神父と聖杯戦争   作:サイトー

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 今年最初の投稿です。DOD3攻略で地獄を味わっていました。期待通りに期待から外れた怪作で、個人的には満足出来たゲームでした。神ゲーじゃないのに、神ゲーだと思えた作品よりも色んな意味で響くモノがあるんですよね。何と言うか、癖になる雰囲気を持つ印象強いゲームです。


52.死霊の篝火

 コレクションの一つであるバイクに乗り、綾子は山道を爆走していた。サイドカーを取り付けており、運転手である彼女は隣にサーヴァントを乗せている。

 冬の夜道は寒く、吐く息は真っ白。

 対面の車道から車両が来ることも無く、自分達が乗っておりエンジン音だけが道路で響く。

 ヘルメットを被って風を遮り、分厚い外套で身を護っているとは言え、彼女は肌寒さを感じぬ訳では無かった。しかし、隣の男が着る漆黒に染まった独特な衣装は、厚着には程遠くて見るからに寒そうだ。彼女と同じくヘルメットを被っているのだが、その下で包帯を巻いて両目を隠しているのが少しシュールである。

 

「それでマスター。今夜で、本当にアインツベルンを仕留める気でいるのかい?」

 

 暗く、黒く、夜は並々ならぬ静けさに支配されていた。今は時間帯にして夜の9時を少々っ過ぎた頃。街はまだまだ煌びやかな文明の光で明るいが、森が広がる山は暗闇だけが支配者だった。

 

「……まぁ、ねぇ。

 正確に言えば、キャスターを狙った組も討つ漁夫の利作戦でもあるけど」

 

「そうか。けど、それって俺たちだけじゃないと思うんだけど」

 

「当然!

 考えることは一緒なのさ。態とらしい程、あいつら全員から恨みを買い取りした。それはもう不自然なくらいにね」

 

 纏めて皆殺し。確かに成功すれば聖杯戦争は勝ったも同然。しかし、英霊と魔術師を数組敵に回して行うには、効率が良いの越えて、既に希望的観測染みた無謀な暴挙にしかならない。

 そんな真似を策謀を錬るキャスターのサーヴァントを行うか否かと言えば、否だ。

 怪しいし、裏があるとしか思えない。だが、守備に回っても相手は魔力を蓄えて益々強くなるだけであり、戦争で勝つことは難しくなるばかり。あの組を殺すには攻勢に回って圧殺するしかない。タイミングを計り、他の組の動向を読んで襲撃するしかない。そして、そのタイミングはキャスターが予め仕組んでいたとしか思えない程丁度良く、今夜がベストとなっていた。キャスターに襲撃された組は恐らく、聖杯戦争が一段落した今夜にも計ったよう襲来する事になるだろう。

 

「マスターらしいな。あえて敵の思惑に乗るのかい?」

 

「騙された風に装ってね。多分、他のグループを(おんな)じこと考えてるんじゃないかな」

 

 美綴綾子は隣に居るアヴェンジャーにシニカルな笑みを向けた。それは相手の言葉に対する肯定であり、当然であると質問を肯定する返事でもあった。

 

「あー、そりゃそうかも。腹黒いの多いし」

 

 アヴェンジャーが確認出来たのは、アサシンを除く各クラスのサーヴァントとマスターのグループ。しかし、マスターの美綴綾子曰く「消去法から多分、て言うよりほぼ確実にアサシンは言峰だよ」との事なので、色々と他組に対する対策は出来上がっていた。

 今回、その中でもキャスターのアインツベルン組を狙ったのは、どうも自分達イレギュラーであるアヴェンジャーのクラスが居る事を知っている節があった為。それも初戦は積極的に狙って来たので、それが誘いの罠と予感しつつも次の標的としてアインツベルン城攻略を目論んでいるのであった。

 

「あんたもその一人だからね」

 

「手厳しい」

 

 両目を覆う魔眼殺しの包帯を弄りながら、彼もまた皮肉気に笑みを浮かべた。

 

「直ぐ森に着く。あちらさんには手に取るようにバレるから、あんたも気を付けてね」

 

「俺一人でも良かったんだ。本当に付いてくるんだな?」

 

「仕方ないさ。アヴェンジャー一人じゃ多分、殺されて終いになるだけだ。英霊と比べると格落ちするマスターも戦力に数えないとヤバい程、ここから先は死地になるって勘が訴えてるんだ。

 ……あー、その何だ。あたしが言いたい事、あんただったら分かる筈だけど?」

 

「サーヴァントとして情けない話だが、凄く助かるのは確かだね。

 キャスターの敷地内じゃ暗殺は無理だし、気配も簡単に察知される。俺一人じゃどうも、袋小路になって下手になりそうだ」

 

「そう言う事さ。あれの正体は大体分かってるし、もし真名が予想通りなら最悪のサーヴァントキラーになるよ、多分ね。

 そうなればさ、マスターと一緒に行動していた方が良いし、他の組もそうなる。唯でさえニ対一になるし、キャスターが生きているのにマスターの単独行動は危険極まるってこと」

 

「理屈は分かるが、良い気分じゃない」

 

「気分の問題かよ。ケセラセラなあんたにゃ、まぁ……ぴったりかもしれないけど」

 

「大事だよ、そう言うのは。意欲を向上させるのに、気分ってのはかなり大きなウェイトを占める」

 

「ほー。流石、真祖の守護者だった愛の騎士」

 

 確かに、それは事実。嘗ての彼は真祖に対する愛ゆえに、殺人貴と化して死を化け物共に撒き散らした。現代でも死神の代名詞としてアヴェンジャーの悪名が轟く程、彼の真名は神秘に属する者達に刻み込まれている。その所業もまた、アルクェイド・ブリュンスタッドを愛していたからこそ、貫けたことである。

 

「おい、アンタ。茶化すと殺すぞ」

 

 とは言え、アヴェンジャーはアヴェンジャーで愛の騎士とか言われると、死ぬほど気恥ずかしいのだが。愛の騎士なんて呼ばれると、本当に鳥肌物な上に蕁麻疹で発狂しそうになる。後、何だか無性に死にたくなる。

 

「もう目と腕を殺されてますが、なにか? 愛の騎士?」

 

「……マスターも分かってるだろ?

 あのばかおんなが相手じゃ、愛の騎士なんて名前は似合わないにも程がある。精々が保護者止まりだって」

 

 綾子は真祖と面識が何度かあった。死んだ白翼が画策したあの事件の中で、死神を引き離す際に見た事があった。

 金髪に紅眼。浮世離れし過ぎた特徴的な美貌は、一目で心象に強く残る。

 此方を見る目はゴミを一つ視界に収めただけな超越者然とした冷たさであったが、死神に対する態度は毒気を抜かれるような軽さ。次にあった時は偶然の再会で、その次の機会は彼女が死んでしまったのでもう無かった。

 

「はいはい、そーですねー」

 

 何だかんだと、このアヴェンジャーはやりたい事をやって死んでいる。生前の惚気話なんて、特に愛に生きて死んだ英霊の話なんて、聞いてしまえば砂糖を吐き出すレベルの甘ったるさになるので、綾子は死んだ魚みたいな目で軽く流した。

 

「可愛くない。可愛くないぞ、マスター。もっと愛想良くしないと男に受けないよ」

 

「黙れ。令呪で命じて裸盆踊りさせるよ、冬の公園のど真ん中で」

 

 四捨五入すれば三十路になる今年で26歳の美綴綾子、独身女性。恋愛関係は全く以って将来明るくない真っ暗状態なので、話題にされるだけで少し逆鱗に触れてしまうのだった。

 

「なんて恐ろしくおぞましい事を考えるんだっ!

 ……でも、あれ。マスターって確か……あの性悪神父が良かっ―――」

 

「―――あー、あー、あー!

 分かった分かった、もう良いって。あたしの負けで良いからそいつの事を話題にするなっ!」

 

 顔を真っ赤にし、隣のサーヴァントに怒鳴る。バイクの運転中だと言うのに、思いっ切り余所見をしてしまっていた。

 

「マスター、前だ前! 危ないから前を見ろって!」

 

 と、魔が支配する森に着くまで、二人は暇潰しの会話を続ける。

 しかし、既に森の入口にはまだ届いていないが、アインツベルンの領域自体には後一歩で入り込める。正確に言えば、既にアインツベルンの支配区域である森全体を覆う巨大結界は見えており、アヴェンジャーも包帯を外せば空間を歪に通る“死”を直視出来た。

 

「ははは、そんなに慌てるなって。直ぐ森の入口だし、ここで事故死なんて間抜けは晒さないよ」

 

 魔術師の結界とは、周囲にバレ無い事が一流の証だと言う。同業者に一目で露見してしまうようであれば、それは二流の腕前であり、一般人に悟られるようでは三流以下。

 だが―――この森の結界は意味合いが違い過ぎる。

 既に霊感が欠片も無い一般人でも感じ取れる瘴気と、濃厚な魔の気配が一歩入る事を拒否させる。夜以上の暗黒が森を支配し、邪悪な魔力が漏れ出して大源を汚染している。この中では魔術師は、大源の使用を禁止させ、行動全てがキャスターに監視されている。

 

「ん? もう到着かい、マスター?」

 

「うん。まぁ、ここまで山道を周り込めば十分だと思うよ」

 

 綾子とアヴェンジャーがバイクから降りる。目の前には木々が参列し、はっきりと現実と異界との境界が目で捉えられた。ふむ、と頷きながら今から行う作戦を思い返し、彼女のバイクが少しばかり歪んだかと思えば世界から消失した。

 

「……さて―――」

 

 アヴェンジャーは包帯に手を掛け、風が流れるように取り外した。それは奥の手の開帳であり、英霊史上最悪の死の宝具―――直死の魔眼。

 そして、手には刃が飛び出し式の短刀を持つが、英霊の武器にしては大した神秘を宿さぬ。だが、霊感が鋭い者であれば、あのナイフが夥しい屍の山を生み出し、強大な魔を殺し続けた死神の鎌であると簡単に悟る事が出来るだろう。むしろ『殺す』と言う概念で凝り固まり過ぎ、他の余分な神秘が一切ない純粋な死を与える凶器。七夜と柄に刻まれた短刀は銘を七つ夜と言い、アヴェンジャーの生前の知人が命名した彼の相棒である。

 

「―――殺すか」

 

 魔眼によって視覚化された死。眼前に浮かぶ死の点を、ナイフの刃で抉るように突き刺した。綾子から見れば何も無い虚空に刃を刺しただけのパントマイムに見えるが、アヴェンジャーにはその空間にあるモノが見えていた。

 ―――大結界が一瞬で死ぬ。あっさりと殺された。

 張られていたキャスター渾身の結界術が消失し、魔の森がただの森に変わって行く。

 

「……まさか、有り得るの? 

 確かにアヴェンジャーの魔眼で殺した筈なんだけど」

 

 変化は刹那の間も無い早技であった。殺された結界が殺された時の同じ様に一瞬で蘇生し、先程まで結界を形成していた霧散した魔力が形を簡単に取り戻した。

 

「これは……成る程、分かった。凄まじいカラクリだな」

 

「……何に気付いたんだい、アヴェンジャー」

 

「覆っている結界とは別に、別個で維持と再生用の術式が中心核に置かれているんじゃないかな。例えるなら外側の結界を殺したところで、心臓と脳の部分を取り出して違う体に移植して、其処から魔力を流している雰囲気に近い。結界の機能を果たす肉体を破壊しても、別箇所の機関が修復を果たす。

 だから、この結界を幾ら殺しても、形を崩した時にバラバラになった魔力を利用して直ぐ再生する」

 

「……なんだい、そりゃ。

 魔術理論が異次元過ぎる領域だ。そんな空想の魔術式、高度過ぎて人間技じゃない」

 

「その常識を凌駕してこその、魔術師の英霊だ。キャスターを名乗るサーヴァントとして、あの魔術師は最強に近いと思うな」

 

「―――っち。結界殺しの対策は万全って感じかな。神秘の中に蔓延る例外も、あのサーヴァントは想定してるって事か」

 

「だろうな。多分だけど、他の様々な魔術殺し系統の魔術礼装や概念武装も効かないじゃないかな。

 まぁ、正確に言えば無効化じゃなくて、“効いたところで死なない”ように細工されてる。殺しても死なないんじゃなくて、死なせているのに殺せないって感覚か」

 

「あー、そこまで念入りにしてるの。じゃ、折角準備した魔術対策用の道具も効かなそうね。あんたの魔眼は最高の対魔術効果を持ってるのに、それも効かないんじゃ試しても徒労になっちまいそうよ」

 

 もはや、キャスターの術式は魔術の領域に無い。術式を構築する理論が現代のそれを大きく上回り、神話の時代でも最上級の術者であったのだろう。

 取れる手段は、そうなると一つしか無い。

 気配を殺しても駄目。結界を消すのも駄目。故に、二人の決断は至極当然の解答。

 

「―――正面突破だ。

 正々堂々、戦況を利用して不意打ちして上げよう」

 

「賛成する。手段を問わずに、だな」

 

「ええ、そうよ。他のサーヴァントは兎も角、キャスターは早目に殺してしまった方が安心出来るからね」

 

 一歩踏み込み、その瞬間―――全てが変質する。

 夜の闇に染まる森の内部は巨大な生物の内臓の如き気色悪さに加えて、其処ら中の影から魔の気配が漂っている。視線と言う視線で貫かれ、空間そのもので遺物を感知して侵入者を察知している。

 

「行くよ。戦争を始めましょうか」

 

「―――ああ。遅れるなよ、マスター」

 

 彼女は橙色の薙刀を肩に担ぎ、戦闘用の道具を外套の中に仕込んで装備を確認。なるべく動き易いように軽装であるが、いざと言う場合に備えた武装で身を固めている。アヴェンジャーは魔力の節約のため魔眼殺しを撒き直しているが直ぐにでも取れる準備をし、使い込んだ短刀は刃を出した上で握っていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 ……そうして、美綴綾子とアヴェンジャーが森へ侵入を開始した時、既にセイバーと衛宮士郎もアインツベルンの森に侵入を果たしていた。共同戦線を引いた同盟者たる遠坂凛と、その相棒たるアーチャーもまた、二人と共に森へ入り込んでいた。

 二人は周りを警戒し、黒く色を塗り潰された洋弓と、刃が透明になった奇怪な剣を構えている。敵の気配を常に感じていながら、何処に潜んでいるか分からない状態が続いている。今の状況は非常に危険である。

 

「シロウ。これは……そう言うことだと判断して宜しいのでしょうか?」

 

「ああ、見事に術中に嵌められた。彼女たちと分断されてしまったようだ」

 

 確かに、士郎とセイバーは凛とアーチャーと一緒に居た筈。隣に彼女らがいなければならない。しかし、現状はそんな状況とは全く以って違うものにされていた。

 ……先程まで襲い掛かって来たのは、本物の怪異だった。

 姿形で近いものを例えるなら、天狗だろうか。背中から翼を生やし、魔力が込められた歪な仮面を被り、手には槍や刀を備えていた。

 

「―――……」

 

 剣を構えるセイバーは、現状の不味さを士郎よりも自覚していた。キャスターとアインツベルンの討伐を魔術師討伐の延長として捕えている彼とは違い、セイバーはこの討伐作戦を戦場の習いを通して見ていた。

 見方と離され、敵に囲まれる。加えて、この状況はキャスターの陣営だけではなく、他の陣営まで来た場合は三つ巴、下手を四つ巴となってしまう。その場に凛とアーチャーが居れば、それだけでかなり有利となるが、今の状況でキャスター達にその多角敵対関係を生み出される可能性があった。セイバーの視点から見て、このキャスターはとことん何処までも理詰めで、厭らしく、狡猾で、相手にして欲しくない手段を多角的に狙ってくるのだ

 

「……はぁ!」

 

 月と星しか光源が無い森の中、暗闇から奇襲を掛けてきた魔物を一太刀で殺害。セイバーが冴え渡った直感が、敵を察知し、気配に向けて剣を振う。

 

「これは、また日本固有の“魔”ですか?」

 

 全長250cm。高さだけで1mm近い四足獣。牙を生やし、サーヴァントの霊体を切り裂ける鋭い爪を持つ狼、あるいは犬に近い姿の歪な生き物だった。セイバーはそれを一刀両断し、一瞬で頸を掻き裂いた。

 

「恐らくそうだろう。これは狛犬……いや、犬神に近いな。しかし、この憑依魔術は恐ろしい。本職の蟲術と見える」

 

 蟲術とは、東洋発祥の魔術の一つ。有名どころで言えば「器の中に多数の虫を入れて互いに食い合わせ、最後に生き残った最も生命力の強い一匹を用いて呪いをする」というもの。だが、対象となる生き物は虫以外でも構わず、この場合は犬の死霊が利用されていると思われる。

 実際のところ、材料は別に困っていなかった。

 キャスターは怨念が集まり、凝縮し、今現在も尚、毎日毎日屠殺が行われている場所に行けばいい。態々生きている犬を殺すよりも、沈下した澱のような“死”が凝り固まった場所が現代にはある。つまり、引き取り手の居ない野良犬や野良猫を殺す保健所にキャスターが霊体で忍び入り、呪詛を収集してくるだけで良い。他にも道端に染み込んだ怨念なども、目に付いた片っ端から集めに集めた。

 ―――その怨念同士を、キャスターは共食いさせたのだ。

 残ったのは強大となり、強い思念を持つ魔。人肉を好み、特に魔術師の魔力に満ちた生肉が好物な魔物である。それら怨念の霊体を生物に憑依させ、このような怪異を生み出す事が出来たのだ。

 

「多いな。それも兵の質が良い」

 

 地を疾走する犬も厄介だが、木々を足場に森を立体的に移動する巨大な猫も脅威。野生動物は天性の猟人であり、敵を仕留める時の殺気が限り無く薄い。

 地面には犬、木々には猫、虚空には鴉。

 一体一体の戦闘能力が西洋で言う吸血鬼たる並の死徒を凌駕し、技術も野生の動物に相応しい天然の殺戮者。特に人型のカラスには人間の戦闘法も仕込まれており、加えて妖術の心得もある様に見えた。

 

「……天狗の矢か。

 キャスターめ、本当に何でも有りだな!」

 

 上空から射られた矢を咄嗟に士郎は避ける。直撃すれば胴体に風穴が開いていたが、地面に深く突き刺さるだけの結果に終わる。

 隙を見て士郎へ襲い掛かって来た巨犬の胴に回り蹴りを叩き込みながらも、彼は地面に刺さったままの矢を抜き取った。それを自身の弓の矢として構え、上空の天狗を射る。丁度顔面の真ん中に当たった所為か、仮面を粉砕しながら敵の命を奪い取れた。また、即座に投影した矢で蹴りを入れて倒れていた犬の頭部を突き刺した後、それを弓で構えて次の敵を狙って矢を射る。

 次の敵も、そのまた次の的を狙い、魔力を節約しながらも敵を次々と仕留め続ける!

 

(きり)が無いです、シロウ。どうしますか?」

 

 セイバーは既に百近い魔物を斬り捨てた。極力魔力放出を抑え、剣技だけで魔力消費を少なめで戦い続けているも、限界は何時か訪れる。

 

「突っ込むぞ。撤退しても意味が無い」

 

 今、撤退すれば後が無い。セイバーもその事は理解しており、それには賛成していた。ここで引けば今後、次はキャスターに狙われる危険性と、ここで殺せなければ戦略的に不利な立場になる可能性がある。あの腕前を誇るキャスターが街を魔術で監視し支配している現状では、サバイバルで生き残るのは非常に難しい。

 しかし、凛とアーチャーを捜しながら突き進むか、自分達だけでキャスターの居城に攻めるかで策は変わってくる。とは言え、彼女の直感は突破をすれば凛達を合流出来ると肯定しながらも、嫌な予感が消えていなかった。何かを見逃して取り返しのつかない大事が直ぐ傍で横たわっているかのような、背中に嫌な汗が流れる妙な悪寒があった。

 

「はい。では、キャスターの元へ行きましょう」

 

 新生したアインツベルンの城は非常に目立っていた。士郎とセイバーも第五次聖杯戦争の折、その場所を知っていたが嘗ての趣きは既にない。

 ―――森の中からでも見える巨城。

 月明かりで夜の森に影が出来る程の大きさは、隠れ家では無く完全な要塞だ。

 窓が無く、城壁に囲まれ、隙間を少なくしている。城の壁には強力な魔術障壁と厳重に固定化された結界に加え、攻撃して来た者を呪う呪詛が込められている。城壁は既に結界宝具染みた防衛能力を持ち、空間ごと土地と同質化していた。

 そして、二人は前進を続けた。一通り、辺りの兵士を皆殺しにし、士郎とセイバーは一呼吸置く。お互いに肩を並べ合い、目的地となる要塞を視界に入れる。障害は多いが、一歩足を進めるごとに敵へ近づいているのを実感出来た。

 

「―――いえいえ。

 それには及びませんから。御客人のおもてなしは、屋敷の主の務めですのでね」

 

 セイバーはその瞬間、全てが凍り付く驚愕支配された。何の気配もなく肩に手を置かれ、背後から掛けられた言葉が耳を素通りして過ぎて行った。

 

「……なぁ―――!」

 

 思わず出た悲鳴と怒声が合わさった声であるが、彼女はそれと同時に剣を振り抜く。声を発した対象者へと、問答無用で刃を叩きつけた!

 

「おっと。危ないですねぇ。死んだらどうしてくれるのですか、全く。斬られるのは痛いから好きじゃありません」

 

「―――キャスターだと……!」

 

 ひょい、とあっさり剣戟を避けたキャスターを見て、士郎の警戒は最大限まで上がった。居城で引き籠っていると思われていたキャスターが、こうして目の前に居る異常事態は予想の範囲外であった。敵陣地に居れば会うかもしれないと想定はしていたが、このタイミングでの登場となると些か疑問点が多いのだ。

 

「ようこそ、私の神殿へ。歓迎しますよ、衛宮士郎殿とアーサー・ペンドラゴン殿」

 

「――――――」

 

 セイバーの剣気が、キャスターの気配を完全に塗り潰している。しかし、その不透明さが逆にキャスターの存在感を際立出せている。

 

「……その格好。貴様は陰陽師か?」

 

「おやおや。もしや、貴方はこの国出身の魔術師なのでしょうかね?

 まぁ、衛宮士郎と言う名前からして、あからさまに日本人ではありますが。しかし、もう既に現世では陰陽道は廃れてしまってそうで、古風な私としては悲しい限りです。日本人でありながら、西洋の術理に手を出すとは時代も時代ですねぇ」

 

 メイドのツェツェーリエが行った調査により、キャスターは敵マスターの顔と名を覚えていた。無論、衛宮士郎以外にも、遠坂凛やバゼット・フラガ・マクレミッツ等の情報も知っている。彼は自分の陣地に入り込んだ賊の正体を看破し、練り上げた対策で既に封殺を狙っていた。

 

「さて、どうだろうな。魔術師と決めつけるのは早計だぞ」

 

「そうですか。まぁ、どちらでも構いませんよ。土着の術者に興味を持つ魔術師となれば、その国出身の魔術師だと相場は決まっていると考えていましたのですけど」

 

 士郎にとって、キャスターの姿はとても分かり易かった。分厚く重ねられた白く上質な着物と、腰に下げた古い作りの日本刀。解析の魔術も使用して考察すれば、この男が何処の国出身の英霊なのか直ぐさま理解出来た。

 魔術師の英霊として召喚され、更に日本文化の密着した装備の数々。何より、攻撃に使用される符。手に持つ装備。これから推測するに、キャスターは日本の伝承を持つ魔術師。それも日本古来より伝わる土着の神秘を扱う呪術師―――陰陽師であった。

 有名どころと言えば、陰陽道の開祖である安倍清明。その宿敵である蘆屋道満。

 

「そう言う貴様は分かり易いな、キャスター。真名は安倍清明か?」

 

 唯のかま掛けだ。陰陽道に通じる者となれば、まず最初に浮かぶ人物が安倍清明であると言うだけ。日本出身の魔術師の英霊と推測すれば、陰陽師の彼が代表例。それに顔立ちが何処となく狐っぽいと言う単純な印象だけの考えだ。

 

「ご明察。やはりここまですれば、日本生まれの魔術師には簡単に真名が露見してしまいますね」

 

 ……正直な話、あっさりと真名を肯定したキャスターに驚きが隠せなかった。

 本当か如何かは分からないが、策謀を好むキャスターらしからぬ即答であった。むしろ、逆に怪し過ぎて本当に真名が正しい様にも思えてしまった。

 なので、相手の言葉に乗る事にする。真偽の程が分からぬが、キャスターが安倍清明か否か不明とは言え陰陽師である事は間違いないと思われる。使っている神秘が陰陽術となれば、そう断定するのも気が早いとは思えなかった。

 

「有名人だからな、貴様は。それにアインツベルンが態々キャスターのクラスで召喚すると考え、中でも日本出身と限定すればお前がまず思い浮かぶ」

 

 真名の予測は単純な消去法であった。真名の断定は危険極まりないのだが、問答のかまかけに使う程度では構わない。

 推理した材料として、第一に森に配置されていたキャスターの使い魔達は全て、日本の神秘に属する魔。加えて、サーヴァントと並ぶほど高純度の肉体を持つ生粋の怪異だ。第二に、キャスターが使用している魔術が日本古来から伝わる土着の神秘である点。服装もそうであるが、使用している礼装も太古の日本で使われていた道具であるのだ。

 そして第三に、アインツベルンが態々キャスターのクラスで召喚するレベルの日本の英霊となれば、選ばれる真名はかなり数に限りがある。日本国で行われる聖杯戦争の知名度補正を考えれば、史上最強の魔術師の英霊として召喚される人物は唯一人―――安倍清明である。

 ……もっとも士郎は、敵の言葉を信じてはいないが。敵の話をブラフとして受け取っていた。キャスターから出る言葉など、まず信じれば馬鹿を見るのが必然だ。

 

「おや、まぁ。そう言う割には、私が真名を肯定した事を信じていられないご様子。

 正直な話、この陰陽術を使用すれば、何時かはあっさり身元が暴かれると考えていました。使用する魔術の基盤や理論で出身地域や真名を推測されるのは、キャスタークラスの宿命。それも有名どころですと、隠す事も出来ないと来ています。

 ……全く、嫌になりますねぇ。そうは思いませんか、キング・アーサー?

 その強そうな聖剣、魔術で隠していても在る程度の魔術師ならば、透明化程度じゃ無意味ですね。正直、輝きが強過ぎて宝具の真名がバレバレですよ」

 

「……お喋りが長いですね」

 

 どうやら、風王結界が意味を成していない。恐らく見ただけで、宝具化する程の魔術を見抜ける技量を持つようだ。

 

「おや? 騎士王様、長話はお嫌いですか?」

 

「ああ、その通りだとも。特に貴様の様な、癖の強い魔術師は心底苦手だ」

 

「怖いですね。私のようなそこいらに居る学者風情にとって、蛮族を殺し回った王様が相手だと心身が持ちそうにありません。その手に持つ皆殺しの聖剣を使われては、キャスターたる私では小粒も残らないではないですか」

 

「―――……貴様」

 

「怒りましたか?

 嫌ですねぇ。そもそも、歴史を指摘された程度で沸点を越えそうになるなんて、貴女はどうやらとても誇り高いようです。

 本当、からかい甲斐がある英霊なようですね。

 所詮は剣なのですから。虐殺の道具に使われても、別段それが如何と言う訳でも無いと思うのですけれども」

 

「ならば―――その聖剣に斬られてみるか?」

 

「ご勘弁を。死ぬならもう少し、穏便な死因が望ましいですな」

 

 長話に興じつつも、士郎は敵の観察を怠っていなかった。この場所が敵領域であり、少しでも魔力に変化があれば殺しに掛り、隙を見せれば射止めに掛ろうと構えている。決定的な隙など欠片も見せず、互いに相手の隙を見抜こうと心構えている故に戦火が開いていぬだけであり、セイバーと衛宮士郎の二人を相手に膠着状態を作り出せていた。

 だからこそ、キャスターの悪趣味である大好きな長話を敵相手に出来ている。殺し合いを行っていないのは単純にキャスターの遊興であった。

 

「さてさてさて!

 前置きはここまでにして置きましょうか。折角こんな場所まで来て頂けた御客人。私からのお届け物を存分に楽しんで頂きたいのですのでね」

 

 鋭く笑みを浮かべるキャスターは、厭味ったらしくパチンと指を鳴らした。

 

「―――衛宮士郎殿。貴方の事は調べさせて頂きました。なので、この趣向は存分に気に入って貰えると考えています」

 

 そう、話はここまで。次からは策通りに敵は皆殺しにしなければならない。

 

「―――キャスター、貴様!」

 

 ばら撒かれた呪符。セイバーは士郎を護るため、彼の楯となるべく飛び出た。士郎は逆に一気に後退し、キャスター目掛けて矢を速射する。

 

「おやおや、良いですね。破魔矢ですかね、それ。

 でも残念!

 その類は私の専門分野ですのでね」

 

「……っち」

 

 魔術障壁を貫き、結界を穿つ退魔効果を持つ矢。魔術師にとって天敵である礼装の投影であったが、その士郎の矢をキャスターは“魔術”で逸らした。恐らくキャスターが使う魔術の礼装でもある札には、それぞれに対応する術式が刻まれている。つまり、このサーヴァントは士郎が射る矢の概念を一目で判別し、それを防げる呪符を一瞬で判別し、取り出し、使用した。あの防壁は退魔や魔術殺し対策の、それだけに特化した術式であると言うことだ。

 

「煩わしい。少し、黙りなさい……―――!」

 

「はははは! 実に受け甲斐のある強力(ごうりき)ですね」

 

 そして、セイバーの剣戟を障壁で受け止める。対魔力を持つ彼女の突進を迎え、魔力放出で加速した聖剣の斬撃力を防ぐ。魔術の完成度が高い過ぎるのも危険だが、一番恐ろしいのは彼女の動きを完璧に見切っている点。魔術師の英霊がセイバークラスの戦闘機動に追随する事がそもそも可笑しい。

 だが―――たかだか魔術師風情に裏を取られるセイバーでは無い。

 彼女は間合いを一気に詰める。そして、移動した事で出来た隙間を抜いて士郎が矢を再度射る。今度の矢は特別製で、魔力の流れを断つ赤い槍を弓で射出した。こればかりは堪らないとキャスターは腰に下げる刀を抜いて何とか軌道を逸らすも―――眼前には既に剣士の姿。

 あ、とキャスターが呟いた瞬間、胴体を一気に両断されていた。

 勢いの余り彼の上半身はクルリクルリと宙を回転し、下半身は見事に立ったままの状態。そして、上半身も下半身も同時に地面へドサリと落ちた。

 

「……セイバー、どうだ? 私は正直、違和感しか感じない」

 

「ええ。ただの直感ですが、殺せた手応えが少々足りません」

 

 死体でしかない。キャスターの姿は真っ二つにされた唯の屍にしか見えない。けれども、それを成した二人がその現実に違和感を感じている。

 

「―――可笑しいと思いました。

 シロウ、この屍は実体です。死んでいるのに、消えていません。サーヴァントではない」

 

「……(ダミー)か。考えているな、敵も」

 

「計られましたね。それに真名が安倍清明と言っていましたが……実際、どう思います?」

 

「正直、どちらでも構わない。

 陰陽道の心得を持つ英霊を上げれば、候補は幾つも上がるだろう。

 それに陰陽術とは大陸から伝わって来た自然哲学思想と陰陽五行説、そして日本古来より伝わる神道が混じり合った魔術基盤。謂わば……そうだな、大陸思想と神道(かんながらのみち)が合わさり、独自の発展を遂げた古い自然科学と呪術だ。

 加えて天文道、暦道と言った古代日本の学問でもあり、仏教や道教などの宗教的要素も練り込まれている。つまり星を読み、魔を律し、神に通じている訳だ。もっとも、大陸の神話時代のモノと並べれば比較的新しい神秘ではあるが。

 式神を操り、五行に通じ、らしい事を行えれば真名を偽るのは簡単だ。日本独自の神秘を使用するキャスタークラスは多いからな」

 

「成る程。でしたら、このキャスターの真名は他にもある可能性もあるのですね?」

 

「可能性はある。可能性はあるが、この領域の陰陽師となれば正直、安倍清明しか思い浮かばないのも事実だ」

 

「難しいですね。ですが、考え過ぎると―――狐に化かされてしまいます」

 

「セイバー……?」

 

 彼女の視線は死体から離れていない。士郎は念には念を入れて、解析魔術まで使用して確かめて死亡確認を行っていたが、どうやらセイバーの直感は遺体から注意を離してはくれなかった。

 

「おっとと、バレてしまいましたか。

 いやぁ本当、だから斬られるのは嫌なんですよね。分身体とは言え、接続してますので痛感も伝わって痛いです」

 

「―――……不死身か、貴様」

 

 硬直を直ぐに解いた士郎が、真っ二つになったまま平然と会話する化け物に武器を構える。セイバーはいざと言う時のため警戒しておいたおかげか、直ぐ様士郎を守れる位置に着いていた。

 

「全然、まさか。しかし、斬られたら死んでしまう軟な式神を、態々自分の分身にはしませんよ」

 

「……――――――」

 

「おやま、無言ですか。ははは……まぁ、殺しても意味がなければ死なせる必要はないですからね。もう、私の長話には付き合う気は無いご様子。いやはや、実に残念です」

 

「本体は何処だ?」

 

「言う訳ないでしょう、セイバー殿。その代わりと言っては何ですが、先程のお礼として投げた呪符の中身をお見せしましょう」

 

 宙を舞い、地に堕ちたままになっていたキャスターの呪符が光り―――燃えた。爛々と発火した。膨大な魔力が外部に放出される。濁り呪われた黒い炎が森に召喚されてしまった。

 

「―――では、私はこれで失礼します」

 

 キャスターは捨て台詞を言った直後、一瞬で霧散した。魔力が散りじりとなり、その散らばった魔力も残さず森の結界は吸収した。既に影形は何処にも無く、本物にしか見えなかった偽物はあっさりと二人の前から過ぎ去ってしまった。

 

「何か来ます。注意して下さい、シロウ」

 

「君こそ、油断しないでくれ」

 

「全く。サーヴァントにマスターが言うことではありませんよ」

 

「ふ。人の心配は素直に受け取ってくれたまえ」

 

 軽口を叩きつつ、背中合わせで周囲を見渡した。黒い炎は影を無し、段々と人のカタチに変わっていった。

 ……あ、あぁぁ、あ、あ、あ、ああ、ああああ、あああ。

 それは壊れたラジオみたいな音声だった。

 暗い夜の森の中を通る風に乗り、掠れた音が鳴る。人から発せられる音だと分かるのに、人間から出ている音とは思えない奇声。歪に枯れた死人の断末魔。

 

「悪霊ですか? しかし、これは一体……」

 

 炎に巻かれた敵は、これまでの魔物とは気配がまるで違う。今まで森で殺してきた化け物は、全て実体を持つサーヴァントに近い怪異であった。

 確かに、脅威ではある。

 だが、正直に言えば今までの怪物とは違って容易い雑兵。

 簡単に聖剣で斬り殺せる。それも、あれ程はっきりした悪霊であれば、エクスカリバーが宿す概念で浄化(殺害)出来る。物理的に殺せなくとも、あっさり切り裂けるだろう。加えて、マスターの投影魔術を加味すれば、ああ言った弱点が分かり易い敵は殺し易いにも程がある。いざとなれば、対霊に特化した武器をセイバーは借りれば良かった。

 

「……シロウ?」

 

 ―――様子が可笑しい。セイバーはマスターを護りつつも敵に斬り掛ろうとし、士郎の気配が異常である事に気が付いた。

 呼吸が荒い。視線が震える。気配が乱れる。

 戦闘中とは思えぬ状態で、セイバーはまず敵を討つよりもマスターの守護を優先。背後の士郎に発破を掛けるべく、周りの悪霊共を威圧しながら声を荒げる。

 

「どうしました、シロウ……シロウ!?」

 

「あ……ああ、すまない」

 

「少し、意識が乱れ過ぎです。キャスターに何かしらの精神干渉でも受けましたか?」

 

「……大丈夫だ。

 あれの言霊は耳に響くが、遮断出来ている。洗脳を受けた形跡は無い」

 

「では、何が気になるのです?」

 

「あの悪霊には……彼らに見覚えがある」

 

「それはどういう……―――」

 

 瞬間―――突如として敵が動いた。キャスターが呼び起こした怨霊がセイバーと士郎へ目掛けて奔る。呪詛の炎を撒き散らし、まるでゾンビのように襲い掛かった。

 

「―――ク……!」 

 

 彼女は容易く斬り殺した。首を撥ね、腹を蹴り飛ばした。後方に居る奴らを巻き込みつつ、炎の屍が灰になって消え去った。相手は死霊らしく首を飛ばした程度では直ぐ死ななかったが、それでも聖剣は聖剣。概念的に殺された事で、物理的には死なぬ霊体も関係無く斬り殺す事が出来た。

 しかし、衛宮士郎は何かに気が付いた様に凍りついたまま。

 セイバーが斬り殺した悪霊を蹴り飛ばしたのは、敵に囲まれないようにする為。士郎の様子が可笑しくなった原因は悪霊だと思われるが、理由が分からない。

 

「……これは!」

 

 魔力に散った悪霊が、周りの悪霊に取り込まれている。こいつらは魔力を強制的に吸い取る性質がある。セイバーはいち早くそれに気付き、同じ霊体である自分にとって都合が悪い相手だと悟れた。一体だけならば兎も角、複数の悪霊に触れられただけで臨死状態になるのは必須。先程蹴り飛ばした時に感じた違和感は、触れられた時に魔力を吸われた感触であったのだ。

 

「接触は危険です。シロウは武器か、出来たら飛び道具で倒して下さい」

 

「―――了解した」

 

 意識を切り替えた。殺さねば死ぬ修羅場において、この隙は致命的だ。セイバーに倣い、彼は敵を討たんと退魔の概念を持つ使い慣れた武器を持つ。

 つまり普段から愛用している陰陽の夫婦双剣、干将と莫耶。

 セイバーが舞い、敵を斬り刻む。首を、心臓を、四肢を的確に斬っていた。擦れ違い様に刃を奔らせ、悪霊が空気に還って行く。士郎もそれに続いて敵を殺さんと走った。前に出て、セイバーの背を守る様に続いたのに―――違和感に気が付いてしまった。

 死んで逝く死霊たちの姿が、重なり合った。あの時、あの場所、あの地獄と全く一緒だった。焦げ付いた記憶と一致してしまった。

 

「…………あ――――――」

 

 衛宮士郎は再度、自分の原風景を知った。

 十九年前に体験した大火災の焼け跡。心に燃え付いた焦げ痕は、何年経とうが忘れる訳がない。

 ―――この世の地獄。

 ―――煉獄の炎。

 ―――永劫に燃える断末魔の群れ。

 黒い炎に燃やされて苦しんでいる者たちの、一人一人に士郎は見覚えがあった。

 この子だけでも助けて欲しいと願った母親とか、娘を守ろうとして一緒に焼かれていた父親とか、苦しんだ果てに孤独のまま焼け死んだ幼子とか、自分の目の前で焼け死んだ同じ年の少女とか、既に真っ黒に焦げ尽きた赤子を抱く人とか……――――――

 

「――――――あ、ぁあああ……!」

 

 気が付けば、自分の喉から搾り取ったような悲鳴が漏れた。自分を()り殺そう迫る悪意の群れを前にし、彼は心が悲鳴を上げているのに体は問題なく稼働していた。

 

「えぅ………う、ぐす」

 

 士郎の前に誰かいる。あの時、あの炎で死んだ人間の誰か。黒い火で体中が今も尚焼かれ続けている所為で顔は分からないが、それでも人らしき意識を持っている事は分かる。悲哀に表情が歪んでいるのが、分かってしまう。まだ十歳を越えぬ少女らしき死霊が、士郎の前で泣きながら佇んでいる。

 

「ねぇ、あの―――お母さん……知ってますか?」

 

「……―――――――――あ」

 

 ―――躊躇わず干将で首を切り裂いた。

 斬った時の感触はまるで水のように抵抗が無く、人を殺した感覚には程遠い。けれども、士郎はその異常なまで良い視力で、宙に舞いながら眼を見開く少女の生首を見てしまった。見続けてしまった。

 その首が地面に落ちた瞬間、死霊は斬り離れた首と同時に胴体の方も消滅した。

 元より、干将莫耶の夫婦剣は魑魅魍魎の類には滅法強い。死霊と言った類が相手ならば、それこそ一撫で魂魄を現世から消滅させられる。このようにあっさりと殺して対処する事が出来る。

 ……と、士郎は理性では自分が愛用している夫婦剣が死霊に対して相性を良い事を思考する。そして、感情は一欠片も整然とせずに暴走する。

 

「―――げぇ、がぁ……!」

 

 吐瀉物が止まらない。意思の力だけでは、この嫌悪感は止まらない。彼は炎に焼かれ続ける怨霊を斬り殺し、命を奪う度に嘔吐を繰り返した。

 

「……は。はは、ははは。あはははははははははは!」

 

 男を殺し、女を殺し、子供を殺し、老人を殺し、赤子を切った。あの時の原風景が完全に裏返った。思い出の中で、士郎は罪悪の象徴とも言える火事の犠牲者を斬り殺す。あの時、違う誰かを犠牲にして生き残った事を罪に感じ、今はその誰かを斬り殺して罪を積み重ねている。

 ―――壊れる。

 壊れている衛宮士郎は更に壊れた。

 笑いながら、吐きながら、干将と莫耶で理性的に刃を振って殲滅する。

 十年前の大災害で唯一生き残ってしまった自分は人の為に生きねばならない、という強迫観念に似た義務感で培われ、第五次聖杯戦争後で幾度の地獄を生き延びて肥大化した自己犠牲が裏返る。唯一生き残った自分が理想の為に、また犠牲者を犠牲にしている。

 この矛盾―――衛宮士郎と言う機械にとって致命傷だった。

 斬る、斬る、斬る、斬る、斬る。化け物は斬り殺す。過去は人間であったが、今は魂を蝕む甦った怨霊だ。今まで人に害成すと元は人間だった人外を殺し続けてきて、人の命を数え切れぬほど救ってきて、今此処で折れる訳にはいかない。だから、壊れそうならば壊れてしまえ。正義の味方を目指すなら、自分の心も全て焼き殺してみせよう。

 

「マスター!」

 

 彼を守るべくセイバーは彼の元に戻り、取り囲んでいた死霊を纏めて斬り殺した。その光景を彼は目を離せず、死んだ彼らがまた死んでしまう姿を見届けた。

 

「撤退します、良いですね!」

 

「―――駄目だ。キャスターは絶対に殺す」

 

「いけません、今の貴方は何処か変だ!」

 

 会話をしつつ、死霊を一掃。撫でる様に斬り殺し、一陣を崩壊させた。その後、彼女は強引に士郎の腕を掴み、自分と視線を合わせた。顔を無理矢理近づかせ、彼を真正面から睨み付けた。

 

「セイバー……―――頼む」

 

「……―――!」

 

 完全に濁り切っている眼。衛宮士郎の何処かが壊れたのをセイバーは悟れた。歪んだ笑みが、余りにも似合っている。

 ―――憎悪。

 ―――苦痛。

 ―――後悔。

 ―――悲哀。

 ―――生死。

 ……混ざり過ぎて形容出来ぬ何かが煮込まれ、滾り、感情が死んでいた。

 

「あの死霊達は、貴方にとって何なのですか?」

 

「恐らく―――火事の時の犠牲者だ」

 

 彼女は瞬間、全てを理解した。自分が何を殺して、守ると誓った士郎が何を殺していたのか、分かってしまった。しかし、それでも尚、相手が何なのか理解しても戦いは止められない。殺すのを止めてはならない。

 何故なら―――セイバーは知らないのだ。

 自分が聖杯を壊した所為で地獄を生み出したが、その地獄は衛宮士郎の夢として知っているだけ。実際に自分が引き起こした大災害を経験した訳ではない。そんな自分が相手に同情し、今までの誓いを無かった事にして戦争を放棄するなど、断じて許される事ではない。彼女は自分自身の価値観で心がのた打ち回りながらも、聖杯戦争で勝ち残る為に犠牲者を斬り殺さねばならない。

 

「キャスター……―――!」

 

 ―――それは既に殺意でさえ無かった。アルトリアは騎士王アーサー・ペンドラゴンとしてではなく、サーヴァント・セイバー賭としてでも無く、ただのアルトリアとして憎悪した。森全てを塗り潰す様な、余りにも圧倒的な怒りであった。

 勝たねばならない。

 他人の為にでも、自分の為にでも、理想の為にでも、贖罪の為にでも無い。

 彼女は誓った在り方を変えられないと、そんな自分自身の過去を曲げない為に敵を討つ。

 士郎が止まる事を放棄した様に、セイバーはそんな彼を守らんと狂った犠牲者を斬り殺して、切り刻んで、死をもう一度与え続けた。

 ―――そして、衛宮士郎の前に二人の男女の死霊。

 他の悪霊と同じく、触れただけで生命を奪い取られ、魔術師でも呪い殺す怨嗟で満ちているが、他の者とは全く違ったのだ。“エミヤ”士郎にとって、この二人は特別であった。

 

「……士郎、なの?」

 

「士郎……なのかい?」

 

「―――え……」

 

 セイバーが丁度、背後から湧き出た死霊を殺している時に二体の悪霊は現れた。

 

「……………」

 

 微かに、見覚えのある焼死体。亡霊の姿は黒い炎で焼かれていて確認し難いが、あの声は、あの顔は―――自分の過去から焼けて消え掛けていた何かであった筈。

 あれは確か、あの地獄で自分を逃がそうとしてくれた女性では無かったか?

 あれは確か、自分を庇って火に包まれて焦げて死んだ男性では無かったか?

 ―――消える訳が無い。

 過去が全て燃え尽きていようとも、記憶が魂から亡くなった訳ではない。

 焼けて、焦げ付いた。思い出は無いが、記憶が焦げている。思い出が焦げ付いている。

 あの日、あの時、心が死んでしまった自分を助けてくれた正義の味方に出会うまで、自分には血の繋がった家族が居たのだ。記憶が焼け朽ちているのに、一目見ただけで思い出してしまった。覚えている事は少ないが、手から抜け落ちた澱が心へ逆流して来た。

 

「……大きくなったわね、士郎。わたしは貴方だけでも、成長した姿が見れて嬉しいわ」

 

「―――…………ろ」

 

「自分達三人は死んでしまったが、おまえは生き残ってくれたのか」

 

「―――………めろ」

 

「双子のお兄さんの人志(ひとし)は死んでしまった様だけど。あの子も生きて入れば、貴方のように成長していたのかしらね。

 ……けれどね、貴方にだけでも会えてよかった」

 

「―――……やめろ」

 

「ああ、そうだね。死んだ仕舞ったが、子が生きてくれていれば、それだけで今は幸せだ」

 

「もう―――やめてくれぇぇええええええ……!!」

 

 言葉だけ見れば、感動の再会なのだろう。死んだ両親と、成長した息子の出会いであり、二人は士郎を抱きしめようと近づいて行った。大人になり、嘗ての姿とは随分違うが、愛していた子の成長を喜ばない親がいるだろうか。 

 ……それは、確かに自然な行動だ。

 しかし、士郎の両親で“あった”死人は息子に触れれば、瞬く間に魔力を奪い去る。戦う為の生命力を奪取し、簡単に無力化し、キャスター組か他のグループの者に殺されるだけの獲物になる。

 もう、間に合わない。

 士郎の大声で異常に気が付いたセイバーだが、もう既に間に合わなかった。

 凍り固まり、戦意を其処まで失い、ただ無造作に喰い殺されるだけの哀れな敗北者になっていた。彼女のマスターが死に瀕する秒読みが始まっていた。

 

「―――シロウ……!」

 

 悲鳴に近い雄叫び。王に相応しい大声で、混乱した新米兵士を一瞬で叩き直す覇気がある。しかし、それも士郎にはまるで届いていない。死霊を殺し尽くしたセイバーであったが、もはや間に合わない。もう届かない!

 ……ダン、と虚しく銃声が二回響いた。

 

「―――久しぶりだね、士郎」

 

 そこには、生みの親を子の目の前で撃ち殺して士郎を危機から助けた―――育ての親が存在していた。




 アインツベルン攻略編の始まりです。キャスターは衛宮士郎の過去を調べ、惨劇のあった公園に赴いて悪霊収集を行ってしました。彼は土地の記録から過去を読み取り、色々と詮索する能力を持っています。
 後、人志が言峰士人の本名です。あの地区で生き残ったのが士郎と士人だけでして、実は綺礼は生存者名簿から士郎と和人の二人の名前を合わせたのが、“士人”と言う名前となります。綺礼は生まれ変わって呪詛で名前も全て失った彼の為、過去と縁のある名にして上げようと士人と新しい名を与えました。

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