない正体不明な生命体を目撃したみたいな錯覚に陥っていた。

 ……だってこの犬、何だか嫌な気配がする。

 簡単に説明すれば、良く分からないフィールドを形成して、独壇場でしっちゃかめっちゃかな会話を繰り広げそうな気がする。無口な自分には荷が重過ぎる相手に感じられた。

 

「五月蝿いぞ、フレディ。脳天に風穴開けてやるぞ」

 

「動物虐待反対だ! もうちっと使い魔に労わりを持とうぜ、魔術師はよ。後、もっと給料を上げやがれ」

 

「知るか。ただ働きが基本ですので、オマエの願いはお断りします。

 まぁ兎も角、オレの飯をまた盗み食いしたな。明日明後日の分、全部抜きにしても構わないんだが?」

 

「おーおー、これは外道極まる飼い主様だよ。ユーはもっと人間味を持たないと、人生苦労するゼイ」

 

「犬が吠えると煩わしいぜ、全く」

 

「吠えない犬なんて去勢された飼い犬ですぜ。俺様の魂々(たまたま)はまだまだ現役だっつーの!」

 

 と、したい会話が離れて喧嘩腰になっていくので、ダンは話題を無理矢理軌道修正する。歓迎出来ないお客様が居る今では猶の事、身内同士の長話は好ましくなかった。

 

「―――んで、フレディ。オマエ、頼んどいたモンは揃えられてんだよな?」

 

「ボチボチでさぁ。あの骨董品屋に良いのがあった。とある教会が保管していた純銀製の遺物でな、銃弾生成に使えそうだぜ」

 

「そりゃ朗報だ。敵の魔術を打ち破るのに使えるし、退魔の祝福でも施せば、それなりの化け物共も良い塩梅で浄化される事さ」

 

「他にも色々あったから、しっかりと見て置いたぜ。

 教会が密輸されている聖水や黒鍵、大昔に作られた骨董品の十字架もあった。その他諸々のアンティークも新しく入荷されてたし、封印指定級の魔術師が作成した礼装や、色々と呪われてそうな概念武装も少なくない。主人も一度見てくると良いぜ。」

 

「ご苦労だ。随分と手間を掛けさせたね」

 

「良いってことよ。俺は好きでアンタの使い魔やってんだからな」

 

 なので、レンはそそくさと神父の影に身を潜めた。見ているだけで妊娠しそうな程、あの子犬は凄まじく濃かった。

 

「―――おう? おうおうおう?

 子猫ちゃんが隠れちまったよ。軟派する前に振られるとは、実に残念無念。近所の雌犬共に俺様は大人気なんですけどなぁ。況してや、猫耳種族にさえ交尾を申し込む程の紳士なんだぜ」

 

 わんわん、と吠える姿は可愛らしい。だが、雰囲気で台無しにし過ぎていた。品種としてはやや大柄なバセットハウンドで、本当に愛らしいのが逆に残念感が凄まじい。そして、声が渋くてオヤジ臭い。

 

「客をからかうんじゃねぇ。一応こっちに殺意は無いんだ、失礼の無いようにな」

 

「からかってないぜぇ。俺は人間の女性にも抜き差しならねぇ事も出来んだよ。子猫ちゃんが相手でも本気で口説くってもんさ」

 

「すまないが、こちらは猫と犬の異種配合を見物する趣味は無い。無論、人間同士だろうと、人間と動物だろうと覗きを行う趣味も無い。

 よって、使い魔。お前の望みを叶えさせる訳にはいかないな。

 俺はこの使い魔もどきを護るのも、あの死神との契約の内に入っている。彼女と事に及ぶと言うのであらば、この俺の屍を越えて貰ってからにして頂こうか」

 

 似合わない事をしている自覚がある神父は、背後から猫パンチを打たれながらも牽制をしておいた。フレディもフレディで本気は程遠いので、すべき返事は決まり切っていた。

 

「へっへっへ。人様に飼われている雌にも構わない主義だけど、今回は辞めとくぜ。何せ、今は腹が減ってるもんでね」

 

 それが捨て台詞だった。事務所の玄関から子犬が軽快な足取りで歩いて行った。そして、下品に笑いながらダンにフレディと呼ばれた犬が、神父と黒猫の前を通り過ぎて行った。

 違う部屋に繋がるドアを前足で開き、ダンと言峰とレンが居る部屋から出て行った。どうもキッチンへ向かったらしく、あの犬はこれから食事でもするのだろう。

 

「まぁ、邪魔が入って話が止まってしまったな。

 ―――それでさ、オマエの用ってのは一体何なんだ?

 こんな所まで来るって事は、相当に厄介な内容だってことは決まっている。だから前置きは要らん。直ぐに本題から喋ってくれ」

 

 本題は何だとダンは聞き直す。士人としても、前置きを言うつもりは無かった。こいつが相手であれば、そも理由など語る必要が無いからだ。重要なのは殺し屋にとって旨味が有るか否か、それだけだ。

 

「―――第六次聖杯戦争。

 日本の冬木で行われる巨大な魔術儀式。この殺し合いが近い内に始まるのは知っているか?」

 

 元封印指定執行者にして、現封印指定に認定された魔術師アデルバート・ダンは、そう言った情報網にはとても敏感な方であった。協会に所属していた時は、実際にその戦争に参加したバゼットとは同僚であったし、聖杯戦争に参加していた遠坂凛と衛宮士郎と交友関係があった。

 そして、色々と因縁がある女盗賊の美綴綾子にも、その話を聞いた事が有る。何でも彼女がこんな因果な世界にどっぷりと浸かる原因になった出来事が聖杯戦争であり、元凶となるのが目の前に立つ言峰士人と言う聖堂教会所属の代行者であった神父だ。倫敦に居た時の行き付けのバーで酔っぱらった彼女に無理矢理絡まれ、色々と愚痴を朝まで言われたのをダンはまだ覚えていた。ウィスキーを一気呑みは喉が焼け、テキーラの飲み比べは肝臓が死に絶えたと錯覚する程で、中々に美綴との思い出は彼からしてもインパクトが強いモノが多かった。

 

「知ってるさ。あれだろ、わざわざ殺しのプロフェッショナルな英霊様を呼んで、どでかい街規模のコープスパーティを開いて、ブラッドバスを作った奴が神様に愛された聖杯を取れるっつードタバタ劇場だろ?

 そんな馬鹿騒ぎ、知らん魔術師は早々見つからないぜ。

 それにオレがちょっと前に居た魔術協会じゃ、参加者のバゼットとは同僚だし、冬木出身の魔術師と縁があったからな。色々と積み重なるモノがあれば、それなりの情報は自然と耳に入って来る」

 

「ならば話は速くて済む。

 ―――聖杯、お前は欲しく無いか?」

 

「―――馬鹿が。そんなモノに興味は無い」

 

 即答であった。ダンは別段、そんな道具に関心は無い。サバイバルゲーム自体は面白そうだと思えたが、優勝賞品の聖杯が欲しいとは思えなかった。

 ―――アデルバート・ダンは、聖杯に頼って叶えるべき願望は無い。

 身を焦がす様な欲望が無い訳でも、命を賭ける程の濃い願望を持たない訳でも無い。ただ自分自身以外に託すべき事が無いが故に、彼は聖杯戦争に参加すべき理由が湧かなかった。

 

「今じゃあ、ここいらでは悪魔祓い(エクソシスト)の真似事までしているんだ。他にも死徒狩りの依頼も結構入り込んで来るし、人間をバラバラにするのが趣味な外法の魔術師も殺害もしているよ。協会に目ぇ付けられた封印指定だけが獲物じゃない。今でもオレは魔術師稼業を続けてるし、昔から続けている殺し屋も廃業したつもりはないが、それだけじゃ十分な稼ぎにならん。何でも屋は色々と忙しんだ。

 ……聖杯戦争に参加させるんだったら、他の物好きに頼むんだな。

 目的の為なら何でもする根源大好きな魔術師や、糞の価値もない名誉を欲するお貴族魔術師様でも生贄にしな」

 

「お貴族様ではないが、バゼット・フラガ・マクレミッツも参戦する予定だぞ」

 

「知ってる。あの女は借りを返さなければ気が済まない主義だ。前回でケリつけらてないってんなら、今回は進んで殺し合いに身を投じるだろうよ」

 

「では、衛宮が参加するかもしれないとしたら?」

 

「……エミヤ、だと――――――?」

 

 ―――衛宮士郎。ダンは時計塔で初めてその男と知り合い、同時に友人と言える仲に数少ない魔術師の一人。だがダンは彼が本物の「正義の味方」だと知り、紆余曲折を経て封印指定とその執行者と言う関係となり、協会を抜けた今でも殺し合うべき宿敵となっていた。

 

「―――そう言う話か。

 成る程ね。確かに、執行者を辞めた今でもアレとなら、命を賭して殺し合うだけの理由(ワケ)がある」

 

「ああ、それと―――美綴も参加するかもしれないぞ」

 

「ミツヅリ……あの美綴か。あいつも来るのか?」

 

「さて。不確定情報だが、冬木に用事があるらしい。聖杯戦争に興味はないだろうが、あの街に集う連中に用が多く有るのであろう」

 

「―――は!

 ほざけ、腐れ外道。あの女を冥府魔道に導いたのはオマエなんだろう?」

 

「違うな。俺は在るべき人物を、在るべき世界を教えただけだ。美綴にとって、この魔道こそ生きるべき求道であっただけなのだ」

 

「……貴様は、何処まで腐っているんだ」

 

「その台詞をお前が言うのか。実に笑える。あれの目の前で封印指定の家族とは言え、まだ幼い子供を撃ち殺した人でなしの分際で、自らの行為の棚上げとは面白い。腐り具合を争いたいのであれば、とうの昔に結果は決まっているではないか」

 

「―――っち。撃ち殺してやりたいのは山々だが、今はまだ我慢してやる。話を続けろ」

 

「結構。冷静なようで有り難い。では、まずは参加条件から話そうか。

 この聖杯戦争は特殊でな、令呪が無ければ参加は不可能。他のマスターから奪い取る事は出来るが、サーヴァントを備えているとなれば奪取は難しい。

 他にも数々あるが、まずは聖杯が相応しいと思う者は参戦を認められる。御三家や時計塔から選ばれるのもあるが、基本的には聖杯を欲する魔術回路のある者であり、あるいは聖杯を得るに足ると勝手に選定されるかだ」

 

「オレに令呪は無い」

 

 令呪が無ければ話にならないのだ。幾ら神父の話を受け入れてダンが了承したとしても、参加資格が無ければ何の価値もない。

 

「まぁ、待て。そのような事は知っている。故に、こうしてお前を尋ねに来た。まずは聖杯戦争を知り、それに参加したいと思う事が重要だ。

 御三家の人間や、聖杯と因縁がある人物は優先的に選ばれるだろう。

 しかし、それでも例外がある。

 聖杯が好みそうな渇望を持つ人間は、他の参加希望者よりも優先して選ばれる事となる」

 

「……何が言いたい?」

 

「―――人殺し、好きだろう?」

 

 奥底まで覗きこまれた。この男は自分以上の悪意であるとダンは確信した。

 

「―――……否定は出来ないな。

 人殺しに快楽は有るか無いかと問われれば……そりゃ、とても楽しいさ。出なければ、こんな因果な職を好き好んで選んじゃいない。銃をぶっ放して生活するのは、子供の時から性に合ってた。人を撃ち殺して生きる事に疑問も無いし、世の社会が語る世迷言に価値が無い事は知っていた。

 ギリギリのラインを掻い潜り、目標の殺害を達成させる。

 自分は死なないと錯覚している屑を、思う儘に殺戮する。

 プライドが無駄に高い雑魚を、暗闇から卑劣な手で殺す。

 強敵や難敵と殺し合い、幾重の死線を打ち破り射殺する。

 ―――その全てが、オレにとっては大切な生きている実感と言う代物だ」

 

 ならば、神父の話に乗ってやる事にした。虚偽など既に無駄だと悟り、分かり切っている自分自身の澱を吐き出した。果たして、過去に何度か殺し合った事がある代行者が、自分の業を如何捉えるのか興味が湧いた。延々と黒く沈んで逝く両目でダンは彼と対峙した。

 よって、その殺し屋を前に士人はまるで神父の様に……否、神と通じる聖なる司祭の姿で精神を解剖し始めた。この手合いは面白かしい内部構造である為、節目に沿うように言葉(メス)を振るえばあっさりと感情(内臓)を取り出せる。

 

「戦闘を専門とする魔術師の中で“殺し屋”と呼ばれるのはお前だけだ。執行者と言う殺人集団の中でさえ、殺し屋と下卑されるのはお前だけだろう、アデルバート・ダン。

 職業気質を身に付けた快楽殺人鬼など、協会では手に負えない化け物(ケダモノ)だからな。

 それ故に、お前は魔術師であろうとも殺し屋のままだ。

 理性的な殺人を営み、獲物の殺害にのみ専心する怪物。

 ―――死徒などの化け物共とはまた別種の、人の心を持った異常者だと言う事だ」

 

 アデルバート・ダンにとって自分自身の中身を見抜かれたのは、人生で二度目であった。嘗てミツヅリアヤコに切り開かれた様に、彼女の師とも言える神父もまた当たり前の様に彼の心を解剖してしまった。

 

「しかし、お前は正気を保っている。裡に異常を抱えながらも、人並みとは言えんが自分なりに営みを続けている。殺人に快楽を覚えながらも、それだけに没頭する事は無い。

 ―――人は(みな)、人間が醜悪な動物でしか無いコトを知っている。

 心の奥底でこの世に価値など無いと悟っている。我々には生きる価値など実は存在していない。無意味ではないと祈りつつも、常に無価値な虚無が沈澱して割り切っている。それは俺もお前も同感である筈の実感だ」

 

 この哲学は、常に神父や殺し屋のような人間の課題であった。人を殺して生きる事に疑問は無いが、では何故そんな異常を持って生きているのか。

 ―――分からない。他人を理解出来ない。

 普通に生きて、世間一般的な生活に満足を得られず、人並みの幸福に辿り着けない。その人生に理想も無く、欲する目的も無く、ただ備わっていた異端の感性を以って自分だけの価値観を至上とする。

 

「それに加えてお前は殺人を、獲物を狩り殺すだけの作業であると割り切っている訳ではない。では何故、人を殺す事を悦楽とするのかと言えば……それが、生まれ持ったお前だけの娯楽であるからだ」

 

「娯楽か。ふん、そんな事はわかってるさ。楽しめるから辞められない何てことは、理解している。もう昔とは違い、今の自分ならば力がある。金もあり、人並みの営みを送れる。

 女と結婚し、子供を育て、家庭の中で幸せを得られる。世間の人々が欲する生活を送れるさ。けど、そんな事に意味は無い。

 ……分かっているんだ、何もかも。

 既にオレの中の価値観では自分と言う人間性が尊い。殺し屋は結局、自分と言う生物の別名だった」

 

 言峰士人が神父で在る様に、アデルバート・ダンは殺し屋で在るのだ。この先何があろうとも、もう変わる事は永遠に出来ない。

 

「狂っている事が正常であり、常識が錯覚と化す。

 ……成る程な。

お前は狂気のままに生きた末に、正気である事を覚えたのだな。正気と狂気が混濁とした意識の中で、人の死だけが心に迫る触感で在る訳だ」

 

 にんまりとダンは笑みを浮かべた。彼は最初から常識も感性も情緒も狂っており、生きた末の営みから正気を手に入れた。取り戻したのではなく、彼は経験から普通の認識と言うモノを覚えたのだ。

 

「確かにオレは狂気と正気が混ざり合わり、人が持つべき生死観が反転している。いや、むしろ狂気がなくては、自己が自身を認識出来ないのかもしれない。

 今のアデルバート・ダンと言う価値観を稼動させる為に、幼い頃から必要だった狂気がヒトの死を尊ぶ規範であった。狂気に身を委ねなければ生きられず、そもそも生と死に区別さえ無かった。だから善悪に分別が無く、思う儘に奪って殺して生き延びた。自分自身が異常者だと最初から理解していて、そうやって生きる事を許容していた。オレは自分自身をオレだと認識した時から、自我が生まれた時から在りの儘だった。自我を育む自己の歯車が既に狂っていた。

 故に―――」

 

 この聖杯戦争で歪んだ膿を見出せるなら、それで良し。死に果てて人生が終わるのもまた、それはそれで構わない。彼はいつも通りに良しと笑うのだろう。

 

「―――認めよう。

 オレは間違いなく狂っている」

 

 熱かった。どうしようもなく熱に浮かれていた。ダンは狂気を実感しながらも―――手の甲に焼印を押しつけられる激痛を受け入れていた。

 参加資格たる三画の令呪。

 サーヴァントを召喚する為に必要な、英霊を縛り付けるマスターの証。

 

「…………――――――」

 

 唖然とするまでも無かった。この神父がこうやって来た時点で、そんな事が起こる予感がダンには有ったのだ。

 

「―――祝福しよう。お前は聖杯に選ばれた」

 

 笑みを浮かべて、神父はすべき事など無いと言わんばかりに去って行った。戦争が始まる日時と、戦場のルールの大まかな説明だけして、彼は黒猫を連れて事務所からもう用は無いと消えた。そして、アデルバート・ダンは深く息を吐いた。久方ぶりにあの神父に会った所為か、彼と似ている一人の魔術師を思い出していた。

 確か……その時はまだ自分が魔術協会に所属し、封印指定執行者で在った頃。

 執行者に任命された成り立ての時から獲物を殺す事は慣れ切っていた。しかし、当時の自分が執拗に狙っており、狩り殺すべき相手が異端の中でも更なる異端であった。封印指定の任務において数少ない失敗であり、今も尚殺せていない標的。とは言え、協会から脱会した身である故、もう既に殺す必要など無いのだが。

 

「封印指定執行者だ。何故、このような事に成ったかは理解出来ているな、魔術師?」

 

 ヨーロッパの何処かにある森の中。深く暗い森林の中。其処には大きな屋敷がポツリと建っていた。

 ―――住人は五人。全員が魔術師と呼ばれる人種。

 ……そして、使い魔と称される使役されるだけの怪物が複数体。材料は人間であり、近隣の村や町、あるいは森で捕獲した者で作成していた。

 

「貴様……! 私はただ魔術の秘技を極めていただけだ! まだ協会が危険視するまで人間を生贄にはしていない筈だ!」

 

 確かに、この家の隠蔽は完璧だった。犠牲にする人間の数は多かったが、神秘を露見させてしまう様な間抜けではなかった。到達した神秘は確かに協会にとって、封印指定と呼ぶに相応しい逸脱した魔術とは言え、まだ殺し時では無い。

 もっと、もっと、鍛え上げえられて熟成してから狩り取るべき獲物。

 その事を理解していた封印指定の魔術師は、慎重に慎重に事を運んでいた。そうであった筈だが、突如として魔術師の日常は一気に狩られるだけの兎と化していた。

 

「まぁ、だろうな。しかし、それでもオマエは封印指定だ。まだまだ積極的に殺すべき標的に成ってはいないが、資料で目が付いてしまってな。

 ―――つい、殺したくなった。諦めて死んでくれ」

 

「……ふざけるなぁ! 貴様それでも魔術師か!?」

 

「さぁ? ただ、今のオレは魔術師である前に殺し屋だ」

 

「―――がぁ!」

 

 腹に前蹴りを叩き込んだ。殺し屋に魔術師と呼ばれた男は靴が腹部に抉り込まれ、そのまま壁に衝突した。蹴りの威力は手加減されていたが、内臓を明らかに傷付けていた。口から出てくる赤色の液体が、傷の深さを示している。

 右手に銃を持ち、左手にはビニール袋。執行者の男は黒いスーツに茶色のコート。そして、そこそこ目立つ茶色の帽子を被っている。その執行者は再度その魔術師の腹を蹴り飛ばし、壁際から部屋の中心へ跳ばした。

 

「確か、オマエには両親が居たな―――だから、まぁ、殺しておいたぞ。射撃には良い的だった」

 

 魔術師は既に余力は無かった。正確に言えば、魔力の流れを妨害する短剣を右肩に刺され、魔術回路を使用する事が殆んど不可能になっていた。魔力はまだ余っているのに、それを使用する事が出来ない。

 ―――だから、両親を殺されたと言われても、咄嗟に魔術を撃ち放つ事さえ出来なかった。

 

「……な、なに?」

 

「ほら。部屋の隅で血塗れになってる屍があるだろ。それがオマエの両親だ」

 

「な―――――」

 

「それにオマエには妻もいたな。物の(つい)でに殺しておいた。綺麗な脳漿をしていたぞ」

 

「―――――貴様ぁ……!」

 

 パァン、と銃声が響いた。男が魔術師の片足を撃ち抜いたのだ。

 

「動くな、間抜け」

 

 そして、もう一回銃声が轟く。もう片方の足を銃弾で風穴を刳り抜いた。両足から血の流し、封印指定の魔術師は膝を着いて倒れた。

 

「顔を上げろ。手も上げろ」

 

 気が付けば、背後から執行者が銃を構えていた。その銃口を後頭部に突き当てている。弾丸を放った熱が残っており、灼熱とした殺意が後ろから直接頭蓋に伝わって来た。

 

「全く。両親がおり、妻を持ち―――そして、子供もいるオマエが人を殺して魔術を求めるか。人でなしの鬼畜の分際で人並み程度の幸福に浸りながら、更に外道を生き甲斐にする。

 ……無論、殺されないとは思っていないだろうな?」

 

「―――……こ、子供。そうだ、シンシアは……シンシアはどうした!?」

 

「ああ、あの可愛らしい少女か。

 流石にアレはオレがしたとは言え……ほんの少し可哀想な事をしたかもな。無駄に苦しめてしまった」

 

 ゴロン、とナニかが投げられた。執行者が左手に持っていたビニール袋を、魔術師の眼前に投げたのだ。

 

「シン、シ……ア――――?」

 

 ―――袋から、ナニかが転げて飛び出る。

 両目から血を流し、鼻から血を流し、口から血を流し、そして斬首された真っ赤な側面から血を流す―――少女の生首。コロコロと目の前を転がって、死んで乾いた目と視線が合った。

 ……魔術師には見覚えがあった。

 彼にとって、人間としても、魔術師としても、命より大切にしていた愛娘の成れの果て。

 

「―――祈れ」

 

「あ、あぁ……アアアアアアアアアアアアアアア――――――――ッッ!!」

 

「だが、許されると思うな。

 何人の人間をオマエは犠牲にしたか、苦しみで罪を実感しろ。今感じている精神的苦痛も、オマエが生み出した悲劇に比べれてしまえばよ、微々たるモノだがな」

 

 絶叫だった。この魔術師は外道であったが、家族を愛していた。両親は勿論、妻も娘も愛していた。それが、こんなにもあっさりと玩具の様に、一人の執行者の手でガラクタに落ちた。

 ―――そうして、一人の魔術師の魂が砕け散った。

 外道を良しとし、封印指定に選ばれるまで家系の神秘を鍛え上げた魔術師は、現実に耐え切れないと叫び、泣き、苦しみ悶える。彼は自分の魔道を継ぐ筈だった一人娘の首を拾い、狂ったように抱き締めている。涙を流し、悲鳴を上げて、生首を大事そうに抱えている。

 

「そうだ。その憎悪と怨念こそが、オマエが最期に抱ける真実さ。

 根源なんて下らない真理を求める魔術師も、理性の皮を剥がされればオレと同じ(ケダモノ)だ。その内側から出る恨みを味わい、自らの因果に諦観して死を見つめ続けろ。

 ―――自身の正体を知り、死ね。

 これこそが人間だ。

 魔術師なんて超越者を選んだのだ。最期は在るが儘に命を散らせ」

 

「あぁアぁああ! アアアアアアアアア――――――ゲヒュ……」

 

 弾丸は、無慈悲に撃ち放たれた。吹き飛んで、紅く砕けた脳漿の染み。血に塗れて赤く染まり、頭部のパーツだった肉片が床に散らばった。叫び続けていた魔術師は、弾丸で後頭部から貫かれてあっさり死んだ。

 

「―――おっと。

 封印指定の脳味噌は、壊さずとって置かねばならなかったな。ついつい、うっかりしてしまったよ。失敗してしまったじゃないか」

 

 その時、鈍く軋む音と共に部屋の扉が開く。木製の扉が部屋に人が来た事を簡単に知らせてくれる。

 この屋敷に生きている人間は既におらず、執行者が皆殺しにした筈だ。よって、この部屋に現れた人物は封印指定の魔術師の家系では無い者となる。それも、執行者がジワジワと皆殺しにした後に屋敷に入って来た侵入者。

 

「遅かったな」

 

 赤い外套を着込んだ異人。屋敷には居なかった新たな侵入者が、魔術師の家へ入り込んでいた。

 

「……おまえ、ダンか。何故ここにいる?」

 

「執行者としてオマエを殺害しに来た。ここの魔術師はおまけの獲物。

 まさか、協会なんて魔窟で折角できた友人が、封印指定に選ばれるとは思わなかった……が、それはそれで面白い展開だ」

 

 殺し屋は暗闇で笑みを浮かべた。屋敷の外は月光が降り注ぎ、闇夜を照らしているが、死に満ちる森の屋敷内に光は一欠片も無い。

 

「実に久方ぶりだ、正義の味方。ああ、お前を仕留めると決めて、一体何度逃げられたことか」

 

「相変わらずのしつこさだな、貴様は。何度失敗すれば理解出来るのかね」

 

「……は。それにしても気色の悪い口調になったな。時計塔での時と比べ、実に皮肉屋が板についてる」

 

「仕方なかろう。流石に私も死に触れ続ければ、心が荒む」

 

「あれだけ人の死を見続ければ、精神が病むのも当然だ。とは言え、そんな可愛らしいタマとは欠片も考えていないが。

 オマエの遍歴は奇怪だが、実に分かり易かった。次に何を標的するのかも、容易く検討がつく。ここの魔術師を殺そうと画策していることなど、手に取る様にわかってまったぜ」

 

「―――先読みしていた訳か。

 私の行動を予測して、この封印指定を先に始末していたのか……家族ごと」

 

「面倒だったからな。目に付く人間は皆殺しにしておいた。まぁ、雑魚ばかりだったから、任務自体はとても楽だったぞ」

 

 これが封印指定執行者として、ダンが封印指定衛宮士郎と幾度か邂逅した。フラガの知人として協会で学生をしていた衛宮士郎と知り合っていたが、因果とはまことに悪辣な趣向で二人を殺し合わさせた。

 しかし、アデルバート・ダンからすれば、喜ばしい展開であったが。

 彼は自分が協会に一派に裏切られ、彼らを皆殺しにして自分が封印指定となるまで、幾度か衛宮士郎と殺し合った。また、衛宮士郎の知り合いである言峰士人とも、戦場で幾度か殺し合いを演じる事となる。

 

 

◇◇◇

 

 

 遠くない昔。二十一世紀となってまだ数年。まだアデルバート・ダンが封印指定執行者として、魔術協会の一員であった頃。

 

「―――ダン。貴方、良くこんな所まで出て来ましたね?」

 

「フラガ、か。任務から帰って来たのか。随分と長い間、協会に居なかったな……」

 

 天候は晴天。雲は無く、日の光が暖かい。

 そんなここは大英博物館前にあるカフェテリア。

 第五次聖杯戦争と言う日本と言うアジアの国で行われた魔術儀式以降、余り協会に居座らなくなったフラガであったが、今年の四月からは時計塔に身を戻していた。その原因と思われる戦争において、知り合いになった三人の学生と共に話し合いをしていたようだ。

 

「……それで、此方の方々は誰なんだ?」

 

 話だけは知っていたが、初対面ゆえに礼儀を通す。仕事や趣味を挟まなければ、彼は至極真っ当な常識人だ。

 

「ええ。何と言いますか、その……私の友人達ですよ」

 

「友人? へぇ、それは凄いな。良く見知らぬ魔術師と仲良く出来たな、取り敢えず殴っちゃうオマエが」

 

「―――殴りますよ?」

 

「成る程。調子は良いみたいだ」

 

 バゼットからすれば、実に嫌な機嫌の計り方。怒りに震える拳を隠す事無く、ダンに見せている。彼女を怒らせる事がどれほど危険が知っているが、軽口を辞める気は欠片も無かった。

 テラスの丸い六人掛けのテーブル席にはバゼットの他に、遠坂凛、衛宮士郎、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト、そして美綴綾子が居る。その三人が自分を見ている事に気が付いていた為か、ダンは朗らかな笑みを浮かべて四人を見た。

 

「ふむ、では初対面の皆様には自己紹介をしておこう。

 オレの名前はアデルバート・ダン。魔術協会所属の封印指定執行者。そこのバゼット・フラガ・マクレミッツの同僚だ」

 

 小規模な結界が張られている為、外部に声が漏れる事は無い。

 

「―――へぇ、貴方があの噂の執行者ですの」

 

 ルヴィアの目はかなり危険だった。冬木から来た魔術師たちよりも早く時計塔に入学していた彼女は、この魔術師の悪名を知っていた。その能力と危険も知っていた。

 曰く、殺し屋。

 曰く、魔銃使い。

 曰く、最凶の執行者。

 魔術師で在るにも関わらず、近代武器の銃を礼装に使う異端者。その癖、執行者としては素晴しく優秀。あらゆる戦場で生き残り、あらゆる獲物を狩り殺す魔術使い。本業の魔術研究の方は余り目立たぬが、執行者として悪名高い魔術師である。

 とまぁ、大体そんなところだろうと、アデルバートはルヴィアの内心を予測する。しかし、彼は少々読み間違えていた。貴族足らんと誇り高いルヴィアからすれば別段相手が何者だろうと、初対面で上げる名乗りに余分なモノを感情を込めるのは無粋であった。

 

「お会いできて光栄ですわ。

 (わたくし)の名はルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。魔術師ゆえ無駄に慣れ合う気はありませんが、これも何かの縁。

 以後、お見知り置きを」

 

「ご丁寧な挨拶、有り難い。是非、これからも縁が続くよう祈ろう」

 

 まずはジャブ。しかし、両者ともそれを回避。言葉の応酬は韻が重く、声の裏側には魔術師らしい姦計が張り巡らせて。

 

「……では、わたしからも。

 名前は遠坂凛。日本冬木市の管理者である魔術師です。知り合えたのも御縁ですので、宜しくお願い致しますね」

 

 凄まじい猫被りだった。このイギリスには居ないとある神父からすれば、流石は師匠とニタニタと笑ってしまう程だ。

 

「ああ、宜しく。フラガと仲が良ければ、また会う事もあるかもしれないな」

 

「ええ、分かりました。バゼットとの縁は長く続いて欲しいですので、そうなると嬉しいです。

 ……それと、彼は私の弟子である衛宮士郎です」

 

 凛は視線だけで士郎に挨拶をするように促す。執行者と言う超一級品の危険人物とは言え、バゼットの同僚となれば不出来な示しは貴族の恥。彼女は魔術師として、礼儀を通すことで相手に自分の立場を教えている。

 

「初めまして、俺の名前は衛宮士郎です。宜しくお願いします」

 

 日本人固有の鈍った英語の発音。しかし、彼の声には尋常ではない力強さが込められている。聞く者の第六感が優れていれば、それだけで士郎の人格の一端を知る事が出来た。

 

「ああ。此方こそ、ヨロシク」

 

 ―――強い。ダンは一目で、士郎の異常性を気配で感じ取った。この場所で誰よりも魔術師らしくない雰囲気でありながら、誰よりも異端な気配を醸し出している。

 戦えば、どうなるか分からない。と言うのが正直な感想。

 先に紹介された二人の魔術師は上物だが、殺し合いの相手ならば敵では無い。数年後、経験を積めば分からない状態だが、今の段階ならば殺せるだろう。しかし、この衛宮士郎と言う男には、脳天に銃弾をブチ込める確かなイメージが出来ないでいる。

 

「あたしは美綴綾子と言います」

 

 ―――と、一秒にも満たない考察を脳内でしていると、もう一人いた少女から挨拶をされた。

 彼女の姿を簡単に言い表せば、美しい刃と例えられた。

 日本人特有の拙く鈍った英語だが、声自体に不快な韻は無い。また、ダンの貧民街育ちの汚いアメリカ英語もイギリス人からすればどっこいどっこいだ。それに、この場に居る者は全員がイギリス生まれのイギリス育ちではない為、誰も気にはしていなかった。

 

「彼女は私の弟子です。今は此処の学生として生活しています」

 

「………………弟子?

 へぇ、弟子ねぇ……そうか――――――オマエが弟子だとっ!!」

 

 ダンの表情は誰が見ても一目で分かる程はっきりしていた。有り得ない、と明らかに驚いていた。

 

「なんですか、その顔は?」

 

「いやいや。あのバゼット・フラガ・マクレミッツが弟子だぜ? そりゃ驚きもするさ、実際」

 

 アデルバートの表情は一切馬鹿にした雰囲気は無く、生真面目に此方を考慮した心配をしていた。つまり、本気でバゼットの正気を疑っていたのだ。態と出ない方が苛々する態度であり、今拳を出さないだけ彼女の情けである。

 

「……しかし、その美綴綾子さん?」

 

「あ、別に名前で構いませんよ。バゼット先生のご友人でありましたら、気を使って貰う方が心苦しいので」

 

「そうか。いや、有り難い。だったらオレの方も気安い雰囲気で良いよ。そっちの方が話し易い。それにしても綾子は、あのフラガの弟子とは思えない可愛らしさだ」

 

「……軟派?

 別に嫌いじゃないけど、建前の好意だったら流すよ」

 

 綾子にとって、ダンの雰囲気は何処となく喋り易く、何より気安かった。だから、口では冷たくとも笑顔だった。この会話を楽しんでいる事が相手の男にはっきりと伝わった。

 魔術師らしい探究者然とした壁が無く、どちらかと言えばアウトロー気質。もっとも、街でぶらついているような若者よりも、極道やマフィヤのような裏側の住人よりも、明らかに人間を越えた猛獣染みた圧迫感だか。

 しかし、その手合いの重圧には慣れている。

 気配の性質は違えども、他人をあっさり殺そうとする神父から、文字通り死ぬ程の危機を味合わされた。鍛錬の中で実戦を行使する狂気の修行は、美綴綾子の常識的感覚を壊し切っていた。

 

「やだな、そんなつまりは無いさ。しかしほら、何と言えば良いか困るんだけど……綾子は余り魔術師らしくないぜ。

 魔術師の女性と言うのは血の香りが強くてな。見た目が良くても、つまらない場合が多くて話が楽しくない。男の魔術師も、頭の中身をバカで空っぽな状態に出来ない奴ばかり。まぁ、ユーモラスを理解出来る人はまた、例外になって面白いんだけど。そう言うの、時計塔には全然居なくてね。

 その点、フラガと友人に成れる君たちはとても面白そうだ。それも彼女に弟子が出来たの成れば、同僚として喜ばしいんだ。

 ……ほら、フラガは中々に天然で愉快な人だろう?」

 

 アデルバート・ダン曰く、「ここの院長補佐は糞ツマラナイ」らしい。彼にとって血生臭い女は嫌いではないが、感情が薄い者は接していても非常に面白くない。むしろ時間の浪費と考え、娯楽未満な辛いだけの徒労である。

 その点、この場に居る魔術師たちは面白可笑しい奴らばかり。

 ルビィアゼリッタ・エーデルフェルトと遠坂凛は見ていて飽きず、実際に喋ってみても面白い。遠坂の弟子である衛宮士郎なんて男は、一目見ただけで色々と楽しそうな人物だと理解出来てしまった。そして、時計塔であった中で、彼にとって一番愉快な魔術師の弟子となる美綴綾子がどんな人物なのか楽しみで仕方ない。

 

「共感出来るな、それ。あたしもバゼットさんは天然だとずっと思ってた」

 

「ええ、そうね。わたしも綾子と同感だわ」

 

「遠坂と同じなのは癪ですけど、私もそう考えておりましたわ」

 

「同じく、俺もそう考えてた」

 

「――――――……」

 

 バゼット・フラガ・マクレミッツの表情が凍った。彼女は気付かぬ内に、この場に居る者全員が敵になっていた。

 

「……ダン、貴方達。そんなにも、私をからかって楽しいのですか?」

 

「―――勿論だ。

 楽しくて仕方が無いぜ……って、冗談だよ。そんな殺気立って拳に魔力を込めるな」

 

「でしたら、唯でさえ低い私の沸点を越えない様にして下さい。殴りますよ」

 

「おお、怖。神代から続く撲殺一族は流石だよ。

 ……んで其処、座っても良いかい?」

 

 丸テーブルが座れる席は六。丁度一席だけ余っており、それはバゼットの隣であった。

 

「構いませんが……正直、他の所に座ってくれませんか?」

 

「まぁまぁ、宜しいではありませんか。見知らぬ魔術師と世間話をするなど、早々に無い機会ですし。偶にはこう言うことも良いと思いますわよ」

 

 親の仇でも見る様な眼付けであったので、流石にハイエナと呼ばれるエーデルフェルトさえ抑える側に回っていた。バゼットはバゼットで信じられないと言わんばかりの表情を彼女に向けるが、その隙を突いて無駄に洗練された全く無駄の無い無駄な動き……つまり、意味も無く苛ついてしまう程無駄の無い動作で、ダンはテーブルの席に付いていた。

 彼の動きを細部まで目視出来たのは士郎と、後は綾子くらい。気が付いたらその席に居たと錯覚しまうような早さであった。

 

「曲芸だけは巧いですね、相変わらず」

 

「当然さ。これで封印指定を殺して生活している。錆びれてしまえば、明日の飯にも困ってしまう。封印指定執行者ってのはそう言う生き物だ。

 ……っと。ああ、すいません。

 カフェラテを一杯下さい。Mサイズで」

 

「承りました。直ぐにお待ちします」

 

 簡易結界の中なので会話の内容は外の人間に記憶する事は出来ぬが、こうやって呼びかける事は出来る。ダンは近場を通って行ったウェイトレスの女性に注文を素早く行い、バゼットの方に向き直った。

 

「では、出来たら時間が許す限り、お話をしていこうじゃないか、新入生諸君。たかだか数年程度とは言え、オレはここの先輩だ。如何でも良いお節介と言えばそれまで何だが、バゼットの友人達となれば話は違う。

 魔術師も一般人も、関係を深めるには友好で在るべきだ。

 神秘の探究者に不必要な事柄と切り捨てるか、否か……まぁ、あれだ。大切な第一印象ってヤツをここで決めて欲しいな」

 

 ―――と、バーサーカーはラインを通じ、主の過去を何度か見ていた。

 今までの契約期間中にマスターの過去を覗き見ているが、それを進言した事は一度も無い。それに如何やら、向こう側も自分の過去を視ているかもしれない。バーサーカーはそう思考したが、取る足らない事だと見逃した。

 こんな程度であれこれ口を挟むのは、自分の主義から離れている。

 よって、夜の暇潰しとして主の過去を楽しむ事にした。他人の秘密を暴くのは実に面白く、人間味に溢れる悪趣味だと楽しもうと考えた。幾つか見たマスターの人生劇場は見ていて良い娯楽で、酒が美味しく感じる物語。現世の娯楽品で例えるならば、映画やドラマに近いかもしれない。今夜もまた、バーサーカーは主の過去が楽しめそうだと愉快に思い、意識を深めていった。

 ―――過去のこと。

 彼は、そもそもアデルバート・ダンと言う名前では無かった。

 この名は師から奪い取った名であり、生みの親は彼をスラムに捨てて何処かに去っている。母親の顔は知っているが名前は覚えておらず、興味は既に無い。父親は記憶に無く、会った事も無い。だが、そんな事はどうでも良かった。親なんてモノに価値は無かった。何せ、あんな者に有り難味など欠片も無く、関心なんて最初から存在しない。

 スラムで暮らしていた彼は、日々を平々凡々と暮らして腐っていった。生きる為に何でもやった。生まれながら暴力に特出していた所為か、別段人殺しも本能的に行って色々な人から色々な物を奪って生きて来た。そんな子供の彼を拾って育てる奇特な人間と会うまで、名無しだったアデルバートは普通の浮浪者だった。

 ……何でも、その男は殺し屋だったそうだ。

 それも教会に属していた司祭だったそうだ。

 彼を拾った男―――アデルバート・ダンは、気紛れに子供を自分の後継として育てる事にした。名無しの子供に名前を与える事も無く、殺しの技術だけを教え込んだ。名無しの少年は偽名として何かしらの名はあったのだが、誰かから名を貰った事は人生で一度も無い。故に、心の中では常に自分の名を持てずにいた。

 

「強くなれ。誰でも殺せる銃となれ」

 

 一番心に残っている言葉。初めて人から教わった技術は、確かに少し振るっただけであっさり人を殺せた。言葉通り、自分は最初から人殺しの銃でしかなかった。

 ……そして、始まるのは依頼を受けて人を殺し、生活費を稼ぐ簡単な毎日。

 人を殺せば殺すほど、生活は豊かになっていった。自宅は相変わらずの廃墟じみた貧民街の一角であったが、食事や娯楽は充実していたし、そもそも彼ら師弟は引っ越しをする気にはならなかった。他人の命で生きていた。食べ物も、服も、全て他者の命で出来上がっていた。

 それに彼の師は酒や薬に溺れていた。しかし、理性的な凶暴性は失われておらず、狂ったように快楽殺人を嗜んでいた。商売女と遊ぶ事も多く、街中で拉致した女を監禁して愉しんだり、仕事の無い日は野外でレイプして家に帰って来る事も多かった。彼も彼で、それが日常過ぎて何も感じていなかった。罪悪感など最初から無く、師の男が女を嬲っている光景を見ても何も思わなかった。

 

「―――あ、ジョー君。久しぶりだね」

 

 だが、そんな彼にも近所付き合いがあった。常連客として通っている行き付けの飲食店で、良く会っていた少女がいた。恐らく、人生で初めて“友人”と言える人間だ。彼にとって人は、殺せるか殺せないかにの二択しかないのが基本だが、この少女は違っている。

 ……気紛れで、魔が差して、裏路地で襲われていた所を助けたのが付き合いの始まり。その後、偶然再会して色々と話すような仲になった。其処から色々と関係が長くなり、今も付き合いが続いていた。

 

「あー、いや……まぁ、確かに久しぶりだね」

 

「そうだよ。もう三日も会ってなかった」

 

 少女は一目で凛々しい美しさに満ちている。可愛らしいさもあるが、刃物のような鋭い美貌の持ち主だった。短めに切られたショートヘアが似合い、彼女らしい美貌をより目立たせていた。

 そして挨拶の後、注文をし終えた二人は同じタイミングで互いに飲み物を一口。

 

「仕事さ。少しだけ遠出だったから泊まり掛けのね」

 

「ふ~ん。今回はなんの仕事だったの?」

 

「……まぁ、何でも屋の一環。言ってしまうとアレだね、ちょっとした人材派遣ってところだ。サービス残業が多くてね、無駄に時間が掛かり過ぎてしまった」

 

 無論、彼の仕事とは人殺しだ。クライアントから依頼された殺人で、街から離れた所まで遺体を棄てに行っていた。何でも念には念を入れたいと言う事で、隣の州までトランクに荷物諸々を載せて車を走らせていた。加えて山中で穴掘りをせっせと行い、穴掘り現場まで人一人分の重さを背負って森を彷徨った。ドライブは実に長く、ガソリン代も嵩み、途中で車内で寝泊まりをした甲斐もあり、かなりの収入であった。

 今の彼がこうやって行き付けのレストランで、休日のお昼でランチをしているのはその為。正確に言えばレンストランの中でもダイナーと言う種類の食堂であり、結構こじんまりとした個人営業の店。その食堂に来た彼は溜まりに溜まった疲れを癒そうと、態々電話を自分に掛けて一緒にご飯を食べに行こうと誘ってくれた友人と会話をする為に此処へ足を運んだ。

 ……人と話をすると、やはり精神が落ち着く。

 それも友人、あるいは恋人と呼べる位には自分へ好意を持ってくれる異性相手ならば、会話をするだけで心が清らかになっていくのを実感する。

 

「んー、そのさ。一応だけど私達って恋人同士じゃないですか?」

 

「ああ。オレはそのつもりだぜ」

 

「なんか、その―――軽くない?

 ……巧く言えないんだけど、君って色々と雑じゃない?」

 

 ぶっちゃけ、この二人に甘酸っぱい雰囲気は無い。むしろどちらかと言えば、付き合いが伸びきった長年の老夫婦みたいである。若々しさが無いと言うか、達観し過ぎていると言うか、男女の仲を諦観してしまったと言うか……例えると、二人とも何となく猫っぽいのだ。

 甘くなく、ベタ付きも無く、奇妙な男女の距離感。他人じゃなくて、既に生活の一部になっている。新密度が高過ぎるのに、恋をしていない。つまり恋を経ることなく、絆たる愛を知ってしまって、そこから恋を一から育んでいた。

 好きと言えば好きだし、愛してもいる。とは言え、今から恋っぽい事しようぜ、とは巧く行かないのだ。

 出会いの切っ掛けはそれなりにドラマチックで、今の関係も中々にロマンチック。

 しかし、付き合ったのは二人共ちょっとした蒼い好奇心が誘爆して、そのまますんなりと今の関係が出来上がってしまったのだ。

 

「フフフ。安心して欲しい。実は取って置きのプレゼントを用意しているんだぜ」

 

 雑と言われた彼は、特に思う部分も無く納得してしまった。

 お金の支払いは働いている自分が出しているし、カップル的イベントもそれなりに楽しんでいる筈。だがしかし、雑と言われれば雑なのかもしれない。気遣っているのだが、家族に対するみたいに物事をスルーしてしまう事がある。もっとも彼は家族なんてモノは欠片も知らないので、彼女に対する価値観がそうなのでは、と予測しているだけだが。

 よって、ここで秘密兵器を投入する。

 相手が不機嫌で有ろう事は予測していた。ならば、その対策を準備してこその仕事人!

 

「……だから、渡す前に言っちゃうところが雑なんだってば」

 

「なん、だと……―――!」

 

 女心とか、彼はさっぱりだった。特にイベントにおける相手の心理状態など不透明過ぎて、フェルマーの最終定理はかくやと言う難解具合である。世の男性陣がどうやって女性を喜ばせているのか、一定方向にしか人生経験が豊富な彼では理解不能であった。

 

「と、言う訳で―――はい。これ、君へのプレゼント」

 

 彼女の手の上には、小奇麗な小物が一つ。そして、テーブルの上にも同じモノが置かれている。

 首に掛ける細い鎖がとても綺麗なセンスの良い“銃”字架のペンダント。二つのリボルバーピストルで十文字を作っているので言わば、“銃字架”とでも例えられるネックレスだ。

 

「……え?」

 

「まぁまぁ。こう言ったドッキリ返しに驚いてるのは、充分分かったから。それで、コレの感想はどうよ?」

 

 彼女の無視技能(スルースキル)はとても高度だった。特に単純明快な思考回路を持つ目の前の男なんて、内心を読み取るのに大した苦労もしなかった。

 

「―――素晴しい。まるで光る様な、胸に迫る出来栄えだ」

 

 予想通り、彼は喜んでいる。笑みを零し、楽しそうに口調が弾む。

 

「でしょでしょ。君と私のセンスって似てるから、こう言うの大好きだと思ったんだ。ただの十字架のネックレスじゃツマンナイから。

 ―――ガンクロス、唸るほどカッコ良い」

 

「同意だぜ。しかし、コレ……見る限りオーダーメイドに見えるよ?」

 

 言外に高いんじゃないないかと彼は言っていた。創作物として思わず感動してしまう程の金属細工は、その感動に比例してとても値段がお高そうだ。

 

「―――当然よ。私の手作りだもの」

 

 本格的過ぎて正直な話、彼は驚いていた。これを作る為にはそれなりの設備も必要となり、手先の器用さだけでは無く機械を操作する技術もいる。

 

「これを自分で、か。あれ……そう言えば、小物作りが趣味だって言ってたね。スクールのクラブか何かだっけ?」

 

「そうそう。学校のクラブ活動でね、こう言った物を作ってるんだ」

 

「―――思い出した。

 将来の夢で確か、自分でデザインしたモノを売りたいとかさ……ベットの上でイチャイチャしながら語ってたな。

 いやはや、思い出した思い出した。でも……そうか、もうこんなモノまで作れるようになった訳か」

 

「あー、はは……やっぱ覚えた?」

 

「良く言う。オマエ、オレが記憶してたか試しただろ?」

 

「んー、ふふふ」

 

「……まぁ、良いさ」

 

 どうも人付き合いと言う観点では、一歩も二歩も彼女の方が上手であった。仕事にしか生きることを知らぬ身では、娯楽も今一分からないし、世間にも疎く流行にも関心が無くなってしまう。まだ十代と言う若者であるのだが、身に纏う雰囲気は老けこんでいて、見た目をより年上に見せている。

 ……合う度に自分の世捨て具合がわかるのは、中々に生きる事を損していると実感させた。

 彼は好き込んでこの職に付いている訳ではない。今となっては生活の一部だが、それ以外に選ぶべき道がなかったから、この状況にいるだけなのだ。

 

「んで、ブラックウッド。こっちにも渡したいのもあるから……ほら、プレゼント」

 

「サンキュー、ジョー君……って。いい加減名前で呼んでよ。まだ昔の癖が取れないの?」」

 

「すまんな。長年の習慣を変えるのは色々と気苦労が溜まるんだ、フィオナ」

 

 ジョー君と呼ばれた偽名の男は、フィオナ・ブラックウッドに拙い笑みで表情を作った。そして彼は今、ジョエル・E・グウィンと言う名前で仕事をしている為、ジョエルの略称としてジョー君とフィオナと愛称を付けられた。

 

「だけど、フィオナ……フィオナか。まぁ、悪くは無い」

 

「んー。けれど、ブラックウッドのままが良いんだったら、それはそれで構わないよ。

 ま、ま、そんな話は置いといて……それでジョー君、私になにをプレゼントしてくれるの?」

 

「じゃじゃーん。前に欲しがってた―――」

 

「―――注文の品をお持ちしました」

 

 ある意味ベストタイミング。店員が二人の料理を手慣れた動きで運んできた。

 

「……あ、はい。それは自分のです」

 

 ジョーは話を遮られた事を気にしつつも、平常心を保って店員が持って来た机の上の料理を見た。そして、もう一つの料理をフィオナの方にも置く。

 

「お品は以上で宜しいですね。では、ごゆっくり寛いで下さい」

 

 店員は早々に去って行った。まるで、こんなカップルと同じ空気を吸いたくないと言わんばかりの速さ。もっとも今の店内は結構空席が多いので、それなりに目立つカップルに関わりたくない店員の気持ちも分からぬもない。

 

「じゃあ、ブラック……では無くてフィオナ。食べる前にこれ、渡しとくぜ」

 

「うーん。何だかモヤモヤするけど、まぁ良いか」

 

 ジョーが頼んだのはコーラと巨大なビーフステーキ。ポテトも山盛りであり、見ているだけで胃が凭れそうな特大サイズ。また、フィオナはスロッピー・ ジョーと言うハンバーガーに似たサンドイッチ系統のものに、ジャンバラヤと果糖で甘そうなフルーツジュース。

 食欲を誘う香りと、腹に溜まりそうな量。嗅覚と視覚から空腹を刺激させ、早く食べたいと言う気分にさせられる。それを遮る様に渡されたのは、茶色の封筒が一つ。何が入っているか分からないが、早く見たいと思って彼女は直ぐに開封した。

 

「……Oh(オゥ)―――」

 

 と、彼女が目を輝かせるのも無理は無い。お気に入りのバンドグループのチケットとなれば、年頃の少女として興奮しない方が変。それも熱狂中なら猶の事。

 

「―――これ、どしたの?」

 

「貰い物さ。縁の浅い気の良い知人が、物の序でにオレへ渡してくれた」

 

 如何でも良いが、その(くだん)の知人は既に死んでいる。故人だ。死亡原因は彼の手によるものであり、殺した手段はコレクションの一つであるコルト・アナコンダ。

 しかし、会話の内容は特に変わった部分は無い。非日常などない十代の少年少女そのもの。彼の話の裏側には血生臭い事柄が隠されているが、露見しなければ問題は無い。

 

「……ねぇ。今度、君の家に行ってみたいんだけど、良い?」

 

 とある日のこと。フィオナは彼の家に行った事が殆んど無い。彼女を誘う事は一度もなく、彼女の家に行った事はあっても自宅に来させる事は無かった。そして、疑問に浮かんでしまえば聞かない理由もない。フィオナは思い付いた事をそのまま口にしていた。

 

「駄目だ。オレの家には変態が住んでいて、かなり危険だ。会えないから心配だなんて理由で、オレの家には絶対に来るなよ」

 

「駄目なの? でも、一回だけ行った事あるけど、君のお父さんが出て来てくれたよ?」

 

 そう言えば一度だけ、彼女は家出した時に部屋を貸した事があった。その時だけ自分の家に招待し、師が家に帰って来る時間まで居させた事があった。恐らく、その時に家の場所を覚えられたのだろう。家の電話にも殆んど出ない自分を心配して、彼女は直接家へ訪れたのだ。

 

「―――もう二度と家には来るな。

 後、アレは父親なんて上等な生き物では無い。そいつが真正の糞爺(ヘンタイ)だ」

 

「あの、ごめんなさい。怒ってる?」

 

「怒りは無いよ。ただ、あの辺は危険だから、本当に来てはいけないぞ。会うだけなら、今のままでも十分だ」

 

「うん……ありがと」

 

 彼の殺しの師、アデルバート・ダンは気が狂っていた。理性的に猟奇的な犯行に及び、必要ならば幾らでも上辺の仮面を偽れられる。あんな危険人物がいる場所に女性を連れて行くのは気が引け、可能な限り家に正体する気は欠片も無かった。

 

「気にするな。オレは気にしない」

 

「そう。だったら、今度私の家に来てよ。面白いものがあるんだ」

 

 ―――と、後にアデルバート・ダンと名乗る殺し屋の少年時代は、地獄のような死の群れの中であっても、幸せと言うモノがあった。最悪の中で最善を見出すと言うよりかは、偶然によって幸運と出会う事が出来た。彼にとって彼女との遭遇とは、そう言う類の奇跡であったのだ。

 日常とは、普遍である日々の連鎖。

 変わり映えの無い光景と、他人との関わり合い。

 育ての親であるアデルバート・ダンと恋人に限り無く近い友人のフィオナ・ブラックウッドは、彼にとって毎日の象徴だ。何時かは消えてしまうか、自分が消え去ってしまうのか分からないが、別れの日まで記憶を大事にしまっていた。彼からすれば、人を殺して金銭を稼ぐ事に疑問は無く、その上で当たり前な営みの中で日々を楽しむ事に不具合が無い。金が余れば良い酒を飲み、贅沢な飯を食べ、気の合う奴と休日を過ごす。それが殺し屋見習いの少年時代であった。

 ……もっとも、そんな日常もあっさりと終わりを迎えたが。

 それは幾日か経った日。空は晴れ晴れとした快晴で、太陽が眩しい姿を現して街を照らしていた。彼は家があるスラム街の一角から抜け出し、軽い歩調で目的地へ向かっていた。

 徒歩で向かう先はブラックウッド一家が住まう一軒家。

 何度か訪れたこともあり、親御さんや兄弟姉妹とも会った経験がある。それも、食卓に誘われて同じ机で夕飯を食べた事もあるほどで、自分と彼女と関係は半ば認められていた。勿論、彼は自分の業種を隠しており、このまま足を洗って平穏な幸福に埋もれるのも悪くないと考えていた。普通に結婚し、普通に働いて、普通に子を育て、普通に家庭の中で死を迎える。そんな生き様に憧れは無いが、嫌悪が無いのも事実。大した拘りが無い人生ならば、世間一般的な幸福を目指すのも悪くは無い。

 だが、久方ぶりの訪問で感慨に耽っていた所為か、家に活気が無い事に気が付いた。

 人の気配が無いことを疑問に思いつつも、彼はとある悪寒に支配されている現状を認めつつあった。

 

「…………」

 

 無言のまま玄関の戸を開く。そう、つまり、鍵が掛かっていない。チャイムを鳴らす事無く、彼は滑るように屋内へ入って行った。

 入って直ぐのリビング―――死体が二つ。血の臭いで鼻が曲がりそうだが、この香りには慣れていた。顔の真ん中に銃弾が当たった為か大部分が抉れて確認出来ぬが、恐らくは彼女の両親だ。キッチンには年頃の男性死体。そして、その屍に庇われる様に死んでいる女性の遺体。これにも見覚えが有った。男の方が彼女の兄であり、女の方が姉であった筈。此方も急所を一撃で撃たれ、射殺されている。撃たれている箇所が頭部である点を考えると、犯人は的当ての射撃ゲーム感覚で人を殺しているのが察せられた。当たり易い胴体へ数発撃つのでなく、態々脳味噌を射抜いているのだ。

 一家が惨殺されているにも関わらず警察に連絡もないとなれば、この犯行は近所の住民に気付かれる事も無く静かにやったということ。銃器で殺害したところを見れば、サイレンサーを使用したのだと推測出来た。実に手際良く、瞬時に皆殺しにしたようだ。部屋も荒らされており、強盗目的だと言うことも分かった。

 

「…………―――」

 

 二階に上がる。一階に他の死体は無く、フィオナが居るとすれば二階の可能性が高い。階段を上った先にある個室を一つ一つ開いていき、中を確認していく。そして、最後に残しておいた彼女の部屋の戸を開いた。

 

「――――――…………」

 

 ――――――首吊死体。

 まだ年端もいかぬ少女が吊るされていた。

 顔はまだ死相が色濃く出ておらず、死んでからまだ時間が経過していない。

 三日ぶりに会いに来た友人は恐らく数時間前、あるいは数分前に自殺してしまった。もっと早く会いに来ていれば、自殺を止められた可能性があったかもしれない。もしかしたら、と考えて仕舞う後悔が死体を見つめ続ける少年―――嘗てのアデルバート・ダンを襲っていた。

 

「……死んだのか、オマエ」

 

 弛緩した体は筋肉から力が無くなり、糞尿が地に着いていない足元に流れ落ちている。口から舌が飛び出ており、両目は真っ赤に充血していた。その姿から、彼女は死ぬ瞬間まで大人しく身動きせず、しかし視界を閉じずにずっと世界を見続けて死んで逝った。

 ―――初めて会った時から美しい少女だった。

 ―――目の前に在る無惨な屍が今の少女の姿。

 彼は気力を失くした浮浪者のように、天井に引っ掛かっていた紐を取り外した。死体をゆっくりと床に下ろし、アデルバートは無表情のまま作業を行っている。

 

「……――――――っ」

 

 何故、自殺したのか。自殺に見せ掛けた他殺の可能性は否定し切れないが、机の上には遺書が置いてあった。文字は彼女のものに間違い無く、自ら死を選んだのだと悟る事が出来た。しかし―――

 

「どうして……」

 

 ―――前に会った時は、いつも通りの笑顔だった。

 彼女は簡単に自分から死を選ぶ程、弱い人間じゃ無かった筈だ。貧しいスラム街に暮らす子供とは思えない明るさの持ち主だった。他人の為に、何かをして上げられる良い人だった。ならば原因は、自分が会っていなかった数日の間に起きた事なのだろう。

 ―――答えは恐らく、この遺書の中。

 アデルバートは書かれた一文字も見逃さない様、心へ刻む様、時間を掛けて読み続けた。一度読み終えた後は、何度も何度も読み返した。

 

「……はは。あはははは――――――」

 

 だから、笑みを溢してしまった。理由なんてあっさりと分かってしまった。

 

「――――――そうか。

 オレの師が、オマエを犯した所為か……」

 

 死ぬ前の告白。遺書に書かれた彼女の真実。それは、彼女が少年の事が好きだったと言う淡い気持ちと、家に侵入して来た強盗が少年を育てている人物で、その男にさんざん犯されていたこと。だからもう、会う顔が無いと自分から死んでしまった。家族も死んでいて、生きる気力も失っていた、と。遺書には人生を諦観して死を選ぶのに十分な絶望が込められていた。

 少年は唯々やるせない思いで一杯になる。こんな事になるのであったら、あの男を殺せる時に殺しておけば良かった。

 

「……殺すか」

 

 あっさりと師の殺害を決めた。殺す道具は既にその師から貰っている。脳味噌にこの銃弾を叩き込むだけで良い。

 ―――彼の行動はとても迅速だった。

 殺すと決めたら直ぐにでも殺す。師と住んでいる自宅に戻った直後、家で酒を飲みながら、麻薬でトリップしている人間の屑の前にやって来たのも直ぐだった。両親から棄てられた自分に、人殺しの技術を教えて育ててくれた屑が、前の間に居た。今のアデルバートにある心境は、早く仇を取ってベットに寝かせてる彼女の遺体を埋葬して上げたいと言う思いだけ。

 

「……どうした。依頼された殺しの仕事を終わらせるにゃ、少し早すぎないかぁ?」

 

 何が面白いのか、にやにやと笑みを浮かべる育ての親。

 

「オマエ、あいつをレイプしたのか?」

 

 真実は訊いてから、この屑を殺そうと心に決めていた。殺さないと自分が如何かなりそうな程、怒り狂っていると脳味噌が沸騰している。

 

「あぁ? あいつって……ああ、あのメスガキのことかぁ。確かに昨日か一昨日、散々犯したかもしれないなぁ……っ、頭痛ぇ。うまく思い出せねェが、この間金稼ぎに押し入った家でガキを殺すほど犯したのは何となく覚えてるぞ‥…。

 あー、なんだ、あのガキは知りたいんだったんか、おまえ?

 そりゃ、おまえの知り合いだったんてなら、悪い事しちまったかも知れないが、犯した程度別に構わないだろ? 小遣い稼ぎの強盗で家族皆殺しにしちまったけど、あのガキは生きてる筈だ。

 あの女に俺が、何やったんか知りたいんだったら……教えてやっても良いけど?」

 

「……ああ、そうだな」

 

「そうかそうか! だったら教えてやるよ」

 

 真実は聞くに堪えなかった。何十時間にも及ぶ凶行。薬漬けにされ、快楽漬けにされ、精神を徹底して破壊する悪魔の所業。死んだ家族の屍の前で処女を散らし、あらゆる所を汚され切った。暇潰しの道具として持ちこんだ玩具で遊び、薬も何種類も投与して心身を犯し抜いた。それは、犯された被害者に、自分が誰よりも汚れてしまったと罪悪感を抱かせる程の惨劇だった。

 ただ犯すだけなんて序の口で。一日中行われた陰惨な出来事は、吐き気を催す悪意に満ちていて。殺しの師匠は、そんな悪夢を詳しく語っていた。今までで一番気分が良くなった女だと、とても楽しそうに狂った笑顔で喋り通していた。誰かに自慢したいように、この家であった少女の痴態を面白そうに話している。

 

「―――んで、まぁ、そんなところかなぁ……―――あ?」

 

 眉間に銃口が押し当てられていた。薬物中毒に掛かり、アルコール中毒でもある男にとって、既に生きている現実感が無いが、今の状況はさらに理解不能な状況だった。

 しかし、人を殺せば、人に殺される。今度は自分にその順番が回って来たのだと、薬でイカレタ思考回路で納得した。弟子に銃口を向けられたアデルバート・ダンは、誰かの利益や不都合で殺されるのでなく、復讐で殺されるなんて贅沢な死に方に満足してしまう程、既に狂っていたのだ。まさか遊び半分で強盗殺人と強姦殺人の為に押し入った家が、弟子と関わり合いがあったなんて偶然が、実に面白かった。

 故に―――死の間際で浮かべられる表情は笑み一つのみ。

 こんな面白可笑しい最期を愉しめないのならば、今まで人を殺し続けて来た価値が無い。自分の人生が閉じるこの瞬間、彼は弟子を拾って育てた過去の自分に感謝した。身内に復讐されて殺されるなど、最高なハッピーエンドではないか!

 

「理解出来たよ。この身に余る憎しみこそ―――自分と言う本当の(ケダモノ)だ」

 

 銃口から火花が散って、脱力した遺体は椅子に凭れかかった。

 彼は育ての親の死に顔をじっくりと見ながら、最後まで笑っていた男の考えが理解出来なかった。殺して殺して、挙げ句の果てに自分が育てた弟子に殺された殺人鬼は結局、自分の仮の息子にも理解されて貰えなかった。誰かに殺されるまで人を殺し続けていた何て、余りにも理解し難い願望であった。故にアデルバート・ダンと言う人間が、偶然拾った孤児を弟子にし、偶然押し入った家が弟子の大切な人間の家であり、それによって死んだのが運命であったのだとしたら、実に皮肉であった。

 

「―――アデルバート・ダン。その名、オレがオマエから奪い取ろう。命だけではまるで足りない」

 

 少年は初めて、自分で自分の名を授けた。此処から先の一生涯、この奪い取った名前で生き抜くと心に決めた。そして、師の銃を自らの愛銃にした。

 今まで使っていた偽名を処分した少年―――アデルバート・ダンは、この日から殺し屋として再誕した。

 ―――そして数年後。

 殺し屋として独り立ちした彼は、とある貧民街で闘争に巻き込まれた。

 それは人間社会と隔離された殺し合い。代行者と呼ばれる教会の殺し屋と、死徒と呼ばれる吸血鬼の怪物の殺し合いだった。結界内に迷い込んだ彼は成す術も無く殺される筈だった。

 しかし、彼は凄腕の殺し屋だった。殺意を向けて来た敵を、弾を当てれば死ぬ的に過ぎない怪物を、あっさりと撃ち殺した。その場面を見ていた封印指定執行者にスカウトされて魔術協会へ入会した。魔術師なんて胡散臭かったが、今までと違う生活がしてみたいと弟子入りしたのだった。

 魔術の師の元、彼はあっさりと魔術を習得した。数年で弟子を卒業し、魔術協会の中でも厄介者扱いされる封印指定執行者となった。師の期待通り、彼は執行者として最凶に相応しい魔術師となり、バゼットやフォルテと言った同僚に並ぶ協会の戦力と化す。

 ……そして、自分の殺害を目論んだ協会の一派を皆殺した。自分自身が封印指定に選ばれて彼は今、聖杯戦争でバーサーカーのマスターとして選ばれたのだった。




 読んで頂きありがとうございました。
 取り敢えず、士人が第六次までに何をしていたかと言えば、こんな感じで戦争に参加しても衛宮や遠坂やバゼットに対抗出来る魔術師であり、且つ面白そうな願望を持っている人間の勧誘をしてました。
 そして個人的な話ですが、今期のアニメだとキルラキルに嵌まっています。では。

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