神父と聖杯戦争   作:サイトー

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6.仕事

 ―――はぁ、はぁ、はぁ―――

 

 森の中を一人の男が疾走している。その人物は魔術師であり、人間だったモノ。所謂、吸血鬼であった。

 

「……ちっ、魔力が切れてしまうな」

 

 この男は吸血鬼ではあるが、血統の始まりを真祖に連ねる死徒ではない。己が魔術を極め人間を脱した存在。正確には吸血種の『魔』であり、人型の魔獣とでも言うべき存在。根源を目指すあまり長い時を生き、一つの概念に成り果てている。

 それ故、そこいらの死徒のように血を渇望する訳ではない。儀式魔術で変化した生命体の能力として吸血能力が付属していただけ。そして、血の摂取により、魂の肥大化と存在濃度の上昇を可能とする怪物であった。人間も魔術師も死徒でさえ関係なく、吸えば吸う程強力になるのだ。

 その吸血鬼は自身の体内と化した異界の森の中で研究を続けていた。森に迷った人間や、近郊の町の人間を攫い、食糧や実験材料にして生活していた。そうやって、百年以上の時間を研究に没頭していた。

 研究内容は『起源によって世界の起源に至る』と言うモノ。

 この吸血鬼は血液で遺伝情報を喰らうのでなく、正確には血を媒体にし、対象の魂を自身の魂の内に喰らう化け物。吸血鬼と言うよりも吸魂鬼と言った方がいい、真性のソウルイーターだ。

 そして、魔術師としての究極であり吸血鬼としての能力。太古の時代では、真性悪魔や妖精の力であった能力である固有結界にも至っている。

 名は『魂縛界(Soul・Prison)』。

 完成はしていないため外界に展開はまだ出来ないが、捕えた魂の起源を現象として再現できる大魔術。

 

 ―――そうして、研究の日々は終わりを告げた。代行者たちに居場所を気付かれたのである。

 

 この吸血鬼は研究三昧で自覚はないが、かなり強力な吸血鬼である。魔術師としても並の技量ではなく、大魔術師と呼べるモノ。

 配下に置いている戦闘用の怪物たちも並の吸血鬼より強力だ。配下の怪物は人間だった存在であり、肉体を改造され、さらに吸魂鬼の魂に繋がっている人形である。中には元が死徒だったモノや魔術師、代行者のモノさえ有る。固有結界に連結された人形は全て起源覚醒者と同じだ。純粋に強く、素体の能力も使える。……なによりも、その人物固有の魂が保有する起源の覚醒が厄介である。

 両キョウカイが送る執行者や代行者は強かった。しかし、己とその研究結果のほうが強かった。数度の討伐の末、ソウルイーターは健在であった。執行者や代行者の肉体と魂を得て、さらに強力になったともいえる。手駒の質と量が同時に増えたのだから。

 

 ―――そうして、また、教会から代行者らが新たに派遣された。

 

 今回の代行者らは強かった。運悪く、執行者共も強力な部隊で同時に来ていた。長年の勘が今回は殺されると告げていた。逃げる時間はまだある。

 

 手駒を全て迎撃に向かわせる。そして、肥大化した自身の魂を分化させ、自分を自分と同じ存在の人形に入れる。そして先程まで本体だった体を囮とし、元々最高傑作であり高い能力を持っていたそれを戦闘用の人形へと変換させる。新しい自分の存在濃度はかなり薄まるが仕様がない。今の自分は気配遮断に特化しているが、戦闘能力は殆んどない脆弱な素体だ。保険はこれ以外にも有るが、逃げ切れるのならばそれで御の字。しかし、自分の魂が死んでしまえば、研究はそこまで。やはりリスクは減らせる限り減らすものだ。

 

 準備は万全。人形(自分)にも迎撃に向かわせた。

 そして場面は最初に戻る。吸血鬼は誰にも気付かれぬまま見事逃げ切ったのだった。

 

 

「(逃げ切れたか。……む、人形(ワタシ)が死んだようだな)」

 

 手駒は全滅。自分の分身も死亡。愚かな執行者共と間抜けな代行者共はお互いを相手に殺し合いの真っ最中だ。

 化け物は静かに、誰にも聞こえぬ様、小さな笑い声を洩らす。

 

「フふ、ククク。あハハはははははハハははははハハハはは……………………………ハァ。さて、新しい我が家でも探すとしよう」

 

 吸血鬼は安心する。追手の気配も無く、敵は敵同士戦っている。戦場は遥か後方だ。吸血鬼の嘲笑。誰もいない筈の森の中、

 

―――ヒュン―――

 

 と、嘲笑の返答が返ってきた。トスッ、と吸血鬼の胸から音が鳴る。

 

「……あぁ?」

 

 胸から突起物が見える。

 

「―――――――ナ、に?」

 

 そうして、その安心が隙となった。ベシャ、と言う音とともに、取り返しのつかない量の血を口から吐き出す。

 

「グ、がァぁァァァ!! ガハ! ごホッ!」

 

 存在濃度が薄まっていたのが仇となった。人形に疑問を持たれたら終わりとは言え、力の減少で回復がままならない。節理の鍵が怪物としての肉体を苦しめる。

 唐突に、後方から気配を感じる。吸血鬼は急ぎ後ろに振り返った。眼前には一人の少年が右手に、尋常ではない程の退魔の気配を持つ白銀の剣を握っている。

 

「――――AMEN」

 

「ガァァァぁぁァあああああアアアアアアアアアアアアアア!!!!!???」

 

 ―――絶叫。代行者の一言で吸血鬼の心臓が焼け飛んだ。

 全身に先程以上の苦痛が走り回る。心臓に刺さった剣はさらに発熱し続ける。吸血鬼は目を見開き、顔を星々と月が輝く夜空へと仰いだ。かろうじて意識が残る中、黒鍵により魔力を全て浄化された肉体は死に囚われ、もう動かない。前方から、全身の血が凍結するような殺気に襲われる。

 ―――夜空を見て、吸血鬼は実感した。

 

 

 

 ―――自分はここで死ぬ―――

 

 

 

「……終わりだ」

 

 殺意が込められた声。化け物はその人間の声を聞いた。

 狩人は一切の油断も無く、死に体の標的に近づいて行く。力を無くした吸血鬼は地面に膝を付き、首をカクン、と下げる。視界に自分の死神となった存在を映し入れた。声の主は黒い法衣を纏った男。まだ少年と呼べる見た目であった。

 月の光で少年の顔が照らされる。感情が死んでいる、そう思えるような無表情。

 ……それは、空白の顔をしていた。人形の方が生気に満ちている。その空白に二つの暗黒。そうとしか見えない闇一色の、奈落の目が異様であった。その目に脳髄を鷲掴みにされる。

 

 

 ―――そうして、剣が振り上げられた。吸血鬼は最期の時を迎える。

 

 

「――――俺に殺されて、残念だったな」

 

 

 言葉と共に剣が堕ちる。絶望に染まる吸血鬼が最後に目をしたのは、

 

 

 

 ――――――――――悪魔のように、愉悦に歪んだ笑顔だった。

 

 

 

 これは、第五回聖杯戦争前の話。言峰士人にとっては当たり前の休日である。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

2月3日

 

 

 朝。

 

「……ねむい」

 

 神父の第一声。昨日の夜はかなり忙しいモノであった。

 何故なら、近くでサーヴァント戦が行われていたのだった。言峰士人は、その様子を物はついでだと教会から観察することにした。

 そうしたら、何処かの馬鹿共が最後に墓地を爆破したのだ。無人だからと言ってサーヴァント共は公共物を我が物顔で粉砕しまくった。墓石を切り刻んで粉々に吹き飛ばし、最後は爆破だ。監督役の仕事量も爆発だ。

 戦場に選ばれた墓地は墓地でなくなっていた。神父みたいに「……おぉ、神よ」と言いたくなるような惨状だ、主に後始末が大変な意味で。

 真夜中に、後処理で、大騒動だ。近隣住民の対処と墓地爆発の偽装に大変だったのだ。言峰士人は遠坂凛と衛宮士郎が帰った後忙しかった、主に二人の所為で。

 

「……………ねむいなぁ、ホントウ」

 

 神父はかなり寝惚けていた。

 寝不足であったが、生活リズムを崩すと鍛錬に影響が出るため朝の鍛錬はいつも通りであった。つまり、まったく寝ていない。まぁ、徹夜程度では何ともならない男であるので大丈夫と言えば大丈夫である。

 鍛錬が終わり水分を補給しながら、言峰士人は今日の日程を少し考える。徹夜明けの頭で、そういえば今日は日曜日だったから昼に寝ればいいか、とそんな風なコトを言峰士人は思った。

 

 鍛錬を終え、風呂でサッ、と体を洗った後、台所(キッチン)へ向かう。言峰士人の趣味と化した料理を始める。

 時は朝食。居候の王様も食事をとりに席に付いた。

 

「どうした士人(ジンド)、眠そうだな?」

 

 ギルガメッシュが、明らかに寝足りなそうな言峰士人に声を掛ける。

 

「……そもそも寝ていないからな。何処かの派手好きが墓地を爆破しやがった」

 

「ほう、中々本格的になって来たな」

 

「これからもっと派手になっていくだろうな。監督役は面倒だよ、本当に。それにキャスターの魂喰らいの偽装も重なってきたからな」

 

「ふ。我(オレ)が聖杯戦争を終わらせるまで雑用を励むのだな」

 

「……(大変になるな、余計に)」

 

 そんな物騒な会話が流れる教会の朝食風景。

 生活リズムが崩れない程度に少し眠った後、書類を片付けた。そのあと、昼飯を作り、またもギルガメッシュと一緒にとる事になった。

 飯の後は聖杯戦争絡みの連絡仕事を終え、鍛錬の続きとする。言峰士人にとって、鍛錬は既に趣味とか娯楽の領域に入っていた。彼の師曰く、習性である。そんな休日ではない休日を言峰士人は過ごしていた。

 言峰士人は鍛錬を終了させる。監督役の仕事も今はなく、暇であり、夕飯の事を考えていた。夕飯は泰山にしよう、と神父は思った。居候の王様に泰山に行くかどうか聞いたら、ノータイムで拒否されてしまった。からかい半分で訊いたのであったのだが、あれはまだギルガメッシュのトラウマになっているみたいだ。

 彼は泰山へは遠周りになるが、学校の結界を直接もう一度見ておく事にした。

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 学校への道のりを独り神父は歩いて行く。時間に余裕もあり、煙草(士人特製)を吸いたい気分(それだけ大変で体が煙を欲していた。特製の煙草なので疲労回復にもなるため)になるが、学生で神父見習いの十代の自分が歩き煙草は駄目だな、と考え断念する。数十分散歩がてらと足を動かし続け、士人は学校の校門に到着する。

 

 

 ―――そこには、目を覆いたくなるような異界――

 

 

 …もっとも、士人にとっては後処理的な意味で目を覆いたくなる光景であるのだが。中に入り、結界の様子を見ておく。陣がどうなっているか確認をした。

 結界を視た士人は、監督役の仕事がさらに増えてしまうな、と内心で呟く。結界の主は師匠に殺されてしまえ、とも思った。

 結界自体は師匠と衛宮がどうにかするだろうから、自分は監督役として後始末の準備をしておこう、と言峰士人は結界を見ながら考える。

 こんな時に自分はどうすればいいかと思案し、言峰士人はとりあえず溜め息を吐く事にした。

 

「…………はぁ~」

 

 とりあえず飯だな、と神父は行きつけの中華店へ足を運ぶ事にした。

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 散歩しながら言峰士人は夕食を食べるため目的地へ向かう。途中の公園で一服(人にばれないように)したり、目に付いた自販機の新商品の缶ジュースを飲んでみたりと寄り道をしつつ、目的の店に歩いていった。

 そうして神父は泰山の扉を開き店に入る。

 

「いらっしゃいアル~」

 

 魃店長の声が店に響き渡る。

 突然ではあるが、何故長い間、監督役が教会に待機してなくても大丈夫かと言うと、それは携帯電話のおかげだ。言峰は、聖杯戦争の期間は常に携帯電話の充電器も持ち歩いている。監督役としての指示は教会にいる必要が必ずしもあると言う訳ではないのだ。今の監督役は携帯電話に連絡がなく、今は職務から一時的に解放されている。

 ある程度の指示を出しておけばスタッフはそれに従い処理してくれるので、四六時中大変という訳ではなかった。というか、スタッフのまとめ役が主な仕事で、偽装や隠蔽の指示が監督役の仕事である。後は監督役がしなくてはならない書類仕事などもそれなりに多い。そうして心おきなく麻婆豆腐を、神父が食べられる訳であった。

 そして今は、いつもよりスパイシーなマーボーを食べたいこの頃である。

 

 魃店長は常連の言峰士人に注文を聞きに行く。親子二代に渡っての常連客だ。慣れ親しんだ様に会話をする。

 

「おおジンド、よく来たネ。注文はいつも通りのでいいアルカ?」

 

「いや、今日は激辛口がいいな」

 

「激辛口は久々ネ。直ぐに調理するから待ってるヨロシ」

 

「ああ、スパイシーな感じで頼みたい」

 

「フッフッフ。了解あるネ」

 

 そう言って魃店長はお冷を置いて、厨房へ向かった。この泰山は色々な中華料理が注文できる。そして、辛い。全てが辛い。まぁ、全部がそこまで辛いという訳ではないが、世間一般の感覚では余裕で辛く、香辛料を良く使う四川料理は特に辛い。

 

 ―――その中でも鬼門とされるのが、麻婆豆腐である。

 

 そして、泰山の麻婆豆腐には辛さにランクがある(他の料理だと四川系の中華料理でさえ、辛さは麻婆豆腐の甘口より辛くないのだ)。

 辛さのランクは下から順に、甘口、普通、辛口、小激辛口、激辛口、大激辛口、特大激辛口、超激辛口、超絶辛口、極限辛口の十段階である。

 例えであるが、一般人視点からの恐怖度で比べると、甘口は毒蠍、普通は虎、辛口は北極熊、小激辛口は巨大アナコンダ、激辛口は悪魔、大激辛口は邪龍、特大激辛口は魔王、超激辛口は若返った大魔王、超絶辛口は宇宙怪獣、極限辛口はクトゥルフ的なナニカである。一般人にとっては甘口で既に死亡モノ、激辛口以降は幻想の領域である。

 そして、言峰親子は全てコンプリートしている。さすがの言峰士人も大激辛口以降のマーボーの完食は命がけ(?)なので、今日のところは後の体調も考え、激辛口としたのであった。

 

「お待たせアル~」

 

 魃店長の声が店内に響く。麻婆豆腐がテーブルに運ばれてくる。イメージトレーニングや、考え事をして時間を潰していた言峰士人の前にマーボーが置かれる。

 

 

 ――それは、この世の地獄の顕現だった――

 

 

 それを見た人は思わず、そのようなナレーション(つっこみ)を入れたくなるような麻婆豆腐がそこにあった。

 赤、赫、朱、紅。辛口マーボーがお子様マーボーに見えるようなマーボーである。なんと言うか、邪悪であった。神父は蓮華を握り、戦いの鐘の音を上げる。

 

 

「―――いただきます」

 

 

 そして、周りには神父が麻婆豆腐を咀嚼する音と蓮華と皿が当たる音に支配される。

 

 

「……はぐハグ、もグ。モグモぐ、はグハぐ、モグッ、………ごく。もぐもぐ――――――」

 

 

 そうして十数分後。ごちそうさま、と言峰士人は麻婆豆腐を完食した。

 

 

 マーボーを食べ終えた後、言峰士人は食休みをとっていた。流石の神父もあのレベルのマーボーが相手では、体力の消費から逃げられる訳ではない。アカ一色の強敵は中々に手ごわいのだ。

 店の中、客は神父だけ。時間が遅いのもあるが、聖杯戦争で物騒になった影響でもあるのだろう。聖杯戦争の害はこのようなところにも出るのであった。

 魃店長が注文の品を言峰士人に持ってくる。

 

「はいジンド、杏仁豆腐持ってきたネ」

 

 食休みをとる前、言峰士人はデザートに杏仁豆腐を頼んでいた。言峰は杏仁豆腐を食べ始める。注文する客もいなくなり魃店長は言峰士人の座る隣のテーブルの席に腰を置いた。店長は常連の少年だった青年に話掛ける。

 

「イヤ~、良くあのマーボーを食べきれるアル」

 

 パク、と杏仁豆腐を食べた後、士人は苦笑を浮かべる。

 

「まぁ、激辛口ならまだまだ大丈夫だな」

 

「……そんなコト言えるの、キレイとジンドくらいアル。キレイが来るまで辛口が人類の限界だと思ってたアルヨ」

 

「ふむ。そう言えば、綺礼(オヤジ)が辛口を簡単に食べたから増えたのだったな」

 

「そうアル。一応、マーボーの辛さはワタシが食べられる辛さにしてるヨ。……ワタシの限界は極限辛口だったネ。それを食べられた時はホント、驚いたアルネ」

 

 遠い目で泰山の主はそう言った。魃店長は自分が食べられる辛さで麻婆豆腐の辛さを決めている。段々エスカレートして極限辛口になったのだ。原因は勿論、言峰親子の所為。

 それに実は、極限辛口は魃店長の限界をちょい超えており、食べきるのは無理無茶重ねてのギリギリの完食である。それを言峰親子は余裕な表情で完食したのであった。

 ……実は内心、中々に辛(カラ)く、結構|辛(ツラ)かったのだが。

 

 

 その後世間話をして時間を潰した後、言峰士人はお勘定を魃店長に払い、泰山を出た。

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 士人は帰路についた。神父は教会に帰るため、新都を横切りながら帰り道を歩いていった。商店街で買い物をしておこうかとも思ったが、新都で買い物をしたのがまだ持つだろうとそのまま帰る事にした。言峰士人は夜も遅く、魔術の修行と監督役の仕事もあるので寄り道せず帰る事にした。

 

 

 ―――そして、帰り道。魔力の乱れを感じた。

 

 

 言峰士人は、仕方ないな、と思い現場に向かった。人助けは神父の宿命なのだ。

 

 

 

△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 美綴綾子は今、人生の中で最大の危機に陥っていた。部活帰りに友達と新都で遊んでいた。しかし、夜も深まり、家の門限(大して厳しくはない)が近づき、家に帰ることにした。

 新都から家へと帰ろうとする。道を歩いていると、嫌な違和感を感じた。いつもの道が異世界に迷い込んだような変な感覚。明らかに良くない兆候だった。

 危険だ、とそう自分の感覚が告げている。美綴綾子は足を速める。早く明かりがあり、人目のあるところに出て行きたかった。

 

 

 ―――そうして、美綴綾子は怪物と出会った。

 

 

 それを見た時、違和感が悪寒に変わった。闇が人型を造ったようなカタチ。自分の前に悪寒の正体が現れる。それは、女の形をした人外。美綴綾子は類まれな直感で一目でそれが、人間でないと理解した。

 日本の女性と比べると長身であり、見た目は黒いボンテージで、紫色の眼隠しをしている。格好はかなりアレであり、自分がしたのを自分で見たら悶絶モノの姿であったが、そんな事を気にしていられる余裕など次の瞬間に美綴綾子からは消え去った。

 

 

 ―――アレは、自分を捕食しようとしてる。

 

 

 目隠しをしているのに簡単に伝わってくる、獲物を見るような視線。その妖艶な笑みの正体は、肉食動物が草食動物に向ける獰猛な狩人(ハンター)の笑いだ。哀れな肉を捕まえ、喰らう時の笑顔。自分がもうテリトリーに入ってしまった事に綾子は気が付いた。

 

 

 ―――化け物が笑顔を向けてくる。

 

 

 美綴綾子は反転し、全力で逃げる。背後からの気味の悪い気配が自分で迫ってくる。足を止めたらそれで終わりだ。

 

――…ジャラジャラ…ジャラジャラ…ジャラジャラ…――

 

 後ろからは、足音もなく鎖の音がする。恐怖が身を震わせる。

 ジャッ、と言う音が迫ってくる。綾子は音の正体である鎖を避ける事は出来ず、片足を絡め取られてしまう。そしてそのまま前へと、勢いよく転倒した。頬を擦ってしまい、血が流れる。

 

「あぐ……っ!」

 

 痛みからか、声を上げる。そのまま黒い女に叫ぶ。

 

「な、何者よアンタ!?」

 

「―――………」

 

 女は反応もせず、黙っている。

 

「何とか言いなさいよ……っ!」

 

「……フ」

 

 眼帯の女はそう笑い声を上げた瞬間、鎖を操り美綴綾子の腕を拘束する。外見からは想像が出来ない程の力で壁へ、美綴綾子を押し倒した。

 

「―――フフ」

 

 笑いながら壁に拘束し、彼女の頬から流れる血を指で拭き取り、女は人の言葉で喋った。

 

「血は命を宿す魂の象徴。私のためにその血を捧げていただきましょう」

 

 そう言って、指についた血を舐めとった。綾子は恐怖のあまり頭がパンクしたような混乱状態になる。眼帯の女は首に噛みつこうと顔を近づけて来る。

 

「や……めろ」

 

 恐慌した頭で彼女は小さく、恐怖に震えた声を洩らした。

 段々ゆっくりと、女の顔が自分の首へとずれていく。

 眼帯をした女の顔が視界の外へと消える。

 首筋に女の吐息が当たる。背筋が凍り、自分が殺されるのだと実感した。

 

 

 ―――そうして、カツン、と足音がした。

 

 

 美綴綾子は、知人の男が数メートル先にいるのに気が付いた。女の背後に居た言峰士人は亡霊のように佇みながら、左手に真っ黒な剣を握っていた。

 

 

△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 魔力の乱れを感じられたところに神父は急いだ。念の為、あらかじめ武装を用意し、いざ戦闘となった時の準備を万端とする。脳みその中で対サーヴァントと対魔術師の策も良く練る。

 士人は異常があったところに向かい、サーヴァントに美綴綾子が襲われているのが目に入った。神父は代行者としては慣れていた、化け物特有の血の匂いをサーヴァントの気配から感じとる。気配を限界まで消して、サーヴァントの後ろを取る。

 ちょうど美綴が壁へとやられている瞬間であり、注意が散漫している内に背後の方へと近付いて行った。全体が建物の影に入っているので、自分の影を気にする必要はない。神父は相手を牽制できる位置に移動する。

 

 …サーヴァントは美綴綾子の首に咬み付こうと、顔を近づけていった。

 

 一応自分は監督役のため警告だけはして、それに逆らったら戦うと決める。もっとも、サーヴァントと戦うなど、ギルガメッシュと生活している神父からすれば自殺でしか無いと理解している。故に、戦うといっても基本は撤退戦であり、逃げるだけなら言峰士人にも策は幾つか有り、英霊を殺し切る奥の手を持っている。それに不意打ちして本気で敵対されたら面倒であり、そもそも戦う必要がない。

 何より自分は監督役だ、建前は守ってこその建前だ。戦闘は避けたい。態と足音を言峰士人は鳴らして、一歩前に出た。

 

「動くなサーヴァント、民間人への過度な干渉は規則違反だ」

 

 サーヴァントは言峰士人の方に背後を向けたまま返答する。

 

「……その口振りと行動。貴方はマスターではなく監督役ですね」

 

「そうだ。故に忠告をしに来た。サーヴァント、彼女を放し、ここから立ち去るがいい」

 

 監督役の言葉を聞き、サーヴァントは言峰士人の方に振り返った。フフッ、と笑みを浮かべた後、監督役の忠告に返答をする。

 

「忠告をする割には好戦的な雰囲気ですね。監督役が武器を持って交渉ですか?」

 

「仕方が無かろう。素手ではいざという場合、対応が出来ないからな。

 ―――それでどうする、サーヴァント?」

 

 再度言い渡される忠告。その確認に黒いサーヴァントは言い返した。

 

「――――忠告は断ります。

 マスターの命令には逆らえません」

 

 神父は監督役である事をやめる。忠告は告げた。今はどう生き延びるかが問題だ。その言葉を聞いた言峰士人はボソリと、口の中で非常に小さい声で呪文を呟く。あらかじめ用意しておいた結界を周囲に張った。

 

「―――結界ですか。しかし、これが一体どのような意味があると言うのです?」

 

「さぁ? どんな意味があるのだろうな」

 

「……………………」

 

 サーヴァントから殺気が漏れ、問い掛けるように神父の方に降りかかる。サーヴァントによる殺気を受けながら神父は何にも感じてないかの如く話を進めた。

 

「何だ、監督役に手を出す気か。全く、理性のある生き物とは思えんな、まるで化け物だ。その不出来な殺気は内にしまえ」

 

 神父は笑みをサーヴァントに向けながら挑発した。眼帯の女はその笑いを不吉に感じ警戒するが何よりも、その言葉で凄まじく不快になった。

 サーヴァントは杭のついた鎖を言峰士人の方へ構えた。拘束されていた美綴綾子は解放される。しかし、彼女の威圧感は上昇し、まるで空気が凍結しそうな冷たさを身に纏う。

 

「―――美綴、早く退いてろ」

 

 綾子はその言葉を聞いて、忘れていた呼吸を再開する。隣にはまだ、押し潰れそうな重圧を纏う女がいる。

 

「……こ、言峰?」

 

「大丈夫だ、逃げろ」

 

 士人は右手に黒鍵を握る。そして、その黒鍵を裏路地の先に向け、そっちに逃げろと綾子を促す。

 彼女は突然右手に三本の剣が出てきたのに驚いたが、士人に示された方向に走り去る。自分がお荷物でしかない事を実感したのもあり、言峰の邪魔にならないよう急いで逃げた。

 

「いいのか、獲物が逃げて行くぞ」

 

 眼帯のサーヴァントは、相手が男だったら虜に変えてしまう様な、そんな魔性に属する妖艶な笑みを士人へ向けた。

 

「……フフ、構いませんよ。私の獲物は目の前にいますから」

 

 それを聞き、言峰士人は態とらしく、そして疲れたように苦笑を浮かべた。

 

「……まったく、面倒だな。それで、マスターの命令とやらはいいのか?」

 

「命令変更、だそうです」

 

 少しの沈黙の後、クックック、と言峰士人は笑った後、話し出す。

 

「なるほど、気苦労なサーヴァントだな」

 

「……………………………」

 

 言峰士人はこれまでの話と態度で、このサーヴァントがマスターの命令に従っているだけだと気付いた。分かったからといって今の現実は変わらないが、このサーヴァントにとって綾子など如何でも良い獲物に過ぎないという事だ。それを邪魔した言峰士人も然り。

 このサーヴァントは自分の命を狙ってくる事は確かであるが、本気でこちらを殺しにかかることはなく、魔力補給のための魂食いなら宝具の使用をすることもなく、節約のために本気で全力は出さないだろう。

 そもそも、召喚されたサーヴァントと参加したマスターにとって監督役を殺すことに利益などない。そして、このサーヴァントは相手が人間であるので慢心があり、油断をしている。言峰士人は用意しておいた策のためにとりあえず、出来る限り時間を稼ぎたい。自分から仕掛けることはしなかった。

 何よりこのサーヴァントの気配、学校の結界の魔力と同じ『匂い』がした。

 あの遠坂凛をこれでもかと挑発し、冬木の管理者を愚弄したサーヴァント。マスター共々、血祭りは確定しているようなモノだ。人の獲物を殺す気にもなれず、時間稼ぎのために士人は会話を続けた。

 

「監督役として人助けも出来たし、俺としてはもう帰りたいのだがな」

 

「駄目です。貴方はあの少女の代わりですから。その命、魔力の糧にしてあげましょう」

 

「それは困るな。俺も死にたくはない」

 

「いえ、殺しはしませんよ。ただ血を貰うだけですから」

 

 士人はその言葉に嘘は感じられなかったが、だからと言って血を分ける気になる訳がない。相手は魂喰いを良しとするサーヴァントだ。

 

「………そうなのか。

 だが、この身は監督役だ。血を分け与え、特定のサーヴァントに魔力を提供すると言った贔屓はできないのでね」

 

 その言葉を聞いたサーヴァントは、クス、と可笑しそうに笑う。

 

「そうですか。では話はここまでとしましょう、無駄話は終わりです。

 ――――手足の二、三本は覚悟してください」


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